涙 6「なにを考えてる?」 飛空挺の甲板に出て柵にもたれ、眼下に広がる紫雲を見つめているユフィに珍しくヴィンセントが声をかけたのは、敵の根城となっている村への到着まであと30分を切ったときだった。 空を突っ切って巻き起こる風の音に負けないよう、彼にしては珍しい大声にユフィはしかし、チラリとも目を向けなかった。 「別に」 声は届かないが、唇の動きでそう言ったことが分かる。 ヴィンセントはフッと短く息を吐き出すと、マントを大きくはためかせ、髪を風になぶらせながらユフィの風下に立った。 雲海の切れ間から緑の大地が見える。 ポツポツと点在する緑色の小山は、恐らく森林だ。 これほど上空から見てみると大きな森林も”ブロッコリー”のように見えるものなのだな…、と考え、ヴィンセントはガラにもなく、少しばかりユフィのことで気持ちが揺れているのだと苦笑したくなった。 そう、ガラにもなく気にしている。 ウータイからWRO本部へ戻る航行の間、シュリがリーブへゴドーからの話しを報告した。 シュリからの報告を聞いたリーブはモニターの中で頷くと、神妙な面持ちのままWROの編隊が予定通り終了したことを告げた。 それを聞いたユフィは…。 『なら、即刻このまま攻撃に移るっきゃないね』 そう言って、このまま本部に寄らず、出撃することを強く推した。 敵の根城はもう分かっていた。 ユフィがウータイに戻って父親から話を聞き、すぐにとんぼ返りするべくシエラ号に乗り込んだのもそのためだ。 WROの編隊が終了次第、即刻攻撃に向かうため…。 「タラタラしてる時間はこれっぽっちもないよ、アタシたちのことはリューガに筒抜けのはずだから。ウータイにアタシの知らない奴が1人いた。堂々と亀道楽でご飯してたけど、あの気配の殺し方、ちょっとした身のこなし…あれは旅行者じゃない。だから、今動かないとリューガに逃げられる。逃げられたら…、次の犠牲者が出るまでその存在が分からなくなる」 ユフィのその言葉に、リーブはやはり重々しく頷くと即刻、敵の根城に進軍することを伝え、通信を終えた。 ヴィンセントはその時のユフィの横顔を、感心しつつも気にしていた。 いくら、今回のことが精神的に大きく成長する糧となった…とは言え、こんな短期間であの破天荒娘が激変するはずがない。 なにより情に篤く、すぐ感情移入してウロウロするユフィが、1度も泣いていない。 勿論、今は泣くときではない。 しかし、弱音すら吐かないのはユフィらしくなさ過ぎる。 常のユフィならば、大げさに騒いでバタバタし、そうしているうちに本当に落ち着いてきてなんとかしてしまう…というパターンであるのに…。 ユフィらしからぬスタイルを保とうとする姿は、ヴィンセントを不安にさせた。 もっとも、その不安がまったく表面に出ていないので周りには気づかれないのだが、無表情という点ではクラウドも同じはず。 しかし、今回のことで動揺しているのはバッチリ周りにバレている。 …本人はあくまでいつもの『興味ないね』という姿勢を貫いているつもりなのだが…。 「ヴィンセント」 不意に名を呼ばれ、ヴィンセントはつい先ほど見た光景(仲間の顔)から意識を切り離した。 ユフィは相変わらず雲海を見つめている。 「もしも…だけど」 躊躇うようにして言葉を切り、そのまま2呼吸間を開ける。 「もしも…ルクレツィアがずっと、ヴィンセントのことを好きで……、それを隠すために宝条と一緒になった…ってのが事実だって話しを現在(いま)、知ったとしたら、どうする?」 ヴィンセントは目を見開いた。 今回の事件には全く関係もなく、今の今まで会話らしい会話をしていたわけでもないため、脈絡というもののない問いかけに思考が止まる。 息を呑んだまま固まるヴィンセントに、ユフィは初めて目を向けた。 その顔は悪戯っぽく笑っているのに、どこか痛々しかった。 「ごめん、ウソ。でもさ、ヴィンセントたちがアタシのことを心配してくれてることって、今アタシがヴィンセントに聞いたこととあんまり大差ないことなんだよね」 言いたいことが分からず片眉のみを押し下げるヴィンセントに、ユフィは柵に背中を預けるようにして空を見上げた。 雲は飛空挺の下。 ゆえに、上にはどこまでも夕暮れ特有のオレンジ色のインクを染み込ませた様な空しかない。 