私は、一生『恋心』を知らずに生きていくんだと思ってた…。
恋心 5
初めて、従業員同士で楽しく昼食を終えた私は、自分の持ち場へと向かった。
途中、厨房を抜ける時、ニースが何か言いたそうにしていたけど、午前中を放り出してしまっていた私は、そんな彼に気付かない振りをして急いで通り過ぎた。
…後で謝った方がいいかな…。
そんな自分らしくない考えに、今更ながらに驚く。
本当に、私ったらどうしちゃったのかしらね。
でも…、こんな『変化』なら、良いわよね…?
少し笑みを浮かべ、私が仕事に戻った丁度その時、新たなお客様がフロントに来られた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「あ、すみません。宿泊に来たんじゃないんです」
そのお客様は、黒髪を肩より少し伸ばしたとても綺麗な女性と、ふわふわした茶色の髪をした利発そうな男の子と賢しい瞳をした可愛い女の子、そしてタバコの匂いを漂わせ、今までいくつもの修羅場を潜り抜けてきた、そんな雰囲気を醸し出している30歳半ばくらいの男性だった。
女性は、同性の私が見ても、本当に見惚れてしまう綺麗な人だった。
意志の強そうな茶色の瞳、すっと通った鼻筋、抜群のプロポーション、そのどれもが他のお客様を抜きん出ていて視線を集めずにはいられない。
「では、どの様なご用件でしょう?」
「こちらにクラウド・ストライフは宿泊していますか?」
女性のその言葉に、一瞬気が遠くなる。
私は息を呑んで彼女を見た。
…ああ、まさか…。
彼がたった一度、口にした言葉を思い出す。
ティファ? ―
家族なんだ ―
まさか、この人が…?
「申し訳ありませんが、宿泊されている方のお名前等をお教えする事は出来ません」
立ち竦んでいる私の背後から、出先から帰ってきた母が応対した。
母は、私の隣に立つと、そっと私を窺いつつ丁重に頭を下げた。
「でも、そこを何とかお願いできませんか?」
「申し訳ありませんが…」
「「私達(俺達)クラウドの家族なんです!!」」
丁重な物腰を保ちつつ、一歩も譲らない母に、女性が縋るような眼差しを向ける。
そんな二人のやり取りを、男性がイライラと見守る中、突然子供達が大きな声を上げて割り込んだ。
家族 ―
「こちらにどうぞ」
「…!ファシーナ!?」
母が驚いて私を諌める。
私はそんな母を無視し、同じく驚いた顔をしている女性達…、ティファさん達に軽く会釈をして、無言で着いて来る様、目で合図をした。
子供達はパッと顔を輝かせ、男性は困惑気味、そして…。
ティファさんは、キリッとした表情で私を見つめ、頭を下げた。
唖然とする母と、その場にいた他の従業員を完全に無視して、私は先頭に立って歩き出した。
彼の家族を、彼の元へ導く為に…。
「クラウド様、失礼します」
数回のノックの後、私はそっと扉を開けた。
返事はなかったけど、恐らく彼は眠っているのだろう…、と判断する。
そして、私の予想は間違えていなかった。
「「クラウド…」」
「………」
「ハ〜、生きてたか…」
部屋に入ってみると、案の定クラウドさんは良く眠っていた。
ベッドサイドのテーブルには、昼食の食器と薬の空き袋が乗っている。
昼食を全部食べれるほどに回復していた事に、少々驚く。
子供達は、そ〜っとクラウドさんの枕元に近寄り、男性は大きく安堵の溜め息を吐いた。
そして、ティファさんは、お腹の上でキュッと固く握り締めていた手を少し緩め、まっすぐ彼だけを見つめてそっと彼の傍に歩み寄った。
子供達は、ティファさんの為に場所を譲り、本当に嬉しそうにクラウドさんの寝顔を見つめていた。
ティファさんは床に両膝をつき、ただ黙ってクラウドさんの寝顔を見つめ続けている。
子供達とティファさんがクラウドさんに寄り添うその光景は…。
まさに、彼が言っていた『家族』そのもの。
他の誰も入り込む隙間などない、固い絆…、それがそこには存在していた。
