― セブンスヘブンの女店長に殴られた ―

 そう証言する女性達の頬は赤く腫れ上がったり、腕や足に青アザとして濃く残っていた。

 そのニュースは、瞬く間にエッジに広まった…。






My road 2







「ティファ…」

 ビクッ。

 ティファはその呼び声に身体を震わせた。
 伏せた顔はとてもじゃないが上げられない。
 それでも、クラウドがそっと近寄ってくるのを拒めない…、自分の意思で身動き1つ出来ない…。

 そんなティファに、クラウドはまるで腫れ物に触るように、ゆっくりと手を伸ばした。
 伸ばされた手がティファの頬に添えられた時も、ティファは可哀相なくらいに肩をビクリ、と震わせた。
 そっぽを向いていた顔は、クラウドの手によって頬を柔らかく、優しく包み込こまれてゆっくり、ゆっくりとしゃがみ込んだクラウドへ向けられる。
 小刻みに彼女が震えているのが包み込んだ両手から伝わってきて、クラウドの胸が激しく痛んだ。
 だが、それでもクラウドの顔に浮かんでいたのは微笑み。
 最後までクラウドから逸らされていた視線がおずおずとクラウドに向けられたティファにとって、その微笑みは…。

「帰ろう、ティファ」
「 ……!! 」

 堪えていた怒涛のような悲しみが堰を切ったようにティファの奥底から溢れ出る。
 椅子から床へ飛び込むようにして、クラウドの首に両腕を回し、大声を上げてティファは泣いた。




 ティファは初めて警察から帰宅すると言う屈辱的経験を味わった。
 こんなにも肩身が狭く、家族や…、とりわけクラウドに申し訳ないと思ったことは初めてだ。
 クラウドの巨大バイクにまたがった時、心配そうに見つめているクラウドの視線をかいくぐるように、まるで珍獣を見るような視線を向けている警察官や、その警察官の向こうから嘲笑を浮かべている自分が店から叩き出した女性達の視線を感じ、居たたまれなくなる…。

 穴があったら入りたい、とはこのことを言うのだろうか…。

 だがその胸が引きちぎられて、ぐちゃぐちゃにされそうな気持ちは、自分の前に軽やかにバイクに乗ったクラウドによって、和らげられた。

「ティファ、しっかり掴まって」

 そう言いながら、ティファの両手を包み込むようにして自分の腹の前で手を組ませる。
 その手を離す瞬間、クラウドはギュッと力一杯彼女の手を握り込んで、ティファの身体が自分の背中にピッタリくっつかせた。
 押し付けた頬が、彼の背の温もりをダイレクトに伝え、また涙が溢れてくる。

 ティファが涙を流す前に、クラウドはフェンリルを発進させた。

 店に辿り着くまでの間、2人は無言だった。
 勿論、走っている時に会話など出来ない。
 だが、赤信号で止まっている時にもクラウドは無理に話そうとはしなかった。
 ティファは無言のまま、全部を受け入れて包み込んでくれているクラウドに感謝しつつ、その沈黙と身体全部で感じる彼の温もりに素直に甘えた。

 店に着くと、恐れていた子供達の不安そうな顔はどこにも無かった。
 それどころか、真っ暗で明かりが点いていない。
 誰もいない店内に胃がギュッと不快に締め付けられる。

「ユフィが『ウータイ食い倒れの旅』に連れて行ってくれてるんだ」

 店内が真っ暗である説明を、クラウドは一言で簡潔に説明した。
 全てを聞かなくても分かる。
 警察からクラウドに連絡が入った直後、彼はユフィを呼びつけて子供達の世話を頼んだ。
 そして、子供達もユフィも、それに速やかに応じてくれたのだ…。

 ありがたい、と思う。
 こんな自分には、勿体無い…とも思う。
 本当にどうしてこんなことに…?
 いくらイライラしていたからと言って、素人に……、ましてや女性に手を上げるとは!
 自分で自分が信じられない!!



「ティファ」

 ティファはハッと我に返った。
 知らず知らずのうちに、自分の身体を抱きしめ、うな垂れていたのだ。
 そんなティファをクラウドがすっぽりと包み込んだ。
 また…ティファの目に涙が溢れる。

「ティファ、気にするな」

 温かく、力強い抱擁と共に与えられたその言葉は、どんな薬よりもティファを癒し、どんな言葉よりもティファを慰めた。
 しかし、生来の生真面目さがティファに『受け入れる資格など無い!』と己をまたもや雁字搦めに縛りつけようとする。
 それを柔らかく阻止したのもまた…クラウドだった。
 彼はティファを抱きしめたまま、彼女の頭のてっぺんにキスを贈ると、彼女の黒髪に自分の頬を押し付けた。
 そのまま、ゆっくりと身体をポンポンと叩く。
 まるで、子供たちが落ち込んだ時、怖い夢を見て目が覚め、甘えてきた時にする時の仕草…。
 ティファの喉の奥からまたもや嗚咽がこみ上げてきた。
 それを必死に飲み込もうとするが、本人の意思に反して唇から微かに震える吐息が漏れる。

