緊急通信を知らせるコンピューターの音が狭いメインルームに響き渡り、WROの若き隊員である兄妹はビクッと身を竦めた。
 飛びつくように飛空挺のコントロールパネルを操作し、その内容を映し出す。
 その内容に、兄妹と控えていた軍曹クラスの隊員達が息を飲んだ。

「シエラ号が……ミサイルを射出…!?」
「どこに!?」

 妹の震える声より早く、グリートはカタカタとキーに指を走らせ、目標地点をコンピューターに割り出させた。


「……なにもない海域…?なんでこんなところに…」


 画面に映し出されたその場所に、グリートが混乱気味に呟いた。


 その場所は、サンゴの谷とアイシクルロッジの丁度延長線上に位置する大海原。
 確かな答えを見出すことなど出来るはずも無く、大きな胸騒ぎを抱きながら隊員達は沈黙するしかなかった。



 その答えが分かるのは……もう少しだけ先の話し。










Fairy tail of The World 90








 …。
 ……。
 ………。

 ― どうしたんですか? ―
 別に…。

 ― 別にってことはないでしょう? ―
 ……。

 ― 迷っているんですね ―
 !!…そんなこと…ない…。

 ― そうですか?素直じゃないんですね ―
 ……。

 ― あなたは私と取り引きをした。違いますか? ―
 …違わない…。

 ― あなたの身体と魂の対価として、あなたの願いを叶える。そういう約束でしたよね ―
 ……ええ。

 ― でも、まことに遺憾なのですが、あなたの身体はまだ私を拒否している ―
 ……そんな…ことは…。

 ― あるでしょう?まだ、未練があるんですね ―
 ……ないわ。

 ― あなたは彼を『彼女』に委ねた ―
 ……ええ。

 ― あなたは、あなたの存在を一切残さず、消えることを望んだ ―
 ……ええ。

 ― なら、その望みを叶えるためにも、彼への想いをちゃんと昇華させてもらわなくては ―
 …昇華…?

 ― えぇ、そうです。今のままなら、あなたの想いは『先人達』と同じ、つまらないものとなる ―
 ……それは、あなたの過去のこと…?

 ― そうですね。それも含まれます ―
 …あなたはそれで良いの?

 ― なにがですか? ―
 あなたは、私の願いを叶えてくれる…そう言ったけど…。

 ― はい? ―
 あなたの本当の望みはなに?

 ― ……… ―
 私は…確かに、あの時はショックだったし……だからこそ、冷静に考えられなかったけど…。

 ― ……… ―
 でも、今、落ち着いて考えてみたら…ちょっと違うなって思って…。

 ― 違うとは? ―
 あなたは私の願いを叶えると約束してくれた。でも、それは『あなたの本当の望み』とは違うんじゃない?

 ― ……… ―
 私は…自分のことでいっぱいで…。

 ― ……… ―
 恥ずかしいけど、本当に周りの人のことをちゃんと考えられてなくて…。

 ― ……… ―
 彼の幸せのため…、とか言いながら、本当は…逃げてただけなの…。

 ― ……… ―
 うん、私…逃げてた。

 ― ……… ―
 本当に恥ずかしいけど、やっと分かったの。

 ― ……… ―
 怒られるまで分からないだなんて…、本当に私、まだまだだな。

 ― ……… ―
 そう、もうダメだよね。

 ― ダメとは? ―



 逃げてちゃ…ダメだよね。



 クルリ、と振り返り、ティファは真っ直ぐ女帝を見た。
 先ほどまで彼女にやんわりと抱きしめられていた感触を思い出し、離れてしまったことがほんの少し肌寂しく感じられたことが……ほんの少し変な感じだった。

 漆黒の衣服から覗いている露出の少ない白い肌は、見た目からは想像も出来ないほど、温かく……居心地が良かった…。


 だからこそ、人は簡単に『闇』にはまって抜け出せなくなるのかもしれない……。


「私…本当に身勝手だと思う」
「 ……… 」
「だけど、やっぱり……」
「 ……… 」

 黙っている女帝に真っ直ぐ目を注ぎ、しゃんと顔を上げる。


「もう一度、クラウドに会って、今度こそちゃんと向き合ってみたい」


 途端。

 紅玉の瞳が猫のような光彩を放つ。
 それまで、死んだ魚のように虚ろだったそれが、一変する。


「『もう一度』?」

 ジリ…。
 獲物を狙う雌豹のように、ゆっくり…ゆっくりと足を進める。
 ティファの全身から汗が噴き出した。
 いや、身体はないのだからそれは錯覚だろう。
 しかし、今、まさにそんな心境だった。