私は空の食器を取ると、無言で一礼し、退室した。
「お!全部食べれたのか、例のお客さん!」
食器を厨房へ下げると、ニースがいつもの軽い口調で空の食器を見てそう言った。
「という事は、もう随分調子が良くなったんだな」
彼が独り言ではなく、私に話し掛けている事は分かっていた。
でも、私は何も言わず、頷く事すらせず、ただ黙ってニースにそれらを押し付けると、無言のまま厨房を出た。
何も話したくない気分だった…。
何もやりたくない気分だった…。
ただ、自室にこもって頭から毛布を被り、思い切り泣きたい気分だった…。
でも、仕事中の身である自分に、そんな事が許されるはずもない。
私は、重い心を胸に秘め、フロントへと戻った。
当然、フロントには怒り心頭の母が、私の戻るのを待ち構えていた。
私が戻ると、すぐに小声でお説教をしようとした母は、私の表情を見て何も言わず、開けた口を閉ざしてしまった。
そして、そのまま何も言わず、黙っていつもの接客業に専念した。
私も、そんな母の気遣いに内心で感謝しつつも何も話さず、仕事をこなしていった。
そんな私達を、他の従業員は遠目から少し面白くなさそうな目つきで眺めていた。
きっと、勝手な事をした私を、母が叱りつける『見世物』を期待していたのだろう…。
あからさまに不満げな顔をしている。
私は、そんな視線を浴びながらも、平然とした表情を崩す事無く、自分の休憩時間まで業務をこなした。
そう、こんな視線を浴びる事など、私にとっては日常茶飯事なのだから…。
クラウドさんがもたらしてくれた『変化』は、クラウドさんの『家族』が訪れた事によって、脆くも崩れ去ったようだった。
そうよね。
私の『世界』は、こんなもの…。
こんなに捻くれた私には、クラウドさんの与えてくれた『新しい世界』は、不釣合いよね…。
休憩時間は母や他の従業員と交代で取る事になっている。
休憩中、私は厨房の小部屋に行き、お茶を飲むのが習慣になっていて、他の従業員も大半がそうしている。
本当は、休憩するという気分ではなかったけど、こまめに水分を摂っておかなければ喉をやられてしまう。そうなると、風邪を引きやすくなる為、嫌々厨房の小部屋に足を踏み入れた。
小部屋では、既に何人かの従業員がお茶を啜りながら、甲高い笑い声を上げ、楽しそうに話をしていた。
その何人かは、昼食を一緒にした彼女達とは別のグループで、私が苦手としている残りのグループだった。
小部屋に足を踏み入れた途端、彼女達はピタッとお喋りをやめ、私が自分の席についてお茶を啜るまでわざとらしく何も話をしなかった。
本当に、とても子供っぽくて、幼稚な嫌がらせだ。
その事に心底呆れてしまう。
内心で彼女達を軽蔑しながら、自分のカップをあっという間に空にすると、さっさと小部屋から出ようとした。
すると…。
「ねぇ、ファシーナ。さっきのお客様達、一体誰?」
彼女達の一人が、粘ついた声音で声をかけてきた。
「……クラウド様の御家族の方々よ…」
「え〜!?家族ぅ?」
「うっそだ〜!だって、子供が大きすぎるじゃな〜い!」
私の返答に、あからさまに不満気に、そして馬鹿にした口調で野次を飛ばす。
「……プライバシーに関わる事だもの、詳しくはお尋ねしていないわ…」
「何言ってんのよ〜!もしもご家族じゃなかったら大変じゃない?」
「そうよね〜?」
「でもまぁ、ファシーナ様の仰る事には逆らえませんもの。何しろ、当宿唯一の跡取りですものね〜?」
「それもそうよね〜」
わざとらしい口調、子供じみた挑発…。
彼女達は、私の事を子供の頃から見知っていて、子供の頃から嫌っていた。
彼女達が私を嫌う理由は単純そのもの。
私が彼女達を嫌う理由と同じだから。
生理的に合わない。
その一言で説明が終わる。
ああ、そう言えば、彼女達が私を嫌っているもう理由がもう一つあったわね…。
そんな事をぼんやり考えているうちに、気がつけば私は彼女達にすっかり囲まれてしまっていた。