「ティファが理由もなしに人を傷つけるはずが無い」
「………っく…」
「警察で、あの女達が色々言ってたけど、俺は信じない」
「………ひっく…」
「だけど、きっと世間の人達は面白おかしく大騒ぎするだろう…それもすぐにでも…。いや、もう既に広まっていると思う」
「………うぅ…っく…」
「でもな、ティファ」

 互いの顔が見えるように少しだけ身体を離したクラウドは、双眸を細めて泣き濡れたティファの瞳を見つめた。
 涙で歪むティファの目にも、クラウドが露ほども彼女を責めていないことが分かった。

 …また、涙が溢れてくる…。

「ティファ、『1人で解決するために…』とか、『俺たちに迷惑がかかるから…』とか、そういう理由で俺達の前からいなくならないでくれ」

 クラウドの瞳は真剣で、ティファが責任を感じていなくなることを心の底から不安に思っていることが痛いくらいに伝わってきた。
 ティファの胃が…、胸がギューッと締め付けられる。
 動悸がバクバクと早まる。

「俺もマリンもデンゼルも今回の事件は気にしていない。いや、ティファが辛い思いをしたり、人の誹謗中傷を受けてしまうことが心配でたまらない。それ以上に…」

「ティファがいなくなることが怖い」

 ティファはクラウドの魔晄の瞳に吸い寄せられ、そらせなくなる。
 心臓は早鐘を打ち鳴らし、奇妙な高揚感をもたらした。
 クラウドが何か、大切なことを告げようとしていると、彼の瞳が物語っている。
 漏れる嗚咽を必死に押し留め、彼の言葉を一言一句、聞き漏らすまいと耳を澄ます。
 それでも、心に反して身体は『ヒック、ヒック』と嗚咽を抑え切れなかった。
 クラウドはそんなティファ全部を包み込むように真剣な眼差しをひた……と向け続けた。



「俺にはまだ、言う資格がないとは思う…」

「それに、このタイミングで言うべきことでもないかもしれない…」

「でも、やっぱり……、今、言いたい」

「ティファ…」

「ずっと傍にいて欲しい」

「誰よりも、何よりも、ティファにずっと傍にいて欲しいんだ」



 そう言ってクラウドはゆっくりとティファの左手を取ると、その薬指にひんやりとした物を嵌めた。
 ティファの目がこぼれんばかりに見開かれる。
 クラウドは少し照れたような笑みをこぼしつつ、後頭部を掻いた。

「本当に…、このタイミングで言うのは場違いだって思うんだけど…」

 照れながら、視線をティファへ戻す。



「俺と結婚して欲しい」



 その瞬間、ティファの頭の中は真っ白になった。
 クラウドが指輪を嵌めてくれるまで、あんなにこれからの生活のこと、自分のせいで家族が非難の的になる恐怖で頭が一杯だったと言うのに…。



「ごめん。昨夜からずっと緊張してたから、もっとムード…とか考えないといけないんだろうけど、いっぱいいっぱいでさ…」



「いま…、返事…聞かせてもらっても良いか?」



 恐る恐る訊ねるクラウドに、ティファはボロボロと涙を零しながら、この日、初めて笑顔を作った。


 *


 カーテン越しに差し込む陽の光で、ティファは目を覚ました。
 目の前には愛しい人の端整な寝顔がある。
 ほんの少し、伸びをしただけで簡単にキス出来る距離…。
 ティファはそっと手を伸ばし、彼の頬に触れた。

 温かい。

 整った眉が、ティファの指先が触れた時、ピクリ…と動いたが、そのままクラウドは目を覚ますことなく再び深い眠りに入ったようだ。
 彼の頬に触れた手に、ティファはふと目が止まった。
 薬指に光る誓いの証。
 嵌められた時の歓喜。
 至福に包み込まれた温もり。
 それらを思い出してティファの視界が涙でにじむ。
 と、同時に思い出す。
 自分が昨夜、セブンスヘブンに来た女性達にしてしまったことを…。

 途端、幸福な気分はパチンと弾け、代わりに言いようのない不安と後悔がドッと押し寄せてきた。
 胃が精神的ショックでギュッと縮まり、吐き気に取って代わる。

 ティファは口元をサッと覆うと、クラウドの腕を出来うる限りそっと外し、慌てて洗面所に駆け込んだ。
 間一髪でベッドや床を汚す失態をかわす。
 昨夜、クラウドに連れて戻ってから、何も食べていないためか、胃液しか吐き出せなかった。

「大丈夫か?」

 ハッと身体を強張らせるが、ティファの吐き気はまだ治まっていない。
 振り返ることも出来ず、前屈みの状態で嘔気を繰り返すティファの背を、クラウドが優しく撫でた。

 心の中では、『大丈夫だから向こうへ行ってて』と繰り返すものの、言葉にする余裕が無い。
 結局、ひとしきり吐き終わるまで、ティファはクラウドに背を撫でられたままだった。


