「ごめんなぁ、女の子同士の友情についつい聞き入っちゃってさぁ」

 陽気に笑うザックスに、エアリスは盗み聞きされていたと知ったが、不思議と腹は立たなかった代わり、とても気恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。







人魚姫の恋 11








「それにしても、すごい肝の据わったお姫様だよなぁ」

 エアリスをベンチに座りなおさせ、隣に腰をかけてザックスは笑った。
 その笑顔が何故か無性に悲しく感じてエアリスを戸惑わせる。
 いや、もう分かってる。
 彼の瞳に自分以外の女性が写ることがイヤだ。
 はっきりそう自覚すると、その想いがもう止められなくなってしまった。

(ど、どうしよう…)

 明日、この人は他の人と結婚するというのに。
 しかも、自分はたった今、生き延びるための『選択肢』を広げるために足掻こうと決めたところだ、こんなところで立ち止まっている時間は1分、1秒もない。
 それなのに、ザックスが現れたことで完全にその勢いが削がれてしまい、代わりにもっともっと、彼とこうして過ごしたいと願ってしまっている。

(だ、だめだめ!早く他の方法を考えないといけないんだから!)

 そうは思うのだが、実際、具体的にどうやって何を打開していったら良いのやら…。

「なぁ、エアリス」

 陽気な声音から一変、真面目な声にドキーッ!とする。
 心臓がバクバク鼓動を早め、顔に血が集中する。

(し、心臓に悪い…)

 胸を押さえながら恐る恐る盗み見る。
 ザックスは『王子』の顔をして真っ直ぐ前を見たまま口を開いた。

「俺はこの国の第一王子だ。隣国である『ハイウィンド王家』と敵対するわけにはいかない。そんなことになれば、民が苦しむ」

 トクン…。
 心臓の鼓動が緩やかになる。
 そうだ。
 彼はこの国の第一王子。
 ティファ王女を妻に迎えることは、すなわち国同士のつながりをより強固にし、民の平安を守るための『道』であり、『道具』でもある。
 ティファもそれを十分分かっているからこそ、クラウドへの想いを抱えたまま、彼の兄であるザックスに嫁ぐと決めた。
 その逆も然り(しかり)。
 ザックスも『第一王子』としての務めを果たさなくてはならない。
 一見、陽気であまりそういう『重い責務』を感じさせない人だが、彼はその重圧を背負っている。
 だから、今回の婚姻も務めとして受け止め、明日に臨もうとしているのだ…。
 少なくとも、エアリスはそう思っていた。
 心臓が痛い。
 ティファの美しい花嫁姿が簡単に想像出来てしまう。
 純白のウエディングドレス姿でザックスの隣に立つ彼女の姿。
 国民の前で祝福される2人の姿。

 それは、エアリスをとても苦しめる光景だ。
 そして、クラウドも…。

 が…。

「それでもさぁ、弟の想い人と結婚ってなんか、かな〜り、すっげぇイヤなんだよなぁ…」
 はぁ〜〜…。

 盛大なため息と共にガックリとうな垂れる。
 エアリスは目を丸くした。

「だってさぁ、ティナ…、じゃない、ティファ姫もクラウドのこと、好きなんだろう?それなのに、『はい、国のために結婚します』って言えるか?」
 無理だよなぁ〜?

 うな垂れたまま、顔だけを横に向けて縋るようにエアリスを見る。
 エアリスは戸惑いながらも、
(ザックス王子がティファ姫と結婚せずに済んだら……)
 と、思わずにはいられず、ついコックリと頷いてしまった。
 途端、
「だよな、だよな〜!エアリスならそう言ってくれると思った!!」
 パッと顔を輝かせたザックスに思い切り抱きしめられた。
 抱きしめられたのは一瞬。
 固まっている間もなく、エアリスはザックスに両肩をしっかと掴まれ、至近距離から覗き込まれた。

「クラウドが結婚したら良いと思わないか?そうしたら、クラウドもティファ姫も幸せになって万々歳!」

 キラキラと目を輝かせるザックスに、エアリスは目を白黒させるばかりだ。
 ザックスは自分の提案にすっかり酔いしれている。

「大体さぁ、クラウドも男らしく『その結婚待ったー!』とか言えば良いのによぉ。まぁ、そんなこと、あの場で言える勇者はいないけどさぁ。父上、それはそれは怖いから…。でも、少しくらい『ちょっと待った!』ってオーラを出しても良いだろうに」

 う〜〜ん…。
 空を仰いでため息をつく。
 エアリスがメモを書く暇など全くないペースで、ザックスはポン…と手を叩いた。

「そうだ、エアリスどっか行こうとしてたっけ?」

 突然の話の切り替わりについていけない。
 首を傾げる彼女に、ザックスは「ほら、なんかこけそうになる前、すっげぇ勢いよくどっかに行こうとしてただろ?」と言う。

 あぁ。
 そうだった…。

 エアリスは戸惑った。
 クラウドを殺さないと自分が死んでしまう、という説明をしても良いのかどうか。
 いや、やはりそれはダメだろう。
 なら…どうする?

