ふ…と、顔を上げた青年に、シドは「どうした?」とホットミルクを差し出しながら声をかけた。




Fairy tail of The World 60





「…中々…厄介ですね」
「あん?」

 差し出されたそれ受け取りながら、一言ポツリと漏らしたシュリに、訝しそうに眉を寄せる。

「いえ、やっぱり……色々……ね」
「なんだそりゃ…」

 はっきりとした答えを言うつもりがないと分かる青年の態度に、ほんの少し不貞腐れたようにぼやきながら、隣に腰を下ろす。
 なんとなく窓の外を眺め、流れていく雲を見た。
 はるか後方に望む雲の流れ。
 月光と星明りに煌きつつ、これまで見たこともない程のスピードで流れていく光景に、現実とは思えないような心地が込上げる。
 それもこれも、星に還った先人達が必死にシエラ号を動かしてくれているからだ。
 正直、こんなスピードで空を飛ぶ日が来るとは想像もしていなかった。
 既に、シエラ号の持てるスピードの二倍以上の速度が出ているだけでなく、その高速時にかかるであろう負荷など一切がシエラ号と、乗組員全員にはなかった。

 まさに…。
 目に見えない多くの力が働いてくれている証。

「凄いもんだなぁ…」

 しみじみそう呟いたシドを、今度はシュリが訝しそうに見つめる。
 その反対側では、ユフィが舟をこぎながらテーブルに今にも額を打ち付けそうだ。

 温かなカップから湯気がユラユラと立ち上る様を、シュリはジッと見るとはなしに見つめていた。

「飲めねぇか…やっぱ…」

 身体が回復していないシュリは、栄養剤の点滴を受けるだけで口から何も摂っていない。
 コーヒーにしないでホットミルクにしたのは、そんな弱った身体を思いやっての事だ。
 だが、もしかしたらそれも余計な世話だったのかもしれない。

「いえ、いただきます」

 ゆったりとした動作で口にカップを運ぶ青年を見て、シドはほんの少し悔いた。
 無愛想なくせに周囲への気遣いが細やかなこの青年が、わざわざ自分の為に『ホットミルク』という、このシエラ号には常に無いものを出されたら…。
 こうして多少は無理をして口にするだろう。

『失敗した…かな……?』

 内心焦りながらそう反省している艦長に、

「美味しいですよ…本当に」

 シュリはしみじみとそう言いつつ、淡い笑みを浮かべた。

「こうして自分の為だけに煎れてもらったのは初めてです」
「な、なに言ってんでぃ!コーヒーとか紅茶とか、いっつも煎れてもらってるだろうが」

 嬉しさ半分、照れ臭さ半分でそう言うシドに、
「いえ、そういうんじゃなくて、俺だけの為に煎れてもらったのは…初めてですよ」
 カップを目元まで持ち上げ、感慨深げに中の白い液体を見る。

「ホットミルクなんか…普通はないでしょうに。あえて俺の為に作ってくれた……」
 それが…とても嬉しい…。


 いつもは無表情で何事にも冷静沈着、自分の身を振り返ることなどしないで、むしろ我が身を犠牲にすることが当然だという青年が、こうしてしみじみと感謝を口にしている。
 それも、たかがホットミルク一つで…。

 シドは何故か無性に泣きたくなった。
 理由は…分からない。
 ただ、この青年がこれまでどういう生活を送り、周りからどういう目で見られるように『あえて』振舞ってきたのか…。
 きっと…本当はとても優しく接することが『出来る』はずなのに、あえて周りに壁を作って生きてきた……そう思える。
 それは……。


 こういった事態に遭遇した時、自分がいなくなって悲しむ者が一人でも少なくなるため。


 本人にそう聞いたわけではなく、どこまでも推論でしかないが、何故だかシドはそうだと言い切れる気持ちだった。

 なんて純粋で……悲しい性を持って生まれたんだろう。
 ミッドガルのストリートチャイルドとして生きてきたにしては、綺麗過ぎる青年にシドは胸が詰まる

「へへ…本当にお安い奴だな、お前は」

 ごまかすように自分のコーヒーをグイッと飲み干す。
 ちょっと力を込めてカップをテーブルに置いたシドの視界に、緩やかに微笑む青年が見えた気がした。
 それも一瞬だけ。
 すぐに無表情に……『人形』に戻る。
 そういったことも、幼い頃から培ってきた習慣なのだろう…。
 それが…とても悲しい。
 他者を寄せ付けず、隙を見せず、親しい者を作らないで独りで生きてきた。

 それもこれも、アイリを探し出すため。

 アイリとシュリの関係がなんなのか明かされてはいないが、シュリはアイリを探し出して無茶をしないように……、今回の結果を招かないようにするため、必死になって彼女を探していた。
 そう先ほど話してくれた。

