「お〜っと、こりゃマズイ。俺も早くずらからないとなぁ〜」

 眼下では自分の同胞が闇に呑まれ、恐怖と絶望の断末魔を上げている。
 それを実に愉快そうに見やりながら、余裕綽々、狂喜に哂うのは……ボロゾア。
 既にサンゴの谷は、ドロドロのヘドロで覆いつくされている。
 所々、まだ『闇』がへばりついていない小高い部分は、かろうじて頭を出している状態たが、凄惨なその光景はまるで…本物の地獄だ。

 先ほどまで美しかったその地で、聖者達と闇の亡者達が激しい戦闘を繰り広げていたとは到底思えない。


「お〜っと!!」


 横合いから突如襲った剣戟に、ボロゾアは憎らしいほど余裕でソレをかわした。


「ま〜ったく、別嬪さんにはそんな物騒なもん、似合わねぇのによぉ」


 自分を睨みつける『選ばれし者』達である姉妹を見る。
 彼女達の背後には、悠久の時の彼方に命を全うした……『選ばれし者達』。

「お宅らの可愛い坊ちゃんが向こうに行っちまった分、お宅らが楽しませてくれる〜?」

 ボロゾアの狂気に狂った瞳がドス赤黒く光を発した。





Fairy tail of The World 82







 華やかさからは無縁な生活を送っていると思っていた。
 だが、それは一般庶民たちの間だけであったらしい。
 過ぎ去った過去の思い出に包み込まれたクラウドが、その屋敷に入り込むことは造作なかった。
 誰もクラウドの存在には気付かない。
 当然だ。
 この『時』の流れにクラウドは生きていなかったのだから。
 屋敷の門番の真横を通り過ぎる時、ほんの僅かに緊張したが、全く無意味な緊張だったと後になって苦笑する。
 広い…本当に広い敷地。
 庭と言って良いのか…、広大な敷地を有するその屋敷の中に設けられた庭には、世界中の植物が集められたかのように様々な種類の緑があった。
 色鮮やかな花をつけているものもあれば、くすんだ色を申し訳程度に身につけている花もある。
 それぞれに美しいその花達を愛でている少女に気付いたのは、屋敷の中に足を踏み入れてからたっぷり10分ほど歩いてからだ。

 見事な銀髪を背に流し、深緑の瞳を細めて微笑んでいる…天使。

 背に負う大翼は陽の光を受けて見事に照り輝いている。
 少女の微笑みとその見事なまでの容姿…。
 どちらに対しての溜め息か分からないまま、クラウドは深く息を吐き出した。


「ふふ、もうすぐ母上と兄上が帰って来るのよ」


 楽しそうな声は、少女から発せられた。

「楽しみだなぁ。兄上ったら、本当に過保護だから私一人で   のところに行っちゃダメ!って言うんだもん。お蔭で一ヶ月も会ってないのよ」

 愛しそうに目の前の植物を撫でながら話しかけている。
 まるで、本当にその植物が返事をしたかのように、次の瞬間、少女は明るい笑い声を上げた。

「そうなの!もう、あんなところにたった一人でいる   が心配じゃないのかしら。私だったら、あんなところに一人でいるなんて無理だけどなぁ…」

 少し遠い目をして空を見上げた少女が、なんだかとても寂しそうで、クラウドは知らず知らずの内に胸を押さえていた。


『これが……ミコト様……か……』


 目の前でクルクルと表情を変える少女が、二千年後に星を滅ぼそうと暗躍する女帝になる。

 一言でその事実をどう受け止めるか?と問われれば、『信じられない』以外に浮かばない。

 まさか、あの能面ヅラの女帝に、こんなにも可憐な時代があったとは…。
 誰も見向きもしない様な植物に、愛しそうな眼差しを向けて話しかけている姿は、まさに天使のようだ。
 だからこそ、信じられない。
 あんな風に、なにも感じず、虚空を思わせる紅玉の瞳を持つようになるなどとは…。
 こんなにも可憐で、こんなにも愛らしい少女が…。


「それにしても、なんだかすっごく空気がピリピリしてるね…。どうしてかなぁ…」


 首を竦める様にして身体を擦りながら、キョロキョロと周りを見る。
 クラウドには感じられない『なにか』を、少女が感じ取っているんだろう。
 それを裏付けるように、ザワザワと風が木々をそよがせた。


「『アルファ』様、こちらですか?」


 老齢の女性の声がアルファを呼ぶ。
 少女の顔に一瞬、苦いものが走った。
 クラウドがそれにちょっと驚き、マジマジと確認する間もなく、少女の顔には華やかな笑顔が浮かぶ。
 作り笑いとは到底思えないほどの、完璧な笑顔だ。


