Mission5




 クラウドは、与えられた個室のベッドに身を投げ出して天井を眺めていた。
 今日、この屋敷に潜入したばかりなのだが、よもやこんな個室を与えられるとは夢にも思わなかった。
 家から持ってきた自分の荷物は、ナップサックたった一つ。
 その薄汚れたベージュの荷物が、この一人には広い部屋で、非常に浮いた存在としてベッド脇に無造作に置かれている。

 いや、ナップサックだけじゃないな…。
 この部屋で浮いた存在は何よりも自分自身だ…。

 クラウドは苦笑交じりに溜め息をつくと、ごろりと寝返りを打った。
 ベッドの他に、部屋の中にはデスクと椅子、デスクにはノートパソコンが置かれており、その隣には電話が設置されていた。
 緊急時…例えば侵入者がセンサーに引っかかった時、電話が鳴ってどこの地区からの侵入かが機械の音声で流れるらしい。
 それと同時に、ノートパソコンが自動で起動し、屋敷の見取り図を表示…侵入者の居場所を赤いランプで表示させ、画面右端上では監視カメラでの映像がリアルタイムで映し出されるとの事だった。
 それ以外でも、この屋敷の主人…つまりは女主人のラミアなのだが、彼女が何か用事を申し付けたりする時にも使用されるという。
 それ以外の使用は、ボディーガード同士が仕事で使用したり、厨房へちょっとした夜食等を頼む時…つまり屋敷内での使用は可能との事だ。

 勿論、それらの使用はコンピューターによって記録されているのだが…。

 メイド頭が淡々と説明するのを聞きながら、クラウドは自分がとんでもない所へ潜入した事を思い知らされていた。

 宝石ドロボーからの宝石奪還。
 そんな簡単な問題ではすまないものをイヤでも感じざるを得ない。

 そもそも、何故、彼女はこんなにも豪勢な屋敷に住み、多くのメイドに傅かれ(かしずかれ)、何不自由ない暮らしをしているのに、宝石を盗み出したのか…?
 それに、あんなにも沢山のボディーガード(候補)達が必要なのは何故か?
 それ程、彼女は危険に晒された生活をしているのだろうか?
 何よりも…。
 いくら自分が『英雄』として他の人よりも少し有名だからと言って、突然会いに来たその日の内にボディーガードをして欲しいなどと……。
 冷静に考えれば不自然過ぎる。
 あの時は、宝石を取り戻してやれるチャンスだと、彼女の申し出を引き受けたのだが、余りにも軽率な判断だったのではないだろうか…?
 もっとも、『金持ちの青年』の家宝を取り戻してやりたいと今でも思っているわけだから、この状況はまさに渡りに船なのだが…それにしても……。
 
 クラウドは、胸ポケットから携帯を取り出し、パカッと開いた。
 そこには、家族の笑顔がクラウドに向けられていた。

『帰りたい…』

 クラウドは、たった一日も経たない間に、ホームシックにかかっていた…。



 ピロロロロロ…ピロロロロロ…。
 ぼんやりと感傷に浸っていたクラウドの耳に、突然部屋の電話が存在を主張した。
 驚き、我に返ると、やや慌ててそのシルバーグレーの受話器に手を伸ばす。
「もしもし…」
『あ、クラウドさん。今、大丈夫ですか?』
 受話器から流れてきたのは、自分の主人となったばかりの女性の声。
 穏やかなその声音に、クラウドは気を引き締めた。
「はい、大丈夫です」
 そう答えながらも、自分は彼女に雇われた身なのだから、そもそもこんな会話はおかしいのではないだろうか…。
 そんな事を考えるクラウドに、彼女は明るい声で用件を告げた。
『そうですか!良かった、もうすぐ帰宅出来ますから夕食をご一緒して下さい』
「え…!?」
 彼女の何でもない…と言わんばかりの軽い口調に、クラウドはびっくりして思わず声を上げた。
 一介のボディーガード風情が、雇い主と共に食卓に着くなど、常識では考えられないではないか。
 そもそも、そんなあからさまに他の雇い人達との待遇の差を彼らに見せ付けるなど、どう考えてもおかし過ぎる。
「それは……止めた方が良いのでは…」
 控えめにそう言ってみる。
 しかし、クラウドの心配を彼女はあっさりと一蹴した。
『いいえ、良いんです。だって、クラウドさんは私のボディーガード…以上の存在ですもの』
「…………」
 あまりにも無邪気に、そしてほんの少しの照れを滲ませ言い切った彼女に、反論する言葉が見つからない。
 元々、クラウドは口下手・不器用極まりない男なのだ。
 不器用で無愛想で口下手で世渡り下手で……(以下略)そんな男が、こんな場面で気の利いたかわし文句を口に出来るはずなどない。

