「このクレイジー野郎!」

 男が残忍な笑みを浮かべながら人質から手を離した。

 ティファとユフィが堪らず腰を上げる…。
 敵の男達がティファとユフィに気づいて、嘲笑から驚愕へとその表情を変化させる。
 人質達を威嚇するために振りかざしていたナイフと銃を、二人に向けた。

 ティファとユフィの周りにいた人質達が、二人の英雄に目をゆっくりと見開く。

 人質から手を離した交渉役の男も、ゆっくりと振り返った。


 全てがスローモーションだった。


 ティファとユフィは、敵が攻撃に移るより素早く落下する女性に駆け寄ろうとして、周りにいる人質達に足止めを喰らう。

 そうして。


 落下する女性と目が合い、二人は凍りついた。







Fairy tail of The World 〜その後 二人 (後編)〜








 WRO隊員達から小さな悲鳴や、鋭く息を飲む音、更には思わず駆け出そうとする者など、その衝撃的なシーンを前に誰もが冷静ではいられなかった。
 WROを指揮するリーブももとより、クラウドも目を見張り、思わず境界線を飛び越えた。

 そして…見た。


 彼女の身体が光を放ついくつもの球体によって取り囲まれているのを。
 両腕を優雅に広げ、ゆっくり舞うようにクルクルと回りながら彼女はその球体を発砲、四散させた。

「うおっ!」「ぎゃっ!」「がはっ!」

 男達がその球体の攻撃をモロに喰らって吹っ飛ぶ。
 放たれたその光の玉は、弾丸さながらのスピードであっという間に敵達を実に正確に攻撃した。
 人質達は、一人も傷つけられていない。
 敵が立てこもっていたビルを取り囲むように、周りのビルに潜伏していた敵達も同様に一発で意識を手放した。

 ただ一人、交渉役だった男だけがその攻撃を辛うじて避けた。
 身を低くし、たった今、目にしたものを信じられない面持ちで愕然と見やる。
 屋上に這いつくばるようにして攻撃を避けた男の鼻先に、ごくありふれたスニーカーが降り立った。

 そう、ゆっくりと。
 背中に翼でもあるかのように、重力の法則を無視して…。


 ゆっくりと男は視線を上げた。
 薄汚れたベージュを貴重としたスニーカーの上には、黒いパンツ。
 そして、カーキ色のカットソー。
 白い首。
 輪郭の良い顎。
 軽く結ばれたピンク色の唇は、ルージュを施していないごく自然な色。
 スッと通った鼻筋。
 顔の輪郭を柔らかく包むようにして耳と肩の丁度中間くらいまでに伸ばされた薄茶色の髪は、風をやんわりと含んでサラサラと流れている。

 そして…。


 紺碧の瞳。


 魔晄の瞳だ。



「お前、元ソルジャーか!?」



 驚愕のあまりに上ずった声が男の喉から漏れる。
 掠れたその声に対し、女性はマネキンのような表情を崩さず口を開いた。



「違います」



 ティファとユフィは息を飲んだ。
 屋上に飄々と立っているのは、たった今、地上へと落とされたはずの女性。
 そして、この一年半もの間、ずっと待っていた…あの…。


「どうします?あなただけですがまだやりますか?」


 どうでも良い。
 そうとれるような口調。
 華奢な体躯が風に吹かれて飛んでしまいそうなほど、脆く見えるのにこの存在感。
 たった今まで恐怖によって混乱し、パニックを起こしていた人質達があまりのことに言葉を失い、悲鳴すら上げずに呆然と見つめている中、リーダー格の男は憤然と立ち上がった。
 目の前の女性からは明らかに尋常ならざる力を感じるのに、それ以上に自分のプライドを傷つけられたことに対する怒りが勝った。

「うぉぉああああ!!」

 気合か、それとも怒りによる怒声か…。
 定かではない声を上げながら、男は腰のソードホルスターから片刃の大剣を抜き放った。
 さきほどまでチラつかせていたサバイバルナイフは既に手にはない。
 苛立ちと一緒に、床に投げつけたのだ。
 その投げつけられたナイフが鋭く跳ねて、女性客に突き刺さるのをティファとユフィは見た。

 いや、見たはずだった。


 キン。


 澄んだ音がして、ナイフが女性に突き刺さる寸前で何かに跳ね返される。
 一瞬だけ、ポッ…と黒い光が何も無い空間に浮かんだように見えた。
 ティファとユフィは、言葉も無くただただ、敵と相対するように立つ女性を見た。

 最後に見た頃より、彼女の頬に血色があるように感じるのは…気のせいだろうか?
 表情は相変わらず無表情で、何を考えているのか分からないのに、瞳が放つ光のなんと強いことか。
 そして何より。


 ギンッ、カーンッ!
 ブンッ、ギギギギンッ!
 ガガガガッ!ビュッ、ギュンッ、ヒュッ!!


