腕の中で小さく身じろいだ少女に、少しだけ安堵の溜め息を漏らす。 どうやら怪我はないらしい。 近付く仲間の気配に、ヴィンセントは少女からドアへと顔を向けた。 もう後ほんの数秒でシドが医療班の人間を引きずって戻ってくるだろう。 その僅かの間に駆け巡る疑問を、赤いマントに身を包む男は消化させる術を見出せずにいた。 シェルクの身体を借りていたモノは一体誰なのか…? そして。 一体、シエラ号で『なに』を撃ったのだろう……。 Fairy tail of The World 89黒い奔流に抗う力など無く、クラウドの意識は否応ナシに負の感情に晒された。 数え切れない程の恨み、苦しみ、憎しみ、怒り……。 ザックスを…、エアリスを…、目の前で失った時と同等かそれ以上の激しくも哀しく、憎悪と憤激の感情が容赦なく攻めてくる。 『気が狂う!!』 どっちが上でどっち下か…。 どれが自分の感情で、なにが他人のものか…。 もう何も分からない。 『己(おのれ)』と『他者』という境界線が酷くあいまいで、そもそも自分という『自己』が存在していたことすら酷く不確かに感じられる。 『ティ……』 一体、なにを言おうと言うのか。 それが指し示す言葉はなんなのか…。 『……ファ…』 名前なのか…それとも言葉の羅列なのか。 ただの無機質な『声』というものが発する『音』に過ぎないのか…。 『……あ…』 手を伸ばす。 指先に触れるものを感じ取ろうとする。 だが、それが果たして『自分』が『感じているもの』なのか、それとも『他人』が『感じているもの』なのか。 『…あぁ…』 そもそも、自分に『身体』があっただろうか? 自分とは一体『何モノ』だったのだろう……? 『…ぐ…うぅ…』 喉に触れる。 頭を押さえる。 身体を小さく丸める。 両腕で自分を抱きしめる…。 『…うぅ…あ、あぁ…』 どれもこれも、自分がしているはずなのに『している』という実感がない。 確かな感触が欲しいのに、手ごたえを感じることが出来ない。 『自己』が無に帰するという、酷く哀しい感覚だけが鋭利に心を…、魂を突き刺していた。 ― もう…ダメなんですか? ― 『…ぐ…ぅ……』 ― ふぅん。呆気ないんですね ― 『…あ…ぁ…あ…』 ― もっと粘るかと思いましたが ― 『…う……ぅう…』 ― 所詮、あなたもただの人間…ってことですね ― 『…あ……ぁあ』 ― 心配しなくても大丈夫ですよ。『彼女』もすぐにあなたの所に行きますから ― 『……か…の…じょ…?』 ― さぁ、最期の仕上げに取り掛からないとね ― 『…さい…ご…?』 ― あぁ、あなたはそれを見られないんですよね。残念です ― 『………ま…』 ― では、一足お先に天国へ行っていて下さい ― 『………ま…て』 ― サヨウナラ クラウド・ストライフ ― 「 待て!! 」 ガバッ!!と、身体を起こす。 どこかまだ頼りない頭がグワングワンと、眠りの足りない不満を訴えた。 目の前にチカチカと星が飛ぶ。 クラウドは手の甲で目を強く擦った。 「あぁ…なんだ、『戻った』んですか」 バッ!!と、声のした方へ勢い良く振り向く。 そこに…。 彼女はいた。 「ティファ!!」 彼女の名前が、頭に思い描くよりも先に口が動いた。 魂の全てで彼女を想う。 ティファの名前を口にした途端、クラウドは『クラウド・ストライフ』としての『自己』を取り戻した。 己自身でそう感じた。 身体…、が果たして今の状態であるのかないのかは分からないが、『自分はここに確かに存在している』と魂全部で叫んでいるような力強さを感じる。 「中々頑張るんですね」 バカにしているわけではない口調。 あるがままを口にしている女帝の言葉に、クラウドはグッと顎を引いた。 