「はい、女官長様。ここにいます」
「あぁ、やはりこちらでしたか」


 老女の声が近くなり、それに伴って人の気配があっと言う間に濃くなった。

 白髪混じりの銀髪を豊かに結い上げた細身の老女が、数人の女官を引き連れて現れる。
 少女が礼儀正しく一礼すると共に、女官達がアルファに深く頭を下げながら跪いた。

「アルファ様。もうそろそろ『儀式』の時がやって参りましたが、準備はいかがでしょう?」

 老女が慇懃無礼にそう声をかけた。
 しかし、どことなくその声や雰囲気が冷たく感じられたのは…恐らくクラウドの気のせいではないだろう。
 老女の瞳は冷たく光っている。
 物腰は確かに少女を立てているのだが、表情が固く冷たい。
 居心地の悪さを感じずにはいられない。
 少女はその空気に気付いているはずなのに、どこまでも可憐な笑みを絶やさなかった。

「はい、ワタクシはいつでも大丈夫です。ですが…」
「なにか?」
「『舞姫』である母君と叔母上、『楽の君』である兄上がおられないのですもの、『儀式』は当分出来ませんでしょう?」

 可愛らしく小首を傾げて問う少女に、老女は冷たく失笑した。

「『舞の手』と『楽師』は他にもおります。なにも母君と兄君に頼らずとも『儀式』は成功しましょう」


 ゾワリ…。
 クラウドの中で、不快なものが蠢いた。

 目の前のやり取りに不愉快さを禁じえない。
 老女は明らかに少女と少女の親族を『軽んじて』いる。
 蔑みに満ちた感情を剥き出しにはしていないものの、隠そうとはしていない。
 可憐に微笑み続ける少女に、すっかり『安心』しているのだろうか…?
 自分が『バカにしている』ことを、この少女が気付いていないと思っているのか…それとも、気付かれてもどうでも良い…と思っているのか…。
 老女は鼻先で笑うと、
「では、『儀式』は予定通り、今宵、新月の晩に執り行いまするゆえ、そのようにご準備を…」
「はい」
 ニッコリと笑って頭を下げた少女を居丈高に見つめ、裾を翻して立ち去った。
 老女に続いて女官達がゆるゆると腰を上げて、たおやかな仕草で後を追う。
 少女は暫し頭を下げたままでいたが…。


「………はぁ〜〜…」


 大きく息を吐き出してどっかりと地べたに座り込んだ。

「もう、ほんっとうに感じ悪いんだから〜」

 空を仰ぎながらぼやく。
 その姿がなんだが無性に可愛く見えて…。
 マリンの姿と重なって見えて…。

 思わずクラウドは頬を緩めた。


「本当にイヤなおばあさん!ねぇ、そう思わない?」


 ギクッ!

 肩越しに振り返った少女がクラウドを見る。
 クラウドに向かってそう声をかけた少女に、クラウドは固まった。
 しかし、実際は…。

「そうでしょ?もう、ほんっとうにいっつもああなのよ。なんで母上や叔母上、兄上のことをバカにしてるのかなぁ…?なにか知ってる?……う〜ん、知らないのかぁ……。…うん、うん……良いよ、大丈夫。だって、私はあのおばあさんよりも母上や兄上が言うことを信じるもん!大丈夫だよ。私はここで頑張るの!」

 クラウドの後ろに立っている大樹に向かって話しかけているようだった。
 ドッと冷や汗が噴き出る。
 まるで自分に話しかけているようだった。
 悪いことをしているわけではないのだが、やはり覗き見しているわけであるからして、多少後ろめたい気分だ。

「ねぇ、母上と兄上は私に何を隠してるのかな…?絶対に…なにか隠してる…よね…?……私じゃあ頼りにならないかなぁ…?」

 寂しそうな声で大樹に話しかける少女に、クラウドはギュッと胸が苦しくなった…。

 やがて少女は人間の友人にやるように、大樹に手を振って「またね」と別れを告げ、屋敷の中に消えていった。
 暫し呆然と佇んでいたクラウドは、ハッと我に返って少女の後を追う。
 しかし、どうしたことか少女が見つからない。
 広すぎる屋敷の中を行ったり来たり…。
 まるで迷路のようなその中を、ひたすら少女を探して進む。
 そして、探し出すこと10分ほどしてから、ふと自分が屋敷の人間に誰一人として出会わなかったことに気がついた。
 この屋敷に着くまでは、ちゃんとセトラにも会っていたし、門番も見た。
 それなのに、屋敷の中はまるで人気がない。
 がらんどうだ。

