「デンゼル…マリン…」
そっと身体を揺らされて、子供達二人は眠りの国から呼び戻された。
欠けたピース 6
まだ眠りから冷め切らない頭でも、昏々と眠るティファへの配慮を忘れたりしない子供達は、バレットに促されて大人しく部屋を後にし、着いて行った。
向かった先は食堂。
時計を見ると、既に朝の八時。
いつもならとっくに起きている時間なのに、まだ寝足り無いのは、心からゆっくり休めていないからだろう。
ボーっとしたまま、差し出されたホットミルクに口をつける。
二人共、「「おはよう」」と挨拶した以外は話さない。
シドとバレットはチラリと視線を合わせると、お互いに顎でしゃくって『お前が話せよ』とやりあっている。
そんな端から見たら漫才のようなやり取りに、子供達は気付かない。
俯いたままカップを見つめ、眠そうで……どこか悲しそうな顔をして黙りこくっている。
「あ〜…そのなんだ。二人に大切な話があるんだ」
切り出したのはシド。
やはり、バレットが説明をするには不向きであるという判断と、バレットとの『無言の応酬』の結果、根負けしてしまったことにより、不承不承、大切で…重要な話を語る役目を引き受けた。
そして告げられた衝撃の事実。
それは、子供達を喜びの涙で一杯にし、次に告げられた事実をも笑顔で吹き飛ばした。
「クラウドが私達の事を忘れてしまったってことくらい、なんでもない!」
「そうだ!思い出って必要だけど、そんなの生きてたらこれから先、創っていけば良いじゃん!」
「それに、クラウドの事だもん。案外、ティファの事だけはすぐに思い出しちゃうかも」
「そうだな、うん!でも、たとえ思い出さなくても…一緒に生活したら……きっと、クラウド、ティファの事また好きになるよ」
「うんうん!ティファも、クラウドが生きてるだけで……それだけで………っく……絶対…喜んで……ひっく…」
「っく……そうだよ……。……かった………ホント………良かったよぉ……!!」
泣きじゃくり、顔をグシャグシャにして抱き合って喜んでいる子供達に、クルーも含め、大人達は鼻を啜り、目をこすった。
だが、ここで感動の渦に巻き込まれてはいけない。
もう一つの可能性を告げなければいけないのだから。
「グシッ……デンゼル、マリン。お前達の気持ちは分かった。だがな……」
一つ大きく息を吸い込んで呼吸を整える。
子供達が涙でクシャクシャの顔を上げ、シドを見た。
「もしも……クラウドがティファやお前達と一緒に住むのを嫌がったら……どうする?」
「……これは一体どういうことですか……」
いつものように朝食のトレイを手に病室を訪れたナルシュスは、部屋の中にいる『侵入者』に顔を引き攣らせた。
震える声は怒りの大きさと動揺の表れ。
対する二人と一頭は実に落ち着いている。
間に挟まれている関係の青年は、そわそわと不安そうな顔をしてドアの入り口で仁王立ちをしている女性と、『仲間』と称して夜中に突如現れた二人と一頭を見比べた。
その腕には、当直明けの看護師が点滴の最終確認をし終えた直後、拘束されていた紐と共に自由を取り戻している。
『下手に騒がれないように』ということから、一晩中青年の腕には点滴の針と拘束の紐がされていた。
彼女の揺れる視線が青年の腕に注がれ、引き攣った顔が更に引き攣られる。
「『どういうこと』?はんっ。それはこっちが聞きたいね」
ニヤッと笑うウータイの忍は、口元が笑っているだけ…。
目は全く笑っていない。
足元の赤い獣はスッと立っているだけだが、それでもその存在は凄まじい。
いつでも飛びかかれる準備があるのだと気配で感じる。
そして、自分に一番近い位置で、寄り添うように立っている赤いマントのガンマンは、黙ったまま紅玉の瞳をひたとナルシュスに向けていた。
「あんたさ、昨日言ったよね?『クラウドさんに久しぶりにお会いしたい』ってさ」
挑戦的な口調と共に、ナルシュスへ一歩近付く。
ナルシュスはグッと言葉に詰まったが、それでも後ずさる事無く、逆に睨みつける眼光を鋭くした。
「それなのに、ここに当の『クラウド』がいるって…どういうこと…?」
嗤っている。
顔は見えないが、青年にはっきりそう分かるほどの嘲笑が声音から痛いほど伝わってくる。
対している女性は、若干顔色を悪くしたものの、物怖じしない態度を崩さない。
これには内心、ヴィンセントは驚いていた。
自分達に向けられているのではない『怒り』。