「分かりました」
『フフ、楽しみに帰りますね』
 笑顔が目に浮かぶような彼女の声音に、クラウドは受話器を置いた後、深い溜め息を吐いた。
 自分の想像している以上に…。
 ターゲットは『雌狐』なのかもしれない。

『ティファと子供達は…大丈夫だよな…』

 流石に今日は電話など出来ない。
 もしかしたら…イヤ、確実にこの個室にも盗聴器やら隠しカメラやらが設置されているだろう。
 迂闊な行動を万に一つでも取るわけにはいかない。
 萎えそうになっていた気持ちにカツを入れ、改めて気持ちを切り替える。
 闘いは始まったばかりなのだ。
 クラウドはクローゼットに近づくと、その中に既に取り揃えられているダークグレーのスーツを手に取った。



 その目の前に並べられた料理の数々に、クラウドは言葉をなくした。
 あまりにも世界の違うそれらの豪勢な食事を前に、食欲をそそられるよりも何やら夢を見ているような印象しか受けない。
 長いテーブルに向かい合うようにして座っている女主人は、露出度の高い黒のシックなドレスを身に纏い、妖艶でいて、どこかあどけなさを併せ持った笑みをクラウドに向けていた。
 その豪勢な食卓に招かれているのは、クラウドともう二人。(クラウド一人が食事に招待されたわけではない事に、心からホッとする。)
 昼間、クラウドに突然切りかかった青年シュリと、ラミアが仕事で伴っていたボディーガードの一人。
 名前は確か…。
「クラウドさん。ご紹介しますね、こちらが私のボディーガードの一人、シアス・アムドです」
 紹介された男は、立ち上がると儀礼的に頭を下げた。
 クラウドも立って、軽く頭を下げる。
 シアスは、クラウドを冷めた眼差し…と言う表現よりも静かな眼差しという表現がしっくりくる瞳でじっと見つめた。
 その黒に近い茶色の瞳は、シュリ同様、何もかもを見透かすような光を宿している。
 背丈は、黒髪で寡黙な仲間よりもほんの少し高く、その体躯は…かつての親友を髣髴とさせた。
 年齢は……恐らく四十代だろう。
 いくつもの修羅場を潜り抜けてきた雰囲気を、醸し出している。
 オールバックに整えられた薄茶色の髪が、彼の性格を物語っているようだ。
 恐らく、彼はボディーガードの内でもリーダー的存在だろう。
 真面目で責任感が強く、どんな場面にも冷静に対処し、必要とあれば仲間を切り捨てる事が出来る…そんな男だとクラウドは感じた。

「さぁ、顔合わせも済んだ事ですし、食事にしましょう」
 楽しそうな声でラミアがワインの入ったグラスを掲げた。
 シュリとシアスもそれに倣う。
 クラウドも、自分のグラスを手に取った。

 暫くはラミアが中心となり、他愛ない話をしながら四人は食事をした。
 ……が。
 当然、居心地が良いはずが無い。
 それに、見た目は豪勢な料理も、口に運んでみるといつも食べている彼女の手料理に勝るものはどれ一つとしてなかった。
 クラウドは、それらの理由から食事が勧まなかったのだが、ここで料理を残しては印象が良くないだろう…と、無理をして胃に詰め込んでいった。
 只でさえ、周りを一定間隔で直立不動の体勢で立っている『候補達』から白い目で見られているのだ。
 これ以上、彼らの目の上のこぶになるような事になれば、宝石の奪還が難しくなってしまう。

 そんな事を考えながら、話しかけるラミアに無表情ながらも返答をし、彼女からの質問に簡潔な言葉で答え、そして、美味しくも無い料理を口に運ぶ。
 彼女からの質問は、ほとんどがクラウドに向けての質問だった。
「クラウドさんのお好きな食べ物は、ここにあるかしら…?」
 食卓を見渡して心配層な顔をラミアが見せれば、
「あ……鮭のムニエルは好きです」
「そう!良かった!」
 彼女が笑顔になるような答えを必死で考え…。
「クラウドさんの子供の頃のお話、何か聞かせて頂けませんか?」
 目をキラキラさせて身を乗り出されれば、
「……捻くれ者だったので…あまりお聞かせ出来るような事は…。それに、故郷はもう…」
「あ…すみません。無神経でした…」
「いえ…。もう過去の事ですし、今のような質問をされる事には慣れてますから…」
 どこまでも大人な顔をして冷静に受け答えを行う。