 それまで、自分の言葉にまともな反応を見せなかったのに、たった一言で相手が豹変した。
 彼女が『闇の女帝』であることを忘れていたつもりは無かったのに、隠し持っている力を見誤っていた感は拭えない。

「『今度こそ』?『ちゃんと向き合って』?」

 ティファの言葉を一字一句、口にする女帝の影が、急速に大きくなっていくようだ。
 ガクガクと、震える足に力を込めて一歩…いや、半歩ずつ、ぎこちなく後ずさる。

「何を世迷言を。『今度』や『もう一度』が訪れるほど、人生も世の中も甘くはないんですよ」

 ひた…と向けられた赤い瞳が、狂気に燃え上がっている。
 カチカチ…と奥歯が鳴る。
 背を向けて全速力で逃げ出したいのに、それが出来ない。
 きっと、背を向けた途端に襲い掛かられ、背後から羽交い絞めにされて喉を噛み破られる!
 そんな恐怖にがんじがらめになってしまい…、まともに動けない。

「一体、どれだけ待ったと思うんです?」
 静かな口調はそのままなのに、迫力がまるで違う。
 向かい合って、言葉を投げかけられるだけで、魂の力全部が掻き消えてしまいそうだ…。

「やっと……長年の夢が叶いそうなんです」
 ジリジリと迫る『闇』に、ティファは改めて自分の犯した過ちに気付いた。
 絶対に手を出してはいけない果実に手を伸ばしてしまったのだ…。



 自分の身を挺して愛しい人を幸福にする



 それはなんと甘美な言葉だったか。
 自分の身を犠牲にして愛しい人を幸福に…などと、とんだ思い上がり。
 愚かな幻想。
 本当にクラウドを幸せにしたいと思ったなら、ちゃんと向き合うべきだった。
 向き合って、話し合って…。
 お互いに百%納得した結論を出すのは…残念ながら不可能だろう。
 だが、それに限りなく近い答えを一緒に出すことが出来たはずだ。
 その努力もしないで、クラウドから致命傷となる決断を突きつけられることを恐れ、安易に『死』に逃げた。
 そればかりではなく、決して迎え入れてはいけない『力』を進んで受け入れようとした。
 いや、今、まさにその状態真っ最中で、辛うじて『己の一部分』だけが『闇』からはみ出しているだけ。
 もうほとんどが女帝を受け入れていることを痛切に感じている。
 だから、こんなにも弱い。
 抗いきる力がないのだ…。

「やっと……本当にやっと!このくだらない『命の螺旋』を断ち切ることが出来るというのに…」

 地の底から呻く亡者のような女帝の囁き。
 とうとうティファから後ずさる力すら消えてしまった。
 そのまま、女帝が目の前に来るのをなす術も無く立ち竦む。

「やっと、こんな茶番を見せ付けられずに済むと言うのに!」

 ガッ!
 女帝の細い繊手がティファの首を掴んだ。
 片手だけでそのまま持ち上げる。
 ギリギリと締め上げられ、ティファは虚しく口をパクパクと開閉させるだけ…。
 陸に打ち上げられた魚のように、無力だった。
 呻き声一つ上げることすら出来ない…。

「やっと!!この忌まわしい『呪い』からの解放だと言うのに!!」

 ギュッと、更に首を締め上げられて両脚がビクビクッ!と跳ねる。
 弱々しく両手を白い手に添えてみるが、引き剥がす力には遠く及ばない。
 身体は無いはずなのに、段々と視界が翳む。
 それを、滑稽だ…と、どこか冷静な頭で思いながら、ティファは目が閉じていくのを止められなかった。

『あぁ……本当にごめんなさい…』

 誰に対する謝罪かティファ自身にも分からなかった。
 勿論、クラウドへの謝罪が一番強かっただろう。
 だが、それだけではない。
 置いていってしまう子供達へ…。
 自分を助けるために色々頑張ってくれた仲間達へ…。
 既に亡き親友へ…。
 そして…。