 彼女のあの軽やかな動きはどうだ!?
 かつて、『女帝』として自分達の前に立ちはだかった時、確かに彼女は闘った。
 しかし、あのように全身を使った『人間らしい』戦い方はしなかった。
 さきほどの、『魔法』を使ったような…一種の『神がかった』ような戦い方だったのに…。

 いつの間にか、彼女の細い両手にはシュリが扱う武器と同じファルシオンが二刀、握られている。
 屋上のへりを、クルクル周りながら、時に敵の攻撃を流し、時には受け、反撃をする。
 その軽やかで力強い戦いぶりは目を見張るものがあった。
 後方へ宙返りをした時などは、思わず人質達から小さな悲鳴が上がったが、彼女は数ミリ単位で軽やかに着地を決め、地上への落下を免れたばかりではなく、そのまま上体をググッと低くすると反撃に繰り出した。
 もっとも、彼女が地上に落ちて死んでしまう心配はもう皆無だ。
 二刀のファルシオンを繰り出し、男を確実に追い詰める。
 動きの一つ一つが、彼女の兄に酷似している。
 無駄の一切ない動きの一つ一つはまるで舞を舞う『舞姫』のようだ…。
 いつしか、人質達は立ち上がり、戦う女性を食い入るように見つめていた。
 手をギュッと握り締め、固唾を呑んで見守る。
 ティファとユフィも同様だ。
 もう、この戦いに誰も口を挟む者はいない。


「く、くそったれがーー!!」


 足場を取られそうになった男が、憎悪をたぎらせて吠えた。
 力任せに彼女を叩き斬ろうとする。
 それを難なくかわすと彼女はクルリ、と反転しながらあっさりと男の後方をとった。


 彼女の勝利だ。


「はい、終わり」

 ファルシオンをゆっくりと突きつける。
 人質達から歓声が上がった。

 が…。


「ふ、ふざけんな、このアマがー!!」


 破れかぶれになった男は、持っていた武器を彼女に投げつけた。
 あっさりとその攻撃をファルシオンで弾き飛ばす。
 しかし、その一瞬の間に男は最も近くにいた老女の首根っこを引っつかんだ。
 女性が戦いに勝利したという喜びは、あっという間に霧消する。
 老女のか細く、恐怖に慄く(おののく)悲鳴が喉から搾り出された。

 男の顔に歪(いびつ)で酷薄な笑みが戻る。
 パチン、と音をさせて折りたたみ式のナイフを老女の首元へあてがった。
 場が騒然とする。
 男は引き攣った笑いを浮かべたままゆっくりと後ずさった。

「いいか、そのまま動くな」

 言うまでも無く、彼女は全く動かない。
 まるで、先ほどまであんなに軽やかに戦っていたのが幻であったかのような静寂ぶり。
 男は少しずつ自身の身の安全を確信し、余裕を取り戻していった。

「そのまま武器を地上に捨てろ。いや、それよりもその武器で自分を刺せ」

 彼女は動じない。
 ピクリとも動かない彼女に、男は折角取り戻した余裕をかなぐり捨てるように、
「早くしやがれ!!」
 大声で怒鳴りつけた。
 その反動で老女の首に当てられていたナイフが振るえ、老女の首筋に傷が走る。

 いや、走ったかに見えた。


 キンッ。


 またもや澄んだ音。
 跳ね返されたナイフ。
 そして、ポッ…と灯った黒い光。
 男と老女自身、そしてそれを見た人質達がビックリして固まる。

『彼女の力』に、ティファとユフィは胸が一杯になった。
 涙腺が緩む。
 視界がユラユラと揺れるのを、決して恥ずかしいとは思わない。
 二人はグッと唇を引き結んで最後までちゃんと見届けられるよう、目に力を込めた。

