「う〜……ん〜……???」

 ティファは、ガンガンと痛む頭に顔をしかめながら、ベッドの中でうーん、と伸びをした。






瓦解の音が聴こえる…。4






 ゆっくりと瞼を開いて天井を見る。
 カーテンの向こうは既に明るい。
 そんなに寝過ごしてしまったのだろうか…?
 だが次の瞬間、ふと気づいた。
 自分がいつ、どうやってベッドに入ったのか覚えていない…。

「あ!!」

 ガバッと起き上がる。
 途端、めまいがしてベッドに逆戻りした。
 だが、心臓はバクバクと大きな音を立て、呼吸はめまいのためだけではなく乱れている。
 そう。
 昨夜、確かに彼は帰って来た。
 カウンターの中でへたり込むようにして座り、酒を飲んでいる自分を見て怒ってくれた。

「クラウド…」

 ゆっくりと室内を見渡す。
 さして広くもない寝室には、自分以外、誰もいないとすぐに分かった。

「クラウド」

 半ば独り言のように彼の名を呼びながら、今度は慎重に、だが出来る限りすばやい動作で起き上がった。

 胸に不安の黒雲が広がる。
 もしかしたら、夕べの自分の姿を見て愛想を尽かしてしまったのかもしれない!
 その恐怖心がじわじわと、急速にその勢いを増して支配してきていた。
 折角戻ってきてくれたのに、またいなくなってしまったら!?

 ティファは二日酔いで痛む頭を軽く揉みながら、ドアを開けた。

 すると、階下から何やら子供達の楽しげな声がする。
 そのトーンの高い声に混じり、男性の落ち着いた声が聞こえる。
 ティファの脈拍が一気に上がった。

 途中で踏み外しそうになりながら階段を駆け下りる。


「クラウド!」


 愛しい人の名を呼びながら駆け下りた先には、驚いた顔をしている子供達と…。

「あ…れ?エニスさん…?」

 困った顔をしているWROの科学班に籍を置く青年。
 ティファは、自分が現われるまで子供達と青年が準備をしていた朝食に、目を丸くした。
 状況を飲み込むのに若干時間を要する。

「ティファ、昨日はエニス兄ちゃんに運んでもらったんだ…」
「その…、最近ティファ、お部屋で寝てないでしょ?だから…お兄ちゃんに無理を言って来てもらったの…」
「そのさ、他の常連さんでも良かったんだけど、やっぱりいまいち信用性に欠けるって言うかさぁ」
「エニスお兄ちゃんなら、ティファも嫌がらないかなぁ…って思って…」

 慌てて子供達が説明する。
 必死になってエニスを庇うようにまくし立てる二人に、ティファはようやく自分が『クラウド』だと思った人物が『エニス』であったことを知った。

「ティファさん、咄嗟のこととは言え、女性の寝室に入るなど最低です。本当に申し訳ありませんでした」
「そんな、やめてくれよ!」
「そうだよ、お兄ちゃんはなにも悪くないんだから!!」

 深々と頭を下げる青年に、子供達が慌ててエニスとティファの間をオロオロと見やった。
 ティファは、深く頭を下げる青年を前に、ほんの少しだけ放心状態だったが、やがてゆっくりと息を吐き出した。

「エニスさん。良いんです、私こそごめんなさい。勝手に……勘違いしちゃって…」

 言葉が徐々に尻すぼみになる。
 大きな期待は、勘違いで終わってしまった。
 それが…とても悲しい。
 だが、同時にどこかでホッと、安堵もしていた。
 クラウドにあのような醜態を見せずに済んだのだ…と。
 しかし、やはり失望感は拭えない。
 ティファは苦笑交じりにオロオロする子供達を見つめ、そっとエニスの肩に手を置いた。
 ゆっくりとアイスブルーの瞳が前髪から覗き込むようにして上げられる。
 ティファはその時突然悟った。

