「はい、それではいったんCMに入りま〜す」

 浮かれた声音で全世界へ向けてプレジデント神羅の誕生パーティーをリポートしている女性リポーターは、CMに入った途端、作っていた満面の笑みをごっそり削げ落とした。

「あ〜……やってらんないわ」

 おおよそ、女性としてどうなのかと問われてしまいそうなオヤジ臭い台詞と声のトーンに、カメラマンが苦笑を浮かべる。

「まぁ仕方ないよな。ちゃんとしておかないと俺たちの首が飛んじゃいそうだし」
「でも、気が滅入るわ〜。このギャップ、どうにかならないわけ?」

 声を抑えてぼやくリポーターの目は、豪華絢爛な色彩に溢れているホールの壁に向けられている。
 そこには、目を見張るばかりの贅を尽くしたパーティーの只中にありながら、その華やいだ空気にはおよそ相応しくない物々しい雰囲気を醸し出す兵士たちの姿。
 陰鬱と言うよりも、人間らしさを微塵も感じさせないリアルなマネキンのような彼らの姿は、この式典に招かれている人々に無言の圧力を与えていた。
 各財界、有名人たちもにこやかに談笑し、パーティーを楽しんでいるように見えはするが、チラリチラリと兵士たちへ視線を投げたり、笑顔の合間に不安そうな顔を見せたり…と、決して心から楽しんでいるわけではないのが伺える。

「あの兵隊さんたち、本当に人間?」
「しっ。滅多なこと言うんじゃないって」

 カメラマンにたしなめられて口を閉ざしたが、リポーターは不安とも不満とも判別しがたい表情でホールの壁にずらりと並ぶ兵士たちを一瞥してから視線を腕時計に落とした。
 もうそろそろCMが終わる。
 溜め息を吐きつつ、先ほどインタビューをした兵士だけが唯一明るくて人間らしかったな…と呟いた。
 カメラマンも頷いて同意を表す。

「あの兵隊さん、あれから同僚らしい男の人に怒られてたけど、ケロッとしてたな」
「え、そうなの?」
「あぁ、なんか『調子に乗るなよ』的なことを言われてたのがチラッと聞こえた」
「…なんかすごく言われそうなキャラだったわね、彼」
「心配?」
「へ?」

 面白そうな笑みを浮かべているカメラマンをマジマジと見つめ、彼が何を言わんとしているのか察したリポーターは頬を朱に染めた。

「もう、からかってないで仕事仕事!CM、明けるわよ」

 照れ隠しに怒ってみるが、カメラマンはニヤニヤ笑いながらカメラを抱え直す。

「確かに好青年だし、中々の男前だったもんなぁ。個人契約して警護してもらったら?」
「もう!」

 ハッハッハ、と笑い声を上げ、カメラを構えた中年の男はファインダーを覗き込んで目を見張った。
 あんぐりと口を開け、驚愕するカメラマンにリポーターは訝しげな顔でその視線を追い、目を見開き思わず驚きの声を上げた。


「うそ……英雄!?」


 銀糸の髪を艶やかに背に流し、堂々たる風格で現れた長身の男。
 ホールの照明をまるで独り占めしたかのように急に彼以外の周りが色褪せ、遠くなる錯覚に陥った。
 ホール内にいた人々は、突如現れた神羅の英雄に誰しも目を見張り、一瞬、呼吸を忘れた。
 人々の注目を一身に浴びながら、セフィロスはただ真っ直ぐプレジデントへ足を向ける。
 口元には薄い笑みすら浮かべて。
 プレジデントもまた、有名人から祝辞を受けていたがニヤリと笑うと軽く腕を広げてセフィロスに歓迎の意を表した。

 突然の英雄登場にパーティー会場は騒然となった。





Fantastic story of fantasy 14






 思わず立ち上がったティファはどうして良いのか分からずそのまま立ち尽くしていた。
 まさかクラウドがトレーニングルームに来るとは夢にも思わなかった。
 彼がアバランチへ入りたいという台詞を口にしてから、何度かこの設備を利用しているのはエアリスやヴィンセントから聞いて知っていたが、まだ体調が万全ではないのですぐにベッドにとんぼ返りしている…とも聞いていた。
 それに今は、1階の店舗部分でアバランチメンバーが勢ぞろいで宿敵の誕生式典の中継を見ているのだ、体調が良くなったのなら新顔としてそちらへ顔を出すだろうと思ったのはごく自然なことではないだろうか?

