「どうだ、少しは城の生活に慣れたか?」 隣を歩くクラウドに、エアリスはニッコリ微笑んだ。 エアリスがクラウドに拾われてから1週間が経っていた。 人魚姫の恋 4最初こそ、城の人間に警戒されていたエアリスだったが、彼女の持ち前の明るい微笑み、雰囲気に今ではすっかり城の人間に受け入れられていた。 彼女が受け入れられたのはそれだけではない。 人付き合いがキライな第二王子のお気に入りというのが一番の理由だったろう。 クラウドのエアリスへの態度は、明らかに他の人間とは違っていた。 人の心を解す力を持っている女性として、エアリスは今では城の人間に一目置かれる存在となっていた。 そんなことは露知らず、エアリスは城での生活を楽しんでした。 勿論、父王や妹姫たちのことを思うと心が痛む。 早く、戻らなくては…と思っている。 しかし、未だに尾びれに戻らない下肢を理由に、エアリスは城に居続ける言い訳として自分に言い聞かせていた。 もしかしたら…。 海に触れた途端、足は尾びれに戻るかもしれない。 だが、エアリスはどうしても試してみようとは思えなかった。 もう少し、もう少しだけ…彼と一緒にいたい。 その気持ちがどうしても抑えられない。 クラウドを知れば知るほど、エアリスは彼に惹かれてしまうのをとめられなかった。 あれは、城にやって来て3日目のことだっただろうか…? 記憶喪失ということになっているエアリスに、第一王子が彼女に侍女をつけてくれた。 元々、エアリスは王女。 身の回りのことはある程度出来るものの、侍女にかしずかれて生活していたのでザックスの配慮はとてもありがたかった。 侍女をこき使うのではなく、思いやりの心と感謝の気持ちを常に雰囲気で伝えてくれる彼女に、侍女もすっかりエアリスのファンだ。 だから…。 「クラウド王子が他人に心を許す日がくるとは思いませんでしたわ」 「?」 キョトン…と首を傾げて不思議そうな顔をするエアリスに、侍女はクスクス笑った。 「王子様、本当に人嫌いでして。ですから、あの日、エアリス様を抱えてお城に戻られた時は城中が大騒ぎになったんですよ。『まさか、あの王子が!』って」 笑いながらそう言った侍女に、エアリスは自然、頬が赤くなった。 もしかしたら…。 もしかしたら彼も…私のことを少しは…。 その甘い期待が胸にこみ上げる。 そして、その期待はいつもすぐ、苦いものに取って代わった。 自分は海底世界を治めるポセイドンの長子。 一日も早く、夫を迎えて世継ぎを産まなくてはならない。 そう…。 クラウドではない、見も知らぬ男を夫として迎えなくてはならないのだ。 クラウドと別れがたく思うたび、その事実が重く重く、エアリスにのしかかってくるのだった…。 「よっ。ご両人!」 城の中庭を散策していると、陽気に声をかけられた。 振り返らなくとも分かる。 この国の第一王子、ザックスだ。 エアリスは正直、この城で国王の次にこの第一王子が苦手だった。 ぎこちなく振り返り、必殺『王女スマイル』(← 作り笑い)を浮かべる。 クラウドはそんなエアリスの心情などまるで気づいていない。 うんざりしたような態度で振り返るが、実はこの城の中で唯一心を許しているのがこのザックスなのだと、この1週間彼の傍にいて分かった。 「ザックス…、アンタ、執務は良いのか?最近前にもまして出現するが…」 「それはお互い様だろ?お前だって執務はどうしてるんだよ」 「俺はちゃんとこなしてる!」 「そうかそうか。えらいなぁ、お兄ちゃんは嬉しいぞ」 「………」 「な〜に嫌そうな顔してるんだよ。大体だなぁ、可愛い弟に会いに来て何が悪い!」 「気色の悪いこと言うな…」 「気色が悪いとはご挨拶だなぁ。こんなに愛してるのに〜。お兄ちゃんは悲しいぞ?」 「やめろ!」 あっという間に兄に良い様に遊ばれる。 そうしていつも、ザックスはクラウドとエアリスの間に割り込むことに成功するのだ。 (この人は…まだ私を警戒してる…) 城中の人達が受け入れてくれる中、唯一国王とザックスはエアリスに気を許していなかった。 目が覚めたその日の夕刻、エアリスは王と王妃に謁見した。 