昔々、あるところに非常に見目麗しい王子様がいました。
 彼はその容姿ゆえ、常に人々の関心を集めていましたが、とても孤独でした。
 なぜなら、誰も彼も、彼の見た目だけしか見ておらず、心を見ようとしなかったからです。
 王子はずっとずっと、ずっと…孤独でした。
 そんなある日、王子は船上パーティーに招待されました。
 美しい貴婦人は、先を争って王子にアプローチしました。王子は…とても疲れてしまいました。
 そうして、甲板で休んでいるときに嵐にあってしまったのです。
 海に投げ出された王子は、そのまま死んでもいい、と思いました。でも…王子は生きていました。
 砂浜で目が覚める一瞬前、とても綺麗な歌を聴いた気がしました。
 王子は目が覚めて、元気になってからもずっとその歌声が忘れられませんでした。
 そんなある日…。
 自分が倒れていた砂浜に、うら若い乙女が倒れているのを見つけました。
 彼女は口が利けませんでした。
 その彼女と過ごすうち、王子は初めて心が満たされていくのを感じました。

 孤独だった王子が、初めて孤独から開放されたひと時でした。







人魚姫の恋 15







 宙に身体が浮いたのをどこか非現実的に感じたのは一瞬だけ。
 身の危険を感じる間もなく意識を手放した。

 その直前に、
「エアリス!!」
 心に住み着いてしまった人の呼び声を聞いた気がした…。


 *

 大階段に到着したクラウドは、兵士たちが階段下に集まっている光景を前にして心臓が凍りそうになった。
 ザックスとエアリスの名を呼びながら駆け下りるクラウドの後ろには、永いドレスの裾を翻してティファもピッタリくっついていた。
 クラウドに負けないほど軽やかな足取りで階段を駆け下りる。

 ザックスにガッシリと抱えこまれて気を失っているエアリスの蒼白な顔に、クラウドもティファもサーッと血の気が引いた。

「ザックス…、エアリス!!」

 兵士たちに囲まれて倒れている2人に駆け寄りながら大声で名を呼ぶクラウドの声が震えているのにティファは気づいた。
 声だけではない。
 肩も…、2人に伸ばされた腕も小さく震えている。
 ザックスとエアリスの顔色や呼吸状態を確かめながら医師を呼ぶよう大声で指示するクラウドの真剣な姿に、ティファは息を呑んだ。


「あ〜…うるせぇ……」


 慌しく兵士たちが指示に従って散る中、ジッと佇んで第二王子を見守るティファと、守るように2人を抱き寄せるクラウドの耳になんとも間の抜けた声が飛び込んだ。
 ザックスが片目を薄っすらと開けて悪戯っぽく笑っている。
 その場の緊迫した空気がふわりと和む。
 全身で安堵のため息を吐くクラウドの腕から「あ〜…痛かった」などぼやきながらザックスが身体を起こした。
 クラウドは身体を起こすザックスに少し慌てたが、彼は首をコキコキ回しながら、
「あ〜、大丈夫大丈夫。ちょっと脳震盪起こしただけだし、エアリスも大丈夫だろ。ギリギリ間に合ったから」
 そう言って、青白い頬をそっと撫でた。
 硬く目を閉じているエアリスに、クラウドは少し言葉を詰まらせた。

「……大丈夫なのか…本当に…?」
「あぁ、どこも打ってないと思う」
「……なら、どうして気絶してるんだ…?」
「ん〜…、なんか倒れる前に胸押さえてたからなぁ…」
「「 胸!? 」」

 クラウドだけでなく、ティファもギョッと声を上げた。
 その場に残っていた数名の兵士たちがザックスの証言を裏付けたこともあり、クラウドはそれ以上その場でゴチャゴチャ言うことをやめ、医師を呼びに行った兵士が戻ってくるのをおとなしく待つことにした。
 部屋に運んだほうが?と、一瞬考えないでもなかったが、下手に動かして過剰な負担がかかったら一大事だ。

「それにしてもエアリスさんが…」

 言葉を途中で切ったティファの言わんとするところを察し、クラウドは困惑仕切りでしかめっ面になり、ザックスも常のお調子者スタイルとは打って変わって戸惑い勝ちな顔をした。