 だがしかし…。

 結局、青年の長年の苦労はつい数十分前に水泡に帰した。
 普通なら、長年苦労して…ようやく見つけたその探し人がいなくなってしまったら悲嘆にくれるだろう。
 だが、今のところ、シュリが嘆き悲しんでいる様子は……ない。
 勿論、悲しみを隠しているのかもしれない。
 だがそれでも、ちょっと演技が上手すぎる気がする。

『元々、演技っつうか、仮面を被って生きてきたような奴だから……まぁ、分かんねぇけど……、それでもよ…』

 シドは胸中で呟いた。

 もう少し……悲しみを感じさせても良いと思う。
 既に自分達は『仲間』なのだから。
 今更、巻き込まないように壁を作る必要などどこにもない。
 というよりも、そんな時点は当の昔に過ぎ去っている。
 ここまで来たのだ。
 ヤバイ敵を相手に一緒に戦う仲間になったのだ。
 それなのに…。

 どこまでもこの青年は隠し事をしている。
 まだ……、自分一人で何かをしようとしている。

 それが……歯痒い。
 水臭い。

 チラチラと、シュリを見る。
 シュリは絶対にシドの視線に気付いているはずなのに、黙ってホットミルクを少しずつ口に運び、見ようとしない。
 時折、シドとは反対隣に座っているユフィをさり気なく気遣い、ウータイの忍びがうたた寝をしてテーブルに頭を打ち付けないように気遣ってやっている節がある。
 ユフィの足元では、ナナキが丸くなって寝息を立てていた。


「シドさん」

 唐突に声を掛けられ、シドはビクッとした。
 チラチラ見過ぎたか…!?と、一瞬ヒヤッとする。

「これ、持っててもらって良いですか?」
「あん?」

 差し出されたのは……。

「!?これ、もしかして……白マテリアか!?」

 思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を覆う。
『マテリア』という言葉にユフィが「ふにゃ…?」と反応するが、またうつらうつらと舟をこぎ始めた。

「いえ、白マテリアではないですが、俺にとっては大切なものです」

 シュリはビックリしているシドに淡々と答えると、躊躇っているシドの手を取って、手の平に乗せた。
 それは、マテリアよりも少し小さい球状のクリスタルで、ほんのりとした温もりを持っていた。

「大事なものなんです。ですから、これから起こる戦いのとき、無くしたり壊れたりしないように…」
「……おいおい、俺様も戦うと思うんだが…」

 とても大事なものだというそのクリスタル。
 それを自分に預けるという。
 それだけ、彼は自分を信頼していると……頼ってくれているということなのだろう。
 その大事だというクリスタルを握り締めながら、シドは胸が熱くなるのをごまかすように口を尖らせた。
 シュリは軽く笑うと、
「あぁ、確かにそうですね。ですが……」
 言葉を切って、視線を逸らした。


「アイツと闘えるのは…俺だけですから…」
「 ……? 」


 シドは首を捻った。
 シュリの言う『アイツ』というのが、『ミコト様』であることは容易に察することが出来る。
『ミコト様』。
 今回のミッション最大の敵。
 その最大の敵を『アイツ』と呼んだシュリの言葉の中に、何故か奇妙な温もりがあったような印象をシドに与えたのだった。


「なんとか……間に合ってくれれば…」

 そう呟いて、テーブルに両肘をつき、祈るように項垂れて目を閉じる。
 青年のその仕草に、シドはとても重いものを感じたのだった。
 シエラ号がミッドガルに到着するまで……あと二時間五十分。








「アナタ方にチャンスを差し上げようかと思うのですが、どうですか?」

 マネキンのように表情を全く変えなかった女帝が、ふ……と僅かに眉を寄せた。
 そして、そうかと思った一瞬の後、彼女は英雄達にそう提案した。
 唐突に提案されたその申し出に、一行は警戒しながら視線を絡めた。
「チャンス…?」
 警戒心も露わに問うクラウドに、再びいつものように『マネキン』に戻った女帝はゆったりと片膝を立てながら頬杖をついた。

「ええ。ティファさんの魂と身体が『闇』を受け入れられるまで、まだまだ時間がかかりそうなんです。ですから…」


 眠っている状態にあるティファの心に直接働きかけ、闇から解き放たれるよう救いの手を差し伸べられるチャンス。
 その代わり、失敗したらどんなに足掻いてもティファの魂は闇に捉えられ、女帝の餌食になるしか道はない…というもの。


 誰がその提案を拒めるだろう?
 戦闘能力も、精神の力も、全てが上回っている敵からの思いがけない提案。
 縋らないはずがない。
 例えそれが、一時しのぎであり敵の退屈しのぎであったとしても…。

