どうして?

 こんなに一生懸命頑張ってきたのは、全部アナタ達のためなのに!
 それなのに、どうしてそれを分かってくれないの!?



 アナタは分かってますか?



 アナタの大切な人達は、決して『アナタ』ではない『別の人間』だということを。






ほどけ堕ちる絆 3







「な…に…、それ…」

 カラカラ干上がった口の中、何度かつばを飲み込んで搾り出した言葉は、とても弱々しく、上ずって聞こえた。
 ティファの動揺を前に、クラウドはどこまでも冷静だった。

「もう別れよう。俺達が一緒にいても良いことは何もない」
「な!」

 淡々と語る彼の口調に、頭の中はパニックになっている。
 先ほどまで脳内はクラウドをいかに謝罪させるか、そしてその後のことでいっぱいだったというのに、今はその欠片も残っていない。

 ティファは、ただただひたすら、クラウドの青い瞳を見つめた。
 その瞳の中に『ウソだよ』と言ってくれる可能性を探して。

 だが、その希望は紺碧の瞳を前に虚しく散った。
 クラウドのどこを探しても、『ウソだよ』と言ってくれる可能性が見つけられなかった…。
 こんなにクラウドに冷たく見つめられた記憶はない。
 ティファは混乱した。

 一体、どうしてそんなことを言われるのだろう!?
 今まで一生懸命頑張ってきたのは、全部子供達とクラウドのためだったのに!
 クラウドが安心して帰ってこられるように、ずっと頑張ってこの店を守ってきたのに。
 子供達を育てるためにも、どうしても先立つものが必要だった。
 それが分かっているからこそ、こうして必死になって頑張ってやって来たのに、それを全部否定されてる!

 どうして!?
 どうして、どうして、どうして!?

 聞きたいことは山のようにあるはずだ。
 だが、山のようにあるはずの疑問は、言葉となってティファの脳内で形作ってはくれず、彼女は虚しく口を開閉させて、荒い息を繰り返すのみだった。

 クラウドは冷たい表情のまま、ゆっくりと頭を振った。

「ティファ。今更そんな顔されてももう無理だ。俺も…子供達も…」
「 !! 」

 鋭く息を吸う。
 ヒューッ、ヒューッ!と喉が鳴った。

 クラウドの言葉の意味が分からない。
 何故?
 子供達までもが自分に愛想をつかしたと言うのか!?
 仕事で厳しくしたから!?
 でも、あれは仕方ないではないか、仕事なのだから!
 子供のおままごとではないのだから!!

 数々の言葉が喉元に競りあがる。
 だが、どれ一つまともな言葉となってはくれない。
 ティファはせわしなくクラウドの顔のパーツへ視線を這わせた。
 冷たい目。
 寄せられた眉。
 微笑の欠片もない口元…。

 何がどうなってこんなことになっているのか、さっぱり分からない。
 ティファは膝を激しく震わせ、崩れるようにスツールに腰を下ろした。
 態勢が崩れて落ちそうになったが、持ち前の運動神経で立て直す。
 心臓がバクバクと不規則にリズムを刻むのは、椅子から落ちそうになったことが原因じゃない。

 クラウドが、まったく助けようともしないで、静観していたことがショックだったのだ。
 以前の彼なら、絶対に手を伸ばしてくれたのに…!

 そこまで考えた時、ティファはハタ…、と気がついた。

 いつからクラウドのことが分からなくなったのだろう…?
 いつから子供達は自分のことを『一緒にいられない』と思うようになったのだろう…?
 一体…自分は何をしてしまったのだろう…。
『一緒にいられない』と思われるような『酷いなにか』…。
 一体それはなに?
 いつしでかした…!?



 …思い当たらない!!



「分からないんだな…」


 ティファはハッと我に返った。
 一瞬、物思いに耽ったせいでクラウドから視線が逸れていたらしい。
 再び目にしたクラウドの瞳には、冷たさの奥の奥に…深い深い傷が刻まれていた。

 心が壊れて……、ある程度癒された状態…と言った方がしっくりくるかもしれない。
 ティファの心がざわついた。
 彼が何に傷ついていたのか分からない。
 分からないのだが…。

 十中八九、自分が関係している。
 それも、深い部分で…。

 それだけが分かった。
 だが、それだけが分かったとして、一体なんになろう?
 今、まさにクラウドから別れを告げられている。
 どうしたら良い?
 このまま彼の望むように別れた方が良いのだろうか?

 …。
 ……クラウドの帰ってこないこの店を守るのか…?


 無理だ!
 容認出来ない!!