「そうだよなぁ…」
「……あぁ…」
「エアリスさん、これからどうするんでしょう…」
「「 …… 」」

 シーン…。
 重苦しい空気がズシリ…と落ちる。
 クラウドはチラリ…と兄を見た。
 いつもお調子者だが、ここぞという時には第一王子としての才を惜しみなく発揮させる頼もしい兄。
 その兄が、何やら小難しい顔をしてエアリスをじっと見つめている。

 ザックスがエアリスに惹かれていることは、もう聞くまでもない。
 その彼女が…。

(伝説の人魚…って……。しかも『姫』って……)

 クラクラとめまいを感じるのは気のせいだろうか?
 そして、そこはかとなくいやな予感がするのは…果たして気のせいか…?

「……なぁ、ザックス…」

 思い切って声をかける。
 しかし、クラウドの折角の勇気は、駆けつけた医師によって呆気なく水泡に帰した。


 *


「とりあえず、安静にさせてやることですな」

 との医師の言葉に従い、ザックス、クラウド、ティファ、そして兵士数名はエアリスを部屋に運ぶことになった。
 当然だがエアリスを抱きかかえて運ぼうとしたザックスに、兵士長が「とんでもない!殿下にそんなことさせられません!」と青くなった。
 しかしこれまた当然のように、ザックスは青くなる兵士長を軽く手をヒラヒラさせることで黙らせ、さっさとエアリスを抱き上げると、なんだかんだと食い下がる兵士長や兵士たちを華麗にスルーし、結局最後までエアリスを運ぶ役目を譲らなかった。

 エアリスをベッドに横たえ、兵士たちをドアの外に追いやるとザックスはベッド脇の椅子に腰を下ろして、クラウド、ティファにも座るように勧めた。
 2人は他に座るところがなかったため、3人掛けのソファに腰を下ろす。
 腰掛けた2人を見て、ザックスは苦笑した。

「なんで2人揃って端っこに座るかなぁ…」

 途端、赤くなる弟と元・花嫁に益々苦笑が深くなる。

「ったく…、そんなんでこれから大丈夫か?」
 しっかり頼むぞ?

 クラウドはスーッと真顔になった。
 真っ直ぐ兄を見る。
 真剣な面持ちの弟に、ザックスも顔を引き締めた。
 両殿下の変化にティファも居住まいを正す。
 沈黙はごく僅かだった。


「それで…これからどうするつもりなんだ?」


 ザックスは笑った。


 *


 エアリスが目を覚ましたとき、自分の置かれている状況を掴むまで時間がかかった。
 なにしろ、辺りは真っ暗で体が微かに揺れている感触。
 頬を撫でる風の存在から、どう考えても『外』にいたからだ。
 そう、『屋内』ではなく『外』。
 しかも…。

(……潮のにおい…?)

 ぼんやりと頭が動くようになると、嗅覚や視覚も働き始めたらしい。
 ギョッとして身体を起こし、自分が小船に乗っていることに泡を食った。
 小船のへりに掴まって身を乗り出すも、はるか彼方に町明かりが見えるだけで、近くに帆船らしき陰はない。

「よ、起きた?」
(え!?な!?!?)

 可笑しそうに声をかけたのは、この小船には相応しくない一国の王子。
 夜空に溶け込んでしまうような漆黒の髪を持つバレンタイン第一王子。
 あんぐりと口を開けるエアリスに、ザックスは揺れる小船の上だと言うのに船主から軽やかな足取りでエアリスのもとまでやって来た。
 目の前でドッカリと腰を下ろす。
 反動で小船が少し大きく揺らいだが、怖さはなかった。
 ただビックリして顔を輝かせて笑うザックスを見つめる。

「エアリスはポセイドン一族の王女様なんだってな」

 まるで、「綺麗な星空だよな、明日も晴れるなこりゃ」と天気の話をしているかのような軽い口調。
 目を丸くするばかりで応えられないエアリスに、ザックスは
「ははは、ビックリしすぎたろ?」
 とカラカラ笑った。
 緊張感の欠片もない彼の仕草に、エアリスは膝立ちの姿勢からのろのろと座り込んだ。
 いつにない近い視線にドギマギする。
 ザックスはガシガシ、と照れたように髪を掻くと「あ〜…そのだな…」と、はにかみながら口火を切った。

「エアリスはさ、その…言ってたよな?『意に沿わぬ結婚相手(婚約者)がいる』って」

 ドキリ。
 軽く胸を押さえて微かに頷く。
 動機が早くなったのは、魔法使いからもらった薬の副作用ではない。
 ドキドキとして苦しいけれど、言いようのない甘いものが胸いっぱいに広がっていく。

「俺もそう。んで、エアリスもその場にいたから知ってるだろうけど、俺はティファ姫とは結婚しない」

 コクン。
 ザックスから目を離せないまま、小さく頷いた。
 彼の顔がほんのり赤く見えるのは、船主と船尾に括りつけられている灯りのせい…だろうか?
 それとも…もっと別の理由…?

