Mission9




 現在、一日ぶり(正確には一日と半分)に帰宅したクラウドは、いくつかの事柄が重なったお陰で、ポーカーフェイスを崩していた。
 まず、一昨日には無傷だったはずのセブンスヘブンの一角が何故か大きく破損し、店内が覗けるまでに壁が抉れている。
 そして、その壁の補修作業をしてくれていたのであろう近所の顔馴染みの人達からは、殺気にも似た敵意の眼差しを向けられていた。
 更には、ここにいるはずの無い仲間が、般若の形相よろしく仁王立ちで立っている。
 そのお元気娘の後方で、会いたくて仕方なかった家族が揃って自分をじっと見つめていた。

 一様にどこか緊張した面持ちをしている。
 クラウドは、これから口にしなくてはならない台詞に心の底から嘆きの叫びを上げたくなった…。


「クラウド…お帰りなさい」
「……ああ…」

 交わされる短く暗い会話。
 端から見れば、それは破綻寸前の恋人のやり取りのようだ。
 周りで見ていた顔馴染み達が、固唾を呑んで見守っている。
 自分と彼女の仲が決定的に切れてしまうのをあからさまに望んでいる顔もあれば、それを断固として認めないと言わんばかりに睨みつけている者など、実に様々だ。
 こんな大勢のギャラリーの中で『この時』を『こんなに早く』迎える事になるとは思わなかった。

 じっとティファを見ると、彼女は既に覚悟を決めているようだった。
 真っ直ぐに見つめる瞳からは、何もかもを受け止める意志を感じる。
 子供達は彼女の傍らに立ち、同じ様に決然たる面持ちで自分を見上げていた。
 クラウドは大きく息を吸い込むと、意を決して口を開いた…。

 が……。

「ちょっと…アンタ……、今、何言おうとしてるわけ……?」

 もともと直情的なお元気娘が柳眉を逆立て、我慢らならないと言わんばかりにわなわなと震え、食いしばった歯の間から声を漏らした。
 怒りに震えるその眼には、うっすらと涙すら浮かんでいる。
「アンタ…まさか…、ティファと子供達を捨てて、資産家の愛人の女の所に行くつもりじゃないでしょうね!?」
 ユフィの叫び声がセブンスヘブンを中心とした街の一角に響き渡る。

 ユフィの言葉にクラウドはあくまで無視を決め込んでいたが、内心では激しく動揺していた。
 遠くウータイから来たはずのユフィが、どうしてここまで知っているのだろうか…!?
 ティファに一連の事情を聞いたのなら、この怒りに駆られた様子は演技なのだろうが、それにしては真に迫り過ぎている。
 それに、ユフィは素直な人間だ。ここまで素晴らしい演技をすることなど不可能というもの…。
 という事は恐らく、ユフィはティファ以外から『女主人』の事を聞き、真の事情を知らないのだろう。
 なら、何故ユフィがここまで『女主人』の存在に精通しているのか…?

『どうやら……『あの話』は本当らしいな……』

 心の中で深い溜め息を吐きながら、クラウドはゆっくりと『家族』の元へと歩き出した。
 そのクラウドの前に立ちはだかるようにしてユフィが割って入る。
「クラウド、無視すんな!!」
 いつもは決して見せない必死の形相。
 クラウドは心の中で詫びながら「お前には関係ない」と素っ気無く一言で片付けると、憤然とするユフィを押しのけるようにしてティファの前に立った。
 そして、そのまま無言で顎をしゃくり、店内に入るよう促す。
 ティファも、黙ったままそれを受入れ、傍らに立つ子供達に「ちょっと待っててね」と言い残して店内に入って行った。

 二人が居住区の階段を一定の距離を置いて上っていくのが崩れた壁から見えた。

「だ、大丈夫だよ…。だって、だってさ。あの旅を乗り越えて、そんで、今日まで頑張ってやって来たんだから。だから…だから…」
 残された子供達に言い聞かせるようにして途切れ途切れ口にするユフィは、子供達に…と言うよりも自分に言い聞かせているようだった。
 デンゼルとマリンは、揃って不安そうな顔をしながら、二階にある親代わりの二人の寝室の窓を見上げた。
 勿論、その一部始終を見ていた近所の人達も興味津々で、壁の補修作業の手を止めてヒソヒソと好き勝手に囁いている。