 他に誰もいないトレーニングルームは、階上からのテレビの音が遠く掠れて聞こえてくるだけでシンと静まり返っている。
 互いに黙ったまま暫し見詰め合う。
 クラウドに表情はなく、怒っているのかそれともティファという1人の人間に興味がないのか判別が難しい。
 ティファは己の鼓動が彼に聞こえてしまうのではないかと言う錯覚に囚われそうになりながら、冷めた目を向けるクラウドに胸が締め付けられんばかりだった。

「あ…の……」

 口を開いてすぐ閉ざし、戸口で足を止めたままのクラウドの視線から逃げるように顔を逸らせる。

「ごめんね、私、もう出るから。ここ、気にせず好きに使って」

 しどろもどろ言いながらぎこちなく足を動かす。
 自分がここにいたらクラウドはトレーニングが出来ないと思ったこともあるが、それ以上に未だ自分を認めてくれていないという意思表示を『トレーニングルームから出る』という行動で現されたくなかった。
 これ以上の拒絶は……耐えられない。
 だから、クラウドが部屋を出て行かないうちに自分の方から去ろうと戸口へ足早に向かう。
 出入り口はたった1つ。
 クラウドが立っている戸口だけ。

 距離が縮まり、互いの間が僅か数歩となり、身体が触れ合いそうにな距離となってクラウドの脇を通り過ぎる。
 それは数回の瞬きほどの時間でしかなかったが、ティファは緊張のあまり膝から力が抜けてしまわんばかりだった。
 なるべく表情を冷静に保とうとするものの、心中は当然穏やかではない。
 少しでも自分に興味を示して欲しいと強く願う己と、いい加減諦めろ、と自身に対して呆れ返る己が激しくせめぎ合う。
 僅か数秒の葛藤は、クラウドの脇を通り過ぎたときにピークを迎え、通り過ぎた直後に彼女の中で小さく破裂した。


「待ってくれ」


 一瞬。
 どうして身体が後方へ引っ張られたのか理解出来なかった。
 肘を掴まれて引き止められた直後、心臓は間違いなくその鼓動を止めた。
 勢いよく振り返ったはずなのに周りの全部がスローモーションに視界を過ぎり、クラウドの真剣な顔で止まった。
 直後。
 心臓がバクバクと息を吹き返し、勢い良く全身にくまなく血を送り出す。
 顔にカーッと血が上り、頬が上気するのが分かった。
 目の奥が熱くなって潤み、唇が戦慄く(わななく)。
 喉の奥がひくつき、喘ぎながら微かな吐息を繰り返すので精一杯だ。

 クラウドは、ティファのその様子を『怯えている』と勘違いしたらしい。
「あ…す、まない。別にその、酷いことをするつもりはないんだ、全然。ただ…その……なんて言うか、今までその…あまりにもアレだったから…」
 パッと手を離し、彼にしては珍しくどもりながら早口でまくし立てる。
 しかしそんなことはどうでも良かった。
 やっと彼の方から声をかけてくれたのだから。
 それなのに、ティファは足が床に縫い付けられたように硬直したまま一言も話せない。
 大きく目を見開いたまま固まっていると、クラウドは益々うろたえた。
 頭を掻き、小さい動作でそわそわと手足を動かしながら視線を泳がせる。
 やがて、己の中で蹴りをつけたのかグッと顎を引いてティファを見た。

「その…ごめん」

 目を伏せるようにして小さく小さく頭を下げる。
 ティファの鳶色の瞳が最大限に見開かれた。
 クラウドはそれを上目遣いに見ながら、バツの悪そうな顔になった。

「正直……あんたのことはまだ思い出せない。でも…」

 1度口を噤(つぐ)んでから思い切ったように顔を上げる。

「あんた…本当にニブルヘイム出身なんだよな?」

 ティファの反応を1つも見過ごさないような探る瞳の奥底に、縋るような色が見えた。
 自分を取り戻すために、手に出来るものを失ってしまわないよう一生懸命になっているようにも見える。
 それに気づいたティファは息を呑んで小さく数回頷いた。
 ようやっと、彼が自分を信じようと一歩踏み出してくれたことが嬉しくて、たった今まで感じていた鬱々とした気持ちが吹き飛ぶ。
 それなのに、溢れんばかりの想いが逆に声を奪ってしまった。
 声帯が麻痺してしまったかのようにクラウドへ話したい言葉の数々が喉の奥で固まって出てくれない。
 逆に心臓は元気すぎるほど元気で、これ以上早く刻むことが出来ないほど鼓動を叩くので頭がくらくらしてきた。
 クラウドはすっかり緊張しているティファに途方に暮れたような顔をしながら、話を続けることにしたようだ。