 二人の強い視線を感じているだろうに、彼女は全くその表情を変えない。
 まるで、彼女の兄を見ているようだ。
 どんな困難な状況にも動じない肝の太さ。
 堅固な意志はそっくりだった。


 その時。
 彼女は持っていた武器をクルクルと数回回した。
 シュンッ…という音と共に武器が消える。
 その場の全員の目が点になった。
 彼女はそのままゆっくりと右手を前に突き出し、手を開く。
 身体を開いて左手は肘を曲げ、手を握って拳にし、甲を額の前にかざした。

 男は彼女が何をするのか全く分からなかったが、それでもこれから繰り出されるであろう攻撃の威力を想像し、土気色になって固まった。
 蛇に睨まれた蛙。
 濁った黄色い目が恐怖で見開かれる。
 その目には、実に淡々とした表情の女性だけが映っていた。



「召喚」



 口にされたのはそのたった一言。
 だが次に起こったのは…。


 爆風と黒雲と雷鳴。
 そして…。



 グォォオオオオオオンッ!!!!



 白銀の体躯をした『召喚獣』がその巨体を、黒雲の間から人々の前に現した。

 男は、召喚獣が鼓膜を破りそうなほどの大声で咆哮したのを最後に、失神してしまった。


 *


「誰がそこまでやって良いと言った……」

 素晴らしい跳躍であっさりとその場に到着したシュリが屋上のへりに足を乗せて立っていた。
 どことなく脱力したように呟きながら、召喚獣を『還した』彼女の背を見やる。
 対する彼女は、
「好きにしろ、と仰ったのは兄上ではありませんか」
 ゆっくりと振り返りながらいけしゃあしゃあと言ってのけた。
 シュリは深い深い溜め息を吐き出し、両腰に軽く手を当てた。
「言ったが、『常識の範囲内』でやれ、という意味だったんだ。それくらい分かれ」
「私にとっては充分『常識の範囲内』です」
 サラリ、と流した妹に、眉が軽く上がる。
「どこがだ…?」
「『死傷者が出なかった』だけでも褒められたものだと思いますが」

 シュリはガックリと肩を落とした。
 そのまま数回『やれやれ…』と言わんばかりに頭を振って顔を上げた。
 表情はもう呆れていない。
 いつもとほとんど変化ない程の無表情さだったが、それでも唇の両端がやんわりと持ち上がり、瞳は温かに薄っすらと細められていた。
 ゆっくりと軽く両腕を広げる。



「おかえり、アイリ」
「はい……ただいま…兄上」



 薄茶色の髪を風に乗せながら、アイリはゆっくりと兄の腕の中に収まった。


 抱擁はほんの僅かなひと時。
 再会を果たした兄妹はすぐに離れた。
 ゆっくりと彼女は『二人』へと向き直った。
 初めて、ティファとユフィを見つめる。
 ティファとユフィは、紺碧の瞳に見つめられ、堪えていた感情が一気に押し寄せるのを止められなかった。
 そのまま感情に任せて駆け出そうとする。

 それを、アイリはスッと目を伏せることで拒んだ。
 ティファとユフィは瞬時に悟った。
 アイリがこれから何をしようとしているのか…を。
 ゆっくりと頭を下げ、一年半前の…、いや、これまでの謝罪をしようとしている。

 ティファとユフィは無言で勢い良く駆け出し、有無を言わさず頭を下げきる寸前でアイリを目一杯抱きしめた。
 魔晄の瞳がほんの少し揺らぎ、宙を彷徨う。

「…っく……ひっく…」
「……っえり……おか……り…」

 しゃくり上げながら涙を流し、それでもギュッとギュッと抱きしめる。
 屋上のへりに立っているので非常に危険な足場であるにも関わらず、そんなの関係ない!と言わんばかりに、ようやっと帰って来た彼女へ精一杯の一言を伝えたくて……。


「「 おかえり! 」」


 泣きながら笑い、笑いながら泣いている二人に、アイリはまだ宙を彷徨わせているままではあったが、紺碧の双眸を薄っすらと細めた。
 おずおずと細い腕を持ち上げて、ティファとユフィの背に添える。


「 ………ただいま…」


 小さなその言葉に、ティファとユフィはとうとう声を上げて泣き出した。


 WRO隊員達が慌ただしく動き始める中、先頭きって駆けつける金髪と槍使いの姿があった。