遥か昔。
 この地では人とモンスターの争いが絶えず、双方の血が絶え間なく流れていた。
 しかしその熾烈な戦いにもついに終焉がもたらされる。
 それは、とあるモンスターが1人の人の子によって救われたことにより、かのモンスターが仲間を見限り、人側に付いたためであった
 しかし…。
 長きに渡る戦いにより、人の心はモンスターへの憎しみで溢れていた。
 故(ゆえ)に。
 人は、かのモンスターが数多いる他のモンスターをこの地より追い出すべく戦うその姿を見ながら、虎視眈々と狙っていた。
 この地を支配するほどの力を持つ、かのモンスターを封じることの出来るその瞬間を。
 やがて、戦いは白銀の巨狼(きょろう)の働きにより、かの地を人の手に収めることとなる。
 そうして人は行動に移った。
 とても愚かで、許しがたい暴挙に出た。
 戦いを終え、数多のモンスターを追い払いし後、自らもまたその地を去るその前に、己の命を救ってくれた人の子を一目見てから、と立ち寄りし白銀のモンスターは信じられないものを見た。
 人の砦内に真新しく作られた小さな祭壇。

 その上に括り付けられた人の子。

 白銀の狼は燃え滾る怒りを咆哮に変えて飛び込んだ。
 己の命を救いし人の子を救うため、自らを捕らえるべく張り巡らされた罠の中へ。

 贄(にえ)とされし哀れな人の子を救うために。






Liberating from Solitude (中編)






 長い長い夢を見ていたためか、妙に重だるい頭に顔を顰めつつクラウドは目を覚ました。
 全身がグッショリと夜露で濡れ、重くなっている。
 だが、そうであるのに全く寒さを感じなかった。
 寒さを感じない理由。
 その理由に死にたくなるほどの絶望を感じながらクラウドは重い体を地面から起こすとゆっくり四肢を伸ばした。

 長い銀糸の体毛に覆われた前足がイヤでも目に付く。

 人の姿を失ってから、もう既に1週間以上が経っていた。


 クラウドは喉の渇きを覚え、首をゆっくり廻らせた。
 この体になってからたった1つだけ良かったと言えるのは、異様に体力があることと鼻が利くようになったことだ。
 今、クラウドの周りにあるのはあの神殿を囲んでいた深い森ではない。
 薄茶色の草原に背の低いブッシュがところどころ点在しており、ポツポツと思い出したように背の高い立派な大木が雄々しく枝を広げている。
 あの深い森から幾日も走り、そうしてようやっと見慣れた風景に辿り着いたのはつい昨夜のことだ。
 配達ルートとしてよく走っていたこの草原からエッジまで、フェンリルならば2日ほどの道のりだ。
 この草原に辿り着いた時、言葉に出来ないものが胸の奥底から競り上がってきて、涙を堪えるのに苦労した…。

 懸命に堪える涙の理由が自分の生活圏へ戻ってこれたことへの喜びか、それとも幾日も経つと言うのに未だに元に戻る気配がないことへの悲しみか、あるいはそれら全部をひっくるめたものなのか、クラウド自身も分からなかった。
 分かったのは、どうしても自分は諦められないのだということだけ。

 元に戻ることも。
 自分を支えてくれていた人たちとの関係を取り戻すことも。
 あの研究員へ一矢報いることも。

 全部全部、どうしても諦められないのだと思い知る。
 星痕症候群に罹ったときですら、これほどまでの思いに駆られたことはなかった。
 あの時は、ザックスやエアリスを見殺しにしてしまったと言う贖罪の念が強く、自分の腕に現れた黒い膿みはその罪の証だと思った。
 だから、大切なモノたちから切り離されてしまった現実を、焼け付くほどの苦しみを味わいながら受け入れたのだ。
 だが、今は違う。
 こんなにも家族や仲間が恋しいと思ったことはない、と思えるほど今、クラウドは強烈な想いに支配されていた。

 背中を預けられた仲間達の気配が懐かしい。
 子供達の明るい笑顔と笑い声が聞きたい。
 ティファの温もりに包まれたい。


 風が頬を優しく撫でると、水の香りを運んできた。
 そちらへ躊躇うことなく首を向け、歩き始める。
 草を踏み分けながら、人であった頃よりも若干低くなった視界に戸惑っていたのは最初の2日くらいだった、とふと考える。
 そうして、ゾッと背筋を凍らせた。
 徐々にではあるが、確実にこの姿に馴染んできている…。
 思わず足を止めうな垂れると、胸の奥底から猛烈な怒りが爆発的にこみ上げてきた。


 どうして俺がこんな目に!


