涙 8



 全身が激しく軋み、声にならない悲鳴を上げる。
 空気の塊が全身を圧迫し、押し上げられた感覚と共に胃の腑が競り上がる不快感。
 頭蓋骨の中で脳が揺さぶられるような…そんな感じ。

 背中から叩きつけられたからまだ良かったのか、それとも前からの方が良かったのか、ユフィには分からなかった。
 分かったのは、激痛と共に訪れた”死”の気配と、振り払われた”脱力感”。
 リューガの放った森羅万象は、確実に身体を”死”へと追いやろうとしているくせに、地下室に篭っていたお香の効力を吹き飛ばしてくれた。

(あぁ…そっか)

 床に爪を立てるようにして身体を起こそうと試みる。
 ぶるぶると震えながら腕を突っ張り、身体を起こしながらユフィは自分の身体がお香の効力から解かれた理由を知った。

 地下だから空気の流れは悪いものの、通風孔くらいあるに決まっている。
 しかも、この地下施設でリューガとクレハたちは子供たちの洗脳教育をしているのだから、一般的な通風孔よりもよりしっかりした作りになっているはずだ。
 そうでないと、森羅万象のような激しい大技を繰り出せるはずが無い。
 空気の流れが良い状態の場所でないと、放った本人までもが危険だ。

 しかし、お香の効力から解放されたとは言え、身体もガタガタだ。
 今度、同じ技を喰らったら確実に死ぬだろうし、同じ技でなくともリューガが本気の一振りをしただけでやはりあっさり殺される。

(む〜…マテリア、持って来れば良かったな)

 仲間たちの提唱する”マテリアのような星に負担がかかることは絶対にしない”という理念を律儀に守るだなんて、自分らしくない。
 よくよく考えれば、ポーション1つすら持って来ていないことに、こうなって気がつくとは。
 冷静になっていたつもりだったが、動揺していたことを知る。

「ほう。よく耐えたな」

 感心したようなリューガの呟きが耳に届く。
 一瞬、ユフィの口に挑戦的な笑みが浮かんだ。

「へへっ。アタシだって…少しは成長してるっつうの」
「そのようだな」

 素直に認めたリューガの言葉に、ユフィは微かに胸を突かれた。

(あの頃に…聞きたかったな)

 そう思う。
 幼い頃、リューガとクレハを疑うなどこれっぽっちもなかったあの頃にこそ聞きたかった。
 淡い恋心を抱いていたあの頃に…。

 しかし、そんなことを思うことすら、この場では命取りだ。
 あの頃とは何もかもが違うのだから、自分も…、彼も。

 リューガは自分を殺すことに何の躊躇いも無い。
 今、隙だらけの状態で立とうとしている自分に攻撃をしないのは、そんなことをしなくとも勝てると確信しているからに他ならない。
 幼馴染のよしみで”1人の忍として戦って死んだ”という状況にしてくれているわけでは決して無いのだ。
 ボロボロの状態で止めを刺す必要などない相手と見られているだけ…。
 当然、命乞いをさせるとか、仲間に勧誘するとか、そういう無駄をするつもりも無い。

(ったく…、どこまでも腹の立つ…!)

 渾身の力を振り絞って立ち上がったユフィを、リューガは攻撃することなくただ見ていた。
 ガクガクと膝が震え、へたり込みそうになるユフィに、しかしリューガは侮蔑も嘲笑もしない。
 淡々と冷酷にすら思える人形のような顔。
 ユフィは頬に走る切り傷を手の甲でグイッ、と拭った。
 肩で息をしながら、霞みそうになる目に力を込める。
 もう時間がない。
 なにしろ、もう少し粘っていたら仲間たちが来てくれることが分かっていたからだ。

 それまでになんとしても、自分の手で決着をつけなくてはならない。

 それは、ウータイの忍としての責務でもあり、ウータイの長の娘としての務めでもある。
 それに、自分以外の人間の手にかかるのは…見たくない。
 どこまでも手の届かない男だったが、最期くらいは…!