 エアリスはザックスの紺碧の瞳に見つめられてどぎまぎしながら、ペンを走らせた。
 メモを追うザックスの瞳があっという間に驚愕と焦りに染まる。

「おい…なんだよそれ!『毒薬を飲まされたから足が痛むようになったことを思い出した』って!」

 さらにエアリスはペンを走らせた。

「は?『毒薬の副作用で記憶が半分以上欠落してしまったけど、少しずつ思い出してきた』ってか!?その毒薬ってどんなんだよ!」

 エアリスは首を振った。
 まさか、『尾びれを人間の足にする薬』だなんて死んでも言えない。
 ザックスは髪をくしゃくしゃと掻き乱しながら、慌てて立ち上がった。

「そういうこと、早く言えよな!こんなところで感傷に浸ったり、アホな想像して『一件落着』だなんて言ってる場合じゃないっつうの!」

 そう叫ぶや否や、エアリスを抱きかかえて全力疾走し始めた。
 いきなり抱き上げられることにはいつまでたっても慣れない。
 ましてや、今回は全力疾走だ。
 クラウドの伯母が来た時とはスピードが違う。
 目の回りそうな勢いに飲まれ、気がついたときにはエアリスは大きなドアの前に立たされていた。

「ここ、シャルア博士の部屋だ」

 フラフラするエアリスをそっと支えながらドアをノックする。
 少しして不機嫌そうな声で応答があった。
 ザックスが名乗りを上げると、ややあってドアが開き、隻眼の美女がドアの隙間から顔を出した。

「殿下。明日のためにもうお休みになられなくてはならないんじゃないですか?」

 顔が出るだけしかドアを開けない博士に、ザックスはヘラリ…と笑った。

「いやぁ、実は、博士にどうしても『今』、早急に対応して欲しい事態が起こりまして」

 博士の隻眼がちらり、とエアリスに向けられる。
 面白そうに目を細め、もう一度ザックスを見た。

「結婚前夜に他の女性と一緒にいるとは、これまた大問題。誰かに見られはしませんでしたか?」
「大丈夫!俺様の極秘ルートを通ってきた」

 親指を立ててニッカリ笑うザックスに、シャルアはドアを大きく開けた。
 促されてエアリスも中に入る。
 そのままエアリスは目を丸くした。

「あ……」
(ティファ姫!?)

 先ほど別れたばかりのティファがいた。
 目が真っ赤になっている。
 聞くまでもなく、泣いていたことは一目瞭然だ。
 ザックスもまさかティファがいたとは思わなかったらしく、
「あっちゃ〜……」
 と呻くと、片手で顔を覆った。
 まずいところを見られた!と、お互いに思っていることが痛いくらいに伝わってくる。
 エアリスも同感だった。
 ティファに『お友達になって』と言われた矢先、結婚相手である王子とこんな時間に一緒にいるのだから。

「まぁ、2人ともそこに座りなさい」

 クスクス、と笑いながら博士はエアリスとザックスに椅子を勧め、自身は手近な椅子に腰をかけた。
 非常に気まずい思いをしながらぎこちなく椅子に腰掛けた2人に、ティファもそわそわと俯き加減に身体を揺すっている。
 何しろ、明日の結婚が『イヤ』だからこそ、泣きはらしているというのにその結婚相手が目の前に現れたのだから、気まずいなんてものじゃない。
 博士は相変わらず面白いものを見ているかのように笑みを浮かべていたが、ザックスをひた…と見つめた。

「それで殿下、早急に対処しなくてはならない事態とは?」

 ザックスは少しだけまごつきながら、ティファを極力見ないようにして口を開いた。

「その…、エアリスなんですが…」

 緊張しながら、先ほどエアリスが教えてくれたことを簡単に説明した。
 そわそわしていたティファがびっくりしてエアリスを見つめたのに対し、シャルア博士はどこまでも冷静だった。
 ザックスが話している間、考える風でもなくエアリスを見る。
 まるで観察しているようだ…。
 エアリスは居心地の悪い思いをしながら、その視線に耐えた。