 悔しくて…悔しくて…悔しくて…!
 あまりにも理不尽なこの仕打ちに、あの研究員の男をかみ殺してやりたくなる。

 あの時。
 何が起こったのか咄嗟には分からなかった。
 分かったのは、自分がとんでもないことに巻き込まれてしまったということだけ。
 そして、あの研究員の男にとっても予想外の結果になってしまったらしい、ということだけだった。
 クラウドがこの巨大な狼へとその姿を変えたとき、あの男は確かに青褪めてこう言った。

『そんなバカな!?』

 バカはお前だ!

 当時のことを思い出し、抑えきれない苛立ちに目の前が真っ赤に染まる。
 知らず知らず、喉の奥から凶暴な唸り声が洩れ、ギョッとすると、クラウドは更にうな垂れ力なく頭を振った。

 あまり憎しみや怒りの感情に身を任せるわけにはいかない。
 この姿になって1週間以上。
 幸い、人と出会うことはなかった。
 だが、これから先、人と遭遇した時に怒りに駆られている状態だったとしたら、今の自分は何をしてしまうかクラウドには分からなかった。


 解放しろ。


 苛立ちを抑え込んだその時。
 脳に直接、低い低い声が響いてきた。
 クラウドは口を引き結ぶとその声を無視し、再び水を求めて歩き出した。


 お前の身体を明け渡せ。


 再び聞こえるその声にクラウドは声に出さず、黙れ、と一言胸中で呟く。


 お前にこの身体は使いこなせまい。


 囁くように…、訴えるように、低く低く、声は続ける。
 クラウドはその声にもう1度、黙れ、と心の中だけで答えると、もう後は何を話しかけようと無視を決め込んだ。

 この姿になった直後はまだ、この声は聞こえなかった…。

 仲間達からの攻撃を受け、反撃するわけにもいかず一旦森へ逃げ込んだクラウドは、暫くしてからあの場へ舞い戻った。
 仲間もWRO隊員も研究員たちも誰もいなかった…。
 森に身を潜めているときはひたすら混乱し、自分の身に起こったことを受け入れられずにいたクラウドだったが、人気のない神殿跡を前にして心の底からゾッとした。
 まるで、星痕症候群に侵されたあの時間が戻ってきたようだった。
 いや、もっと悪い。
 あの頃、自分は独りだと思った。
 だが、そうではなかった。

 決して出ないと分かっていたはずなのに、欠かさず電話をしてくれたティファや、配達を依頼してくれる依頼主やその届け先の人間…。
 少なくとも、彼らとの接点があった。
 だが、この姿になってしまったクラウドは、自分の全てが奪われたことを知った。
 人としての姿だけではなく、自分を支えてくれていた全ての人たちとの繋がりも、自分という存在そのものも奪われてしまった。
 ともに戦った仲間であるシドですら、自分を見つけることなく退却してしまったではないか。
 それが一体何を意味するのかを考え、先ほど自分の正体に気づかず躊躇うことなく攻撃してきたシドを思い出し、クラウドは目の前が真っ暗になった。

 誰も自分だと気づいてくれない。

 その現実を突きつけられた。
 そしてその瞬間、聞こえてきたのだ。

 低い低い、囁きのような声が。

 全てを憎むどす黒い感情を隠そうともせず、クラウドに身体を明け渡すように要求する低い声。
 傲然としたその声音に、クラウドは一瞬、自分が狂ってしまったのではないかと本気で恐怖した。
 だが、すぐにそうではないのだと理解した。
 理由は分からないが、あの研究員の男が言ったように何かがあの神殿に封印されていたのは間違いない。
 そして、その封印されていた何かが自分の中に流れ込んできて、あろうことかこの身体をモンスターのものへと変化させ、完全に乗っ取ろうとしている。
 そして、その侵食する力はクラウドが負の感情に支配されたり気持ちが激しく揺れているときにより強くなるのだ、ということに気がついた。
 気づいてからは、なるべくこの現状に気持ちを揺さぶられぬよう、自制を心がけている。
 だがそんなクラウドの努力も虚しくこの2・3日で心はすっかり疲れてしまい、少しのことで声の主がその存在を主張してくるようになっていた。
 その都度、クラウドは必死になってティファや子供達、仲間の姿を思い描いた。
 こんなところで本当にモンスターになってしまうわけにはいかない理由を抱きしめるために。