「その…あんたが作ってくれた料理がさ…、懐かしい味がしたから」

 ティファの視線からフイッと目を逸らせて白状するクラウドに、どうしようもなく涙腺が緩んでしまう。
 もしかしたら食べずに捨てているのかもしれないとすら思えるほど、クラウドはティファに対して無関心の態度を取っていた。
 だから、ちゃんと食べてくれていたことに胸が締め付けられるほどの想いで一杯になりながら、ゆらゆら揺れる視界に慌てて瞬きで涙を散らす。
 口を開くが、胸にこみ上げるこの気持ちをなんと言えば良いのか分からず、大きく呼吸することで終わるがそれもまた、嗚咽を含みそうになって中途半端な深呼吸にしかならなかった。
 こみ上げる感情を持て余すティファに、クラウドもまた微かに眉を下げて困ったような表情を浮かべるばかり…。
 それきり、彼も黙ってしまったため沈黙が流れ、なんとも言えない微妙な緊張感を孕む結果となった。
 だが、ティファにとってこの緊張感は決して不快ではなかった。
 むしろ、もっとずっと続けばいいとすら思っていた。
 そうしたらずっとこのまま、アイスブルーの瞳には自分しか映らない。

 深緑の瞳を持つ彼女の姿ではなく自分しか…。

 自分の辿り着いた思考にギクリとする。
 フワフワするほどの幸福感はあっという間にしぼみ、自己嫌悪の沼に引きずり込まれた。

 最低だ、と哂わざるをえない。
 親友がアバランチメンバーに真っ向から対立までして献身的にクラウドを助けようとしてくれたのは、彼女の真心からもあるがクラウドが彼女の恋人の親友でもあるからということとは他に、自分のためでもあることをティファは知っていた。

 寝食を共にするようになって約5年。
 その間、辛いことも苦しいことも沢山あった。
 過去を振り返り、何度か彼女の前で泣いては慰められた。
 その中で、クラウドとの思い出の全てを彼女にだけは打ち明けていた。
 だから、エアリスはクラウドがその思い出の中の少年だとすぐに気づいたのだ。

『ティファの言っていた幼馴染の男の子って、この人なんだね』

 クラウドがセブンスヘブンに転がり込んでティファと再会したあの後。
 突然意識を失ってしまった彼をベッドに横たえ、その寝顔を見つめているときにかけられた言葉。
 クラウドの端正な顔から目を離すことなく黙って頷いた自分をエアリスは背中から声をかけることなく抱きしめてくれた。
 あの時の温もりを忘れることは出来ない。
 ただ黙って寄り添ってくれる人の存在がこんなにも心震わせ、支えてくれるのだとティファは初めて知った気がした。
 それなのに醜い嫉妬に胸を痛めるとは自分勝手にもほどがある。

 自分だって、エルダスを酷く傷つけていたくせに。

 そう思うくせにそれでも心がどうしても言うことを聞いてくれない。
 彼の目に映るのが自分だけである”今と言う時間”をもう少しだけ…。

 しかし、そんなささやかな望みすらティファには許されていないかのように、トレーニングルームへ第三者が現れた。


 *


 トレーニングルームにいるのがティファ1人だと分かったから思い切って会いに来たというのに、折角のチャンスを潰されたことと、潰した相手がここ数日、ティファの気持ちをかき乱している男であることにクラウドの胸に不快感がジワリジワリと脂のように広がった。
 自分を睨むように一瞥した長身の男へのせめてもの意地で、絶対に不快感が顔に出ないよう無表情を保つ。
 エルダスはビクリと振り返ったティファに傷ついたように顔を歪めたが、瞬きほどの一瞬ですぐ平静を取り繕った。

「ティファ。すぐに1階へ戻ってくれ」

 戸惑った仕草でティファが男を見上げる横顔からはここ数日、ずっと感じているぎこちない空気が見え隠れしている。
 男もそれを察しているようだが、あえて気づかないフリをしているのか、言葉を続けた。

