私は、一生『恋心』を知らずに生きていくんだと思ってた…。

 『彼』との出会い…。

 それは、そんな私への神様からの『贈り物』…。



恋心 6




 宿を飛び出し、闇雲に走って、走って…。

 気がつけば、村はずれに近い森の傍まで来てしまっていた。

 荒い息遣いのまま、何も考えず、木に体を預けてそのままズルズルとしゃがみこむ。

 もう、本当に何もかもがイヤだった…。
 不器用な自分も…。
 自分をバカにしている彼女達も…。
 そんな私達を遠巻きに囲んでいた料理人達も…。
 仕事も、この生まれ育った村も、空も、森も、私を取り囲んでいる『世界』の何もかもがイヤでしょうがなかった…。
 全てを放り出し、誰も私のことなんか知らない、『他所の世界』に飛んで行きたい!!

 …そう、思っていた。


 雪の積もっている地面に直接座り込んでいたから、体が急速に冷えてきたけど、それでも私は構わず、震えながら膝に頭を埋め、うずくまっていた。

 いっそ、この雪のように、私も溶けてしまえればいいのに……。
 ああ、でもこのままここにいて、誰にも見つからなかったら、それこそ本当に『生の世界』とお別れしちゃうわね…。

 そんなくだらない事を考えていると、急に暖かい何かが頭から被せられた。
 次いで、誰かの荒い息遣いが聞こえる。

 驚いて、反射的に頭に被せられた『何か』を取ると、「良いから着てろって!」と、少々乱暴に『それ』を体にギューッと被せられてしまった。
「ニース!?どうしてここに…」
「どうして!?ああ、もう、本当に……」
 荒い息遣いの為、途切れがちになりながらも呆れたように、それでいて優しい眼差しに、彼が飛び出した私を必死になって探してくれてた事に気がついた。

 被らされたものを見ると、それは彼がいつも私服の時に着ているお気に入りのコート。
 物凄くお気に入りで、本当に大事にしているのを私は知っている。
 そんなにも大事なコートを、彼が今、私に貸してくれている……。

 彼が私に好意を持っているのは知っていた。
 でも、煩わしいとしか思っていなかった。
 こんな自分に、何故好意を持っているのか…。
 そんな事、考えても無駄だし、それに、彼の好意がどれ程のものかまでは分からなかったから、必要最小限の会話しかした事がなかった。
 ううん、『しようとしなかった』し、それ以上の会話を『させようとしなかった』…。
 時々、彼が思わせぶりな事を言ったり、仕種をしたりしても、私は完全にそれらを無視で通してきたのだ。

 それなのに、たった今、彼は私の目の前にいる…。ほんの少し、照れたようにはにかみながら頬を緩ませて…。
 彼だって仕事中なのに…。どこに行ったかも分からない、突然飛び出た私の事を、息を切らせながら必死に探してくれた。
 そして、私の肩には、彼のお気に入りのコート…。

 初めて、ニースに対して『嬉しい』と言う感情が胸に芽生えた。
 荒い息をしながらも、穏やかな眼差しを向けてくれる彼に、私は何だか泣きそうになる。

「なあ、ファシーナ?お前、本当に変わったよな!うん。あの例のお客さん、クラウドさんが泊まりに来てから!」
「え!?」
「へっへ〜、びっくりした?」
 彼の言葉に私は素直にこっくりと頷いた。
 
 だって、誰かが見て分かるほどの変化って…多分まだ、そこまで変わってない…と思う…。

 何だか、物凄く恥ずかしくなってきた…。
 ああ、でも…ついさっき、皆の前で醜態を晒したんだもの…、こんな事くらいで恥ずかしがるのは変よね…?

 ニースは、私を優しい顔で見つめていたけど、ふいに大きく伸びをすると「ああ、もう本当に…!」と、大きな声を出して雪の上に大の字で寝転がってしまった。
「な、何してるの!?」
「落ち込んでんだよ!」
「はい?」
「『告白もしないうちに失恋』しちまったから!!」
「へ…!?」

 本当に…、今日のニースは予想のつかないことばかり…。
 目を丸くする事しか出来ない私に、ニースは大の字に寝転がったまま、ニッと笑って見せ、
「でも、俺、すっごくしぶといからな!」
と、言うと両足を揃えて反動をつけ、起き上がって私に向き合った。

「だから、絶対に諦めないからさ!これからも覚悟しとけよ!!ファシーナがどんなに俺の事を避けようとしたって、ぜ〜ったいに諦めたりなんかしないぞ!」


 こんな時に、こんな言葉を受けてしまって…。
 一体、何て言ったら良いのかなんて、私なんかに分かるはずないわよね…!?

