「なぁ、どうして俺にここまで構うんだ?」 彼女は笑った。 「アナタが好きだから」 それは…。 青年の心に重い……重い……『枷(かせ)』となった。 欠けたピース 2意識が戻って五日目。 幸い、両脚は打撲と裂傷だけで済んでいた為、松葉杖でのリハビリの許可が出た。 本当なら、かなりな怪我だったのでもっと回復に時間がかかるのだが、病院の高価な治療薬のお蔭か、それとも元々回復力が桁外れにあるのか…。 青年は医師達が目を見張る勢いで回復していった。 そして、とうとう出た『リハビリ許可』。 青年の看病を一手に引き受けていた女性、ナルシュスは猛反対した。 「先生!まだ早すぎます!!」 「いや、しかしもうこんなに回復してるなら、逆にリハビリをしないと筋肉が硬直してしまって良くないんだよ」 「でも、あんなに大怪我してて意識が四日も無かったんですよ!?意識を取り戻してからまだたったの五日じゃないですか!いくらクロードの回復が早いからって、もうリハビリをして良いだなんて信じらんない!!!」 「しかしだなぁ…」 「先生は、クロードに後遺症が残ったらどう責任を取るつもりなの!?」 医師はその言葉に反論出来なかった。 傍らで見ていた青年は、過保護すぎるとも言える彼女の激昂ぶりに口を挟めず、ただ見守ることしか出来なかった。 彼女が自分に特別な思いを抱いていると、薄々感じてはいた。 しかし、自分にはその記憶がない。 彼女を『特別』だと思い、歩んできた時間の記憶が…。 それに、それだけではなかった。 何とも言いがたい『違和感』。 自分が傍にいたいと思う人は…別にいるんじゃないかという…違和感。 どうもしっくりこない。 ナルシュスがいくら笑いかけてくれても。 優しく触れてくれても。 『好きだ』と言ってくれても…。 『この人は誰なんだろう…』 その疑問しか浮かんでこない。 それに、彼女の笑顔を見ていると…。 『モヤモヤする…』 頭の片隅で……。 心の奥底で……。 『彼女じゃない』 そう言う声が聞える。 それは紛れもない『自分』の声。 だが一方で、 『彼女でも…良いんじゃないのか?こんなに良くしてくれてるのに…』 『一週間以上、誰も『俺』を探しに来ない…。ということは、『俺』には『大切な人』がいないんじゃ…?』 『もしかしたら、『何か』から『逃げ出した』のかもしれない…』 そういう後ろ向きな声もする。 その声が聞えるたび、綺麗さっぱり記憶が無いくせして、心臓が鷲掴みにされたように痛む。 とっても身に覚えのあるような……そんな『気』がする…。 今のところ、その『胸の痛み』を顔には出していない……つもり。 しかし、いつもならズバッと言う彼女が何か言いたげに自分を見ることがある。 問いかけるように見つめ返すと、必ず困ったように笑って首を振るのだ。 だから、もしかしたら自分の胸の痛みに勘付いているのかもしれない。 だが…だからと言ってこればっかりは……。 『どうしようもない…よなぁ…』 自分のものであるはずの『記憶』ですら取り戻せていないのに、振って湧いたように感じる感情をどうにか出来るはずがない。 だが…。 ここまで献身的に看病してくれる彼女を無下にあしらう事など出来るはずがない。 彼女がいてくれたからこそ、記憶喪失という大きな衝撃の中でも耐える事が出来たのだから。 そして、今、医師に食って掛かっている彼女は、他意があるにしてもないにしても、とにかく自分の身体を案じてくれているのだけは確かだと…そう思える。 いくら……『違和感』を感じているからといって、彼女の『献身的な看護』を無視出来ないし、彼女の存在を否定出来ない。 例え、記憶を失う前の自分の人生に彼女がいなかったとしても…。 袋小路にはまり込んだ思考。 グルグルと同じ事を考え、また元に戻って悩む自分にほとほと情けなさが込上げる。 両手を腰にあて、物凄い剣幕で医師を病室から追い出す事に成功したナルシュスにバレないよう、青年は溜め息をこぼした。 そうしてこの日も結局、医師の指示よりもナルシュスの意見が通ってしまい、そのままリハビリをする事無く一日がまた終ろうとしていた。 窓に差し込む夕陽に目を細めながら、すっかり機嫌を直した彼女の話しを聞くともなしに聞きつつ、胸の中は空虚感で一杯だった。 意識を取り戻してから既に五日。 失ってしまった記憶は戻る気配を見せない。 それどころか、記憶を取り戻すチャンスすら手に出来ていない状態が続いている。 何故、大怪我を負うことになったのか。 何故、ここ『ニブルヘイム』にいるのか。 何故、自分の持ち物を返してくれないのか。 