 そう、最期はこの手で。


 今の仲間は大切、当たり前だ。
 かけがえのない仲間たちだと思っているし絶対に失いたくない。
 だが、リューガとクレハも、やはり自分にとっては大切で…大切で…。
 こんな形になってしまったが、それでもやはり、かけがえの無い存在なのだ。
 憎めない、恨めない。
 どうしても…愛しいと感じてしまうのだからもうしょうがないではないか。
 そう、この気持ちはどうしようもないのだ。

 唐突にユフィは自分の中でドロドロとしていた感情がフッ…と軽くなったのを感じた。

 あぁ…そうだ…と突然悟った。

 どう足掻いても自分はリューガもクレハも憎めない。
 大好きなのだからしょうがない。
 リューガがクレハを自分よりも大切にしていたのが分かっていたから、クレハにはちょっと複雑なものを感じていたが、それでもやはり大好きだった。
 大好きで、大切で、目の前に敵として立っていてもそれでも、生きててくれて嬉しいと思ったのだ。

 だけど、WRO隊員やその家族、幼子を誘拐すると言う許しがたい犯罪を犯した者に対し、『生きててくれて嬉しい』とか、『大切だ』とか、そんな風に思うのは、被害者や仲間たちへの裏切りだと思った。
 だから、そう思ってしまわないように、無意識に自分でブレーキをかけていた。
 不自然なそのブレーキによって、精神が微妙にズレてしまった。
 だから、ポーションを1つも持ってこないというミスをしでかすのだ。

「ユフィ、お前は確かに成長したが、やはり愚かだな。そのまま寝ていればラクに死ねたものを」

 フラフラと立ち上がったユフィにリューガが言う。
 ユフィは笑った。

「へへ、アンタって相変わらずイヤな奴だよね」

 森羅万象で吹き飛ばされても尚、手放さなかった巨大手裏剣を握りなおす。

(これが…最後のチャンス!)

 痛みと疲労に震える全身に力を込め、構える。
 リューガの目がスウッ…と細められた。
 ボロボロの状態になって尚、諦めないユフィの姿に何かを感じたのかもしれないし、ターゲットの攻撃に身構えただけかもしれない。

「アンタはここでアタシが殺す」
「お前には無理だ」

 あっさり一蹴するリューガに、だがユフィはもうしゃべらなかった。
 渾身の力を込めて突進する。
 上体を出来うる限り前へ倒し、床を滑るように走るユフィにリューガもまた構える。
 その構えにユフィは確信した。

 平気な顔をしているリューガだが、左半身を若干庇っている。
 ようするにリューガもまた、構えに隙が出来てしまうほどダメージを受けているのだ。

(そりゃ、あんだけアタシも攻撃したんだし、少しくらいダメージ喰らってるってね!)

 小揺るぎもせず無表情のままだったので、リューガがノーダメージなのかと錯覚していたが、実はそうではなかった。
 ユフィほどではないかもしれないが、確かにダメージは受けていたのだ。
 それがどれくらいのものなのかは分からないが、ユフィは”左半身を庇っている状態”と言う目の前の情報に賭けるしかなかった。
 そして、ユフィには賭けに強いという自負がある。

 身体が悲鳴を上げるがそれを無視し、全身全霊を込めてリューガの左半身を狙い、回し蹴りを繰り出す。
 それをリューガは巨大手裏剣を構えながら、左腕でブロックしたかと思うと、恐ろしい音を立てながら手裏剣を横になぎ払った。
 ユフィの頭部を横一文字に切り裂こうとしたその一振りは、だが残像を切っただけ…。
 ユフィ本人は地面すれすれに身体を伏せ、リューガのがら空きになった顎を狙って再び思い切り蹴り上げる。
 宙でバック回転しながら繰り出したそれを、リューガは仰け反ることでやり過ごした。
 ユフィが床に両手で着いて思い切り後方へ飛んだそれを、リューガも豹のようにしなやかな動きで追う。
 そして、ユフィが両足を床につけて着地したと同時に手裏剣をたたきつけた。

 鈍い金属同士がぶつかる音が地下に響く。

 ギリギリと手裏剣同士で競り合いながら、ユフィとリューガは至近距離でにらみ合った。

「へっ、女の子相手に大人気(おとなげ)ないんじゃない?」
「敵に容赦はしない」
「敵でなくても容赦しないじゃん」
「俺は甘い人間じゃないからな」
「まったく…アンタって本当にイヤな奴!」
「今さらだ!」
「そうだね、今さらだったね!!」

 互いに最後の台詞で渾身の力を振り絞って相手を押し飛ばす。
 力は相殺されず、逆に互いの力のエネルギーをまとって2人の身体を後方へ吹き飛ばした。
 ユフィもリューガも、広さ30メートル四方はゆうにあるその地下室で、壁に激突するほど吹っ飛んだ。
 しかし激突する寸前、2人は図らずも同じ動作でクルリ、と宙で回転すると、両足を壁に着け、思い切り跳躍した。

 壁から放たれた弾丸のように、2人の距離が急速に縮まる。

 気合と共に振り上げた手裏剣の動き、身体の捻り方、その一つ一つがまるで鏡を見ているように同じだった。
 それは…、ユフィとリューガが幼い頃、共に修行したと言う証に他ならず…。
 体力と体格の差によって、同じ動きをするリューガの方に軍配が上がる結果が見えた。
 だが…。


(これで…最後!!)