「考えても仕方ないってことだよ」 ユフィはそう言うと、身を起こして「ごめんね、ヴィンセント」と、ヒラヒラ片手を振りつつ艦内へと入っていった。 ヴィンセントはその背に声をかけることも、追う事も出来ないまま、ただ自分よりも小さい背を見送った。 その顔にはやがて、困ったような表情が浮かんでいた。 「確かに…」 考えても仕方ない。 ルクレツィアと宝条の名を出されたので動揺したが、それはガラにもなく余計な気を回してきたヴィンセントへのちょっとした意趣返しだろう。 だが、いくら考えても仕方ないこととは言え、それでも考えてしまうのが人間だ。 無理に己の本心を押し殺し、眼を背けて、己が真に求めることと真逆の行動を取らねばならないときは絶対にある。 しかしそれは時として更なる悲劇をその身にもたらすものでもあるのだ…。 「…そうならないように私たちがいる……か」 フルリ、と頭を振るとヴィンセントはゆったりとした足取りで艦内へと戻った。 一方で。 ティファは搭乗口にクラウドと並んで所在なげに視線をさ迷わせていた。 「ティファ」 ビクリッ、と揺れる肩口にクラウドはつい苦笑する。 おどおどした目が向けられ、苦笑が深まるのを自覚しながらポンポン、と彼女の頭に手を置いた。 デンゼルとマリンにするかのようなそれに、ティファはどういう顔をしていいのかわからない…と言わんばかりだったが、振り払ったりはしなかった。 「大丈夫だ」 ポンポンポン…と、撫でるように叩きながらクラウドは言う。 「ユフィは…アイツは案外根性がある。それに、アイツは1人じゃない。俺達がいるだろ?」 「……うん、でも…」 「ん?」 小首を傾げて続きを待つクラウドに、ティファは躊躇いながらも続けた。 「ユフィ……1度も泣いてない。無理…してるんだわ」 「あぁ、そうだな」 ギュッと手を拳に握り締めながらそう言ったティファに、クラウドは躊躇い無く頷いた。 その、少し冷たいとも言える反応に少しだけ非難するような目を向けつつ、ティファは黙ってクラウドを見上げる。 クラウドは搭乗口付近の壁に寄りかかりながら腕を組んだ。 「こんな状況だし、事情が事情だ。無理くらいする」 「…うん…そうだよね」 「それに、その”無理”を俺達がラクにしてやることも難しい」 「…うん」 「今回の任務そのものは俺たちで出来る限りのフォローはしてやれる。だけど、やっぱりアイツが抱えている”思い”や”過去”はアイツ1人がケリをつけないと前には進めない」 言葉を切って艦内に続く扉を見た。 仲間たちが集まる気配がする。 もうそろそろ、到着するのだろう。 「それに…ユフィなら大丈夫だ。意外と根性あるみたいだしな。それに…ケリをつけたとき、やっぱりアイツは1人じゃない。というよりも…」 ここでクラウドはティファを見た。 面白そうな色が浮かんでいる。 「周りが『放っておけ』って言ったって、任務が終わったその時はティファが絶対に1人にさせないだろ?」 ティファは目を見開いた。 そうして、クラウドの言わんとしていることが脳に浸透すると花が咲くような笑みを浮かべ、力いっぱい頷いた。 『目標到着地点まであと15分。総員、準備を』 シュリの艦内放送が響くと同時に当の本人が現れた。 既に搭乗口にいるクラウドとティファを見ても特にその表情を変えぬまま、耳元に手を伸ばすとハンズフリータイプの無線スイッチをカチリ、と切る。 「早いですね」 「まぁな」 クラウドは肩を竦めた。 シュリはティファへも視線を向けると、ジッと何かを探るような目で暫し見つめた。 その視線を前に落ち着かない気分でそわそわするティファを、クラウドがムッとしたような顔で背に庇う。 クラウドの表情を前に、普通の男なら焦るなり退散するなりするだろうが、シュリは普通の男ではなかった。 「早まらないで下さいね」 「なに…?」 背に庇ったままクラウドの眉根がさらに寄るのも気にせず、シュリは続ける。 「クラウドさんは皆さんの中でも落ち着いているようですからあまり心配はありませんが、ティファさんはまだ、激しく揺れているようですから」 怪訝な顔をするクラウドと、戸惑うティファを前に飄々とした態度を崩さないシュリは、そっとドアを見た。 人の気配が濃厚になったかと思うと、シド、ヴィンセント、そして今回の任務で一番辛い思いを味わっているはずのユフィが現れた。 