何が起きたのか…その時は分からなかった。
 分かったのは…。

 いつもは虚ろな魔晄の瞳がしっかりと俺達を見ていたこと。
 彼女の腕が、カプセルの中で広げられて……。
 俺達をこの危険な場所から逃がす為に掲げられたこと。

 そして…。

 彼女の入ったカプセルの床にいくつも走った亀裂。
 彼女に迫るバケモノ。
 そのバケモノの重みに耐えかねて床の亀裂が大きく砕けると同時に、床下から立ち上る炎に包まれた…。

 バケモノは醜い顔を更に醜く歪めてなにかを喚きながら……彼女と一緒に堕ちて行く。
 炎に包まれ、苦しげに身をくねらせながら……堕ちて行く。

 まるで……地獄に堕ちるかのような光景……。

 それなのに…。



 姿が見えなくなるほんの数秒、いや半瞬。

 彼女は聖母の微笑を浮かべていた…。



 ― 今までありがとう… ―



 彼女の声が聞えた気がした。






Fairy tail of The World 56




 ドーーーーーンッ!!!!



 飛空挺に乗っていても伝わってくる振動。
 リーブ達は思わず後方を振り返った。
 だが、飛空挺の後ろが見えるはずない。
 慌ててパイロットが画面を切り替える。

 スクリーンに広がる光景に、誰一人として衝撃を受けなかった者はない。

 WROの本部が……紅蓮の炎に包まれている。
 それだけではない。
 まだまだ爆発が続いている。
 各施設に備え付けられていた自家発電に次々引火しているのだ。
 WRO本部が街から少し離れたところに設営されていたのは、こういう事態を恐れたがゆえ。
 その事態が……とうとう起きてしまった。

「シェルク!!」

 シャルアが悲鳴を上げる。
 本部に残して来た妹が炎に包まれた。
 反射的にハッチに向かおうとするシャルアを、スライ大将が必死に止める。
 誰も……科学者のその醜態とも言える取り乱しようを嘲りはしなかった。
 出来るはずがない。
 掛ける言葉も…見つからない。
 ただひたすら、大将の腕の中で激しく身を捩る彼女に、憐憫の眼差しと自分達の拠り所とも言える本部の無残な最期に言葉を無くしていた。


 そして、それはグリートを残し、計画通りにエッジに向かうヴィンセント達の乗っている飛空挺でも同じことだった。

「兄さん!!!」

 グレーの瞳を大きく見開き、ヨロヨロと後ずさるラナに、ヴィンセントが黙ってその肩を支えた。
 だが、決して彼女の顔を見ない。
 見れない。
 どんな言葉をかけて良いのかも…分からない。

「兄さん!!!」

 一際甲高い声を上げ、ラナはしゃがみ込んで号泣した。
 いつもは凛として強い彼女が、ここまで取り乱すのは…正直意外な気がしないでもなかった。
 ラナがあまりにもあっさりグリートを送り出したから……。
 だから、万が一、グリートの身に何かが起こっても彼女は乗り越える…そう思っていた。
 だが…違った。
 ラナは心から信じていたのだ…兄の無事の帰還を。
 絶大な信頼を寄せていたからこそ…不安を押し殺して兄の意志を尊重できたのだ。
 だが…。
 それは無残にも目の前で炎に包まれ……消し炭になろうとしている。


 誰も…何も言わない。
 バレットですら、ググッと唇を強く噛み締め、ひたすら涙を堪えて……スクリーンを睨みつけるように立っていた。
 が…。


「なんだ、ありゃ……」


 驚愕に彩られた仲間の声に、ヴィンセントはスクリーンへ視線を戻した。
 そして、目を見張る。

 轟々と燃え盛る炎から一際輝く光。
 エメラルドグリーンに輝く光が、その存在を現したかと思うとあっという間に何も無い荒野に向けて飛んで行ったのだ。
 言葉通り……矢の様に飛んでいく光。


「「 あの光を追え!! 」」


 ヴィンセントとリーブの口から、同じ命令がパイロットに下された。

 だが…。


 パパパパパッ!


