ティナのお団子頭を梳かしてやりたい!ということで頭がいっぱいだったエアリスと、お団子頭を梳かれそうになって焦るティナ。 お互い必死なものだから近づいている人がいることに全く気づいていなかった。 だから…。 「誰だ!」 鋭いその声に2人ともビクーッ!と飛び上がって驚いた。 人魚姫の恋 7「エアリス!」 呼び声と共に、エアリスはティナとの間に誰かが割り込んだことを知った。 それが第二王子だと気づくのに時間はかからなかった。 「お前、見ない顔だな。ここで何をしている」 (え、えぇええ!?ちょ、ちょっと待って!!) クラウドは、新顔のティナを明らかに『不振人物』とみなしていた。 つい今まで楽しくおしゃべりをしていた『友達』に、大好きなクラウドが敵視するのは耐え難い。 慌ててクラウドの上着を引っ張って押しとどめようとするが、すっかり警戒しているクラウドは全く聞く様子がなかった。 クラウドの背に庇われるようになっているエアリスは、なんとか顔を出してティナを見た。 ティナは、いつの間にかエアリスの手からめがねを取り戻していたらしい。 大きなめがねをかけ、硬直している。 「誰だと聞いている!」 硬直したまま答えられないティナに、クラウドの苛立ちがいや増した。 おそらく、先ほどの伯母との対峙の興奮状態が抜けきってないのだろう。 いつも無愛想だが、こんな風に頭ごなしに怒鳴りつけたりする人ではない。 それなのに、この変わりよう。 エアリスは必死になってクラウドの上着を引っ張った。 しかし、力でクラウドに敵うはずもない。 それどころか、上着を引っ張る手を振り払われてバランスを崩しそうになる。 「エアリス、俺の後ろに」 ティナを警戒しながらエアリスに下がるよう指示する。 だが、当然下がるわけにはいかない。 ブンブンッ!と首を横に振るエアリスに、クラウドはチラッとだけ視線を投げ、 「わがまま言わないでくれ。この女が何者か分かるまでは」 ティナを睨みつける。 クラウドに庇われるエアリスと、身を挺してエアリスの盾となり警戒するクラウドの姿に、ティナの瞳がますます見開かれた。 茶色の瞳が薄っすら潤んだように見えたのは、エアリスの気のせいだろうか? 一気に緊迫したその場の空気は、クラウドの怒気によって一触即発状態だった。 それを回避させる術(すべ)も見つからないまま、エアリスは痛む足を叱咤し、クラウドとティナの間に飛び出そうとした。 そのとき。 「私の遠縁の者ですよ、殿下」 ガサッ。 草を踏む音と共に、白衣を着た隻眼の美女が現れた。 この国の第二王子であるクラウドを睨み付けながらティナを背に庇うようにして立つ。 細身の女性だが、溢れる気迫は並みの男性をはるかに超える。 クラウドはシャルアの言葉に警戒心をわずかに解いたらしい。 「遠縁?」 疑うような声音だが、それでもたった今までの『一触即発』な雰囲気は霧散した。 シャルアは隻眼を鋭く細め、クラウドを睨むように真っ直ぐ見据えた。 「えぇ。昨日付けで私の助手となったティナです。ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。ですが、この者、昨日到着したのはもう晩餐も済んだ後でしたので、今日ご挨拶をする予定でした。しかし、ザックス王子もクラウド王子も陛下のお召しを受けておられましたので午前中のご挨拶は叶わぬと思い、少し休憩を与えていたのです」 何しろ、隣国より3日かけての長旅でしたから、疲れも溜まっていると思いましたので。 最初から頭ごなしに『詰問』したクラウドを怒っているのか、シャルアは冷たい口調で説明した。 言葉は丁寧だが、クラウドを尊重しているものは何も感じない。 クラウドの顔に反省の色が浮かんでくる。 「そうか……それは…その、すまなかった…」 気まずそうにボソボソ謝罪するクラウドに、シャルアは冷たい一瞥をくれると、ふいっ…、と背を向けた。 