「クラウドさんが帰ってきた、と噂には聞いていたのですが、中々来ることが出来なくて…」
「ふふ、仕方ないわ。だってエニスさんはお仕事が忙しいんでしょう?」
「まぁ…そうなんですけどね…」
「でも、本当に久しぶりね。ゆっくりしていって…?」
「えぇ、ありがとう」


 懐かしさを含んで交わす会話。
 それは、エニスがセブンスヘブンのドアを六ヶ月ぶりにくぐった日。
 クラウドが家族の元に戻った半年後のことだった…。






瓦解の音が聴こえる…。5






「クラウドも兄ちゃんのこと話したら、『一度会ってお礼を言わないとな』って言ってたんだ」

 嬉しそうにそう言ったデンゼルに、青年はちょっとびっくりしたような顔をした。
 が、すぐに嬉しそうに微笑んでデンゼルのフワフワの髪をクシャリ、と撫でた。

「本当に?」
「本当、本当!だって、兄ちゃんは俺達の恩人だからさ!」

 ニコニコ笑う少年に、エニスはスカイブルーの瞳を細めた。

「皆が僕のことを『すっごく良い人』だって褒めちぎってくれたんじゃない?」
「え〜?そうかなぁ〜?でも、『すっごく良くしてくれた!!』とは言ったかな?でも、嘘じゃないもんな!」

 笑いながらそう言い切ったデンゼルに、エニスはくすぐったそうにはにかんだ。

「たいしたことは出来なかったと思うんだけど…?」
「え〜!それこそ兄ちゃんは『謙虚すぎ』だって!俺、すっごくすっごく感謝してるんだから!」

 デンゼルの言葉に、ティファは心の中で強く頷いた。
 思いを目一杯込めて久しぶりに訪れてくれた青年を見つめる。
 だが残念ながらスカイブルーの瞳はデンゼルのみに向けられており、ティファの方を見なかった…。
 それが妙に…。
 とても悲しく感じられた。

 しかし、その瞬間。

 ティファの中で大きな衝撃が走った。
 目の前で和やかにやり取りをしているのはデンゼルとエニスなのに、一瞬、クラウドがカウンターのスツールに座っているような錯覚を覚えたのだ。

 ドックン!

 ティファはビクッと小さく体を揺らし、口を引き結んだ。
 よくよく見つめ、そこにいるのがデンゼルとエニスであることを密かに再確認する。
 嬉しそうに話をしているデンゼルと、穏やかな顔をしてそれに応えている…エニス。
 ティファは激しく動揺した。

 エニスに対するデンゼルの懐き具合は、クラウドに向けられる憧れと同じくらい強く感じられる。
 そのせいで、エニスが一瞬、クラウドと重なってしまったのだろう。
 ティファは不規則にバクバクと主張する鼓動を感じながら、数回、そっと深呼吸をした。
 そうしてようやく分かった『真実』に、心の中で自分を哂った。

 なんと鈍感で愚図だったのか……と。

 クラウドが星痕症候群に侵されている、と知ったのは、エニスがセブンスヘブンに来なくなった二週間後のことだった。
 マリンと一緒に、エアリスの教会を訪れて知った想像すらしなかった事実。
 その瞬間までティファにとって、クラウドよりもエニスを頼りに思う心が強くなっていたというのに、いざ、事実を目の当たりにしたあの一瞬で、目の前の青年の存在がスッパリと消えてなくなってしまった…。


『逃げないで』


 残酷にも彼にそう言ってしまったあの時も、自分のことを棚に上げていたのだ、と気づいたのはカダージュ達の一件が片付いて、落ち着きを取り戻してからだった。
 自分はこんなにもエニスに支えられていたのに…。
 それなのにクラウドを責め、挙句の果てには…。


『忘れてただなんて……最低よ……ティファ…』


 久方ぶりに訪れてくれた青年。
 そう…彼のことを、ティファは忘れていた。
 あんなに自分が辛いときに支えてくれたこの優しい青年の存在を。

 今、半年前と変わらず穏やかに微笑んでいる青年をこうして目の当たりにして、喜んだ自分が信じられないくらい、心の中は荒れ狂っている。

 そう…。
 忘れていたのだ、自分は。
 この青年のことを…。
 とても優しく包み込んでくれたこの温かな存在を…。


 クラウドの帰宅によって…。


 なんと勝手な人間だろう…?
 一番辛かったあの時、ずっと傍で支えてくれた大切な存在を忘れていた。
 自分で自分が信じられない。
 おぞましくすら感じられる。

 自分勝手な人間だと気づいたのも、たった今!ということが、ティファを更に激しく責めたてた。

 そう、『たった今』なのだ、気づいたのは!
 エニスとクラウドが重なって見えた『たった今』、自分が彼の存在を忘れていたという事実は、ティファを自己嫌悪の混沌とした闇に突き落とした。