(ウ…ウソは言ってないもんね。『尾びれを人間の足にする薬』を『毒』って表現しただけだし…)

 自分にそう言い聞かせているあたり、後ろめたさ満載なのだが、必死にこの急場を乗り切ることだけを考えているので気づかない…。
 ザックスの短い説明が終わっても、シャルアはジーッとエアリスを見ていた。
 気まずい沈黙。
 最初にそれを破ったのは博士だった。

「ふ〜〜ん、そう。『毒』のせいで…ねぇ…」

 あからさまに『怪しい』と言われている。
 エアリスは肝が冷える思いだった。
 ザックスは反対に、博士のその『不審者』を見る目が気に入らなかったらしい。
「博士、いくら博士でもエアリスをそんな風に見るのは正直、良い気分はしない」
 スパッ!と言い放った。
 ティファがちょっと驚いて目を丸くしたが、ザックスはそれに気づかないまま、シャルアを睨むようにして見ている。
 エアリスは逆に、ティファの目の前でザックスが自分を庇ってくれたことに感動しながらも、彼がまずい立場に立ってしまうのでは!?と気が気ではなかった。

「ふふ、良いねぇ、それくらいの気質がクラウド殿下にもあれば良かったのに」

 ピクリ。
 3人はそれぞれ眉や頬を振るわせた。
 中でも一番顕著に動揺したのはやはり…。

「クラウド殿下がもしも本当に、姪の言うとおりの気質を持っておられたなら、王に楯突いてでも今回の婚姻は阻止して見せたのに」
「伯母様!!」

 真っ赤になって大声を上げたティファに、エアリスとザックスは暫し固まった。

「…お、伯母さま〜!?」
(…うそ〜…!?)

 だって、ティファ…、いや、『ティナ』は、シャルア博士の『従兄弟のハトコの従兄弟の子供』、いわゆる『遠縁』だと言っていたではないか。

 ビックリして固まる2人に、シャルアはクックック、と身体を揺すって笑った。

「あぁ、いいね、その反応。そう、ティファは私の『姪っ子』ですよ。すいませんね、『従兄弟のハトコの従兄弟の子供』じゃなくて」
 あ〜、可笑しい。

 隻眼を笑いすぎて潤ませながら博士は闊達にそう言ってのけた。
 あまりにもあっけらかんと言われすぎて突っ込めない。
 唯一、ザックスが一言、
「なるほど…だから父上や母上と同じ貴賓列に座っておられたのか…」
 と言っただけ…。

(つ、強い…)

 エアリスが思わず唸るほど、彼女は強かった。
 流石、第二王子をその気迫だけで黙らせた女性だ。
 その女性と同じ血を少しとは言え引いているティファは、心底強いんだろうなぁ…と少しずれたことを考える。

「それで、話を元に戻すけどエアリス殿の状態がそんなに悪い…ということで?」
「あ、あぁ、そうみたいなんだ」

 ハッと我に返ってザックスが身を乗り出した。
 エアリスも顔をこわばらせる。
 ここでシャルアの協力が得られなければ、恐らくこの国で打開策を見つけるのは不可能だろう…。

 シャルアは暫く考え込んでいたようだが、ふとティファに目をやった。

「ティファ、『あの子』は今、どのあたりにいるか分かる?」
「えっと…、確か明日の式には到着する予定ですから、ハイウィンド国とバレンタイン国の境目までは来ていると思います」
「そっか〜…。ちょっと遠いね。じゃあ、仕方ない」

 席を立つと、奥の部屋へと消えていった。
 やがて、さして時間をかけずに戻ってきた彼女の手には小さな茶色の瓶。
 イカ魔法使いが寄越した薬の瓶に良く似ていた。

「これで急場はしのげると思う」
「本当か!?」
「えぇ、完全に治すためにはこの薬では足りませんけど、今が大事みたいですからね。とりあえずはこれでなんとか時間稼ぎをします」
「時間稼ぎ…?」

 顔を輝かせたザックスに淡々と説明する博士に、ティファが怪訝そうに眉根を寄せた。
 シャルアはエアリスの前に膝を着くと目を真っ直ぐ見つめた。

「これはあなたが飲んだ薬の解毒薬…というわけではありません。ただ、命が短くなる時間を遅く出来るだけの代物。あなたが飲んだ薬を解毒するためにはこの国にある薬草等では追いつきません」

