― ごめんな… ―

 シュリ…?

 ― 助けられなくて…ごめんな… ―

 なに言ってるんだよ!

 ― 結局…最期まで……俺は… ―

 バカ!!なんで……なんで今までたった独りで…!!

 ― ごめん……どうしても…お前の…『人』としての幸せを…… ―

 バカ!バカ!!!僕は幸せだったのに!それなのに勝手に勘違いして…!!!

 ― あぁ…そう……だな…… ―

 待て!僕が行くまでなんとか耐えて!!!

 ― …最期に…… 一つ …わがまま言って……良いか? ―

 なにが最期なんだよ!ふざけるなよ!!!!


 ― ……妹を……頼む……。どうか……あいつを……自由に…… ―


 待て、行くな、まだ行くな!!!君だって、全然『人』としての幸せを過ごしてないじゃないか!!!


 ― いや…俺は……十分……幸せ……だった…から……だから…… ―


 まだ全然足りないよ!!だから、これからは僕も一緒に頑張るから、だから行くな!!





 シュリ!!!!!




Fairy tail of The World 67






 ザバーーッ!!!!

 溢れ出た聖なる水は、たちまち闇の触手に掴まったラナやヴィンセント、そして半狂乱になりながらクリスタルに縋ろうとするクラウドを飲み込んだ。
 普通なら水の中では息が出来ない。
 だが…。

『『『 息が出来る!? 』』』

 聖なる水に取り込まれた…いや違う。
 保護された面々は、自分たちに向かっていた闇の触手が弾き飛ばされているのを見た。
 この水に闇の触手は触れられないのだ。
 力関係で言えば、この泉の方が触手の力を上回るということになる。

 水の中で、クラウドは懸命にもがきながら、今ではもう、はるか上空に浮上してしまったクリスタルから一瞬たりとも目を離さなかった。
 離せるはずが無い。
 あの中には、自分の命よりも大切な人がいるのだから。
 あと少しで闇から解放させられたというのに……なんという失態。
 いくら無防備だったとは言え…。
 いくら不意打ちで予想していなかったとは言え…。
 絶対にティファの目の前でサロメと触れてはいけなかった。
 おまけにどう考えても、ティファの目にはサロメとクラウドは抱き合っているように見えたはず。
 とんでもない……大きな誤解。
 絶望が胸を焼きつくすようにジリジリと鈍痛を伴い、時折鋭い激痛を走らせる。

 焦りとは裏腹に、身体は全く言う事を利かない。
 しかも、いつの間にかサロメをしっかりと抱きとめている。
 自分以上に水の中でもがいている彼女を、半ば条件反射のように庇ってしまったのだ。

 放っておけば良いのに…。
 見捨ててしまったら良いのに…。
 ティファを誤解させてしまった大きな元凶なのに…。


 それなのに。


『くそっ!!』

 クラウドはギリリ…と奥歯を噛み締めながらサロメを庇う腕に力を込めた。


 と…。


『!? なんだ…あれ…』

 視界の端に何かが映った。
 仲間達が水の中でくるくると回りながらも、なんとか身体の自由を得るべく格闘しているのが見えていたのだが、その仲間達も一点を見つめて目を見開いている。


 自由の取りにくい水の中。
 その中で真っ直ぐに上空目掛けて猛スピードで浮上する…人影。

 幾本かの闇の触手が諦めずに攻撃するように、聖なる水に絡み付こうとしているその先に向かって真っ直ぐ突っ込む人影。



『な…!!』

 明確な形を確認出来たクラウドは、あまりの衝撃に口をポカンと開けた。



 ザバッ!!



