3回コール音が鳴ったところで手を伸ばし、受話器を取る。
 部下からの報告に神羅の次期社長は短く「わかった」とだけ告げるとさっさと電話を切った。
 そうして、革張りの椅子の上で面白くなさそうな顔をすると先ほどから目の前に立っている部下へ視線を向けた。

「父の帰社は夜になるそうだ」
「そうですか」
「あれでこの巨大グループの社長とはな…、笑わせる」

 辛らつな台詞だけではなく本当に嘲笑をひらめかせるとルーファウスはデスクに両肘を突き、組んだ手の上に顎を乗せた。
 今朝起きた神羅ビルの一室で起きた”爆発事故”。
 緊急招集会議を開いておきながら真っ先に避難したプレジデントは一先ずコスタで完全な安全を見極めてから帰社すると息子である次期社長、ルーファウスに言い残していた。
 その結果の報告だ。
 ルーファウスの碧い瞳に侮蔑の色が濃く浮かぶ。

「このままでは神羅は近い将来、歴史上最も栄華を極め、そうしても最も愚かな巨大組織としての名を刻み込むことになる」

 実父への嘲笑から一変、鋭いほどの真剣な表情にツォンはただ黙って両手を後ろに組んだ状態で指示を待った。
 ルーファウスの憂慮していることはまさに的を射た神羅の実情だ。
 確かに神羅グループはこの星の歴史を紐解いても右に並ぶものはないほどの力を星の隅々にまで伸ばしている。
 しかしその一方で力に溺れ、思い上がった存在に成り果てていた。
 星の生命力を吸い取るという暴挙に出ていることが何よりの証と言える。
 それだけでもこの星に生きる価値などないに等しいというのに、神羅の暴挙はそれだけではなかった。
 それは、神羅グループに属す幹部クラスでも極々一部の人間しか知らない闇の産物の存在だ。
 ルーファウス自身、その存在がどういうものなのかを正確に知ったのはつい数年前のことだ。
 それを知った時、ルーファウスは激しい嫌悪感と恐怖を覚えた。
 今でもその当時のことを思い出すと身の毛がよだつ思いがする。
 そうしてとうとう、”それ”が神羅へ牙を剥いた。
 神羅を存続させるためには一刻の猶予もない。

「グリモア博士をスカーレットと宝条の策略から救えなかったのは神羅にとって最大の損失だ」

 思わずこぼれた苦い思い。
 直立不動の姿勢を保ったまま、ツォンは上司がなにを思い出しているのかを正確に理解していた。
 そうしてツォンの思いはルーファウスよりも少し深いところにまで向かう。
 父親の死の真相を暴くために離反した息子、ヴィンセント・バレンタイン。
 タークス発足後、並ぶものはないと称されるほどの凄腕。
 ツォンにとって先輩であり、上司であり、数少ない尊敬出来る人間。
 父親がいるがゆえに神羅への反旗の思いを抱えながら懸命に耐えていた意志の強い紅玉の瞳を思い出す。
 彼と敵同士になってしまったわけだが、それでも今もなお、敬愛の念は消えることなく胸の奥底に鎮座している。
 そうして無意識に部下達への接し方、配慮をするとき、ヴィンセントを思い起こしている自分が居ることにツォンは時々そっと苦笑していた。

「ツォン」

 ルーファウスの声に己の思考を切り離す。

「今、問題を起こすわけには行かない」
「はい」
「しかし、あまり悠長に構えている時間もない」
「はい」

「父には…引退してもらう」

 はっきりと言い切ったルーファウスにツォンはただ「はい」と頷いた。
 たった今、次期社長が社長を押しのけトップに立つと宣言したのだ。
 言わばそれはクーデターをも意味する言葉。