 ヴィンセント達の乗っている飛空挺のスクリーンに、突如、文字が現れた。



 ― 二人は大丈夫です 
   どうか お二人の事はお仲間に任せて
   クラウドさんを 助けて下さい 
   あなた方が 数多にあったはずの 最後の 希望 ―



 誰もが息を飲む。
 パイロットは思わず操舵から手を離した。
 だが、飛空挺は変わる事無くエッジに向けて飛んでいる。
 一瞬、パイロットがヴィンセントの指示に従って光飛んでいった方へ進路を変えたにも関わらず…。


「あ…あぁ……」

 蒼白になってパイロットが思わず立ち上がる。
 自分は何もしていないのに、飛空挺が飛んでいるのだ。

 まるで意志を持ったかのような飛空挺に取り乱さないほうがどうかしている。
 だが。


「座れ!」


 ビクッ!!

 パイロットのみならず、バレットと号泣していたラナも身を震わせた。
 ラナの場合はショック療法になったらしい。
 あれだけの涙が一気に引っ込んだ。
 そして、信じられない思いでスクリーンの文字を追う。

「ア……アイリ…?」

 震える声に…。
 もう何も応えはなかった…。







「艦長。エッジ到着予定時刻まであと四時間半に縮まりました!」

 パイロットの感極まった報告に、シドは「そうか!よし!!」と、嬉しそうに立ち上がった。
 本当ならば、まだ五時間以上かかるはずなのに、星達が闇と戦ってくれているとかで、シエラ号にかかる空気抵抗が最小限に抑え続けられている。
 この分だと、四時間半からうんと早くエッジに到着出来るかもしれない。

「一分一秒も…無駄には出来ねぇ…」

 噛み締めるように独りこぼすシドに、そっとクルーの一人がコーヒーを持ってきた。

「艦長。タバコばかり吸ってると身体に悪いですよ」
 ま、今更かもしれませんけどね。

 笑いながらそう軽口を叩くクルーは、あの旅からの付き合いだ。
 シドはニッと笑いながら、
「まぁな。でも、こいつはありがたくもらっとく」
 タバコを灰皿に押し付け、クルーの手からカップを受け取る。
 ジッと見つめるのは…スクリーンの一点。
 世界地図がスクリーン一杯に広がっているが、その中で点滅を繰り返す青い光。
 それがシエラ号だ。
 予定では、もう先行隊がエッジに到着する頃だ。
 だが、まだ着いたという報告はない。
 最後にヴィセントからWRO本部にグリート中尉を送り出してからエッジに向かう…と報告を受けていた。
 だから、微妙に時間がずれても仕方ないだろう。

「……お姫様……か…」
「はい?」
「いや……」

 グリートがいつもアイリの事を『姫』と呼んでいた事をフッと思い出す。
 数回しか会ったことはないが、周りの人間の助けがなければとても生きていけない少女だった。
 少女…というのはいささか問題があるかもしれない。
 何しろ、彼女はもう二十歳なのだから。
 だが、彼女の持っている雰囲気、実年齢よりも僅かに幼く見える容貌。
 何より、儚げな印象が彼女を『少女』と呼ばせてしまう。
 そして、そんな彼女がどうやってティファを助けたのか……。
 実際目にしたと言うのに未だに信じられない。
 それに…今回のWRO内で起きた一連の騒動。
 あの魔晄中毒末期患者がどうやって…?

