物足りない…感触。
 まるで、雲を斬っているような手ごたえの無さ。
 確実に敵を追い詰めているのに、心に湧くのは勝利の甘美な喜びではなく、言い知れぬ焦燥感。

 何かが違う。

 そう、自分の本能が必死に警笛を鳴らしている。

 目の前の男が、凶悪に顔を歪め、苦しみながら憎しみの感情を吐き出している。
 しかし…なにかが違う。
 そう……なにかを見落としている。

「 …… 」

 なにを見落としている?
 考えろ!
 頭の中の自分が自分にせき立てる。
 急いでその答えを探し出せ!と、せっついている。

 紫紺の瞳を細め、相手を確実に追い詰めながら青年は攻撃の手を緩めず考えた。
 考えて……違和感の正体を探す。

 敵が手を翻す。
 放たれた新たな斬戟をなんなく払い落とし、もう何十戟目かの攻撃を繰り出して……。

 ハッとする。

 切り落としたはずの腕と残っているはずの腕が逆になっている事に。
 青年の口元に勝利の笑みが浮かんだ。









Fairy tail of The World 87








「クラウドさん!」
 腹を押さえて蹲るクラウドに、銀髪の青年が駆け寄る。
 前世と同じ、銀髪・深緑の瞳を取り戻した青年……シュリ。
 そのシュリの後方には、漆黒の髪を膝裏までストレートに流し、紅玉の瞳を冷たく光らせている…アルファ。
 目は道化師に向けられているが、何を考えているのかその表情からは窺うことは出来ない。
 目の前で起こった出来事に関心がないようでもあり、油断無く見守っているようでもある。
 その表情は……マネキン。
 無表情で鉄面皮、無愛想で朴念仁と仲間達から言われているクラウドも、そのマネキンのような彼女を前にしては形無しだ。

「あ〜っはっはっは〜〜!もうおしまい?おしま〜〜い!?!?」

 狂喜に笑い狂う男。
 クラウドの四歩手前でゲラゲラと笑っている。
 心なしか、目の下に紫のクマが出来ているように見える。
 それが、余計にこの男を狂気じみて見せていた。

「おりょりょ〜?お兄様はこの男の味方をするの〜?」
 大きな体躯には似合わない身軽さで、ピョンピョン跳ねながら無邪気な口調で小バカにする。
 それが更に、男の不気味さを演出する。
 クラウドは苦痛に顔を歪めながらも、眼光鋭くボロゾアを睨みあげた。

「…っ…とりあえず…お前は邪魔だ」

 喘ぐような声でボロゾアに向かって凄む。
 ボロゾアのドス赤黒い目がキョトン…と丸くなった。
 そして爆発するように笑い出す。
 ひたすら腹を押さえて笑い狂う。
 クラウドの言葉が滑稽すぎておかしい、と言わんばかりだ。
 しかし、クラウドはどこまでも真剣だった。
 その横顔に、シュリが戸惑いつつ肩を貸す。

「こんな簡単に死にそうになる弱っちい人間が、なに言ってくれてんのぉ?」

 ヒーヒー、笑い転げながら途切れ途切れ、口にしたその台詞。
 クラウドは引かなかった。

「アルファは幸せになるべきだ。だから、お前は邪魔だ」

 クラウドに肩を貸したシュリが驚いて息を呑む。
 後ろに控えている女帝の表情は分からない。
 しかし、空気が全く揺らがなかったことから、きっと無表情なままで立っているのだろうと想像出来る。

「幸せに?彼女が?」

 ゲラゲラと笑い転げながら、ボロゾアが身を捩る。
 バカにされているのに、真剣な表情を崩さないでクラウドは頷いた。

「そうだ!アルファは幸せになるべきだ!」

 ピタリ。
 ボロゾアの笑いが止まった。
 途端。

「……どの口がそのような戯言をほざく……」

 地を這うよな低い……低い声。
 禍々しい邪気にまみれた殺気。
 クラウドの肌にビリビリと静電気のような武者震いが走る。

「幸せに…?アルファが…?」

 ユラリ…。
 腹を抱えて笑っていたポーズからゆっくり…ゆっくりと上体を起こす。
 片手で顔を覆ったまま、指の隙間から覗いている赤い瞳がランランと光っていた。
 とうとう道化師の仮面が剥がれた瞬間だった。


ふざけるな!!!


 ビリビリと空気を震わせるほどの怒声。
 グッと腹に力を入れてクラウドはそれに耐える。
 シュリが寄り添って肩を貸してくれる温もりがありがたかった。
 そうでなければ、回れ右をして逃げ出してしまったかもしれない。
 目の前の狂人は『狂人であって狂人ではない』。
 むしろ、『狂人のふりを装い、相手の隙を狙う』狡猾な狸だ。
 目をカッと見開き、ギラギラと光る犬歯をむき出しにして顔を歪め、ボロゾアが吠える。


この女に幸せなんか相応しくないんだよ!いいか!?この女は、『俺達』に捧げられた『贄』だ!!