 悠長に構える時間はなく問題を起こすわけにもいかない状況で神羅の現トップに引退を迫る。

 それは穏便にプレジデントを引退させると言う決意表明。
 問題を起こしても構わない、とするならば、さぞ血なまぐさいことになっただろう。

「恐らく父は駄々をこねるだろう」
「そうですね。それに、幹部の方々にも反発の声が上がると思われます」

 初めて意見を口にしたツォンにルーファウスは唇の端を持ち上げた。

「そのときのための…お前たちだ」
「はい」
「まずは最近特に奇行に走っているあの女と、セフィロスの生みの親の行動を探れ」

 ツォンは次期社長の双眸に宿った確固たる意思を認めると、静かに頭を下げた。





Fantastic story of fantasy 23






 ティファは甚だ不本意な状況にあった。
 敵の本拠地であるその一室にて息を殺しているのだ。
 勿論、息を殺して身を潜めていることに不本意なのではない。
 敵の本拠地にいるのだからこれくらいは当然の範疇と言える。
 ただ、その態勢が不本意極まりないのだ。

「頼むからもう少しだけ静かにしていてくれ」

 耳元に寄せられた唇が懇願するような声音で囁きかける。
 声を抑えないとドアの外をうろついている敵に聞かれてしまうのでどうしても囁き声にしかならないのだが、分かっていても吐息交じりの声はどうにも背筋がぞわぞわとしてしまってしょうがない。

 それにしても一体どうしたらこんな態勢になるというのか…。

 釈然としないまま、ティファは自分の状況を改めて振り返る。
 背後から伸びたたくましい腕が腹と肩口へ回り、口は大きな手で塞がれているとあってはどう考えてもピンチ以外の何者でもない。
 おまけに自分を羽交い絞めにしている男は敵なのだ、まさに大ピンチだ。
 それなのに、羽交い絞めにしているその腕が自分を守るように回されていると感じてしまうのは何故だろう?

 最初、驚き混乱したティファが渾身の力を込めて振りほどこうとしたがびくともしなかった鋼のような腕の持ち主は、信じられないスピードと身のこなしで軽々とティファを空き部屋へ連れ込んだ。
 薄暗い部屋の内部が視界の端にチラリと映ったのだが、小さなチェストにポールハンガー、そしてベッドがあったのだけは確認出来た。
 だからこそ、『貞操の危機!?』と心の底から青ざめたティファに、だが男は息を潜めて静かにするよう言っただけだった。
 そしてその声が居丈高とはほど遠い縋るような声音であったことに驚かずにはいられなかった。
 そうして驚いたことで抗う力が自然と抜けたティファに安堵したのか、男はホッと息を吐くとドアの外へ鋭い視線を投げた。
 真剣なその表情に釣られるようにしてドア向こうへ意識が向き、ティファは近づいてくるのは複数の人間の足音にようやっと気がついた。

 そうして今に至るわけだがしつこくドアの外では複数の人間がウロウロしている気配が漂っている。
 苛立ちながらもティファに出来ることはジッと息を潜め、男に背中を預けるような態勢で気配が消えるのを待つだけだ。

(しつこいなぁ、いい加減、どっか行ってよ…!)

 イライラと……、というよりも焦りの方こそがより強く差し迫っている。
 敵に見つかるかもしれないという緊張感よりもむしろ背中に押し付けられた男の身体がダイレクトに伝わってくる感触に気がとられてどうしようもなくざわついてしまう。
 気持ちが暴れ出さずに済んでいるのは、ドアの外をうろついている敵の気配に自分を拘束している男が心底困ったような様子だったことや、未だに認めたくはないが回されている腕や触れる身体が何故か気持ち悪くなかったからだ。
 それを不思議に思いつつ、ある可能性が頭の片隅で閃いたのはようやくドアの向こうの気配が薄くなったときだった。


「ふぅ…ようやっと行ったな」


 心底ホッとしたように息を吐き出した男がそっとティファから腕を離した。
 急速に冷える身体にどれだけ長い間、密着状態だったかを思い知らされるようでティファはバツが悪い思いを味わいながらそっと男に向き直る。

 クラウドよりも少し体格がいいかも知れない。
 漆黒の髪は薄暗い部屋にまるで溶け込むようだが、わずかにツンツンとしている輪郭が見える。
 整った顔立ちなのだがどこか人懐っこさを感じさせるのは男が先ほどから放つ雰囲気のせいかもしれない。
 薄暗がりの中でも鮮やかに浮かび上がるアイスブルーの瞳はまさにクラウドと同じ色合いを帯び、微かに不安げな様子でジッとティファを見つめていた。