 旅の仲間達が今のクラウドを見れば、皆、涙を浮かべて褒めちぎるだろう。
 それ程に、今のクラウドは常の彼から見れば考えられないほど、忍耐と努力をその身に課し、実行していた。

 苦痛でしかない夕食が終わりに近づいた時、ラミアが漸く話し続けていた口を閉じ、クラウドは先程から気になっていた事を切り出すチャンスに恵まれた。
 それは…。

「あの…」
「はい?」
「確か…もう一人…」

 そう。
 昼間、ラミアに付き添っていたボディーガードの姿が見えない。
 まぁ、沢山いるボディーガードの一人がここにいないからと言って、別にどうと言う事も無いのだろうが、案外『本当』のボディーガードは少人数なのではないか…と思うようになっていたクラウドは、その少人数の内の一人とまだ紹介を済ませていない事に僅かな引っ掛かりを感じていた。
 シュリともシアスともどこか雰囲気の違うその男…。
 昼間、彼女が出かけた際にボディーガードとしてシュリとシアスと共に車に乗り込んだときにチラとだけ見えた彼の『こけた』頬に、目の下の隈…。
 とてもじゃないが、ボディーガードとして腕が立つとは思えない。
 むしろ…科学者のような薬品の匂いが似合う…そんな男だった。

「え…ああ、デルの事ですか?」
 ラミアが困ったように微笑み、シアスとシュリを見た。
 シュリは相変わらずの無表情だったが、シアスは幾ばくか苦いものを浮かべている。
 二人の様子から、もう一人のボディーガード…デルという男が快く思われていない存在である事は疑いない。
「デルは、正確にはボディーガードではなくて科学者です」
「科学者?」
 ボディーガードと科学者では非常に大きな違いがあるではないか。
 クラウドの怪訝そうな顔に、シアスが初めてクラウドに口を開いた。
「デル・ピノス。かつて、神羅の科学班にいた男だ。変わり者で…自分の興味にしか意欲を示さない。妥協という美徳からもっとも遠いところにいる男だ。今日、ラミア様の仕事について行ったのは、ラミア様の身の回りに化学物質での攻撃が仕掛けられた場合の為の対処として…だ」
「化学物質での攻撃?」
 首を傾げるクラウドに、シアスは一つ頷くと再び説明を始めた。
「仮に、遠距離操作でミサイルがラミア様に向けて攻撃されたとする。それを空中で狙撃し、回避する事は勿論私とシュリでも出来るが、その際、ミサイルが爆発した後、一体どんな事が起こるのか分からない。
 もしかしたら、特殊なバクテリアがばら撒かれる仕組みになってでもいたら…それこそ相手の思う壺だ」
「そこで、デルの出番というわけだ。彼なら、その秀でたコンピューター技術・情報処理操作等々、私やシュリには到底真似の出来ない方法でそれらの危険からラミア様をお守りする。つまり、彼は世界でも一・二を争うほどのコンピューター技術を持った……ハッカーなのだよ」

 何ともスケールの違う話しに、クラウドは固まった。
 まさか…。
 まさか、只の宝石ドロボーと思っていたターゲットが…。
 そんなにまでも、命の危険に晒された生活をしているとは、一体誰が想像出来る?
 しかも、そんな遠距離操作でミサイル攻撃されるかもしれない身だとは!?
 おまけに、このえり抜きの才能を持つボディーガード達を身辺に置けるだけの力を持った女…。

 はっきり言って…。
 自分の手に負える相手ではないんじゃないだろうか……。
 食事前に自分を鼓舞して漸く高まった気持ちが、早々に萎えてくるのを感じてしまう。

『こんな事なら…リーブにでも相談すれば良かったかもしれないな…』


 仲間の一人、もと神羅の幹部で今はWROの局長という重責を背負っている壮年の男を思い浮かべる。
 いや…、ここに潜入すると決めた時は、まさかここまで自分の想像を超えた次元にターゲットがいるとは思いもしなかったのだから、相談の仕様など無かったのだが…。

『知り合いが家宝を盗まれたんだそうだ…。力を貸して欲しい』

 そんな台詞……どの面下げて忙しく世界を走り回っている仲間に言えるものか!