 巨大な水柱を立てながら水から飛び出した人物。
 仲間達の驚愕する心が伝わるかのようだ。
 クラウド自身もこれ以上ないくらい目を見開いたのだから…。



「お久しぶり……と言うべきなんでしょうか?」
「……ティファさんを返して……」

 静かに宙に浮かぶのは…。

 漆黒の髪から雫を滴らせた…アメジストの瞳を持つ青年。
 ピリピリとした空気を醸し出すその彼からは、常に無い冷たさを感じる。
 それなのに、冷めているはずなのに……どこか温かみを宿した瞳は、形容し難いほど複雑な色を湛えている。

 対する女帝は、シュリに接していた時同様、全くの無表情。
 その中に、微かな親しみを忍ばせているように感じられたのは、彼女の一言からなのか、それとも醸し出されている雰囲気からなのか、判別しにくい。


「それは出来ません」

 あっさり断った女帝を、プライアデスはただただジッと見つめる。

「 ……… 」
「あなたも、私の邪魔を?」
「 …何故… 」
「はい…?」
「何故、シュリを……」

 女帝の質問に答えず、代わりに全く違うことを口にしたその声が微かに震えている。
 青年の口調は、昨日、今日初めて会った人間に対するものではない。
 ずっと昔からの知り合いに…、それも極々親しい人間に接する『それ』…。
 女帝は軽く肩を竦めて見せたが、不快そうではなかった。



「『何故』と言われても困りますね。私と『兄』の目的のズレからこうなってしまっただけですから」



 ドックン。


 一体、誰の鼓動だろう?
 女帝の一言に大きく心臓が跳ねる。
 クラウドの耳に、やけに大きく聞こえた鼓動は、クラウド自身の心臓から発せられたものなのか、それとも仲間達から脈打たれたものなのか分からない。
 何しろ、水は空気よりも音を伝えるものなのだから…。


 ドックン……、ドックン……ドックン……。


 胸が痛い。
 内側から激しく打ち付けられている感触がする。
 気がついたら、サロメを支えていない方の手で左胸を強く押さえていたクラウドは、やはり自身の心臓が激しい鼓動を鳴らしているのだと知った。
 同時に、それは仲間達も同じなのだと悟る。
 視界の端には呆然としている仲間達の姿。
 彼らの視線の先には……女帝とプライアデスの姿。

 一体、なにがどうなってこんな事になっているのか…?
 詳しく説明されても完全に理解は出来ないだろう…。
 なにしろ、困惑している自分達を取り残す形で、二人は会話を進めており、その会話の内容がまた更なる混乱を呼ぶものばかりなのだから…。


「やっぱりアナタも兄上同様、私の味方になってくれないんですね」
「…どうしてそんなにこの星を壊したいの…」
「私にしてみれば、兄上とアナタがどうしてここまで、こんな星を守りたいのか、理解に苦しみます」
「キミは…本当にそれが望みなのか!?」
「アナタこそ、こんな星に一体なにを期待してるんです?あんな目にあったのに…」
「!!あれは…………仕方なかった…」

 反論しかけて……項垂れる青年に、女帝は冷たい表情を浮かべた。

「『仕方なかった…』ですか。まぁ、確かにそうかもしれませんね。でも、私にはそれで終らせることは出来ません。もううんざりなんですよ」
「だが、もうセトラは滅びたんだ!あんな愚かな術を使える者はこの星にはいないし、これからも生まれてこない!!」
「そうでしょうか…?まぁ、たとえ生まれてこないにしても、そんなことはもうどうでもいいくらい、私はこの星に生きる命達にうんざりなんです」
「どうして!!」

 プライアデスがこんなに声を荒げるのを、英雄達の大半は見たことが無い。
 青年の姿にも驚くが、それ以上に女帝と昔からの顔なじみであったらしいことや、なによりも『セトラ』という言葉が二人の間で出てきたことに驚愕する。
 それに…。

「シュリが……ミコト様の……兄……?」

 ヴィンセントが呆然と呟き、大きな楔となって皆の心に突き刺さった。
 なにがどうなのかさっぱり分からない。
 ミコト様は、そもそも人間ではない。
 人の器に宿って生まれていない『魂』の存在。
 シュリはそう言っていたはずだ。
 だから、ミコト様に肉親関係がいるはずがない。

 ― 人として生まれていないんだから ―

 混乱。
 疑惑。

 その二つの文字で英雄達の頭はパンク寸前だ。
 バレットは既にパンク状態。
 クルクルと水の流れに翻弄されながら、目を白黒させている。



「『どうして?』」



 冷ややかな女帝の言葉。
 プライアデスが眉尻を下げて哀しそうに目を見開いている。

「『どうして?』そう聞くのですか…、アナタが…?」
「 アル… 」
「分からないとは言わせません。この星に生きる人間は、どこまでも愚かで醜い。尊い人間もいることは認めます。でも、そんな一部分の人間に比べ、なんと愚者の多いことか…」


