Mission8




 セブンスヘブンで一騒動あった事など知る由も無いクラウドは、現在乗り物酔いと格闘中であった。
 当面の主人であるラミアが、彼女の『愛人』の元へ『仕事』をしに行くのだと言う…。
 今はその護衛の任に就いているのだ。
 乗り物に弱いクラウドが、唯一平気な乗り物と言えば愛車のフェンリルなのだが、流石にあの目立つバイクで走るわけにも行かず、不承不承、彼女と同じ車に乗り込んでいた。
 車内は広く、後部座席が向かい合って座れるような形になっていた。
 そして、当然女主人は進行方向に対して正面を向き、彼女の隣にはシアスが腰を下ろしている。
 クラウドは…というと、彼女と向かい合わせになるように…つまり、進行方向に対して背を向ける形で腰を掛け、その自分の隣には自分以上に愛想の無いシュリが窓の外へ無表情に視線を投げていた。

 只でさえ乗り物に弱いというのに、進行方向に逆らう形で座るなど、乗り物酔いをしやすい人間にはタブーとなっている。
 そうは言っても、女主人の隣に自分が座るなど分不相応だし、何となくお断りしたい気分だ。
 正直、こうして向かい合って座っているだけでも辛い。
 時折、何か言いたそうに頬を染め、ニッコリと笑みを向けられてどうして良いのか分からず曖昧に顔の筋肉を引き攣らせようとして失敗しているのだから…。

 そんな中、込上げてくる乗り物酔い特有の不快感に耐えつつ何かで気を紛らわそうと、クラウドは頭だけは必死に動かしていた。

 そう、例えばラミアの仕事はどんな仕事なのだろう…。と考えてみて、はた、とその思考を止める。
 ラミアが『愛人宅』でする仕事…。
 想像したくないが一つしかないのではないだろうか…。
 しかし、その想像とはまた別に、新たな疑問が頭をもたげる。
 綺麗事など言っていられない世界に身を置いているのであろう女主人に、ここまでボディーガードが必要だと言う理由。
『愛人』という人間が、この世の中にどれほどいるのか知らないが、ここまで厳重に警護される『愛人』がそうそういるはず無い。
 彼女が『どこかのご令嬢』というのなら話は別だが、そうではないのだ。
 言ってみれば、『愛人』は『替え』がきくのではないだろうか?『伴侶』とはまた違うのだから…。
 それとも、ラミアの『愛人』にとって、ラミアは『愛人以上の存在』なのかもしれない。
 それに、彼女を狙っている輩がいるのは事実なのだし…。
 しかし…やはり納得しかねる。
 確かに、昨夜、彼女を狙って賊が侵入した。
 だが、そもそも一介の資産家の愛人である彼女が、何故あそこまでセキュリティーの整った屋敷で暮らし、大勢の護衛を雇っているのだろう…。
 もしかしたら、彼女はただの『愛人』ではないのかもしれない…。

 そんな漠然とした考えが頭をよぎる。
 しかし、それは正直どうでも良いのだ。
 そう!どうでもいい話なのだ!
 自分がしなくてはならないことは、彼女の『護衛』ではなく、彼女から『盗り戻す』ことなのだから!!

 ラミアという女性は何やら自分に変な誤解を抱いているらしい。
 そのせいか、クラウドを普通では考えられないような待遇でもって傍に置こうとしている。
 新米のボディーガードをここまで露骨に優遇するのは、彼女自身の立場を危うくさせるであろう事はクラウドにも想像がつくというのに、それに対して全く無頓着だ。
 だからこそ、これ以上彼女の内情に精通する様な事が合ってはならない。

 そのためには…。

 余計な事は見ない、聞かない、しゃべらない…!!
 この三つを遵守するに限る。

 一日でも早く、懐かしい我が家へ帰れるようにすべく、クラウドは決意を新たにしたのだった…。

 しかしその決意があっさり覆される事になるとは……。
 つくづく、クラウドは不幸の星の下に生まれているらしい。


「ここです、クラウドさん。大丈夫ですか?」
 車が停止し、向かいに腰掛けていたラミアが声をかけた。
「…大丈夫です」
 かろうじて返答を返したクラウドに、ラミアは心配げに眉を寄せた。
 もともと顔色は白い方だが、今は車酔いの為真っ青だ。
 しかし、ここでふらついたりするわけにはいかない。
 女主人の気遣わしそうな視線を避けるように先に車を降り、ドアを支える。
 ラミアは、クラウドに次いで車から降り立った。

