「ちょっと窓開けて換気しましょうか。空気、悪くなっちゃいましたから」


 のた打ち回って苦しむイザベラが、か細い啜り泣きを上げ始めた頃…。


 信じられないくらい、平然とそう言ったプライアデスに英雄達は愕然とし…。


 神羅に属する者達は慄然とした…。








Fairy tail of The World 69







「ライ…」
「なんです?シェルクさん」
「なに……じゃ…なくて……」

 シェルクは信じられない思いで青年を見た。
 彼の従兄弟、それに英雄達もどこか怯えた目を向けている。
 青年の従兄弟達のすぐ隣では、叔父夫婦が変化を遂げ終わった娘に駆け寄り、連れて来た医師達に治療を施させていた。

 知らない。
 こんなにも冷たい言葉を平然と吐き出せるプライアデスなんか知らない。
 彼は決してこんな非情な事が出来る人間ではない。
 誰よりも痛みを知っている人だから、仮にイザベラがどんなに酷い仕打ちをプライアデスにしたとしても、決して仕返しをするような真似はしないはずだ。

 その思いは青年の従兄弟達も同様だった。
 いや、プライアデスの過去を誰よりも知っているからこそ、信じ難い気持ちはこの中で一番強いかもしれない。

 イザベラは自分の美貌が何よりも自慢だった。
 経過は良く分からないし、どうやってエアリスの顔を手に入れたのか知らない。

 まぁ、十中八九、ミコト様絡みで手に入れたのだろうが、それでもエアリスの姿も非常に美しかった。

 それなのに…。


 その自慢の顔をただれさせ、『死ぬことは無い』などと口にするとは…!
 おまけに『空気が悪くなったから換気』を勧めるとは…!


 正気とは思えない。



「お前…本当にライなのか……」



 クラウドがポロッ…とこぼした。
 しっかり抱きしめていた子供達が、ビクッと身体を震わせる。

 沸きあがる疑問。
 もしかしたら、プライアデス・バルトのフリをした別人ではないのか!?
 闇の力を借りたイザベラが、赤の他人であったエアリスの姿を真似ることが出来たのだから、赤の他人がプライアデスの姿を真似ることだって出来るだろう。


「えぇ、一応そうです」
「一応…!?」


 元々短気なバレットが青年の言葉尻をつかまえていきり立つ。
 今回の様々な出来事に精神がすり切れ、もう限界だった。
 条件反射のように義手を向ける。
 それを慌ててシドが止める。
 ユフィが頭を掻き毟る。
 リリーがオロオロと中途半端に腰を上げる。
 ルーファウスが眉間のシワを深める。

 そうして…。



「この……バケモノ!!」



 ヒステリックな叫びを上げ、イザベラの母が立ち上がった。
 勢い良く詰め寄り、
「イザベラを元に戻しなさい!!!」
 プライアデスに腕を伸ばす。

 が…。



 全員が息を飲んだ。
 婦人の目が恐怖に染まる。
 声にならない声を喉から漏らしながら、婦人は宙に浮いた。
 床に対し、水平になって……。
 そのまま静止して浮いている。


「元に戻せ?」


 冷たい声。
 冷たい瞳。
 冷たい笑み…。


「アナタの娘が一体何をしたのか、まだ分からないんですか?」

「自分勝手なエゴのために、一人の女性を闇という地獄に落としたんですよ」

「そのせいで、この星は今、滅びの道に真っ直ぐ進んでいるんです」

「それだけじゃないですね…。アナタの娘は心優しい老夫婦の気持ちまで踏みにじった…」

「ご夫婦の好意につけ込んで、虎視眈々と狙ってたんですから…」

「クラウドさんとティファさんを引き裂くチャンスを…ね…」

「あぁ…まだありましたね」

「クラウドさんとティファさんの前にかつての親友の姿で現れることで、その親友の方をも侮辱した…」



「それに……シュリが必死になってやって来たことを全部水の泡にしてしまった…」



 言葉を切って薄っすらと笑う。
 ゾッとする程の酷薄な笑み。
 シュリを親しげに呼び捨てにする青年に、英雄達と彼の従兄妹が息を飲む。
 プライアデスはそんな彼らに全く気を使う事無く唇の端を吊り上げたまま、再び口を開いた。



「それだけのことをしておきながら、元に戻せ?」

「くだらない冗談はやめて下さい」

「顔が見られなくなったくらい、どうだって言うんです?」

「その程度で済んだことを感謝してもらいたい。顔がただれたくらいのことで償えるほど、イザベラの犯した罪は軽くないんですよ」



 ゾクッ!!!!