まるで、クラウドの謝罪の言葉が聞こえなかったかのような態度である。 「さ、戻ろうかティナ。あんまり遅いんで心配したんだぞ?」 打って変わって優しい口調でティナに手を差し出した。 だが、よほどクラウドの怒りが恐ろしかったのか、ティナは目を見開き硬直したままだった。 シャルアはティナその姿に再び隻眼を怒りに燃やした。 ギンッ!と殺気すら織り交ぜてクラウドを振り返る。 「……殿下」 ビクッ。 クラウドが微かに肩を震わせた。 底冷えするような声音は、直接怒られたわけではないエアリスまでもゾッとさせた。 「どうしてくれるんです…?」 「ど…どう……とは…?」 「私の可愛い親戚の子を、こんな風に怯えさせて…」 「い、いや…その…だから、悪かった…と」 「謝って済むなら衛兵はいらないんですよ」 「………どうしろと…」 みるみるうちに小さくなるクラウドに反比例してシャルアの怒りオーラが大きくなる。 そのまま、罵声を浴びせかけられるのか!?と思ったが…。 「ふんっ」 心底軽蔑した目で睨みつけ、シャルアは硬直状態のティナの肩をそっと抱き寄せた。 「さ、戻って温かいものでも飲もうか」 そうして、もうクラウドを振り向きもしないで、ぎこちなく歩き出したティナの肩をしっかりと抱いたまま、庭を後にしたのだが、よほど博士は腹を立てたようだ。 これみよがしにクラウドとエアリスの脇をゆっくりと歩いて立ち去った。 まるで、 『呼び止めたり、まだ詰問できるものならやってみろ!』 と言わんばかりだ。 ティナとシャルア博士が通り過ぎたその一瞬、クラウドがハッとしたように振り返った。 博士に守られるようにして去るティナを食い入るように見つめる。 だが、結局クラウドは声をかけられなかったし、エアリスはクラウドと同じようにティナと、豪胆にも一国の王子を鼻先で笑い飛ばし、あまつさえ見せ付けるようにしてわざわざ脇を歩き去った博士に度肝を抜かれていたのでクラウドの表情には気づかなかった。 そのまま、2人の背が見えなくなってもクラウドとエアリスはその場に根が生えたように動けなかった。 「なにやってんだ、2人とも?」 怪訝そうにザックスが声をかけてくれるまで、2人とも呆然としていた。 * 「は?シャルア博士の遠縁の子?」 夕食の後。 エアリスはザックスに昼間の出来事を説明した。 あの後、ザックスに声をかけられたことで、呪縛が解けたように2人は我に返ったのだが、それからのクラウドは心ここにあらず、と言った風だった。 エアリスは知らないが、執務中でもいつもなら考えられないようなミスのしっぱなしだったらしい。 ザックスのみならず、心優しい王妃や、無愛想が売りの様な国王までも心配していたとのことだった。 ザックスもまだ知らされていなかったらしい『シャルア博士の遠縁の子』という存在に、エアリスは落ち込みながらペンを走らせた。 「『仲良く話をしていたのに、殿下(クラウド)が知らない顔だからって警戒して、頭ごなしに詰問した』…か。そりゃ、クラウドが悪いよなぁ…と、言いたいところだけど、そもそもあの中庭は一般人が入れる場所じゃないから、クラウドが警戒してもおかしくないんだけど…」 そう言いながら苦笑する。 「それにしても、あのシャルア博士がそんなに怒るってことは、よっぽどその遠縁の子のこと、可愛いく思ってんだなぁ」 「?」 首を傾げたエアリスに、ザックスはテーブルに頬杖を着いた。 「シャルア博士は、なんていうかこう…、学者肌なんだ。研究にはすごく熱心だけど、人との付き合いにはちょっと淡白でな。あ、勿論『冷たい』とかじゃないんだけど、そんなに『熱く』人と接しないって言うか。だから、ティナ…だっけ?をそんな風に庇って、且つ、一国の王子を怯ませるほど怒って、挙句、鼻先でバカにして去って行ったっていうんだからなぁ」 あぁ、俺も見てみたかった。 エアリスはザックスの説明に、なるほど…、と妙に納得した。 クラウドの気を飲むほどの怒りのオーラ。 あれは只者じゃない。 (確かに…、ティナはとてもいい子だし、可愛いし、シャルア博士がお気に入りになるのも分かるなぁ) あぁ、それにしても。 エアリスは残念で仕方なかった。 折角、初めて人間の友達が出来た、と思ったのに。 きっと、会うことがあってももう話しかけてはくれないだろう…。 あんな目にあったのだから、当然だ。 まさか、あんなにクラウドが警戒するとは。 あのときのティナの凍りついた顔が忘れられない。 (……クラウド王子のバカ……) 自分のことを心配してくれたからこその『頭ごなしの詰問』だと分かっても、やはり恨めしく思ってしまう。 (はぁ……本当に残念だな…) 肌理細やかな肌、スッと通った鼻筋、澄んだ茶色の瞳。 一緒に、お洒落の話をしたり、恋のお話をしてみたかった…と、惜しまれてならない。 (それにしても、本当にどうしてあんなダサい格好してるのかなぁ…?) ティナともう二度と話せないだろう、とがっかりしながらも、最初に浮かんだ疑問が再び頭をもたげてきて、なんとなくその日の夜は寝苦しくなったのだった…。 * 次の日の朝食でも、まだクラウドは冴えない表情をしていた。 よほど、シャルア博士の逆鱗に触れたことがこたえたのだろうか? エアリスは、一国の王子をここまで凹ませてしまう博士の存在に内心驚いたが、どうやらそれだけではなかったらしい。 「あのさ…エアリス。ちょっと……良いか…?」 食事の後、思いつめたようにクラウドが声をかけてきた。 断る理由もなかったのでコックリ頷くと、クラウドはゆっくりと彼女の歩調に合わせて昨日の噴水まで肩を並べて歩き出した。 道すがら、何度かエアリスに口を開きかけては踏ん切りがつかないようで、結局2人してベンチに腰を下ろすまで会話はなかった。 「その……昨日の…ティナのことだけど…」 エアリスは自分のおおかたの想像が当たっていたことにちょっぴり胸が痛みながらも、コックリ頷いた。 クラウドの口から特定の女性の名前が出るのはやっぱりちょっと…悲しい。 地面を見つめたままのクラウドにはエアリスの表情は分からない。 視線を落としたままクラウドは言いにくそうに口を開いた。 「あの…俺が行くまでなんの話をしてたんだ?」 「?」 キョトン…と首を傾げる。 (もしかして…『博士の遠縁の子』って設定を疑ってるのかな…?) ザックスが最初のころ、自分のことをどこかの貴族の令嬢がクラウドをたぶらかしに芝居をしている、と警戒したことを思い出す。 それに似たようなことをクラウドが警戒しているのだとしたら、腹立たしいことだ。 いささかムッとしながら、サラサラ、とメモにペンを走らせる。 「…『別に当たり障りのないこと』って言われてもなぁ。具体的に何の話しをしたんだ?」 困ったように眉尻を下げるクラウドに、エアリスはプイッ、と横を向いた。 「女の子同士の話に男が口挟むなんて野暮だぞ、クラウド?」 「…ザックス…またいつの間に…」 呆れた声が2人の頭上から降ってきた。 クラウドは勿論だが、エアリスもすっかりザックスの神出鬼没な登場に慣れた。 拗ねたような顔をザックスに向けると、口パクでクラウドへの抗議を訴える。 「そうだよなぁ。わざわざシャルア博士を通じてクラウドや俺をたぶらかそうと目論んでるとは思えないよな」 そんなことしたら、逆にティナの実家は博士によって抹消されちまう。 クラウドはザックスのしたり顔にイラッときたようだ。 眉間にしわを寄せて、 「そんなことを考えたんじゃない!」 語気も荒く否定した。 「へぇ、じゃあなに考えたんだ?」 否定出来るものならしてみろよ、と言外に言っている。 第二王子はイライラとベンチから立ち上がった。 「別に、ザックスには関係ないし」 「エアリスには関係あるのか?」 ふんっ!と言いたげに跳ね返したクラウドは、ザックスの切り返しに言葉を詰まらせた。 視線を彷徨わせながら、「……………いや……別に」とモゴモゴ言い訳をする。 