 しかし、それも難しくなってきている…。

 クラウドは強く頭を振った。
 これ以上落ち込むのは非常に危険だ。
 必ず生きて、無事に帰る。
 こんなところで終わってたまるか。
 気が狂わんばかりに心配してくれているであろうティファを抱きしめるためにも、絶対に元に戻ってみせる。

 無理やり思考を遮断すると、目の前に現れた小川を覗き込んで顔を近づけた。
 そうして、水面映る己の姿に吐き気を覚えつつ、清らかな水を口に含んだ。


 *


「本当にすまねぇ」

 うな垂れ、小さくなるシドを前に、ティファは、いいのよ、と小さく答えながら、心にまた深い傷を刻み込んだ。
 クラウドの行方が分からなくなって丁度13日になる。
 その間、WROも必死になって捜索に当たってくれたが、彼の行方はようとして知れなかった…。
 行方不明になった、という報告を受けた直後、ティファも迎えに来たWROの飛空挺で現地へ飛び、捜索隊に加わったが5日経っても見つけることが出来ず、おりしも森が雨季に入ってしまったため捜索活動は難航した。
 そこで、一旦エッジに戻ることにしたのだ。
 途中ロケット村に立ち寄り、シエラに預けていたデンゼルとマリンを引き取ってセブンスヘブンへ戻ってきた。
 そうして、自分が戻った後も捜索隊のメンバーとして現地に残ったシドを前に今、ティファはどうしても優しい言葉を口にすることが出来なかった。

 考えても仕方のないことを考えてしまう。

 そんなに難しい任務ではなかったのに…。
 クラウドとシドがいれば成功間違いなしの任務だったはずなのに…。。
 それなのに…。

「ティファ…おめえ、ちゃんと寝れてるのか?」

 心配そうに上目遣いで問うシドに、ティファは微笑みを浮かべて大丈夫だと答えた。
 だがシドは、ティファの両脇に座っている固い表情の子供達がチラリと目配せしてきたのを見て沈痛な面持ちになった。
 ティファは上手に隠しているつもりかもしれないが、一緒に住んでいる子供達の目は誤魔化しきれていない。
 しかし、シドはそれ以上突っ込んだことは言わず、このままクラウドを見つけるまでWROは捜索活動を続けてくれる、というリーブからの伝言を口にした。
 ティファは虚ろな目をしたまま唇を笑みの形に作り、「ありがとう」と囁くように呟いた。


「ティファ…今夜も一緒に寝て?」

 再びクラウドの捜索へ戻っていったシドを見送った後、いつも通りを心がけてなんとか今、長い一日を終えようとしている。
 子供たちを部屋に送り、ベッドに潜り込んだ2人の額におやすみのキスを贈るティファに、マリンが小さく呟くように言った。
 僅かに躊躇ったが隣のベッドからジッと見つめているデンゼルに気づき、ティファは微笑んだ。

「うん、いいよ。じゃあ後片付けが終わったらくるからね」

 嬉しそうにニッコリ笑うマリンに胸が少し温かくなる。
 正直、ティファにとってもその申し出はありがたかった。
 クラウドの捜索を打ち切って戻ってからずっと、ティファは子供達と一緒に眠っている。
 眠っている、というのは正しくないかもしれない。
 横になってもどうしても目が冴えてしまって中々眠れないのだ。
 だがそれでも、隣で安らかな寝息を立てて眠る子供達を見つめていると、自分はまだまだ頑張れる、独りではない、と奮い立たせることが出来た。
 だが、子供達と一緒に眠ると1つだけ困ることがある。

 クラウドを想って泣けないこと…。

 泣きたいということではない。
 涙を堪えるのが難しくなってきているのだ。
 マリンやデンゼルと一緒に眠ることは安らぎを得られると同時に、クラウドをこのまま失うかもしれない恐怖を心に溜め込まなくてはならないことを指している。

 正直、もういっぱいいっぱいだった。

 ようとして知れない彼の行方。
 最後にクラウドを見たという研究員の証言の曖昧さ。

 目を閉じるとそれらのことがグルグルと脳裏を回り、堪らなくなると同時にクラウドがそのまま永遠に闇に消えてしまうのではないか、という根拠のない恐怖に雁字搦めになってしまう。


『クラウドさんはあの巨大モンスターと戦いになって、森の奥へ向かってしまわれたんです。ですから、クラウドさんが戻らずモンスターが神殿に舞い戻ってきたということは…』


 研究員の男はそう言葉尻を濁し、ティファに頭を下げた。

 遺跡探索に熱心になるあまり皆とはぐれ、心配して見に来てくれたクラウドが突如現れたモンスターと鉢合わせしてしまったのだ…と。
 その結果、クラウドはモンスターとの戦闘へ流れ込み、帰ってこられなくなった…。
 彼はそう言いたいのだろう。
 クラウドはモンスターに敗れ、星に還ってしまったのだ、と。