 まるで……閉じ込められたかのように……。

 そこまで考えてクラウドはゾッとした。
 屋敷の中に沢山ある扉を片っ端から開ける。
 洋式風の大きな木のドア。
 それを片っ端から…。

 どの部屋もどの部屋も。
 がらんとしているばかりではなくて…。


「なんだ…これ…!」


 苛立ちと焦燥感が込上げてきてパニックになりそうになる。
 広い廊下をひたすら走る。
 走っても走っても……辿り着かないのだ…。


 出口に。


 ここはアルファの精神世界。
 ようするに、アルファの思うままにどうにでも出来る世界だ。
 クラウドは、自分が閉じ込められたことを悟った。
 ティファへそう簡単に辿り着くはずなどない。
 それなのに!!

「くそっ!!」

 苛立ちもピークに達し、クラウドは思わず目の前のドアを殴りつけた。
 その時。
 殴りつけたドアの横にあった窓からなにかが見えた。
 思わず窓に張り付くようにして外を見る。


「……………あれは……まさか…」


 息を呑んで、窓を大きく開けた。
 そして、『その場』へと跳躍する。



「 あ、ああぁぁああ… 」

 呆然と立ち竦む少女。
 その少女の目の前では舞い散る無数の白銀の羽。
 飛び散る鮮血。
 傾ぎ、ゆっくりと冷たい石の上に倒れていく……二人の少年。
 一人は漆黒の髪を持った少年。
 もう一人は白銀の髪を持った少年。
 白銀の髪を持っている少年は、どういうわけか、自分の左翼を握りしめて漆黒の髪の少年をそれで包み込むようにし、その上からしっかり抱きしめていた。
 そのせいで、白銀の髪を持つ少年の背中の左側が紅く染まっている。
 二人共、瞼が半分開いている状態で、虚ろな眼差しが虚空を見ている。
 ……もう、死んでいる。

 口々に、老人や老女が叫んでいる。

「アルファ様を早くここからお連れせよ!」「ええい、これらをさっさと片付けろ!」「誰じゃ!?アルファ様をここにお通ししたのは!?」「何故、ちゃんと部屋に閉じ込めておかなかったのじゃ!?」

 良く分からない。
 分からないが…。
 この老人達が恐らく『長老達』なんだろう。
 その長老達に、若い男が混ざっているのが見えた。
 年の頃はクラウドより二つか三つ上かもしれない。
 だが『長老達』の中に混ざって『長老』と呼ばれるには…まだまだ当分先の話だ。
 だからこそ目立ったし、意外だった。

 その青年が、突如アルファにゆっくりと近付いた。
 そっと手を彼女に伸ばす。
 放心状態のアルファは、その伸ばされた手を払いのけることも無く、ただひたすら、言葉にならない声を上げるだけ…。
 目を大きく見開き、小刻みに震えている小さな少女に、クラウドは胸が抉られるほどの痛みを感じた。
 目の前で最愛の家族が殺されたのだ。
 その悲しみはいかほどか…と思わずにはいられない。
 その少女に、青年は反応がない事を確認するかのように、間近でそっと手を振ってみた。
 軽く頬を擦ったり、そっと抱きしめたり…。
 そのスキンシップ、と言って良いのだろうか…が、段々エスカレートしていく。
 流石に他の長老達が咎めるような視線を送り、一人が叱責の言葉を発しようとしたとき。
「今なら…彼女の夫になるのも造作はなさそうですね」
 ニヤッと笑って、青年は叱責しようとした長老目掛けてナイフを飛ばした。
 まさに弾丸のようなスピードで、そのナイフは長老の喉元に吸い込まれる。
 カッと目を見開いて、ゆっくり仰け反って倒れた長老に、他の長老達がポカン…として……。

「貴様ー!!」

 我に返った一人が、槍を手に青年目掛けて突進してきた。
 しかし、それすらも余裕でかわすと、あっさりとその長老を背後から羽交い絞めにし、喉笛を掻き裂いてしまった。
 その後は、ただ青年の戦闘能力の高さを実証するためだけにあったと言って良い。
 青年は笑いながら長老たちを殺した。
 長老達もただ黙ってやられるはずはない。
 術を唱えている者もいた。
 しかし、唱え終える間もなく、ナイフが飛んできて命を奪われた。
 術の詠唱に時間がかかる…。
 そこに目をつけたかのように、青年は次々とナイフを投げ、直接斬りつけ、殺しまくった…。

 実に楽しそうな笑い声を上げながら…。

『狂ってる!』

 クラウドは思わず吐き気を催した。
 胃の底から不快感が押し寄せてくる。
 楽しそうに…嬉しそうに人を殺している…セトラ。
 青年の背にも立派な双翼があった。
 こんな最低な人格でも、双翼があるだけで、『選ばれし者』に…?