 車が停車したのは、実に豪華としか形容しようの無い建物の玄関前。
 立派な両開きの門扉は太い柱によって支えられ、そこから四角いコンピューターがはめ込まれていた。
 ラミアは躊躇する事無くその黒い画面に向かうと、
「ラミア・パラス」
 と名乗った。
 すると、「ようこそ」という音声と共に、両開きの門が厳かに開き、広大な庭の全貌を晒しだした。

「では、参りましょうか」
 ニッコリと微笑みながら歩き出すラミアに、シアスがそっとその腕を取った。
「お車で行かれたほうが宜しいのでは…」
 暗に、昨夜の襲撃から警戒をするよう促している。
 しかし、ラミアはゆっくりと頭を振ると、「大丈夫ですよ。だって、こんなにも素敵なガーディアンの方々が揃っておられるんですもの。」と、ゆったりとした物腰で歩き出した。
 シアスは軽く息を吐くと、女主人の隣を固めるようにして従った。
 シュリもそれに黙って倣う。
 クラウドは、半分で遅れた形になったが、それでも彼女の背後を固めるようにして着いて行った。

 ラミアの屋敷内の庭も大したものだったが、この広大な庭も非常に美しかった。
 綺麗に切りそろえられた木々達の根元には、色とりどりの花で溢れている。
 これだけの花を咲かせられると言う事は、この土地が汚染されていない証拠だろう…。
 クラウドはそっと頭に地図を描いた。
 確か、ここは旧ミッドガル跡地とカームを線で結ぶと、丁度三角形の一角に当たる場所にあるはずだ。
 もう少し東に行けば、チョコボファームに近付く辺り…。
 これまで配達の仕事で何度もこの大陸を横断してきたが、この屋敷の存在には気付かなかった。
 もっとも、この屋敷周辺には全く何も無い。
 ただ、荒野が広がっているだけだ。
 その荒野から突然の花畑と見まごう程の広大な緑を蓄えた庭の存在は、さながら砂漠の中のオアシスのようだ。

 のんびりとした歩調で庭の緑を愛でつつ歩くラミアの姿は、確かに美しかった。
 うっすらと笑みを湛えたその口元は、さぞ多くの男性を惑わしてきた事だろう…。
 もしも、クラウドにティファという絶対的な存在がなければ、彼らしくもなく、ボーっと見惚れていたに違いない。

 無言で歩く事十分。
 立派なドアの前に辿り着くと同時に、中から一人の紳士が現れた。
 彼が、ラミアの愛人である事は、紹介されなくとも瞬時に理解した。
 圧倒的な存在感を醸し出す紳士は、歳はラミアとシアスの間くらいであろう。
 鋭い眼光は黒に近い茶色、高価な服に身を包んでいたが、その体躯は鍛え上げられているであろう事が窺える。
 やや張った顎つきは、彼の自信に溢れた瞳を顔のパーツとするに相応しい。
 茶色がかった短髪を丁寧に撫でつけた彼は、文字通り最近勢力を伸ばしてきている資産家として充分なものを揃えている様だった。
 しかし、これはあくまで『見た目』の話しだ。
 さて…中身はどうだろうな…。

 クラウドは静かな眼差しで女主人の愛人を見つめた。
 彼は、ゆっくりと目の前に立つ四人に視線を巡らし、クラウドのところでほんの少し止まったようだった。
 が、すぐにその視線は外され、自分の愛人でピタリと止まる。
「ラミア…昨夜襲われたと聞いたぞ…大丈夫なのか…?」
 低いテノールのその声は、彼女の身を案じている響きがした。
 少なくとも、クラウドにはそう思えた。
 ラミアはゆったりと笑みを浮かべると、クルリと上品に回って見せた。
「はい。ご覧の通り、どこも怪我などしておりませんわ」
 まるで少女のような仕草に、紳士は笑みを浮かべてそっと抱きしめた。
 大人しく紳士の抱擁を受入れるラミアは、うっすらと笑みを浮かべたまま、彼の胸に頬を寄せている。
 しかし……どこかその表情が冷たく感じたのは……何故だろうか…?
 内心で不審に思いつつ、クラウドは努めて表情を変えないようにしていた。
 こう言う時には己のポーカーフェイスが喜ばしい。
 普段は、あまりに表情が乏しい為子供達やお客さんから苦笑されてしまうのだが、自分のこの無表情も役に立つじゃないか…。
 こっそりと自分を褒めてみる。