 純粋に嬉しそうな顔をして笑っているデンゼルと、微笑みながら少年の話に頷いている青年が酷く眩しく見える。


 本当は気づいていた…。
 青年がひたむきに捧げてくれた想いを…。
 本当は知っていた。
 青年がどんな思いで疲れ果て、それでもクラウドを想って苦しんでいる自分を見ていたのか…。
 だが、決してエニスはティファに『想い』を押し付けることも、ましてや『伝える』こともしてこなかった。

 ただの一度も!

 エニスは知っていたのだ。
 どんなに酷くされても、結局ティファにとって、クラウド以上の存在にはなれないということを。
 エニスはちゃんと知っていた。
 ティファに想いを伝えると、ティファがどんなに苦しむか…。
 だから…。

 自分の想いをひた隠しに隠し通し、ティファの負担にならないよう、傍で支えてくれたのだ…。
 エニスの優しすぎる心…、想い……。

 その全てを心のどこかで正確に察していたのに、自分の都合の良いところだけを見るようにして、青年に甘えていた。


 どうして今更、気づいたのだろう?


『あぁ……なんてこと……』


 ティファは軽いめまいを感じた。
 足がガクガクと震えてくる。

 一人の人の心を弄んでいたのだ…。

 エニスのひたむきな想いは、ティファを温かく包み込み、一番辛いときを乗り越えられるように支えてくれた。
 それに甘えて、自分は何度も彼に救いを求めた。
 デンゼルが発作で苦しんでいるとき。
 マリンが看病に疲れて体調を崩したとき。

 寂しくて……辛くて……逃げ出したくなったとき。

 必ず彼は、どんなに『元気』な振りをしても、携帯の向こうから敏感に察して、駆けつけてくれた。


 忙しい研究の合間を縫って。

 それなのに!!


「ティファちゃん、大丈夫かい…?」


 カウンター席に座っていた常連客が、青くなっているティファに心配そうに声をかけた。
 その言葉は、同じカウンター席に座っていたエニスにも、傍にいたデンゼルにもしっかりと聞こえたらしい。
 二人がビックリして同時にティファを見た。

「うわ、ティファ!大丈夫!?」
「ティファさん、具合が悪いんじゃないですか!?」

 スカイブルーの瞳が、ティファを心配するが故に曇るのを見て、ティファの心はとうとう悲鳴を上げた。



「ティファさん!?」



 視界が歪む。
 グニャリ…と自分の周り全てが歪んで……床と天井がグルグルと回る。


「ティファさん!!」


 意識を手放す直前、エニスがカウンターを軽やかに跳び越し、手を伸ばしてくれるのが見えた。


 そうして…。



 意識を手放す直前に感じた彼の温もりに、包まれるのを感じた……。



 *



 暗い…暗い…。
 周りが何も見えない……暗い場所。
 ティファは、強い後悔と自責の念に雁字搦めに取り囲まれて、ピクリとも身動きが出来なかった。

「……さん…」

 誰かが何か言っている…。

「…ティファさん…」

 あぁ…『誰か』じゃない…。
 私は彼を良く知っている。


「ティファさん!しっかり!!」


 エニス。

 彼の名前をはっきりと心に浮かべたその瞬間、ティファは自分がユラユラと揺れているのを感じた。
 揺れている…。
 温かい…。
 これは…。

 おぶわれている……?


「……エニス…?」

 小さな声だったが、青年の耳元であったが故にしっかりと届いていた。

「ティファさん、すぐに病院に着きますから、頑張って!!」
「ティファ!しっかり!!」
「ティファ!頑張れ!!」

 薄く目を開ける。
 自分が揺れているのは、彼が自分を負ぶったまま走っているからだと分かった。
 傍らには、息せき切って走っている子供達。
 子供達の心配で張り詰めた表情に、ティファはズキリ!と胸に鋭い痛みが走った。

「……ないで…」
「え……?」

 大人の女性を一人、おぶって走っているせいで、息が上がっているエニスは、それでもティファの言葉に聞き返した。
 どこまでも真摯に自分と向き合ってくれる青年に、ティファの心がまた軋む。

