その男は青い瞳を氷のように光らせ、己の身の丈以上の刀を片手に薄い笑みを貼り付けて彼方を見つめていた。
 長い銀糸の髪を風になぶらせ、堂々たる長身を黒い着衣に包んでいる姿はまるで戦神のようだ。
 男は絶対凍土特有の雪の結晶の粒が舞う突き刺すような風をものともせず、悠然たる空気をまとってそこにいた。


「帰還命令が出ております」


 駆け寄った部下が片膝を着きながら報告するが、チラリとも振り返ることなく「ふん」と鼻で哂った。
 膝を着いたままの若い兵隊を見ることなく踵を返して本隊へ戻りながら、男は1人ごちた。


「世界の変性のとき…か。果たして、どこまで私を楽しませてくれるのか」


 底知れぬおぞましさを含む男の愉悦は、強い風によって掻き消された。
 男に付き従うようにして片膝を着いていた兵も足早にその背を追う。
 やがて、神羅部隊がその地を後にすると、残されたのは累々たる巨大な生き物の死骸だけだった。





Fantastic story of fantasy 10






 ミッドガルにあるスラム街。
 その7番街にある小さなダイニングレストランは、もう10日もの間、店主の都合で休日となっていた。
 手作り特有の不恰好な作りのドアまでもが店主の暖かさを現しているようで常連客たちの好感を呼んでいた。
 今、そのドアノブにかけられている”Close”の看板に、常連客たちが見せる反応は好感というものから程遠いものばかりだ。
 溜め息をついたり舌打ちをしては去って行くその客たちを、まだ小さい少女が窓からこっそり覗いていた。
 こうして顔見知りの常連客たちが同じようにがっかりしたり、不満そうな顔をして店の前で足を止め、背を向けるのをこの10日ほどでどれだけ見ただろう?と考える。
 皆が皆、良い客かというと決してそうとは言えないが、もう随分彼らと交わっていないことを寂しく感じると同時に今の状況を考えると小さな胸に黒い雲が立ち込めるのを止められなかった。
 現在(いま)も店内を振り返ると…。

「ねぇもういい加減その不機嫌オーラ、やめてくれないかしら?」

 うんざりというよりも苛立ちを前面に押し出すようにしてジェシーはジトリとエルダスを睨んだ。
 男は表情こそ変えなかったが、コツコツと床を叩いていた足先の動きを止めた。
 しかし、いささかも不機嫌で重苦しい空気は軽減されない。
 ジェシーは苛立ちながらグラスにウィスキーを注ぎ、ウェッジは苦笑を浮かべた。

「気持ちは分かるけど〜…まぁ、しょうがないっすよ」
「だな。なんたって生死不明の幼馴染との再会なんだからよぉ」

 ビッグスが片頬をつきながらブランデーの入ったグラスを行儀悪く啜りながらウェッジの言葉を後押しする。
 エルダスほどではなくても突然現れた居候に良い感情を持っていないのが見て取れる。
 濃い茶色の短髪を苛立たしげに掻き上げ、エルダスは溜め息を吐いた。

「ティファはまだゆっくりしていないといけない時期だ。それなのに…」
「まあ、しゃあないだろ?アイツはあれで意外と頑固だからよぉ」

 割って入ったバレットも不機嫌というよりは心配そうに溜め息を吐く。
 10日ほど前に突如現れた青年は反・神羅組織アバランチにとって甚だ迷惑な患者だった。
 身元不明の男がいる状態で反・神羅活動など出来ようはずもない。
 勿論、主力メンバーが2人も欠いている今の状態では動きようがないのだが、それでも今後の活動の方向性や作戦、神羅の動き等々、話し合わなくてはならないことが山のようにある。
 それなのに、それらの情報のやり取りすら満足に出来ない上、青年にばれないようコソコソしないといけないというのが気持ち的にどうしても受け入れがたい。
 それに、そういう組織めいた話し以前にティファがクラウドという男しか頭にないことこそが、バレット含むメンバーにとっては面白くなかった。