 紫紺の瞳に…霜が降りている。
 婦人は声にならないか細い悲鳴を上げながら、宙でぎこちなく手足を動かした。
 だが、全くその場から動けない。
 上にも…下にも…前にも…後ろにも……。


 と、その時。



「そうだぜ…クラウド。お前、なんでエアリスそっくりな女と二人きりで会ったりしてたんだ」



 バレットが怒りを抑えた声でクラウドに詰問した。
 クラウドはグッと唇を噛み締め、バレットから……、そして自分に疑いの眼差しを向けている仲間から目をそらした。
 はっきりと否定しないし説明しないクラウドに、他の仲間からも非難の声が上がる。

「クラウド…あんた、まさか……」
「違う!!」

 ユフィが震える声で浮気を示唆するような言葉を口にした途端、クラウドは悲鳴のような声を上げた。
 哀しくて……辛くて……自分の考えが浅すぎた事を後悔しているとイヤでも分かるその…悲痛な叫び。
 ユフィは涙を堪えながら、
「じゃあ、なんでティファに内緒にしてたんだよ!最初からティファにサロメのことをはっきり伝えてればこんな事にはならなかったじゃないさ!!!!」
 大股でクラウドのソファーへ向かうと、そのまま怒りに任せてクラウドの胸倉を掴む。
 クラウドは咄嗟に子供達を離して脇に避難させ、ユフィのしたいようにさせた。
 だが子供達はクラウドの脇から身を捩じらせて顔を上げ、涙で濡れた頬を拭うこともなく、ユフィの腕にしがみついた。

「やめてくれよ!」「やめて、ユフィお姉ちゃん!!」

 胸倉を掴んだままのユフィの腕にしがみついたものだから、クラウドの服が大きくはだける。
 その拍子に、内ポケットから一つのへしゃげた小箱が転がり落ちた。
 元は綺麗にラッピングされていたであろうそれは、激しい戦いの結果、クラウドの胸の中で歪な形になってしまったのだろう。
 一目で誰かに贈るものだと分かる…それ。

 ユフィの目が釘付けになる。
 マリンがそっとしゃがみ込んでクラウドに返した。

 クラウドは掌に乗ったその小箱をジッと見ている。

「それ……ティファに…?」

 デンゼルの問いかけに、クラウドは自嘲気味に笑った。


「ティファが……」


 ゆっくり話し出したクラウドに、シーンとその場が静まり返る。
 宙に浮いた状態の婦人でさえ、青ざめたままではあるが、耳障りな悲鳴を上げるのをやめた。


「ティファが、エアリスに対して勘違いをしているのは…分かってた。分かってたから……どうにかして、誤解を解きたくて……」

 ゆっくりと包装紙を取る。
 クラウドの無骨な指がゆっくりと変形した箱の包装紙を剥いでいく。

 小箱から現れたのは、ビロードで覆われた…それ。
 一目で中身が分かるもの。

 子供達とユフィが息を飲み、仲間達も目を丸くした。

「これを渡して……ずっと一緒にいて欲しいって…言うつもりだった。その時に、サロメを紹介して……、この指輪のデザインを考えてくれた人だって……、まるで『エアリスが祝福してくれてるみたいじゃないか?』って、笑って……ティファに……サロメの目の前で……嵌める……つもりだったんだ…」


「それなのに…!!」


 両手で包み込み、額に押し付けて小さく嗚咽を漏らす。



 そう。
 もうずっと前から知っていた。
 エアリスにクラウドが心惹かれているのだと思い違いをしていることを。
 その誤解がティファの中では揺るがせない真実となっていて、言葉だけではもうどうにも解けないものになっているとちゃんと理解していた。
 だからこそ、サロメに初めて会ったとき、クラウドはこれでティファの誤解を完全に解くことが出来ると思ったのだ。
 ティファへ贈るエンゲージリング。
 それを、エアリスに瓜二つの人の目の前でティファの左手薬指に嵌めたら、きっとティファも分かってくれる。

 そう……思っていた……。
 それなのに…。

 公園でサロメに会ったのは、丁度指輪が出来たからだ。
 すぐにでも手に入れたかった。
 闇に狙われている彼女に、すぐにでも誤解を解いて、自分の傍に一生いて欲しい……そう告げたかった。
 告げることが出来たら、あるいは彼女は闇に囚われることは無いかもしれない。
 そう…思ったのに…。


