私は、一生『恋心』を知らずに生きていくんだと思ってた…。


 そんな私が『彼』に出会った事…。


 それが一体どういう意味を持つのか、まだ私は悟っていなかった…。


恋心 3



 眠れないまま夜明けを迎え、私はいつも通りを装って起床した。
 
 本当は体はだるいし、気持ちも沈んでいたから、正直、『このままさぼってしまおうか…』、などという事を生まれて初めて考えてしまった。

 でも、どうせ何をしても、しなくても、辛い気持ちに変わりはない…。
 そう自分に言い聞かせ、無理やり重い体と心を引きずって厨房に向かった。

 従業員は全員、厨房の奥にある小部屋で食事を摂る事になっている。


 いつもの自分の席に着き、朝食を一人で黙々と食べていると、私の向かい側にいつもと同じ顔ぶれが、キャーキャーと朝から元気な笑い声を上げながらやって来た。


 ……私が苦手としているグループの一つだ。(もう一つは、私とは対極の位置にある席について、既に食事を終えようとしている。)


 彼女達はいつも、何かしら大きな声で笑い、楽しそうに過ごしていた。
 でも、私の目には、その彼女達の姿はどこか滑稽にしか見えなかった。

 だって、大きな声で笑うだなんて、ハッキリ言ってうるさいだけ…。
 それに、何が面白いのか不思議になるくらい、次々笑いのネタを仕入れてくるから、彼女達のうるさい笑い声が絶える事がなかった。
 その事が、更に私の中での彼女達の印象を悪くしていた。

 でも、そんなつまらない考えをしているのは、私だけだという事実に私はとっくに気付いている。


 そう、私だけが、彼女達も含めたその他大勢の世界から、隔絶されたところに一人でいるのよね…。

 別に、それでも構わないと思ってた。
 だから、彼女達やその他大勢のいる世界に飛び込む気など、サラサラなかった為に、彼女達に溶け込もうとすらしなかった。

 きっと、こんな態度だから『見下したイヤな女』だなんてレッテル貼られるんだろうけど…。


 私が、そんな事を考えながら最後のコーヒーを口にしていると、突然目の前の彼女達の一人が声をかけてきた。

「ねぇ、ファシーナ。昨日のお客さん、具合どう?」
「え!?」

 ハッキリ言って驚き以外の何物でもなかった…。

 彼女達の視線に止まる事も、彼女達に声をかけられた事も、初対面意外では初めての事だった。
 彼女達は、私に対して必要な時以外は決して話しかけず、視線を合わせない。
 それなのに、今、必要な時以外なのに、私を見つめ、私に声をかけている。

 びっくりしすぎて咄嗟に言葉が出なかったけど、何とか自分を取り戻し、
「あ、ああ。クラウド様ね。今朝の夜明け前位に一度目を覚まされた時には、随分楽になっておられたわ」
と、平常を装って応じた。

「えー!?夜明け前まで看てたの!?」
「嘘〜!信じられない!!」
「ファシーナ、しんどいんじゃないの!?」
「そうよ、今日は休んだら?」
「そうそう、たまにはのんびりするのも良いんじゃない!?」

 彼女達の思わぬ反応に、またまた度肝を抜かれてしまう…。

「え…。あ、ううん、私は大丈夫…」
 それだけを漸く口にする。

 彼女達は、面白おかしく私を見ていなかった。
 真剣な顔で、真剣な眼差しで私の体を案じてくれていた。

 私は、生まれて初めて、両親以外に向けられた眼差しに大いに戸惑った。

 そんな私を、尚も彼女達は「仕事なら代わってあげるから」「女将さんなら、OKって言ってくれるわよ」と気遣う言葉を惜しみなくかけてくれた。

 私はどうして良いのか分からず、逃げるように席を立つと、小部屋を出る間際にそっと「ありがとう」と残してその場を立ち去った。

 本当なら、きちんと顔を見て「心配してくれてありがとう」、そう言うべきなのは分かってる。
 でも、とてもじゃないけど、彼女達に面と向かって口をきける状態ではなかった。



 クラウドさんに感じた胸の高鳴りとは違うけど、今、また感じている胸の高鳴りにどうして良いのか分からず、その『感情』を持て余す。
 たった昨日出会ったばかりの一人の人間によって、私の『これまで』が大きく変化している。
 それは、『私自身』であったり、私を取り巻く『世界』だったり…、とにかく『私』という『これまで』の存在が大きな変革を迎えている…そんな感じがした。