「エアリスが人魚だった…って聞いたときにはビビッタ。いや、マジで」

 ズキリ。
 胸に痛みが走る。
 思わず唇をかみ締めて俯きそうになるエアリスに、ザックスがそっと手を伸ばした。
 頬に触れられた手が暖かくて、またもや鼓動が跳ねる。

「でも…なんか妙に納得した。なんでこんな気になるのかとか…うん、色々納得した」
 あ〜、ダメだ、テレるな〜。

 眉尻を垂らして照れくさそうに笑う王子に、エアリスの鼓動がこれ以上ないくらい早くなる。
 なにもリアクションを返せないでいっぱいいっぱいのエアリスに、ザックスはひとしきりテレた後、頬に伸ばしていた手をそっと下ろしてそのままエアリスの手を握った。
 ビクッと肩を揺らしたエアリスが、その手を振り払わなかったことに内心で安堵する。
 そして、表情を引き締めて…。

「エアリス、今でもクラウドのことが好きか?」

 深緑の瞳が最大限に見開かれた。
 夜空の星が瞳に映って瞬いている。
 その瞳には、真剣なザックスの顔も映っていた。

「ごめん、俺、余裕がないから気の利いた言い回しの言葉とか浮かばない。エアリスが目を覚ますまで色々考えたんだけど…」
 ごめんな?

 もう1度口にされた謝罪の言葉に、なんとか首を横に振る。
 いっぱいいっぱいなのに、必死に理解しようとしている姿がいじらしくて、思わず頬が緩む。
 軽く深呼吸をして…。





「エアリス王女、わたしと結婚して下さい」





 呼吸が止まるほどの衝撃。
 エアリスはただただ、呆然と目の前の王子を見つめた。

 今、この人は何を言ってくれた?
 私の正体を知ったのに、なんて言ってくれた?

 結婚…?
 結婚……!?

(あ……)

 凍結していた脳が回転し始めると、一気にエアリスの顔に血が上った。
 ガチガチに固まったエアリスに、ザックスがそっと大事そうに抱き寄せる。
 自然、頬を彼の胸に押し付ける形になったエアリスの耳に、ザックスの跳ねる鼓動が聞こえた。

(…夢…じゃない…?)

「なぁ、エアリス。俺と婚約者、どっちが良い?少しでも俺の方が良いって思ってくれるなら、俺を選んでくれないか?」

 耳に吐息がかかる。
 それだけで心臓が口から飛び出そうなほど恥ずかしくてパニックになりそうなのに、ザックスの心臓もエアリスに負けないくらいにドキドキしてて、それが逆にエアリスを落ち着かせてくれた。

(嬉しい…嬉しい…!)

 ギュッ…と。
 嬉しくて泣きそうで、ザックスの背に恐る恐る、腕を回して…、やんわりと抱きしめた。

 ドキン!

 ひときわ大きくザックスの心臓が跳ねて、嬉しそうにザックスが抱きしめる腕に力を入れた。
 優しいのに力強い抱擁。
 それだけでもう…。

(もう…これだけで十分……だよね…?)