 二人が消えて僅か数分後…。
 ティファの激しい怒鳴り声と共に、何かが割れる派手な音が響き渡った。
 ギョッとしてその場にいた全員が二階を見上げる。
 しかし、二階の窓の中は店の外から窺う事など出来ない。
 心配そうな顔、期待に満ち溢れた顔、不満そうな顔、怒りに満ちた顔…。
 様々な表情がその場にいた者達の顔に浮かんでいる。
 その様子を、誰よりもイライラと…そして不安で混乱しているユフィが睨みつけていた。

 やがて…。

 ティファの怒鳴り声も、何かが割れる音も何もしなくなった。
 無駄だと知りつつも、店の外で二階の様子を必死に窺っていたその場の全員が、顔を見合わせる。
 すると、タタタタタ…と階段を駆け降りてくる足音と共に、顔を伏せたティファが現れた。
 自分を見つめている数多の視線を無視し、不安そうな顔をしている子供達を抱き寄せ、決して離すまいと力一杯抱きしめた。
 その彼女に遅れて二階から下りて来たクラウドの肩には、一昨日運びきれなかった僅かな彼の持ち物がかけられている。
「ティファ…」
「…………」
「子供達にも選択肢があるだろう…?」
「…………」
「デンゼル、マリン…実は…」
「絶対に子供達は渡さない!!」
 子供達への言葉を遮ると、ティファは涙で光る瞳で思い切りクラウドを睨みつけた。
 その様子に、誰もが二人の破局を察し、驚愕のあまりに目を剥いた。(一部の男共は、感激の余り涙を浮かべた)
「ティファ……?」
「あの……」
 恐々と声をかけるデンゼルとマリンに、クラウドはしゃがみこんで視線を合わせ、口を開いた。
「ティファと離れて暮らす事になった…。本当にすまない…」

「ふざけんな!!」

 怒鳴り声と共に、ユフィがクラウドに殴りかかる。
 それを甘んじて受けるような真似をすることもなく、クラウドはその拳を掌で受け止めると、冷ややかな眼差しで仲間を見据えた。
「これは俺達家族の問題だ。ユフィ…悪いが口を出すな」
「な……!!!!」
 怒りの為、顔を真っ赤にさせて反対の拳を握り締めて振りかざしたユフィは、

「もうやめて!!!」

 ティファの悲痛な叫び声に固まった。

 そっと視線をティファに移す。
 ティファは、再び子供達の首筋に顔を埋めていた為その表情は読み取れなかったが、微かに震えるその肩が彼女の全てを物語っているようだった。

 クラウドは受け止めたまま握り締めていたユフィの手を離すと、子供達に再度向き直った。
「本当にすまないと思ってる。でも……気持ちは……心はどうしても変えられない。これ以上、俺はティファと一緒に暮らす事は出来ない」

 まるで死刑判決を受けたかのような衝撃がその場の全員に襲い掛かる。

 ユフィは、怒りの為真っ赤になっていた顔を真っ青にし、呆けたように目を丸くして呆然としている。
 子供達はただただクラウドを真っ直ぐに見上げ、戸惑ったような顔をしていた。
 現実の事として受入れられていないのだろう…。

 そんな子供達に、クラウドは更に言葉を重ねた。
「それでも…俺はデンゼルやマリンと離れて暮らすのは…正直辛い。身勝手な話だとは分かってる。でも…」
 どちらかだけでも良い。俺と一緒に暮らさないか?