 それが果たして良い方向に向かうのか、はたまた悪い方向に向かうのか、それとも、向かうと見せかけてここで中途半端なまま終わってしまうのか…。

 そんな事、私に分かるはずもなかった…。



「すまない、こんな事までしてもらって…」
「構いません。気にせず、ゆっくり養生して下さい」

 ベッドの中で彼が心苦しそうにそう呟く。
 そんな彼に、私は今、食事を口に運んでいた。

 クラウドさんは、まだ熱が高く、スプーンを持つと手が震えて上手く口に運べない状態だった。
 そこで、私がこうして介助している、と言うわけだ。


『こんな光景、他の従業員が見たら、何て言うかな…?』
 きっと、目を丸くするだろうな…。
 ふとそんな事を考えた。
 自然に頬が緩んでいた事に気付かされたのは、
「何か良い事あった?」
という、クラウドさんの一言だった。

「え!?」
「いや、何か昨日チラッと見た時よりも楽しそうだったから…」
「あ…、私が、ですか?」
「ああ。いや、別に深い意味で言ったんじゃないから、気にしないでくれ…」
すまない…。そう言って、ベッドの中で肩を竦める彼に、私はもう何度目か分からない胸の高鳴りを覚えた。


 本当に、この人の何気ない一つ一つの仕草が、私を掴んで離さない…。
 ほんとう、どうしちゃったのかな…、私は…。


 どこか自嘲気味に自分を見つめながら、苦笑する。


 そんな私をクラウドさんは、高熱の為に潤んだ瞳で不思議そうにじっと見つめていた。



 クラウドさんはあまり食欲がなかった。
 高熱が出ているのだから仕方ない。
 でも、本当に昨日よりも意識はハッキリしているようだし、喉のかすれ具合も全然違う。

 そんな彼の状態にホッとすると、私は大半残っているお粥の乗ったお盆を持って、彼の部屋を後にした。
 部屋を出る際、クラウドさんが「ありがとう」、またそう言ってくれたのが本当に嬉しくて…。
 だから、素直に笑顔を浮かべて、彼に応える事が出来た。

 そんな自然なやりとりに自然な笑顔、私のこれまでの人生の中ではほとんど記憶にない。

 私は、確かに彼に出会って変わって来ている。
 それが、彼が宿泊している僅かな時のみなのか、それとも、これからの自分に関わって来るほどなのか…。
 そんな事を考えながら、私は盆を持って厨房に引き返した。


「よ!ファシーナ!」
「…おはよう、ニース」

 厨房に着くと、コックのニースが片手を上げて挨拶してきた。
 彼は、私より2つ年上で、何故かこんな人付き合いの悪い私に好意を持っている。

 …告白をされたわけじゃないけど、そういう風に想われていると、彼の言動からひしひし感じてしまう。
 彼は私とは正反対で、良く笑い、良く怒り、そして人付き合いがとても上手。
 彼を想っている女性従業員が、実は結構多い事を知っている。
 だから、何故彼が私に好意を持っているのか、不思議で仕方ない…。
 でも……。
 正直言って、彼とはあまり関わらないようにしている。
 だって…、何だか煩わしいんだもの…。
 もちろん、こんな私に好意を持ってくれる数少ない人なんだから、大切にしないといけないんだろうけど…、何て言って良いのか……。

 そう。クラウドさんに感じているような『魅力』を微塵も感じない。
 クラウドさんが『特別』なだけだと分かってるけど、もし、ニースがクラウドさんの持っている言葉に出来ない『魅力』を少しでも持っていたら、彼に対してもっと柔和に接する事が出来ていたかも……。

「何だ…、大丈夫か?」
「え?…あ、ごめんなさい。ボーっとしちゃったわね」
「何だか疲れた顔してるぞ。今日は休んだらどうだ?」
 ニースが、彼にしては珍しく真剣な顔で私を覗き込む。
 私は、彼から咄嗟に顔を背けると、「大丈夫、ありがとう…」と、盆を押し付けるようにして渡し、さっさと厨房を後にした。

 背後から、ニースがじっと見つめているような気がした…。


 私はそのままフロントに…、すなわち、自分の仕事の持ち場に戻った。

 すると、驚く人物がそこにいて、私の代わりに仕事をしているではないか!?