 その話を研究員から聞いた時、ティファの傍には他にシドやバレット、ナナキやユフィもいた。
 仲間は当然の如く、凄まじい勢いで男の発言を否定した。

 ありえない。

 クラウドがモンスターと戦って負けるなど。
 シドもまた、その白銀の巨大狼の姿をしたモンスターを目の前で見ていたが、クラウド1人で対処出来ないほどには思えなかった、と証言している。
 仮に、一対一での戦いで勝てない相手だったとしても、仲間がすぐ傍にいるのに助力を求めないとは考えられない。
 一人での戦いに固執するタイプなら分からないが、クラウドは戦いを好んでいない。
 ましてや、負けてしまうかもしれない戦いに単身で最後まで粘るだなんて無駄なことはしない。

 ティファは同じベッドで寝息を立てているマリンの寝顔をジッと見つめながら、涙腺が緩むのをとうとう今夜は抑えることが出来なかった。
 ただ、はらはらと涙をこぼす。
 溢れるばかりの思いは止まることを知らず、ティファの思考はクラウドの現在(いま)へと飲み込まれていく。

 今、どこにいるのだろう?
 痛い思いをしていないだろうか?
 誰か、傍にいてくれているだろうか?
 こんな夜中にたった1人で孤独に打ち震えていないだろうか?
 ちゃんと食べるものはあるのだろうか?
 電話が出来ないのはモンスターとの戦いでうっかり落としてしまったか、壊れてしまったかだけが理由であって欲しい。
 クラウドも、こうして暖かいベッドでゆっくり眠れていれば良いのに…。
 何にも恐れるものはなく、ただ心安らかに穏やかな眠りを与えられていれば良い…。
 もしもそうであってくれるなら、このまま会えなくてもかまわない。
 かまわないから、どうか神様…!


 ウソばっかり。


 ティファは最後の最後、胸の中に浮かんだ願いを嘲りと共に否定した。

 二度と会えなくてもかまわないはずがない。
 こんなにも恋焦がれて気が狂いそうになっているのに。

 胸が締め付けられて痛みを伴い、ティファは静かにマリンへ背を向けた。
 そうしてギュッと目を瞑る。
 こみ上げてくる恐怖と絶望を両手で押さえつけるように胸を掻き抱く。

 会いたい。
 会いたい、会いたい、会いたい。
 声が聞きたい。
 ティファ。と、名を呼んで欲しい。
 クラウド。と名を呼んであげたい。
 ただただ、傍にいたい。
 傷ついているならその傷に手を当ててあげたい。
 寒さに震えているなら抱きしめて温めてあげたい。
 そうして、誰よりも大切に大切に、大切に包み込んで、もう2度とこんな思いをしなくて済むよう大事に大事に、どこかへ閉じ込めてしまいたい。

 あなたが誰よりも大切なのだと、いつも照れてしまって言えないその一言を彼に伝えたい。

 声ならぬ叫びを上げながら、ティファは身を小さく丸めた。
 そうして、子供達の静かな寝息を微かな拠り所としながら、今夜も拷問のような眠れぬ時を送る…。
 そんなティファを、子供達は小さな胸を痛めながら見守るしか出来なかった。
 何も出来ない自分達の無力さを心の底から悔しく思いながら。
 そして、2人はとうとう1つの行動に出る。
 滅多にかけないその番号を選び、縋る思いで押したのはクラウドが行方不明になって丁度2週間目の朝だった。
 数回のコールの後、低く落ち着いた声が携帯から流れる。

『はい。どうしたの、デンゼル君がかけてくるなんて珍しいね?』

 穏やかでホッとさせてくれる優しいその言葉はまるで包み込んでくれるようで…。
 彼らしいその応対に、デンゼルとマリンは何故だか分からないまま、涙ぐんだ。


 *


 長く、無味乾燥とした1日が終わりに差し掛かろうとした頃、茜色に染まる空を背に負いながらその客は来た。
 ティファは彼を疲れたような笑顔で出迎えた。
 連日の不眠は彼女から彼女らしさを確実に奪っていた。
 優しく男が慰めの言葉をかけてきても、虚ろに微笑むだけだった。

