シャルアのくれた薬が効いたようだ。 その日の晩、エアリスは久しぶりにぐっすり眠ることが出来た…、と起きてみて実感した。 例え、寝る前に、 ―『エアリス…俺、かなりわがままなこと言ってる自覚がある。でも、やっぱ自分を抑えて…ってのは俺のキャラに合わないと思うし、俺自身がイヤだからさ。だから、最後まで付き合って欲しいんだ。そしたら……、ちゃんと全部終わったら、きちんと『言う』から』― いつの間にやら自分の心に住み着いた人がそんな心震える言葉をくれたとしても、ガッツリと寝た! きっと、いつもどおりだったら胸がバクバクしてとてもじゃないが眠れなかったはず…。 (よしつ!体調は万全!頑張るわよ!!) 昨夜、彼からもらった言葉に頬を染める。 1つ大きく心呼吸をして…。 窓から惜しみなく注がれる陽の光を燦々と浴びて、エアリスは拳を握りしめた。 人魚姫の恋 12国中に第一王子の結婚が通達されたのは当日の早朝だった。 はた迷惑な城からのラッパにたたき起こされた善良な国民たちだったが、ヴィンセント王の日ごろの善政による恩恵を実感・感謝していたので、その急な知らせに色めき立ち、歓声を上げた。 まぁ、当然だがパレードといった類の『国民へのお披露目』は後日行うこととなり、とりあえずは『正当な式』と『城のバルコニーからのお披露目』のみとなった。 そんな城下の事情は知らないまま、エアリスはだだっ広い廊下を歩いていた。 途中、いく人もの城の人間に出会ったが、どの使用人、兵士、重臣も今日の式に忙殺されていてエアリスを見咎める余裕もない様子だった。 そんな、異様な雰囲気の中、エアリスは目的の荘厳な創りのドアの前に立った。 辿り着くまで何の障害もなかったのだがここにきてエアリスは足を止めざるを得ない状況になってしまった。 ドアの左右を固めていた衛兵が無表情のまま槍を交差させ、ノック1つすることですら許さなかったからだ。 ところが、エアリスを追い返そうとした衛兵を阻むべく、絶妙のタイミングで中からドアが開けられる。 顔を出したのは今日の主役の1人、ザックス第一王子。 衛兵が慌てる中、ザックスは全く気にすることなくエアリスの訪室を歓迎した。 「いいか、式が始まるまで俺はここから絶対に出るなと言われているが、誰も入れるなとは言われていない」 エアリスを部屋に入れようとしたザックスを止める衛兵に、ザックスはいかめしい顔つきでそういった。 二の句が告げない衛兵の鼻先でぴしゃり!とドアを閉める。 廊下に残された形になった2人の衛兵は、暫し呆然と閉められたドアを見つめていた。 「…本当に殿下のお言葉に従って良いと思うか?」 「………さぁ」 「………」 「…しかし、殿下に意見を申し上げられるか?」 「……無理だな」 「……だな」 そんな衛兵2人の嘆きなど知らず、エアリスは招き入れられた部屋の豪壮さにただただ目を丸くしていた。 「なに?」 ふいに横から顔を覗き込まれてエアリスは慌てて首を横に振った。 ザックスはちょっと可笑しそうに顔を緩めた。 それが少しだけ憎らしく思ってエアリスは顔をしかめて見せた。 大体、こんな大切な日に一番緊張してておかしくない人間がなんでこんなに余裕なわけ? まるでその声が聞こえたかのように第一王子はニッカリ笑った。 「ま、なるようにしかならないって思ったら、腹も括れたってところかな」 ところで、この格好どう? 余裕ぶった彼の仕草がなんとも悔しく感じてついつい『なんてことないわ!』って言いたくなったが、しかしそれも『子供』っぽく思えたので、皮肉をグッと堪え、ザックスを見た。 金糸で縁取られた白いタキシード姿の彼にとてもそれらが似合っていた。 紺碧の瞳に漆黒の髪が良く映える。 (だけど) ザックスの隣に、ここにはいない彼の弟の姿がふいに浮かんで消えた。 同じ服を身にまとった青年の姿。 金髪と紺碧の瞳が白い衣裳にとても映えるその姿が。 (ザックス王子も素敵だけど、きっと…クラウド王子も素敵でしょうね) そして、そんな素敵な彼の隣に立つに相応しい花嫁は…。 ニッコリ笑って、エアリスは口パクで伝えた。 それを見て、ザックスは一瞬、変な顔をした。 エアリスが自分の格好を見た感想ではないことを言ったからなのだが、エアリスには分からない。 