「かつてのセトラと遜色変わらないこの愚かな生き物。その生き物を宿すこの星の存続……!私はこれ以上我慢出来ない…」


 言い終わるか否か。
 女帝は素早く身を捩り、サッと片手を振り上げた。
 そして鋭くプライアデスに向かって振り下ろす。

 ハッと息を飲み、宙で身を捩ったプライアデスの頬に、一筋の傷を走らせて地面に突き刺さったのは、漆黒の羽根。
 その羽根が大地にビシッ!と突き刺さった途端。


 グラグラグラグラ…。
 ズズッ……ゴォォォオオオオン…!!!!


 ミッドガルの大地が大きく鳴動を始めた。
 それに伴い、大地がパックリと口を開け、聖なる泉を飲み干し始める。
 まるで、浴槽の栓が抜けたように自然とその大地の亀裂に引き込まれる形になった英雄達は、猛スピードで地中に取り込まれそうになった。
 急な水圧の変化と水の流れに血圧が一気に上昇する。

 目が回る。
 息が止まる。
 それまで普通に息が出来ていたのに、胸を圧迫されて呼吸が出来ない。
 耳の奥がゴォン、ゴォン、とドラを鳴らす。

 霞む視界に、地面が急接近するのが見える。

『く、そ……』

 身体中の筋肉が悲鳴を上げている。
 バラバラになってしまいそうだ。
 それでも、クラウドはサロメを放さなかった。
 大地の亀裂にラナが……、バレットが…、ヴィンセントが吸い込まれていくのが見える。
 ラナは既に失神しているようだった。
 バレットが必死にもがきながら、ラナに腕を伸ばして掴もうとしていたが、それも叶わないまま消える、
 続いてヴィンセントの赤いマントが大地に消えていった…。


『みんな……ティファ…!!』


 軋む首を必死に上空へ向ける。
 プライアデスが蒼白になりながら、何やら叫んでいるのが見えた。
 そして、その彼の背後には…。


『ティファ…!!』


 漆黒のクリスタルと、女帝が飛び去る姿。

 手を…伸ばす。

『ティファ!!』

 声にならない声を上げる。

 薄れる意識の中。
 漆黒の髪を靡かせて、自分に背を向けるティファの姿が瞼に浮かんだ気がした。






「本当に…どこに行くんですか…?」
「だから、そんなに警戒しなくても大丈夫なんだぞっと」
「 ……… 」

 後部座席で硬い表情をしているリリーに、助手席に座っているレノが軽い口調で返した。
 リリーの左隣にはデンゼル。
 膝の上にはマリン。
 デンゼルの反対隣にはツォン。
 リリーの右隣にはイリーナ。
 運転席にはルードが座っていた。

「大丈夫ですって。ちょっと子供達の力を借りようってことになっただけで…」

 困ったように金髪美人が笑いかける。
 リリーは信じられなかった。
 何しろ、いきなり現れたこのタークス、という職に就いている人間は、かつての神羅に属する者達ではないか。
 そんな人間、信じろというほうが無理だ。
 だが、リリーの心配を余所に、子供達は落ち着いていた。

「リリー姉ちゃん、大丈夫だよ、このおっさん達はクラウドとティファとも仲が良いし」
「お兄さんと呼んで欲しいんだぞっと」
「ちょっと〜、私はお姉さんでしょう?」

 レノとイリーナのツッコミを爽やかに無視し、マリンもリリーの膝の上で頷いた。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ。それよりもお姉ちゃんこそ私達に付き合っちゃって良かったの?」

 マリンの質問に、リリーは「う……、だ、大丈夫よ…」と、言葉を詰まらせた。


 突然、タークス達がやって来て、子供達をミッドガルに連れて行く、そう言った時。
 リリーは自分も着いて行く!と言ってきかなかった。
 何しろ、クラウドとティファが留守の間は子供達を守るのは自分!
 そう使命感に燃えていたのだから。
 深夜に外出すると両親に告げると、当たり前だがビックリされて猛反対された。