 もっとも、その点で考えると一番苛立っても仕方ない男が目の前にいるわけだが…と、シドはバレットの隣でジョッキを口に運びつつチラリと見やった。

 男の目から見ても中々にいい男っぷりだと思う。
 恐らく他のメンバー達もエルダスと言う青年をそう評しているだろう。
 彼がティファへひたむきな想いを注ぐ姿は、復讐と言う荒み勝ちな生活の中で人を愛するということがどういうことなのかを思い出させてくれるとても大切な光景だった。
 だから、いつかティファが彼の気持ちを受け入れ幸せになってくれたら…と密かに願うようになっていたのだ。
 復讐に生きるより、幸せな家庭を築く方がティファにはうんと相応しい。
 恐らく、その幸せな生き方こそがより相応しい人生であるのはアバランチのメンバー全員に言えることだ。
 しかし、彼らはティファ以上に長く復讐に身を置いている。
 ティファよりも根深い…とは言わないが、神羅への憤り、恨みは計り知れない深い闇となって心を蝕んでいる。
 だから、本来手にするべき幸せな人生へ帰結するための先駆者になってくれたら…と思っていた。
 それが出来るのは、今残されているメンバーで考えるとティファとエルダスしかいない。
 だが…。

「まさかなぁ…」

 周りに聞きとがめられないほどの小さい声で呟く。
 ティファがあんなにまで盲目的になるほどのめり込んでしまう男が現れるとは思いもしなかった。
 いつも万人に対して優しい彼女が、ただの恋する乙女に成り果てるとは。

 そう、成り果てるという表現が相応しいほどの変わりようだった。

 自分の体調が万全ではない頃から、ティファは幾度も青年の寝泊りしている部屋を訪れていた。
 エアリスから1週間は絶対安静と言い渡された期間を終えた今は、ほとんど付きっ切りの状態になっている。
 まだ完全に体調が戻ったとは言いがたいため、荒事に彼女を参加させるわけには行かない。
 しかし、それとアバランチメンバーが抱えている鬱屈した容認出来ない気持ちは別問題だ。
 アバランチメンバーとの絆はそんじょそこらの”仲間”という概念よりうんと強い結びつきがあるという自負がある。
 言わば家族だ。
 その家族にある日突然、自分たち以上に心を傾ける第三者が登場してしまった。
 これまで、家族に注がれていた深い愛情がポッと現れた第三者に掻っ攫われただけではなく、それを目の前で見せ付けられるという非常に面白くない状況が現在進行形で更新中だ。
 だが実は、その面白くない現状を後押しすることがもう1つあった。
 それは、エアリスとヴィンセント、それにユフィが何故か盲目的になっているティファを擁護するかのような態度を取っていることだ。

『大丈夫よ。ティファもあの人も子供じゃないんだから』
『ティファが倒れそうになったり、マズイことになりかけていると察したら私たちがそれを止め、フォローすれば良いだけだ』
『さぁ…ま〜、良いんじゃないかなぁ……うん』

 エアリスとヴィンセントがそう言うだろうとは予想の範囲内だったが、まさかユフィまでもがそう言うとは思わなかった面々は、その言葉を聞いたとき、信じられない、と顔を見合わせた。
 そのとき、ユフィはバツの悪そうな顔をしてそそくさと逃げるように2階へ上がってしまったが、それからもその台詞の通り、態度を変えることはなくクラウド・ストライフというニブルヘイム出身の若者を受け入れている。

 大切な家族が真っ二つに別れている現状は、一枚岩だったアバランチを大きく揺るがしていた。
 その危険性をエアリスたちは全く理解していない、と直情的なバレットは憤慨していた。
 シドもそう感じていたのだが、最近ではそうともばかり言えないという気持ちになっている。
 というのも、ティファの幼馴染が自分たちの予想していた以上に具合が悪いということがようやく分かってきたからだ。
 エアリスが患者にかかりきりになるのは前からだったが、彼女がここまで手を尽くしているというのに未だに部屋から出てこられないというのは相当なものだ。
 患者の寝泊りしている部屋の前を通りかかった際、部屋の中から呻き声や何かが床に落ちた重い音を何度聞いただろう?
 その度に、エアリスの宥める声とティファの必死に呼びかける声が部屋から洩れ聞こえた。
 苦しげに身を捩っているであろう青年と、青年に寄り添い、必死に助けようとしているエアリスとティファの姿がリアルに想像できるが故に、シドの中ではポッと現れた彼への敵愾心のようなものはだいぶ薄れている。
 もっとも、警戒心がなくなったわけではないのだが…。