 これまでのクラウドからは考えられないような身勝手で我が儘、自己中心的な発言に、最初に切れたのは近所の顔馴染み。
「旦那…あんた、いい加減にしろよ!!」
「…そうだ…あんた、見損なったぜ!!」
「旦那が家を出ていた間、ティファちゃんがどんな思いで子供達を世話して、あんたの帰りを待ってたか…考えた事あるのかよ!!」
「あんた確か言ってたよな?『もう二度と、ティファと子供達を辛い目に合わせない』ってさ…。あれはウソだったのか!?」

 口々に責め立て、詰る言葉を全身で受けながらも、クラウドは無表情だった。
 そして、冷たい光の宿った紺碧の瞳でそれらの顔馴染み達を一睨みし、苛立たしげに言い放った。
「ああ…確かに言った。あの時言った言葉はウソじゃない!でも…、それはラミアと出会う前の話しだ。彼女と出会ってしまった今、どうしても気持ちを抑えてティファとこのまま暮らす事は出来ないし、そんなの、お互いに苦しいだけだ!」

 その言葉に、辺りはシンと静まり返った。
 クラウドの言葉からは、少なくとも苦しみ、考え抜いた苦悩の響きが滲んでいたのを感じさせられたからだ。

 ユフィですら、クラウドに対して突っかかっていく気力を削がれてしまっている。
 ただただ、呆然とかつて共に旅をした仲間の二人を見つめるばかりだ。

「ごめん、クラウド…」
「俺も……ごめん…」

 子供達の悲しそうな声が、シンとしたその場にこぼれ落ちた。

「俺…クラウドもティファも大好きだけど……でも……」
「私も…クラウドとティファ…両方とっても好きだけど…でも!このままのティファを置いてクラウドに着いて行けないよ」
 大きな目に涙を浮かべた子供達に、クラウドは目を閉じその返答をかみ締めているようだった。
 そして、そっとその眼を開くと悲しげに…柔らかく笑みを浮かべ「そっか…そうだな。二人共…俺と違って優しいから…」そう言って、子供達の頭をポンポンと軽く叩き、ゆっくりと立ち上がった。
 名残惜しそうに子供達に視線を落とし、最後に顔を伏せたまま決して上げようとしないティファに視線を移す。
 ティファは、子供達を抱きしめ、ただ黙ってクラウドが一刻も早くこの場からいなくなる事を願っているかのように、小さく肩を震わせているだけだった。
 その姿は見ていて胸が抉られるようで…。

「本当にごめん…」

 そう呟いてクラウドはフェンリルに荷物を括りつけた。
 クラウドを引き止める者は、もう誰もいなかった…。
 誰もが、黙ってクラウドを冷めた目で見つめている。
 中には、ティファへの同情からか、殺気混じりの凄まじい眼光を投げかける者もいたが、大半は軽蔑した目をしていた。
 ユフィは、呆然としながらクラウドが最後の荷物を括りつけるのを見ていたが、ハッと我に帰ると勢い良くティファへ振り向いた。
「ティファ、ティファ!!良いの?ねぇ、本当にこれで良いの!?!?」
 そして、ティファの反応を待つ事なく、クラウドを振り返る。
「クラウド!アンタ、本当にこれで良いの?あの辛い旅を乗り越えてきた仲間から、やっと想いが通じ合った仲じゃんか!!それなのに、たった数週間前に出会った女に乗り換えるだなんて……!アンタ、おかしいよ!!!」

 ユフィの悲痛な叫び声に、クラウドはフェンリルに跨りながら緩慢な動作で振り向いた。

「ああ…そうだな。俺はおかしくなったんだ…」

 虚ろな声で返されたその言葉に、ユフィは口をつぐんだ。
 何を言っても無駄だと、その言葉で分かったからだ。
 虚ろな眼差し、虚ろな声…。
 まるで、魔晄中毒に侵されている頃のようなクラウドに、ユフィはゾッとした。

 静まり返ったセブンスヘブンの店先で、再びフェンリルのエンジン音が響き渡る。
 エンジンを吹かせたクラウドは、愛車の上で身を捩ると子供達に顔を向けた。
「デンゼル、マリン…。本当にすまない。許してくれとは言わないけど…一つだけお願い聞いてくれないか?」
「なに…?」
「俺達に…出来る事…?」
 涙を堪えて必死に返答するデンゼルとマリンを、ティファが益々強く抱きしめる。