「…こんな…私に……そんなに優しく…しないで…」
「…ティファさん?」
「私……なんておぞましい…」
「…ティファさん?」

 彼の温もりを感じながら、ティファはまた意識を手放した。


 *


「……ただの過労かと…」
「そうか…」

 二人の男性の声がティファの意識を浮上させた。
 だが、まだ目は開けない。
 ティファは重い重い気持ちで黙って聞いていた。

「本当にすまなかった。なんとお礼を言って良いのか…」
「いえ、気にしないで下さい」

『…やめて…』

「あぁ、それから、本当は一度、ちゃんとお礼をしなくては…と思っていたんだ」
「はい?」

 クラウドがスッと頭を下げた気配。
 それに対して焦っているエニスの気配。
 二人の気配で、目を開けなくてもティファには二人がどういう表情をしているのか手に取るようにわかった。

「俺が…逃げ出した時。ティファや子供達を支えてくれていた…ってデンゼルやマリンから聞いてる。本当にありがとう」
「やめて下さい。僕はアナタにお礼を言われるようなことはなにも出来ていません。それに、僕がセブンスヘブンの皆様に出来たことは、結局、大して役に立つようなことじゃなかった…」


『あぁ…お願い、もうやめて…』


「いや、違う。そうじゃない。エニスさんの存在がなければ、ティファはとっくに倒れてただろう…と二人が言っていたし、二人の言うことならまず間違いないだろうから…」
「…デンゼル君もマリンちゃんもしっかりしてますからね。それに…あの可愛いお子様達は、僕にはどうも評価が甘いんですよ。だから気にしないで下さい」


『あぁ…やめて、やめて…やめて!!』


「それにしても……安心しました」
「え…?」
「今日、お店に来ていた常連の方から聞いたんですけど、クラウドさん、仕事が多くて中々家族と一緒に過ごせてない…って」
「あ〜…まぁ……」
「でも、ちゃんとティファさんの大変なときには全ての仕事をキャンセルして帰ってきてくれた…。彼女には、クラウドさんが必要なんです。だから、これからも彼女になにかあったらこうして駆けつけてくれるって分かったし…」
「 …… 」
「そうでしょう?」
「あぁ…もう二度と、不安にはさせない」



やめて!!



 穏やかな雰囲気で話しをしていた二人は、文字通りギョッとした顔をしてティファを見た。
 つい今しがたまで眠っていると思っていた彼女が、目に一杯の涙を溜めて上体を起こしている。
 しかもその表情は…。

「ティファ…?大丈夫か?」
「ティファさん…?大丈夫ですよ、なにをそんなに怯えてるんです?クラウドさん、ちゃんと帰ってきてくれましたよ。仕事、本当は沢山…あった……みたい……ですけど………」

 段々、エニスは言葉が尻すぼみなっていった。
 ティファの目が異様なほど爛々と光っている。


 恐怖に。


 自責の念をビリビリと感じ、クラウドはゆっくりと、これ以上ティファに余計な刺激を与えないよう、最大限に気を使いながら、近寄った。
 ティファは、怯えたような顔をして、目をカッ!と見開き、毛布をギュッと握り締めている。

「ティファ、暫く店は休もう。いつも頑張ってるから、きっと疲れが溜まってたんだ」

 優しい声音のクラウド。
 そのクラウドの後ろで、心配そうな顔をしているエニス。

 ティファは半分パニックに陥っていた。
 自分がいかに酷い人間か、という自身へのおぞましさに、心が壊れてしまいそうになる。

「お願いだからやめて!もう……もうやめて!!」
「ティファ?大丈夫、何も心配はない」

 まるで小さい子供が怯えているようなティファに、クラウドはそーっと近寄った。
 ティファはベッドで固まったまま、それでも目はエニスとクラウドをせわしなく行き来している。

 クラウドは、そーっとティファの隣に腰を下ろすと、彼女をやんわりと抱きしめた。

「ごめん、暫く仕事が忙しかったから…随分ティファに甘えてたんだな…」

 優しいクラウドの言葉が、ティファの心を責める。
 そのことをクラウドは知らないし、気づかない。
 ティファはクラウドに抱きしめられたまま、ガチガチに固まっていた。
 そして、ふと…エニスを見つめる。
 その彼の表情を見た瞬間。


「やめて、お願い!!」
「ティファ!?」


 ティファは思い切りクラウドを突き放していた。

 クラウドは目を丸くし、ティファの顔を呆然と見つめる。
 エニスもビックリして目を丸くしていた。
 だが…。
 ティファはもう限界だった。

 自分という存在がおぞましくて…おぞましくて……。



「お願いだから…こんな私に優しくしないで!!」



 クラウドとエニスはティファの言葉に衝撃を受け、ビクッ!と体を震わせると、顔を見合わせた。


「お願い……私は二人に優しくされる資格なんかない!!」


 顔を覆い、己の額に爪を立てるティファに、クラウドとエニスはただ、言葉もなく立ち竦むのだった…。