何故、記憶を失う前の自分について、なにも話してくれないのか。 何故、何故、何故……。 沢山の疑問が後から後から湧いてくる。 これらの当然の疑問は、意識を取り戻し、記憶がなくなっていると気付いた直後から医師、看護師、そしてナルシュスに幾度か訊ねている。 しかし、彼らが……特にナルシュスが頑なに話すことを拒否する為、とっくに聞き出すことは諦めた。 だが、だからと言って納得してるわけではない。 逆に、理不尽に思う気持ちが常にブスブスと胸の中で燻っている。 自分の持ち物すら返してもらえない…というのは酷すぎないか? 『崖から落っこちた時に急流に流されちゃったの』 彼女はサラリとそう言った。 しかし……。 いくらなんでも『全部』川に流されてしまった…ということはないだろうに…。 着ていた服は…? そう訊ねると、 『血みどろだったから…』 そう言って顔を伏せてしまった。 本当に何もかも、自分の持ち物は何一つ返してもらえていない。 川に流された。 本当の事かもしれないが…それでも…。 服のポケットの中とかには何も無かったのだろうか…? それに…。 どうも……嘘くさい。 なにが…?と言われれば分からないが、それでも彼女達が何故か『嘘をついている』と確信している。 そっと胸に手を当てる。 正確には……胸にあるべき『モノ』を無意識に触ろうとして……それが無い事に違和感を感じている…。 「どうしたの?どこか痛い?」 顔を覗き込んでくる彼女は、本気で心配しているように見える。 寄せられた眉、曇る茶色い瞳。 その表情にドキリとする。 「あ、ああ…なんでもない」 「本当に…?」 「ああ、本当に」 「………」 ジッと見つめてくる茶色い瞳に吸い寄せられる。 「本当だって…」 「……そう?」 「ああ」 心配そうに曇る瞳に…焦りを感じる…。 理由は分からないが、彼女が誠心誠意、一生懸命看病してくれているのは事実なのだから…。 だから…だろう。 曇った顔を晴らしたくなった。 はっきりと彼女の目を見つめて頷くと、 「良かった」 予想通りに笑ってくれた彼女にホッとして…。 そうしてまた…。 わけの分からない罪悪感がチリチリと胸を焦がす。 その胸の痛みがバレないよう、青年はほんの少しだけ唇の端を持ち上げて笑みを形作り、窓の外へ視線を流した。 茜空にオレンジ色の雲がたなびく様は、どこか人恋しくなる…。 こんなにも傍に『彼女』がいるのに、無性に『会いたい』と思うのだ。 『なんで……探しに来てくれないんだろう……』 ふと、脳裏をよぎったその疑問に、次の瞬間ハッとした。 なくした記憶の中に、きっと『探しに来てくれる誰か』がいたのだ。 そうでなければ、こんな疑問は浮かばない。 恐らくナルシュスにこの事を言えば、彼女は困ったように笑い、なにか適当な理由をつけて自分の考えを否定するだろう。 記憶を失う前の自分を彼女が受け入れていないことはこの数日ではっきりしている。 だからこそ、彼女は『記憶のない自分』を必死に『保とう』としているのだ。 だから……何もさせてもらえない。 病室からも出られない。 まぁ、もっとも、身体の調子自体が良くないので出られるはずもないわけだが…。 それにしても、医師の指示を捻じ曲げてまでリハビリを阻止するとは…。 リハビリをする…ということは、身体を動かすということ。 なんとなく…身体が『動きたがっている』気がする。 だから、ナルシュスがリハビリを阻止した時、本当にガッカリしたし、ほんの少し苛立った。 『きっと、俺は身体を動かすのが好き…というか、得意だったんだろうな…』 そう気付いたとき、無くしてしまった『自分』の手がかりになるかもしれない…と、淡い期待を持った。 しかし、実際には到底不可能だ。 何しろ、消灯時間までみっちり彼女が『看病』に来てくれているのだから。 なんだか、ここまでされると恐縮を通り越して『監視』されている気分になる。 勿論、ほんの少しだけ……だが。 そう仮に…。 例えば、彼女が『自分の恋人』だったら…。 ここまでしてくれるのも当然なのかもしれないし、実際、彼女は「アナタが好きだから」と言ってくれた。 しかし……やはりどう考えても何かが違う。 異性に告白されたら嬉しいはずなのに……。 それなのに……。 『違う』 真っ先にそう感じた。 そのくせ、何故か彼女の『瞳』と『髪』に何故か『懐かしい』と思っている自分もいるわけで…。 『……ダメだ……』 考える事を放棄し、改めてベッドに横になる。 ナルシュスが心配そうに顔を覗き込んできたが、 「ごめん、疲れたから少し寝る」 とだけ伝え、目を閉じた。 瞼を閉じて彼女の姿を視界から追い出す。 