mission13




 ドアのすぐ内側で、激しく睨み合っているクラウドとシュリは、互いに一歩も引かなかった。
 クラウドはジリジリと内側から競り上がってくる凶暴な激情に、理性を保つのが限界に達していた。
「離せ…」
 押し殺した声で放たれた言葉は…、
「断る」
 と、実に簡潔な一言によって一蹴される。

 自分の殺気だった視線をまともに受けながら、それでも眉一つ動かさない目の前の青年に、クラウドはどうしようもない怒りに駆られた。
 まるで人形の様な…ガラスの作り物の様な彼の漆黒の瞳に、怒りに駆られている自分が映っている。
 もしも、いつもの様に背に大剣を佩いていたら…。
 恐らく、目の前の青年を一刀両断に切り裂いていただろう…。
 イヤ、シュリも相当の使い手だから、そう簡単には殺られはしないだろうが…、それでも、彼に自分の腕が劣っているとは思わない。

 そんな危険な思考に陥っているクラウドに、シュリはどこまでも冷めた声音で言葉を紡いだ。
「落ち着け。俺は言ったはずだ。もう引き返せない…と。アンタはそれを承諾した。だから『真実』を見せたんだ。それなのに、これくらいでそんなに取り乱してどうするんだ…?」
「『これくらい』…だと…?」

 シュリの言葉に、これ以上は上がらないだろうと思っていた血が、更に頭に上る。
 掴んでいたシュリの胸倉を引き寄せると、一気にドアに向けてその華奢な身体を叩きつけた。
 イヤ、そうしようとしたが、シュリは甘んじてそれを受入れようとはしなかった。
 身体を持ち上げられ、ドアに叩きつけられそうになったその刹那、クラウドの手首を掴むとそのままドアに両足をつけて思い切り蹴り上げた。
 クラウドの手首を軸にして、空中で逆立ちになると、そのまま勢いを殺さずクラウドの背後に着地する。
 その途中で、手を離しそうになったクラウドは、クルリと身体を反転させ、そのままシュリが床に着地した時も胸倉を掴んだ状態のまま、今度は反対にドアを背に立つことになった。

「アンタ…本当にしつこいな…」
 呆れたように自分を掴んでいるクラウドに、シュリが肩を竦める。
 しかし、反対にクラウドはシュリの反射神経を目の当たりにして、上り切っていた頭の血が、漸く少し下がったようだった。
 ジッと青年の漆黒の瞳を見つめる。
 そこには、何の感情もないように見えたが…。
 しかし、先程の彼の表情をクラウドはふと思い出した。

 憎悪と嫌悪の表情。

 人を小バカにしたような表情しかまだ見た事のなかったクラウドに対し、初めてそれ以外の表情を見せたのが…、その二つの感情の入り混じった顔だった。

 あの表情の意味するところは…?
 そう……一つではないか。
 シュリは、ディモンとラミアのしている『プロジェクト』に賛同しているわけではない。
 では、何故この青年は、大人しく見て見ぬ振りをしているのだろう…?

 その考えに至ったクラウドの手から、力が抜ける。
「やっと少しは冷めたか?」
 自由になった襟元を正しながら嫌味っぽい眼差しを向けるシュリに、クラウドは険しい表情のまま疑問をぶつけた。
「お前は『プロジェクト』に賛同していないのか?」
「賛同はしてないな」
「なら、どうして何も言わずに黙ってディモンと彼女に仕えている!?」
「金が良いから」

 彼の簡潔な一言に、一瞬意味が理解出来ず、目を見開く。
「は…?金…?」
「そ。ここのボディーガード、給金が良いんだよ」

 あっさりとそう答えた漆黒の髪を持つ青年に、クラウドは再びカッとなった。
 しかし、シュリはそんなクラウドに片手を上げて制すると、ズイッと顔を近づけた。
 そして、小声で囁く。
「じゃあ、アンタは一体ここに何しに来たんだ?」
「え…?」
「ハッキリ言って、アンタがラミアに惚れたからここにいるだなんて、信じちゃいないぜ?」
「………」
「勿論、ラミアとディモンだってな…この意味を考えろ」

 青年の言葉を理解するのには、少々時間がかかった。
 自分がここにいるのは、知人の家宝を盗り返す為だ。
 その為だけに、この屋敷に……ラミアの懐に潜り込んだのだから…。
 しかし、その方法は……。

 彼女が自分に好意を持っていると…。
 そして、彼女が自分にボディーガードになって欲しいと…。
 そう請われたから…。
 だから、悩んでいた『どうやって潜り込むか』という難問をあっさりとクリア出来たのだ。
 しかし、今になってみれば、どう考えても『上手く行き過ぎている』。
 自分にとって、実に都合良く入り込め過ぎた…。

 それが意味する事は一体なんだ?