 その姿に、クラウドは一瞬決意が挫けそうになるが、それをかろうじて何とか保つ事に成功すると、たった一言を口にした。


「『猫の世話を頼む』」


「「クラウド!!」」
 子供達の悲痛な呼び声はフェンリルのエンジン音の前に無力に掻き消される。
 愛車に跨ったクラウドはあっという間にその姿を小さくし、視界から消えてしまった…。

 その場に残された多くの者達の心に、深い傷を与えて…。





 エッジの郊外に停まっていた黒塗りの高級車の前で、フェンリルは停車した。
 そして、中から出てきた女性に、クラウドは軽く頭を下げる。
 女性…ラミアは潤んだ瞳でクラウドを見上げた。
「クラウドさん…こんな表現、おかしいと思うのですが…見事なお別れ振りでした…」
「いえ…」
「でも…本当に良いんですか……私なんかで……」
「……もう決めた事だから…」
 クラウドは、目に涙を浮かべてそっと身を寄せるラミアの背に、おずおずと腕を回した。


『実は、私とラミアは異母兄妹なんだよ』
『……!?』
『しかも、私の母が非常に嫉妬深い女でね。父が留守の間にラミアの母を追い出してしまったんだ…人買いに売ってね』

 昼間、聞かされた衝撃の事実を思い出す。

 資産家の愛人と称されるラミアは、実は異母兄妹だと言う事実。
 そして、何故、妹を『愛人』と偽っているのかという理由。
 その『理由』を聞かされた時、クラウドは後に引けなくなってしまったのだ。
 もう、『ただの宝石ドロボー』からの『宝石奪還』どころではなくなった。
 話を聞かされた以上、クラウドは今回の潜入作戦で立てた計画の内、もっとも使いたくなかった計画に移さざるを得なくなった。
 それが…。
 さっきの『別れ話』。
 当然、子供達にも万が一の場合を想定して全ての計画を伝えてある。
 その際の対処法も。
 その為、実に迫真に迫った演技を披露してくれたわけだが…。


『ハァ……、ユフィまでいるなんて…。しかも……裏で操ってるのは……本当に誰なんだ……?』


『クラウド君。そういうわけで、ラミアを守ってもらいたいんだ。幸い、ラミアも君も、相思相愛だというじゃないか。これは願っても無い話だと思うのだが…』
『…いえ…しかし…』
『お兄様、クラウドさんは…その…まだティファさんを……』
『?しかし、クラウドさんがティファさんと別れたと噂になっているぞ?』
『『え!?』』
『実は、クラウドさんがラミアの元に行った直後からセブンスヘブンを見張らせていたのだが…その様に報告を受けている。おまけにラミア、相手はお前だと具体的に話が出回っているぞ?』
『『………』』
『二人が噂を流したんじゃないとすると、大方私の失脚を狙っている政財界の誰か…か…。ラミアは私の愛人という事になっているからな。『伝説の英雄が自分の愛人とねんごろの仲になっている』と私を動揺させようという、小ざかしい魂胆だろう…くだらない』


 鼻先で笑って見せたラミアの異母兄の姿を思い出し、クラウドは改めて背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 誰が、一体、何を目的として、自分を家族から引き離したのだろう…?
 もしも、狙いがティファと子供達なら……!!

 そう思うと、いてもたってもいられないのだが……。

 実際は、そんな単純なものではない事も分かってきた。
 これには、かなりきな臭い大きなものが後ろで渦巻いている。
 恐らく…自分達だけでは対処しきれないだろう。
 しかし、自分達には頼りになる仲間がいる。
 先程の大喧嘩…あれがその仲間にSOSを出すという合図だとは誰も気付かないだろう。

 そう…。
 仲間内でも最も世の中の情報に詳しく、精通して頼りになる存在。


『猫』に…。






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