王は漆黒の髪と紅玉の瞳を持ち、堂々とした威厳に満ち溢れていた。 その隣では、豊かな濃い茶色の髪を持つ美しい王妃。 王も王妃も、とてもじゃないが、大きな子供を持っているようには見えないほど若々しい。 そして、そのどちらにも、クラウドは似ていなかった…。 王妃はとても温和で話しやすい人柄だったが、王は元々寡黙なのか、威圧感をヒシヒシと感じさせられ、思わずエアリスは自分の父王と比べてしまった。 (父様、完全に負けてるわ…) なにが負けているかは…詳しく分析はやめておこう、と無理矢理思考を遮断したものだ。 そんな国王に、エアリスはとてもじゃないが好意は持てなかったし、国王もザックスも外の国からの間者では、と警戒していた。 流石にそれはもう思っていないようだが、なにか企みがあってクラウドに近づいたと考えているらしい。 それがエアリスにはとても……悲しかった。 勿論、最初の頃は腹が立ったものだ。 歩くたびに足に激痛が走るため、ゆっくりと、短い距離しか歩けないエアリスに一体何が出来るというのか。 そんなことくらい、ちょっと考えれば分かるだろうに。 だが、その考えもやがては違う可能性があるから警戒されているのだ、と気がついた。 ― 人付き合いが苦手なゆえ、孤独になりがちなクラウドの心につけこもうとしている不埒な女 ― (…そんな風に思ってるのかな……やっぱり…) クラウドを見る眼差しは、国王も第一王子であるザックスもとても温かい。 国王の瞳は紅玉の瞳だが、ザックスはクラウドと同じ瞳。 その同じ瞳で警戒されたり、『不埒な女』として侮蔑されるのが、とても悲しく、惨めだった。 本当は、国王もザックスもクラウドのことをとても愛している。 だが、その愛情をクラウドは感じつつも薄い壁を作って、一定の距離を保っているように見えた。 それが何故なのか分からないが、だからこそ、国王もザックスも、クラウドが自ら素性の知らない女を助けたことを『成長の大きな一歩』として容認しつつ、警戒を怠らないのだ。 クラウドに惹かれているから、クラウドの家族に受け入れられたい。 そう願っているのにどうも上手くいかない。 (やっぱり…無理だよね…) 自分は近いうちに海底の世界へ戻らないといけないのだ。 もう1週間も居座ってしまった。 第二王子だからといって、執務がないわけではない。 多忙な執務の合間を縫って、会いに来てくれて、こうしてゆっくりと自分のペースに合わせて散策してくれる優しい人。 そんな人とめぐり合って、ほんの少しの時間とは言え一緒にいられて…。 (もう……良いよね。もう……これ以上は…ダメだよね) 去りがたい気持ちは振り払っても振り払っても湧き上がる。 だが、これ以上はもうダメだろう。 海底では、恐らく大騒ぎになっているはずだ。 妹姫たちも、きっと泣いているに違いない。 これ以上は…。 (今夜……帰ろう) じゃれ合う王子たちの背を見つめながら、エアリスは寂しげに微笑んだ。 その微笑みが、ザックスの視界の端に映っていたことにエアリスは気づかなかった…。 * 「なぁ、エアリス。ちょっと良いか?」 晩餐の後、自室に戻ろうとしたエアリスにザックスが声をかけた。 ドキッとして振り返ると、いつもの陽気な笑顔で壁に背を預け、片手を上げている。 (な……なにかしら……) 一気に緊張が走る。 何しろ、今夜、みなが寝静まった後、こっそり海に帰ろうと思っていた矢先なのだから。 「そんなに警戒しなくても取って喰ったりしないって」 笑いながらゆっくりと近づいてくるザックスに、自然と身構える。 彼の笑みを注意深く見つめるうちに、エアリスはいつものような警戒の色が浮かんでいないことに気がついた。 「ちょっと話しがあるんだけど、身体、平気か?」 小首を傾げてニッコリ笑う彼に、エアリスは躊躇いながらコックリと頷いた。 「じゃ、こっち」 そう言って、先導するのかと思いきや…。 「 !? 」 一気に距離を詰められたかと思うと、エアリスは横抱きにされてしまった。 あまりのことに目を白黒させるエアリスに、王子は悪戯っぽく笑った。 「だってさ、歩くの辛いんだろ?