「「「………」」」
「………」

 この上ないほど居心地の悪い空気が病室前の廊下を漂っていた…。



欠けたピース 8




 イライライライラ…。
 そわそわそわそわ…。
 ズキズキズキズキ…。
 うろうろうろうろ…。

「…おい…落ち着け」
 ヴィンセントは所在無げにグルグルと行ったり来たりを繰り返しているウータイの忍に声をかけた。
 途端、ギンッと睨まれる。
 しかし、その眼光も今にも零れそうな涙の為か、威力は通常の半分以下だった。

「落ち着けって……落ち着けって〜〜!!」
 興奮しているのか落ち込んでいるのか…。
 周りから見たらさっぱり分からないが、恐らく当の本人も分かっていないだろう。
 赤くなったかと思えば青くなって追い出された病室のドアとヴィンセントの顔を何度も何度も往復して見る。
 ナナキは廊下の隅っこでどんよりとしょげ返っていた。
 ナルシュスは…。
 廊下に備え付けられている長椅子に顔を強張らせて座っている。

 はぁ…。

 深い深い溜め息を一つ吐き出し、グルグルとパニック状態になっているお元気娘の頭を軽く抱き寄せ、ポンポンと叩いた。
 途端に上がる「ふぃ〜〜〜ん…」という、何とも情けない泣き声。

 やれやれ…。

 天井を仰ぎながら、寡黙な英雄は、
『早く……到着してくれ……』
 こちらに向かっているはずの仲間達を思いながら、再び溜め息を吐いたのだった。
 その時。
 エレベーターが到着した『チン』という音が廊下の向こうから聞え、続いて足音が徐々に近付いてきた。
 ここはこの病院の一番上の階。
 そして、病室は一つだけ。
 かなりのVIP室なのだ。
 その階にエレベーターが止まり、誰かが来る。
 否が応でも、廊下に追い出された三人と一頭はエレベーターのある方向へと顔を向けた。

 現れたのは……白髪が混じった細身の男性。
 青年の…主治医。

「………なにしてるんです…?と言うよりも……」

 一瞬、廊下にいる面々に驚いた顔をしたが、すぐに事情を察したのだろう。
 諦めたように…それでいて、どこかさっぱりしたように笑みを浮かべて、

「とうとう……いえ、『やっと』彼を迎えにきたんですね」

 そう言った。


 ナルシュスがカッとなって怒鳴り声を上げようとしたが、それを素早くヴィンセントが口を塞いで阻止する。
 あらん限りの力を振り絞って身を捩り、その拘束から逃れようとするが、男性と女性、ましてや『英雄』と『一般人』。
 敵うはずがない。

「ナルシュス…もう諦めよう…」
「んーー!!!」

 口を塞がれたまま、凄まじい形相で睨み上げる女性に、医師はポケットに突っ込んでいた手を出した。
 その手には…。

「すいません、ちょっと抑えてて下さい」
「へ!?え、あの……えぇ!?」

 傍らにいるユフィに暴れるナルシュスを抑えるよう頼むと、突然のことに目を剥いて驚くウータイの忍を尻目にさっさと女性の腕を取った。
 その途端に凄まじい勢いではたかれ、逆に殴られそうになる。
 背後から羽交い絞めにしていたヴィンセントが、まだオロオロしているユフィを促し、漸く二人がかりでナルシュスを抑えた。

「んーーー!!!!」
「い、いたたたたた!!」
「っく……噛むな!」

 ナルシュスは最後の抵抗と言わんばかりに暴れに暴れまわり、口を押さえているヴィンセントの手を思い切り噛み付き、腕を押さえているユフィの足を踏んづけて抵抗した。
 その頃には、廊下の端っこでしょげ返っていたナナキも応戦し、ナルシュスの足にしがみ付いてユフィの足を守ろうとする。
 計、三人(?)がかりで押さえつけられた彼女は、医師の施した注射により程なく意識を手放した。

「い、いった〜〜…」
「うううぅぅぅ……おいらの尻尾が……」
「………女性は恐ろしい…」

 ゼーゼー…と、肩で息をしながら長椅子に横たわるナルシュスを見る。
 クタリとして深い眠りに落ちている女性をしげしげと見つめると、なにやらどこかであったことのあるような……ないような……。
 そんな錯覚を三人(?)は覚えた。


「本当にご迷惑をおかけしました」
「あ……」
「いや、その…おいら達…」

 深々と頭を下げる医師に、ユフィとナナキはオロオロと手を振ったり後ずさった。
 だが、
「……事情を説明してもらえるか?」
 ヴィンセントは冷静だった。
 医師は、クラウドが『ジェノバ戦役の英雄』であると知りながら、WROなどに連絡もしないでナルシュスの言うがままに入院をさせていたのだと、今のこの一瞬で悟ったのだ。
 医師は苦い笑いを浮かべると、長椅子に横たわっている女性の足元に腰を下ろした。
 その姿が酷く疲れていて…。
 哀愁が漂っていて……。
 思わず同情の念が込上げる。


