大地に飲み込まれた一つの『器』が、その役割を終えて誰にも知られず朽ち果てようとしていた。 その傍には、漆黒の髪を後ろに流し、紺碧の瞳を持つ青年がただ一人で見守っている。 「なぁ…本当にこれで良かったのか…?」 問いかける青年に、少女は虫の息の下、薄っすらと微笑んだ。 その儚く、脆く、そして美しい笑みを青年は最愛の女性以外では知らない。 「はい」 「でもさ…」 もどかしそうに青年は髪をクシャクシャと掻き毟り、ガックリと肩を落とした。 結局、何を言ってもとっくに手遅れだし、むしろよくもまぁ、こんな『海底』で歌を歌うことが出来たもんだ、と思っているので、少女が長年抱いていた夢を叶えることが出来た満足感に満ち溢れていても当然だ、と納得も出来る。 だが…。 「でも、やっぱなんか間違ってる」 イライラと言うと、少女は閉じかけていた瞼を再びこじ開け、青年を見た。 唇が「どうして?」と動く。 声は…もう出ない。 青年は焦燥感に駆られながら、なんとか少女の『死』を遅らせられないか…、と思案した。 周りを見渡しても何も無い。 当然だ。 ここは不自然に出来た『海底トンネル』。 星が遥か彼方に位置しているWRO本部の地面を飲み込み、ずっと少女を保護していた。 通常では考えられないほどの力を使い、星は少女を保護し続けた。 それは、少女に星を救うという大役を果たさせるため。 ただそれだけのために今日まで生かしてきた。 その事実が…青年にとって許し難い怒りにも似た感情を抱かせていた。 結局少女は、生きる喜びをあまり知らないまま、道具のように生かされていただけになる。 もっと…もっと素晴らしいことがあるのに! そっと…。 青白い少女の頬に触れる。 その青年の手に、少女はうっとりと目を閉じた。 「兄上が……シェルクさんの…身体を…借りてくれて……『気脈と水脈の道』を繋げてくれて…本当に助かりました」 か細い…か細い声。 その声は、震える唇から発せられたのではなく、心に直接語りかけられた言葉。 その心に語りかけられた声をザックスは一言も聞き漏らすまい、と顔を近づける。 そんなことをしても……鼓膜を通して聞える声じゃないのに…。 少女は、ニッコリと微笑んだ。 それはまさに、天使のよう…。 暫し、自分をジッと心配そうに、泣き出しそうに見つめる青年を見つめる。 そして、徐に(おもむろに)…。 「心残りはありません。ありませんが、もしもあえて言うなら……」 「あなたと同じ所に逝けないのが…残念です…」 か細い声が青年の耳に届いた。 ザックスはクシャリ…と顔を歪めた…。 Fairy tail of The World 94「ルクレツィア…」 「ふふ、やっと会えたね」 紅玉の瞳を持つ英雄は、ゆっくり…ゆっくり…。 己の全てを賭けて愛している女性へ歩く。 ルクレツィアもゆっくり…ゆっくりとヴィンセントに近付いた。 二人の距離がゼロになった時、ようやく…ヴィンセントは彼女を初めて抱きしめることが出来た。 生きているときには…出来なかった抱擁。 ルクレツィアにとっても、心から自分を愛してくれる人との初めての抱擁。 宝条は……彼女を道具としか思っていなかったのだから…。 そして、彼女は……逃げたのだから。 ヴィンセントが父親と同じ道を歩まないようにする為に…。 二人はそっと身体を離すと、暫く見つめ合っていた。 もう…別れの時がやってきたのだと分かっていたからだ。 「最期に…こんな素敵なプレゼントがあるなんて……」 そう言って、ルクレツィアはプライアデスを見た。 プライアデスは微笑みながら、ゆっくりと首を横に振った。 「なになに?一体なんなのさ〜!」 一番好奇心を持ち、一番抑えきられないユフィがプライアデスとルクレツィアを交互に見る。 しかし、プライアデスはちょっと悲しい顔でユフィを見ると、ゆっくりと瞬きをすることでそれを制した。 