こっちの方が早いしね」 だから、ちょっとの間我慢して。 そう言いながら、廊下をスタスタと軽やかに歩き出す。 まるで、重さを感じないかのような軽快さ。 途中、数人の兵士に遭遇したが、唖然とする兵士たちに、 「よ、ご苦労さん」 と、軽く声をかけ、全く気にする様子がない。 エアリスは、初めて男の人に横抱きにされるという経験で、頭の中はパニック、心臓は破裂寸前だった。 クラウドよりも少し身長が高く、少しだけ太いその腕に包まれていると、緊張するくせにどこか安心もする温もりがあって、ますます混乱する。 「よし、ここら辺で」 連れてこられたのは中庭の一角。 大きな噴水の傍のベンチに腰を下ろされ、ようやくエアリスはひと心地着いた。 「だから〜、そんな緊張する必要ないって言ってるのに」 クックック…。 さも可笑しい、と言わんばかりに肩を揺すって笑うザックスに、流石にエアリスは腹立たしいのと恥ずかしいのがごっちゃになってカーッとなった。 「まぁまぁ、怒りなさんな。可愛い顔が台無しだぞ?」 どこまでもからかうザックスに、エアリスは頬を膨らませてプイッとそっぽを向いた。 そんなエアリスにザックスは声を上げてひとしきり笑ったが、やがてその笑いの波も引いた頃…。 「申し訳なかった、今まで無礼な態度を取って」 思いがけない神妙な声音とその言葉。 驚いて振り返ると、真摯な眼差しでジッと見つめる紺碧の瞳とカチリ…、と目が合った。 ドキッと心臓が跳ねる。 ザックスはこれまで見たことがない真剣な顔をしてエアリスに向き合っていた。 「もう分かってると思うけど、クラウドは俺や父上、母上に対して壁を作っている。こちらがどう接しても決して壁を取り払おうとはしてくれない。それは…気づいてるよな?」 神妙なその言葉にエアリスはコックリと頷いた。 寡黙な王も、温かな言葉をかけてくれる王妃に対し、クラウドはどこか一線を引いていた。 そして、いつも気さくに話しかけ、しょっちゅうじゃれてくるザックスにも…。 この城の中で一番気を許しているザックスに対しても、クラウドはほんの少しだけ身を引いているように見える。 ザックスは続けた。 「クラウドは…、本当は俺の弟じゃないんだ。正確には『従兄弟』に当たる。わけがあって、父上と母上が養子に迎えた。だから、クラウドはいつまでもこの国の第二王子という立場を受け入れられずに苦しんでいる」 気がついたら息を止め、エアリスは聞き入っていた。 クラウドが何故、この城の中で孤立していたのかがようやく分かった気がした。 自分の居場所を見つけられないのだ…、この城の中に。 だから、どれだけ周囲が愛情を示してくれても受け入れられずに苦しんでいる。 エアリスの瞳に浮かんだ同情に、ザックスは苦笑いを浮かべた。 「こんなことを言うとクラウドに怒られるだろうけど、クラウドがエアリスを連れてきたとき、自分自身の境遇をキミに重ねたんだと思った。クラウドが孤立していることは、情けない話しだけど諸外国にも知られている。何しろ、外交と言う名のパーティーやらなんやらで国王である父上、王妃である母上と一緒にいる姿を見られているんだからな。そのたびに、一線を引いて接しているクラウドの姿は印象に強く残ってしまう」 諸外国にとって、国王一家とその国の情勢は最も関心の高いことだからなぁ。 努めて軽く、明るい口調で話をしてくれたが、ズキリ、と胸が痛む内容だ。 諸外国にまで偏見の眼差しで見られているのだ、クラウドは。 これでは、この世界のどこにも彼の居場所はないじゃないか。 「だから、クラウドがキミを連れてきた時、最初は諸外国の間者と思った。でも、すぐにそうじゃなくてどこかの令嬢だと思ったんだ。クラウドが孤立しているという噂を耳にしたどこかの貴族が送り込んだんだってさ。だって字が書けただろう?しかも達筆だ。ということは、文字を書くのに慣れている…ということになるからな」 片眉を軽く下げて困った顔をしたザックスに、エアリスは、あ…、と言う顔をした。 だからか、とこれまでザックスが警戒していた理由に納得する。 