「あ……」
 ローグが小さく声を漏らしてクラウドを凝視する。
 クラウドは目を見開いたまま固まって動けない。
 ローグの胸に強引に頭を押し付けられていたティファが、ハッと振り返った。

「クラウド!?」

 茶色の瞳が大きく見開かれた。



絆 9




 裏口と二階の居住区に佇んで魔晄の瞳を見開く愛しい人の姿に、ティファは強張った。
 ティファが自分を驚愕の瞳で見返す姿と、ローグが『しまった』と言わんばかりに気まずそうな顔をして目を逸らす姿…。
 それらが現実のものとしては受け入れがたく、クラウドは頭が真っ白になった。

 いくらティファを信じていると言っても、あまりにも衝撃過ぎる目の前の光景。


 一瞬の間に、クラウドの脳裏に様々な考えが駆け巡る。


 あのティファが!
 腕っ節で彼女に敵う人間などほとんどいないほど強い彼女が!
 黙って自分以外の男に身を委ねた…!?
 もしもイヤなら……有無を言わさずローグをぶっ飛ばしていたはずなのにそうしなかったという事は!?
 ローグに抱きしめられても平気なほど、彼に心を許していたという事なのだろうか…?
 いや、それだけなのか?
 もしかして……自分がこうして帰ってこなかったら……そのままローグは彼女を一体どうしただろう?
 彼女は…拒んでくれただろうか?
 いやいや、そもそも彼女は一体ローグに対してどこまで心を許しているんだ!?
 って言うかもう…頭の中がごちゃごちゃで考えがまとまらない!!


 と、パニックになっているクラウドを現実に引き戻したのは、パニックの原因である彼女の半ば悲鳴のような声だった。

「クラウド!!」
 次いで、ローグを突き飛ばすようにして駆け寄り、クラウドに思い切り抱きつく。
 何にも構えていない状態であったが、なんとか転倒しないで持ちこたえたクラウドに、ティファは少しだけ身体を離すと、クラウドの頭や頬、肩、腕、胸元、背中へせわしなく手を動かし、視線をめぐらせた。
「どうしてこんなにボロボロになってるの!?何かあったの!?もう、もう!!すっごく心配したのよ!?!?何回かけても携帯は繋がらないし、電話はくれないし!何かあったのかと思って気が狂いそうだったわ!また……また…帰ってこないんじゃないか…って………っく……どんだけ……どんだけ心配…したと……思って……っく……ふぅ……っう…」
 興奮しきりに責め立てていたかと思うと、感極まったのかあっという間に大粒の涙を浮かべてボロボロ泣き始めた。
 そこに至って、漸くクラウドはハッと我に返った。

「いや、ごめん。昨夜寝る前に充電するのをすっかり忘れてて、電池切れしたんだ。それからちょっと配達先で依頼人同士のトラブルに巻き込まれて……」

 オロオロと説明するが、元来の口下手と、彼女の泣き顔、何よりも先程の衝撃のシーンから立ち直っていない為、上手く説明出来ない。
 それでもティファはブンブン首を振りながら、
「良かった……無事で……っく…ほんっとうに……ほんと……よかっ……ふぅっ……えっく…」
 クラウドにしがみ付き、しゃくり上げて泣いた。
 ギュッと背中に手を回して強く抱きついてくる彼女に、どれほどの心配をかけていたのか……その大きさがイヤでも分かる。
 胸が締め付けられる。
 彼女の華奢な身体を強く抱きしめて、震えている背中と肩をゆっくりとさする。
「ごめん……本当にごめん。約束したのに……」
「…う…ん……帰ってきてくれたから……いい……」
「ごめんな…」
「うん……っく…」
 必死になってしがみ付く彼女に、クラウドの心の中で暴れていた『嫉妬』や『怒り』と言った激情がスーッと冷えていく。
 代わって湧き上がってくるのは彼女への愛しさ。
 そして、自分が本当に愛されているという喜び。
 ティファを抱きしめ、その頭に…頬に唇を押し付けて心からの謝罪と想いを伝える。
 ティファも漸く落ち着いたのか、涙で濡れた顔を綻ばせながらクラウドを見上げた。
「本当に良かった……」
「ん…ごめん」
「おかえり、クラウド」
「ああ…ただいま、ティファ」
 ティファの頬を指でそっと拭い、そのまま彼女の頬に手を添えて…。
 ティファもゆっくり目を閉じる。

 が…。



「あ〜…すいません」

 ビクッ!!

