阿鼻叫喚(あびきょうかん)。
 闇が求めて止まないものの一つ。

 その闇が求めているはずのものが…。

 闇の化身から発せられるとは、誰が想像しただろう?





Fairy tail of The World 63





「バ…、バケモノ…」
「……ッ…」
「…………」

 バレットの呻くような声が震えている。
 ラナは膝から力が抜けそうになりながら、なんとか立っていた。
 必死に腰が抜けそうになるのをこらえているから立っているのではない。
 ただ、それまで身体に加わっていた力の余韻で立てているだけだ。
 ヴィンセントは目を見開いて目の前の惨劇を見つめ、あまりのことに浅い呼吸を繰り返した。

 ラナ以外の英雄達は、数々の修羅場を潜り抜けてきた。
 それこそ、命と魂を賭けた戦いを何度繰り返したか。
 その時流した汗と血で、自分達は『ジェノバ戦役』と『オメガの事変』を潜り抜けることが出来たのだ。
 勝利を手にすることが出来たのだ。

 だが!!

「…やっぱり…つまらないですね」

 ザァァァァアアッ……。

 幾体ものバケモノ達が黒い霧となり、完全な『死』を迎えた。
 苦痛、絶望、激昂、憎悪そして……完全な『死』への恐怖を断末魔に籠めて…。
 魂の状態で命の世界に現れていた彼らは、消えたらもうそれで終わり。
 本当の『死』を迎える。
 決して新しい命として、生まれることは無い。
 ライフストリームで命の流れに戻ることは…無い。
 命の旅をすることは……ない。


 残っている化け物は…いない。
 荒廃したミッドガルの廃墟。
 それが埋まるほどのバケモノ達。
 それが、たったの数分で一頭残らず女帝の手にかかって死んだ。
 残されたのは、女帝とシークレットミッションに携わっている者達だけ。

 バレットとラナは、純粋にミコト様の強さに恐怖していたが、ヴィンセントは彼女の闘う姿に恐怖心は勿論だが、畏敬の念も同時に込み上げるのを感じた。


 美しい。

 そう評して然るべき彼女の闘い方。
 無駄な動きは一切無い。
 細長い、柔らかそうな羽一枚でなにが出来る…?
 そう言わずにはいられない、たかだかそんなもの一枚で、彼女はバケモノ達を殲滅させてしまった。

 襲い来るバケモノ達をはるかに超えたスピードであっという間に懐に入り込み、羽根で致命的な箇所を一閃する。

 クルリ…、シュッ、トン、タタン、ヒュッ、シュシュッ!ピュンッ。

 どれが攻撃した音で、どれが大地を蹴って跳躍した音か…。
 体幹はほとんど動かさない。
 動くのは腕と足がほんの少しだけ。
 グッと腰を落とすことなどまったくなく、空高くに舞い上がる。
 ほんの軽く膝を曲げて、ほとんど足首の力だけで飛んでいるかのようだ。
 背筋を真っ直ぐした姿勢を崩す事無く宙を舞い、漆黒のマントを翻し、艶やかな髪を風に乗せて宙を舞う。
 背には…堂々たる双翼。

 背筋がぞくぞくしたのは、彼女の強さだけではなく、そのあまりの美しさゆえ。
 こんなに綺麗に闘うモノを、ヴィンセントは知らない。
 だからこそ、こうして目の前でバケモノ達が断末魔の叫びを上げて霧散する様が、ラナとバレットほど怖いとは思わないのだろう。
 それは、ヴィンセントの思考に問題があるのか……、それとも彼にそれだけの余裕が心にあるのか、判別し難い。


 フワリ…。

 再び女帝は小山になっている廃材の上に器用に腰を下ろした。
 先ほどまでの彼女のお気に入りは、バケモノ達が突進したことにより壊れてしまってない。
 いつの間にか、悠然と腰を下ろして寛ぐ彼女の傍らには…。

「「 あ…… 」」
「……いつのまに」

 ティファの入った…クリスタル。
 そして、必死にティファに呼びかけているクラウド。
 そのクリスタルの色が、どこか薄くなっているように見えるのは気のせいだろうか?