 ここでユフィの動きがリューガの知らないそれになる。
 ユフィの耳元を轟音を立てて手裏剣がかすめ、空気の刃が頬に新たな傷を走らせた。
 しかし、ユフィは怯まない。
 がら空きになったリューガの体幹へ思い切り必殺技を繰り出す。


 ”生者必滅”


 手裏剣による15回連続攻撃。
 ヴィンセントに言わせると、『実にユフィらしい滅多切り』ということになるその技を、リューガも黙って喰らったりしない。

 1回、2回…3、4、5回!!

 リューガの手裏剣がユフィの攻撃を受け止める。
 しかし、ユフィの力は衰えるどころか苛烈さを増し、更に回数を重ねて重く、スピードも速くなる。

 バシッ!という激しい音と共に、とうとうリューガの手裏剣にヒビが入った。
 驚愕に目を見開く男に、ユフィは渾身の力を振り絞って15回目の攻撃を繰り出した。

 手裏剣を伝い、数本のアバラを折ったことをユフィは知ったとき、リューガは激しく天井に叩きつけられ、そのまま突き破って地下から飛び出してしまった。
 彼自身が先ほど放った森羅万象により、丁度天井にヒビが入っていたその場所に激突した結果だった。

 ユフィはその後を追うべく下肢に力を入れたが、繰り出した必殺技はそれを使ったユフィ自身にまでダメージを与えていた。
 思わず苦痛に顔が歪む。
 ギシギシと軋む身体に鞭を打ち、3回ほど大きく呼吸をして床を思い切り蹴り、飛び上がる。
 全身がこれまで以上の激痛に見舞われ、小さく呻きながらそれでもユフィはなんとか天井の上…、つまり小屋の中に舞い戻った。
 しかし、華麗な着地をするだけの余力など無い。
 せいぜい、倒れこまないように身体を立て直すだけで精一杯だ。
 そして、そんな満身創痍の状態でユフィが後を追ってくることを、リューガは見越していた。

 全身が総毛立つほどの悪寒。
 背後を取られたと知り、振り返る。
 ハッと息を呑む暇もない一瞬で、ユフィは左肩に灼熱を感じると同時に左肩を切られた勢いで無様に床を転がった。
 数回ゴロゴロと床を転がり、壁に身体を打ち付けて止まる。
 強かに後頭部を打ちつけ、一瞬意識が飛んだ。
 肩からの出血と全身のダメージは、とうとうユフィから立ち上がる力を奪い去った。

 だが、満身創痍はお互い様だ。
 リューガの狙いはユフィの首、ただ一箇所だったが狙いは逸れ、切りつけることに成功したのはユフィの肩口。
 リューガ自身、最後の攻撃だった。
 その攻撃を外してしまったのだ。
 かろうじて立ってはいたが、膝を曲げ、今にもへたり込みそうた。
 無表情を貫いていた顔が、初めて苦々しく、怒りに満ちた形相に変貌する。

「まったく…お前は昔からイライラさせる…!」

 息も切れ切れに怒りを吐き出すリューガに、ユフィは力なく床に伸びたまま口元を歪めて笑った。

「へへ…お互い様…だろ…?」
「お前は…いつもいつも……俺たちの…神経を逆撫でしてばかりで…!」
「ふへへ…。そんな…褒められたら…照れるじゃん」
「苦労らしい苦労も知らず……、のうのうと…」
「そりゃ…そうかも…ねぇ…」
「俺が…威嚇しても…ヘラヘラと…!」
「だって……しょうがないじゃん…好きだったんだから」

 憎悪に歪んだリューガの顔が、ユフィの最後の一言で驚愕のそれに変わる。
 ユフィは笑った。

「ハハ…なにその顔…。気づかなかった…とか?」

 リューガは答えない。
 目を見開き、床に無様に伸びたままのユフィを見つめる。
 ユフィは全身を襲う痛みが肩からの出血で徐々に鈍くなっていくのを感じていた。
 自分の荒い呼吸音ですら、どこか遠い。

(残されたチャンスは…ただ1度きり…か)

 先ほど繰り出した必殺技では、自分の出来る最高の攻撃を披露した。
 残されているのは、普段の自分からは考えられないほど平凡で、何の小手先も無く力も無いど素人のような攻撃。
 いまだ離さず握り締めている巨大手裏剣を放つ攻撃のみ。
 床に伸びたまま、手裏剣を放てるかどうか、それすら自分には分からない。
 分からないが、それでもやるしかない。