「ティファ、飲めるか?」


 グッタリと洗面所に座り込みそうになったティファを、クラウドは優しくベッドまで連れて戻ると、1階のカウンターから水を汲んで戻ってきた。
 汗で髪が額に張り付いたティファを、出来る限り優しくそうっと拭う。
 クラウドのゴツゴツした指に撫でられ、ティファは目を細めた。
 不安は彼の指先から少しずつ洗い流されているような気がして、それに伴い気分の悪さも引いていく。

「うん、ごめんね…クラウド」
「謝らなくて良い。ほら」

 口元を緩めながらクラウドがそっと手を貸してティファを起こした。
 そのまま、自分の身体によりかからせてティファが負担なく座れるように支えになってやりながらコップを差し出す。
 あまり冷えていないその水が、たいそう美味しく感じられた。

「その…、胃が悪くなっている時に冷た過ぎる水もどうかと思って…」

 口ごもりながらそう伝えたクラウドの心遣いに胸がいっぱいになる。

『こんなに幸せなのに…、不安になるなんてどうかしてるわ私』

 ティファは微笑んだ。
 そして、1つの結論に至った。
 昨夜の騒動をきちんと話さなくては…と…。

「あのね、クラウド…」
「ん?」
「昨日の…ことなんだけど…」

 深呼吸をして声が震えないように…、話の途中で途切れないように気を引き締める。
 クラウドはティファのその仕草が、彼女自身にまだ決意が固まっていないように見えたようだ。
「まだ無理して話さなくて良いんだぞ…?」
 気遣わしそうに眉根を寄せた。
 ティファは俯いたままゆっくりと首を振ると、そっと目を上げた。
 心配そうな魔晄の瞳に胃がざわざわとむかつき始める。
 だが、ティファはそれを無視した。

「今…言いたいの。聞いてくれる…?」

 クラウドは反射的に反対する言葉を口にしようとして…、思いとどまったように口を閉ざした。
 制したい気持ちを押さえ込み、真摯な瞳を彼女に向けて頷いた。
 ティファはホッとしながら語りだした。

 昨夜、店をどうしても営業する気持ちになれなくて『close』の看板を早々に吊るしたこと。
 にも関わらず、数名の女性達が入ってきたこと。
 クラウドに会うことが目的で、セブンスヘブンへ食事をしにきたわけではなかったこと。
 言い合いをしているうちに、カッ、となってしまって彼女達の二の腕を掴み、ドアから突き飛ばしたこと…。
 そのために、一般人である女性達は受け身などとれないまま、地べたに転倒することとなり、頬や腕などに擦り傷や打ち身が出来たこと…。
 自分のやってしまったことにハッと我に返り、呆然としているティファを尻目に、彼女達が警察に連絡し、気がついたら警察に連行されていたこと…。

 それら真実を話した。
 だが、ティファは1つだけ割愛した。
 それは、クラウドに会いたいがために、わざとティファの神経を逆なでするような暴言を彼女達が吐いたことだ。
 いくらなんでも、彼にはそんなこと、言えやしない…。
 きっと、クラウドはティファが追い詰められた原因は自分だ!と自身を責めるだろう。

 最終警告を待つかのようにうな垂れて息を殺しているティファを、クラウドは最後までジッと聞いていた。
 話し終わったティファに、クラウドは1つゆるゆると溜め息を吐き出した。

「…そう…だったか…」

 クラウドの静かな声音に胃がギュッと縮こまり、新たな嘔気を誘う。
 だが、次の瞬間、ティファは強く抱きすくめられ、吐き気を完全に忘れさせられた。


「ティファ……辛かったな……」


 心の染みる一言。
 その一言だけでもう充分だった。


「うん……ごめんね…クラウド…」


 クラウドにギュッとしがみ付いたティファの声が、また涙で震えて掠れる。
 クラウドは抱きしめ直しながらクスッ…と笑った。

「どうして謝る?ティファは悪いことなどなにもしていない。あの女達こそ罰せられるべきだ。なんと言っても『不法侵入』なんだから」
「うん……でも……心配かけちゃって……子供たちにも…」
「良いんだ、それこそ『いまさら』だろ?」

 互いの顔が見えるようにクラウドは少しだけティファから離れた。
 ティファの顔がクシャリ、と歪んでいることですら、愛しくてたまらなくなる…。

「ティファ、俺達は『家族』なんだ。だから、『家族』を心配するのも、『家族』に心配かけるのも『家族』の特権だろ?」


 あぁ…、『家族』!
 なんて素敵な響き!


 ティファの胸に再び、言いようの無い至福が押し寄せてきた。
 そして、自分の左手薬指に嵌った指輪の存在がこの時、とても意識された。
 そう、本当の『家族』になるのだ、クラウドと。
 子供達もそうだ。
 既に本当の『家族』なんだから!


 ボロボロと涙を零すティファに笑みが広がるのを見て、クラウドは微笑みを深くした。
 そっと顔を寄せる。
 フィアンセとなった最初の朝のキスは、少しだけしょっぱい味がした。


「これからずっと…死んだ後もよろしく」


 おどけたようにそう言ったクラウドに、ティファは噴き出した。
 そうして、厚い胸板に頬を押し付けながら満面の笑みを浮かべた。


「こちらこそ、星に還った後までよろしくね」


 世界が輝いて感じられた朝のひと時だった。