 恐る恐るかけられた声に、クラウドとティファはびっくりして振り向いた。
「「あ…」」
「いや…本当にすいません」

 真っ赤な顔をして立ち竦んでいるローグに、ティファがカーッと赤くなる。
 興奮していてすっかり彼の存在を忘れていた。
 クラウドも同様だ。
 ティファがあまりにも可愛いからすっかりローグがいることを失念していた。

「ロ、ローグ!?」
 真っ赤になったかと思うとティファは恥ずかしさのあまりクラウドから離れようとした。
 が、クラウドは逆に益々力を込めてティファを抱き寄せ、彼女が離れる事を許さなかった。
「ク、クラウド!?」
「悪かったな、こんな時間まで残ってもらって」
 腕の中でジタジタするティファをしっかり抱きしめたまま、鋭い視線をローグに投げる。
「予定外のアクシデントがあって帰ってこられなかったんだ」
「ええ…そうみたいですね」
 落ち着かないのかそわそわと視線を彷徨わせながらローグは応える。
 クラウドの声音は表情に負けないくらい冷たい。
「でも、仕事だからな。疎かにしてティファや子供達の耳に辛い噂話が入ったら困るだろ?」
「辛い噂話?」
「『家族にかまけて仕事一つまともに出来ないデリバリーサービス』『仕事の邪魔になる家族』『家族がいるから仕事をきちんとこなせないデリバリーサービス』他にも色々推測出来るけど、これだけでも十分だろ?」
「………」
「仕事を請け負ったからにはきちんと責任をもって果たす。それが『仕事』だ」
「その…別に僕は…」
「だからと言って、『家族』との約束を反故にして良い理由にはならないけどな。それでも俺はティファと子供達の為に働いてる。『家族』が少しでも『誇り』と思ってもらえるように…」
「………」
「『家族』がいるから働けるんだ。もしもティファと子供達がいないなら、働く意味がない」
「………」
「俺は『家族』を疎かにしている様に見えるかもしれないが、それでも『仕事』を優先してるんじゃない。『家族』を優先してるつもりだ。『家族』が笑って過ごせるように『仕事』をしてるんだからな。だから『家族』がいないなら『仕事』なんかしないね」
「………」
「というわけで、ティファに寂しい思いをさせていると分かってても…それでも『請け負った仕事はきちんとこなす』。それが俺の『家族に対する責任』だ」

 クラウドの言葉に、ローグはグッと言葉を詰まらせた。
 ティファもクラウドの胸に頬を押し付けられるようにしてその言葉を黙って聞いていた。
 クラウドが…どんな思いで毎日苦手な人と接する仕事をしているのか…。
 そう思うと再び視界が歪む。
 嬉しくて……幸せで……。
 歓喜の叫びを思い切り叫びたくなる。

「話しが反れたな。とにかく、こんな時間までありがとう。後は大丈夫だから帰ってゆっくり休んでくれ」

 労わりの台詞に込められた『今すぐ帰れ』という意味に気付かないわけにはいかない。
 ローグは頬を引き攣らせたが、ティファが、
「あ、本当!ごめんなさい、こんな時間まで。ゆっくり休んでね。本当にどうもありがとう」
 笑顔でそう声をかけてきて、すぐに表情を改めた。

「ええ、では失礼します。お休みなさい」

 いつもの笑顔を張り付かせ、ローグは大人しく帰って行った。



「はぁ……ったく…」

 ローグが出て行ったドアを見つめ、クラウドはイライラと溜め息を吐きながら前髪をかき上げた。
 玄関を施錠したティファが心配そうにクラウドを見つめる。

「ねぇ、大丈夫?どこか怪我とかしてない?」

 ボロボロのクラウドを見つめる内に表情が益々曇る。
「あ、ああ。大丈夫だ。それよりも本当に今日は悪かった…」
「良いのよ、クラウドが無事だったんだもん。それに、何か理由があったんでしょう?電話の充電が切れちゃったのはちょっとドジかなぁって思うけど、でもそれ以外はクラウドの責任じゃないし」
 クスリ…と微笑んで「何か食べる?」と訊ねる。
 クラウドはとりあえずドロドロの格好を何とかするべくシャワーを浴びる事を伝えると、
「じゃあ、その間に軽いものを作っておくわね」
 そうカウンターに向かいながらティファが優しい声音で返した。
 手を上げる事でそれに応えると、クラウドは真っ直ぐ浴室に向かう。
 その途中、何度か先程の衝撃的なシーンについてティファに話を聞くべきか否かを考えたが、結局シャワーを浴び終わった頃には『否』という結論に達した。