「ところで、ラミア。彼が昨日話していた…」
 ゆっくりとラミアを腕から解放した紳士が、今度は真っ直ぐクラウドを見据えて口を開いた。
「ええ、クラウド・ストライフさんです。私の新しいボディーガードで、昨夜、強盗から私をたった一人で守って下さったのです」
 ほんのりと頬を染めながら紹介兼説明をするラミアに、紳士は軽く目を見張った。
「ほう…」
 ゆっくりとクラウドの前まで歩み寄る。
 身長は、クラウドよりも少々高い。
 その為、幾分か見下ろされる形になったものの、クラウドが気圧される事などあるはずが無かった。
 己の正面に立ち、値踏みするようにジロジロ無遠慮な視線を投げてくる紳士に、ジッと黙ったまま眉一つ動かさないし、その必要も無い。

「フッ!」
 じっくりとクラウドを観察した紳士は、唇の端を持ち上げ、実に愉快そうな笑みを浮かべた。
「流石、『ジェノバ戦役の英雄』というのは伊達じゃないな」
 そう言うと、クラウドの肩を軽く叩き「いや、すまなかった」と非礼を詫びた。
 どうやらクラウドを気に入ったらしい。
 その様子に、ラミアは少々ホッとした顔をしたが、シュリとシアスは関心がないのか、はたまた当然だと思っているのか不明だが、冷めた表情のまま、一部始終を静観していた。

 そして四人は紳士に促されるまま、屋敷へ足を踏み入れたのだった。




「うわ!何これ!!」
「……お店が……」
 夕暮れ。
 遊びから帰ってきたデンゼルとマリンは、セブンスヘブンの壁の一角がごっそりと削れている様に呆然とした。
 恐る恐る店内を覗いてみると、真っ青な顔をして必死に空いた壁を埋めようと日曜大工に励んでいるユフィと、近所の人達の姿…。
 ユフィの姿を認めた瞬間、子供達は何事が起きたのか、大方の予想がついてしまった。
「…ユフィ…」
「…とうとうここまでしてくれたのね…」
 げんなりした声を出す子供達に、ユフィはノロノロと顔を上げ、今にも泣き出しそうな顔をしながら、
「ティファ…怒ってるよね…?やっぱ、怒ってるよね…!?」
 あああああ……!!!

 わけの分からない叫び声を上げながら、頭を抱え込んでしまった。

「俺達、今帰ってきたところだから何とも言えないけど…」
「ここまでされて、怒らないほどティファってお人よしじゃない…と思うな…」

 実に正直に自分の意見を述べたデンゼルとマリンに、ユフィは「もうダメだ〜!!もう私は一生、ティファの美味しい手料理を食べられないんだ〜!!あああ!!!そんなの耐えられないよ〜〜!!!」と大声を上げ、完全に己を失った。
「おい、姉ちゃん。俺達も手伝ってやってんだから、頑張れよ!」
「そうそう、喚いてないで手を動かせって!」
「一生懸命頑張ったら、きっと許してくれるさ!」
「そうそう!なんたってあのティファちゃんだぜ?英雄仲間が必死になって頑張って弁償したら、許してくれるさ!」
 トンテンカンと金槌を叩き、ギーコギーコとのこぎりを動かし、ペタペタと石灰を塗って壁の補修を手伝ってくれている近所の人達の温かな言葉に、ユフィはガバッと顔を上げる。
「そうだよね!うん、あのティファなら……!!」
 いよ〜し、頑張るぞ〜!!

 はちまきをぎゅっと締めなおし、猛然と補修作業に戻ったユフィに、近所の人達は苦笑しつつも子供達に視線を移して手を上げた。
「ま、今日、明日には無理だろうけど、明後日には何とか元に戻るだろうぜ」
「それまで、店は休みって事になるだろうが、まぁ、この際のんびりしろよ」
「そうそう!家族揃って旅行に行くとか…」
 最後の一人が口にしようとした台詞に、他の人間がギョッとしてその男を見た。
 彼自身、『しまった…!』という顔をして、バツが悪そうに視線を逸らす。
 そして、ユフィは…。
「…誰だ〜、今、余計な事言おうとした無神経な野郎は〜…!!」
 手にしたのこぎりを振りかざして、眉を吊り上げて睨みつけた。
「う、うわ!」
「あ、危な!!!」
「ご、ごめん、悪気は無くて、つい!!」
 ギャーギャーと再び元気を取り戻したユフィに、子供達は溜め息をこぼすと顔を見合わせ、その場を後にした。
 向かうは、自分達の部屋。
 そこには、深刻な顔をしてベッドに腰を掛けていたティファがいた。
 部屋に入ってきた子供達にティファは顔を上げると、そっと手招きをする。
 あまりにも深刻なその様子に、デンゼルとマリンは顔を見合わせ、不安そうにティファを見た。
「あのね…デンゼル、マリン。私が今から言う事、よく聞いて…」
 傍に寄って来た子供達の頭をそっと抱え込みながら、ティファは静かに話しだした。