しかし、まだ3人の耳に声が届く距離ではない。 「今回の任務、失敗すればこれから先も大勢の幼い子供が誘拐され、”ウータイの忍の亜流”として過酷な生活を…いわゆる洗脳を受けた日々を送らなくてはならなくなります」 クラウドとティファは息を呑んで目を丸くした。 2人の様子に仲間たちが気づく。 しかし、まだシュリの声が耳に入る距離にはいない。 シエラ号のエンジン音がゴウンゴウンと響いているからだ。 「このことは、今はお2人の胸の中にしまって下さい。ユフィさんは既にご存知ですけど、あえて口にして折角固まった心をかき乱すようなことはしたくない」 「なら、何故俺達に今、このタイミングで…」 非難するクラウドにシュリは淡々と言った。 「現状をしっかり把握しないと、お2人は…特にティファさんは気持ちが揺れてしまってどうしようもないでしょう?今は、1人たりとも欠かしたくないんですよ。敵の力量はクラウドさん、1度手合わせしたのだから分かるでしょ?ですが、絶対に勝つためにどうしても、となれば、そうも言っていられませんからね」 言外に、任務に支障があるようなら絶対に連れて行かないと宣告するシュリに、ティファはグッと唇を引き結んだ。 そのタイミングで、仲間たちがようやっと聴覚の働く距離に入る。 怪訝そうにシュリとクラウド、ティファの顔を見ながら何があったのか声をかけてくる。 しかし、クラウドもティファも、そしてシュリも答えない。 ただ、黙ったまま相手の目を見て逸らさない。 だがそれは、そんなに長い時間ではなく、後から合流した仲間が拍子抜けするほどあっさりと緊迫した空気は破られた。 「ありがと。大丈夫」 胸の前でグッと拳を握ったティファの顔を見て、シュリもまた軽く頭を下げた。 シドが何があったのか聞きたそうにクラウドの顔を見るが、クラウドが教えるはずもなく、逆にこういう時、一番うるさく何があったのか聞きせがむユフィが大人しいことこそが気になった。 しかし、それすらも今は気にしている場合ではない。 艦内にブザー音が鳴り響く。 目的地上空に到着した合図だった。 「それではみなさん」 シュリが一同を見渡す。 誰も怖気づいたり、迷ったりしている者はいなかった。 「絶対に1人たりとも敵を逃がすわけには行きません。大人は全員、捕縛するか…場合によっては生死を問いません。これは、WRO局長、リーブ・トゥエスティの意思です」 全員が強く頷く。 むろん、殺しはしない、生きたまま捕まえてみせる、という決意に満ちている。 そして搭乗口は、上空50メートルの位置で開かれた。 次々と英雄たちが身を空に躍らせる。 スカイボードによる降下先である目標地点には小さい村。 生まれたばかりのその村の主な建物は木製。 畑作を村の事業としているその村は、クラウドが先日、届け物をしたばかりの村。 そして、配達先の”ヴィレイ・パルトナ”こそが”リューガ・ウヅキ”だ。 負傷し、血溜まりの中ピクリとも動かないプライアデス、そして、まさに今、失神しているユフィに刀を突き立てようとした男の攻撃を防ぎ、退けたクラウドが驚愕したのはたった2日前のことだ。 淡い月明かりに浮かぶ陰影の濃いその顔は、どこか作り物めいていて生身の人間には見えなかったことをクラウドは覚えている。 どこかで見た顔だ、と考え、配達先の男であることにクラウドが気がついた時には既に男は女と一緒に煙幕に紛れて逃走を図っていた。 瀕死の重傷を負ったプライアデスと失神したユフィをWRO本部内の病院へ担ぎ込んだとき、クラウドはすぐリーブにそのことを伝えていた。 ゆえに、もう場所は分かっている。 しかし、ついにそのことをクラウドはユフィに言いそびれていた。 もしもリューガが荷物の配達人(クラウド)がユフィ殺害を妨害した男と同一人物だと気づいた可能性があると告げていたら、恐らくユフィはウータイへ真相を聞きに行かず、すぐ根城である村へ向かうよう強要したはずだ。 だがクラウドは逃亡される可能性を案じつつ、リューガやクレハのいる村へ進軍するという選択よりもユフィがウータイへ真相を聞きに行くことを優先させた。 無論、リューガたちのいる村をWROは見張っている。 今のところ、WROの斥候より村の人間が変な動きを見せているという報告は無い。 逃げ出していない…というのなら、恐らく罠を仕掛けて待ち構えているはずだ。 