ガクン!!

 シエラ号が揺れ、シドとデナリは危うい所でテーブルにしがみ付いた。
 何人かのクルーが床に転がって痛そうに呻いている。

「な、なんでぃ!」
「わ、分かりません。特に計器に異常は……」

 クルーの狼狽した声が途切れる。
 シド自身、その『異常』に気がついた。

 身体がミシミシと音を立てる。
 とんでもない重圧がかかっているのだ。

 グルグルと目が回る。
 息が詰まる。

「か、艦長……どういう……?」
 デナリが苦しそうに床にへたり込みながら息も絶え絶えに顔を向ける。

「し、知るかよ…。でも…こいつは……」
 身体にかかる重圧が大きすぎるが故に手が震える。
 その手を必死に伸ばしてキーに触れ…。
 愕然とする。

 目標到達時刻を示す数字が目まぐるしくグルグルと回転している。
 急速にシエラ号がスピードを上げたのだ。
 その為に身体にかかる重圧が著しく上昇し、三半規管がやられているのだ。

 このままでは、ミッドガルに到着する頃には身体がおかしくなってしまう!
 だが、自分達には何も出来ない…。
 それに…。

「くそっ!なにかあったのか!?」

 イヤな予感が胸を支配する。
 これまでシエラ号は乗組員達に支障がない範囲での最高スピードを保っていたのに、急変してしまった。

 シドはググッと奥歯を噛み締めた。




Fairy tail of The World 66





「わわっ!」
「ギャンッ!」

 突然スピードを上げたシエラ号の一室では、シド達と同じ様にユフィとナナキが床に転げていた。
 ガックン!と揺れた船体にバランスを崩してモロに転倒する。

 ガシャン!!

 派手な音を立てて転がったのは点滴台。
 シュリの腕から針が抜け、床に点滴の飛沫を撒き散らしながら転がってしまった。
 慌てた二人は、自由の利かない身体を押してベッドににじり寄る。
 ベッドでは、以前と変わらず眠っているシュリがいた。
 床に押しつぶされそうな重圧に、二人は呻き声を漏らす。
 まさかこんなに床からベッドへ顔を上げるのが苦痛に感じるとは…。

 ダラリと、ベッドから垂れたシュリの腕から点滴の針が抜けたため血がツツーッと流れている。
 テーピング固定していたのにテープが中途半端に剥がれてしまい、針の刺さっていた部分を中心にして真っ青になってきつつある。

「うわ…」
「痛そう…」

 眩暈によって気分が悪くなりながらも、シュリの腕の方が重大事に見える。

「シュリ…」
「大丈夫…?」

 ノロノロと緩慢な動きでベッドに横になっているシュリを覗き込む。
 顔色は悪いが、シエラ号に異常が発生する直前と変わらない寝顔。
 ホッと安堵のため息を漏らしたユフィだが、ナナキが鼻をぴすぴす鳴らしながら顔を近づける。

 隻眼の瞳が訝しげにしかめられて……徐々に大きく見開かれる。


「シュリ!シュリ!!」
「わわわっ!こら、ナナキ!!」

 突然、後ろ脚で思い切り立ち上がり、前脚で思い切り青年を揺さぶりだした赤い獣にウータイの忍びがギョッとした。
 慌てて仲間の凶行を止めようとするが、常に無いその緊迫した様子にハッとする。


「シュリ…!?」


 ダラリと垂れ下がった腕は真っ青になって痛々しいのに…全く変化の無い寝顔。
 浅い呼吸も全く変わらない。



 変わらなさ過ぎる!!



 ユフィは息を飲むと翳みそうになる目をこらし、医療班を呼ぶべく内線を回した。

「早く……早く……!」


 虚しいコール音ばかりがユフィの鼓膜を打つ…。









 パキーン!!!