「イヤよ!!」


 ようやく言葉になった声。
 しかし、クラウドは聞き入れようとしなかった。


「無理だ」
「どうして!?」
「俺も…子供達も、どうして別れたいって言っているのか、ティファは分かってないだろう?」
「分からない…、分からないわ!分からないからちゃんと言ってよ!私の何が悪かったのか言って!そうしたら私も頑張って治すから!!」


 大きな声を出すことで、身体に力が戻ってきたらしい。
 気がついたら勢い良くクラウドに抱きつき、必死になって彼を見上げていた。
 だが、クラウドは冷たくその抱擁を解くと、目を細めた。

 少しも温かみのない…眼差し。
 ティファの心が冷たく震えた。


「ティファ…、言わないと本当に分からないのか…?」


 グッと息を呑む。
 クラウドの問いかけには、反射的に『そんなことない!』と言いそうになる力があった。
 だが、もしも『そんなことない』と口にしたら、
『じゃあ、聞かなくても分かってるんだろ?』
 と、引き下がられてしまうだろう。

 どうしたら良い?
 どうしたら良いの?

 グルグルと思考が回る。
 小さな袋小路に迷い込んでしまった思考は、結局答えなどつれてきてくれるはずもなく、ティファは虚しく口を閉じた。

 クラウドはそんなティファに諦めたような溜め息を吐いて、少し距離を置いた。

 ティファにはその距離が、とてつもなく遠いものに感じられた。
 そして、ようやく悟る。
 この遠いと感じられる距離感こそが、クラウドと子供達に対しての自分の心の距離なのだ…と。

 昨日まで、こんなことはなかった。
 自分のすぐ傍には子供達がいて…。
 離れていても、クラウドの心もいつも寄り添っていると感じていた。
 それなのに!
 いつの間にこんなに距離が開いていた?
 距離を開けたのは自分か?それともクラウド?子供達?
 どちらからなのだろう…?


「ティファ。『俺達はずっと家族だ』…そう言ってくれたよな…?」

 クラウドの言葉に記憶が戻る。
 確かにそれは、クラウドが家出から戻ってきた時、ティファがクラウドに送った言葉だった。
 あの時は本当に嬉しかった。
 クラウドとデンゼル、そして多くの人達の星痕症候群が癒されて…。
 クラウドが戻って来てくれて…。
 また、家族として一緒にいられるようになって…。
 もう二度と、離れない!とクラウドが誓ってくれて…。

 アイシテル、と言ってくれて…。

 本当に嬉しかった。
 幸せだった。
 毎日が輝いていて、すごくすごく楽しくて。

『ティファちゃん、毎日楽しそうに仕事してるね。その姿を見てると、また明日、頑張ろう!って思えるよ』

 ある日、客の一人にそう言われた。
 すごくすごく嬉しい一言だった。
 傍らで子供達も誇らしげに見上げてきてくれていた。
 クラウドも、店の端でほんのり微笑みながら視線を送ってくれた。

 全てが満ち足りていた。


「ティファ。『家族』って…なんだ?」
「え…?」
「ティファの言う『家族』ってなんだ?一緒に働いて、一緒に食事をして、同じ屋根の下で寝るのが『家族』なのか?」
「…あ…の…」
「もしもそれだけがティファの言う『家族』なら、別に俺達じゃなくてもティファは幸せにやっていけるよな」


「え…?」


「でも、俺も…、デンゼルもマリンも、『それだけ』じゃ『家族』として幸せにやっていけないんだ」



「だから、お互いの幸せのために、もう別れよう」
「そんな!!」



 もう一度口にされた『別れの言葉』に、ティファはまたしてもしがみ付こうとしたが、グイッ!と押しやられた。
 冷たい拒絶。
 アイス・ブルーの瞳に見つめられ、心が凍りそうになる。
 呼吸が苦しい。
 視界が揺らめく。
 唇が震えて上手く言葉にならない。
 今…。
 今、言わなくては!
『家族』として傍にいて欲しいのはクラウド達だけなのだ…と。
 他の人間ではダメなのだ…と。
 だが、この完璧な拒絶を前にして、ティファはなんと言って良いのか分からなかった。
 そもそも、クラウドが口にした『家族の条件』は、ティファ自身、クラウドや子供達に強要した記憶がない。


『一緒に働いて』『一緒に食事をして』『同じ屋根の下で寝る』


 いつ、そんなことを言っただろう!?
 言っていない、そんなこと!
 言っていないし、態度で示したことなど…!

 …!?