「じゃあ、誰かがクラウドがこの家に戻れないようにしてる…っていうの?」
 思わず大きな声を上げてしまったデンゼルに、マリンが眉を吊り上げて足を踏みつけた。
 蹲り、涙目になりながら「ご、ごめん」と小声で謝るデンゼルに、ティファは苦笑いを浮かべると「大丈夫よ…多分」と言った。
「え…でも…」
 盗聴器が…と心配するマリンに、先程の騒動のお陰で盗聴器の仕掛けられていた窓が吹っ飛んだ事を子供達に教える。
 そして、恐らくこの店に仕掛けられた盗聴器はあの一つだけだろうとも…。

 ティファは格闘術を操る。
 それ故か、人の気配を探る事に関しては仲間内でも秀でていた。
 そのティファが細心の注意を払って気配を探り、不審な感触を店のすぐ傍で捕らえたのはクラウドが家を出る直前の一度きり。
 当然、それからはどこか遠くから送られてくる視線に気付いてはいたが、それはただの監視だろう…。
 それからと言うもの、その不審な気配が店に近付くことは無かった。
 その為、仕掛ける事が出来たのは、一つだけだろうと判断している。。
 それに、他にも仕掛けられていたとしても、それはそれで構わないとも思っていた。
 盗聴器を仕掛けられている事をこちらが把握していると相手が知ったら、当然次の手を打ってくるだろう。
 その時を逆手にとって、攻撃する事が出来るのだ。
 しかし、その為には…。

「私達がいたら、邪魔になるのね?」
 聡いマリンがそう言った。
 案の定デンゼルは、納得しかねると言わんばかりに頬を膨らませ、何が何でも手伝うつもりのようだ。
 ティファはそんな子供達を再びそっと抱き寄せた。
 ゆっくり子供達の髪を梳く。
「相手がどうしてクラウドを引き込もうとしているのかが分からないから、滅多なことは言えないんだけど…」

 そう…。
 ティファは、もう、ターゲットがただの宝石ドロボーとは思っていない。
 恐らく、何かとてつもなく大きなものが闇に紛れて目を光らせている。
 でなければ、盗聴器を使用したり、常に監視をしたり、挙句の果てにはクラウドについての噂を流すはずが無い。
 しかし、そこまでは何とか分かったものの、敵がクラウドをこの安住の地から引き離そうとしている理由が分からない。
 そう…分からないのだが、それは確かな事実だと確信している。
 クラウドが二度と戻れないように網を張り巡らせているのだ。
 ティファ以外の女の噂を具体的に流すことによって、エッジの住人から信頼を奪い、非難の的に仕立て上げようとしている。
 いや、実際、カームで宿を取ったユフィの耳にすら入ったのだ。
 そのことを鑑みても、かなりクラウドの印象は最悪になったはずだ。
 それに伴い、もう一つの可能性が浮かび上がる。
 それは、クラウドとティファの関係のこと。
 クラウドとティファの間を引き裂こうとしているどこかの愚か者が、クラウドのターゲットの話を具体的に流しているという可能性。
 しかし、それは少し無理があるような気もする。
 クラウドとティファが別れたからと言って、何のメリットがあるのだろう…?
 確か、ターゲットの女ドロボーはクラウドに対して『好意』を抱いているらしいとの事だったが、それも怪しいものだ。

 グルグルと様々な可能性がティファの頭を巡り、眩暈がしそうだ。
 ターゲットが女ドロボーで無いなら、自分達は一体何を相手に戦いを挑んでいるのだろう…?
 いや、戦いを挑まれているのだろう…。

 少なくとも、この件に関しては子供達を巻き込むのは危険すぎる。
 敵が何を目的としているのか全く分からないのだから、そんな危険な状況に子供達を置く事は出来ない。
 それに、マリンも言った様に自分一人だと切り抜けられる危機も、子供達が人質にとられるような事でもあれば、たちまちの内に窮地に立たされる。

 マリンはその可能性を充分理解してくれているようだが、デンゼルは男の子であるという自負からか、中々首を縦に振ってはくれなさそうだった。

 どうやってデンゼルを説得したら良いんだろう…。

 すっかりむくれてしまった息子を前に、ティファが頭を捻って心底困り果てた時、耳慣れたエンジン音が遠くから響いてくるのが聞えてきた。
 その音に、三人はハッと顔を上げると大慌てで階下に駆け下りる。
 店内と外で、壁の修復作業をしてくれていた近所の人達も、その街の一点を見つめて険しい顔をする。
 ユフィも強張った顔をして、同じ方向を見つめていた。


 小さかったエンジン音があっという間に近付き、そして停車した。

 一日振りに帰宅したクラウドを、何とも言えない重苦しい空気が出迎えた…。






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