「まぁ……聞いても仕方ないしな…」

 階段を降りながら一人ごちる。

 ローグに抱きしめられていた事は今でも腸が煮えくり返りそうになる。
 だが、ティファが望んでいたことじゃないはずだ……多分。
 何より、クラウドが帰った事に気付いた時、ローグを突き飛ばして自分に抱きついてきてくれたことの喜びのほうが、ショックよりも大きい。

「なんにしても………」

 問題はローグ・ラハだ。
 彼の話だと、想い合っていた恋人と一緒になれず、悲嘆の末に家出をし、自殺まで考えた。
 その時に、WROの広報誌を見て『ジェノバ戦役の英雄』の記事に心打たれ、自殺を思い止まった。
 そして、エッジに来て……セブンスヘブンに辿り着いて働くことになったんだが、なんとなく……腑に落ちない。

「そもそも、家出してる状態でもう二週間が経つのに……捜索願とか出てないのか…?」

 眉間にシワが寄る。

 もしかしたら、自分やティファ、子供達が知らない間に実家と連絡を取っているのかもしれない。
 だから、ローグが無事である事を両親が知って、とりあえず今は好きにさせてやっている…。
 そうなると、捜索願が出ていないことの説明にも、エッジでなんの問題もなく生活出来てることの説明にもなる。
 だが……。

 そもそも、ローグの『悲恋物語』は本当だろうか?
 人妻を愛し、彼女を守ることが出来ずに悲嘆にくれて家出。
 挙句、自殺まで考えて……。
 それほど想っている女性なら、立ち直ったように見える今、追いかけないだろうか?

「……あれ…?そう言えば……」
「何が『そう言えば』なの?」

 不思議そうな顔をしているティファに、クラウドは「あ、いや…別に何でもない」と言葉を濁し、目の前の温かなスープと煮物料理を口に運んだ。
 トロトロに煮込まれた野菜と肉が、全身と心を温かくする。
「美味い…」
「ふふ、良かった」
 思わず漏らした言葉に、ティファが破顔する。
 彼女の笑顔に釣られる様にして目を細め、カウンターを回って隣に腰掛けるティファに「またレパートリー増えたのか?」と声をかけた。
「うん。八百屋の奥さんが新しい料理を教えてくれたの」
「へぇ…本当に美味い」
「ふふ…ありがとう」
 くすぐったそうにスツールの上で身を捩るティファに、

『あぁ……本当に……愛しいな』

 素直にそう感じる。
 そして、

『やっぱり…誰にも渡せない』

 彼女がいるから自分がこうして『人として幸せに』生きる事が出来るのだとかみ締める。

 ふと、ローグに抱きしめられていたティファの姿が脳裏をよぎる。
 あの時…。
 ローグの顔しか見えなかったが、あの青年はクラウドが帰って来た時、どんな顔をしていた?
 一応、『しまった』という顔をしていたが、そのすぐ後で……。

「………」
「どうしたの?」

 急に手を止め、考え込んだクラウドにティファが訝しそうに見つめる。
「あ、ごめん、なんでもないんだ」
「………そう…?」
「あ……うん…」
「…本当に…?」
「……ごめん、仕事の事で…ちょっと」
「………」
「………」
「…疑ってるのか…?」
「………うん」

 ジトーッとした目で見つめられ、視線を逸らしながら逆に質問すると、あっさりと頷かれてしまった。
 思わずガクッと体勢を崩し、情けない顔で隣の愛しい人を見る。
 ティファはまだ難しい顔をしていたが、フッと表情を緩めると、
「クラウドは自分の中に溜め込み過ぎちゃうんだもん。だから心配なの」
 そう呟くように言って、視線を落とした。
 そんな彼女が小さく見えて…。
 ティファが何を言わんとしているのかを察し、苦い思い出が胸をよぎる。
 あの…家出の一件は、彼女の心を今でも傷つけたままだ。
 きっと、これからも何かの拍子に傷がパックリと口を開けるのだろう。
 クラウドはそっと手を伸ばして肩を引き寄せた。
「ごめん」
「うん」
「でも、今回は本当に大したことじゃないんだ」
「うん」
「もう…勝手にいなくなったりしないから…」
「うん」
「その……信じてくれって言うのはおこがましいのかもしれないけど…」
「信じるよ、クラウド」