「私は…前はコスタの大きな病院で勤務していましてね」

 突然、医師が今、この場に相応しいとは思えない話しをし始めた。
 しかし、誰もそれを咎めないし、止めようとしない。
 困惑しつつも耳を傾ける。

「病院は…こんな表現をしてはいけないのでしょうが『大繁盛』でしてね。勿論、私は雇われ医師でしたから、給金は毎月決まっていました。でも…それでもまぁ、かなりの額を貰っていたと思いますよ」

 遠い目をして語る医師は、疲れたような声をしていた。
 決して、『過去の栄光』を語っているのではない。

「でも……働いているうちに、イヤでも気づかざるを得なかったんです」



「人の命は金次第だ……ってね…」



 医師の言葉は…暗く…そして醜い現実を見てきた人間の言葉だった。

「本当に治療が必要な人にはそれが出来ないんですよ。治療費があまりにも高額になってしまって、支払いが出来ないんです。だから、そういう場合、患者とその家族は泣き寝入りをして『臨終』を待つんです……苦しみと死の恐怖に晒されながら……」

 ふい…っと、眠っている女性を見る。
 先ほどまで見せていた狂気の色は、全く感じられない穏やかな寝顔。
 医師は口元に薄く笑みを浮かべた。

「私は……とうとう疲れましてね。医師であるにも関わらず、『救える命を救わない』ということが…我慢出来なかった。だから……」

「盗んだんです…薬をね」

「それを…当時、看護師として働いていたナルシュスに見つかってしまったんですよ」
「脅迫…されたのかい?」
「いいえ、違いますよ」

 嫌悪感で満ちた顔をナルシュスに向けたユフィに、医師は穏やかに否定した。

「それどころか、彼女は私に協力してくれました。私一人が薬を盗むよりも、彼女が薬品庫に入ったほうが怪しまれません。医師が直接薬品庫に赴くのは…あまりないことですからね。それに、彼女が協力を申し出てくれた時、丁度私は上のほうに疑われ始めていたので、本当に好都合だった…」


 言葉を切って…顔を覆う。
 恐らく、医師はまだ若いのだろう。
 しかし、汚い世界に疲れ、そして今の現状に疲れた彼は、歳よりも老けて見せた。


「それで…?」
 静かに…穏やかにヴィンセントが先を促す。
 医師は顔を上げた。

「彼女と二人で薬を盗み始めてから約半年。とうとう…私達の事がおおやけになり始めてしまいました。まぁ、それもそうでしょうね。絶対に『この薬を投与しないと助からない』と言われていた患者が『助かった』んですから」

 フッと笑みを浮かべて話す医師に、ユフィとナナキはそっと目を合わせた。
 居た堪れない気持ちが胸を支配する。

「私達は…それぞれ病院を追われ、コスタを去ることになりました。勿論、彼女とは『薬を盗む』という関係にはありましたが、それ以上の関係にはなかったので、それきりだったんです。コスタを離れる際、彼女は『英雄がいる街に行ってみる。もしかしたら、そこでなら…一生懸命頑張って生きている人に相応しい報いが得られるかもしれない…』そう言ってました」
「「「………」」」

 目の前で眠る女性が、そんな思いを抱えてエッジに移り住んだのだと思うと、正直信じられない。
 なにしろ、ティファにウソをついて追い返し、更にはクラウドを己の傍に置くことにとり憑かれているのだから。

「私は…ここ、ニブルヘイムに移ることを決めました。実は、コスタ時代の先輩がニブルヘイムに建設された病院に勤務していましてね、前々から誘われていたんです」


「それが……この病院ですよ」


 様々な経験を味わい、このニブルヘイムに辿り着いた医師と女性。
 まさか、こんな事になるとは医師も…そして彼女自身も思っては無かっただろう。


「それで…何故、クラウドをWROや我々に知らせなかったんだ?彼女が原因か?」

 医師を責めるでもなく、淡々とした口調で問うヴィンセントに、医師は自嘲した。

「確かに……ナルシュスに頼まれた…というのもあります。でも……」
「でも……?」
「……………」
「先生?」「…どうしたんだい?」

 黙り込んだ医師に、ユフィとナナキが困った顔をする。
 すっかり医師に同情してしまったのだ。
 ヴィンセントは、相変わらず無表情を貫いていたが、それでも口調はいつも以上に穏やかだった。


「…コスタのことをバラされたくなければ…と彼女に脅迫された……か……」


 質問ではなく……確定。
 医師はゆっくりと頷いた。

「理由はどうあれ、盗みをしたわけですからね。この事実が分かったら、私はまた病院を追われるでしょう。幸い、この病院にはまだバレていないようですから…」

 ふぅ…。

 軽く息を吐き出して、医師は立ち上がった。
 そして、白衣を脱ぐと、眠っているナルシュスにかける。

「彼女も…本当はこんな風に『自分の為だけ』に『相手の人生を狂わせる』ような人じゃなかった。本当は…とても……とても優しくて……温かい人だったんですよ」

 かみ締めるように呟く医師の言葉が……悲しかった。



「さぁ。彼をあるべき場所に連れて帰ってあげて下さい」

 穏やかに微笑んでそう言う医師に、英雄達は複雑そうな顔をして見合わせた。
 シュンと項垂れるユフィとナナキ、渋面のヴィンセントに医師はキョトンとした。

「どうしました?」

「いや……」「その……」「………実はだな…」

 三人が三人とも、言いにくそうに言葉を濁す。
 パチクリと目を瞬かせていた医師は、ポンッと手を打ち鳴らした。
 どうやら、三人とナルシュス、そしてクラウドの間で一悶着あったことに気付いたらしい。
 柔らかな笑みを浮かべ、ゆっくりと病室のドアに向かう。