 背に回していた腕をそっと離し、ザックスの胸を押す。
 怪訝そうな顔をして抱擁を緩めてくれた彼の顔を見上げて、エアリスは泣きそうになりながら必死に笑顔を作った。
 ゆっくり首を横に振る。

「…エアリス……」
(だめだよ)

 口パクで答える。
 メモは持っていないし、持っていたとしてもこんなに暗かったら文字も見えない。
 それに、メモを書いてそれを読んでもらう…という場合じゃない。
 直接言葉を聞かせられないことがもどかしい。
 もどかしいが…仕方ない。
 きちんと心を伝えなくては…。

(私、あなたと結婚できない)
「…どうして?」
(私は…海に帰らなくっちゃ…)
「うん、知ってる」
(それに…あなたはこの国の第一王子…でしょ?この国に残って、民のために責務を果たさないといけないじゃない。それに…)
「…それに?」

 唇が震える。
 呼吸がしゃくりあげそうなそれに変わろうとしているのを必死に押し止める。

 まだダメ。
 まだ…泣いちゃダメ。
 泣くのは…この優しい人がちゃんとお城に帰ってから…。
 こんなところで泣くなんて、ポセイドン一族の長子の名折れよ、エアリス!

 軽く息を吸って呼吸を整え、泣きそうな顔に笑顔を貼り付ける。
 目を逸らさないようにしっかりと紺碧の瞳を見つめて…。


(だって、私は人魚だもの。人間と結婚出来ない)


 本当は。
 本当は、人間になりたかった。
 人間になって、ザックス王子の傍にずっといたかった。

 今の今まで、明確に『人間になりたかった』と言葉にしなかったというのに、とうとうエアリスはその言葉を組み立てて、自覚してしまった。
 もうとっくにポセイドンの長子という責務を放棄してしまっていたのだ。
 妹姫たちの懇願を受け入れ、クラウドを殺して海に帰らなくてはならない、と思い悩む『ふり』をしていただけ。
 クラウドを殺さず、自分も死なない方法を探そうと決めたつもりでいたが、それは結局そういうことなのだ。
 自分も死なないで海に帰る方法を探すつもりではなく、クラウドも殺さず、自分も人間の足を手に入れたままずっとザックスの傍にいられる道を探したかったのだ。

 なんて浅ましい、愚かな女。
 こんな女は、ザックスには相応しくない。
 彼に似合うのは、ティファのように一途で清楚で、心の強い人だけ。
 自分には持っていない芯の強さを持ち、柔らかな春の日差しのような…そんな女性こそが彼に相応しい。
 それに、彼の求婚に応えたくても応えられない身体なのだ、自分は。

 クラウド王子を殺せないのだから…、残された時間は…もう……。


 黙ったままジッと見つめるザックスに、エアリスは必死になって目を合わせ続け、微笑みを貼り付け続けた。


(ザックス王子には、きっと私よりも素敵な人がいます。だから…)
「『だから』…なに?俺にエアリス以外の人と結婚して、幸せになれって言うわけ?」

 言葉尻を捕まえて先に台詞を口にしたザックスにエアリスはグッと押し黙った。
 押し黙った拍子に堪えていた涙が一粒、ポロリ、とこぼれる。
 それに自分で気づかないほどエアリスは必死だった。

 ザックスの言葉を受け入れないよう自分を抑えることに…。

 だが、当のザックスは…。

「こういう場面で泣くなんて反則だぞ?」

 苦笑交じりにからかうと、そっとエアリスの頬を指で拭った。
 エアリスは、拭われて初めて自分が涙したことに気づいた。
 気づいてしまうと…もう止められず、後から後から溢れるばかり。

 なんでもない。

 そう声なき声で言いつつ、慌てて手の甲や手の平で拭うも、追いつかない。
 泣きやむどころか次第に嗚咽までもが混じりだして、焦ってしまうエアリスにザックスはもう1度、
「だから、ほんっとうにエアリスって反則」
 そう笑いながら抱きしめた。
 エアリスの髪に頬ずりするように顔を埋めながら、さっきよりもうんと優しく髪を撫でる。

 そして。

「エアリスはまだまだ分かってないな、俺のこと。真剣に好きな人が出来たのに、その人以外の人と結婚して幸せになれるわけないじゃん」

 笑ながら夜空を見上げ、胸の中でしゃくりあげているエアリスに話し続けた。

「それに、俺って結構思い切ったら一直線だからさ。もう戻れないわけ」

 ザックスの言わんとしてることが分からず、泣きながらエアリスは顔を上げた。
 間近で紺碧の瞳が優しく細められている。
 吸い込まれそうな…宝石の瞳。
 初めて心惹かれた人と同じ瞳。

 心奪われた瞳と同じ瞳を持つザックスはにっこり笑って…。


「だからさ。俺、勘当されたから、俺のことお婿にもらってくれない?」


 爆弾発言を投下した。