 それは…。
 彼女が…もしくは彼女の兄が自分を手元に置きたがっているからではないのか!?
 では、では…!!
 自分を手元に置きたがる真意とは一体……?
 一体、何を狙って自分を手元に置きたがるのだろう…?
 しかも、自分の拙い『演技』を『気付かない振り』までして、自分に都合を合わせてまで…。


 段々と青ざめていくクラウドに、シュリは一つ溜め息をこぼした。
 そして、クラウドの肩をトン…と軽く押す。
 脱力していたクラウドは、あっさりと壁に背をつけてしまった。
 そして、そんなクラウドにシュリが覆いかぶさるように壁に肩肘を付いて更に密着させる。

 端から見たらとんでもない光景なのだが、頭が完全に混乱しているクラウドは気づくだけの余裕がなかった。
 そのままの体勢で、シュリはそっと耳元で囁いた。
「いいか…俺達は常に見張られている。ここの廊下にだって、いくつも監視カメラが仕掛けられてるんだ。勿論、ご丁寧に盗聴器付きでな。だから、アンタがカッとなってたのも、全部ラミアとディモンには筒抜けだ」
 ギョッとしたクラウドに、シュリは更に言葉を続けた。
「ま、今の会話くらいの声なら盗聴器では拾えないからな、安心しろよ。勿論、俺がさっき言った『ラミアに惚れた』云々って話も含めてな」

 確かに…シュリの言う通りだろう。
 『ここまでの事をしている施設』なのだから、いくらでも監視カメラは作動させなくてはいけないだろうし、下手をすれば隠し武器などで一斉射撃をくらってもおかしくない…。

 クラウドは一つ息を吐き出すと、完全に降参の意を表した。
 即ち、シュリに対して片眉を下げて苦笑することでそれを表したのだ。
 シュリは無表情のまま目を細めてそれに応えると、相変わらず密着させた姿勢のまま、口を開く。
「一つ言っとく。アンタが今、このドアを無理に出ようとしたら恐らく黒焦げだ。いくら指輪をしていてもな」
「…だが、まだ貰ってないぞ?」

 そう。
 クラウドはまだ正式なボディーガードの印であるシルバーの指輪…この『開かずの扉』のキーになっている指輪を貰っていなかった。

「ああ、だから…。もしも仮に貰っていたとしても…って言ってるんだ」
「…要するに、いくら許可を貰った人間でも、常に監視されていて、少しでも不穏な動きがあれば即刻始末される…ってことか……」
「少しは頭が働くようで安心したよ」

 不遜に言い放って、シュリはクラウドから身体を離そうとした。
 しかし、完全に二人が身体を離す前に『開かずの扉』が外から開けられ、この屋敷のセキュリティー総責任者が姿を現した。

 デル・ピノスの陰惨な目が、扉のすぐ近くの壁に密着している二人の青年に釘付けになる。
「ほお、これはまた…お邪魔だったかね」

 デルの言葉に、我に返ったクラウドはシュリを突き放そうとしたが、逆にそれをシュリに阻まれ、手首を再び掴まれてしまった。
 猛然と抗議の視線を突き刺すクラウドに、シュリはあくまでもシラッとした表情のまま、デルに冷たい視線を投げかけた。
「ああ、お邪魔だったね。あと少しで落とせそうだったのに、アンタのお陰でおじゃんだよ」
「な……!?」
 思わず声を上げるクラウドに、チラリと視線を投げることで黙らせると、青年はクラウドから両手を上げて降参のポーズを取りながら身体を離した。

