「通さなくても良い。母上がどうせ相手をして下さっているんだろう?それだけで十分のはずだ」
 自分を背に庇い立ち、切って捨てるように言い放ったザックスの横顔をクラウドは見つめた。
 激しい嫌悪を宿し、クラウドを何が何でも守ると言う意志が表れている横顔を。

 クラウドは胸がいっぱいになった。







人魚姫の恋 番外編 第二王子の恋 3








 クラウドは目の前に女王然として座る養母とは別の、もう1人の伯母を見下ろす形で立っていた。
 先ほど見せてくれたザックスの思いがなければ、この伯母とこうして相対することなど出来なかったと思う。
 こんなにも見下げ果てた伯母に、凪いだ気持ちで接することが出来るとは…。

「スカーレット伯母上、これを…」

 彼女が自分に面会をした目的のものを渡す。
 部屋に着く直前、そっとリーブ大臣が渡してくれた金の入った袋。
 もう幾度目にもなるこのやり取りに、大臣は何も言わず察して用意してくれていた。
 それがありがたい。

「まぁ、すごいじゃないクラウド、キャハハハ!やっぱり、『バレンタイン王国』は羽振りが違うのねぇ」

 ジャラジャラと音を立て、下品にもその感触を確かめている伯母に、クラウドは心底吐き気がした。
 同時に、言いようのない哀れみがこみ上げる。
 彼女は金と地位以外に信じるものがないのだから。
 生きていく中でそれにしか執着出来ないとは、寂しすぎるではないか。

 そして、そういう風に考えられる自分の幸福を思わずにはいられない。

「それにしても、本当にお前が無事で良かったこと!船から投げ出されたって聞いたときは心臓が止まるかと思ったのよ〜!」
「……流石、情報が早いですね」
「当然よ。お前が海に投げ出されてからもう一週間が経つじゃない。こんなに時間が経ってるのに知らないはずがないでしょう?」

 よく言う…。

 クラウドは憤りを全く感じることなくあきれ返った。
 少し気をつけて探れば分かるほど簡単なからくりで、ザックスを狙った黒幕の正体を暴こうとするならば、ザックスがいなくなって一番得をする人間、あるいは国や諸侯のような組織を弾き出せば良い。
 そうして浮かび上がった人物が目の前にいる。
 しかも、いけしゃあしゃあとして…。

「…伯母上の屋敷からここまで来るのに3日はかかるかと思いますが…」
「キャハハハ、えらくつっかかるのねぇ、クラウド」

 皮肉を込めてそう言うと、伯母は耳障りな笑い声を上げながら妖艶に足を組みなおした。
 そんな彼女をこうして目にするたびに思わずにはいられない。

(なんでこんな女と母さん、同じ血を引いてるんだろう…、何かの間違いじゃないのか?)

 不思議で仕方ない。
 父はルクレツィアがヴィンセント王に見初められて王妃となったとき、与えられる親族の特権全てを固辞した。

『俺が偉くなったわけじゃないし、特権がなくても姉さんと姉弟という関係がなくなるわけじゃないし。何より今の生活が気に入ってるからさ』

 父はそう言って闊達に笑った…とルクレツィアからは何度か話を聞いていた。
 そして、その父の決断を母は笑って受け入れたそうだ。
 それを聞くたび、自分も両親のようであろう、と心に固く誓ったものだ。
 だが…。
 この目の前の女はどうだろう?
 実の甥に金をせびり、その金で豪遊する。
 そしてなくなったらまたせびりにきて…。

 遠縁にあたるルクレツィアにスカーレットが金をせびらない理由はひとつ。
 城への出入りを禁止されてしまうからだ。
 一番最初、スカーレットはルクレツィアにせびったらしい。
 それはもう7年以上も前のことだ。
 一度だけ、借金の肩代わりをしてやるが、これっきりだ、ときつく言われていたにもかかわらず、スカーレットはすぐまたバレンタイン城を訪れた。
 そのとき、ルクレツィアはスカーレットを衛兵に命じて城外にたたき出したのだ。
 彼女が決して脅し文句だけでは済まさないと身をもって知ったスカーレットは、クラウドがルクレツィアに引き取られたのをきっかけとするまで、ずっとバレンタイン城にやってくることはなかった。
 今、こうしてクラウドにせびりに来るために城訪れている名目は、
『可愛い甥に会いに』
 となっている。

(なにが『可愛い甥』だ)

 心の中でため息を1つ。
 本当はもっと早く決断しなくてはならなかったのだ。
 だが、数少ない親族の1人だと思ってしまって、どうしても踏ん切りがつかなかった。
 しかし、もう潮時だ。
 この目の前の女は大切な兄を弑(しい)そうとしたのだ。
 許せるはずもない。
 それに…と、クラウドは思った。
 エアリスの顔が脳裏に浮かぶ。
 記憶を失ったと言う彼女。
 全く見も知らぬ城の中、不安も溢れんばかりにあるだろうにそれをおくびにも出さず、明るく笑っている強い彼女。
 女の身でありながら、逆境に真っ直ぐ立つ彼女の姿勢を見習いたいと心から思う。
 そしてなにより。