 可能性が確信へと変わる。

「あなた…ザックス…?」
「お?俺のこと知ってる?」

 パッと顔を輝かせた男にティファは胸の中にスーッと温もりが注がれたような気がした。
 思わず頬が緩み、気持ちが明るくなる。
 しかし、エアリスから聞いて知っていることを告げたティファに身を乗り出し、「エアリス!無事なのかアイツ」と安否を問うた真剣な眼差しに明るくなった心は途端に曇った。
 どれほどエアリスを想っているかを物語るその姿に、一瞬とは言え仲間のことを忘れていたことへの申し訳なさと、自分と『彼』とを重ねてしまわずにはいられない。

「…ごめんなさい、分からないの…」
「あ…そうか、うん。そうだな、アンタだって大変な目に遭ってるわけだし、知らなくても不思議じゃない…ってかむしろ当然だった」

 俯き顔を曇らせるティファにザックスは慌てた。

「いや、良く考えたら…って考えなくても、エアリスがそうそう簡単にやられるわけないしな。アイツにはそれこそ星の加護があるわけだし。まぁ加護なんかなくったってアイツなら『ぜ〜〜ったいにイヤ!』とか言って、迎えに来た死神をすごい勢いで追い返すくらいはしてのけるだろうしなぁ。うん、そうに違いない」
 だから、心配しないで信じてイイぜ?

 エアリスの安否が分からず落胆したはずなのにそれをおくびにも出さず、逆におどけてティファを励まそうとするザックスに笑いを誘われる。
 暫く会えていないことを考えると、ザックスの方こそティファよりもエアリスを案じ、少しでも情報が欲しいという気持ちは強いはず。
 なのに、励まされるよりもむしろ励ます側へと実に自然な立ち居地を取った男にティファはくすくす笑いながら納得した。

 なるほど、あのしっかり者のエアリスが心許し、ただ1人の男性として想いを寄せる相手足りえる人だ…と。

 この2人が揃えば笑顔と笑い声が花開き、周りの人に明るい気持ちを注ぐことだろう。
 まさに似合いの2人だ。
 見てみたい、と思う。
 2人が並んで笑い合っている姿を。


 クラウドと一緒に。


「ところで、どうしてここにいるんだ?って聞きたいけど、その前にまず聞かせてくれないか?」

 おどけた表情を引っ込め、真面目な顔をしたザックスにティファは気を引き締める。
 和みかけたがここは敵の真っ只中だ、気の緩みは即、身の危険に取って代わる。
 先ほど、怪しげな注射をされそうになったことを思い出し、背筋に冷たいものが走った。
 思わずブルリと震えそうになるのをグッと堪え、真剣な眼差しのザックスを真正面から見つめ返す。

「ええ、なに?」
「アンタの名前、ティなんとかって言う?」
「え?」

 予想外の質問に思わず目が丸くなる。
 しかし、質問をした男はどこまでも真剣だ。
 不思議に思いながも、そう言えばまだ自分は名乗っていなかったのだ…と小さく頷く。

「ティファって言うの。さっきは助けてくれてありが」「ティファ!?」

 感謝の言葉はしかし、ザックスの驚きの声によってかき消され、その大声にティファはビクッ、と身を震わせた。
 咄嗟に男の口元を手で押さえ、「あいつらが戻ってきたらどうするの!?」と小さな声で詰りながら眉を吊り上げた。
 しかし、怒られた当の本人は全く意に介した様子がない。
 興奮気味に目を輝かせ、口元を押さえてくるティファの手を強く握り剥がすとズイッと顔を寄せた。

「本当に!?アンタ、ティファってのか!?」
「ちょ、ちょっと本当にお願いだから静かに」
「四葉のクローバーの!?」



 ドクリ。



 心臓が大きく跳ね上がる。
 言葉を失い、目を見開いて息を呑むティファに、ザックスはパーッと顔を輝かせた。

「そうかそうか!アンタがクラウドの幸福の象徴か〜!」
「あ…の…ちょっと待って」

 驚き固まるティファを置き去りにするかのようにザックスは1人で興奮しきりに何度も頷いていたが、急速に干上がる口腔から掠れる声を上げたティファにハタ、と目をやり苦笑した。