 でも、無性に…。

「プッ!…ククッ…、ハハ…!アハハハハ!」
「お、何だよ〜!一世一代の告白に笑うわけかよ!」
「アッハハハ!も、もう…、無理…、笑わないなんて…クク、無理…!」

 何故だか、無性に可笑しくて、込上げてくる笑いを抑える事なんて不可能だった。

 お腹を抱えて笑う私を、ニースは憮然とした顔で見ていたけど、そのうちつられて一緒に笑いだした。

 そうして…。

 しばらくの間、白銀の静かな世界で二人して笑い転げていた…。



 そして今…。
 夕映えの陽の光を浴びながら、私達は帰路についていた。

 ひとしきり笑ったら、何だか力が出たみたいだった。
 あんなにイヤで仕方なかった気持ちは、まだほんの少し小さな棘になって胸に刺さっているけど、それでも頑張れない程ではなかった。
 ううん、むしろ、その棘に負けてなるものか!…と、そんな気持ちにさえなっていた。

 宿に戻る途中、初めてニースと色々おしゃべりをした。
 彼が、いずれは世界に出て行って、様々な土地の美味しい物を極めてみたい!そんな夢を持っている事も初めて知った。
 目をキラキラさせながら頬を高潮させ、自分の夢を語る彼に、私は一種の憧れを持った。
 自分の将来をこんなにも見据える事が出来るだなんて、本当に羨ましい…そう思った。
 そして、そんな彼を見て、私は今までの自分の態度を心の中で恥じていた…。

 もっと早く、彼に向き合っていれば良かった…、そう思わずにはいられなかった。
 たった2日、それも『宿のフロント係』と『宿の客』の間柄でしかなかったのに、クラウドさんの『家族』が目の前に現れただけで私はこんなに辛い…。
 でも彼は、私よりもっと辛い思いを、もっと長く味わってきたんだ…。
 そう思うと、胸を締め付けられるような気がした。
 そして、それ以上に彼の『心の強さ』を感じずにいられなかった。
 彼はさっき言ってくれた。

 絶対に諦めない…って。

 今まで散々彼の事を傷つけていたのに、それなのに彼は『諦めない』と言ってくれたのだ…、『私を諦めない』…と。

 どうして、彼はこんなにも心が強いのだろう…?
 どうして、こんなにも優しいのだろう…?
 私も、彼の様に優しい心を持てるだろうか…?
 ううん、きっと無理…よね…?
 でも、彼のホンの何分の一でも良いから、私も優しい心を持ちたい…。
 彼の様な強い心を持ちたい!

 いつの間にか、そんな思いで胸が一杯になっていた。

 私は、たった2日前の自分と今の自分を比べて、とても現実の事とは思えない気分がした。
 あの頃は、自分と周りの世界は別物で、決して私は周りの世界には溶け込めないし、溶け込もうという気持ちすらなかったのに…。

 本当に、クラウドさんとの出会いは、私の『これまで』を全部ひっくり返してしまった。

 想像も出来なかった自分の変化に、まだ戸惑いはあるけど、何となく頑張っていける気がするのは、きっと私は『独りじゃない』…、そう気付けたから…だよね?



 従業員用の裏口から宿に戻った私は、真っ先に母に謝罪した。
 当然母は、厨房での一件を既に把握していて、私の顔を見るなり、駆け寄ってきた。
 てっきり平手を受けるのだとばかり思っていた私に、何と顔を歪ませて抱きついてきた。
 それには、私ばかりでなく、周りにいた従業員仲間までがびっくり仰天してしまった。
 母は、これまで一人部屋を与えてくれた意外は、全く他の従業員と同等に扱っていた。
 時には厳しく、時には優しく、本当に平等に扱っていたのだ。
 そんな母が、それこそ説教をしなくてはならない場面で、泣きながら娘を抱きしめている。
 その光景を、一体誰が想像出来ただろう…。
 そして、その光景を誰独り想像出来なかったという事実を判断するのは簡単だった。
 だって、周りの皆の呆気に取られた顔を見れば一目瞭然…。

 そんな皆の戸惑いを他所に、母は、
「やっと自分に『素直』になる事が出来たのね!ああ、本当に良かった!!」
と、涙を流してくれた。
 そんな母に胸が熱くなり、私は『素直』に、母の温もりを味わった。

 そう、こんなにも自分は愛されているのだ…。
 どうして、この事に『頭で理解する』だけに止まっていたのだろう?
 どうして、この事を『心で感じなかった』のだろう?