 青年を特別視してしまうのは、彼の持っている瞳の色と、髪の色のせいなのだ…と。

 クラウドが本当に時々見せてくれた、包み込むような温もりを湛えた瞳。
 まさにエニスの瞳はその色合いを帯びている。
 髪の色もクラウドと同じ。
 だから、こんなにも他のお客さんとは違う感情が湧いてくるのだ。
 ティファは、落ち込んでいた気持ちを浮上させることに成功した。
 この目の前の青年に惹かれ始めていることを後ろめたく思っている自分が確かに存在していた。
 それを必死になってごまかして、否定していたのだが、要は青年がクラウドとの接点が他の客達よりも多いから、という理由ならば、問題ないような気がしたのだ。

 そう。
 自分はあくまでクラウドしか受け入れられないのだ…という証なのだから…。

「夕べは本当にごめんなさい。お仕事、お忙しかったでしょう?それに、あんな醜態を晒してしまって…」

 謝っているうちに、昨夜のことが鮮明に思い出され、顔が熱くなる。
 なんともはや…、恥ずかしい場面、恥ずかしい言葉、恥ずかしい行動をとってしまったものだ。
 エニスは、赤面するティファに肩から力を抜いた。
 そして、スーッと背筋を伸ばすとティファを真っ直ぐに見つめて口を開いた。

「ティファさん。あなたがとても辛い思いをしていると、デンゼル君もマリンちゃんもちゃんと分かってます。だから、どうか気をしっかりと…」

 言葉を切って、ニッコリ笑う。

「こんなに頼もしい家族は他にいないでしょう?」

 デンゼルとマリンはパッ、と顔を輝かせて嬉しそうに青年を見上げた。
 ティファも、真っ直ぐエニスを見つめる。
 彼の言うとおりだ。
 自分は一人じゃない。
 こんなにも力強い助け手があるではないか。

「そうね…、本当にそう」

 呟くように一人ごちると、しゃがみこんで子供達と視線を合わせた。

「二人とも…本当にごめんね?」

 そのままギュッと二人を抱きしめた。
 デンゼルは、まだこのスキンシップに慣れていない。
 カチコチに固まってティファの好きなようにさせてやり、マリンはと言うと、嬉しそうに自らも小さな手で一生懸命ティファの服を握り締めた。

 そうして、ひとしきり家族の絆を確認した後、ティファは朝食作りをそのまま引き継いだ。
 手早く調理をするティファに、子供達は嬉しそうに笑顔を向け、エニスもまた、いつもの店の明かりではなく、朝日を窓から一杯に受ける中で調理をするティファに感嘆の眼差しを向けた。

 出来上がった朝食は、久々の上出来だった。

 そして、その日を境に、青年とティファ、デンゼル、マリンの仲は深まっていった。
 青年は忙しい研究の合間に、休憩を取るという名目で、以前よりもまめにセブンスヘブンに訪れるようになった。
 しかも、デンゼルの症状をちゃんとチェックする、というおまけつき。

『あまり効かないかもしれないけど…』
 これくらいしか出来なくてごめんね。

 誰にも内緒で、栄養剤をこっそり渡してくれるのだった。
 正直、その当時のデンゼルにはとてもありがたかった。
 栄養剤というものは、まだ復興途中にあるこの星にとって、かなり貴重な代物。
 生真面目で優しすぎる青年は、デンゼルの苦しみを自分の苦しみ、そして、妹が味わったであろう苦しみと置き換えて感じているようだった。
 デンゼルを見つめるその瞳に、彼自身が『自責の念』に駆られている影をチラリ、と覗くのをティファは見逃さなかった。

 きっと、エニスにとって、デンゼルは特別なのだ。
 亡くなった妹は、デンゼルと同い年くらいだと言っていた。
 だから、せめて亡き妹に届けられなかった『研究の成果』をデンゼルには、なんとしても届けたいと強い思いを抱いているのだろう。
 そんな青年に、ティファはいつしか心を強く惹かれるようになっていった。


 それを、一体誰が非難出来る?
 彼女はもう充分頑張ったではないか。


 今では、客達の間にも、エニスを公認する気配が漂っていた。
 最初の頃こそ『新参者のくせにティファを狙う不届き者』としか見ておらず、ティファが他の接客に応じている時や、奥の倉庫に引っ込んでいる時などに、青年に辛く当たったり、やっかみ事を口にしたり、青年を非難していた。

