エニス。
 金糸の髪をおしゃれに遊ばせ、温かいスカイブルーの瞳を持つ青年。
 その青年の登場は、ティファの心を大きく揺さぶった…。





瓦解の音が聴こえる…。3






「いらっしゃい!本当に来てくれたのね」

 ドアベルの音がして振り向いたティファは、約束どおり現われた青年に、嬉しさのあまり思わず明るい声を上げた。

「はい。約束でしたからね」

 ティファは、青年が約束を違えなかったことを、想像以上に嬉しく感じられた。
 そして…そんな自分に心の片隅ではチクリ…と痛みが走った。
 なんとなく、後ろめたい気分がするのだ。

『…大丈夫よ、これくらい。浮気とかじゃないし…』

 そう言い訳がましく自身に言い聞かせ、ふとこの一週間、変わらず繋がらない電話にいよいよ心が悲鳴を上げているのを強く意識した。
 彼は…。
 帰ってこない…。

 そう宣告されているような気がして…とても辛い。

『だから…大丈夫。別にクラウド以外の男の人だって沢山お客に来てくれてるし。それに、エニスは星痕症候群を治すために頑張ってくれてるんですもの、言ってみたら、デンゼルの恩人よ』

 僅かな時間で自分の良心に折り合いをつけると、改めて青年を見つめた。
 心なしか、一週間前と比べて少しだけ疲れたような顔をしているように見える。
 彼がどんなに必死になって『星痕症候群』のワクチン研究に心血を注いでいるのかの証だ。
 ティファは熱いものがこみ上げるのを感じながら、青年をカウンターの『指定席』へと案内し、『指定席』の札を外した。
 エニスはちょっぴり申し訳なさそうな顔をしたが、ゆっくり腰をかける寸前、ふと店内を見渡した。
 ティファは彼が何を探しているのかすぐに察し、眉尻を下げた。
「デンゼル…、また発作が出たの…」
「…そうですか…」
 重い口調で応え、青年はそっと俯いた。
 ティファは、俯いた彼の長い睫毛に、不覚にもドキッとした。
 ドキッとする場面ではないはずなのに…。
 彼は、デンゼルが星痕症候群にかかっているから悲しい顔をしたのではない。
 一ヶ月前に青年は愛しい妹を星痕症候群で亡くしているから…、だからこそ、星痕症候群にかかっている全ての人に対して痛みを感じている。

 ただそれだけ。

 必死になって星痕症候群のワクチンを探求しているからこそ、デンゼルの病状が改善されていない事に心痛を感じているのだ。

 ただそれだけ…なのに…。

 一緒に共感してくれるだけで、ティファの孤独な心が満たされるには充分。
 そう、充分なはずなのに…。
 ドキッと胸を弾ませるなど、あるはずないし、あってはならないはずなのに……何故?

『クラウドが傍にいないから…。私一人で頑張ってるから…。だから、ちょっと気持ちが弱ってるだけよ…』

 ほんの一瞬の間に、ティファは自分への言い訳を考えた。
 しかし、次から次へとそれを否定する言葉が脳裏に浮かぶ。
 一つは、勿論ティファは一人ではないということ。
 ベッドで苦しんでいるデンゼルの傍には、マリンがついている。
 まだ幼い子供なのに、必死になって義兄を看病している素晴らしい娘。
 だから、自分は厳密に言うと『一人』ではない。
 それに、デンゼル自身も闘っている。
 病に真正面から立ち向かい、全身全霊かけて闘っている。
 本当に良く出来た子供達だ。
 自慢の子供達だ。
 だからこそ、この忌まわしい病から解き放ってやりたい。
 エニスは、まさにその研究に心血を注いで取り組んでいた。
 子供達のために必死になって研究に取り組んでくれているエニスは、言わば恩人のような存在。

『だから、彼を特別視しても仕方ないのよ、ティファ』

 またもや新たな言い訳を考え、自身にそう言い聞かせる。
 だが、それも『違う』と、すぐに否定の言葉が浮かんできた。

 星痕症候群の研究に時間を必死に費やしているのは、エニスだけではない。
 他にも当然だが科学者、医学者が多数かかわっている。
 その人達の中には、エニス以外にもセブンスヘブンに彼らは食事に来てくれたことがある。
 だが、それらの人達の中には、一人として胸がドキドキしたことはない。