 ラナの目と鼻の先で漆黒の凶刃が白銀の聖剣に跳ね返された。
 風圧でラナの頬に一筋の傷が走る。

「あ……」

 ツツーッと流れた鮮血に、ようやくラナは我を取り戻した。
 途端にガクガクと全身が震え、汗がドッと噴き出す。
 青い顔をして駆け寄り、肩を揺するバレットに応える余裕など無い。
 見開かれたグレーの瞳は、凶刃を跳ね飛ばしてくれた年下の上司を映すばかり…。


「シュリ!!!」


 ヴィンセントの悲鳴のような声がやけに遠く聴こえる。
 バレットが肩を強く握り締めたため、鈍痛が走った。
 それでも、ラナの瞳は年下の上司しか映さない。

「あ……」

 知らず漏らした声が震えている。


 背を向け、宙に浮いている青年。
 その青年の左肩がパックリと裂かれている。
 その裂かれた傷口から溢れ出ているのは鮮血ではなくて…。


「「 シュリ!! 」」


 悲痛な叫びを上げたのは、魂の契約をした二人の英雄。
 元々、身体が透けていた二人の姿が、急速にその存在を薄らがせていく。

 もう…説明なんか要らない。

 シュリの肩口からこぼれ落ちるライフストリームと同じ色をした光の粒子。
 魂の存在であるはずのミコト様に触れられて傷を負った…理由。



「……これ以上の……随従を……禁ずる」
「「 シュリ!! 」」

 途切れ途切れのその言葉が終るか否か…。
 二人の英雄は非難の声を上げながら…、必死になって駆け寄りながら…。

 大気と溶け合って消えた。



「どこまでお人よしなんですか…?」
「 ……… 」
「『あんな目』にあったのに…。それなのに……」
「 ……… 」
「『そんな姿』になってまで、この星の存続を求めるなんて…」
「 ……… 」
「正気とは思えませんね」
「 ……… 」

 ゆっくりゆっくり、シュリの姿もその存在が儚く…脆く…、消え去ろうとしている。
 だが、青年はどこまでも静かだった。
 ただ静かに、ミコト様を見つめていた。
 彼女の手には、白銀に輝く翼の一部が握られている。
 それは……言うまでも無く…。

 女帝の手の中で、それがピキピキピキ…と音を立てて固まっていき、端から徐々に消えていく。
 それが青年の命のようで…。


「う、うおああぁぁああああ!!!」


 バレットがとうとう耐え切れなくなって女帝に向けて発砲する。
 その弾道を邪魔するかのように、女帝に辿り着く前にゾンビ共が次々とその身を投げ出して盾となり…消えた。

「どこまでも…本当にお人よしですね」
「 ……… 」
「彼らを喰ってしまえば消えることなんかなかったでしょうに…」
「 ……… 」


 女帝の言葉の意味するところは…?
 そんなこと、聞かなくても分かってる!


「大佐!!私の魂を使って!!」

 それまで震えていたラナが、ハッと我に帰り、食って掛かるようにシュリへ懇願する。
 シュリは…背を向けたまま振り返らない。
 その背の翼は歪にもぎ取られ、『翼の名残』程度にしか残っていない。

大佐!!!
「使って差し上げたらどうです?」

 必死なラナの懇願に、女帝が小首を傾げる様にしてシュリに言った。
 決して、ラナの必死さをバカにしているのではない。
 軽い感じで『そのようにしたら良いじゃないですか、そしたら助かるのに』と言っているのが分かる。
 他者が傷つかないように必死に、我武者羅になっているのが不思議で仕方ない…そう言っているのだ。


 いつの間にか、光っていた大地が元の状態に戻りつつある。
 星が闇に負けたのか?
 いや、まだだ。
 ゾンビたちの出現はザックスとエアリスが消えるとほぼ同時くらいになくなっている。
 今、この荒廃したミッドガルにいるのは、女帝と、シークレットミッションメンバー。



 いや、違う。

『ソレ』に青年が気付いたのはもうそこまで近付いている時だった。

 再び上昇し、女帝に向かって攻撃を仕掛けたその瞬間だったのだ。


 勢い良く地上を振り返り、シュリに向かって自分達の魂を使うよう懇願するバレットとラナ、そして少しでも女帝にダメージを!と狙っていたヴィンセントに向かって…。



その女を近づけるな!!!!!