 しかし、
『大丈夫!クラウドさんとティファさんのお知りあいの人達が子供達を迎えに来たんだけど、やっぱりクラウドさん達にはきちんとご報告したいから着いて行くだけなの!』
 と、筋の通ったような…通っていないような言葉を捲くし立てて、呆然とする両親に背を向け、車に乗り込んでしまったのだ。

「それにしてもさ…。どうして俺達、ミッドガルに行かなくちゃいけないの?」

 当然の質問。
 ミッドガルは今は廃墟になっている。
 モンスターが出没するという噂は聞いていないが、それでも夜中に訪れるには危険な場所だ。
 未だに探査の出来ていない地区もあるという。
 そんな場所に、小さな子供達を連れて行くなど、酔狂としか言いようが無い。

「マテリアが光って、声がしたというのは説明したな」

 ツォンが静かに口を開いた。
 子供達が黙って見上げる。
 リリーも不安そうにタークスのリーダーを見た。

「その声が言ったんだ」


 ― すぐにティファ・ロックハートの大事な子供達をミッドガルへ。彼一人の力では足りない。子供達にも援助を請わなくては… ―

 ― 子供達に危害が及ばないよう、護衛を… ―

 ― 急いで。時間が無い ―


「というわけだ」
「…時間が無い…って…なんの時間かなぁ…」

 不安そうにブルッと震えたマリンを、リリーがそっとその小さな背を擦る。

「さぁな…。俺達もそれが知りたいんだが…如何せん、なんの情報もないんだぞっと…」

 助手席で溜め息を吐きながらレノが伸びをした。


 と…。


 ズズズーン……!!
 グラグラグラグラッ!!!


「「「「「 わっ!! 」」」」」


 突然、車が激しく下から突き上げられたような衝撃に襲われる。
 ルードが慌ててハンドルを切りながらブレーキを踏み、タイヤが激しく軋んだ。

 リリーはマリンを、ツォンはデンゼルを、そしてイリーナはマリンごとリリーを守るように抱え込む。

 車が止まった後も、激しい鳴動は続き……やがて……。


「お、おさまった……?」
「な、なんだよ…今の…?」
「地震…?」

 震える声を搾り出しながら身体を起こす。
 そっと車から一同は降り立った。
 車のヘッドライトだけが荒野を照らしているので、よく状況が分からない。

 辺りを警戒しながらツォンが腰のホルスターから銃を抜く。
 もしかしたら、今の地震でモンスターがパニックになって襲い掛かってくるかもしれない。

 ザリッ。

 靴の下で乾いた大地が音を立てる。
 イリーナとレノ、そしてルードもリリーと子供達を守るようにして円陣を組みながらそっと銃を抜いた。
 ひとしきり警戒をして、ホッと安堵の溜め息を吐いた……と。


 ポゥッ。


 エメラルドグリーンに輝く光の粒子が地面からフワ〜ッと浮き上がった。
 驚愕する面々の前で、それは瞬く間に人の形となった。
 人の形……少女と……壮年の紳士の形に…。

 二人の背には、白銀の大翼。
 それも双翼だ。
 髪は見事なまでの銀髪。
 瞳は深緑。

 二人のその姿はまるで天使の親子のよう…。

 あんぐりと口を開ける面々に、その二人はそっと片手を上げて指差した。

 戸惑いながらその方向を見る。
 何も無い。


 ― ミッドガルにはもう行かないで… ―

 ― 間に合わなかった ―


 え…?


 誰が呟いた声だろうか。
 全員が呟いたのかもしれないし、一人かもしれない。

 二人の天使は再び口を開いた。


 ― もう……手遅れかもしれない…でも… ―

 ― どうか…諦めないで。 どうか……『  』に、我らに力を貸して… ―

 ― ミッドガルには行かないで ―

 ― ミッドガルではなくて ―


 ― ― ヒーリンへ ― ―


 誰一人質問をする時を与えられないまま、二人の天使は消えた。


「なに…今の……、しかも、『誰に』力を貸してって言ったの?」

 イリーナの震える声に、誰も答えない。
 マリンがギュッとデンゼルの手を握った。
 デンゼルがその小さな手を握り返す。


「ティファ…」
「クラウド…」


 大切な家族の名前が、夜気に溶け込んで……消えた。





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