「ルクレツィア…私は…」 「ヴィンセント。ありがとう」 紅玉の瞳が見開かれる。 沈痛な面持ちをしていたヴィンセントが、彼女に謝罪をしようとしていたのは明白だ。 彼女は聖母の微笑を浮かべてそれを阻んだのだ。 彼女の姿が…段々その時を迎えていることを告げるように、薄くなっていく。 彼女は幸せそうに笑った。 「私のたった一人の息子。あなたは『セフィロスは死んだ』と、あの時言ってくれたわね」 三年前の旅で、偶然彼女の洞を見つけた時、彼女はまだ完全にはクリスタルの中にいなかった。 まだ…話せたし…まだ…闇に囚われているように…悪夢を見ていた。 これ以上の不幸を知らせたくは無かった。 彼女の生んだ子供が…。 まさか、実験の果てに星に敵するものとなったなど…。 言えるはずが……ない。 だが、彼女のこの一言で、もうルクレツィアがセフィロスがなにをしたのかを知っているのだと…分かった。 ヴィンセントは苦い表情を浮かべながら、顔を背けた。 ルクレツィアは……笑った。 笑いながら、嬉しそうに、 「本当に…ありがとう。私は…逃げちゃったから。だから、これは私がしなくてはならない贖罪。それが少しでも出来て、本当に良かった。最期に…貴方に会えて良かった」 そう言いながら、彼女はエメラルドの光の粒子に包まれ始めた。 「待て!まだ私は…!!」 「うん…ありがとう、私の事を愛してくれて。ちゃんと…ちゃんと届いてたよ。貴方の言葉。ちゃんと受け取ったよ、貴方の…愛情。だから、本当に嬉しかった…。幸せだった…!」 彼女は本当に幸せそうに笑って…。 一際明るく輝くと、エメラルドグリーンの光の粒子となって宙を舞うようにし、消えていく。 残されたのは、グズグズと鼻を鳴らしているユフィ、バレット、ナナキ、レノ、イリーナ。 男泣きしそうなシド、未だ夢の中を彷徨っているクラウドとティファ、シエラ号のクルー達。 そして、薄っすらと涙を浮かべて、それでも清々しい顔をしている…ヴィンセントだった。 「ルクレツィアさん、今まで本当にありがとうございました」 プライアデスが深く頭を垂れる。 青年の心に答えるように、最後の光がほんの少しだけ強く光って…完全に消えた。 厳かな雰囲気がその場に流れた。 ある者はグシグシと鼻を啜り、そしてある者は袖口でグイッと涙を拭いた。 ヴィンセントは……。 ほんの少し涙を堪えるようにして………笑った…。 シャンシャンシャンシャン! シャラララ…シャン!!! 一際大きく鈴の音が鳴り、とうとう舞姫と楽師、そして歌姫による儀式は終った。 皆がハッと顔を上げ、甲板の手すりから身を乗り出す。 遥か下方に見える広大な大地が、今、落ち着きを取り戻しつつある。 それは、完全に次の世代への移行が滞りなく済んだことの表れ。 未だにキラキラと光っているが、朝陽によってその光が段々と溶かされていく。 新しい……夜明け。 時代の夜明けだ! そして、それを表すように、先の世を去りし『選ばれし者』は、自分達の役目を終えて、今、星に帰ろうとしている。 それはまさに勝利の凱旋。 満足げに…。 心からの喜びに満ち溢れ。 一人…、また一人…と、消えていく。 朝靄に紛れるように…まるで溶け込んでしまったかのように、徐々にその人数を減らしていく。 そんな先人達から二人の姉妹がシエラ号まで飛んできた。 飛ぶ…というよりも滑るように、自由に優雅に…。 姉妹の姿と仕草に、皆がうっとりと見つめる。 「母上、叔母上」 「カーフ…」 「私の…可愛い息子…」 それぞれが…ギュッとギュッと強く息子を、甥を抱きしめる。 それは、まるで別れの抱擁。 姉妹の瞳に涙が浮かぶ。 決して喜びの涙ではない。 「母上、叔母上、どうか不出来な者をお許し下さい。僕はやっぱり、アルファを諦められません。彼女と一緒に生きたいという気持ちを抑えられません」 例え、この世の理(ことわり)に反することでも。 