 しかし、すぐに彼らは気がついた。
 下心があってティファに近づいているわけでも、デンゼルの体調を気にかけているふりをしているわけでもないのだ…ということを。

 彼の純粋な気持ち。
 彼のひたむきな眼差し。
 何より一番決定的だったのは、ティファが奥に引っ込んだ時、このときを待っていた!と言わんばかりに数名の男性客達が一斉にエニスを取り囲んだあの時…。

『中途半端な気持ちで俺らのティファちゃんとお近づきになろうなんざ、百年早ぇんだよ!!』
『どうせ、デン坊の心配して、『株』稼いでんだろ!?』
『見え見えなんだよ』
『目障りだから、とっとと消えな!』

 様々な誹謗中傷。
 エニスは顔を俯けることも、奥に引っ込んでいるティファに助けを求めることもしなかった。
 いつものようにピン、と背筋を伸ばし、堂々と目を合わせて口を開いた。

『たとえ、あなた方の目にそのように映っていたとしても、僕はここに来ることをやめません。僕にとって、デンゼル君もマリンちゃんも、既に弟、妹のような大切な存在です。それに、あんなに弱っているティファさんを支えたいと思う気持ちに嘘、偽りはありません』

 シーン…と静まり返る中、青年は少し言葉を切って、たった今、堂々と胸を張っていたとは思えないほどの打ち沈んだ表情を浮かべた。

『だけどそれが許されるのも……クラウドさんが戻られるまで…ですけどね』

 客達の誹謗中傷は、それ以降パッタリと止んだ…。


 それからと言うもの、青年は忙しい研究の合間に顔を出し、子供達に優しい言葉と栄養剤をこっそりと渡すことを続けた。
 ティファはエニスが来てくれる日を、いつしか心待ちにするようになっていた。
 エニスとの距離がうんと縮まったのを感じずにはいられない。

 それに、彼は決して自分達を…、自分を置いていなくなったりしない。

 そう、安心させてもらえる広い包容力を感じていたのだ。
 エニスはティファの心の中に、どんどん入ってきた。
 しかし、それに比例するようにデンゼルの発作は日増しに悪化してきてもいた。
 少しずつやつれていく少年を前に、ティファはどうして良いのか途方にくれるばかりだった。
 痛みに苦しみながら、額に汗を浮かべて臥せっている少年を前に、ティファは携帯を握り締めて懸命に声をかけ、汗を拭ってやった。
 いつしかそんな時にかける相手は、二年前の苦難の旅を共に乗り越えた仲間よりもエニスの方が圧倒的に多くなっていた。
 彼なら、自分の痛む心を誰よりも理解してくれる。
 そう無意識に感じていたのだ。
 そして、携帯から届けられる温かなメッセージは、確実にティファの中で安らぎとなり、そのお陰でなんとか子供達の前では笑顔を絶やさず、落ち込んでいる姿を見せないよう振舞うことが出来た。

 いや、そうではない。
 もっと前から、彼はティファの中でとっくに特別になっていた。

 エニスをクラウドと間違えてしまったあの日から…。

 ティファは弱いところを見せることが出来るエニスという『理解者』を得た。
 彼は、家出したクラウドとは違い、自分から電話やメールをしなくても、毎日必ずメールや電話をしてくれた。
 もしも、これがエニスではなく、他の馴染み客からだとティファは受け付けられなかったに違いない。
 だが、クラウドの面影を宿している青年からの連絡は、ティファの心の支えとなっていた。
 ティファだけではない。
 子供達も、エニスからの連絡を楽しみにするようになっていた。
 青年は、流石『科学班』に籍を置いているだけあり、知識がとても豊富だった。
 それに、話し上手。
 デンゼルもマリンも、エニスが店に来てくれる日を心待ちにするようになり、いつしかセブンスヘブンの住人達にとって、エニスは特別な存在となっていった…。