「悪い悪い、やっとアイツの言ってた四葉のクローバーのお姫様に会えたって思ったら興奮しちまった」

 そう前置きをしてから改めてティファに向き直る。
 ザックスはしみじみといった言葉がしっくりくる感慨深げな眼差しで見つめると、優しげに微笑んだ。

「この5年、アイツに何が起こったのかじっくり話してやりたいし、その間、アンタがどれだけアイツの支えになっていたのか聞かせてやりたい。でも、残念だけど今は時間がないな」

 心底残念そうに呟き、ザックスはそっと立ち上がる。
 しかしティファは呆けたように立ち上がったザックスを見上げるだけで座り込んだまま、たった今、聞いた言葉に衝撃を受けていた。

『どれだけアイツの支えになっていたのか』

 そんなこと…あるだろうか?
 自分にとってのこの5年の間、クラウドこそが闇に完全に飲み込まれないための支えになってくれていた。
 同じように、クラウドにとっても自分は支えたるべき存在だっただろうか?。

 穏やかな面持ちを厳しい『戦士』のそれへと変えるザックスを見つめ答えを探すも、とうとう確かな後押しとしての明確な答えは与えられなかった。

 ドアの外がまたもや慌しい。
 ザックスは背中に負った巨大な剣を抜くと一振りし、目の前に掲げながら口を開いた。

「俺が今からあいつらの注意を逸らす。アンタは気配が完全に消えてからここを出るんだ。丁度ここは13階だからな。南に…て建物の中にいたら方角判んないよな。えっと、この部屋を出てとりあえず右手に真っ直ぐ行くと突き当たるからそこから更に13の部屋を通り過ぎた先にエレベーターがある。そのエレベーターの右手奥に非常階段があるからそこから外に出るんだ。いいな?」

 剣からティファへと流された碧い瞳はどこまでも優しく、夏の抜けるような青空を髣髴とさせた。
 どこぞの英雄とは大違いだ。

 頷いたティファにザックスはニカッ、と笑うと剣を再び背に負う。
 手を差し出し、ティファを立たせると軽く首を傾げて目を細めた。

「それにしても」
「え?」
「アイツ、やっぱり面食いなんじゃねぇか」
「は?」
「なぁにが『俺は人間の善し悪しを見た目で決め付けたりしない。アンタと一緒にしないでくれ』だ、カッコつけてさ〜」

 腕を組んで頭をふりふり、実に嘆かわしいと言わんばかりの仕草にティファは目を丸くするしかない。

「ま。なにはともあれアイツのお姫様を助けることが出来て良かったよ。俺も後から非常階段に向かうからさ。なんとかそこまでは無事に逃げてくれ。まぁ、もしもダメになりそうだったら作戦中断してアンタのこと助けに行くから安心してくれ」
「……作戦?」
「そ。とりあえず、まだ俺は神羅の兵士で”死神”で神羅の仲間なんだ〜…ってフリをしようかと思ってね。そうしとかないと、神羅の中でチャンスを狙っている仲間たちをこれから先、守ることが難しくなるからさ」

 ティファは驚いた。
 そうして今度こそ、この目の前の男、ザックス・フェアがエアリス・ゲインズブールの大切な人なのだという確固たるものを感じることが出来た。

 神羅に狙われているエアリス。
 そのエアリスの恋人が未だに神羅に属している事実。
 彼女がいくら『信じてるから』『彼は私も私の仲間も裏切ることは絶対にない』と全幅の信頼を寄せている姿を見ても尚、心の奥底の方で深く引っかかっていた。
 しかしようやくその疑問が解けた。
 神羅に残るのは神羅に反対する神羅の人間を守るため。
 それは言わば、神羅を内部から崩すための大きな力となる可能性を秘めている。
 エアリスがそこまで説明しなかったのは、恐らくプロドシアのように裏切り者が常に目を光らせているのを知っていたからだろう。