なんとも説得力のないその台詞に、 「なんだそれ」 ザックスは呆れた顔をした。 エアリスも同様だ。 なんというか、正直者にもほどがあるのではないだろうか…? (こんな調子で世間を渡っていけるのかしら…) かなり不安だ。 そんなエアリスの不安をよそに、クラウドは何度か大きく息をしたが、踏ん切りをつけたのだろう、大きなため息をついた。 それは、『降参』を現していた。 「幼馴染にちょっと似てるかな…って思って…」 白状したその内容に、ザックスとエアリスは顔を見合わせた。 エアリスはクラウドの過去を知らない。 だから、幼馴染に気づかないで頭ごなしに怒鳴りつける可能性など考えられない。 しかし、ザックスはその辺、クラウドを良く知っているので、 「へぇ…そうなのか…?」 と目を丸くした。 エアリスはクラウドを…、次いでザックスを見た。 照れ隠しに顔を伏せているクラウドにどういうことか説明してもらうのは至難の業だと判断したからだ。 ザックスはエアリスの意図をちゃんと理解した。 「クラウド、良いか?」 なにを? とは言わない。 それだけで彼の言わんとしていることを察したクラウドは、少しだけ躊躇ったものの、ふっ、と軽く息を吐き出し、話し出した。 「俺の両親が亡くなったのは7年前だ。それまでは、隣の国に両親と3人で住んでた。そのとき、俺の隣の家に住んでた女の子がいたんだけど、その子とティナが似てるなぁって思って…」 「お前、ティナを最初見たときには気づかなかったんだろ?なんでそう思ったんだよ」 膝を組み、その膝の上に肘を着いて頬杖を着いた怪訝そうなザックスに、クラウドはほんのりと目元を赤くした。 「…別に…」 「ウソつくならもっとマシなウソをつけ」 ジト目で見やるザックスの隣で、力いっぱいエアリスも頷いた。 クラウドは脱力したようにガックリ肩を落としたものの、結局最後まで頑として口を割らなかった。 「お前、よっぽど恥ずかしいこと想像したんじゃないだろうな」 執務に戻る直前。 この挑発的なザックスの台詞にも屈しなかったクラウドに、エアリスはいささか面白くないものを感じつつ、ティナは本当にクラウドが思っている通り、彼の幼馴染なのだろうか…?と考えたのだった。 クラウドは元より、ザックスも忙しい。 「あいつ…本当になんでもかんでも秘密主義な奴なんだからなぁ。でもまぁ、それを1つ1つ暴いていくのも楽しいんだけどな」 そう笑顔を残して第一王子も執務に戻っていった。 エアリスを部屋まで送ろうか?と聞いてくれることを忘れなかったザックスに、エアリスは昨日同様、笑顔でそれを辞した。 まだ今日はこのまま風に当たりながら、少しくらい歩いてみたかった。 歩くたび、動くたびに足はナイフで刺されたような激痛に見舞われたものの、城の中庭は広く、美しく、その眺めと風が運んでくる草や花の香りに意識を集中させれば痛みは和らいだ。 (本当に素敵よねぇ…) 海底の世界も十分美しかったが、こうして陽の光に輝く世界はまた格別に美しい。 ゆっくりと庭をそぞろ歩いていたエアリスは、ふと何かの『音』を耳にして立ち止まった。 『音』…ではない。 これは…。 (歌…?) 誰が歌っているのだろう? そっとその歌声の方へ足を向ける。 徐々に近づくその歌声は、やがて明瞭な歌詞を耳に届けた。 ― 優しき者へ 神の祝福あらんことを 悲しむ者に 神の慰めあらんことを 命はすべて 神のいとし子 怒りを捨てて 手を取り歌おう ― エアリスは驚愕した。 その歌は、亡き母がよく歌ってくれた子守唄。 クラウドを助けることが出来た浜辺で歌った子守唄なのだから。 (まさか…!) 妹姫たちがこの城に!? 足の痛みも忘れ、エアリスは駆け出した。 美しく剪定された垣根を回り、そこにいた人物にエアリスは目を見開いた。 相手もびっくりして目を見張っている。 「エアリス……さん!?」 (ティナ…!?) 芝生に直接腰を下ろしている白衣の女性、ティナが呆然とエアリスを見上げていた。 |