そして、一歩一歩、確実に歩みを進める。 女帝は何もしない。 ただ黙ってクラウドが近付くにまかせている。 あと数メートル。 あと数歩。 あと……。 「アルファ」 丁度、大人二人が両手を広げたくらいの距離で、クラウドは足を止めた。 真っ直ぐ女帝を見る。 彼女は、立派な大樹の太く盛り上がった根の一本に腰掛けていた。 ティファは…彼女の膝の上だ…。 「アルファ。一緒に生きよう」 そっ…と、手を差し出す。 自然とクラウドは女帝を軽く見上げる位置に座っていた。 彼女はただ黙ってクラウドを見ていた。 何の感慨もない。 嘲りも……勿論、喜びも。 なんの反応も返さない女帝に、クラウドは再度口を開いた。 「アルファ、一緒に生きよう。アルファは幸せになるべきだ」 「『幸せになるべき』とは、一体誰が決めたんです?」 さして興味がないように繰り返す女帝に、 「俺達だ」 クラウドは静かに答えた。 女帝は首を傾げる。 彼女の疑問がどこにあるのかすぐに察しが着いた。 「シュリも、プライアデスも、本当はアルファに『人として幸せに生きて欲しい』と思ってる」 そう。 『人として死なせてやりたい』という気持よりも『人として幸せな人生を全うして欲しい』と思う気持の方が、うんと強い。 その想いを切に込め、クラウドははっきりと言い切った。 「私は充分幸せです」 クラウドは目を見開いた。 今、耳にした言葉を理解するのに少々時間がかかる。 女帝は驚き、固まっているクラウドに目を細めた。 「私が『幸せ』だと思わなかったんですか?」 「あ……あぁ」 正直な答えに、女帝は特別なことを言うでもなく、ただ静かに「そうですか」とだけ呟いた。 クラウドは混乱していた。 まさか『幸せだ』という答えが返って来るとは思わなかった。 同胞に家族を殺され…。 自分自身まで殺されて…。 何千年も、星の命の流れに溶け込むことすら出来ず…。 恐らく、自分がたった今、経験したような『負の地獄』を彷徨っていただろう彼女の口から。 まさか……『幸せ』だという言葉が聞けるとは。 「じゃあ……どうして、この星を壊したいんだ…?」 声が震えてしまう。 女帝は笑わなかった。 「『どうして』?聞かないと分かりませんか?」 不思議そうな声音で、無表情に問いかける。 クラウドは黙って見上げるばかりだった。 彼女が不思議そうに問いかけることが、クラウドには分からなかった。 「アナタも今、体験したばかりだと思いますが」 眠るティファの髪をそっと梳く。 その手は、ティファの漆黒の髪に映えて真っ白だった……。 「この星はどんどん黒く染まっていくばかり…。本当はもうとっくの昔に浄化する力があるはずなのに、それを察しないからです」 まぁ、黒く染まっている事に気付かないので、察する以前の問題ですけどね……。 誰が…とは言わない。 クラウドも黙って次の言葉を待つ。 「うんざりなんですよ」 ティファの髪を梳く手が止まる。 クラウドは僅かに身体を固くした。 女帝の紅玉の目が、ぼやけた視線から一変し、鋭いものになる。 「この星はもう限界です。ジェノバの襲来を受けて無事に今日まで済んでいたのが不思議なくらいですよ。それなのに、三年前、一年前と立て続けに力を使ったから内部はガタガタ、空洞状態です」 息を飲む。 女帝の言葉が鋭い刃物のように突き刺さる。 「その出来た空洞に何が溜まると思います?真っ黒でドロドロした『負の感情』ですよ、アナタの予想通り。その勢いはもう止まりません。このままの状態ではこの星はそう長く持ちません。こんな星の命の螺旋を紡ぐためには、『オメガ』が飛び立つほか道はない…。ですが、こんな状態で『オメガ』が飛び立ってなんになると思います?」 