Mission12




「ほな、そういう事でティファさん、よろしゅうな」
『うん、どうもありがとう。忙しいのに…ごめんね』
「かまへんて!仲間やないか〜。それに、クラウドさんがラミアのとこに行ってくれはったんは、正直助かる話しやからなぁ…」
『フフ、そう言ってもらえると何だか報われる気がするわ』
「ほな、そろそろ行かなアカンから…すまんな」
『ううん。こっちこそ、時間取らせてごめんね。また連絡すると思うから、その時はよろしく』

 ケット・シーはデンゼルがこっそりと差し出している携帯でティファと話をしていた。
 そのケット・シーが『猫らしく見える』ように、マリンが一生懸命『猫』と遊んでいるような振りをしている。
 いくら無人とは言え、いつ、誰がこの教会にひょっこりやって来るか分からない。
 ここは、立ち入り禁止の場所ではないのだから…。

 携帯を切ったデンゼルに、ケット・シーはうんうんと何度も頷いて見せた。
 それは、マリンがいくら『ただの猫』と遊んでいる振りをしていようと、無駄な努力になってしまうような動きだった。

「ほな、僕はもう行かなアカンから、二人も気をつけて帰るんやで?」
「うん!」
「ケットのおじさんも気をつけてね」
「心配いらん!黙って四足で歩いとったらただの『猫』やからな」
「でも、さっきから携帯で話してるのをマリンが必至にごまかしてるのに、それを全部無駄にしてるんだもんなぁ…。心配だよ…」
 デンゼルの至極ごもっともな台詞に、ガックリと項垂れて見せると「ホンマ、クラウドさんみたいに容赦あらへんな…」とぼやきながら頭を掻いて見せた。
 その姿に、デンゼルとマリンは笑い声を上げると、座り込んでいた地面から腰を上げた。
 パンパンとズボンとスカートについた埃を払い、四足になって『猫』になりすましたケット・シーを見下ろす。
「それじゃ、また今度ね」
「ああ、二人共、ホンマにくれぐれも無茶しなや?いざとなったら、遠慮せんと『ソレ』を使うんやで?」
 尻尾でデンゼルの手にしている『携帯』を指す。
 デンゼルは、携帯を首から提げるとギュッと握り締めて頷いた。
「うん、分かってるよ!」
「それじゃ、さよなら!またね」

 子供達が笑顔で手を振りながら教会を後にしたのを見届けてから、ケット・シーも目的の場所へと駆け出した。



 子供達が自分達の周りに不穏な空気を感じたのは、教会を出て少ししてからだった。
 何となく、首の後ろがチリチリする。
 何かがジッと見ているような…そんな気持ちの悪い感触…。

 デンゼルは無言でマリンの手を取った。
 マリンも黙ってデンゼルの手を握り返す。
 そして、二人はそれまで向かっていた進路を左の裏路地へと突然変更し、駆け出した。

 狭い裏路地は、子供達は入ってはいけないと大人達から懇々と説教されている場所。
 入ってはいけない!
 そう言われれば尚更入りたくなる、やりたくなるのが子供心というものだ。
 という訳で、エッジの街に住む子供達は、大人達が思っている以上に裏路地について詳しかった。
 どこの角を曲がればあの場所への近道だ…とか、あの角を曲がれば大通りに出る抜け道が空いている…などなど。
 それこそ、子供達の方が詳しいのかもしれない。
 その裏路地を、デンゼルとマリンはしっかりと手を繋いで全力疾走していた。
 その二人の背後からは、明らかに数人の大人のものと思われる足音が追いかけて来ている。
 恐怖心がない……と言えば嘘になるが、それでも二人はさほど恐怖を感じていなかった。
 それは、二人が特殊な環境の中で育っていたせいかもしれない。
『英雄』と呼ばれる親代わりの両親を持ち、時折、護身術らしきものもお遊びで教えてもらったりもしていた。
 勿論、それはあくまでお遊びのレベルなので、今、自分達を追いかけて来ている大人達には到底敵わないだろう。
 それでも、二人は平常心を失っていなかった。