一瞬だけ見せたその『変な顔』に小首を傾げる。 「ったく…、目の前にいるイイ男よりもその弟カップルの方が気になるってどうよ…」 小さなぼやきは、エアリスの耳にはギリギリ届かなかった。 「ま、なんとかなるさ。第一、俺もティファ姫も腹括ったんだからさ。なんとかなるに決まってる!」 こぶしを握り締め、芝居がかったその台詞。 エアリスは吹き出した。 本当にこの男性(ひと)は豪胆な人だとしみじみ思う。 同時に、彼が今日の式を無事に切り抜けられた時に告げてくれるという『話し』に期待で胸が弾む。 だが、同じくらい緊張もする。 それは、彼が何を言ってくれるか…という甘い期待ゆえの緊張ではない。 自分の正体を知られたらどうなるだろう…?という緊張。 ポセイドン一族は人間にその正体をバラしてはいけない。 存在を知られてはいけない。 それが海の世界の掟。 しかし…、とも思う。 そんな一線を引いた状態で彼とこれから先のことを考えられるのか?…と。 答えは考えるまでもなく『ノー』だ。 真正面から向き合ってくれる人に対し、隠し事を抱えて向き合うことなんか出来ない。 それに、もうそろそろ本当に帰らなくては。 妹姫たちが自分の無事を確認に来るのは、恐らく今日の夜か明日くらいだろう…。 そのときまでにある程度の『覚悟』を自分も固めていなくてはならない。 なんの『覚悟』もないまま、この先を考えることはできやしない。 「エアリス?」 考え込んだエアリスに、ザックスが目を眇めた。 (あら…また1人でグルグル考えちゃった…。心配…してくれてるのかな…?) 自分こそ、今日は大変な一日になるだろうに、こうして気にかけてくれるこの人が好きだ。 認めてしまうととても簡単で、とても素敵な感情が胸いっぱいにこみ上げてくる。 その感情を素直にあらわし、エアリスはニッコリ笑って見せた。 ザックスがちょっとだけ、目を見開いたように思ったが、ちょうどタイミング良く式が始まる旨を伝えに女官長の呼び声がドアの外からかけられ、エアリスはそれ以上考える余裕もなくそっと窓際へ引き下がった。 「あ〜……、クラウドに惹かれたままでなくってほんっとうに良かった…」 ドアをくぐりながら思わず口をついて出たザックスの言葉は、幸いかな、誰にも聞かれることなく空気に溶けた。 そうして…。 (うわ〜〜…!) 海底神殿も素晴らしい建造物だが、エアリスが参列している『教会』は、それを上回る美しさだった。 威風堂々たるその佇まいだが、細かなところまで繊細な飾り細工が施されており、いくら時間があっても足りないくらい、1つの建物の中に宝物が詰まっている、そんな感じだった。 そして、その豪壮な教会はバレンタイン王国城の敷地、ちょうど中央に位置する場所にある。 天井からは豪華なシャンデリアがつるされていて、まるで星空をそっくりそのまま持ってきたかのように煌いている。 その豪華な教会の祭壇の前に、今、ザックスが立っていた。 壇を挟んだ向かいには、少し恰幅の良い神父が立っている。 人のよさそうな面立ち、白髪、白ひげの壮年の神父だ。 ザックスの立っている右側の客席最前列には、両親である国王、王妃と並び、クラウドの姿もあった。 後ろの方の客席についていたエアリスには、彼がどんな表情をしているのかまでは分からない。 (クラウド王子…) ザックスとティファ姫がどんな決意をしたのか、クラウドは知っているのだろうか? …いや、知るはずがない。 昨日の夜遅くに固めた『決意』を、話す暇があったとは思えない。 (……辛いだろうな…) ティファがザックスに嫁ぐ決意を固めた、と信じているクラウドにとって、この式はどれほど辛いものだろうか。 第二王子であるが故、クラウドは感情に任せて自由に行動できない立場にある。 第一王子であるザックスと第一王女であるティファにそれぞれ課せられた『使命』があるように、第二王子には第二王子としての務めがある。 おいそれと『好きな人だから、その結婚待った!』など言えたものではない。 (…仮に…) 仮に。 クラウドが『結婚反対!』と異議を唱えるとしよう。 そしたらどうなる? (…やっぱり…) 第一王子との仲が一気に悪くなるどころか、下手したら『逆賊』として牢に放り込まれるだろう。 当然、第二王子としての位(くらい)も剥奪される危険だってあるわけだ。 (さらに〜…) クラウドの行動は『愚行』として、諸外国に知れ渡ることとなり、バレンタイン王国、とりわけ国王と王妃の評判は地に落ちる。 当たり前だが、ハイウィンド王国との関係もギクシャクすること間違いない。 (そんでもって〜…) ザックスとティファは、そんなクラウドの目の前で『夫婦』をしていかなくてはならなくなる。 それはどんなにか双方に居心地の悪いことになるか…。 (昨夜、シャルア博士は『攫っていくくらいの気概がないとは!』みたいなこと言ってたけど、普通で考えたらやっぱり無理…だよねぇ…) いささか、クラウドに対して酷評だった博士の言葉を思い返し、エアリスは口元に微苦笑を浮かべた。 オルガンの旋律が会堂内に響き渡り、エアリスはドアを振り向いた。 ドアが開く。 純白のウエディングドレスに身を包み、ベールで顔を覆ってる美しい『花嫁』の登場だ。 腕を組んでいるのは、壮年とは言いがたいくらいに若々しいハイウィンド国王その人だろう。 (わ〜…若いなぁ。いくつくらいなのかしら…?) ゆっくり、ゆっくりと音楽に合わせて2人がバージンロードを歩く。 ゆっくり、ゆっくりと2人がエアリスの前を、その更に前列の人たちの前を通り過ぎる。 花嫁とその父親の通った後には、微かに花嫁の香りが残されていた。 エアリスは、そう言えば…と思うことがあった。 ティファがティナとしてエアリスの前に現れたとき。 彼女が去った後にいつも残っていたこの香りはなんだろう? (…花…かな?) ふと、花嫁の持っているブーケを思い出す。 今はもうザックスの隣に立っているので、背中しか見えないのだが、たった今、通り過ぎたときに持っていたブーケは…。 (白と…黄色の花…?ブーケの花にしては、なんだか質素だった気が…) しかしまぁ、それも『ハイウィンド王家』の倣いなのかもしれない、と思い直す。 「では、これよりバレンタイン王国第一王子ザックスと、ハイウィンド王国第一王女ティファの婚礼の儀を執り行います」 ドックン。 心臓が緊張ゆえに跳ねた。 もうすぐだ。 もうすぐ、ザックスとティファが一番頑張らなくてはならない場面がやってくる。 その時、声は出ないエアリスも、出来ることをするつもりだった。 緊張からじっとりと手の平が汗ばむ。 オルガンの旋律はやみ、参列者の息遣いと神父の言葉だけが耳に届く。 いやでも緊張を煽る雰囲気だ。 そして。 「この婚儀に異議のある者は名乗り出よ」 きた!! エアリスは大きく深呼吸をした。 「「「「「 異議あり!! 」」」」」 シーーーン…。 参列している者たち全員が、声を上げた者たちを唖然として見つめていた。 エアリスも同様だった。 勢い良く手を上げようとして、中途半端に固まったまま、最前列の『左右両側』を見つめた。 祭壇の前に立つ花婿と花嫁も同様だった。 目を丸くして互いの側に列席している最前列を見つめる。 参列者の驚きの声が漣(さざなみ)となって会堂にあふれようとしていた。 神父は、今まで経験したことのない『異議あり』宣言に、真っ青になっている。 両国王も、その王妃も、異議を唱えた者を目を見開いて見つめていた。 非常識すぎる『異議あり』宣言。 しかも…その宣言をした者というのが…。 「ザックス…!?」(バレンタイン国王) 「ティファ…おめぇ…!」(ハイウィンド国王) 「クラウド…あなた…」(バレンタイン王妃) 「…なんでシャルアまで…」(ハイウィンド王妃) 「て言うか…」(ザックス王子) 「あ…」(ティファ王女) 「誰!?」 異議を唱えたザックス王子、ティファ王女、クラウド王子、シャルア博士、そして…。 いつの間にかドアの前に立つ華奢な体躯の少女に皆の視線が集中した。 「その結婚、異議ありです」 「「シェルク!?」」 淡々とした口調で、再度『異議』を唱えた少女に、ハイウィンド国王と王妃が驚愕する。 本当ならば、異議』を唱えてたクラウドを目を潤ませながら頬を高潮させて見つめているはずのティファが、『シェルク』という少女に向け、輝かんばかりに顔をほころばせた。 シャルアも満足そうに目を細める。 クラウドも、シェルクという少女の登場に目を丸くしているのがエアリスから見えた。 自身の一大決心での『異議あり』宣言をある意味挫くようなシェルクを、ビックリしたまま見つめている。 