 まさか!
 公園でサロメと会っているのを見られるとは!
 あまつさえ、彼女の立っている位置から見たら、キスをしている様に見えたとは。

『サロメさん。顔に煤(すす)がついてる』
『え?どこです?』
『ここ』
『ん〜…取れそうですか?』
『もう少し……と、はい、取れた』
『ふふ、ありがとう…あ、服にはついてないですか?』

 そう言って、彼女は嬉しそうにクルリと回って見せたのだ。

 ただ…それだけ。
 サロメの頬に触れたのは、焚き火をしていた煤が、風に運ばれてついてしまったから、それを取っただけ。
 それを、まさかキスに間違えられるなんて…!


「あ…、あぁ……」
 ユフィが脱力したようにその場に座り込み……小さく泣き始めた。
 デンゼルとマリンが涙をこぼしながら初めて自分達の前で嗚咽を漏らしているクラウドに抱きつく。

 バレットとシドが唇をギュッと噛み締めて、涙をこぼさないように上を向いたり、鼻を啜る。
 ナナキも、耳と尻尾をペタンと垂れて哀しげな鳴き声を漏らした。
 ヴィンセントは泣きじゃくるユフィの頭を抱えるようにしてそっと頭部を撫でてやった。


 信じられないほどのすれ違い。
 クラウドは誰よりもティファを愛していた。
 愛していたからこそ、彼女の心の中にずっとわだかまっていたエアリスにクラウドが惹かれていたという誤解を完全に払拭してやりたかった。
 払拭出来ないまま、指輪を渡しても……それはきっと彼女を本当に幸せには出来ないだろうとわかっていたから。
 だから…。


 グリートとラナ、シェルクとシャルア、そしてタークスの面々は、この重苦しく悲しい空気に耐えるように、グッと唇を噛み締めて……呆然としている叔父を見た。
 叔母は自分たちに対して背を向けているのでどういう顔をしているのか…分からない。
 少しは反省しているのだろうか?

 やりきれない怒りを抑えようと、こぶしを握り、反対の手でグッと押さえたグリートの視界の端で、突然叔父が動いた。

「プライアデス、クラウドさん悪かった!!」

 初めて見る叔父の姿。
 いつも居丈高で……プライドだけは一人前以上の…大嫌いな叔父。
 その叔父が土下座をしている。
 ラナも信じられないものを見ているような目で、口を半開きにしていた。


「本当に申し訳ないと思っている。だが……どうか、頼むから……どうか……」


 グリートとラナは、叔父のこの大きな変化に心打たれた。
 恐らく、プライアデスも今は怒っていたけど、きっと……。

 一瞬、そのような考えが二人の脳裏を過ぎる。


 だが…。


「今すぐお帰り下さい。こちらにいる皆さんに大切な話があるんです」



 冷たい声音。
 霜の降りた凍るような瞳。

 何ものをも受け入れない。
 そう物語っている彼の態度。
 青年の従兄妹達は、自分達の足元が崩れ落ちる感覚に襲われた。
 こんなにも非情な青年は知らない。
 見た事が無い。
 自分達の知っている…従兄弟ではない。

 打って変わって、シドがあまりにも薄情な台詞を吐き続けるプライアデスに怒りを爆発させた。
 無言のまま怒りに任せて大股で近付く。
 だが、スッとそれをヴィンセントが流れるように前に回りこんで邪魔をした。
「 !? 」
「よせ」
「だがよ!!」
「プライアデスの言うことが正しい。イザベラは闇の手先になってティファを闇に引き渡した人間だ。本来なら、死刑になってもおかしくない…」
「 !! 」
「それに、早く説明を聞いて動き出さないと、本当にこの星は滅んでしまう」

 その言葉に、シドだけでなく、英雄達とタークスがハッとする。
 そうだった…。
 早く、動き出さなければならない。
 ティファを手に入れた女帝は、既に星を滅ぼす準備が整っているのだから…。