 ああ、きっと私が捻くれ者だったから…よね。
 でも、きっとこれからは…。



 それからは、急に我に返った母が真っ赤になり、涙を拭き拭きそそくさと両親の自室に逃げてしまった事が可笑しくて、皆の間でドッと笑いが起こり、そのまま何だかお祭り気分で仕事に戻っていった。


「ファシーナ、大丈夫?」
「ファシーナ、無理してカウンターに立たなくても良いよ?」
「ファシーナ…私達はファシーナが大好きなの、憧れなんだよ?だから、あんな奴らの言う事気にしないで!」
「そうよ!あの人達、ファシーナにヤキモチやいてるだけなんだから!!」

 昼食を一緒に食べた彼女達が、心配そうに次々声をかけてくれる。
 既に誰からか、事の顛末を聞いたらしい…。それも、かなり正確に。
 でも、彼女達ならそんな情報収集はお手の物だろう…。
 何しろ、いつも楽しい話題を抱えているのだから。
 でも、今こうして彼女達と話しをするようになってみると、彼女達が他人を卑下した言葉を決して口にする事がなかった事に気が付いた。
 陰口を囁いた事がない…。決して、他人を誹謗中傷しない…。
 その事にもっと早く気付けていたら…!
 今までの時間が勿体無く感じてしまう。
 でも、きっと捻くれ者として過ごした『これまで』の時間は、必要な時間だったんだって思える…、今では……、今の自分では…、そう考えられる。

 これって、本当に何て素敵な『変化』なのかしら!?



「あの、ファシーナさん?」
「あ、はい、何でしょうか?」
 フロントの仕事に戻ってしばらくした時、ティファさんが恐る恐る、と言う表現がまさに相応しい仕草で、そおっとフロントにやって来た。
「あの、お忙しい所を本当に恐縮なんですが、ほんの少しでいいんです。お時間を頂けないでしょうか?」
「? はい、少々お待ち下さい」

 私は、フロントに一緒にいた相方に一言断りを言うと、そっとフロントを抜け出した。


「クラウドからあなたの事を聞きました。本当に良くして頂いたそうで、何て言って感謝して良いのか…。もう、感謝の言葉も見つかりません、本当に有難うございました!」
「いえ、そんな、お願いですから頭を上げてください」

 ティファさんは、少し潤んだ瞳で私の手を取って感謝してくれた。そして、勢い良く頭を下げてしまって、その姿に私は狼狽する。

 ようやっと、顔を上げたティファさんのその顔は、本当に輝かんばかりの笑顔。
 そしてその笑顔に滲む涙。
 全てが目を奪われるほどとても綺麗だった。
 彼女の感謝の言葉と、クラウドさんを助けた私を『特別な人』と思ってくれている感情がとても伝わってきて、何だか落ち着かなくてそわそわしてしまう。
 だって…、私こそがクラウドさんの存在によって、本当に素晴らしい物を沢山手に入れたんだもの…。

「クラウドが言ってました。あなたがお医者様を呼んで下さらなかったら、絶対に自分から医者に行かなかったと思うって」

 ああ、やっぱり私の予想通りね…。その事実に何となく笑みが浮かぶ。

「それから、あなたが早い時点でお医者様を呼んで下さったから、こんなに早く回復出来たって、お医者様がそう仰ったって…。本当に、本当に有難うございました」
「いえ、これも仕事ですから」
「でも、勤務内容に『看病』は入ってないでしょ?」
「いえ、入ってますよ」
「え!?」
「当宿では、体調を崩された旅行者の方の看病は、緊急時の対応として、『ある場合に限り、優先して取り扱う』と、マニュアルの中に入ってるんです」

 そう、これは作り話でなく本当に『緊急時の対応マニュアル』に載っている。
 ただ、今まで実施された事がない。
 大体の人が、宿の目と鼻の先の病院へ入院してしまうのだから。
 今回、もし病院のベッドが空いていたら、間違いなくクラウドさんは入院していただろう。