彼女にまた、新たな罪を背負わせ、その為に苦しい人生しか待っていなくても。 それでも! その人生全てを一緒に背負って生きていきたい! だから…。 「申し訳ありません。『理(ことわり)』に抗います」 青年の言葉に、仲間達は心を打たれながらも青年の言葉の意味が良く分からなかった。 『理』に抗う…? 当惑しながら青年の先の世の母とその妹を見る。 舞姫達の顔に、嬉しそうな微笑みが一杯に広がっていく。。 だが…。 何故か、今、星にその役目を終えて帰ろうとしていた先人達が今にも攻撃を仕掛けんと警戒態勢をとった。 先ほどまで、星の新たな時代を喜び、祝っていた雰囲気が一変している。 選ばれし者達の手には、白銀の細い長剣。 ザァッとその場に殺気が満ち溢れる。 仲間達も、つい条件反射で武器を構えた。 プライアデスに攻撃するなら、いくら星を救ってくれた者でも、英雄達にとっては敵だ。 プライアデスにはこうなると分かっていたのだろう。 実に落ち着いて、ゆっくりと剣を構える しかし…。 青年を守るようにその背に庇ったのは……姉妹。 この星始まって以来の最高の舞姫。 その姫たる力が、敵対しようとしている者達に通用するのか…? 一抹の不安を抱えたのは英雄とタークス達。 しかし、その不安もすぐに一蹴された。 明らかに、先人達がたじろいでいる。 更には、その先人達の中にも少しの動きがあった。 一人…。 また一人…。 姉妹の側に付く者が出た。 ある者は諦めたように溜め息を吐いて…。 またある者は、ニヤッと不適に笑いながら…。 『命の理』を重んじる者達は、抗議の視線を向けながらも、その眼光にはいま一つ迫力がない。 プライアデスは、自分を推してくれるその人々に微笑みながらそっと母に、そして伯母にキスをすると、シエラ号で固唾を呑んで見守っている人達へ頭を下げた。 「もうすぐ、シュリが合図をくれます。アルファを捕まえたら、合図してくれることになってるんです」 「合図…?」 「そう、合図」 悪戯っぽく言って、茶目っ気に笑う。 「本当に、僕のお姫様は自分中心なんだから。自分ひとりで何もかも背負って、『はい、お終い!』ってしたいんだろうけど、残念!そうはさせないんだなぁ、これが」 クスクス、と楽しそうに笑う。 そんな子供のような無邪気に笑うプライアデスを、ヴィンセント達もシェルク達も初めてだった。 「ちょっとお灸をすえてやらないとね。彼女がいないと僕もシュリも不幸に人生終るしかないんだから」 「え…?え…、お前…あの、ちょっと待て…?」 シドが混乱しながら口を開く。 「何するつもりでぃ…?」 プライアデスは無邪気に、悪戯っぽく笑った。 「僕とシュリだけの秘密ですよ」 そう言いながら、人差し指を自分の口元に立てる。 その仕草が…本当に様になってて…、それでもって、とても可愛いもので。 こんなにも、肩の力が抜けた青年を皆は知らない。 この笑顔が見られただけでもよしとするか…と、思い出した仲間やタークス、クルー達だったが…。 『『『『『 やっぱり…わからねぇ…… 』』』』』 どうしても怪訝な顔になってしまう面々に、プライアデスは嬉しそうに笑った。 そして、甲板の手すりに腰をかけて一心不乱に大地を見つめる。 その間も、先人達と母親側に立った者達のにらみ合いは続いている。 「目を覚ませ!我らの役目を思い出せ!!」 「こんなことは前代未聞だ!!」 「そうだ、いいか、私達は『この世の理(ことわり)』を守る『理の守護者』なんだぞ!?」 「それを、率先して『理』に抗うとは…!!」 「しかも、その名を継ぎ、先頭に立ってそれを守るべき者である『シュリ』が、率先して反するとは言語道断!」 だが、いきり立つ先人達を前にして、母親側の方は微笑むばかり。 決して侮っているわけでも、及び腰になっているのでもない。 