 だが、特別な存在になるにつれ、青年がセブンスヘブンを訪れる回数が減っていった。

 元々、エニスが店に訪れるのは1週間に2度が良いところだった。
 それが、その頃には10日に1回しか来られないようになっていた。
 おまけに、ティファや子供達はとても心配していたのだが、研究所内で寝泊りするようにもなっているようだ。

 青年は隠していたのだけれど…。

 ティファは思った。
 きっと、青年はデンゼルの症状を見て、焦燥感に駆られているのだ…と。
 その気持ちはとてもありがたい。
 いくら感謝してもしきれない。
 だが、根をつめて研究に明け暮れていると、冗談ではなく本当に体を壊してしまう。
 セブンスヘブンに来るたびに細くなっていく青年を見て、ティファと子供達は心配で胸が痛くて仕方なかった。
 そうしていつの間にか、彼がセブンスヘブンに来てくれたとき、帰り際に『お弁当』を作って渡すのが習慣となった。

 最初はデンゼルの栄養剤のお礼として渡した『お弁当』は、エニスの栄養状態を少しでも良い状態に…という気持ちに溢れていた。

「本当にいつもありがとうございます」

 深々と頭を下げて、青年はいつもきちんと挨拶をして帰って行った。
 ティファは、そんな青年の背が暗闇の中に溶け込んで見えなくなるまで見送った。
 見送りながら、ティファは胸の痛みが徐々に強くなっているのを自覚していた。

 今度はいつ来てくれるだろう?
 もしかしたら、このまま暗闇に溶け込んで、二度と会えないんじゃないか…。
 そんな理不尽な恐怖が後から後から湧いて来て、打ち消しても打ち消しても、その負の感情に心が支配されそうになる。

 青年がセブンスヘブンに通うようになってから丁度5ヶ月目。
 その頃から、いよいよ彼は店に来られなくなっていた。
 研究がようやっと忙しい局面に突入したのだ。

『もう少しで星痕症候群の原因が解明されそうなんです。そうなったら、ワクチンを作るのに時間はかからないでしょう。デンゼル君によろしくお伝え下さい』

 そうして、その電話を境に彼からの連絡はプツリ、と途切れてしまった。

 その報告を受けたとき、ティファ達は純粋に喜んだ。
 もしかしたら、デンゼルは近々病の苦しみから解放されるかもしれない。
 青年から連絡が来なくなってしまったことも、ティファにとってはとても悲しいものだったが、それでも『デンゼルや星痕症候群で苦しんでいる人達のために頑張ってるんだもの…』と、我慢できた。

 だが、皮肉にもそれから約二週間後に、聖なる恵みが星痕症候群から人々を永久に解放した。

 青年の心血注いだ研究は無駄に終わった……。


 *


「本当に久しぶりね。ずいぶん心配したのよ。でも、WROにおいそれと聞くわけにはいかないし…」

 カウンター席に着いていることもあり、エニスとティファは比較的会話を交わしやすい。
 勿論、カウンターのスツールにはエニス以外の客もいるわけなので、そうのめりこんだ話は出来ないのだが、それでもこの短い距離がとても嬉しい。
 ティファは素直に喜んでいた。
 対して、久しぶりに訪れた青年は、心なしか元気がないようだった。
 それが少し気にかかる。

「大丈夫?随分疲れてるみたいだけど…」

 眉尻を下げて心配そうな顔をするティファに、エニスは変わらない温もりを湛えた微笑を浮かべた。

「大丈夫ですよ。ちょっと疲れてるだけです」

 青年のその穏やかな口調、変わらない微笑は、ティファの心に小さな灯りを変わらず灯してくれた。

 ホッとしたように微笑み返すティファに、カウンターの客がニヤ〜ッと笑いながら、
「へ〜、ティファちゃん、浮気か〜?」
「もう!そんなんじゃないですから!」
「へへ〜、そうかねぇ。ま、良いんじゃねぇ?人生、何事も経験だしなぁ」
「もう!」
 ティファとエニスの会話に割り込んできた客に、ティファは図らずも赤くなった。
 そんなティファを、エニスは穏やかな微笑を浮かべたまま、優しく見つめていた…。

 全てが穏やかで、心地の良い時間だった…。