 謎は深まるばかり。

「よぉ……おめぇにとって、『お姫様』ってどんなもんだ?」
「はい???お姫様…って、あの物語とかであるやつですか???」
「ん〜…物語…というよりも、実際にそういう『お姫様』がいたとしたら…その『お姫様』ってどんなもんだと思う?」

 シドの突然の質問に、クルーは目を丸くしたが、極めて真面目な彼は顎を軽くつまむと、
「ん〜〜〜……そうっすねぇ……」
 暫し黙考する。

「周りの人間が助けないと何にも出来ないくせに、口ばっかり達者な世間知らず……でしょうかね?」
「要するに、ちやほやされて育った…ってことか?」
「えぇ、まぁそんなもんです。あ〜、それと…」
「それと?」
「例えば、家が没落したらあっという間に身包み剥がされて人身売買に引っかかりそうですよね。世間知らずで高飛車だったら、格好の餌食だと思うんですよ」
「……おめぇ……暗いな……」

 冷静すぎるその答えに、シドは苦笑した。

「例えばよぉ、家が没落云々よりも、そのお姫様がお忍びで町とかに行くだろ?行った先で困った人間がいたら…どうすると思う?」
「困った人間…って、物乞いとかですか?」
「あぁ、まぁそこんところは何でも良いけどよ」
「本当のお姫様なら、きっと『こんな汚い人間は人間じゃない!』って、すっごくバカにして、逃げちゃうんじゃないですか?それこそ『汚らわしい!!』とか捨て台詞吐いて」
「……おめぇ、とことん暗いな……」
「現実的と言って下さい」

 肩を竦めながらニッと笑うクルーに、シドは苦笑した。
 苦笑しながら…頭の中は……。

「だがよぉ、自分の命を差し出して他の人間を助けようとする一国の姫…って案外いるとは………」
「思えませんね」

 最後まで言わせず、バッサリと切って捨てる。
 シドは「だよなぁ…」と顔をクシャッと苦笑いで歪めた。

「ですが…」
「あん?」
「もしも、自分の命を差し出して他の人間を助けようとする人が本当にいるなら…」
「いるなら…なんだ?」


「お姫様じゃなくて、『聖母』か『天使』だと思いますね」


 真面目な顔をしてそう言い切ったクルーに、シドは目を丸くした。
「聖母か…天使……ねぇ…」
「ええ、だって自分の命を差し出して他の人間を助ける…って設定は、『赤の他人』の話でしょ?家族や仲間、友人なら自分の命を投げ出しても〜…って思う人はいるでしょうが、『赤の他人』の為に命を差し出すなんて、普通の人間じゃ無理ですよ」

 いっそ…清々しいほどの台詞。

 人の命を救う為の仕事をしている人達は沢山いる。
 だが、それは『相手の命も自分の命も守る』ことが大前提。
 シドが言いたかったことはそうではない。

 目の前の『赤の他人』の命を助ける代わりに『自分が死ぬ』ことを選ぶかどうか…。
 それを遠まわしに聞いていたのだが、このクルーは見事に言い当てた。

「そうだよなぁ……、普通の人間じゃ、そうはいかないよなぁ…」

 しみじみとした溜め息を吐く。

 アイリにとって、ティファは決して『赤の他人』ではないだろう。
 何度も会っているようだし、ティファがアイリを大切な友人のように思っていることも知っていた。
 だが、当のアイリ本人はどうなのだろう?
 やはり、命がけでティファを助けたのだから、大切な存在なのだろうが…。

「友人を助けるため…って言っても、中々自分の命は捨てられないよなぁ…」
「そっすね。だって、家族の為に死ぬことも難しいと思いますから…実際は」

 サバサバしたクルーの言葉にシドは「そうだよなぁ…」と呟いた。

 スクリーン下にある無線に目をやる。
 もうそろそろ、アイリを救出に向かった先行隊から何かしらの連絡が入ってもいいのではないだろうか?
 予定では、WRO本部にグリートが潜入して……もう三十分になっている。
 流石にシャドウがうようよいる本部内では色々と大変だろうが……。

「遅いな…」
「はい?」
「いや……」

 怪訝な顔をするクルーに説明する気になれない。
 口にしたら……不安が押し寄せそうになるから…。

 アイリを救出出来なかったとしても…現在救出任務を遂行中だとしても……。
 何かしらの情報が欲しい。
 出来れば、あの魔晄中毒患者の少女には……生きて欲しい。
 こんなに不思議なことが出来るのだから、生き残りさえしたらこの先、彼女が元気になる可能性があるではないか。
 元気になれたら…そうしたら、紫紺の瞳を持つ青年と一緒に愛を語り合うことも出来るだろう。
 何事にも几帳面で…一生懸命な青年の姿が脳裏をよぎる。
 その青年と病気の治った彼女が微笑みあっている姿を想像し、シドの胸にツキン……と、僅かな痛みにも似た切なさが走った。


 ピーッピーッ!