 エアリスは息を呑んだ。
 ここまで言い切れる…ということが理解出来ない。
 海底に潜む魔法使いの『魔法の薬』をまるで知っているかのような口ぶり…。
 シャルアは微笑んだ。

「大丈夫。これを飲んだところで『毒』にはなりませんから。とりあえず、今、一瓶飲んでてください。後は、朝食後、昼食後、夕食後の1日3回服用して下さいね。まぁ、夕食後の薬を飲むことはないでしょう。もっと有効な方法がとれるようになっているはずですから」
「…ほんとにこれ、効くのか?」
「疑うなら飲んで頂かなくて結構」
「い、いやいや、そんな疑ってなんかないって〜」

 疑わしそうな顔をしたザックスにシャルアの隻眼が光る。
 慌てて作り笑いを浮かべたザックスの隣で、エアリスは小瓶を受け取った。
 そっとふたを開けると、なんとも言えない『薬のにおい』が鼻につく。
 思わず顔をしかめたエアリスに、
「大丈夫よ。伯母様の薬は苦いけどちゃんとバッチリ効くから。ほら、『良薬は口に苦し』って言うじゃない?あれだと思って飲んでみて?」
 ティファが励ますように声をかけた。
 姪っ子の言葉にシャルアは優しい微笑を浮かべ、
「まったく、この国の両殿下はどうして肝心なところで尻込みするのかしら」
 ザックスをジト目で睨みつけた。
 シラ〜ッとその視線から目をそらせたザックスを、ティファがクスリ…と笑う。
 エアリスは息を思い切り吸い込んで一気に呷った。

 喉に苦いものが広がったが、胃の中で薬は苦いものではなく、なんだか甘いものになったような気がした。
 覚悟したほどではない薬だったことにホッとする。

 エアリスの表情を見て、ザックスも一安心したようだ。
 なんとなく顔を見合わせてニッコリ笑い合う。

「あ……なるほど…」

 そんな2人を見て、ティファが呟いた。
 シャルアがしたり顔で、
「そうなんだよねぇ。だから、何が何でも今日の昼間、クラウド王子には動いてもらいたかったんだけど…ったく、あの王子、使えないわ」
 そうぼやいた。
 エアリスは2人のやり取りがあまり聞こえていなかったので、最後に聞こえた『クラウド王子には動いてもらいたかった〜』という台詞に小首を傾げた。
 ザックスはバッチリ全部聞いていたらしく、耳の端まで真っ赤になって、
「博士!そんなことは良いから!ってか、ティファ王女、その…なんというか、あなたが云々ではなくて…!」
 と必死になって弁明する。
 ティファは笑ってそれを甘受しようとしたが、
「当たり前でしょう!?自慢の姪っ子を色々と言う不届き者がもしもいたら、全身全霊、『ルーイ家』の全てを賭けて殲滅します」
 シャルアの底冷えする笑みと台詞にザックスとエアリスはガッチン!と固まった。

「ま、それこそそんなことは今となってはどうでも良いことです。問題は明日どうするか…」

 3人の表情が強張った。
 そう、問題は明日だ。
 既にティファとザックスはお互いに想っている人がいることが知れてしまった。
 しかもその相手がごくごく身近にいるという状況。
 滅多に会わない相手なら、まだ甘んじて受け入れられたかもしれない『婚姻』だが、頻繁に顔を合わせることが明白な上、ゆくゆく『積もり積もった想い』が暴走し、それがきっかけで国が滅びてしまうことにもなりかねない。

 …まぁ、今のクラウド王子なら、兄を殺してまでティファを欲するとは思えないのだが、人間、変われば変わるものだ。
 将来のことなど分からない。

 となると…。

「やっぱり、ここはティファとザックス殿下に腹を括ってもらうしかないでしょうねぇ」

 キラリ。
 めがねのふちを光らせながら、シャルアが2人を交互に見た。
 何を言われるのやら…!?
 ザックスとティファの顔が引きつったのをエアリスは見た。

 そうして、シャルアは顔を寄せて3人に話した。
 とてもとても簡単そうな口ぶりで。
 3人の表情が強張り、引きつり、最後は絶叫しそうな顔になったのに、それでもシャルアの表情は変わらなかった。

「これくらい出来ないなら、2人は我慢して結婚するしかないね」

 淡々とそう言ってのけたシャルア博士に、3人は呆然と見つめ返した。

 シンシンと結婚前夜の夜が更ける…。