「プレジデント神羅の祝いの式典に”英雄”が現れた」

 え…?と小さくティファが息を呑み、クラウドもまた驚いて意地や居心地の悪さが吹き飛び、まじまじとエルダスを見た。
 自分を無視し続ける男に思わず詰め寄ろうとしてしまう。
 だが突然、弾かれたようにティファが駆け出した。
 エルダスにとっても予想外だったのだろう、中途半端に伸ばした手をそのままに声をかけることも出来ず、とうとうその背が見えなくなるまで立ち尽くした。

 階上へ耳を澄ますと、確かにテレビリポーターが興奮気味にセフィロスの名前を伝えているのが聞こえる。
 同時に、1階でテレビを見ているアバランチメンバーの驚き、ざわついた声にティファが駆けつけようとしている足音が混じった。

 そこまで頭の中で認知しながら、自分を敵視している男と2人きりになってしまったという不運に思わず溜め息を吐きそうになる。
 エルダスがゆっくりとクラウドへ向き直ったのはそのときだ。
 ギラギラ光るトパーズの瞳には明らかな憎悪と殺意が込められていた。
 それを目の当たりにした途端、スーッ…と心の中からあらゆるものが消えていく。
 ティファへの複雑な思いとか、自分を敵視している男と2人きりにされてしまったという不運を呪う気持ちといった”人間らしい感情”の一切が沈黙した。
 そうして、心が冷え切ったクラウドは霜の降りた瞳で憎悪に彩られた人を身を真正面から見つめ返す。
 エルダスは眉間に刻み込んだシワをより一層濃く刻んだ。

「お前は……ティファにとって唯一の同郷の人間なのかもしれない。だが…」

 言葉を切ったのは高ぶりすぎた感情を押さえつけるためだったのか、それとも激する心のせいで言葉が続かなくなったのか、その両方か…。
 クラウドは黙ってアイスブルーの瞳を向けたまま男を見る。
 男は苛立ちも露わに顎を引いた。

「お前は…ティファに相応しくない。ティファは幸せになるべきだ」

 ティファへのストレートな想いが不快に鼓膜を叩く。
 しかし、それすらも”人間らしい感情の一切が沈黙した状態”のクラウドにはどうでも良いこととしてすぐ処理された。
 だから、蔑み以外のなにものでもない気持ちから目を眇め、クラウドは口を開く。

「…あの女が幸せになるのかなれないのかは、俺が関わることくらいで左右されるのか?お前が関わるよりも?」
「なに!?」
「俺にはあの女の記憶がない。あの女が勝手に同郷の人間と言っているだけだ。それよりも、あの女にとって故郷を失った日から今日までの時間こそが濃かったはず。その時間を共に過ごしたお前よりも、一緒に過ごしたことを覚えていない俺の方があの女への影響力がある…と、お前はそう言うのか?」
「な…!」
「お前、自分が相手にされてないからって、俺に八つ当たりはやめてくれ、迷惑だ」
「このっ!!」

 怒りのために絶句し、真っ赤になったエルダスを心の中で嘲笑する。
 こんな安い挑発に気色ばんでしまうほど己をコントロール出来ないとは、とんだド素人だ、と思わずにはいられない。
 戦場において、心の乱れはそのまま生死に直結してしまう。
 これくらいのことで動じるようなら、所詮その程度の人間でしかないということだ、取るに足らない存在として処理する以外にどうしろと?
 拳を握りしめたのが視界の端に映ったが、一発くらいは殴られてもいい、と思ったため身じろぎ1つすらせず、そのときを待つ。