それなのに、いつものお調子娘の怒りがどれほど強いものか、イヤでも感じるというのに、対象となっている女性はそれを真っ向から受け止めるだけではなく、睨み返している。
しかも……ユフィに負けず劣らない気迫を込めて……。
「どういうことも、こういうこともありません。見たとおりです」
「は!?」
震える声を必死に抑えているのは…動揺を隠す為か、それとも己の中に膨れ上がっている激情を押さえ込むためか…。
ナルシュスはギリリ…と歯軋りがするほど食いしばった口元から言葉を吐き出した。
「一体どこに『英雄、クラウド・ストライフ』がいるんです…?」
「アンタ……一体なに言ってん「ここには!!」
ユフィの怒りの声を遮り、甲高い声を上げた女性に、ベッドの上の青年は目を見開いた。
初めて目の当たりにする狂気に彩られた女性。
これまで、献身的に自分を看護してくれていた…その女性が……。
今ではまるで別人のようだ。
いや…。
これが彼女の本性なのかもしれない。
自分がリハビリをする事や記憶を取り戻す事に酷く消極的だったことを思い出す。
彼女が反対した時に垣間見た『異常とも思える過保護振り』は…『彼女の本性の一部』だったのだろうか……?
ゾッと背筋を冷たいものが走る。
怒りに突き動かされていたユフィですら、その激情が冷めてしまうほどだ。
「ここには『英雄』はいない……。『ただの男の人』がいるだけです!」
眦を吊り上げ、はっきりと言い切る。
ユフィとヴィンセント、そしてナナキは彼女が一体何を言わんとしているのか図りかね、怪訝そうな顔をした。
ベッドで静観する立場にいる青年は尚更だ。
わけが分からなくて口を挟む事など不可能だった。
そんな中、ナルシュスが一歩、踏み出した。
「ここには…『英雄』という『枷』に縛られた『クラウド・ストライフ』はいません。年相応の男の人がいるだけだと言ってるんです!」
この言葉に『英雄達』は息を飲んだ。
ナルシュスは言葉の攻撃を緩めない。
「折角…、折角『年相応の普通の生活』が出来るんです!やれ『ジェノバ戦役の英雄』だ。やれ『英雄なんだからこれくらい当たり前』だなんて、そんな偏見を持たれずに心穏やかに生活できるんです!やっと……やっと、彼は『自分の為の自分の人生』を歩めるんですよ!!!」
言葉を切り、キッと二人と一頭を睨みつける。
「それを……あなた達は奪おうって言うんですか!?」
甲高いその悲鳴のような言葉に…。
ユフィはサッと青ざめた。
ナナキも完全に気を呑まれて立ち竦んでいる。
ヴィンセントも僅かだがたじろいだ。
知っているから…。
誰よりも……身に染みて知っているから…。
『ジェノバ戦役の英雄』という『枷』に囚われる事がどれほど苦痛であるのか…を。
自分たち自身がそうであることも勿論だが、それ以上にクラウドの場合は複雑だ。
目の前で……セフィロスに操られてエアリスを殺そうとした。
その『呪い』を精神力で撥ね退けた直後。
手を伸ばせば届く距離にいたのに…。
彼女は凶刃に斃れた……。
それは『英雄』と呼ばれている者達全てにとって心に大きな傷となって今も残っている。
とりわけ、クラウドにとってその傷は大きすぎて……。
しかも、その傷以外にも彼には『彼にしかない傷』がある。
親友の死。
憧れのソルジャー。
そのソルジャーという力を手にしていた親友。
自分の盾となり、命を落とした大切な……大切な親友。
本当なら、彼一人だけだったら逃げられたのに。
自分がいなかったら……彼が星に還る事はなかったのに…。
彼は、自分自身の命よりも親友の命を優先させた。
結果、クラウドは星に還らず今もこうして生きている。
その事実だけでも重いのに、更に悪いことは…。
自分の盾となった親友と、目の前で命を落とした彼女が『恋人』だったこと。
かけがえのない存在を二人も失ってしまった事実。
彼女の恋人をみすみす死なせてしまった事実。
手を伸ばしたら助けられた距離にいたのに、『親友のように』失ってしまった事実。
気が狂う…。
クラウドが何故、ニブルヘイムで記憶喪失になっているのかは分からない。
しかし、たった一つ分かる事。
それは。
「記憶を取り戻したら、また『クロード』は『枷にはめられた人生』を歩まなくちゃいけないんですよ!?それなのに…こうしてわざわざやって来て……彼の平穏な生活をめちゃくちゃにしようとするだなんて……!!!」
ナルシュスの言うことは正しい。