 その人は、私に気付くと、目を丸くして「どうして休んでないの?」と声をかけた。
 その人とは、朝食の時に私の心配をして声をかけてくれたグループの一人、
 ……私が苦手とする人……そのはずだったのだから、驚かずにいられるなんて無理と言うもの。

「あ、ごめんなさい。今クラウドさんに食事を…」
「え!?まだ看病してたの!?ねぇ、入院してもらった方がいいんじゃない?」
「ああ、何だか病院のベッド、満床なんだって」
「げっ!マジ〜!?………まあ、仕方ないわね。そんなお客さん、今回が初めてじゃないし…」
「うん。あ、そうだわ。ごめんなさい、代わってもらって…」
「何言ってんの?こんなの当然よ!従業員皆がこんな時に助け合ってこその仕事仲間でしょ?」

 彼女の口から出る言葉の羅列に、私が彼女に抱いていた感情が、ことごとく剥がされていく。

 そんなに気にもしない存在だった彼女達に、私は何だか心が温かくなっていくのを感じていた。

 本当に私は、彼女達を理解していただろうか?
 本当は、私が彼女達を見下している、その評価はまさに当たっていたのではないだろうか?
 だって、今、自分が確かに彼女達から心に力をもらっているではないか!?


 ああ、何ていう事だろう…。
 結局彼女達の私への評価は正しかったのだ。
 私は彼女達を『見下して』いたのだ。
 自分では決して『見下してなどいない!』と強くそう思っていたというのに…。
 私が今まで彼女達に感じていたものは『何でも大きな声で笑っててうるさい』程度にしか認識せず、彼女達を知ろうともせず、挙句の果てに、『私を知らないくせに勝手に人を見下した女だなどとレッテル貼っている人間』とそれこそ勝手に思い込んでいただけでは!?
 まさに、そう行為こそが『人を見下している』行為そのもの…。

 今までの私の、何て滑稽だった事だろう。
 周りの違和感に敏感に気付き、見たくないものが多い現実に、『見なくてはならないもの』まで見ることを止めてしまっていただんなんて…!!

『これじゃ、亡くなったおじいさんの『視る事の出来る人間』だ…、何て評価、私には全く相応しくないわね』

 心の中で苦笑する。
 でも、何故か、今まで味わった事のない爽快な気分がするのは、何故かしら…?


 うん、そう…だわ。
 全部、クラウドさんと出会ってから…よね。
 初めて会った人なのに、こんなにも心惹かれるだけでなく、私の『これまで』を良い方向に転がしてくれる存在…、それが私にとってクラウドさんなんだわ。


 きっと、クラウドさんとの出会いがなければ、私が自分自身に気付く事もなく、彼女達の本当の素顔を知る事もなく、どうしようもない『愚か者』としての生涯を終えていたはず…。


 そうして、その時漸く…、本当に漸く私は彼への気持ちを理解した…。



 自分自身の世界を変えてしまう存在に…。
 どうしようもなく『恋心』を抱いてしまっている事に…。



 そして、この時に『母の複雑な表情』の意味を初めて理解した。
 ああ、そうだったんだ…って。

 彼には…、クラウドさんには『帰るべき場所』がある。
 だから、どんなに私が恋焦がれようとも、その想いは『決して報われない』想い…。
 その恋慕を胸に抱えたまま、これから過ごす事が一体どういう事なのか…。
 そう…、それが、どれほど辛い事なのか…。


 ぼんやりそんな事を考えてしまっていた私の腕を、突然彼女は慌てた様子で引っ張って、カウンター奥にある小さな倉庫に連れ込んだ。
「ファシーナ?大丈夫!?」
「え?あ、ごめんなさい、大丈夫よ…」
「嘘!ちっとも大丈夫じゃないでしょ、だって泣いてるじゃない!」
「え!?」

 自分の頬にそっと触れる。
 生暖かい雫が、私の指先を濡らし、私はその時初めて涙を流している事に気がついた。

 そして…。

 その事に気付いてしまった私は、堰を切ったかの様に、溢れる涙を止める事が出来ず、生まれて初めて、両親以外の人の胸で…、泣いた。


あとがき

はい、今回も暗いままですね(苦笑)。
結構、自分の事なのに理解出来ていない部分というものを人は持っていると
思うのです。そういう部分は、ある日突然何の前触れもなく何かをきっかけにして
気付く事が多い気がします。(と言うか、マナフィッシュがまさにそうなんですよね 汗)

お付き合い下さり、有難うございました。