「そう、だったんですか。でも、本当に良くしてもらったって、クラウドが喜んでましたから、やっぱり感謝しちゃいますよ」
 にっこりと笑って、私にそう言い切ったティファさんは、本当に綺麗だった。

 彼女なら、クラウドさんの隣を歩くに相応しい…。
 心からそう思う。

 実は、チラッと考えてしまった事がある。
 もしも、ティファさんという人が特に何でもない、いわゆる『普通の人』なら、諦めずに想い続けてしまうかも…って。

 でも、実際こうして直接会い、話をして分かった。
 クラウドさんにはこの人しかいなくて、この人にもクラウドさんしかいないんだって。
 そう気付いてしまったのに、いつまでもクラウドさんを想っているのは滑稽…かな?

「フフ、それにしても…」
「?どうかされましたか?」

 ティファさんが可笑しそうに笑みをこぼした。
 何かを思い出した様子で、しきりにクスクス笑いながら、私をまじまじと見つめる。
 その瞳は、決して不快になるものではなかった…。
 だって、本当に温かかったから…。
 こんなに温かい眼差しを赤の他人に向けることの出来る人…、そうはいないだろうな…。

 そんな事をぼんやり考えている私に、ティファさんは「うん、やっぱりそうよね」と、呟くと私にとんでもない事を言ってのけた。

「うん、やっぱり貴女とクラウド、同じ雰囲気持ってるわ!」
「はい!?」
 両手をパチンと合わせ、とても嬉しそうに言い切ったティファさんの言葉が、すんなり受入れられるはずもなく…、と言うか、咄嗟に一体何を言われたのかさっぱり頭に届かなかった。

 ………、私と、クラウドさんが、同じ雰囲気……えー!?

 今、頭に届いたみたい…。
 それと同時にびっくりし過ぎて呆気に取られてしまう。

 そんな私の顔を見て、更にティファさんはクスクス笑うと、
「うん、やっぱり同じだわ!」
と、嬉しそうにしか見えない表情で、同じ言葉を繰り返した。

「あのね。クラウドも物凄く不器用なの。そのせいで、子供の頃、随分寂しい思いをしたものよ。でも、本当は凄く心の優しい人で、誰よりも自分に厳しいの。時々、もっと頼ってくれたら良いのに…、って思っちゃうんだけど…」
 ティファさんは、呆然としている私に、本当に嬉しそうに彼の事を話しだした。そして、ここで少し物悲しそうな瞳になって物思いにふけり、少し俯いて自分のつま先をじっと見つめた。
 でも、すぐに顔を上げたその表情は、やっぱり本当に綺麗な笑顔に彩られ、目はキラキラ輝いていた。
「でも、『独りじゃない』って気がついてくれる出来事があってね。それからの彼は、前よりも周りに頼ってくれるようになったし、何より、口癖だった『興味ないね』って台詞、口にしなくなったのよ」

『興味ない』…。
 まさに、今までの私が心の中で幾度も繰り返していた言葉…。

 ティファさんが『私とクラウドさんが似ている』って言ってくれたのも、あながちそう的外れな発言じゃないのかもしれない…。

 そう思うと何だか、妙にくすぐったいような、それでいて心が温かくなるような…、変な気持ちが胸に広がってきた。
 それは決して不快なものではなくて…、むしろ…。

『嬉しさ』

『同士』とか『同類』って言葉に当てはまる人に出会えた『喜び』

 うん、そんな感じ。

 照れて俯いた私に、ティファさんは「へんな事言ってごめんなさい、お仕事中なのに」と、申し訳なさそうな、それでいて温かい声音でそう言ってくれた。

 本当に、何てこの女性(ひと)は素敵な人なんだろう…。
 ああ、クラウドさんが風邪で弱った時、『ティファ?』って、この女性を探した気持ち、良く分かるな……。
 この女性なら…。

 うん。『失恋』しても当然…だね。

 それに、今は『悔しい』って気持ちよりもむしろ…。

『清々しい』。


 そうして、ティファさんは、私に一礼するとクラウドさんの部屋へ戻っていった。

 私はその後姿を、微笑みながら見送る事が出来た…自然に、素直な気持ちで…。


 クラウドさんとティファさんに出会えて、本当に良かった…。


 その想いで心を一杯にして…。



あとがき

随分長くなりましたが、次回で完結です。
え〜、と言うわけですので、あとがきは次回の最後にまとめて
書きたいと思います。