 だが、そのときを待っていたはずなのにクラウドの聴覚はエルダスの歯軋りよりも、もっと遠く、微かな音を拾い上げた。


 ―『ダメだってば!』『ティファ!』―


 若い女や野太い男の声が一番強く耳を打った。
 焦った声と重なるようにドアが乱暴に開く音、遠ざかる足音…。
 それらが何を示すものなのか考えるまでもない。
 心臓が凍りつきそうな恐怖に襲われ、血の気が一気に引く。
 その恐怖に突き動かされ、頭で考えるよりも身体が勝手に動いていた。
 エルダスの呆気に取られた顔などこれっぽっちも目に入らないまま猛然と駆け出すと、クラウドは階段を二段飛ばしに駆け上がって1階店舗部分に飛び込んだ。
 既にティファを追って飛び出したメンバーもいるようだが、大半のメンバーは今まさに追いかけんとしているところだった。
 駆け込んだクラウドに驚いて振り返るその面々に構わずドアへ突進する。
 慌てて飛び退るメンバーの中に、焦燥感に駆られて顔を引き攣らせたエアリスもいた気がするが、それも定かではない。
 ましてや、スラム特有の陰鬱な空気が全身に纏わりつくような奇妙な感覚を味わう余裕などあろうはずもない。
 飛び出した勢いをそのままにティファの消えた方へ迷いなど一切なく足を動かし全身で風を切る。


「クラウド、ティファをお願い!!」


 エアリスの声が背中を追いかけて……消えた。


 *


 エルダスがようやく1階へ戻ったのはクラウドがセブンスヘブンを飛び出し、路地を曲がって見えなくなってからだった。
 人形のように能面だったクラウドが、突然、目を見開き息を呑んでその表情を豹変させた様(さま)に驚き、虚を衝かれてしまった。
 その僅かな間に、前触れなくいきなり猛然と走り去られたら呆気にも取られるし、正直、あの豹変具合にはゾッとさせられても仕方ないと思う。
 霜の降りた瞳を真っ向から向けたあの顔も落ち着かない気持ちにさせられたが、『なにもないのに』1人で勝手に『何か』に驚愕したかのような、あの変わりよう…。
 まともな人間じゃないな…と再確認した気分だ。

 やはり…ティファには相応しくない。

 勿論、嫉妬していると認めよう。
 妬ましくて仕方ないし、消えて欲しいと思っている。
 だが、それらの感情を抜きにして冷静に判断してみても、同じ結論に至るだろう、とエルダスは確信していた。
 ティファの真心込めた看病に対し、あの男はどこまでも頑なに彼女を拒んでいるかのような態度を取っている。
 そんな男と一緒にいたとして、ティファにとってなにかプラスになるとは思えないし、正直、あの男は過去を思い出すことから逃げているようにしか見えない。
 もしも本当に過去を思い出したいと思っているなら、その手助けになり得る一番有力な人物を遠ざけるはずがないではないか。
 恐らく過去を失ったまま、これから先の人生を生きるつもりなのだろう。

 ティファの願いを無視するかたちで。

 ティファの望みは、過去を共有してくれること。
 自分との関係を思い出し、思い出を語り合い、そうして心通わせることだ。
 しかし、あの男はそれを叶えるつもりはない。
 ならば、いつまでもあの男に縛られたような今の状況をなんとか打破させてやらなければ、ティファは前に進めない。
 過去、というよりもクラウド・ストライフという男に縛り付けられて身動きが取れないままでは時間を浪費しているも同然だ。
 それになにより、ティファを傷つけた憎むべき敵だとしか思えないエルダスにとって、クラウドがアバランチのメンバーとして他のメンバーに受け入れられていると言う今の状況も許しがたかった。
 ティファ自身が許しているとしても、自分は絶対に許せない、とエルダスは心の中で憎しみを滾らせる。
 グッと左手を拳に握り、思い切り壁に叩きつけてから階上へと戻った彼の腕は、もう三角巾で吊ってはいなかった。
 クラウドが死神だと告白したあの瞬間から擬似痛が消えてなくなったのだ。
 何度もエアリスに癒しを求め、その度に一時的な効果しか得られなかったというのに、皮肉にもショック療法となったわけだ。
 ティファに拒絶されたあのときよりも少し早くに擬似痛が取れたと言うことになるが、あの時はいっぱいいっぱいだったので彼女を両腕で思い切り抱きしめることが出来たことに気づいたのはティファが走り去って暫くしてからだ。

 三角巾が取れたことをティファは気づいてくれているだろうか?