「あ、ティファ」

 ナナキの声に全員が顔を向ける。
 まだ万全とは言いがたいティファが、白い顔をして店内に入ってきた。
 ティファは一瞬、自分に向けられた視線に怯んだように足を止めかけたが、
「ごめんね、夕飯、これから作るから」
 薄い笑みを貼り付けるとそそくさとカウンターへ入り、調理の準備を始めた。

「いいってば、ティファ。まだ調子悪いんでしょ?」
「大丈夫よ、ご飯作るくらい」

 腰に手を当て、溜め息を吐いたジェシーに苦笑を浮かべながら慣れた手つきで調理の準備を始める。
 ジェシーは再び溜め息を吐いて呆れたような、少し非難するような表情を浮かべるとカウンターへ入り、ティファの手から包丁を取り上げた。
 困ったように目を上げるティファに、ジェシーはジトリとした目を向ける。

「あのね、そんな青白い顔で調理なんかやめてくれる?」
「……でも」
「ご飯なら残ってるものが冷蔵庫にあるから作る必要ないし、そもそも私たち、もう飲んでるから食事は要らないの。マリンも食べたし」
 ね〜?と、窓際に座っていた少女へ小首を傾げる。
 マリンは愛くるしい顔に不安を浮かべ、それでもジェシーに向かってコックリ頷いた。
 ティファは困ったような顔をしたがそこから動こうとしなかった。
 焦れたジェシーに手を掴まれても、そこから去ることを拒むように「でも…あの…ね…」とやんわりと彼女の手を払う。

「あいつのために…か?」

 いつの間にかカウンター近くにやって来ていたエルダスにティファとジェシーはハッと顔を上げる。
 射すくめるような彼の瞳にティファはすぐ目を逸らして俯くと、
「ニブルヘイムの料理を食べたら…少しは元気になるかな…って」
 消え入りそうな声でそう言った。
 ジェシーはムッとティファを睨み、離された手をギュッと握り締めて俯く仲間へ口を開く。

「ティファ。ティファの気持ちは分からないでもないよ。死んでるのか生きてるのか分からなかった幼馴染が現れたんだから、そりゃあ、なんでもしてあげたいって気持ちになるわよね。でもね、私たちの状況も分かってる?ティファの幼馴染が現れてからもう10日。アバランチとしての活動はほとんどなんにも出来てないの。なぁんにもよ?3日に1度はやってた世界に散らばる反・神羅組織グループとの情報交換もままならないって。分かってる?私たち、このままじゃあダメになるわ。そりゃ、セブンスヘブン以外のアジトに移れば良いだけだって言うかもしれない。でも、神羅の目がますます厳しくなっていっている今の状況で、不審な動きは取れないのよ?それこそ、クラウド君?だっけ?が、神羅の刺客じゃないなんて言い切れる?今までどこでどうやって過ごしていたのか何一つ話そうとしないなんて、怪しい以外の何ものでもないじゃない」

 一気に言い放ったジェシーを、ティファは反論することも肯定することもなくただ黙って俯いていた。
 パッと見るとジェシーがティファをいじめているようにも見えるかもしれないが、しかし、彼女の言葉は全部、この場にいる者たちの不満を言い表しているものだった。
 誰一人、ジェシーを止める者もいなければ、ティファへ手を差し出す者もいない。
 いつも口やかましく賛同したり、反対したりするバレットですら黙って事の成り行きを見守っていた。
 バタンッ!とドアが開いたのはそのときだ。

「あ〜、つっかれた〜!たっだいま〜……と…」

 大きな音に驚いて振り向いた面々を尻目に、帰宅したユフィは場の異様な空気を即座に感じ取ると店内へ視線を走らせ状況をある程度把握したらしい。
 一瞬、マズイなぁ…と言わんばかりに顔を顰めたが、すぐにニヤリ、といつもの笑みを浮かべた。
 そうして、「なになに、なにしてんの〜?」わざとらしく明るい声を上げながら真っ直ぐカウンターへ向かうと、ティファに甘えた顔を向けた。

「ティファ〜、お腹空いた〜」
「あ…うん。すぐ作るね」
「へっへ〜、今日は寒かったから温かいものがいいなぁ〜。鍋とか!」
「うん、了解」
「んで、ジェシーとエルダスはなにしてたの?」

 スツールに腰を下ろし、チロリと目を向けるユフィに2人は不完全燃焼気味な表情を浮かべた。
 ジェシーは「別に…」と半ば睨むようにしてユフィを一瞥した後カウンターから出て席に戻り、ウィスキーグラスを呷り、ビッグスにおかわりを注がせている。
 だがエルダスはそのままユフィの隣に腰掛けるとカウンターの中で忙しく動き始めたティファへ目をやった。