『油断して……、俺達の事を小バカにしての提案なら、それを逆手に取ってやる!』

 クラウドは睨みつけながら心に誓った。
 仲間達はなにか言いたそうだったが、それ以外に方法が無いことから、苦悩にさいなまれた表情を浮かべるだけで異を唱えたりはしなかった…。

 方法は実に簡単。
 ティファの閉じ込められているクリスタルに一人が触れる…というものだった。
 先ほど、追いすがって飛びついたクラウドを跳ね返したその『闇のクリスタル』は、女帝の意志によって一人分だけ、弾き返さないように力加減をする…という。
 その代わり…。
 一筋縄ではいかない。
 現時点で、心の闇に完全に囚われているティファは、ただただひたすら、死ぬことを……、己の存在を世の中から抹消することを切に願っているからだ。
 その願いを取り払い、いかに己が周りの…、特に愛しい人にとって必要な人間かを納得、理解させないと『闇』からの解放は不可能だという。


「やる」


 一も二もなく、クラウドは武器をその場に放り出して進み出た。
 気遣わしげにバレットが数歩歩み寄ったが、ヴィンセントが黙ってそれを阻止した。
 どんな些細なことでミコト様が機嫌を損ね、提案を取りやめるか分からない。
 だが逆に、女帝が提案した枠内では自由に……最大限の力を発揮出来るというわけだ。

 クラウドはティファを愛している。
 例え、なにがあったとしても…。
 どんな驚くべきことがあったとしても、仮に、エアリスが生き返って目の前に立ったとしても、それはゆるぎない真実。
 だからこそ、こうして『バカな』提案をしてきた女帝の懐に飛び込むのを躊躇っている場合ではない。
 今のチャンスを不意にすることは…出来ない。


 クラウドは黙って…仲間を振り返りもしないでティファの前に立った。
 魔晄の瞳に映るのは、闇色に染まりつつある愛しい人だけ。
 穏やかな……彼女の顔だけ。
 ただ……それだけ。


「では、手を出して…」

 言われるままに片手をクリスタルに向けて差し出す。
 そっと触れると、先ほどまで頑なに拒んでいたソレは、唖然とするほどあっさりクラウドの手を受け入れた。

 ススーッ…と、何の抵抗もなくティファの元へと手を伸ばす。
 指先が……彼女の左手に触れた。


 ドックン!!


 触れた途端、パパパパパパッ!!と、脳内に自分が見たこともないビジョンが駆け巡った。

 デンゼルとマリンを抱き上げている……自分の姿。
 穏やかに微笑んでいる…横顔。
 常連客達にからかわれて心底イヤそうにしている姿。
 ミッドガルの教会に咲き乱れている花々を差し出している……照れ臭そうな顔。

 どれもこれも、『ティファの視線』で見た『クラウドの姿』ばかり。

 思わずようやっとの思いで触れたティファから手を離しそうになる。
「その手を離したら、もう二度とチャンスはないですよ」
 単調な口調に込められたゾッとする内容に、はるか彼方に消え去りそうになっていた『目的』を思い出す。
 慌てて、弱まった手に力を込めてティファの左手を握りなおす。

 チラリ…。

 視線を後方に投げると、今にも駆けつけそうなバレット、強張った顔で見つめているヴィンセント、泣き出しそうな顔をしているラナ。

 三人の姿に、クラウドは力を得た。


 独りじゃない。
 自分は……独りじゃない。
 ティファも…独りだけのティファじゃない。
 みんなのティファ。
 そして俺だけの……ティファ。
 決して失えない、かけがえのない存在。
 たとえ、ここで自分の命が尽きたとしても……、代えられない。
 なにものにも彼女の存在は代えられない。


 なんとも矛盾している結論。
 だが、クラウドの中ではそれこそが真実。

 クラウドは傍らに立ち、興味深そうに見つめている女帝の存在を完全に頭から追い出し、愛しい人の心に話しかけること、ただ一つに没頭し始めた。
 クラウドの身体が徐々にクリスタルに飲み込まれていく………。






「クラウド……遅いな…」

 窓の外を眺めながらデンゼルが呟いた。
 窓ギリギリのところに椅子を持ってきて、その上で両膝を抱え込んでいる姿は、まるで親に捨てられた子供のようだ。
 その隣では、同じ様な格好をしたマリンが黙って窓の外をジッと見つめている。
 いつもは明るく、キラキラとしている目が死んだ魚のようだ…。

「デンゼル君もマリンちゃんも、もう遅いよ?まだ寝ないの…?」

 心配そうに声を掛けるのは、隣に店舗兼住居を構えるリリー。
 ティファが慌てて飛び出してから、ずっと子供達の傍にいて励ましたり、慰めたりしていた。
 最初は幼子二人はリリーの好意に恐縮し、空元気を装っていた。
 しかし…。