その問題の少女、シェルクはこの華やかな式に参列している者たち全員を見渡しても、おおよそ『場違い』な格好をしていた。 黒いマントは足首まであり、かぶっている三角帽は少し大きそうだ。 手には柄の長い杖。 もう、一見して分かる。 「ハイウィンド国の『王室付き魔法使い』…か…」 バレンタイン国王の呟きがエアリスの耳にまで届いたのはなんの奇跡だろうか。 エアリスは生まれて初めて見る『王室付き魔法使い』にただただ驚いた。 彼女からはこれまで感じたことのないような強い魔力を感じる。 それに、彼女の足元に控えている赤い獣にも目が奪われた。 隻眼のその獣は、炎のついた尾をゆったりと揺らしながら、少女…、シェルクの足元に静かに控えている。 その獣からも並々ならぬ魔力を感じる。 皆の視線を一身に浴びながら、シェルクは実に堂々と歩き始めた。 獣も少女の影のようにスーッと動く。 「ティファ姉さま、遅くなりました」 一瞬、更なる驚愕の波が参列者に広がった。 ティファ王女を『姉さま』と呼ぶ少女の突然の出現。 ティファ王女は一人っ子ではなかったのか!?という囁き声がザワザワと広がる。 その囁き声に反応して…というわけではないだろうが、シャルア博士がいささか大き過ぎるため息をついた。 「シェルク。事情を何も知らない人たちの前でいつもの呼び方をするな、とあれほど言っているだろう?」 「あぁ、そうでした。すいません姉さま、ついつい」 「ついつい…じゃない。お前、今までどこに行ってたんだ!?」 ついつい、と言いながら全く反省している気配のないシェルクに声を上げたのは誰であろう花嫁の父。 シェルクはまったく動じることなく、自分にとって最高権力を持つ主を見た。 「国王陛下。このたびはまことにご愁傷さまです」 「誰も死んどらんわ!」 「あら、私使い方間違いました?」 「めっちゃ間違っとる!わざとだろ、おめえ!!」 国王らしくない台詞に、「あなた…」とシエラ王妃がそっとたしなめた。 シェルクは国王の怒りや戸惑いなど指の先ほども感じていないらしい。 さっさと目の前を通り過ぎると、ビックリしているザックス王子に一礼した。 「申し訳ありません。あなたの勇気を踏みにじる結果となってしまいましたか?」 「…え…?いや…そういうことは…」 「そうですか、それは良かった」 あっさり頷くと、肩透かしを食らったようにガクッ…と半瞬脱力した王子から隣に立つティファへ視線を向けた。 「ティファ王女。良かったです、私が魔法を使うヒマもなかった」 誰かがヒッ!と息を鋭く飲み込んだ。 (ま、魔法って…。一体どんな魔法を使う予定にしてたわけ!?) シェルクの爆弾発言にエアリスも半歩分、身を仰け反らせた。 しかし、ティファはシェルクの爆弾発言にも使い方を間違えた言葉遣いにも慣れているらしい。 一瞬、目をまん丸にしたが、すぐに泣き笑いの顔になった。 「…シェルクったら…」 ティファのその顔に満足したのか、シェルクはクルリ、と向きを変えた。 視線の先には…。 「あなたがクラウド王子ですか」 「………」 スタスタと目の前にやって来たシェルクの言葉に何も答えなかったのは、いつもの『無愛想』ぶりを発揮したわけではないだろう。 (絶対、ビックリして呆けてるんだわ…) エアリスの読みは当たった。 「クラウド王子…ですか、本当に…?」 「…そ、そうだが…どういう意味だ…?」 「ティファ姉さまの初恋の人と聞いていましたが、とてもそれに相応しい人には見えません。いつまで呆けてるんです?」 「は…!?」 「シェ、シェシェシェシェルク!?!?」 「姉さま、本当にこの人がクラウド王子ですか?」 祭壇の前で慌てふためくティファ王女はそっちのけでシェルクはシャルアを振り向いた。 博士は隻眼の瞳を面白そうに細め、ゆっくり頷いた。 「シェルクの疑問はもっともだけど、残念ながらその人で間違いない」 「そうですか…」 これまた淡々に頷き返すと、もう言葉もない面々の前で小首を傾げた。 「まぁ、この大勢の中で『異議』を申し立てたことだけはティファ姉さまの初恋の相手として認めないでもないですね」 「シェルクーー!!」 ティファ王女の悲鳴が騒然とする会堂にひときわ高く響き渡った…。 |