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柔らかな朝陽の中、私は目を覚ました。
クリーム色の光は、窓に近いベッドに身を横たえる私を、ほんのりと照らしている。
朝の目覚めをこんなに優しい気持ちで迎えられたのは、随分と久し振りのような気がする。
・・・ううん、きっと、ここへ来て初めて。
これまでの私は、この穏やかな光でさえも自分を責めているような気がしていたから。
何も思い出せない私。
彼の望みを叶えてあげられない私。
・・・ここにいるだけの私。
そんな卑屈な想いを抱えながら、これから始まる一日をどうやって乗り切っていけばいいのかと、そんなことばかりを考えていた。

彼が何気なく口にした思い出話に私がよく分からないという顔をするたび、失敗したと言いたげな表情で口を噤んでいた彼。
もっと聞かせて欲しい。思い出せない私に、もっとその先の話をして欲しいと思うのに、いつの時でも「ごめん」と謝ってばかりだった彼。
彼の部屋の入口で声を掛けても、デスクの上に並ぶ2つの写真立てを見下ろしたまま、私の気配にも気付かずに寂しげな背中を向けていた彼。

これまでは、そんな彼の姿を目にするたび、心臓を鷲掴みにされたような痛みが私を襲っていた。
私を見て!ティファはここにいるのに!・・・って大声で彼に叫んで縋ってしまいたい自分がいたけれど、そんな言葉はいつだって胸の中でぐるぐると回っているだけで、決して音となって彼に伝わることはなくて。
こんなことなら。
こんな想いを抱えてこれから生きていかなければいけないと言うのなら。
いっそあの時、助からなければ良かったんじゃないかって。
私は勿論覚えていないけれど、港の近くでバイクに撥ねられたっていうその時に、そのまま逝ってしまえば良かったのかな・・・って。
そんなことまで考えることもあった。

今になれば、ひどく馬鹿なことを考えたって思う。
思い出話を私に聞かせまいとするのも、お店を休業のままにしておくのも、催眠療法を勧めるのも、全部私のためを思ってのことだったのに。
私はそんな彼の気持ちを取り違えて、自分が彼にとって必要のない人間だからそうするんだって思い込んでいた。
卑屈で、ネガティブで、後ろ向き。
それが昨日までの私だった。

人の気持ちって、なんて不思議なんだろう。
私はティファなのに、ティファは私しかいないのに、もう一人のティファがいるかのように嫉妬して、彼女に彼を取られたくなくて、必死になっていた私。
でも今は違う。
素のままの私を受け入れ、ティファがいなければ思い出も意味がないと言ってくれた彼のために、今は進んでかつてのティファに戻りたいと願っている。
彼と思い出を分かち合えるティファに、少しでも早く近づけたら・・・そう思っている。
それがどんなに辛く、今の私には重すぎる思い出だったとしても、彼が傍にいてくれたらきっと耐えられる。
今は、心からそう思える。



「ねえ、ティファ?」
「なあに?」
「・・・何か、いいことでもあったの?」
「え?」
「だって。なんだか朝からにこにこしてるでしょ?今日のティファはご機嫌だねって、今デンゼルと話してたとこ」
「・・・そ、そうかな?」

朝食の仕度をしていた私は、テーブルで足をぶらぶらさせながらご飯を待つマリンにそんなことを言われ、危うくお皿を落としそうになった。
自分でも気付かないうちに、気持ちが顔に出てしまっていたみたい。
きっと昨日までの私は、マリンやデンゼルに心配を掛けるような沈んだ表情を見せていたのかも知れない。
そう思うと、申し訳ないという気持ちと同時に、昨日のことを思い出して顔が火照るのを感じた。

「ええっと・・・クラウド起こしてくるね?」
「ああ〜、ずるいよ!」
「クラウドも昨日からなんか機嫌良くなってたし、絶対アヤシイよな〜」

子供たちのそんな抗議を背中に受けながら、私はそそくさと階段に向かった。
熱くなった頬を両手で冷やしながら、彼が眠るお仕事部屋の前で声を掛ける。

「クラウド、起きてる・・・?」

ノックをしても反応がなく、そっとドアを開けて部屋を覗き込んだ。
閑散としたその部屋に置かれた簡易ベッドでは、彼がまだ熟睡しているようだった。

「クラウド、そろそろ起きないとお仕事・・・」

すぐ傍まで近づいて見た彼の顔は、なんだかとってもあどけなくて、思わずくすりと笑い声を漏らしてしまった。
その場にしゃがみこみ、静かに寝息を立てて安心しきったように眠る彼の頬を、そっと指でなぞる。
その筋の通った鼻に指を触れた時、彼の長い睫毛がぴくんと震え、やがて持ち上がった瞼の奥から空色の瞳が覗いた。

「・・・ティファ」
「・・・おはよう、クラウド」

吸い込まれそうな彼の瞳を目にして、途端に心臓が高鳴った。
「・・・おはよう」
伸びてきた彼の手が、私の髪を一束掬い上げる。
「・・・なあ」
「な、・・・何?」
さらさらと重力に負けて落ちる髪を見つめながら、彼はその唇から低く甘い声を発した。
「・・・朝の習慣だったんだ」
「習慣?」
「・・・おはようのキス」
「え・・・」