目はしっかりと『戦う』意志を宿して光っており、背に負う大翼は、先人達の中では一番大きく、堂々として……、美しかった。 光り輝くその大翼が朝陽の光を受けて神秘的に輝きを増す。 その光の強さで既に圧倒される。 「まぁ、良いではないか。もしも本当に星が許さなければ上手くいくはずがない」 「それに、この者達はよくやった。一つくらい褒美があっても良かろう?」 おおらかにそう言いはなった仲間に、反対派が僅かにたじろぐ。 奇妙にその張り詰めた空気。 だが、それは突然現れた少女によって破られた。 「ライ!!」 意識を取り戻したシェルクが、肩で息をしながら、必死になって甲板を走る。 そして、ぶつかるようにしてプライアデスにしがみ付くと、 「お願い、お願い!!シュリを助けて、アイリさんを助けて!!!」 必死に懇願する。 英雄達は…目を見開いた。 シェルクが『アイリを助けて』と言ったのは、彼女の死が少女の心を悲しみで押しつぶし、正気を失わせさせたのではないか!?と、恐怖が走る。 だが、 「うん、大丈夫。それよりも……すいませんでした。シュリ、貴女の身体を借りてしまったでしょう?変わりに僕がうんと怒っておくから」 頭を下げる青年に、シェルクは激しく首を振った。 「そんなの良いの!!むしろ、もっともっと役に立ちたかった!立てなくて本当にごめんなさい!!」 縋りつくようにプライアデスの袖や服の裾を握り締めて何度も頭を下げた。 プライアデスは……微笑んだ。 本当に幸福そうに…。 「ありがとう!」 そう言って、未だにすがり付いている少女を、一瞬だけ強く抱きしめると…。 「貴女に光の祝福がありますように…」 耳元で、彼女だけに大いなる祝福を授けた…。 「その…よう…」 おずおずとシドが声をかける。 そっとシェルクを放し、プライアデスは微笑を向けた。 「その…これ…」 差し出されたソレに、プライアデスの目が見開かれる。 「これ…大切だから預かっといてくれって言われて…」 「 ……… 」 仲間達は、何故かは分からないが緊張感に支配されるのを感じた。 シドが差し出したソレを目にしたとき、明らかにプライアデスはたじろいだ。 そしてすぐに険しいような…哀しいような…そんな顔になって黙り込んでしまっている。 もしかしたら、コレのせいでシュリは闘いが不利になってしまったのでは!? そこまで悪い想像をしたとき。 「それ、預かっといて下さい」 「 え!? 」 ギョッとしてシドは身を仰け反らせた。 それに対し、プライアデスは先ほどまでの難しい顔は一変。 にこやかなものになる。 「シドさん達が持ってて下さると助かります! 実に嬉しそうにシドの手を握り、ソレを握り締めさせた。 と、その時。 バッ!! プライアデスが甲板の外を振り向く。 その動きの素早いこと!! まるで残像が見えるように、青年は動いた。 そして、手すりから身を乗り出すと…。 「来た!合図だ!!」 声が弾む。 顔がキラキラと大きな喜びで満ち溢れている。 無邪気に…、目を輝かせ、躊躇う事無く…。 プライアデスは、甲板から大地へ飛び降りた。 向かうのは、未だに闇の残滓が色濃く残っている場所。 英雄達が真っ青になる。 それを、先人達が追う…。 しかし…。 「あの子達の邪魔はさせません」 立ちはだかった姉妹側の者達を前に、一瞬躊躇う。 しかしその一瞬で充分だった。 プライアデスは…。 まだ闇の残滓が残るその大地に……姿を消した。 プライアデスが堕ちたと思われるその場所が、一際明るく…、強い光を発し、皆の瞳を焼いた。 思わず顔を背け、徐々に瞼の向こうの光が落ち着いてきた頃に、少しずつ目を開ける。 もうそこには、先人たちの姿は全く無かった。 ただただ、真っ青な青空と、真っ白な雲、そして…。 生まれ変わった大地がキラキラと光り輝くという壮大な光景が広がるばかりだった…。 |