「教会の泉なら……治せるかもしれませんよ」


 控えめに、シェルクがそっと土下座を崩さない叔父に声をかけた。
 希望が見えてきて顔を上げた叔父に、
「あぁ、もうありません」
 プライアデスが希望を打ち砕く。

「ない…って…!?」

 シェルクが驚いて目を丸くする。
 クラウドとラナ、バレットとヴィンセントは一瞬、プライアデスがどこまで酷いことをするのか!?と愕然としたが、『一部始終』を見ていたユフィとナナキはハッと顔を見合わせ、項垂れた。

 ミッドガルに現れたあの膨大な聖なる水。
 あの水のお蔭で、皆が助けられた。


 シエラ号に収容された後。
 水は一気に盛り上がり、一本の水柱のようになると、一直線に飛んで行ったのだ。
 その泉の先にはいつの間にかプライアデスがいて、風のように走っている。
 慌ててシドがその水を追いかけ、辿り着いた先は…。



 死人のようになってベッドに横たわっているシュリ。
 そのシュリをしっかり抱きしめたプライアデスは……。


「 来い 」


 一言水に向かって命じた。
 途端。


 水は怒涛のようにシュリの身体に吸収されてしまった。


 そうして、それを一部始終見ていたのは…。

「うん……ないんだ…」
「ごめんね……」


 ユフィとナナキ。

「お二人が謝られる必要など全く無いですよ。使いきってしまったのですから仕方ないじゃないですか」
「本当に……無いのか…?」

 ユフィとナナキに淡々と声をかけたプライアデスに、叔父が哀しげに…一縷の望みを抱きつつ訊ねる。


「ありません」


 容赦ない一言。
 プライアデスはそのたった一言で希望を切って捨てた。


「さぁ、お帰り下さい。ここにはもう用はないでしょう」

 冷たく言い放ち、宙に浮いて真っ青になっている婦人を一瞥する。

「もう二度と、イザベラにバカな真似をさせないで下さい」

 クラウドの胸にしがみ付いていた子供達がビクッと身体を震わせて、益々クラウドにしがみ付く。
 クラウドはキュッと抱き返しながら、初めて見る青年の静かな怒りの表情にただただ呆然とするしかなかった。

「シュリはこの数年間、ずっと一人で頑張って…必死になって……自分の命を削ってまで守りたかったものがあった。それを、イザベラが邪魔をしたんです。実に自分勝手な…くだらない理由でね」

「自分の犯した罪を彼女はもっと認識すべきです」

「自分のエゴで一体どれ程の人間が心と魂に深い傷を与えられたのか…」


「本当なら八つ裂きにしてやりたいんですよ」


 ヒッ!!
 婦人から短い悲鳴が上がる。
 それと同時に婦人は突然床に転落した。
 あまり高くないとはいえ、なんの前触れも無く落下した婦人は強かに体の前面を打ちつけ、呻き声を上げた。

 そんな乱暴な下ろし方にも、仲間達は驚いた。


「さぁ、今すぐここから消えて下さい」


 まるで汚いものでも見るかのような蔑んだ眼差し、蔑んだ口調。
 これまでのプライアデスとはまるで別人だ。
 英雄達は当然のことながら、タークスの面々も硬直して動けない。
 ルーン家当主であり、青年の叔父である紳士は、甥の怒りの大きさと自分の娘が犯してしまった大きな過ちに死人のような顔色になり、項垂れて……甥の言葉通り、出て行くしかなかった…。

 イザベラは、顔のただれからくる痛みの故か、それとも自慢の顔がもう二度と見られないような事になってしまったことへの悲しみからか…。
 俯き、最後まで啜り泣いていた。
 一方、ルーン婦人は、これまでずっと見下していた甥が、恐ろしい力を得て人格が豹変したというショックからか、茫然自失状態になり、医師達に抱きかかえられるようにして運び出された。
 イザベラは母に続いて看護師に抱きかかえられて退室する。
 そうして最後に、一縷の望みをかけて壮年の男性が甥を見ながら………そっとドアを閉めて出て行った。


 ルーン一家がいなくなったルーファウスの屋敷を、重苦しく…苦い空気が支配する。


 誰もがプライアデスに対し、嫌悪と強い疑いを持っていた。

 本当に…プライアデスなのか…?
 本物であるとしたら、その豹変振りは一体どうしたのか?
 それに、先ほどの『一応本人だ』というのはどういう意味なのだろう…。


「先ほども言いましたが、一応僕はプライアデス・バルトです。ただ…」


 全員が緊張する。


「過去を思い出しただけです」


 沈黙。
 唐突過ぎるその言葉。


 誰もが言葉を無くした。




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