クラウドが『クロード』と呼ばれて生きていくなら、『ジェノバ戦役の英雄』という重い『枷』から解き放たれて生きていける。
だが…。
「それでも、その人生を歩んでいく事を選んだのはクラウド自身だ」
ヴィンセントの低く…静かで……そして重い声がナルシュスの甲高い声の威力を消し飛ばすように病室を制圧した。
ナルシュスがギラッと睨み、反論しようと口を開く。
しかし、
「これまで、クラウドが『英雄』と呼ばれることから『逃げ出すチャンス』はいくらでもあった」
ヴィンセントの言葉が彼女のそれを制した。
彼女からは『クロード』と呼ばれ、夜中に来訪した客人達からは『クラウド』と呼ばれている青年は黙って耳を傾けている。
「実際、一度は全てを捨てて逃げ出した事もあった。だが、結局クラウドは戻ってきた。それがクラウドの選んだ『幸せな人生』だからだ」
ナルシュスの言葉よりも説得力を帯びているその言葉。
彼女の顔から血の気が引く。
「アンタがそれを知っているのか…それとも知らないで今回の行動に走ったのかは知らないし、知る必要はない。ただ、私達はクラウドを『あるべき場所』に戻す……それだけだ」
仲間達はその言葉で顔色を取り戻し、口元に笑みを浮かべると力強く頷いた。
しかし、当然ナルシュスは納得がいかない。
その場で足を踏ん張る姿は、何が何でも絶対に青年を連れて行かせまいという気迫すら感じる。
「そんなの……あなた達の独りよがりよ……」
震える小さな声は、声の大きさ以上に力に満ちている。
自分の考えが間違っていない…そう信じているのか…信じようとしているのか。
自信の持っている考えを曲げるつもりはないと、その気迫が全身から感じられる。
元気を取り戻したユフィが「だからさぁ、そっちの方こそ独りよがりじゃん!」と言いながらナルシュスへ近付いた。
しかし、その余裕を嘲笑うようにナルシュスが口を開く。
「だって……彼は思い出してないじゃないですか」
ピタリ。
ユフィの足が止まる。
ナナキがピンと尾を立てる。
ヴィンセントが訝しげに眉を寄せる。
そして…。
ベッドの上の青年は、困惑しきりにナルシュスを見た。
『英雄達』の視線を浴びて尚、彼女は背筋を伸ばして揺るがない。
「『クロード』と『クラウド』。似てると思いません?」
「え……?」「…???」「………」
唐突なその言葉に、三人は虚を突かれる。
ナルシュスは益々眼光を強めながら更に一歩、踏み出した。
「私が惹かれたのは紛れもなく『ジェノバ戦役の英雄』として生きている『クラウド・ストライフ』でした。でも…」
言葉を切って黙ったまま、一言も発しないベッドの上の彼を見る。
青年もまた、戸惑いながらも目を逸らさない。
「『クラウド・ストライフ』の『特別な人』になれないことも分かったから…だから私は『ここ』に来たんです…。彼から離れて生きる為に…。」
だけど…。
更にもう一歩踏み出す。
『英雄達』は動けない。
彼女がなにか得体の知れない『力』に憑かれるているような錯覚を覚える。
「彼はここに来てくれた。私のいる『ここ』に!」
唇を吊り上げて笑う女性に、ユフィの背筋を悪寒が駆け抜け、ナナキが全身の毛を逆立たせた。
ヴィンセントは思わずクラウドの前に立ち塞がり、仲間を守ろうとする。
なんの力も持っていないはずの女性を前に、『英雄達』は完全に気を呑まれた。
一瞬前には『英雄達』に利があったのに、完全に立場が逆転している。
狂気という名の枷に自ら囚われた人間には、いくらこちらが正論をぶつけても通じない。
それを『英雄達』はイヤというほど思い知らされていた。
そして、その分だけ目の前の女性に対し、二年前に感じた『緊張感』を覚えてしまう。
「『クラウド・ストライフ』としての『記憶』を彼が思い出せるよう…私なりに『工夫』したつもりです」
「それが……『クロード』という名前か…?」
昂然と胸を反らす女性に、ヴィンセントが吐き出すように言う。
彼女は頷いた。
「毎日毎日、彼に呼びかけたわ。でも、彼は思い出さなかった。それは彼が『クラウド・ストライフ』と呼ばれていた頃に戻りたくないから…そうじゃない?」
それはまるで勝利宣言。
高らかにそう言い放ったナルシュスに、『英雄達』は咄嗟に言葉が出なかった。
持論に酔いしれている人間を説得するつもりはさらさらない。
しかし、妙に的を射ているようにも思えるその言葉の数々に、思わず自分達がしようとしていることが躊躇われてしまうのも……仕方ないのではないだろうか?