 クラウドに肩を貸していたシュリがピクッ、と頬を引き攣らせる。
 クラウドにもその感触が伝わってきた。
 しかし、それが青年の意表を突いて驚いたからなのか、それとも怒りの故かまでは分からない。


いいか!?この女は『俺達』のために、身も心も捧げるべくして生まれたんだよ!それを!!!


 ビシッ!と指を差す。
 指されたのは………。


 空。


 クラウドの意識がその時初めて空に向けられた。
 広がっているのは……。
 何も無い空間。
 真っ暗な……どこまでも広がる…闇。
 クラウドはその事実に内心で驚いていた。
 たった今まで気づかなかったのがウソのようだ。
 何故、周りの変化に気付かなかったのだろう?
 それは……必死だったから。
 自分の周りの景色が変わった事に気付かないくらい、ティファのことで必死だったからだ。

 いつの間にか、自分達のいる場所が、見たこともない巨木が太い根を下ろしている小さな湖畔の岸辺だということに。

 上を見てもなにもない。
 ただ闇がその場を支配しているだけだ。
 その上を、ボロゾアは指差している。
 狂気に彩られたドス赤黒い目をギラギラと光らせながら。


あの……若造が……!あの『忌み子』が、横から掻っ攫っていきやがった!!!


 クラウドはその時、ようやく目の前の男…、いや、『闇の化身』がプライアデスのことを言っているのだと悟った。
 シュリの口から僅かに吐息が漏れる。
 それは、目の前の男の態度の不快さを表しているようでもあり、大切な従兄弟が名指しされたことによる緊張でもあるように感じられた。

良いか!?この女は星が俺達を抑え、支配するために用意された極上の宝だったんだ!

 ボロゾアの狂言は続く。


星が己の危機を悟ったとき、真っ先に行動したのが『こいつ』の創造だ!


 まるでただの『モノ』みたいな言い方に、クラウドは怒りを覚えた。
 しかし、これから目の前の狂人が語る事柄についての興味がソレに勝った。
 黙って睨みながら、耳を傾ける。


宙からの災厄…!それがもう間もなく到着しちまう!到着したら最後、この星に生きる命を搾取するだけ搾取して、内部から侵食するバケモノだ!それを察知した瞬間から、この女は俺達のために用意された『贄』だった!

星に害成す俺達の力にまで星は縋らなくてはならなかったんだ!あの『ジェノバ』は!!

それなのに、手前勝手にあの『選ばれし者』が傷をつけようとしやがって!

そのせいで、あとちょっとで俺達のものになった極上の女が…!!

暴走した挙句、同胞達に殺されるとはよぉ!!!!

そのせいで、この二千年!俺達のやり場のない怒りは発散されること無くずーっと、このクソ面白くもねぇ星の中心に閉じ込められなくっちゃならなかったんだ!!

俺達がむさぼるはずだった……極上の美しい魂が!!

俺達同様、『闇』に身を堕とすなんてよぉ!!!

俺達と同じ……同類になっちまったら喰えないんだよ!!

だから…


とっととその女に入って、とっとと『闇』の眷属から足抜けしてくれや!!



もう俺達は、腹が減りすぎて気が狂っちまってんだからよぉ!!!



 ボロゾアの口から涎が顎に垂れる。
 完全に狂人の目だ。
 ランランと光るその瞳は、全く余裕がないことを物語っていた。
 完全にイってしまっている。
 その目で、ひた…とアルファをねめつけ…放さない。

 クラウドは慄いた(おののいた)。

 ボロゾアの狂乱振りは分かっているつもりだった。
 しかし、まさか……。


 まさか、この『男』の中に入っている『闇』の魂が…。


 複数いたなんて!!


 シュリをそっと横目で窺う。
 青年の表情は穏やかだった。
 ボロゾアの口にしたことを既に知っていたのだろう。
 とても冷静に、ボロゾアを見ている。
 その落ち着いた態度に、クラウドは波立心が落ち着いていくのを感じた。



「私は…」

 突如、それまで全く話そうとしなかった女帝が口火を開く。

「私は、そなた達如きの贄になるために生まれてきたわけではない」


 ゆっくり背後から近付く気配がする。
 クラウドは我慢出来ずに振り返った。

 煌く女帝の紅玉の瞳は真っ直ぐボロゾアに向けられている。
 同じ赤い瞳でも、こうも違うものか…と、クラウドは驚きを禁じえない。

「私が生まれた……いいえ、あの忌まわしい二千年前からこうしてここにいるのは、この星に完全なピリオドをつけるという私の意志から」

 ゆっくりとシュリの隣でその歩みを止める。
 シュリとの間には、人間が四人くらい入りそうなほど、距離が空いていたのが……哀しかった…。

「たとえ、星がそなたたち如きの力を欲し、その為に私が贄として準備されていたとしても…」

 フッと遠い目をする。
 その目が映しているのは、過去か……それとも……現在か……?