一瞬たりとも油断は許されない。 英雄たちは見る見る近づく大地に、村に、その敵本拠地に全神経を集中させた。 * 「来たよ、リューガ」 その部屋の中では女が1人、窓辺に寄って外を伺っている。 夕暮れだというのに部屋に明かりは無く、陰影濃い空間に静かに男が座っていた。 敵が迫っているというのに、小揺るぎもしない男は、小さく「そうか」と答えた。 決して臆しているわけでもなく、戦いを前に興奮しているわけでもない。 ただ、淡々と事実を事実として受け止め、待っているようだった。 「どこまで出来るかな?あのちっちゃなユフィに。私たちが世界中に散ってしまった”本物のウータイの忍”を見つけて集めた精鋭軍団を前にして…ね」 「さぁ」 小さく笑いながら窓辺を離れ、傍に来た女に男は興味なさそうな顔をしたままだった。 「リューガ」 「なんだ?」 「リューガ」 「……」 「本当に久しぶりよね、”リューガ”って呼ばれたのは」 「それを言うなら、お前が”クレハ”と呼ばれたのも久しぶりだろ?」 「ふふ、そうね。今はみんな、”リー”か”ナンさん”って呼ぶもの」 小さく笑う女に、リューガはこのとき初めて声音に”色”を混ぜた。 「後悔して無いか?」 その”色”はなんと言うべきものなのだろう? 心配か?不安か?それとも……憐憫か? そのどれでもないようでもあり、どれもがあてはまるようでもあるその声音に、クレハはきょとん…とするとまた小さく笑った。 「リューガはしてるの?」 「俺がすると思うのか?」 「ふふ、そうね。じゃあ、リューガは私が後悔してると思ってるの?」 微笑みながら迷い無く問いかけるクレハに、リューガはフッと口元を緩ませた。 「愚問だったな」 「そうよ」 「俺らしくない…か」 「その通りね」 リューガはもう一度小さく笑うと、今度こそその顔に酷薄で無情な仮面を被せた。 「これで…全てにケリをつける」 一国の王のような圧倒的な威圧感を発し、宣戦布告を口にする。 その時、部屋の片隅でそれまでジッと気配を殺し、時を待っていた黒い影がモゾリ、と動いた。 かと思うと、その存在は既にその部屋には無く、自分たちのあるべき場所へその身を速やかに移した。 そう、リューガはこの小さな村の王だった。 全ては祖先から受け継いだ”血”と”意思”、そして”忍の力”によるものだ。 軟弱な”ウータイ”から亜流と呼ばれ、本来立つべき場所に立てない日陰の道を行く一族を、リューガはどうしても許せなかった。 ずっと少年は思っていた。 力を持つものがそれを使わずして野に腐らせてなんとする?と。 そのせいで、少年の両親は死んだ。 持っている力を発揮させること無く死んだ。 死に顔は……少年にとって、吐き気がするほど穏やかだった。 理解…出来なかった。 何故、理不尽な死に対してまでそこまで従順でいられるのか。 持っている力を発揮せず、捨て置けば良いはずの命の盾となり、むざむざ下賎の輩に殺されたというのにその死に顔は笑っていた。 なにがおかしい? なにが楽しい? なにが…幸せか? 少年の中の疑問に応えてくれるものは誰もおらず、そうして少年は1人の少女と出会った。 癇癪持ちで傲慢で、鼻っ柱が強い少女。 祖父から聞かされた”開拓派”の長の一族に名を連ねている少女。 最初に沸いたのは憎しみ。 何の苦労も知らずのうのうと生きているその姿は嫌悪以外感じなかった。 しかし…。 「クレハ」 「なに?」 「ユフィは俺が殺(や)る」 「…そ。分かった」 「あの中にジェノバ戦役の英雄がいる。気を抜くなよ?」 「誰に言ってるの?」 「…愚問だったな」 「二回目ね」 「そうだな」 「らしくないわね」 「…そうだな」 「リューガ」 暮色がいよいよ色濃く増すせいで、窓から入る燃えるような明かりは、濃い影を室内に落とした。 その中でクレハはゆったりとした足取りでドアに向かいつつ、男の名を呼んだ。 「未来……見たいね」 「見るに決まってる」 「うん、そうだね」 スゥッ、と足を止める。 クレハはほんの少しだけ男を振り返った。 花が綻ぶような笑みを口元に湛える。 「じゃあ、行ってきます」 そうしてクレハは夕闇が迫ろうとしている外へと消えていった。 リューガは長い時間、そこに立っていたがやがて、その姿は霧のように、室内に立ち込める濃淡の影の一部のように霞んで消えた。 |