 その為、冷静に自分達の知る裏路地を巧みに利用して、追跡者に追いつかれないように逃げおおせている。

 逃げている間、デンゼルはリダイヤルボタンでティファの携帯を呼び出す事も忘れていなかった。
 何かあった時、すぐに連絡するよう指示を受けている。
 もっとも……この場合、指示を受けていなくても連絡するだろうが…。

 それにしても、流石に相手は大人なだけはある。
 自分達がいかに上手に裏路地を使って撒こうとしても、相手は確実に自分達の気配を探ってその距離を縮めつつあるようだ。
 追跡者達の足音が段々背後に迫ってくるのをイヤでも感じずにはいられない。

『もしもし…デンゼル?何かあったの!?』
 ティファの声が携帯から漏れ聞える。
 しかし、それに応えるだけの余裕があるはずもない。
 今や、二人の息は完全に上がっていた。
 裏路地はデコボコしていて走り辛いし、何より障害物が多々ある。
 それをかわしつつ、転ばないように走り続けるのは想像以上に体力を消耗する。
 何とか転ばないように走っていたが、とうとう、女の子であるマリンが疲れた足を落ちている空き缶に取られて転倒してしまった。
 慌ててマリンを助け起こすデンゼルの視界の先に、ついに追跡者の一人の姿が現れた。
 その距離、約三十メートル。
 たったそれだけの距離では、あっという間に追いつかれるだろう。
 それでもデンゼルはマリンを助け起こすと、諦める事無く走り出した。
 マリンも擦り剥いた膝の痛みを堪えて、懸命にデンゼルの足を引っ張らないように走り出す。
 デンゼルは周りを見渡した。
 もうそろそろ、目的の場所に近付いたはずだ。
 そして……。
 見つけた。

 しかし、その時には追跡者との距離も数メートルにまで縮まっていたのだ。
 デンゼルは迷う事無く行き止まりの路地に駆け込み、目の前の壁にマリンを立たせ、自らはマリンの盾になるように立ちはだかる。
 マリンも黙ってそれに従った。
 ギュッとデンゼルの袖を握り締め、自分達の前に現れた追跡者を正面から睨みつけた。



「へぇ…大したガキ共じゃないか…」
「ここまで逃げ切るとは正直思わなかったぜ」
「でもまぁ、これがガキの限界だよな」

 少々息を切らしながら三人の男がニヤニヤと笑みを浮かべている。
 デンゼルとマリンは知らないが、この三人はユフィが『盗聴器』を壊した時に見張りをしていた男達だった。
 彼らは、『盗聴器』が壊れた時、一人が残ってその後を見張るという、言わば『盗聴器が壊れた時のフォロー』を怠った為、ボスであるディモンに厳しい叱責を受けていた。


『何故、盗聴器が壊れた時、一人が残って見張りを続けなかったんだ!』
『い、いえ…。その……あのジェノバ戦役の英雄ならもう警戒しなくても大丈夫かと……』
『馬鹿者!その慢心が思わぬ仇となったらどうしてくれるんだ!折角ここまで上手く言っていると言うのに…!!』

『いいか?今度こんな失敗をしたらタダでは済まんぞ。絶対に今度は最後まで子供を見張れ。恐らく英雄の方は目立った動きをしないだろう。だから、子供の方に何かと用事を言いつけるはずだ。もしも動きがあれば、絶対に見失うなよ。万一尾行がバレたらその時は仕方ない…、連れて来い!出来れば無傷でだ!!』


 ボスの怒り狂った顔を思い出し、三人は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
 これ以上、ボスの不評を買うわけにはいかない。
 そんな事になったら…。
 想像しただけで震えが来る。
 決して今回、失敗する事は出来なかった。
 にも関わらず、この目の前の子供達はあっさり自分達の尾行に気づき、それを撒こうとするではないか!!
 絶対に逃がすわけには行かなかった。

「全く…ガキのクセに手こずらせやがって。こっちはもう余裕なんかないんだからな。大人しく言う事聞かないと、手加減しないぜ…」
 危険な光をその目に宿し、男達がデンゼルとマリンにゆっくりと近付いてくる。
 子供達はギュッと手を握り合ったまま、微動だにしない。

 観念したのか…?