 誰の手でもなく、自分自身の手でケリをつけるために。

 しかし、そのユフィの決意を察知したわけではないだろうが、突然リューガが大笑(たいしょう)した。
 頭を仰け反らせ、腹を抱えて笑う。
 訝しげに目を眇めたユフィに、笑いを収めたリューガが再び顔を戻したが、その目は狂気に血走っていた。

「お前は本当におめでたい!俺たちの屈辱を知りもしないで、今、またそのような戯言(たわごと)をこの耳に入れるとは!!」

 何がリューガの逆鱗に触れたのたユフィには分からない。
 分からないが、逆鱗に触れたことでリューガが再び力を取り戻したことだけは分かった。
 呆けた状態のときに攻撃をしておくべきだったと悔やむがもう遅い。

「ウータイの一族と言う貴重な存在を世に埋もれさせ、その真価を一族自身にすら教えず無為に時に埋没させてきた愚者の血を引くお前に、俺たちの無念さが分かるか!?」

 唾を飛ばし、罵倒するリューガの血を吐くような叫びにユフィは初めてリューガ・ウヅキという男に触れた気がした。

「”世の平和のために””人々のために”そればかりを提唱し、我らの真価を貶め存在と力を隠したが故に見ろ!神羅につけ込まれてどうなった?!お前たちの平和ボケのせいだろうが!!」

 神羅侵攻の話しが突然出てきてユフィは息を呑んだ。
 リューガは止まらない。

「どれほどお前を殺したかったか!名ばかりの”長(おさ)”の血を引くお前を、父親もろとも抹殺したいという気持ちをどんな思いで抑え、屈辱の日々を耐えてきたか!」

 ユフィは応えない。
 何も言えない。

 あぁ、自分はここまで憎まれていたのか…と、改めて思っただけ。
 痛むはずの胸はそれでも痛くは無かった。
 もうそれを感じるだけの力が残っていないだけなのかもしれない…。

 血走った目でユフィを睨み、リューガが腕を振り上げた。
 ユフィと同じく、リューガはヒビの入った手裏剣を手放してはいなかった。

「死ね!」

 リューガがたった一言、ユフィに呪いの言葉を吐き出すと同時に手裏剣を投げつけた。
 ユフィも横たわったまま身を捩るようにして渾身の力を込めて手裏剣を投げる。
 力の差は歴然としていた。
 諦めにも似た気持ちが虚無感となって襲う。
 目を閉じる間もなく、自身に迫る死神の鎌を見つめる。
 己が放った手裏剣があっけなくリューガのそれに弾き飛ばされたのがやけにゆっくりと見えた。

(あぁ…ここまでかぁ…)

 仲間たちをはじめ、被害者たちはリューガとクレハを決して許さないだろう。
 生きて更正を促すことなど論外だ。
 そんなやわな人間じゃないことは、仲間たちにも分かっているはずだ。
 それに、2人が生きていると、まだ世に分散しているはずの”ウータイの忍の亜流”たちがいつか再び徒党を組むことにもなりうる。

 殺したかったわけではない。
 2人の存在を世から消したかったわけではない。
 そうではなくて、これ以上リューガとクレハが原因で苦しむ人たちを生み出したくなかっただけ。
 これ以上、2人が世の人たちに憎まれるようなことになって欲しくなかっただけ。

 闇に身を置き、より深い漆黒の闇に落ちようとする2人を止めたかっただけ。

 ただ…それだけなのに…。


(神様は…いじわるだな…)


 たった一つの願いすら叶えてくれない。
 迫る”死”を前に、ユフィはゆっくり目を閉じた。
 その閉じた瞼の裏に見えたのは、リューガとクレハという2人の幼馴染と共に過ごした幼い日々ではなく…。

 クラウドの呆れた顔。
 ティファの笑顔。
 ナナキのちょっと大人ぶろうと頑張っている背伸びしている顔。
 バレットの豪快な笑み。
 シドが満足そうに一服している横顔。
 リーブが局長という激務の合間、ほんの少しホッとした顔をしてコーヒーを美味しそうに啜っている顔。
 ヴィンセントのムッツリとした姿。

 そして…。


『ユフィ、ダメだよ』


 ウェーブのかかった茶色い髪を結った深緑の瞳を持つ彼女の微笑み。


『まだ、こっちに来るのは早すぎる……でしょ?』


(エアリス…)


 ユフィはハッ!と目を開けた。