 あの日…。
 どうしようもない憤りに駆られ、狂わんばかりになりながらセブンスヘブンを飛び出したあの日。
 追いかけてきてくれたティファに抑えがたい想いを吐露し、抱きしめてしまったあのときから、彼女は自分を避けている。
 避けられても仕方ないと分かってはいても、胸を焼き尽くさんばかりの焦燥感と嫉妬、喪失感と憎悪、それらの負の感情でごちゃごちゃになりながら、それでも心はティファを求めて止まらない。

 俺が……ティファを幸せにしてやりたいのに…。

 その願いをどうしても捨てきれない…。

 悶々としながら1階へ戻る間、エルダスはテレビを食い入るようにして見つめているはずのティファをどうやって慰めようかと考えていた。
 ここ数日の避けられている日々を思うと慰めの言葉をかけることすら躊躇われ、胸が軋む。
 しかし、故郷を滅ぼした英雄の姿を前にティファは強い悲しみと怒りに支配されているはずなのだ、なにか声をかけてやりたい。
 それに故郷を滅ぼした憎むべき敵である英雄の姿を見るということは、彼女を本来の目的に立ち返らせてくれるきっかけの1つとなるはずだ。
 そのきっかけを後押し出来るような言葉を彼女に与えてやりたい。
 そしてそれが出来るのは、アバランチとして共に戦い、傷つき、励まし合ってきた自分とメンバーたちだけだ。
 決してあの男ではない。
 もしかしたら、英雄の姿を見て逆上し、店を飛び出そうとするかもしれないが、その点は心配していなかった。
 何しろ店内には仲間たちがいる。
 ティファが怒りに我を忘れ、飛び出そうとしても仲間たちが止めてくれるだろう。
 いくらティファが格闘家として素晴らしい腕を持っていたとしても、玄人の集まりであるアバランチメンバーを振り切って暴走するのは不可能だ。

 だが、そう確信して1階へ戻ったエルダスが見たのは、店内のテレビがやかましくプレジデント神羅と神羅グループの力の象徴でもある英雄を報じている音に混じって仲間たちの騒然とした様子。
 サッと店内を見渡し、いるはずの姿が見当たらないことにハッとすると同時に、クラウドが突然走り去った理由を悟る。

 まさか…という信じ難い思いが最初に脳裏を過ぎった。
 地下のトレーニングルームは、店を営業しているときでもバレないように防音が施されている。
 勿論、貧乏組織なので完璧な防音とは言い難い。
 実際、トレーニングルームへ続く廊下に降りたとき、テレビの音が微かに聞こえていた。
 しかしなにか騒ぎが起きたとしてもかなり大声で喚き散らさなければ騒ぎには気づけないだろう。
 それなのに、あの男はティファが飛び出したことを瞬時で察知し、追いかけたのだ。

 一言で言うならば、有りえないことだ。
 人間の聴覚でそれを聞き取ることなど出来ようはずもない。
 しかし出来たのだ、あの男は。
 そして……飛び出したティファを追いかけた。

 愕然とするエルダスに、シドがようやく気がついて小走りに駆け寄った。

「ティファの奴が飛び出しちまったんだ」
「おいらも追いかけようとしたんだけどね。クラウドが物凄い勢いで追いかけてったし、オイラじゃあお祭り騒ぎにミッドガルへ集まった人たちを攻撃しないようにって気を使いながらじゃあ追いつけないから…。そんな手加減した状態で町に飛び出したら逆に踏み潰されちゃう…」

 いつの間にやって来ていたのか、ナナキがしょんぼりとしている。
 ジェシー、ウェッジ、ビッグスもまた、不安そうに顔を見合わせてドアとテレビ画面を見つめていた。

「エアリス、本当にクラウドで大丈夫か?」
「大丈夫だよ…多分」
「だがよぉ、クラウドはまだその、人体実験の後遺症が抜け切れてないんだろ?」
「ええ…まだね。でも、クラウド以外で飛び出したティファを追いかけることは出来ないでしょ?ティファがどっちに走っていったのか分からないんだもの」

 開けっ放しのドアからエアリスとバレットが戻ってきた。
 不安そうにしているバレットに対し、エアリスもまた、いつものような明るさはなりを潜めてその表情は曇っている。

「クラウドならティファを追える…と?」
「えぇ。クラウドしか追えないよ」

 戻ったばかりのヴィンセントがまるでそれまで話を聞いていたかのようにエアリスに問いかけ、彼女も至極自然に頷いた。
 それをどこか遠い世界の出来事のように呆然と見ていたエルダスは、自分の認識の甘さと仲間たちがクラウドを受け入れている様子を改めて見せ付けられたような疎外感と喪失感に襲われ、人知れず拳を握り締めた。






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