声の出ない『自称:記憶喪失の女』が、文字を書けるなど、どこかの貴族が孤独な第二王子をたぶらかせるために芝居をさせた、と思われて仕方のない。 ザックスは続けた。 「本当は、拷問をするようにって重臣から提案も上がってた。本当に声が出ないのかどうか確かめるために」 ギョッとして青ざめる。 ザックスは申し訳なさそうに頭を掻いた。 「ま、勿論却下されたけどな。一応、わが国は拷問は禁止している。よほどの危急時でないと王は許可しない」 変な汗が背中を伝う。 (よ、良かった……その案が通らなくて…) 身震いしながら心底そう思ったエアリスに、ザックスはフッと微笑んだ。 「それに、この1週間、見ていて分かった。エアリス、クラウドのこと好きだろう」 ドッキーーーン!! 思わず真っ赤になって仰け反ったエアリスに、ザックスは大声で笑った。 「そんなもの、見てたら分かるって!」 真っ赤になって両手で顔を覆ったエアリスに、ザックスは笑いながらそう言うと、今度は優しい笑みを浮かべて見つめた。 「クラウドもエアリスには心を開きつつある。兄としては悔しいけどな。でも、あいつにはそういう相手がどうしても必要なんだ。だから…」 言葉を切って顔を覆っている彼女の手をそっと握った。 その手が、先ほど抱き上げられたときのように温かで優しくて…、不覚にもときめいてしまう。 「だから、クラウドの傍にいてやってくれないか?どこにも行かないでやって欲しい」 エアリスは息を呑んだ。 ザックスは見抜いていたのだ。 自分が姿を消そうとしていることを。 だから、こうしてクラウドの生い立ちを簡単にではあるが話し、傍にいてくれるように頼んでくれている。 それは、エアリスがここ数日、ずっと願っていたことだった。 クラウドを愛している家族に受け入れられたい…という願い。 その願いが叶ったというのに、素直に喜べないことが…とても悲しい。 エアリスは暫く俯いていたが、やがて力なく首を横に振った。 握られていた手に力が入る。 「俺や父上の無礼な態度は謝る、このとおりだ。だから、傍にいてやってくれないか?」 再び懇願され、エアリスの決意が大きく揺らいだ。 だが…。 (……父様、ユフィ、マリン……、みんな……) 浮かんでくるのはクラウドの寂しそうな横顔ではなく、自分の家族や仲間の人魚たち…。 ザックスやクラウドに王子としての責務があるように、自分にはポセイドン一族の長子としての務めがある。 決められた相手と結婚し、跡継ぎを産むと言う務めが…。 再度、力なく首を振ったエアリスにザックスは握っていた手を離した。 温もりが急速に両手から消えていき、それに伴って強い喪失感が襲ってくる。 出来ることなら、ザックスの願いどおり、ここに止まりたい。 だが、それだけは絶対に出来ない。 叶わない真の願いと、消えてしまった両手の温もりが寂しすぎて目が潤む。 ポタリ…。 力なく膝の上に落ちた手の甲に、雫が落ちた。 エアリスの頬を幾筋も涙が伝う。 肩を震わせて涙を流すエアリスに、ザックスは黙っていた。 折角受け入れてくれたのに、きっと失望されてしまっただろう。 一国の王子が身元も分からない女に2度も懇願するなどありえない。 その願いを退けておいて、挙句、こんな風にみっともなく泣くなんて…。 情けなくて…恥ずかしい…。 ザックスが黙って立ち去るのをエアリスは待った。 彼がいなくなったら、自室に戻ることなくこのまま海に向かおう。 そう、思ったのに…。 (え…?) そっと両頬が温かくて大きな手で包まれた。 ゆっくりと顔を上げさせられる。 クラウドと同じ紺碧の瞳が切なそうに揺れていた。 「…ごめん、泣かせるつもりはなかった…」 そう言いながら、ザックスは親指でエアリスの頬を伝う涙をそっと拭った。 拭うその手が…、指先が…、眼差しが温かくて…優しくて…。 拭われても拭われても、涙が後から後から溢れて止まらない。 声もなくしゃくりあげるエアリスに、ザックスはそっと抱き寄せた。 「本当に…ごめんな、困らせて…。今までイヤな態度を取って…本当にゴメン」 優しく髪を撫でられ、どこまでも優しい言葉を囁かれ…。 気がついたらエアリスは自らザックスにしがみついて泣いていた…。 |