「あのね〜。宿の跡取りだからって、澄ましてるんじゃないわよ〜!」
「そうそう。少し仕事を人よりもこなす事が出来るからって、人の事バカにしてるんじゃないわよ!」
「ハッキリ言って、あんたがこの宿継いだら、私達、即刻辞めさせて貰うからね!」
「そうよ!今の女将さんと旦那さんだから、私達、辞めずに働いてるんだから、そこんとこ、忘れないでよね!?」
あんまり、この宿を継ぐ気なんかなかったけど、彼女達が辞めてくれるなら、それだけでこの宿を継ぐ価値があるわね…。
そんな事を考え、無言のままの私に、彼女達は苛立ちが募ったらしい。
一人が、私の肩を小突きながら、声を荒げた。
「ほんっと、あんたって可愛くないわね!」
可愛くない…。
そうね。
私は少しも可愛くなんかないわ…。
昼食の時、『可愛い!』と、散々褒められたけど、私から言わせてもらえば、昼間の彼女達こそが『可愛い』、と評価されるに値する。
そう思っているうちに、無意識に自嘲気味な笑みが口元に浮かんだらしい。
そんな私を取り囲んでいる従業員達が、目を吊り上げて私を睨みつけた。
「何、そのバカにした笑い!?」
「つけ上がってるんじゃないわよ!?」
「あんた一体、何様のつもり!?」
「そうやって人を見下してるあんたなんか、一生まともな友達も、恋人も出来ないわよ!」
最後の台詞に、クラウドさんに寄り添う彼女と子供達の光景がフラッシュバックした。
途端…。
ピクッと頬が強張る。
カーッと顔が熱くなる。
目の奥がジンとする。
胸から何かが競り上がってくる。
私は、生まれて初めて『怒りに体が震える』という言葉を実感を持って体験した。
「うるさい!!!」
壁をバンッと叩き、怒声を上げる。
彼女達は、生まれて初めて、逆上する私に息を呑んで後ずさった。
それでも、怒りに頭が真っ白になっている私は、治まる事無く更に声を荒げ、彼女達を睨みつけた。
「うるさい!うるさい!!うるさい!!!!」
「あんた達に私の何が分かるって言うのよ!!」
「何にも知らないくせに!私が何をどう感じているのか全然知りもしなくせに!!」
「それに何!?『人を見下している』ですって!?あんた達こそが私の事を見下してるんじゃない!?」
「ええ、でもそうね!心底軽蔑してるわ!こんな風に複数の人間がいなかったら、まともに文句の一つも言えないんだから!!」
「それに、ハッキリ言ってニースがあんた達に『なびかない』からって、八つ当たりめいた幼稚な嫌がらせなんかする前に、彼に面と向かって気持ちをぶつけてみなさいよ!!」
「あんた達に認められないと、友達も、恋人も出来ないって言うんだったら、私はこのまま独りでいる方がずっとマシよ!!!」
「あんた達こそが、『人を見下した、可愛くない』っていう評価を得るに相応しいわ!!!」
声の限りに叫び、テーブルに置いていたカップを床に叩きつけ、逆上する私を前に、彼女達はすっかり気を呑まれていた…。
ハッと我に返ると、いつの間にか私の周りには、彼女達ばかりでなく厨房の料理人達までが集まり、遠巻きに垣を作っていた。
私を見つめてるどの顔も、何だか新生物を見るかのような目つきで呆然としている。
その表情に、どうにもやりきれない思いと、恥ずかしさ、そして別の苛立ちが込上げてきて頭の中がぐちゃぐちゃになった。
そして…。
私は堪らずそこから逃げ出した。
あとがき
はい。ほとんど、って言うか全然クラティ要素がないですね(苦笑)。
すみません。根底はクラティなんですが…、いやはや(汗)。
ただ、こんな風に頭がぐちゃぐちゃになるくらい、苛立ったり、悲しくなったり
した事、ある人多いと思います。マナフィッシュもありますね(苦笑)。
その時の経験って、振り返れば良い意味でも悪い意味でも自分の糧になっていると思うのです。
そんな訳で、今回あえてこんなダークな話を書きました。
こんなお話までお付き合い下さり、有難うございました!
|