 男達がそう思った時、デンゼルが首から提げていた携帯電話に手を伸ばした。
 嘲笑が男達の顔に浮かぶ。
「今更助けを呼ぼうったって遅いんだよ。大人しく…」
 手を伸ばせばデンゼルの細い首に届く…その距離まで男達が肉薄して来た。
 その時。
 デンゼルが携帯の『アンテナ』を素早く引き抜き、男達に向けた。
 その途端、白煙が男達目掛けて勢い良く発射された。
「うわっ!!」
「な、何だこりゃ!!」
「ウェッホ!!ゲホゲホ…って目が痛え!!」

 催涙ガス。
 エリックとリーブが協力して開発した子供用の護身用具。

 子供達がふざけて使用しても大丈夫なように、作用はあまり強くないがそれでも突然使用されたら足止めとしては充分な効力を発揮する。

「マリン!」
 デンゼルの合図に、マリンはサッと壁に空いていた小さな穴から身を潜らせた。
 子供達の体の影になっていて、男達からは見えなかったのだ。
 マリンに引き続き、デンゼルもその穴を潜る。
 そして、二人は再び全速力で走り出した。

 二人が穴を通して壁の向こう側を駆け出してから数秒後、催涙ガスの効力が薄れてきたお陰で視力を回復した男達は、怒りの唸り声を上げた。
 そして、目の前に空いている穴に無理やり自分達の身体をねじ込む。
 子供ならすんなりと通れるその穴も、大の大人が通るとなると中々もって困難な話だ。
 しかし、怒りで目がくらんでいる男達の前では、そんな問題もあまり意味をなさないらしい。
 強引にその穴を三人が潜り抜けた時、身体には無数の引っかき傷が出来ており、服はボロボロになっていた。
 視界のはるか先には、豆粒ほどにもなった子供達の後姿…。

「あのガキ共、ただじゃおかねぇ…!!」

 呻くように吐き捨てると、猛然とその後姿を追いかけ始めた。

 追跡者達が怒りに駆られて自分達を追って来ている事を悟った子供達は、疲れた足に鞭を打ち、必死になって動かしていた。
 それでも、既に息は上がり切っている。
 胸が…身体全部が悲鳴を上げて、喉の奥からヒューヒューと苦しげな呼吸音が耳に響く。
 デンゼルとマリンはそれでも諦めていなかった。
 あと少し…。
 あと少しで大通りに出る。
 そうしたら、あの男達も白昼堂々と自分達を拉致出来ないだろう。
 その為には、本当に…あと少しなのに…!!

 だが…。
「キャッ!!」
 突然、手を繋いでいたマリンの手が、デンゼルから引き離された。
 慌てて振り向いたデンゼルの視界には、男の一人に担ぎ上げられたマリンの姿。
 怒りで正気を失った危険な光を放つその眼光に、デンゼルは焦った。
「ホラ!お前もこっちに来い!!でないとこの可愛いお譲ちゃんがどうなっても知らねえぞ!!」
「ここまで散々バカにしてくれたんだからな。それなりの覚悟は出来てるんだろう!?」

『出来れば無傷で連れて来い』

 ディモンの命令は、今や男達の頭の中では『多少、怪我をしていても仕方ない』に摩り替わっている。
 小さな子供にこれだけ振り回されたのだ。
 一応、この道の『プロ』と自負していた男達にとっては、屈辱極まりない。
 少しばかり、お仕置きをするのは当然の権利だと思っている。

 デンゼルが悔しそうに顔を歪めながら、一歩男達の方へ足を進める。
「ダメ!絶対に来ちゃダメ!!デンゼルだけでも逃げて、それでティファに…!!」
「お前は黙ってろ!!」

 逆上した男が、マリンの小さな顔を容赦なく引っ叩く…のように見えた。
 突然デンゼルと男の間に黒い人影が飛び降りてきた。
 それが誰なのかその場の全員が認識する前に、まず、その目の前の男が蹴り飛ばされた。
 次いで、マリンを抱えていた男が鳩尾に重い一発を喰らい、呆気なく昏倒する。
 男が地面に倒れる直前に、マリンを抱き上げたその人物は、マリンのを見て安堵の溜め息を漏らした。
「「ティファ!」」
 デンゼルとマリンが、安堵の声を上げる。
「マリン…デンゼル…遅くなってごめんね」
 ギュッとマリンを抱きしめてからデンゼルに委ねると、ティファは振り返った。
 そこには、あと一人の追跡者の姿。
 逃げる事も、闘う事も出来ず、ただただ、蒼白になってガタガタと震えいている。