 脳内に電撃が走ったような衝撃を覚えた。
 固まるティファに、クラウドは眉間のシワをスーッと消した。
 沈痛な面持ちの方がまだマシだった、とティファが思うほど、感情に欠落した表情がクラウドの顔を覆った。

 ティファは知らず知らずのうちに口元を両手で覆っていた。
 自分がここ数ヶ月にわたり、『家族』に接してきた姿を客観的に想像して絶句したのだ。

 子供達が遊びから帰ってきて、楽しそうに話しかけても店のメニューに没頭するあまり、
『後でね』
 とすげなく突っ返したことが何回あったことか…。
 クラウドの帰宅が遅いことを案じる子供達に、
『大丈夫よ、クラウドは強いから。ほら、お客様達をお待たせしたらダメよ。早くメニュー、お聞きして』
 そうたしなめたことが何回あった…?
 いつしか、その台詞は『今は仕事中でしょ?いい加減にしなさい』に取って代わった。

 一方、クラウドに対しては…。
 久しぶりに彼の仕事が休みの日、家族揃って旅行に行こう、と言い出したことがあった。
 だが…その提案を…。
『ダメよ、二日も続けてお店をお休みするなんて。楽しみにして下さっているお客様に申し訳ないでしょ?』
 そう言って、あっさりとクラウドの提案を蹴った。
 それだけでなく、クラウドが色々と子供達の様子を携帯の向こうから案じてくれていたのに、

『大丈夫、2人共元気よ。じゃ、忙しいから切るわね』
『クラウドもお仕事大変でしょうけど、頑張ってね。今度帰って来る時、ついでに地酒を数本持って帰ってくれる?もう切れちゃいそうなの』
『え?デンゼルが怪我?そんな風には見えないけど…。うん、後で聞いてみる。え?今?無理よ、だって仕事中ですもん。それに、本当に酷い怪我なら私にすぐ教えてくれるでしょ?お盆を持ってる姿を見る限りでは大丈夫そうよ。だからまた後でね』
『もう、クラウドしつこいなぁ。今忙しいから、じゃ!』

 等々。

 本当に子供たちのことを見ていたのか!?と問われれば、肯定出来ないような言葉を沢山クラウドに返してきた。
 そして…子供たちにも…。

 ティファはようやく目が醒めた。
『自分』が全く見ていなかった。
 大事なものが何か。
 一体、何のために働いていたのかの主旨。
 それらを含め、ティファは自分がいつの間にか大切にしないといけないものを疎かにしていたという事実に気がついた。
 気がついて…。

 慄然とした。

 犯してしまった罪の深さと、自分が傷つけた大切な人達の心の傷を思い計り、震えが止まらなくなる。
 膝が笑う。
 足元がガラガラと崩れてなくなる感覚がする。

 そんなティファを、クラウドは冷然と見下ろしていた。
 察せずにはいられない。
 もう何を言っても、クラウドは聞き入れてくれないのだ…と言うことを。
 そして恐らく、子供達も…。


「ごめんなさい」


 震えるか細い声で呟くように訴える。
 クラウドは表情を変えない。


「ごめんなさい、お願い…」


 少し大きな声で訴えることに成功する。
 だが、それでもクラウドは表情を変えない。
 無表情のまま、クラウドは口を開いた。


「ティファ。今、ティファは『家族』を失うかもしれない恐怖心で必死になってるだけだ」


 違う!
 そう言いたかった。
 失う恐怖心は確かにある。
 だが、それだけじゃない。
『家族』を失うかもしれない恐怖心からではなく、『クラウド』『デンゼル』『マリン』を失う恐怖心で雁字搦めなのだ。
 そう…言いたいのに…。

 クラウドの冷たい目を見つめていると、それらの言葉が舌の上で凍りつき、言葉にならない…。
 ティファの心の中を見透かすかのように、クラウドは淡々と口を開いた。


「ティファ。俺達はもう疲れた。こうなる前に、ティファに何度も何度も話をしようとしてきた。でも、ティファはいつも『今は忙しい』の一言で俺たちの話を聞こうとしなかった」


 まるで死刑宣告のように、クラウドの言葉がティファを地獄に引きずり込む。


「何度も…何度も。一度は寝る間も惜しんで話をしようとした。でも…」

「ティファ、俺に怒鳴った。『明日も店が忙しいんだからいい加減にして』ってさ…」

「子供達は今が多感な時だ。その大事な時期を心健やかに過ごしてもらいたい」

「だから…」


















「俺達は明日、出て行く。もう限界だ」















 ティファは目の前が真っ暗になった。