 ハッキリ言葉にすると、ティファは魔晄の瞳を真っ直ぐに見つめた。
 その茶色い瞳は揺れていない。
 心配に彩られてもいない。
 柔らかに細められ、嬉しそうに輝いている。

「……ありがとう…」

 無性に照れ臭くなってクラウドは視線を外しながらボソリと呟くようにこぼした。
 それに対してティファがまたクスクスッと笑ってくれたのが……とても幸せで。
 胸が一杯になりながらティファの手料理を味わった。
 だが、そんな幸せを味わいながらも先程浮かんだ一つの疑問は頭から離れなかった…。





「あ〜、クラウド!!」
「クラウド、大丈夫だった!?」

 翌朝。
 朝食に下りてきた子供達は、ティファの手伝いをしているクラウドを見て開口一番そう叫んだ。

「ああ、すまなかったな二人共。約束守れなくて…」
「いいんだ、そんなこと!クラウドに何かあったんじゃないかって心配してたんだ!」
「私達、本当は部屋に帰ってからも暫く起きて待ってたの。でも、結局いつの間にか寝ちゃってて…」
「そうか…本当に悪かった。最後の依頼人のところでちょっとアクシデントがあってな。中々帰れなかったんだ…。電話も充電切れてしまって…」
「「なぁんだ!」」

 クラウドから説明を受けて子供達はホッと安堵の溜め息を吐き、パッと明るい笑顔を見せた。

「「おかえり、クラウドーー!!」」
「ただいま、デンゼル、マリン」

 抱きついてきた子供達を昨日同様、軽々と抱き上げて『ただいま』と『おはよう』のキスをそれぞれの額に贈る。
 そして、これまたカウンターの中で微笑みながら見つめていたティファにバトンタッチ。
 子供達が嬉しそうにティファに挨拶している姿を目を細めて見つめるのだった。

 …と。

 ピピ……ピピ…。

「「「「ん?」」」」

 携帯の着信音が二回で切れる。
 メールのようだ。

 クラウドはちゃんと昨夜充電しておいた携帯を開くと、その内容に軽く目を見開いた。

「?」
「なになに?」
「誰から〜?」

 キョトンとするティファと、好奇心旺盛の子供達に見つめられながら、クラウドは適当にその場をごまかし、さっさと朝食を摂るように三人を促した。
 勿論、クラウドのごまかし方は非常に怪しいもので、三人に疑いの眼差しで見つめられる事となったのだが、それでもクラウドは決してメールの内容と差出人を明かさなかった。
 ティファ達も何が何でも聞きだそう…というわけでもなかったので、その場はそれでおさまり、楽しい朝食を家族で囲むことが出来たのだった。



「悪い、急用が出来たからちょっと出てくるな」
「今日は午後からじゃなかったっけ?」
 朝食の後、そう言って出かける用意を始めたクラウドにティファがキョトンと訊ねた。
「ああ、ほら。さっきメールが着ただろ?」
「あ〜…。じゃあそのまま午後の仕事に出かけちゃう?」
「あぁ…そうなるなぁ…。でも、今日はそんなに仕事が入ってないからちゃんと今日中には帰れる。携帯の充電もしたしな」
 肩を竦めてそう言うと、ティファと子供達はクスクスッと笑い声を上げた。

「気をつけてね?」
「あんまり無理すんなよ?」
「昨日みたいに泥被ったらだめだよ?」

 玄関先でそれぞれに声を掛けられる。
 マリンのおどけたその台詞に苦笑する。
 朝食の時に昨夜の苦労話を聞かせたとき、一番笑われた話だ。
 マリンはクスクスッと笑いながら、悪戯っぽく舌を覗かせた。
 そんな娘の頭を撫で、隣に立つデンゼルと拳をこつんと合わせ、ティファに『いってきます』のキスを贈る。

「それじゃ、行って来る」
「「「いってらっしゃーい」」」

 元気に手を振りながら笑顔の三人に見送られながらクラウドは愛車を発進させた。

 そうして…。

 クラウドが辿り着いた先は、一軒の小洒落たレストランだった。