「大丈夫ですよ。彼は……クラウドさんは『帰りたい』と強く願っていました。『ここ』ではない『あるべき場所』が『自分にはある』と、記憶をなくしても心が覚えていたんですね」

 ドアの取っ手に手を添え、振り返る。

「クラウドさん、昨日言ってました。『帰りたい』って…」
「「「!!」」」
「あなた方が飛空挺でここに来るのを見て、ナルシュスが追い返すために病室を飛び出したあと、フラフラしながら一人で外に出ようとしたんです。化膿止めと一緒に少量の安定剤を投入していたので、身体に力が入りにくかったはずなのに、それでも必死になって『帰りたい』って」

 医師の言葉に胸がつぶれそうになる。
 医師は慰めるように……励ますように笑みを深くした。

「大丈夫ですよ。彼は『帰る』ことを望んでいる。記憶がいくら戻らなくても…それでもきっと、『魂』は覚えてますよ」


「だから、大丈夫」


 医師の言葉に、ユフィとナナキの目が潤む。
 ヴィンセントが感謝を込めて頭を下げた。
 医師も若干目を潤ませながら、ドアを開けた。

「クロード……いや、クラウドさん。入りますよ」

 医師に続いてヴィンセント、ユフィ、ナナキが病室に入る。
 陽の光に明るく照らされた衛生的な病室が、やけに広く感じられた。
 外から優しく吹き込んでくる風にカーテンが揺れている。
 そして…。

 ベッドには……誰もいなかった……。


「「「クラウド!?」」」


 一気に血の気が引く。
 英雄達は開け放たれたままの窓に近寄り、外を覗き込んだ。
 のどかな田舎の村の風景があるだけで……なにも見えない。

「う、うそ……」

 ふらふらと後ずさり、ユフィはベッドの柵に引っかかって尻餅をついた。
 医師が慌ててユフィに駆け寄り、困惑して病室を見渡す。
 自分達以外の人の気配は…ない。

「なんてことだ…!」

 ヴィンセントが舌打ちをしながら苛立たしげに呻く。
 ナナキが窓に鼻をこすりつけて匂いを嗅ぐ。
 そして尻餅をついたユフィは…。

「あ………」

 ベッドの下に落ちていた『モノ』を手に取った。

 病院着と……ティファの繕ったクラウドの服が入っていた簡素なビニール袋。
 それらが無造作にベッド下に放られていた。





「……ここは……寒いな…」
 吐く息が白い。
 言葉にしたことで、心まで冷えそうになる。
 いや、もう既に冷えていた。
 突然来た『仲間』だという人物達と、目が覚めてからずっと傍にいて献身的に看護してくれた女性の言い合いに……ほとほと疲れて……絶望した。
 だが、彼女達を追い出したその直後、渡された黒い服。
 無性に懐かしくて……あたたかくて。
 一人でこの感情に浸りたくて、気が付けば病院を抜け出していた。
 よくもまぁ、あんな高い病室から抜け出せたものだと思う。
 まだ治りきっていない両足がズキズキと痛むが、それでも傷口が開いたわけではない。
 そっと己を抱きしめるように巨木の根元に座り込む。

 じっと小さく蹲っていると、シンシンと寒さが身体の芯まで染み渡ってくる。

「このままここにいたら…風邪引きそうだな」

 ポツリ…。
 また独り言が零れる。

 誰に言うでもなく…返事を欲しているわけでもなく…。
 ましてや、誰かに心配して欲しいと思って口をついて出てくるわけではない。
 そうではないのだが…。


 ― ほら、ク……ド。風邪引くわよ? ―
 ― そうだぞ!ただでさえク……ドは無理してるんだからさ! ―
 ― はいはい、あったかい格好で出発する〜! ―


 微かに聞えるこの声の正体は…一体なんだ?
 身体は寒くて仕方ないのに…胸が熱くてたまらないこの『想い』は…?


 ― ねぇねぇ!今度はいつ帰ってくる? ―
 ― 俺、……に行きたいな〜! ―
 ― えぇ…またぁ?ク……ド、私は……に行きたい! ―
 ― げぇ〜!絶対ヤダ! ―
 ― なによぉ!良いもん、私はク……ドと………と一緒に行くから〜! ―


 目を閉じると、より一層その声が聞える気がする。
 ボンヤリとだが……姿が見える気がする。
 手を伸ばしたら……触れられそうな……そんな……『幸せ』。


「これも…俺の持ってる『願望』だったら……」


 込上げる恐怖心。
 ギュッと己を抱きしめて膝に顔を埋める。
 鼻腔をくすぐる『あたたかな香り』が、絶望に押し流されそうな弱い心を支えていた。