 それにしても、先程から語られる彼女の状況は、物々しい事この上ない。
 誰かに命を狙われているのは確実だ。
 それも、相当に力を持った相手が彼女を狙っている。

 遠隔操作でミサイルを飛ばす可能性があるんだぞ?
 俺なんかが対処出来る問題じゃないじゃないか……。
 まぁ…その為に『デル』とかいう『変人』が彼女のボディーガード兼科学者として傍にいるわけだが。

「まぁそういうわけだから…クラウド君との顔合わせはまた明日という事になる。悪く思わないでくれ」
「いえ…構いません」
 出来れば、一生関わり合いたくありません。

 危うく口に出そうになった本音を喉の奥で押し殺し、クラウドは軽く頭を下げた。
 科学者…しかも元神羅の…!
 とてもじゃないが……友好的な関係になれるとは思えない。

 そんなクラウドを、ラミアが気遣わしそうに眉尻を下げて見つめる。
 シュリは終始、無関心な顔をして黙々と自分の料理を口に運んでいた…。



 疲れる夕食の後、クラウドは本日初の任務に就いた。
 それは…。
 ラミアの寝室の前での見張り。

 ラミアの寝室は、意外にも屋敷の最上階ではなく、一階にある一番端の部屋だった。
 勿論、その部屋の中はセブンスヘブンが丸ごと全部入ってもまだ余裕があるほど広く、内装は天蓋つきのベッドを中心にどれも一級品の調度の物ばかりだった…。

 彼女の部屋の前には扉を挟むようにして二脚の椅子が置かれており、クラウドが彼女と共に寝室へ向かうと既に一人の男がその椅子に腰掛けていた。
 女主人の姿に、その男は立ち上がり、直立不動の体勢を取る。
 彼にラミアは軽く笑みを浮かべて見やると、男はほんのりと顔を赤らめたようだった。
『候補』達にえらく人気の高い女主人を改めて見る。
 確かに、彼女は美人だ。
 しかも、優しくて『女性』の鑑のような人だと思う。
 しかし、それでも彼女に対して特別な感情は何も湧いてこない。
 その事実に、実はクラウドはホッとしていた。
 この作戦をティファに打ち明けた時、彼女が漏らした言葉が胸に甦り、思わず顔が緩みそうになる。
 それを引き締め、「それじゃ、お休みなさい」と潤んだ瞳で自分を見上げる女主人に、
「「おやすみなさいませ」」
 先にいたボディーガードと共に、一礼して彼女を部屋の中へと見送った。
 ラミアは何かクラウドに言いたそうな顔をしていたが、既に自分の部屋の前で護衛の任に就いていた男の存在故か、何も語らずそっと扉の向こうへ消えていった。

 ホッと身体から力が抜ける。
 何とも疲れる一日だった。
 これからボディーガードとして彼女の傍にいなくてはいけないのかと思うと……。
 気が重い。

「なぁ、アンタ」
「…?」
 唐突に男に声を掛けられた。
 彼は、興味津々な顔をして、クラウドを見ている。
「本当にあの『ジェノバ戦役の英雄』か?」
「………まぁ」
 面白くなさそうな顔で軽く頷く。
 男が目を丸くして驚きを素直に顔に表した。
 女主人のいる前とは別人のようだ。
「でもアンタ、ティファ…とか言うもう一人の英雄と一緒に住んでなかったっけ?」
「…………」
「ま、英雄とは言え、アンタも男だもんな。それに、ここの給金は並みじゃないから、働き甲斐があるってもんだし、主人は美人だし、それに、何より自分の腕が存分に行かせる仕事だ。この仕事に惹かれたのも良く分かるぜ」
 ヘラヘラと笑いながら、先程まで座っていた椅子に腰をかける。
 クラウドは黙ってそれに倣った。
 そんなクラウドを実に面白そうに見つめ、男は座ったまま伸びをした。
「まぁ、ここで見張ったり、庭で巡回したりするようになって半年になるけど、不埒な輩も侵入者も今まで来たことはないからな。今夜も特に何も無いだろ?気楽にやろうぜ」
 およそボディーガードらしからぬ台詞を口にして、男がニッと笑いかけた。
「……ああ、そうだな」
 上の空でそれに応えながら、クラウドの頭は家族の…愛しい人の事で一杯だった。



『その…ターゲットの人、美人…なんだよね……?……別にクラウドを疑ってるわけじゃないの!そんなんじゃなくて……あの……』
『違うの!……私に…自信が無いだけなの……ごめんね、へんな事言って…。』
『うん…ありがとう、クラウド…。私にも……クラウド以外の男の人なんか……』
『ちゃんと…無事に帰って来てね…?約束…して…』


 約束は守る。
 必ず…。


 潜入第一日目の夜が、漸く訪れる…。





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