「やっぱり…ね」


 女帝がクリスタルを見る。
 特に、その表情は満足そうではないが、口調が少しだけ、そう思わせるほどに弾んでいた……と思ったのは、ヴィンセントの勘違いだろうか?


「皆さん、流石ですよね、アナタ方のお仲間は」
「…なにが言いたい?」
 警戒しつつ、彼女の次の言葉に興味をそそられる。
 ヴィンセントを見る女帝の目はバケモノ達を一掃する前に戻り、虚ろ。
 それでもひた…と、見つめてくる闇に輝く赤い瞳に吸い込まれそうになる。

「闇に取り込まれた人間を引きずり出そうとする人間は、大概逆に闇に引きずり込まれるんです。それなのに…」
 傍らのクリスタルを見る。
「色が……少しですが薄くなっている。これは、ティファさんがクラウドさんの呼びかけに少しずつ応えている証拠」
 バレットとラナの強張っていた顔が、戸惑いつつも先程よりは顔色を取り戻ることに成功した。
「もしかしたら、本当に成功するかもしれませんね」

 カチャ。
 ヴィンセントが銃を構える。
「……だが、お前は邪魔するだろう?」
 真っ直ぐ紅玉の瞳を女帝に向ける。
 同じく、女帝もヴィンセントよりも深い色をした紅玉の瞳で見つめ返した。

「勿論です」

 バレットとラナの身体が強張る。
 しかし、ギュッと唇を引き結んで銃を構えたのは流石、と褒めてもいいのではないだろうか。

 女帝は、無駄な足掻きを見せる三人に対し、バケモノ達へ突き刺した侮蔑の眼差しを向けはしなかった。
 相変わらずな…無表情のまま…。
 色の無い唇を開く。

「ですが、たった今、ここで私が闇の化身達に制裁を行ったのに、彼はその事には全く気づかない程、ティファさんを取り戻すことで頭が一杯です。ですから、邪魔をしても無駄かもしれませんね」
 どこか面白がっている。
 そう思わせるような口調に、本当にほんの少しだけ聞えて…。
 ヴィンセントは聞かずにはいられなかった

「………クラウドを殺そうとはしないのか…?」
「しません」
「何故だ!?」
「必要ないからです」
「クラウドがこのままティファを助けるために心で呼びかけている。それが今、成功するかもしれない、と言ったな?」
「言いましたよ」
「邪魔をしても、無駄かもしれない…そうも言ったな?」
「ええ、言いました」

「それなら何故、クラウドを殺しもしないで、みすみす自分の計画が狂うようなマネをする!!」

 端から見たら、ヴィンセントのこの台詞は、クラウドの味方という立場から発するには矛盾しすぎている。
 わざわざ、敵にそのようなことを言って、警戒心を扇ぐことはないのに。
 ラナとバレットはギョッとしながらも、混乱しすぎてて言葉にならず、固唾を呑んで見守っている・
 ヴィンセントのもっともな疑問に、二人共ようやく思考が追いつく。
 追いついて……女帝を見る。
 女帝は、目を細めてヴィンセントを見ていた。
 嘲りでもなく、不思議そうなものでもなく…。
 その目を細めて見つめる表情から読み取れるものは何も無い。