 そんな動作までもが優雅に見えてしまう。
 デルはギラリとクラウドを睨みつけると、すぐにその視線をシュリに向けた。
 その眼差しは、クラウドに対するものとは全く異なるもので……、ハッキリ言って睨まれた方がうんとマシな種類に属する雰囲気を漂わせていた。

「シュリ……確かにこの新参者は顔は良いが、何よりあの女の愛人だ。その主人の愛人に手を出すくらいなら、お互いを認め合って障害のない者と幸せになるほうが賢明かと思わないかね」

『え……!?』

 デルの言葉を理解するのに、クラウドの頭と感性は付いて行けなかった。
 そのクラウドの目の前で、デルは何とも言えない、恍惚とした表情でシュリに手を伸ばした。
「前から言っているだろう?私と一緒にいれば、もっと新しい世界が開けると…」
 伸ばされた手を、シュリの端整な頬に添える。
 青年は、そのイカレ科学者の戯言を何も宿さない空虚な眼差しでもって返すと、触れられたその手を邪険に払いのけた。

「悪いけど…」
 ここで初めてシュリは笑みを浮かべた。
 それは、嘲笑。
 どこまでも蔑み、嘲ったゾッとするほど冷たい微笑。
「俺は面食いなんだよ。アンタ、鏡を見た方が良いんじゃないか?」

 そう言うと、このやり取りですっかり固まってしまっているクラウドを引き寄せる。
 そして、そのまま肩を抱くようにして屈辱で顔を真っ赤にさせている科学者の前から颯爽とドアの向こうに消えてしまった。



「おい、大丈夫か?」
「…………」
「アンタ、ああいうのに面識ないんだな」
「…………」
「それは幸せな人生だ」
「…………」
「……頼むから、ラミアとディモンの部屋に着くまでにものくらいしゃべれるようになっててくれよ」
「…………」
「はぁ…」

 自分の知らない世界を多々目の当たりにして放心状態のクラウドに、シュリは深い溜め息を吐く。

 クラウドは、半ば夢を見ているような心境だった。
 当然、悪夢である。

『夢なら早く醒めてくれって台詞を映画かドラマでよく聞くけど、きっとこんな気持ちなんだろうな…』

 ボンヤリとしながらそんな事を考える。
 そして、唐突に『どうしてこいつはここにいるんだろう…?』と疑問に思った。

 あまり知りたくない世界だが、人によっては異性よりも同性に魅力を感じる人もいる。
 その事は知識として知っていただけで、現実に見たのは初めてだった。
 そして、シュリは…、恐らくその世界の中だとかなり『生活しやすい』のではないだろうか?
 こんな、ボディーガードとして命を危険に晒す必要もなく、適当に金持ちを相手にして……。

 そこまで思考が働いた時、無性に目の前を憮然とした表情で歩く青年の本心が知りたくなった。
 他人に対して無関心だったクラウドにとって、それは劇的な変化と言えるのだが、本人にはその自覚は無い。
 単純に、目の前の青年に興味を持った。

「お前さ…なんでここにいるんだ?」
 唐突過ぎるクラウドの疑問に、シュリは眉を顰めて顔を向けた。
「意味が分かんないんだけど…」
「あ、ああ…そうだな」
 自分の言葉足らずに少々顔を赤らめながら、改めて言葉を探してみる。
 しかし…。
 口下手な性分の為、いい言葉が見つからない。
 結局は「悪かった…気にしないでくれ…」とだけ口にして、溜め息を吐くのだった。

 シュリは、呆れたような顔をしていたが、「ま、いいか…」と一人ごちて、クラウドを横目で見ながら口を開いた。
「俺…実は元・WROなんだよね」
「!?」
 あまりに意外な事実に、クラウドは目を剥いた。
 その表情に、シュリは肩を竦めると言葉を続ける。
「リーブ局長がWROを発足した直後に入隊した。でも、二年経った今でも給料が良くなくてね。それでこっちに鞍替えしたんだ。生きていく為には金が要るからな。一度きりの人生をそれなりに満喫する為には、日々の生活で一杯一杯の給金じゃ足りないだろ?」