「艦長、局長からです」

 ハッと、シドとクルーが通信士を見た。
 だが何故か、スピーカーからリーブの声が流れてこない。
 代わりに…。

 パッとスクリーンの画面が切り替わって文字が走る。
 操舵室にいた全員の時が止まった。



 ― WRO本部、壊滅。現在炎上中ですが、本部以外の被害はなし。この事件で…… ―



   魔晄中毒療養病棟入院中だった アイリさんが死亡



   彼女の救出に向かったグリート・ノーブル中尉とシェルク・ルーイは無事に保護 二人共 無傷





 シドの視線は『死亡』という文字に釘付けになり、救出に向かった二人が無事であったことを喜べない。
 頭の中が真っ白で…。
 何も考えられない。

 次第に己を取り戻したらしいクルー達がザワザワと何事か囁き合っているのが聞えるが、その声すらも遠い。

「あ〜…結局……失敗しちゃったんですねぇ……」
 放心するシドを気遣ったクルーの戸惑う声音。
 シドはそれに応える余力が心にない。
 ただただ、『死亡』の文字を見つめる。
 やけに大きく見えるその二文字。

「艦長……」

 クルーがそっと肩に手を置こうとした。


 シュンッ。


「シド、何か報告ない〜?」

 ドアが開くと同時にユフィとナナキが駆け込んでくる。
 ギョッとしてクルーが手を引っ込め、他のクルー達もそれぞれドキッとしながら二人へ振り向いた。

「な、なに?」
「…なにかあった…、って……、え……!?」

 クルー達の視線にたじろぎながらユフィとナナキは自然とシドを見て…シドの視線の先を追って……そして気付く。


「「 !! 」」


 ヒュッと鋭く息を吸い込んだのはユフィか…それともナナキか…あるいは二人共なのか…。
「そ、そんな……」
 力なく項垂れ、首を振るナナキの横では、ユフィが口元を押さえてフラッ…と後ずさった。
 そして、勢い良く踵を返すと操舵室を飛び出した。

 向かった先は、星の声を聞くことが出来るシュリの部屋。

「絶対……絶対そんなことない!絶対に……死んだりしてない!!!」

 うわ言のように繰り返しながら、転がるようにして駆ける。
 途中、何人ものクルー達とすれ違い、訝しそうに…あるいはびっくりした顔をされたがそんな事に構ってなどいられない。

 一刻も早く星に聞いて欲しい。
 アイリは生きている…という星の言葉を聞いて欲しい。

 階段を駆け上り、荒い息を繰り返してシュリの部屋まで全力疾走する。
 そして…。
 漸く辿り着いたその部屋。

 ユフィは走ってきた勢いのまま手を伸ばして………………ドアは…開けなかった。

 部屋の中から聞えてきた物悲しい音色に、走ってきたことと信じ難い報告に上昇していた体温が急速に熱を失う。
 そのままフラフラ…と後ずさって壁に背をつけ…。
 ズルズルしゃがみ込む。

 もう…聞かなくても分かった。
 シュリが部屋の中で笛を吹いている。
 青年が笛を吹くのを初めて聞いたが、それでも直感した。
 この物悲しくて……胸を掻き毟られるような……切ない音色は……。


 鎮魂歌。


 両膝を立て、その間に頭を埋めて腕で抱え込み…。

「う…っく……ひぃっく……」

 ユフィは………泣いた。




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