「ティファさん。どうか気をしっかり持って…」

 その言葉に、だがやはりティファは力なく「ありがとう」と呟くように言った。

「ティファさん、少し痩せましたね…」

 男はそっと手を伸ばしかけたが傍らでジッと見ている子供達に気づき、誤魔化すようにその手を自分の頭へ持っていった。
 空笑いしながら頭を掻くその男をデンゼルは無表情に、マリンは唇だけ弧を描いて冷めた目で見上げながらティファの傍から離れようとしなかった。
 まるでティファを男から守ろうとするかのような子供達に男の目に一瞬だけ、白けたような、冷めたような色が浮かぶ。
 だが、それは本当に一瞬で、ただの照明の加減だったのかもしれない。

「ティファさん、お腹空きませんか?きっとまだだと思って買ってきたんです。あ、ちゃんと子供達の分までありますからね。ほら、デンゼル君とマリンちゃん、ハンバーグだよ」

 そう言って、男は持ってきていた大きな紙袋からケータリングの食事を次々と取り出した。
 どれも子供達にとって食欲をそそるメニューだったが、ちっとも美味しそうに見えない。
 しかし、だからと言ってあからさまに拒否をするという失礼な態度はとらなかった。
 完璧な営業スマイルでそつなく謝意を述べ、ティファの両脇を離れず、テーブルに並べられた料理を覗きに行くことすらしない。
 手持ち無沙汰になった男に気を使ったのはティファだった。

「デンゼル、マリン。折角だからいただきましょうか」

 ニッコリ笑って2人に2階へ手を洗いに行くよう促す。
 一瞬、子供達は躊躇うようにティファを見上げたが、結局ティファの言うことをきいて2階へと駆け上がった。
 手を洗う僅かな時間だけなら大丈夫だと思ったのだろう。

「すいません、こんなに沢山…」
「いいんです。だってクラウドさんは僕のために…」

 心底申し訳なさそうに顔を伏せて苦しげに言った男に、ティファは苦労して作っていた笑顔を消した。
 研究員の男は顔を上げると、沈痛な面持ちになったティファへ一歩踏み出した。

「もう…2週間になります、今日で」

 ピクリ、とティファは肩を揺らす。
 そう、もう2週間になってしまった。
 その間、全く進展はなくクラウドは行方不明のまま…。

 もしかしたら…もうそろそろ覚悟を決めないといけないのかもしれない。
 発見が遅くなれば遅くなるほど、生存率は低くなる。
 もしも、行方不明当時、クラウドが怪我を負っていたのなら、2週間もの間、あの人気がなくモンスターが闊歩する森で生きながらえていると考えるのは難しい…。

 だが。
 その覚悟を決めるには、ティファはまだ心の整理がついていなかった。
 どうしても認められなかった。
 諦められなかった。
 彼を2度、失った経験を持つティファにとって、それはあまりにも酷な現実だった。

 1度目は溢れ出る星の流れに巻き込まれ…。
 2度目はある日突然、彼の意思でいなくなった…。
 なら…3度目となる今回は?

 ゾクリ、と全身に悪寒が走り、ティファは己を抱きしめた。

「ティファさん」

 男が手を伸ばす。
 子供達の視線に邪魔された腕は、今度は誰に邪魔されることなくティファの肩へ伸びた。
 しかし、今度はティファ自身がその腕から反射的に身を引いた。
 ある意味それは無意識の行動だった。
 クラウド以外の男に触れられて平気なのは仲間とデンゼルだけ。
 それを彼女自身、意識したことはなかったのだが、ここにきて初めて鮮明な意識として浮上した。
 そのことに自ら少し驚きながら、同じく少し驚いたような顔をして伸ばした腕をそのままに突っ立っている男を見た。
 暫しの沈黙。
 やがて、男は居心地の悪い空気を払拭するかのように「まいったな、そんなつもりじゃ」と苦笑した。
 途端、ティファの胸に申し訳ない気持ちがこみ上げる。
 自意識過剰だった、と恥ずかしくも思った。

「ごめんなさい、ちょっとビックリして」

 そう言って、後ろめたさを取り払うかのように自ら一歩、男へ踏み出した。
 その時。
 突然、クラリ、と頭が振れた様に感じた。
 2週間にも及ぶ睡眠不足と、それに伴って起こっている食欲不振。
 そのせいで、軽い貧血が起きたのだ、と分かったのは、男に身体を支えられた時だ。

 慌てて身体を離そうとしたティファに、だが男は更に力を込めた。
 そして、必要以上に顔を寄せる。

「ティファさん…」

 自意識過剰ではない確信が宿る。
 ゾッと身の毛がよだち、思い切り振り払おうとしたその時。

 空気が振動するほどの獣の咆哮と窓ガラスが割れる派手な音が店内に響き渡った。




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