 自分を『死』へ追い落とそうとしている……白い手の持ち主へ。

 女帝が過去からずっと引きずっている傷を全て見た今では、彼女がこうして心変わりをした自分に憤激する気持も分かる。
 愛しい家族を殺されて…。
 自分まで殺されて…。
 挙句、それまで信じていたものが『虚偽』で塗り固められていると知った…哀しい少女。
 その少女が、この世を憎んだとしても仕方ないのかもしれないし、自分が彼女だったらやはり同じ様に『復讐』を誓ったかもしれない。
 全てを白紙にしたい、という気持も分かる……ような気がする。
 ようやく、その『願い』が叶うのに、その可能性がなくなってしまったとしたら、どれほど大きい怒りとなるだろう?
 喪失感は…どれくらいだろう…?

 だけど。

 それを全て知った上で、自分はもう一度チャンスが欲しいと思ってしまった。
 思って、願って、最初の約束を反故にして、白い手を振りほどいてしまった。
 折角、ここまで粘り強く頑張ったのに、全て無駄になってしまった。

『ごめんなさい…』

 ゆるゆると、両手が下がる。
 白い手からティファの手が滑り落ちる。


『私には身体がないのですが』


 ドックン!
 ティファの遠のきそうになっていた意識が覚醒する。


『いつか……そう遠くない未来、ティファと俺の間に生まれてきてくれ。そうしたら一緒にいられるだろう』


 ドックン!!
 聞き間違いようもない彼の声に、ないはずの鼓動が高鳴る。


『アナタが私の『父』になるのですか?』
『あぁ…まぁ、かなり頼りないと思うが』


 突然、女帝とクラウドが向かい合って話をしている姿が瞼の裏に鮮明な映像として浮かび上がった。


『ティファが私の『母』になるのですか?』
『あぁ。きっと、ティファは良い『母さん』になる』


 照れもしないでそう言いきってくれたクラウドに、涙が溢れる。


『ティファはイヤがりますよ』
『そんなことはない。絶対に俺の考えに賛成してくれる』


 あぁ、クラウド!
 私はそんなに立派な人間じゃないのに!!


『どうしてそんな風に言い切れるんでしょうね』
『ティファは『バカ』がつくほどのお人よしだからな。絶対に賛成してくれる』


 自信満々に胸を張っているクラウドに、ティファは流れるはずのない涙を流した。


『だから』


 そう言って、ゆっくりと近付いたクラウドの姿に、どうしようもない恋慕が込上げてたまらなくなる。


『一緒に生きよう!』


 女帝にそう言ったクラウドの台詞。
 その一言が、電流のようにティファの身体を駆け抜けた。

 ― 一緒に生きる ―

 まるで、自分に向けられた言葉のよう。
 ティファの魂が急速に力を得る。
 下がっていた腕を持ち上げ、自分の首を絞め続けている白い手に添える。
 先ほどは本当に『手を添える』だけだったのに、今度はちゃんと力を込めて…白い手に己の指をかけた。


 と…。



 お断りします



 クラウドの真摯な態度を前に、女帝は冷たく言い放った。
 同時にクラウドに向かって攻撃をする。
 紺碧の瞳が苦痛に歪むのが見えた。
 その瞬間。




クラウド!!




 何かが爆発したように、ティファの中心で大きな力が生まれた。

 カッ!!と目を見開き、本当は目の前にいないはずのクラウドへ手を伸ばす。
 いないはずなのに…。

 白い手を振り払い、真っ直ぐに手を伸ばして思いっきり……全身全霊かけて愛しい人に向かって…。


 ティファは飛び出した。


 周りが眩いばかりの閃光に包まれる。
 ティファは目を細める事無く、真っ直ぐ…真っ直ぐ…。
 たった一つの感情だけを胸に抱き、ただただ真っ直ぐ向かう。
 絶対に手放せないものへ…。
 唯一絶対の存在へ…。

 真っ暗だった周りが光溢れる世界に変わる。
 何が光っているのか…。
 どこから光が来るのか…。
 そんなことは一切考えず、ただクラウドの事だけを思って…。

 思い切り伸ばした手の先に触れたのは、確かな…………………温もり…。




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