 いくらジェノバ戦役の英雄だと言っても所詮女…そう思っていたのに、何だというのだこの強さ。
 仲間が応戦する隙も与えず、たったの一撃ずつで地面に倒れていくその光景を目の当たりにしてきたこの男に、ティファと対峙するだけの度胸は無かった。

 ゆっくりと自分に近付いてくる行かれる闘姫に、ただ青ざめて許しを請う。
「わ、悪かった…。そ、その…、ちょ、ちょっとやり過ぎてしまったみたいで…でも、本当に何も手を出すつもりは……」
 その言葉が最後まで紡がれる事など……勿論、ありえなかった。
 無言のままティファの裏拳が男の顔面に炸裂し、男はもんどりうって狭い路地裏を何度も転がりながら、数メートル先で漸くその苦痛から開放された。
 醜く歪められたその失神した姿に、ティファは冷たく一瞥すると、改めて子供達に向き直り、ギュッと二人を抱きしめた。
「本当にごめんね。もっと早く着いてれば…」
「そんな事ないよ!ここからセブンスヘブンまで、十五分はかかるのに…」
「ティファ…助けてくれてありがとう…」
 ティファは、子供達をそっと離すと、優しい笑みを浮かべてそれぞれの額にキスを贈った。
 そして、ポケットから携帯を取り出し、リダイヤルボタンを押す。

 暫く呼び出し音が続き、相手が出た。
 その相手に、ティファは今しがた起こった事を手短に話すと、「後はよろしくね。場所は…」と男達が伸びている場所を伝え、通話を切った。
「ティファ…こいつら縛っとかなくて良いの?」
 デンゼルが憎憎しげに見下ろしながら訊ねる。
「大丈夫よ。少なくとも数時間は目を覚まさないわね。全く手加減しなかったもの」
 さらりと言ってのけたティファに、子供達は目を丸くし、次いでクスクスと笑い出した。
 そして、ティファはマリンとデンゼルの手を繋ぎ、足早に裏路地を後にした。





 子供達がそんな目に合っているとは知らないクラウドもまた、込上げてくる怒りと闘っていた。
 今しがた知らされたディモンの『プロジェクト』に、激しい嫌悪と憎悪で頭がどうにかなりそうだった。
 そして、その怒りに駆られた勢いで、シュリの制止を振り切り、迷路のような廊下を奇跡的に一人で通過し、書庫の入り口のドアノブに手をかけた。
 しかし、その手は後ろから伸びてきた別の手によって阻まれた。
 クラウドは、想像以上の力で自分の手首を掴んで離さないシュリに、柳眉を逆立てた。
「お前……!!」
「少しは冷静になれ。このままもしかしてラミアかディモンのところにでも乗り込むつもりか?」
「!!!!」
 怒りにまかせて、その掴まれた手を振り払うと、そのままシュリの胸倉を掴む。
「お前……あんな…、あんなものを知ってて、それでもラミアやディモンに仕えてるのか……!?」
 怒りのあまり声が震えるクラウドに、シュリはどこまでも冷めた表情で口を開いた。
「当然だ。世の中、綺麗なものばかりじゃない。いや、むしろ綺麗なものなど、その裏側にある汚物の比ではない。アンタだって分かってるだろ?」
「ふざけるな!!」
 クラウドは目の前でどこまでも冷たい眼差しを向けてくる青年を、殴り飛ばしてやりたい衝動と必死に戦っていた。
「ふざけるな…確かに世の中、綺麗なものばかりじゃない事くらい知っている…!!だが、少しでも綺麗になるよう、頑張って生きていく事が、この星で生きる者達の使命じゃないのか!?」



 怒りで目の前が真っ赤に染まっているクラウドと、どこまでも静かで冷たい視線を投げかけ、青ざめた世界を映しているシュリの瞳が交錯する…。






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