 元・WRO隊員。
 という事は…。

「お前、リーブを裏切ったのか!?」
 思わず声を荒げるクラウドに、シュリがその口を両手で塞ぐ。
「頼むから…大声出すな!!」
 そして、盗聴器の件を思い出したクラウドに、再び盛大な溜め息を吐いた。
「あのな…。悪いけど、俺はアンタやアンタの仲間達みたいに出来た人間じゃないんだ。それなりに楽しい人生を送りたいし、その為には金と、ある程度のスリルが欲しいんだよ。その条件にここのボディーガードの話が一致した。だから、俺はここにいる。それが理由だ。分かったか?」

 先程、クラウドが聞きかけて途中で止めてしまった質問にも簡潔に答えつつ、シュリはクラウドから視線を逸らした。
 まるで…。
 これ以上、詮索して欲しくない…、そう言っているようだった。
 クラウドはそれ以上何も彼に言葉をかけず…。
 そして、彼もクラウドに話しかける事もなく、二人はラミアの私室の前に到着した。


 シュリが無言でクラウドを見た。
 クラウドに心の準備が出来たかどうか、確認する為だとすぐに分かる。
 クラウドは、無言のまま頷いて見せ、シュリはドアをノックした。

『はい、誰?』
「シュリとクラウド。入って良い?」

 ドアの向こうからラミアの透き通った声が響き、シュリが不遜な声でそれに応える。
 その応対は、クラウドから見ても無礼にしか見えなかったが、それでも女主人は気にしていないようだ。

『まぁ。じゃ、お入りになって』

 機嫌の良い返事が二人を扉の中へと誘った。


 部屋の中には、ラミアとシアスの二人が円卓を囲んでお茶を飲んでいた。
 その光景は…、まるで映画のワンシーンのようだった。
 広い窓から差し込む陽の光に包まれた二人は、まさに恋人か家族のようだった。

 その光景に言葉をなくしているクラウドに、ラミアは温和な笑みを浮かべて椅子を勧めた。
 シュリは勧められる前にとっとと席に着いている。
 クラウドも、少々ぎこちなくその円卓に着いた。



「それで…兄の計画を見られたのですね?」
 ラミアのストレートな発言に、クラウドは先程見た情景を思い起こし、顔を強張らせた。
 何も言わなくとも、その表情だけで充分だ。
 ラミアは溜め息を吐くと、悲しげな瞳を投げかけた。
 まるで、自分の意志ではない…と言わんばかりだ。

「クラウドさん…。貴方はこの世界を救ったジェノバ戦役の英雄のリーダーだった方。その人が、兄の計画を見て何も言わずにいられないことくらい…分かってます」
 言葉を切り、溜め息を吐く。
 クラウドは、彼女の次の言葉を待った。
 ラミアは、再び口を開いた。
「私も…本当は兄の計画には賛成ではありません。しかし、全部が賛成ではない…と言う事も無いのです」
「理由は?」
 彼女の言葉に、剣の孕んだ言葉を口にしてしまう…。
 しかし、シアスもシュリも、そんなクラウドの言葉に対して、あくまで無表情を通した。

「この世界は、未だに混沌としています。見た目では、世界は復興に向かっているように見えますが、それでも少し裏側を覗けばそうでない事がすぐに分かるでしょう…。人々の心は、神羅が世界を牛耳っていた頃よりも乱れている…そう思いませんか?」

 彼女の問いかけに、クラウドは即答出来なかった。
 少なくとも、自分が配達先で知り合った人達、そして、セブンスヘブンにやって来る人達は、世界の復興と言う素晴らしい光を目指して今を懸命に生きている人達が多かった。
 無論、中には荒んだ心を抱えて苦しんでいる人もいた。
 それでも…!!
 世界は、明るい未来を目指して歩んでいるように見えていたのだ……。

 先程の『物』を見るまでは!!

「クラウドさん…。私は貴方が、ジェノバ戦役の英雄だから惹かれたのではありません」

 ラミアの唐突な告白に、クラウドは目を見開いた。
 ラミアは、静かに言葉を続けた。
「私は、この世界を愛してます。少しでも…一刻でも早く、安定して、皆が平和に暮らせるようになって欲しい…そう願ってます。その為に、貴方の力が必要なんです。」


 クラウドの耳に……心に……。
 彼女の毒液のような言葉が侵食する…。


 それを、二人の正式なボディーガードが醒めた瞳で眺めていた…。





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