 見慣れた光景だが、その動きがぎこちない。
 場の空気に緊張しているだけではなく、傷痕が痛むのだろう。
 そんな身体を押してまで、幼馴染に尽くそうとしている彼女へ苛立ちが募る。
 いや、彼女へ苛立ちが募るのではなく、彼女に無理をさせる存在が自分ではないということがどうしようもないほど妬ましい。
 ブスブスと胸の中を燻る黒い炎でそのうち自分の理性は全て焼き尽くされるのではないだろうか、と本気で恐怖する。
 しかし、その恐怖心までもを上回っている感情がある。
 それをエルダスは必死に抑えているのだが、いつまでもつのか自信がない。
 己の心の葛藤は、恐らく仲間全員が知っているだろうこともエルダスは知っていた。
 だからこそ、本能に身を委ねて仲間からの信頼を失いたくないと自制を働かせることが出来ている。
 いつまでこの苦行のような環境に甘んじていなければいけないのだろう?

「変わりはなかったか?」

 いつの間にかユフィとは反対隣に腰をかけていたヴィンセントにエルダスは暗い思考から意識を切り離した。
 紅玉の瞳はカウンターの木目に向けられていたが、この元・タークスの男には自分の醜い心の全部が見透かされているような気がしてなんとなく落ち着かない。

「こっちは特に何も。油田開発の方は大丈夫だったのか?」
「こちらもなにもなかったな、残念ながら」
「あ〜ただ、なんかすごくザワザワしてたよね〜」

 2人の会話にユフィが混ざる。
 両肘をカウンターに着いて顎を乗せ、「ん〜…なんだったんだろうね〜」とぼやくユフィに、ナナキがヒョコンッ、と顔を出した。
 カウンターに前足を乗せて身体を支える。

「なにかって…なに?」
「ん〜…よく分かんないんだけど、すっごくこう…空気がピリピリしてた…って言うか…」
「もうすぐ、神羅組織のトップが誕生日を迎えるからだろう」

 ヴィンセントが冷ややかに言った言葉に調理中のティファも含め全員がピタリ…と止まった。
 みなの注目を集めながら、ヴィンセントは手にしていた紙切れをピッ、と開いた。
 全員がそれに注目する。


 ―『○○月○○日、19時より我らが神羅のトップを祝おう』―

 という派手な見出しから始まるプレジデント神羅のバースデーパーティーの案内チラシだった。
 それを見た途端、バレットが奇声を上げながら義手をぶっ放そうとした。
 ビッグスとウェッジがギョッとしてそれを止めようと飛び掛り、マリンまでもが慌てて駆け寄った。
 一方、暗い目でそのチラシを睨みつけたジェシーはカウンターの中へチラリと一瞥した。
 ティファは青ざめた顔でチラシを凝視している。
 コンロの上で鍋がカタカタと湯を噴きこぼしているが、気づいていないようだ。

「ティファ、噴いてる噴いてる!」

 慌てて指摘したのはユフィだ。
 ジェシーは開こうとした口を閉ざすと溜め息をついた。

「まったく…、恋は盲目とはよく言ったもんよね。う・か・つ。でも…私たちには恋に現(うつつ)を抜かす暇なんかないのよ?」

 彼女の呟きはギャーギャーと一瞬でヒートアップしたバレットや、抑えようと躍起になる仲間によって掻き消された。


 一方。


「うるさいなぁ…何してんのかしら」

 やれやれ、と首を振りつつエアリスはドアを見た。
 クラウドのために故郷の料理を作りに行く、と言ったティファはまだ帰らない。
 十中八九、下の騒ぎに巻き込まれているのだと分かっているが、それを助けに行こうとは思わなかった。
 仲間たちの不安と不満は手に取るように分かる。
 いきなり身元不詳の人間が転がり込んできたらそれだけでも大騒ぎなのに、幼馴染なのだ、と言われた日には到底、平常心など保てない出来ないだろう。
 特に、濃い茶色の髪を持つ男にとっては。