 ほんの数十分だけしかザックスと言う男と触れ合っていないが、それでもこの男がどれほど神羅からはほど遠い人間なのかと言うことを知るには十分だ。

 それにしても、神羅内部にも”反・神羅派”の人間がいるとは嬉しい驚きだ。
 早く無事に仲間の元へ戻り、この吉報を報せてやりたい。
 翡翠の瞳を持つ大事な仲間の喜ぶであろう顔を想像し、ティファの胸は明るい気持ちで大きく膨らんだ。

「さ。それじゃそろそろ行くぜ?」
「うん!あ…」
「どうした?」

 ティファが何かを見つけたと思ったのか、ザックスの顔に少し緊張が走る。
 しかしティファの瞳はザックスへと向けられていた。

「ありがとう」

 目を丸くする男にティファは照れくさそうに笑った。

「助けてくれたのにお礼、まだだったから」

 呆気に取られ、呆けたのはほんの短い間だった。
 しかしそれでも記憶に刻むには十分で、ティファはそんなザックスの表情にくすぐったさとエアリスへの土産話がもう1つ出来たことに笑みをこぼす。
 ザックスも呆けた顔から釣られるようにして頬を緩めると、ティファの髪をやや乱暴にクシャリと撫でた。

「ほんっとうにアイツには勿体無いよなぁ、ティファちゃんはさ」
「ティファちゃんって…」

 ”ちゃん”付けされて照れ臭いやら落ち着かないやらで少し唇を尖らせたティファに、ザックスはニヤッと笑った。
 ズイッと顔を寄せる。

「俺もお願いを忘れてた」
「お、お願い?」

 必要以上に寄せられた顔は悪戯を思いついた少年そのもので、なんとなくいやな予感がする。
 笑顔を微かに引き攣らせたティファにザックスは更に顔を寄せ、腰に手を回してきた。
 驚く間もなく密着してきた男にただ目を丸くしていると…。

「さっきも思ったんだけど、ティファは柔らかくてイイ匂いがするな」
「な!?」

 わざと寄せられた唇が耳元を掠めるようにして吐息混じりの声を発する。

 ザックスはすぐにパッと離れたが、自分の予想通り首元や耳の端まで真っ赤にして絶句するティファにカラカラ笑った。
 悪戯っぽい顔は純粋に”悪戯が成功して喜ぶ子供”のそれになっている。
 ザックスはすぐ笑い声を引っ込めると、それでも心底楽しそうな顔でドアへ足を向けた。
 そうして、わざとらしく「あ、そうそう」と振り返る。

「俺と密室でこんなこととか、さっきの背中からギューッってやつ、クラウドとエアリスには内緒な?でないと俺、2人に殺されるしさ〜」
「〜〜!!」
「ま、恥ずかしくて言えないよな?それじゃ、また後で」

 そう言い捨てるや否や、神羅一、お調子者の”死神”はティファが立ち直るのを見届けることなくドアの隙間からサッと身を滑らせ出て行った…。
 ドアが閉まった後もティファは真っ赤になって硬直したまま1人、恥ずかしさにプルプルと震えていたのだがやがて盛大な溜め息を吐いてガックリ肩を落とした。

「もおぉ……何なのよぉ……」

 完全にからかわれてしまった。
 酔っ払いに絡まれることの多いレストランバーを営む者としてはもっと華麗にあの程度のからかいをスルーすべきだったとか、どうしてエアリスはあんなお調子者で子供っぽい男を恋人に?とかとか、言いたいことは山のようにあるのだが、いつまでも心乱(こころみだ)している場合ではない。

 ザックスが出て行ってから、ドアの外からは人の話し声やザックスの声が洩れ聞こえてくる。
 どうやらザックスの方がドアの外にいた人間よりも格上のようだ。
 不審げに、自室ではない部屋から出てきたザックスに問う声がしていたのだが、ザックスは『貸してたものを取りに来た』と適当にあしらい、後はなんだかんだ言い包めると複数の人間の気配と一緒に遠ざかっていった。
 人の気配が全くなくなってからもティファはドアに耳をつけて外を伺い、ようやっと部屋から出たのはたっぷり1分ほども経ってからだった。