「別に、この機会を逃しても構いません」


 その一言の籠められた意味。
 ヴィンセントは慄然とした。
 ラナも一拍遅れてギョッとする。
 バレットは『なに言ってやがんでぃ!』と言わんばかりだ。


 別に今、この時にティファを手に入れることにこだわる必要など無い。
 いつでも狙える。
 いつでも、どんな時でも、どんな場合でもチャンスはそこら辺に転がっている。


 女帝はそう言っているのだ。

「人の心が移ろいやすく、脆いものだとアナタ方も知っているでしょう?」

「今は強い絆で結ばれていても…」

「ちょっとしたことで簡単にその絆は切れてしまう…」

「強く愛し合っていたのはずなのに、小さなきっかけで猜疑心が生まれ、嫉妬が生まれ、憎悪が生まれる…」

「そんな人間の心になど、闇が付け入るチャンスは簡単にある」

「だから、今にこだわる必要などありません」


 まるで死刑宣告。
 どこまでも追いかけて……追いかけて……。
 ついにティファの身体を手に入れるまで執拗に追及の手を緩めるつもりは無い。
 そう女帝は言っている。
 なら…どうする?
 もしも今回、クラウドがティファの心を闇から救い出すことに成功したとする。
 だが、その後は?
 毎日、毎時間、一瞬ごとに、ティファが闇の手に攫われるかもしれない。
 その恐怖と戦っていかなくてはならないのだ。


 冗談じゃない!!


 カッと目を見開き、ヴィンセントは発砲した。


 いや、しようとした。



「…いつまで高みの見物を決め込むつもりなんですか…?不愉快です」



 投げられた台詞はヴィンセント達とは全く別方向。
 顔は向けずに視線だけを横に流した女帝の表情は氷のように冷たい。






「やっぱりバレてましたか?」





 漆黒の闇から突如、切り取られたようにして現れたその男に、三人は銃を構えた。
 そして、ハッとする。

「お前!」
「リーブんとこの!?」
「通信兵!!」

 三者三様。
 それぞれ驚いて声を上げる。

 どこにでもいる平凡な顔立ちの青年。
 年の頃はクラウドよりも少し上だろうか…?
 本当に…特徴らしいものが無い、一般的な男。
 身長も、顔立ちも、体躯も…どれもが『そこら辺』にいるような青年だ。

 だが…。



「最後まで高みの見物でいようと思ったんですけどねぇ」

 口調が違う。
 雰囲気が違う。
 自分達が知っている彼とは全く違う。

 ヴィンセントとバレットは数回しかあったことがない。
 ラナでさえ、さして目の前の男…、通信兵と仲が良かったわけではないのだ。
 仕事で時折一緒になったことがあるくらいの関係。
 任務に就いている時は無駄口を叩くことはしない。
 だから、仕事が終ってから大概、仲間とたわいない話をしたり、飲みに言ったりして親交を深める。
 だが、この通信兵とそういうことをしたことが無いからあまり彼について知っているわけではないのだが…。

 だが…。



「まったく、アナタも大概お人好しですねぇ」
 クツクツクツ…。

 なにがおかしいのか、唇の端を吊り上げて嗤うその表情は……青年のものではない。

 ゾワリ…。

 背筋を氷解が滑り落ちる感覚がする。
 彼ではない『モノ』が、彼の皮を被ってしゃべっている…、そんな感じがするのだ。
 そして、その感じは間違いではなかった。


「喰ったか…」


 ポツリと呟いた女帝の言葉は確認で確信。
 通信兵だった男はクツクツと笑いながら片手で顔半分を覆った。

「えぇ。そこの女を手に入れ損ねて自殺したんですよ。バカな男ですよね。たった一人の女にフラレたくらいで自殺するだなんて」
 顎でしゃくってクリスタルを指す。
「「「 !? 」」」

 三人は驚愕に目を見開いて互いの顔を見ると、そのまま勢い良くクリスタルを見た。
 クリスタルには相変わらず安らかな顔をしているティファと、彼女の左手を握り締めて懸命に心で呼びかけているクラウドの姿がある。
 クリスタルに包まれているせいなのか、クラウドには男の言葉が聞えなかったようだ。
 身じろぎ一つしないで眉間に深いしわを寄せ、ティファへと心を注いでいる。

 ミコト様は片眉を器用に下げて蔑みの仮面を被った。

「それで、彼の身体に入り込んで魂を喰った……か」
「はい。だって自殺するってことはもう要らないんでしょう、この身体。それに、魂自体も消えたいと強く願ってましたからこの男にとっては一石二鳥」

 軽い口調で言い放った元・通信兵にラナ達はギョッとした。

 通信兵がティファに横恋慕したことは別に驚かない。
 彼女は常に人を魅了する力を持っている。
 だから、クラウドがいると知っていても横恋慕してしまう人間はイヤでもいるものだ。
 しかし、自殺を図るなどことが大きすぎるではないか。
 なにゆえ、彼はそこまで追い詰められた?