「別に、あなたが嫌いなわけじゃないんだけどなぁ…」

 エアリスは苦笑いをしながら1人ぼやいた。

「でも…ティファのこと、大好きなんだ。あなたよりもね」

 深緑の瞳をベッドに横たわる青年へ戻す。
 この心身ともに不安定な青年で本当に大丈夫だろうか?と思わずにはいられない。
 だが、今まで己を殺していたティファがここまで盲目的になれる相手が彼なのだ、応援しないわけにはいかない。

 ここ数日の発作を思い返す。
 ザックスが言っていた通り、彼よりも酷い中毒症状だ。
 食べ物のほとんどを受け付けず、酷いときには水すら吐き出してしまう。
 普通なら、とっくに体力も尽きて危険な状態になっているだろうが、それを回避出来ているのは一重に”セトラ”の力による恩恵のお陰だ。
 ザックスが、エアリスでなければ助けられない、と言った意味が良く分かる。

「普通じゃ…無理よね」

 記憶が曖昧になってしまうほどの中毒症状。
 覚えていないのではなく、脳が記憶を呼び覚ますことを拒んでいる状態…とでも言おうか。
 過去をハッキリと”思い出”として認識しようとした途端、激しい拒否反応がクラウドを襲い、その都度青年は頭の激痛に襲われ、意識を失っている。

 その人間の根源を奪うことで人形となさしめ、都合の良い殺人兵器としてコマのように扱う。
 それが”死神”だとザックスは言っていた。
 良心の呵責など微塵も感じさせず、己の存在理由はただただ神羅のために敵を討ち、滅ぼすことのみにある、と信じ込ませる洗脳。
 洗脳はそれだけに止まらず、生命を維持させるために身体を酷使させないよう、脳がかけるブレーキを壊す。
 そうすることで、普通の人間以上の身体能力を発揮するのだ…とザックスに説明されたときの衝撃は言葉で表すことが出来ない。
 ブレーキが壊れた人間がどうなるのか考えなくても分かるし、目の前にその犠牲者が横たわっているのだ。
 神羅への怒りに駆られないはずがない。
 同時に強い不安もある。
 神羅へ残ったザックスは無事だろうか?
 自分とこの目の前の青年のために神羅を内部から揺さぶるべく、危険に身を投じている恋人を思わずにはいられない。
 手の中にある黒い携帯へ視線を落とす。
 クラウドの衣服のポケットに入っていたそれは、ザックスから彼に贈られたものだとすぐに気づいた。
 初めて店にやって来た青年を風呂に向かわせた際、抜き取ったものだ。
 時期が来るまで連絡が取れないということは事前に聞いていたので、クラウドに贈られたその携帯からも繋がらないだろうと予想している。
 だから、かけたことはなかったが幾度も誘惑に駆られたことは否めない。

「…大丈夫…だよね?ザックス…」

 両手で携帯を握り締め、目を閉じて祈るように呟く。
 それは誰に聞かせるものでもなく、思わず洩れた独り言に過ぎなかった。
 だから、「ザックスからなにか連絡は?」と不意にかけられた言葉にエアリスはビクッと目を開けた。
 ザックスと同じ瞳がジッと見つめている。
 吸い込まれそうなアイスブルーだ。
 愛しい人を髣髴とさせるその瞳に、エアリスは波立つ心臓を押し隠すようにして微笑んだ。

「キミは気にしなくて良いよ。大丈夫、ザックスはしぶといからきっと無事よ」
「……」
「あ、それよりもお腹空かない?まだ大した量じゃないけど少しずつ食べられる量も増えてきてるし、あと少し頑張ったらきっと元気になれるよ」
 今、ティファがご飯作りに行ってくれてるから、期待しててね〜。

 明るく笑いかけるとクラウドはフイ…と視線を逸らした。
 青年は少しずつ少しずつ、これまでのことを思い出すようになっていた。
 自分が故郷を飛び出してから僅か1週間で神羅の”適性検査”と言う名の下で実験されてしまったことも。
 その実験直後に故郷を強襲する部隊に組み込まれ、成す術もなく滅んでいく村を見ているだけだったことも。
 目の前で燃える生家を前に実験のせいで身体が全く動かなかったことも。
 母親がその家の中で死んでいく様を、ただただ棒立ちのまま見ているだけしか出来なかったことも。