流暢な言葉の奔流にただただ飲み込まれる。 「折角新しい星として生まれ変わったとしても、『基』となる『命の記憶』がこんな状態では、ろくな星にはならない…。それならば…」 最初から存在しなければ良い………。 女帝の言葉が哀しく響いた…。 クラウドは怯みそうになった。 女帝の言うことがもっともだったからだ。 確かに…そうかもしれない。 本当にくだらない人間がなんと多いことか! ジェノバ戦役、オメガの事変であれだけ命の尊さを身を持って学んだはずなのに、ちょっと平和になるとすぐに『慢心』する。 はみ出た人間が出る。 そのはみ出た人間を更に追いやってしまうような風潮が出来上がる。 はみ出た人間が、仲間を求めて『真っ当』と呼ばれている人達を闇に誘う…。 その繰り返しなのだ…所詮この世は。 存続していけばそれだけの年月、どんどんそういう輪は繰り返される。 それこそ、果てのない『いたちごっこ』であり『螺旋』だ…。 そう…『負の螺旋』。 だけど、それだけじゃない。 セブンスヘブンに来てくれる常連客達を思い出す。 皆、真っ黒に日焼けしながら、苦労しつつそれを笑い合って明日を生き抜く力にしている。 仲間達を思い出す。 それぞれが、自分達の犯した罪を償いながら…。 仲間の託してくれたこの星を守るために前だけを見て歩いている。 子供達を思い出す。 小さな身体から溢れんばかりの生命力を輝かせ、時には引っ張り、時には『父親』としての幸せを味わわせてくれる…至宝。 そして…ティファ。 喜びも…哀しみも…幸せも…苦しみも…。 全ての感情を彼女が連れてきてくれる。 愛しくて…愛しくて…。 ただ、愛しくて仕方ない人。 自分が生きるも死ぬも、彼女の手にかかっている。 そしてまた、彼女の生死も自分の手に委ねられている。 その事実が、また甘美に自分を酔わせてくれる……そんな存在。 唯一絶対の……大切な女性。 彼女と一緒にこれからの時を歩んで生きたい。 彼女と一緒にずっと…ずっと…。 死が二人を別ったとしても、それでも!! その後も……星の命の流れで再び合間見えんことを切に祈る。 「アルファ、一緒に生きよう」 沈黙の後。 クラウドははっきりと顔を上げ、女帝の目を見てもう一度言った。 手をグッと差し出す。 大人二人が両腕を広げたほどの距離が、大人一人が両腕を広げた距離に縮まる。 女帝の息が指先にかするように感じられる。 女帝が紅玉の瞳を若干大きくし、ジッと紺碧の瞳を見つめ返した。 「私には身体がないのですが」 小首を傾げる女帝に、 「いつか……そう遠くない未来、ティファと俺の間に生まれてきてくれ。そうしたら一緒にいられるだろう」 照れもしないでスパッと言い切る。 「アナタが私の『父』になるのですか?」 「あぁ…まぁ、かなり頼りないと思うが」 「ティファが私の『母』になるのですか?」 「あぁ。きっと、ティファは良い『母さん』になる」 「ティファはイヤがりますよ」 「そんなことはない。絶対に俺の考えに賛成してくれる」 胸を張るようにして応えるクラウドに、彼女はゆっくりと頭を振りながら、 「どうしてそんな風に言い切れるんでしょうね」 「ティファは『バカ』がつくほどのお人よしだからな。絶対に賛成してくれる」 頭を振る女帝の髪が、それに合わせてサラサラと流れる。 「だから」 言葉を切って、もう一歩近付く。 互いの距離が、大人の腕一本くらいにまで縮まる。 「一緒に生きよう!」 女帝の表情が微かに揺らぐ。 クラウドが残りの距離を縮めようともう一歩踏み出した。 「お断りします」 冷たい女帝の言葉と共に、クラウドの身体は宙に投げ出された。 それを追うようにして…。 「クラウド!!!!」 一番大事な人の呼び声が聞えた…………気がした。 |