 クラウドの中で、セトラというものへの嫌悪感が強まった。


「はい、これにていっちょ上がり♪」


 手をパンパンッ!と軽くはたき、クルリと少女に向きなおる。
 ニヤニヤ笑いながら、少女の目線と同じ高さになるよう、腰を屈めた。

 少女は……震えていた。
 小刻みに…、唇と肩を震わせながら、目には一杯の涙を湛えて…。

「へぇ、や〜っぱ可愛いなぁ。俺、本当に超ラッキー」

 笑いながら、青年は少女の服に手をかけて乱暴に引き裂いた。
 ビクッ!と、少女の身体が大きく震えた。
 それすらも愉しいらしく、淫靡な笑みを更に深めた。

「あ……い、いや……いや!!」

 地面に無理やり押し倒され、少女が激しく首を振る。
 クラウドはこれまで感じたこともない程の怒りを覚えた。


やめろ!!


 無駄だ…と分かっていても、止めに入らずにはいられない。
 クラウドの大剣が正確に男の頭部を通過する。
 青年の肩を掴もうとして……すり抜ける。

 そう…。
 これは起こってしまった過去の『残像』なのだから。


「いやー!兄上、兄上!!」
「兄上は死んじゃっただろ?これからは俺が守ってやるからさ」
「いや!!!ヤダ、ヤダ!!」
「可哀想に、兄上もお嫁さんになりたかった相手も死んじゃっただろ?諦めて俺にしとけよ。悪いようにはしないぜ?」
「 !! 」
「な?お前にはもう俺しかいないんだよ。諦めて…」
「イヤー!絶対、絶対にイヤ、私は『カーフ』のお嫁さんになるんだから!!」
「まったく…」


 肌を震わせて必死に抵抗する少女から、青年が離れる。
 諦めた…わけではない。
 絶対にこの男がこれくらいの抵抗で諦めるはずがない。

 クラウドの予想は…当たった。

 青年は、少女の兄と従兄弟の死体に近付くとナイフを取り出し…。


「ほら、これで認めてくれる?アルファ様」


 ポーン…と放り投げたものを思わず受け取った少女は…。


 二つの生首を抱きしめて、絶叫した。


 余りにも酷いその仕打ち。
 クラウドの全身に怒りが走る。
 だが、それも次の波動に掻き消されてしまった。

 カッ!!!

 突然目も眩むような光に襲われ、クラウドは思わず腕で顔を庇いながら、顔を背けた。
 目が眩んでいる間に、何やら青年と思われる男の叫び声が上がったような気がした。

 やがて、光は収まった。
 やけに長い時間目が眩んでいたような気がする。

 恐る恐る目を開け……クラウドはあまりの凄惨さに呆然と自分の周りを見渡した。

 少女を犯そうとした青年が、白目をむいて絶命している。
 その他にも、先ほどまでこの場にいなかったと思われるセトラ達がいた。
 全員、絶命しているのはもう一目瞭然だ。

 込上げる吐き気と戦いながら、クラウドは死体の山を避ける様にして進む。
 匂いがしないのがせめてもの救いだ。
 記憶の中は、ある意味映画の中に飛び込んだようなもの。
 音や風のようなものは感じられるけど、匂いがしない。
 アルファの暴走の爪痕として残された、焼け焦げた木々達が横たわったり、横倒しの状態で、辛うじて野太い根っこのお蔭で転倒せずに済んでいる木々達の折り重なっている光景は、心が麻痺してしまうほど凄いものだった…。
 まるで、空から爆弾を投下したあとの焼け野原だ。


 その大地に佇む小さな人影。


 アルファだ!!


 クラウドは駆け寄った。
 駆け寄って、彼女が二つの生首をしっか…と、抱きしめている姿にビクッと足を止める。
 彼女は二つの生首を抱きしめながらブツブツと何かを呟いていた。
 もう少し近付けば聞えるだろうが……。
 クラウドが二の足を踏んでいる間に、少女の方からクラウドに向かってフラフラと歩き出した。
 ゾッとするその姿に、思わず片足が半歩、後退しそうになる。


「殺してやる……皆……皆……殺してやる……壊して……殺して……全部…全部…壊して……消してやる……消えてしまえ……」


 ゆっくり…ゆっくりとクラウドの横を通り過ぎる少女。
 クラウドは見た。
 彼女の変貌振りを。
 ブツブツと同じ事を繰り返す彼女の瞳は紅玉。
 その背の双翼は、セトラ達の血で染まり、真っ赤になっていたのだ。






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