「私がおめおめとそんなくだらない生き方、するはずがない」

 キッパリとそう言いきった女帝に、クラウドは息をするのを忘れた。


「この星は既に穢れきっている。このまま存続してもいい事は何もないであろう…?」


 小首を傾げる様に抑揚のない口調でそう訊ねる。
 その質問は、誰に向けられたものか…?
 クラウドか?
 シュリか?
 それともボロゾアと名乗る『闇の化身』か…?


「まぁ…。この星、最初で最後の『人型ウェポン』である私が、そなた達如き者共の『贄』として準備されたとは考えにくいが」


 目を細めて顎を上げ、そう言った女帝は、初めて…と言っていいだろう。
 心底蔑んでいる…軽蔑の表情をマネキンの上に貼り付けた。

 ボロゾアの目が憤激の色に染め上げられる…。
 その途端!
 周りの景色が一変した。
 先ほどまでいた寒々しいほどの空虚な景色はどこにもなく、変わりに放り込まれたところは…。

『その』場所が一体どこかは分からない。
 分からないが…。

 シュリは無表情。
 女帝も…無表情。
 しかし、ボロゾアの口元には嘲笑が戻って来た。

「この場所で、『歴代一の楽師』と言われた『シュリ』の鎮魂歌を歌ってもらいましょうか?」


「『人型ウェポン』の『アルファ』殿」


 芝居がかった仕草で一礼する。
 ボロゾアの背後の空間がグニャリと歪み、いびつな穴が開いた。
 空いた穴から覗くものは…。


「 ……!? 」


 クラウドはゾッと背筋を凍らせた。
 ウネウネとうねるのは間違いなく闇の触手。
 その触手達が一斉にボロゾアの背を追い越して飛び掛ってきた。









「なぁにやってくれてんの〜!?」

 急に剣を納めてしまったプライアデスに、ボロゾアが顔を歪めて凄んだ。
 キラキラと頭上には満点の星達が綺羅めいているのが、不釣合いな…夜。
 星と大きな月の光を受けながら、翼を広げて宙に浮かぶ青年は、酷く幻想的だった。
 例え、遥か下の足元で行われているのが、闇の侵食であっても。
 美しい旋律と共に舞いを披露する姫君達の美しさには、その現実も翳んでしまうほど…。

 プライアデスは笑った。

「残念だけど、僕もそろそろ合流したいんだ。だから…」

 そっと片腕を伸ばす。
 何もない空間から何かを取り出す仕草をし、胸元に戻した時、手には細い銀の横笛が握られていた。
 ボロゾアの顔が怒りから恐怖に歪められる。


やめろー!!!


 喉が破れんばかりに叫びながら、我を忘れてプライアデスに突進した。

 プライアデスの口元に横笛が当てられて…。


 細く美しい旋律が流れ出す。
 その旋律は夜気に溶け込み、先に大合奏を奏でていた仲間達と一体になった。
 途端!


「 ッギャーーーーーー!!!! 」


 耳を覆いたくなるような断末魔。
 鋭く尖った爪があと少しで青年を真っ二つに引き裂こうとした刹那の出来事。
 何も無い宙で身を捩り、もだえ苦しむさまはゾッとする光景。
 そのままボロゾアは失墜し、遥か下方で躍動しながら蠢いている闇の中に消えてしまった。
 それを確認することなく、プライアデスはある程度笛を吹き続けると、大気が落ち着いてきた雰囲気になったのを確認するように一つ満足げに頷くと…。

「………」

 舞姫の舞いを見つめた。
 これで…最後。

 プライアデスと舞姫達の視線が絡み合う。
 どちらからとも無く微笑み合い…。
 目を伏せて…。


 プライアデスは深く深く一礼すると、バサリ…と、翼を大きくはためかせ、一直線に突撃した。


 闇の中に。











 クラウドは咄嗟に身を翻した。
 向かう先は……ティファ。
 しかし…。

「 グッ!! 」

 背中に突如襲った重く、鈍い痛みに前のめりに転倒する。
 その直後、自分の上を何かが通過し、強い風が起こった。

「クラウドさん!」

 シュリに助け起こされたクラウドが見たものは…。

「な…………!!」

 声が震える。
 頭が鈍器で殴られたような衝撃。

 グッタリと意識のないティファが、女帝の腕に抱きかかえられている。
 ティファを抱えたまま、女帝は宙を滑っていた。
 地面すれすれの位置を。
 それを闇の触手が狂ったように、我先にと飛び掛っている。
 後ほんの数ミリで闇の触手が意識のないティファの手を…足を捕えてしまう。


「ティファ!!」


 クラウドの叫びは虚しく響くばかりだった…。




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