 緊張から身体が強張るということもなく、ティファは身を低くして廊下を駆けた。
 神羅の本社ということもあり、廊下や室内から人の気配が途絶えることはない。
 ただ、奇跡的に人とすれ違ったのは1回だけだったことと、その相手たちが自分たちの話しに没頭していてティファに意識を全く向けてなかったことにより、咎められることはなかった。
 すれ違った神羅職員たちの服装がティファを実験漬けにしようとしたスカーレットのように白衣を着ていなかったことがティファには意外だった。
 通り過ぎざま、耳にした「ミッドガル7番街の損害が…」とか「どれほどの被害が出ているのか計算を…」と言う言葉から、彼らが科学者ではなく地区の実態調査を把握する立場の職員であることが予想された。

(この人も……タークス?ううん、違うよね。もしもタークスなら私を捕まえないはずがないわ)

 自分が怪しげな注射をされそうになった寸前、逃げ出すことに成功した原因である神羅のとある部署名をふと思い出す。
 悦に入った笑みを浮かべて怪しさ満載の注射を掲げて見せたスカーレットは、慌てた様子で入ってきた中年の男が口走った『タークスが嗅ぎまわっている』という報告に苛立ちを露わにして部屋から出て行ったのだ。
 そのとき、ご丁寧に苛立ち紛れにティファの固定している椅子を蹴っ飛ばすということも忘れなかった。
 金属の音が聞こえたのはそのときだ。
 スカーレットの腰にぶら下げていたキーケースが蹴った反動で転がり落ちたのだ。
 しかし、慌てて部屋を出て行ったスカーレットも、女史を追いかけるようにして慌てふためき着いて行った他の科学者の面々も誰も気づかず、ティファの足元に転がり落ちたキーケースはそのままティファの足によって手繰り寄せられた。
 そうして、辛くも脱出することに成功したのだ。

「絶対に逃げてやるんだから」

 それはようやく目当ての非常階段を前にし、緩みそうになる気持ちを引き締め、己を鼓舞するためにこぼれた小さな独白だった。
 それなのに。

「それは困る」

 背後から投げつけられた低いテノールの声はティファの心臓を恐怖で鷲づかみにした。
 一際大きく心臓が脈打った後、全速力で駆け出す鼓動が耳にうるさい。
 自然、小さく震える身体を誤魔化しながら、ゆっくりゆっくり振り返り、ティファは恐怖に目を見開いた。

 銀糸の髪は長身の男の背に長く流れ、酷薄な笑みを模った口元は残虐な本性を美しく飾ってる。
 ひたと見据える肉食獣を思わせるアイスブルーの瞳に背筋が凍りつきそうになる。

「お前には私のために変わってもらわなくてはならない」
「変わる…?」

 恐怖で声が震えそうになるが、故郷を血の海に変えた憎い敵、と強引に心を奮い立たせる。
 それはもう、ある意味意地とでも言うべきか。
 殺されるとしても絶対に屈しないと強く思い、奥歯をかみ締める。
 しかし、そんな決意をあざ笑うかのように英雄はもったいぶった仕草で歩を進めると、睨み上げるティファへどこまでも非情な愉悦を含んだ笑みで見下ろした。

「お前にとってもチャンスかもしれないぞ?もしかしたら、私に一矢報いることが出来るかもしれないのだから」
「何を言ってるの?」

 怪訝に眉を寄せるティファに、しかしセフィロスは「焦らずともすぐ分かる」と一方的な宣告を行うと、無頓着に左手を上げた。
 咄嗟に身を屈めて後方へ飛び退るが、しかし着地したティファは目を疑った。

 目の前に居たはずの男がその姿を消している。

 それを認めるのが早かったのか、それとも全身に走った悪寒が早かったのか。
 首筋に鈍く重すぎる痛みと衝撃に呻き声を短く上げながらティファは冷たい床へ叩きつけられた。
 受身を取ることすら出来ない。

「ああ、力を入れすぎたか?」

 急速に暗く沈む意識の片隅で、あざ笑う声が遠くから聞こえた気がした。






Back  Next  Top(時系列)(シリーズ)