「「「 え……? 」」」

 メンバー三人が、あまりに必死なシュリの言葉に虚を突かれて一瞬反応が遅れる。


ダメだ、クラウドさん、その女を振り払え!!!!ティファさんの手を離したらダメだ!!!!


 ハッとして振り返る。

 三人は自分達の目にした光景に驚愕のあまり、目を見開いた。



 クラウドの名を呼びながら、クラウドに抱きついている……たった今、消えたはずのエアリスの姿。



 一方。
 完全に無防備だったクラウドは、突然現れたサロメに思い切り抱きつかれ、反射的に転倒しないよう、彼女の背をしっかりと支えた。

 その魔晄の瞳が………。
 茶色の瞳とカチリと合う。



「 …ク………ラウ………ド 」



 悲しげに聞こえた声は、疑いようも無くティファの口からこぼれたもので…。

 茶色の瞳に霞がかかる。
 一筋の涙が彼女の頬を伝う。


 彼女のその顔を見た瞬間、クラウドは己の侵した失敗と、招いてしまった敗北を悟った。
 かろうじて離さなかったティファの左手から凄まじいほどの『力』が発せられ、サロメ諸共吹き飛ばされる。



 クリスタルが完全な『闇色』に染まった。





「「 クラウド、エアリス!! 」」

 サロメの存在を知らないヴィンセントとバレットとラナにとって、サロメはエアリス以外の女性には見えなかった。

『何故!?』
『今、消えた彼女の魂がここに!?』
『おいおい、クラウドの野郎、触れてるじゃねぇか!!』

 困惑しながら、ヴィンセントとバレットはサロメのことを『エアリス』と呼びつつ駆け寄る。
 ラナは…駆け寄らなかった。
 他の事に気をとられてそれどころじゃなかったのだ。
 その衝撃的な現実に気付いたのはヴィンセント。
 後ろを振り返る事無く二人に駆け寄ったがバレットとは違い、ヴィンセントは何かに本能的に気がついて…。

 ゆっくりと…振り返る。



「あ………あ………」
「 !!!!! 」



 背から突き出ているのは…繊手。
 抱き合うようにして密着している二人。
 一方は双翼、もう一方は…翼の名残。
 その僅かに残っている翼の名残を……背から突き出た繊手がしっかりと握り締めていて…。



シュリー!!!
大佐ーーーー!!!!!



 ズルリ…。
 身体から女帝の手が引き抜かれる。
 しっかりと握り締められているのは、翼の名残。
 それが、ピキピキと音を立てて崩れていく。


 繊手が引き抜かれた途端、シュリの身体がビクリ、と跳ね、エメラルドグリーンの光の粒子が噴出した。
 にも関わらず…。
 シュリはただただ哀しそうにジッと彼女を見ていた。
 彼女も、勝利に酔いしれること無く、ただジッと己が貫いた相手を見ていた。
 急速に光を失う漆黒の瞳は彼女以外に向けられていない。
 シュリの右手がゆっくり…ゆっくり女帝の背に回される。
 その手がぼんやりと光ったが……結局何も出来ないままダラリと下がった。
 もぎ取った翼を持っていない方の腕がシュリの脇の下に差し入れられていなければ、シュリはもうとっくに地面に落ちていただろう。

 そっと、そっと……シュリは女帝の頬に自分の頬を押し当てて…。


「ご……めんな………ア……ル……」


 そこまで。

 スーッと銀の雫が漆黒の瞳から溢れて……頬を伝う。
 そしてそのまま…。





 ― 翼をもがれた天使はそのまま真っ逆さまに地上に堕ちて死んでしまいましたとさ… ―





 一体誰が言った言葉だったか…。
 その言葉通り、堕ちて行く。
 堕ちて……。





 ごぼごぼごぼごぼ。
 地面から黒い沼のようなものが一斉に吹き出したのはその時。
 まるで、闇が押さえつけられていた分、その反動で溢れ出たかのようだ。
 溢れ出ると同時に、その沼のような腐臭に満ち満ちた『ソレ』は、グニャグニャと触手でもあるかのように真っ直ぐシュリに向かった伸びた。
 宙に溶けて消えそうになりながら堕ちていく青年に。