 フラレただけで、自殺を図る…。

 そんなヤワな男ではないはずだ。
 さして彼の事を知っているわけではないが、これだけは言える。
 リーブの傍らで黙々と仕事をこなす通信兵は、真面目でどこか堅物だった。
 そして……野心家。
 大きな野心を持っているわけではない。
 だが、将来的にはなにかの役職に就いて、それなりの仕事をこなし、収入を得たい…。
 その気持ちが人よりほんの少し強いんじゃないか?と、思わせる部分があった。
 どこが?と言われたら分からない。
 そう感じた、としか言いようが無いのだから…。


「あぁ、アナタ方はまだ知らないんですよね?」


 通信兵だった男が哂いながら三人を見る。
 狂人を思わせる瞳に、ラナは思わず半歩後ずさった。

「この男はね。その女に恋焦がれて絶対にしてはいけないことをしたんですよ」

「自分が敬愛している上司を裏切り…」

「通信兵としての信頼を裏切り…」

「通信兵として寄せられていた信頼を利用して、敬愛する上司と仲間を裏切ったんです」

「全てはその女を手に入れるため」

 言葉と言葉の間にクツクツと、不快な哂いを混ぜる。
 苛立ちと怒り、不安と混乱が同時に三人を押し包む。
 女帝は黙ったままだ。
 怒っているのか、呆れているのか、それとも…、これも『興味が無い』のか……。
 ただ黙ったまま、氷のように冷たい目で男を見ていた。

「ウソの情報をシエラ号…でしたかね?その飛空挺に飛ばして、シエラ号から受けたメールを改ざんし、上司に報告したんです。そうして、自分一人で『闇』と対峙し、彼女を守るつもりだった」

「所詮、たかだが人間一人でなにが出来るというわけでもないのにねぇ」

「それなのに、『自分には出来る』って思い込んでバカな真似をした」
 クックック。


 なにが可笑しいのか、肩を揺すって哂い続ける。
 嘲笑は己が喰った男へ向けられているのか…、それとも『人間全部』に向けられているのか分からない。
 分からないが…。


「てんめぇ……!!」


 バレットが額に青筋を立てて奥歯を食いしばった。
 怒りのあまり、歯軋りが立つ。
 バレットの様子がこれまた男には可笑しかったらしい。
 哂いは益々大きくなった。

「ま、結局失敗して、女に拒まれた挙句、そこの男にまで敗北して、自分の犯した罪に耐え切れなくなり自殺をしたんですよ。隊から支給されてる拳銃を咥えて一発」

「愚かで醜い、浅はかな男の哀れな最期というわけです」
「それで、何故そなたが『人』としてここにいる?」


 突然女帝が話しに割って入った。
 バレットは、怒りのあまり銃をぶっ放そうとしていた出鼻を挫かれた形になってしまい、構えたまま固まる。
 そっとヴィンセントはバレットの義手を下げさせた。
 視線はミコト様に注がれている。
 ミコト様の視線は、元・通信兵に向けられている。
 元・通信兵の視線は当然、彼女に向けられていた。


「人として生まれるためには命の流れに一度、揉まれないといけないでしょう?こっちの方が、『自分』を失わないまま『生まれる』ことが出来るのでね」
「それにしても、そなたは人間を毛嫌いしていたではないか。殊更今になって、人の形を取ったのは何故?」

 軽く首を傾げるようにして問う女帝に、男は狂気の笑みを浮かべた。
 釣りあがった唇は三日月のように弓なりになり、狂ったその様が見ている者をゾッとさせる。



「アナタがその女に『生まれる』ことが出来たら、アナタを妻にするためですよ」



 狂った男の狂った発言が、寒々と荒れ果てたミッドガルに転がり堕ちた。





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