 言い訳をすればするほど、ティファは自分が惨めになるように感じられ、軽く頭を振った。
 そして、スツールに座ったきり、黙ったままの青年を改めて見つめた。

 やはり、彼は一週間前と比べてやつれているようだ
 それだけ無理をして研究に明け暮れているに違いない。

 ティファはWROの科学班室を覗いたことはない。
 だが、なんとなくイメージをしてみる。
 広いはずの部屋には沢山のデスクとコンピューター。
 顕微鏡や遠心分離機などの機械が所狭しと並べられ、白衣を着た学者達が寝る間も惜しんで次々とデーターを取り、再計算を繰り返す。
 試行錯誤。
 少しの時間も惜しんで…。

 そこまで想像し、ティファは青年の健康が心配になった。

「あの…」
「はい?」

 いつしかティファの中では、エニス一人がだだっ広い部屋に、所狭しと置かれている顕微鏡や、フラスコを前に渋面で向かい合っている姿がイメージとして強く浮かんだ。
 思わず、『大丈夫ですか?』と、声をかけそうになる。
 エニスは澄んだ瞳を真っ直ぐティファに向けた。
 口元には穏やかな微笑み…。

 ドックン!

 またもやドキッ!と心臓が大きく脈打つのを感じた。
 耳の奥から、ドキドキと脈打っている己の心臓の音がダイレクトに聞こえてくる。

 こんなに大きな音がしてたら、バレちゃうかも…。

 そんなバカな心配をしてしまうほどだ…。
 結局、ティファは青年に『大丈夫ですか?』とも『無理しないで下さい』とも言えなかった。
 代わりに出てきた言葉は、
「この前の『ホッコリコース』でよろしいですか?」
 という、なんとも気の利かない台詞。

 臆病な自分に心底嫌気がさす。
 もっと、気の利いた言葉をかけたかったのに…。

 だが、青年はフワッ…と柔らかな微笑を浮かべて、
「覚えてくださってたんですか?とても嬉しいです」
 そう言って、ティファの勧めるままにそれを注文することに決めた。
 ティファはと言うと、相変わらず不規則にドキドキと脈打つ心臓を持て余すように、視線をウロウロとさせながら慌て気味に背を向けた。

「では、少々お待ち下さいませ」

 ガチガチに固まったティファの様子に、エニスは軽く噴き出すと明るい笑い声を上げた。
 その笑い声は、ティファの心にまた新しい灯りを小さく灯けたのだった…。


 結局。
 その日の晩は、子供達が子供部屋から出てくることはなくエニスは名残惜しそうに…、後ろ髪引かれるようにして店を後にした。

 まだ研究が残っている。

 そう言って、彼は引き止めようとするティファに申し訳なさそうな顔をした。

「そう。じゃあ仕方ないわね。でも、無理はしないで下さいね…?」

 微笑みながらエニスを見送ったティファは、その表情とは全く異なり、内心では酷く落胆していた。
 彼にはまだ店にいてもらいたかった。
 もしかしたら、デンゼルが『発作が治まった』と、元気に降りてくるかもしれない。
 そうしたら、きっとエニスは喜ぶだろう。
 何しろ、妹を同じ病気で亡くしているのだから、元気な顔をしているデンゼルを見たら、少しは研究の励みになるだろう。

 だが…。
 ティファには分かっていた。
 本当はそうじゃない…と。
 発作の治まったデンゼルが降りてきて、エニスが喜ぶかもしれない、など、本当は思っていない…ということに。

 ティファは辛かった。
 とても辛くて、逃げ出したかった。


 クラウドのように。


 だが、それは出来ない。
 そんなことをしたら、子供達はあっという間に路頭に迷う。
 それに、まだまだ自分は頑張れる。
 まだまだ大丈夫。
 大丈夫。


 だけど…。


 自分と思いを同じくしてくれる『同士』が欲しい。
 それも、同い年くらいの人が。
 誰でも良い…と言うわけじゃない。
 春の陽だまりのような温もりを持つ人。
 そんな人に、傍にいてもらいたかった。
 クラウドは…。
 クラウドも本当ならそういう人なのだ。
 いつも無愛想で、口下手で。
 でも、本当に心は温かくて優しくて…繊細な人。
 力強く、頼りになって…。

 でも…。

 彼はいない。
『ここ』が本当は彼の『帰る場所』のはずなのに、一日の配達の仕事を終えても、彼は『ここ』に戻って来てくれない。

 ティファは…。

 疲れていた。

 もうどうしようもなく疲れていた。
 そう、とっくにティファは気づいていた。
 クラウドは帰ってくるつもりはないし、自分自身は頼れる人を強く求めている…と。
 何故、クラウドが自分達を捨てて出て行ったのか、まったく分からない。
 彼が何を考えているのか少しでも分かることが出来れば、こんなにも苦しくはないのに…。
 クラウドが家を出て行った理由は分からないくせに、もう自分達と関わらないつもりなのだ…ということは分かった。