 ラナとヴィンセントは駆け出した。
 自分が何を叫んでいるのか分からないが、喉が破れるほど叫びながら落下する青年の元へと必死になって…。


 一方、バレットはラナ達のシュリを呼ぶ叫び声で、青年の姿を目の当たりにし、愕然としていたが、それどころではなかった。

「ティファ、ティファー!!」

 クラウドの悲痛な叫び声にハッと振り返る。
 狂ったように叫びながら、真っ黒に染まったクリスタルに縋りつく仲間の姿と、その青年に傍で佇んでいるかつての仲間の姿……に瓜二つな女性。

 彼女の口角は上がり、凄惨な笑みを浮かべている。

 バレットはゾッとした。
 そして、幾重にもこの不幸な出来事に頭が完全に混乱し…。



「うあああぁぁぁああ!!」



 意味も無く叫び声を上げながら、闇から溢れ出た無数の触手や、ティファを封じ込めてしまったクリスタルめがけ、闇雲に乱射した。




 クラウドはひたすらティファの名を呼びながらクリスタルに縋りついた。
 だが、

 バシッ!!!

 女帝がチャンスを与えてくれる前の状態に戻ってしまった。

 触れては電流が走ったかのように弾き飛ばされて地面を転げる。
 クラウドの頭の中はごちゃごちゃだ。
 心を占めるのは後悔、喪失感、絶望。
 そして、自分が咄嗟に守ってしまった女性のこと。
 あまつさえ、それをティファの目の前でしてしまった。
 いくら唐突で予期しなかったこととは言え、絶対に今のティファに観られてはいけなかったのに…。
 そしてなにより、その反動でティファと手を離してしまった。
 いや、離された…が正しい。
 彼女は…、ティファは完全に誤解をしてしまった。

 自分がエアリスと抱き合っていると思ったはずなのだから…。


 違うのに!
 エアリスじゃないのに!!
 いつだって誰よりもティファを愛しているのに!!

 それなのに、ようやく心を開きかけてくれた彼女を奈落の底に陥れるような姿を見せてしまった。


 気が………ふれそうになる……。


「ティファ!!ティファ!!!」

 クリスタルに触れられなかった理由。
 それは、女帝が邪魔をしているのではない。
 ティファが拒んでいるのだ。
 クラウドは狂いそうだった。

 そんなクラウドにも闇がズブズブと迫り、飲み込もうとする。

 一方では、女帝に翼をもぎ取られた青年が大気に溶け込みつつ堕ちていく。
 それを、幾つもの闇の触手が狙う。
 ヴィンセントが発砲しながら跳躍する。
 ラナが足をもつれさせながらも狂ったように駆ける。
 バレットが闇雲に乱射する。


 サロメが満足そうに嘲笑を湛え、ニィッと哂っている。


 全てが闇に染まる。




 ……かに思われた。


 ピチョン。

 清らかな水音。
 それを聞いたのは、月を背に負いながら上空で全てを静かに見ていた女帝だけ。


 ラナが闇の触手の一本に絡め取られ、あっという間に飲み込まれて消える。
 ヴィンセントの足にも触手が伸びて絡めとろうとする。
 シュリが……完全に消える……。

 その刹那の瞬間。




 ブワッと大地から水が湧き出た。

 大量の水がキラキラと光りながら闇の触手を取り込み、飲み込んで全てを覆いつくす。


 聖なる水。
 清らかで闇を浄化するかのようなその水が、自ら聖なる光を発しながらミッドガルを覆いつくした。





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