「もう……日付が変わる……」

 ボソリ…。
 低く呟かれた少年の言葉を裏付けるように、室内の柱時計が新しい日の到来を告げた。
 リリーは泣き出しそうな気持ちを懸命に抑えながら、暗い顔をする子供達に声をかける。
「きっとティファさんもクラウドさんも無事よ」
 言いながら、本当に無事ならこんな時間までなんの連絡も無いはずがない…ということに改めて気付かされ、内心で冷や汗を流した。
「ちょっと…なにかトラブルがあったかもしれないけど…でも……、クラウドさんもティファさんも強いし、しっかりしてらっしゃるから……大丈夫よ」

 あはは〜…。

 取り繕うような笑顔は、沈みきった子供達の前ではなんの役にも立たなかった。
 虚しい空気が支配する。
 リリーは、とうとう新しい日付を指し示してしまった時計を恨めしく見やりながら、両手を握り締めた。
 いつもの明るい子供達に戻って欲しい。
 出来れば…自分がその笑顔を取り戻してやれれば良いのだが、残念ながらそんな力はない。
 ただ子供達と一緒に鬱々とした気持ちを抱えて、ティファとクラウドからの連絡を待つしか……ない。

 なんと無力な自分だろう…?
 これが、幼馴染のあの女性だったら…?
 彼女の兄だったら…?
 彼女の……初恋の人だったら…?

 きっと、自分よりももっと子供達の力になれたことだろう。

 自分に出来る事は、夕飯を食べさせ、声をかけ、携帯をチェックすることだけ。
 二人共、想像出来ないほど暗い顔をして……そのまま心が死んでしまいそうだった。

「ね……寝ないなら何か食べる?売れ残ったケーキで申し訳ないけど、ご馳走しちゃうよ?」

 わざと明るくそう声をかけたリリーに、子供達はチラリとも目を向けなかった。
 代わりに……。


「お〜!それは良いなっと!デンゼルとマリンがいらないなら、夕飯を食べ損ねた俺達が頂くんだぞっと」


 ふざけたような陽気な声が、突然、なんの前触れも無く玄関のドアを押し開けて入って来た人物から発せられた。
 子供達の死んだようだった目が驚きのあまり真ん丸くなる。
 リリーはただただひたすらポカンとするだけだった。


 赤い髪にひょろっとした体躯の男性。
 夜だというのにサングラスをかけているガッシリとした身体つきの丸刈りの男性。
「うわ〜!すっごく良い住まいですねぇ〜!!良いなぁ〜、私もこんな家に住みたいなぁ〜!!」
 興味津々に歓声を上げた金髪の美人。
 そして…。

「夜分に申し訳ない」

 髪をオールバックにまとめ、礼儀正しい落ち着いた男性。

 それら四人がなんの躊躇いもなく室内に入り込んできた。
 リリーはあんぐりと口を開けるだけだったのだが…。

「な、ななな、何なんですか、あなた達!!」

 震えながら子供達を庇うように二人の前に立ち塞がる。
 対する四人はというと…。

「あ〜、そんなに警戒しなくても大丈夫なんだぞと」
「 ………… 」
「先輩がそんなちゃらちゃらしたキャラだから警戒されるんじゃないですか〜。すいません、私達、怪しい人間じゃないんです」
「イリーナ……、こんな時間に突然やってきたら、誰だって不審者そのモノだ…」
「あ……そうですよね。でも、クラウドさんもティファさんも携帯に出てくれないんですからしょうがないですよ〜。ね、ルード先輩!」
「 ………… 」
「イリーナよぉ…。ルードに話を振るなんてちょっと卑怯だぞっと」
「な!?なんで卑怯なんですか〜!!」
「ルードが反論できないことを知ってて話を持ちかけてるんだから、卑怯と言われても仕方ないんだぞっと」
「む〜!!ツォンさ〜ん、レノ先輩が苛める〜!!」
「………二人共、ルードを見習って静かに…」
「「 ルード(先輩)が静かなのは今に始まったことじゃないんだぞっと(ですよ)! 」」

 突然の変質者の登場に震えつつも、子供達を守ろうと勇気を奮い立たせているリリーの目の前漫才を始めた。
 そんな呆気に取られているリリーの後ろから、


「「 タークスのおじちゃん達!! 」」


 子供達が駆け出した。

「おじちゃんじゃなくてお兄さんだぞっと…」
「 ………(ショック) 」
「お姉さんって呼んでよぉ!!」
「相変わらず元気そうだな…」

 タークスの四人はそれぞれ苦笑をこぼしたのだった。




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