 それらをこの10日ほどでポツポツと話してくれるようになった。
 しかし、何故かいまだにティファを思い出そうとはしていない。

 ティファと言う名前を聞いても今、こうして彼が拒否反応を示さなくなったのは喜ばしいと言えるかもしれない。
 なにしろ、これまでは彼女のことになると記憶がスッポリと抜け落ちている、というよりも身体が拒否反応を起こして嘔気、頭痛に襲われてしまうため、話しが続かなかったからだ。
 それだけ、クラウドと言う人間を形成する上でティファが大きく関わっているということなのだろうが、いつまでも自分を拒むかのようなクラウドにそれでも精一杯の愛情を注ごうとしているティファが切なくて悲しい。
 これ以上の刺激がクラウドに良い影響を与えるのかどうか分からないのでこれまで様子を見ていたのだが、このままではお互いに良い環境とは言えないばかりか、アバランチメンバーにとっても厄介以外の何ものでもないということをイヤと言うほど感じているので、もうそろそろ何かしらの変化をエアリスは求めた。
 その結果がティファに郷土料理を作ってもらうことだった。
 故郷の味に触れることで洗脳された脳がどう反応するのか…。
 もしかしたら今まで以上の拒否反応を示すのかもしれないが、もしかしたら…と期待せずにはいられない。

「なぁ…」

 顔を背けたまま、不意にクラウドが口を開いた。
 なぁに?と優しく問いかけると、エアリスとは反対の壁を見つめたまま暫しの逡巡の後、軽く息を吸い込んで口を開いた。

「あの…さ…」
「うん?」
「あの女(ひと)の…腹の傷……大丈夫なのか…?」

 横顔が微かに緊張しているのが分かる。
 強張った表情は、決して無愛想という青年本来の性分のせいだけではない。
 どれほど気にかけていたのかがその背けられた顔から窺い知れる。
 己が傷つけてしまった女。
 記憶はないはずなのに気になって仕方ない女。
 知らないはずなのに、敵のはずなのに、それなのに自分自身よりも気にかけて一生懸命尽くそうとしてくれる女。
 言葉に出来ないほどの思いがたった一言の中に詰め込まれている。
 複雑すぎるその一言にエアリスは目を見開き、そうして破顔した。
 心の中でザックスに語りかける。

 大丈夫だよ…と。
 もうすぐ、ザックスの望んだように彼は自分の足で自分の人生を自分で選んだ人と一緒に歩いていける…と。

 すぐに返事をしなかったせいで、バカな質問をした…と早くも後悔しているらしいクラウドに、エアリスは微笑んだまま口を開こうとして…。
 階下から慌しく駆け上がってくる足音に表情をスッと改めるとドアへ振り向いた。
 同時にドアがノックもなしに開けられる。
 飛び込んできたのは予想外にもユフィではなく…。

「ティファ…どうしたの…?」

 後ろ手にドアを閉めて鍵までかけたティファは、病み上がり独特の青白い顔を更に蒼白にして、肩で息をしていた。

「ティファ…?」

 ゆっくり腰を上げたエアリスにティファはよろよろと近づくと、震える手で彼女のワンピースをキュッと掴んだ。

「エアリス…」
「どうしたの、ティファ…って、なに、今度は!」

 ティファの言葉を遮るようにドアが乱暴にノックされ、ドアが大きく軋んでいる。
 クラウドも思わず首をドアへ向けた。
 乱暴に叩き、ドアを開けるように要求する声は…。

「なにちょっと、エルダス?それに…バレットっていうか、なんなの!?」

 ドアの外に集まっているらしい仲間たちにエアリスの眦が吊りあがる。
 ここには患者が寝泊りしていると知っているはずなのに、こんな大声を上げるとは…!
 しかし、諌めるべくドアへ向かおうとしたエアリスを縋るようなティファの手が邪魔をした。
 訝しげにティファを、そしてドアを見る。
 ティファがどうして鍵をかけたのか…その意味を察してエアリスは厳しい顔をした。

「…バレたの?」

 たった一言で何を指しているのかティファには分かった。
 ティファは首を横に振ったが、その表情は緊張のあまり張り詰めていた。

「クラウドが…”あれ”だってことはバレていない。でも……」
「神羅の手下じゃないかって疑われてるってこと?」
「ううん、違う。その部分も大丈夫。でも…」

 震える声でつっかえながら説明しようとするティファの声に、外からの怒鳴り声が重なった。


「エアリス!その患者野郎にはここから違うところに移ってもらう!これはリーダーである俺様の命令だ!エアリスがなんと言おうと、ティファがどう庇おうと断固決行するからな!!」


 エアリスの柳眉が危険な角度に跳ね上がった。





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