髪に触れていた彼の指が、今度は私の頬に触れる。
「ティファにはもう遠慮しないって・・・俺が言ったの憶えてるよな?」
心臓が跳ね上がるのを感じながら頷くと、彼が勢いをつけて半身を起こした。
「でも一応・・・ティファに断りを入れておこうと思って」
大きく温かな両掌に頬を包まれて、私は顔だけじゃなく全身がたちまち火照るのを感じた。
「いい・・・?」
吐息を感じるほど近付いた彼が、その瞳に私を映し出す。
あまりの恥ずかしさに思わず目を閉じると、それが肯定と受け取られたのか、たちまち彼の唇が重なってきた。
驚いて強張った唇を、彼が蕩かすような優しい動きで従順にする。

彼の服を掴んでいた私の手は力を失い、ぱたりと音を立てて膝に落ちた。

「・・・充電完了」
「じゅ・・・充電って」
「ティファに貰ったエネルギーで、今日も一日仕事を頑張れる」
まだ放心したように座り込んでいる私の頭を、彼が笑いながらぽんぽんと軽く叩く。
「ティファ、今日は帰りが少し遅くなりそうだけど、大丈夫か?」
「大丈夫って・・・?何を心配してるの?」
「寂しいかと思って」
「ううん・・・平気よ」
「そう?俺は寂しいから、ティファも同じかと思ったんだけどな」

一瞬切なげな顔を見せた彼は、思い直したように立ち上がり、こちらの視線などお構いなしに着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
その引き締まった素肌の上半身を晒したまま、「今日のルートは・・・ええと・・・」なんて言いながら地図の確認を始めている。

・・・ごめんなさい。
寂しい思いをさせているのは私よね?
思い出なんかよりティファが大事だから・・・そうは言っても、思い出を捨てられる貴方じゃないはず。
だけど、私はできる限りのことをして、早く貴方の心の隙間を埋めてあげられるようになりたい。
ううん、きっと埋めてみせるから。
だからもう少しだけ待っていて。



「ティファ、何してるの?」
「お店の準備。そろそろいいかなと思って」
「・・・お店って・・・セブンスヘブンを開くってこと?」
「そう。他に何があるの?」

夕刻、食材のチェックやレシピの確認をしていたところへ、マリンとデンゼルが遊びから帰ってきた。
珍しく厨房で忙しく動き回る私の姿を目ざとく見つけたマリンが、ぱたぱたと駆け寄ってきてそんなことを訊いてくる。

お店を再開・・・と言っても、私にとっては初めてのチャレンジのつもりだったけれど、自分にもできるということを証明したくて、彼にも相談せず開店を決めていた。相談していたらきっと止められるに決まっていたから、それは事後報告するつもりだった。
彼には平気を装って見せたけれど、寂しいのは私だって同じだから。
彼がいない夜の時間、お店で慣れない接客をしていれば、きっとそれだけであっという間に時間が過ぎるはず。
それに、以前と変わらない生活をしていた方が記憶が戻りやすいって、あの女医さんも言っていたんだから。
沢山いたらしい常連さんの顔も分からないのは不安だけど、どうしても困るようなことになったら、記憶がないことだってちゃんと言う覚悟もできている。
それで同情されたとしても、奇異な目で見られたとしても、彼と私のこれからにおいて、きっと小さな一歩が踏み出せるって、そう思える。
・・・結構私、強くなったのかな。
こんなに自分に自信を持てるようになったのは、彼が力強い心の支えになってくれているから。
そんな彼のために、進んで記憶を取り戻したいと願う前向きな自分がとっても好き。

「ティファ、クラウドはこのこと知ってるの?」
「クラウドには内緒。今日帰ってきたらバレちゃうけどね。お店をやってみたいの。マリンも協力してくれるでしょ・・・?」
「・・・でも・・・あたしもクラウドの気持ち、分かるよ?お客さんとどんな顔して話すつもり?常連さんの顔も分からないのに、どうやって・・・」
「うん・・・それはね、マリンがサポートしてくれるから、きっと大丈夫だって思うんだけどな?」
「・・・・・・」

じっと私の言葉の意味を考えていたマリンは、やがて大きな溜息をついてから、にっこりと笑顔になった。
「しょうがないな。あたしが強力な補佐役、務めさせていただきまーす!」
「ほんと?頼りにしてます」
「クラウドに言い訳するときも、ちゃんと加勢してあげるね?」

小さな手で敬礼のポーズを取ってみせたマリンは、厨房の外にいたデンゼルを中へ引っ張り込んで事情を説明している。
頼りになる小さな家族を見ていると、自然に頬が緩んでくる。
しっかり者のマリンと、どこか彼に似ているような優しいデンゼル。
2人のことも、いつまでも忘れたままで許されるはずはない。
血の繋がりがないとは言え、私は彼らの母親代わりなんだから。
同じく心配そうな顔を向けたデンゼルに、私はジャガイモの袋を掲げて見せ、「皮むき手伝ってくれる?」と目で意思表示した。
「ほんとに大丈夫かな?俺たち3人で」
「何言ってるのよデンゼル?前だって3人だったでしょ?あ、デンゼルはあんまりお手伝いしてなかったから正確には2人かな」
「そりゃないよな?俺だって役に立ってるはずだろ?ほら、掃除は一手に引き受けてるしさ」
「口を開けば、俺は掃除してるからって、そればっかり!たまにはほら、そこにあるジャガイモの皮を全部剥くとかしてみたら?」
「ちぇーっ」
「はいはい、2人とも喧嘩しないの。そろそろ準備しないと間に合わないわよ」



セブンスヘブンの扉に『営業中』の看板が下がったのは、ほぼ1ヶ月ぶりのことだった。







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