 繋がらない彼の携帯。
 鳴らない自分の携帯。

 ティファは、最後の客を送り出し、店を閉める片づけが終わってホッと息を吐き出して…。

「……」

 カウンター内側に置いていた自分の携帯を遠目から見つめた。


 どうせ鳴らないなら…。
 どうせ繋がらないなら…。
 どうせ戻ってきてくれないなら…。


 いっそ…。


 悪魔の囁きは甘美で心を雁字搦めに拘束する。
 ティファはそろり…と手を伸ばした。
 黒いそれは、クラウドとお揃い。
 それすらも、今は辛いだけ。

 冷たい硬質感のそれを、そっと掴むと次の瞬間、思い切り腕を振り上げた。

 そうして…。


「……っく……ひっく……うぅ〜〜……」


 携帯の代わりに、大粒の涙がボロボロと床にこぼれる。
 ティファはそのままうずくまって膝を抱え、泣きじゃくった…。

 せめて、今だけは…。
 今だけは泣かせて…?
 どうか、子供達にこんな姿が見られませんように…。

 エアリス。
 ザックス。
 パパ。
 ママ。

 どうか、助けて。
 どうか、どうか…助けて。
 どうしたら良いのか分からない…、分からないよ…。
 私一人じゃ、子供達を抱えて頑張れないよ。
 もう……疲れちゃったよ。

 お願い。


 誰か…。


 その日。
 初めてティファは、カウンターの中で一晩を過ごした。


 それからというもの、ティファは閉店後の静まり返ったカウンターの中できつい酒を飲み、気がついたら朝になっている、という生活を時々送った。
 流石に毎日酒におぼれて夜を明かすことはなかったが、それでも段々とその間隔が短くなってきていた。
 この日も…。

「…これじゃ、本当にキッチンドリンカーだし…、アルコール依存症……よね…」

 カウンター内の床に座り込み、グラスの氷を見つめながら一人呟いていた。
 デンゼルの病状も、日増しに発作を起こす感覚が短く、発作状態が長くなってきている。
 マリンは小さな身体を目一杯、義兄の看病に働かせていた。
 本当なら、それはティファの役目だろう。
 …。
 …いや。
 ティファだけではなく、もう一人の役目でもある。
 それを、自分達は…。

「結局、家を出ているかいなかの違いだけで、私は何も出来ないのよね…」

 自嘲気味に小さく笑う。
 店の閉店時間を早めようか、とも思った。
 そうすれば、子供達が就寝する時間までの僅かな時間に、ちゃんと『母親代わり』のようなことが出来るだろう。
 だが、デンゼルは殊の外、その案に反対した。

 これ以上、厄介者になりたくない。

 そう思っているのだ。
 特に、クラウドが出て行ってからというもの、少年の心は部分的に硬くなってしまった。

『甘える』ことを完全になくしてしまったのだ。

 いくらティファやマリンが親身になって看病し、
『私達は家族だよ』
 と語りかけても、少年は微笑みながら一線を引いている。
 その一線を取り除ける唯一の存在が、クラウドだったのに…。

「私じゃ、役に立たないんですよ〜…」

 カラン。
 グラスの中で氷が悲しげな音を立てる。

 ポロリ…。
 ポタポタ…。

 ティファの両目から涙が流れる。

 最近は本当に、酒を飲むと涙腺が緩むようになった。
 しゃくりあげて泣くことはない。
 ただ静かに涙を流すだけ…。
 その姿がどれほど痛々しいものか、第三者が見たらギョッとするだろう。

 ティファは…。

 本当に疲れていた…。

 そうして…。





「なにやってるんですか!?」





 突然、耳元で聞こえた大きな声。
 ティファは、アルコールのせいでフワフワとした感覚の中、ゆっくりと顔を上げた。
 そこにいたのは…。

「……クラウド」

 金糸の髪。
 スカイブルーの瞳。
 整った顔(かんばせ)。

 ティファは涙で滲む視界に、愛しい人の姿を認めて呆然とした。

 それも一瞬。


「クラウド!」


 グラスを落としたことにも気づかず…。
 目の前の青年が大きく目を見開き、何か言いかけたことにも気づかず…。

 ただ夢中で目の前にいる愛しい人に思い切り抱きついた。