それほど、『クラウド・ストライフ』という『仲間』の幸せを願っているのだから…。
「ナルシュス…俺は『誰』だ?」
四つの顔が青年に向けられる。
それまで何も言わずに困惑していた青年が、今では混乱の極みに達していた。
苦しそうに眉根を寄せ、片手で顔半分を覆っている。
「「「クラウド!」」」「クロード!!」
三人と一頭が思わず青年の傍に…あるいは手を伸ばして支えようと……触れようとする。
が…。
「来るな!!」
苛立ち、悲しみ、混乱。
それらがない交ぜになった悲鳴のような怒鳴り声に、全員が固まった。
一番近くにいたヴィンセントを睨み上げ、
「離れろ!!」
と威嚇する。
赤いマントの『英雄』は、その気迫に押されたのか……それとも、過剰なまでに精神的負担を負っている仲間をこれ以上刺激しない為か…。
黙ってそっと数歩分離れた。
顔半分を覆っている手でそのまま前髪を鷲掴み、青年はギリリ…と歯を食いしばる。
「なぁ…俺は『誰』だ?俺は『クラウド・ストライフ』なのか、それとも『クロード』なのか!?」
「そりゃ、アンタは!」「『クラウド・ストライフ』だよ!おいら達の仲間だよ!」「クロード!アナタは『クロード』なの!ただの『クロード』なのよ!」
ユフィ、ナナキ、ナルシュスが焦って…あるいは躍起になって叫ぶ。
ヴィンセントは興奮するユフィとナナキを制しようと腕を上げた。
だが、二人(?)は全く気付かない。
ナルシュスが金切り声で主張する『クロード』という名前に負けじと声を張り上げる。
段々とエスカレートしていく三人(?)に、ヴィンセントの中のなにかが『マズイ!!』と警告する。
「おい、よせ!」
三人(?)に向かって声をかけるのと同時に…。
「もう沢山だ!!」
青年が悲痛な叫び声を上げた。
一瞬にして病室がシン……と静まり返る。
聞えるのは、青年の荒い息遣いのみ…。
荒い呼吸の合間に「カチカチ」という音が聞えるのは、青年の噛みあわない歯の音。
片手は前髪を鷲掴んだまま、もう片方の手で己を抱きしめるように…ベッドの上で膝を曲げる。
興奮していた三人(?)は、漸く自分達が青年を追い詰めていた事に気付いた。
「もう…良い……もう沢山だ……」
青年の口から零れた呟きに、ユフィとナナキの全身から血の気が引く。
ナルシュスも同様だ。
ふらふらと、ベッドの上で小さく震えている青年に近寄ろうとするが、その途端に、
「来るなと言ってるんだ!!」
噛み付くように怒鳴られ、その場に立ち竦む。
「俺は……『なんだ』?『本当の俺』って一体なんなんだ?」
熱に浮されたように呟くその言葉に、ヴィンセントは自分達が間違っている事を知った。
クラウドが知りたがっていた『自分』とは。
『ジェノバ戦役の英雄のリーダー』と呼ばれていたということではなくて……。
もっと………もっと根本的なもの。
そう…。
彼にとっても…『彼女達』にとっても『欠かす事の出来ない存在』だという『事実』。
ようやくクラウドが求めていた『答え』に気付いたというのに!!
目の前で小さく震えて『己の殻』に閉じこもってしまった。
おそらく、今は何を言ってもクラウドの心には何も響かないだろう。
だが、今。
こうして目の前で苦しんでいるというのに、言葉をかけずにはいられない。
しかし、なにを言ったら……どんな言葉を口にしたら、彼の心に届くのだろう?
『自分がなんなのか分からず苦しんでいる』その苦しみから解放してやれるのだろう?
『かつての仲間』を、ヴィンセントは胸を掻き毟られる思いで見つめていた。

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