そうして。 決心した。 『いつまでもこのままじゃ…ダメだ』 このままでは何も良いようには変わらないだろうし、なによりどんどん『自分』を取り戻せなくなるような気がする。 『バレない様に……なんとかしないとな……』 行動するのは消灯時間が過ぎてから。 クロード…と名づけられた青年は、彼女の視線を感じながらシーツの中でそっと拳を握り締めた。 そして。 訪れた消灯時間。 意識を取り戻してから今日までの時を病院で過ごしていた為、何時に看護師の巡回が来るか、大体覚える事ができている。 その巡回の時間に重ならないよう…。 一回目の巡回…夜の二十二時頃、やはりそっと病室のドアが開けられた。 この時間に起きていることが当たり前になっていた為、看護師は青年が横になったままぼんやり空を眺めている姿に、特に咎めたりする事も無く、いつもの様に具合を訊ね、窓のブラインドを閉めるように促すだけで何もしないで出て行った。 足音が遠ざかる。 完全に看護師の気配が遠のいてから、青年はそっと身体を起こした。 ゆっくり…ゆっくり。 ベッドから脚を下ろし、そっと立ってみる。 これまでは、トイレに行くにしても必ず彼女が車椅子で付き添い、夜中はナースコールで看護師を呼ぶようにしていた。 だから、一人で立つのは……初めてだ。 ゆっくりと片足を上げてみる。 途端、衰えていた筋肉が片足だけで体重を支えきれずに危うく転倒しそうになる。 咄嗟にベッドの柵を掴んで身体を支え、転倒を免れた。 ドッと汗が噴き出したのは、冷や汗か、それとも片足にかかったときの負荷によるものか…。 心臓がバクバクと激しく脈を打っている。 「おいおい……こんなに弱るもんなのか……」 愕然とした思いがつい、口を出る。 しかし、逆に身体の奥底からフツフツと湧き出てくるものがあった。 それは……『躍動』。 意識が戻ってから、初めて気分が高揚する。 口元に笑みが浮かぶ。 ― やるべき事が見つかった ― その思いが気持ちを高ぶらせる。 そう、記憶を失ってから初めて自分が何をするべきか、確かなものを手に入れた気がした。 恐らく、ナルシュスがいる間は何も出来ないだろう。 勿論、あと数日経ったら彼女の目の前でも堂々とリハビリを行えるようになるかもしれない。 しかし、その数日間が惜しい。 相変わらず胸の中には、表現しがたい焦燥感が燻っている。 なにかがしきりに『早く、早く!』と己を急き立てている。 記憶を失った状態にあるにも関わらず、その『焦燥感』だけが未だに残っているということは、自分は何か『しないといけない』のか、あるいは『戻らないといけない』のだろう。 「まぁ、今戻ろうとしても無理なんだけどな…」 軽口を叩くよう一人ごちると、再び今度は両脚を使ってゆっくりと腰を落としてみた。 軽いスクワット。 膝が……太ももが……ふくらはぎが…悲鳴を上げる。 ミシミシというか、ギシギシというか…。 額に汗の玉が浮かぶ。 ギリリ…と奥歯をかみ締め、ほとんど膝を曲げる事が出来ないまま、ゆっくりと今度は足を伸ばして直立の姿勢に戻る。 「……これは…時間がかかるなぁ…」 身体がここまで衰えていたのには正直驚く。 しかし、気持ちは違う。 ナルシュスを筆頭に、他の人間に隠れて自己流のリハビリを行う事に意欲が強まった。 ナルシュスの言う通りに過ごしていたら、記憶のある頃までに体力を取り戻すのはうんと先になるだろう。 今の自分の状態をしっかりと忘れないよう心に留め、青年は再び脚の運動を始めた。 「どうしたの?今日は随分しんどそうだけど…」 「…ちょっと熱っぽい」 翌日。 いつものように朝食の時間に間に合うよう病室を訪れた彼女が、ベッドの中でだるそうにしている青年に心配そうに声をかけた。 素直に返答してくれた青年に、ナルシュスはほんの少し嬉しそうに笑うと、慌てて表情を引き締め、ベッド脇に置いてあるテーブルの上の体温計に手を伸ばした。 「ね、だからリハビリなんか無理だって言ったのよ。こんなにまだ状態が安定してないんだから」 「………そうだな」 気落ちしたような声に、慌てて「大丈夫よ。クロードなら一週間後くらいになったら軽くリハビリが出来るようになるわ」と励ます。 その励ましの言葉にウソは感じられず、青年はシーツに包まりながらチクリと痛む胸を無視しようとした。 『もしも…記憶が戻ったら。ナルシュスはどうするんだろう…』 フッとよぎったその疑問。 その疑問に……再び胸がチクリと痛んだ。 昨夜決心したばかりの心を揺さぶるその胸の痛みに、ひたすら目をそらして身を縮こませるのだった。 あとがき。 最終話にまとめて書きますね。 |