 ― 『お前、本当に分かってねぇよ!いつまでも惨めな顔してるんじゃない!アイツとお前は別の人間だ、お前は俺の弟でこの国の第二王子!それを誇りに持て!!でないと、いつまで経ってもアイツに食い物にされるだけだぞ!?』 ―


 ザックスの怒鳴り声が耳の奥で蘇った。
 あの優しい兄をこれ以上、悩ませるなど男が廃る。


「伯母上、ここにはもう金輪際来ないで下さい」


 一瞬のしじま。
 スカーレットはポカン、と口を開けた。
 クラウドの言葉が徐々に彼女の脳に浸透していくにつれ、スカーレットは美しい顔を引き攣らせた。

「な、なにを言ってるのかしらねぇ、クラウドちゃんったら」
「伯母上、もう一度言います。二度とここに…、この『バレンタイン王国』に来ないで下さい」

 作り笑いに失敗した伯母にきっぱりと言い放つと、スカーレットは勢い良く立ち上がった。
 そしてその勢いのまま手を振り上げる。

「伯母に向かってその口のきき方はなに!?」

 ヒステリックな怒鳴り声と共に、振り上げられた手が振り下ろされた。
 クラウドはその平手を甘んじて受けはしなかった。
 振り下ろされた手首を掴むと、至近距離で伯母を睨む。


「あの夜、伯母上が差し向けた刺客にザックスが突き落とされそうになったのはもう分かってる」


 ギョッ、と伯母は目を見開いた。
 その目をクラウドは真っ向から睨みつけながら、城に戻ってから極秘裏に調べていた結果を口にする。

「アンタは俺をこの国の第一王子にしたいんだろうけど、そうはいかない。俺はあくまでザックスの従兄弟。それは養子として迎えられても変わらない事実。この国の正当な王位継承者はザックスただ1人だ」
「な…なにを…」
「しらばっくれても無駄だ。あの嵐の夜、部下を使ってザックスを甲板に呼び出しただろう。伯母上、アンタのお抱え占い師はよく当たると評判だったな。嵐が来る時刻にザックスを甲板に呼び出して、手下に突き落とさせたんだろう」

 言いながら、クラウドはあの夜を思い出していた。
 荒れ狂う海に翻弄される船の甲板。
 ザックスの背後ににじり寄る男の背。
 咄嗟に動いた自分の身体と驚愕に見開かれたザックスの瞳。

 よく、あの嵐の中、ザックスを助けられたものだ…と思う。
 それに、自分自身もあの荒波に放り込まれてよくぞ無事にこうして生還出来たものだ…と。

 胸の中で様々な思いが交錯しながらクラウドは続けた。

「ザックスの後ろを異様に付きまとう奴がいたから気になった。いつものザックスなら絶対に隙を見せないけど、流石にあの嵐では背後に注意が向かないだろうって考えたんだろ?」

 スカーレットはワナワナと震え、この危機的状況の突破口を探していた。
 そして、予想通りの台詞を口にする。

「キャ、キャハハハ、そ、それが本当なら、どうして国王や第一王子に言わないのさ!」

 本当に…なんて愚かな女だろう。
 こんな女と少しでも同じ血を引いているとは信じたくない。

「そんなこと言わなくても分かるだろう?ルクレツィア伯母上のためだ」

 とうとうスカーレットの引き攣った笑いが消し飛んだ。
 瞳には凶悪な色が宿る。
 しかし、クラウドは怯まなかった。
 もう自分は7年前の幼い子供ではない。
 この国の第二王子なのだから。

「自分の弟の妻の姉が犯罪に加担したと分かったら、伯母上の評判が落ちてしまう。国王である伯父上にも累が及ぶ。そんなこと、絶対にさせられない」

 唇を引き結び、目をせわしなく動かしてなんとか言い繕おうと言葉を探しているスカーレットに、クラウドははっきりと告げた。


「あんたのお抱え占い師であるハイデッカーが捕まるのも時間の問題だ。とっととここから出て行って今後の身のふり方を考えるんだな」


 それは、長く自分が抱えていた『バレンタイン王国に相応しくない人間』という劣等感への決別でもあった。


 *


 クラウドは晴れやかな気持ちで中庭へ行くべく広い廊下を歩いていた。
 こんなに清々しい気持ちになったのは、バレンタイン城に来て初めてのことだ。
 ようやっと、長年のコンプレックスを克服できた。
 これで自分を引き取って育ててくれた伯母夫婦へ恩返しが出来る第一歩を踏み出せたのでは?と、気持ちが浮かれてしまう。
 勿論、これくらいのことで第二王子としての責務が果たせるわけではない。
 外交に絶対不可欠な対人技術をもっともっと学ばなくてはならないことは分かっている、充分過ぎるほどに。
 しかし、『第二王子』として頑張るという自覚がようやっと自分の中で生まれたのだ。
 これはクラウドにとって大きな変化だった。
 それも全て、エアリスが城に来てからの奇跡。

 クラウドはどうしても、この弾むような気持ちをエアリスに話したかった。
 無論、全てを話すつもりはない。
 伯母の一件を彼女は知らないのだから。
 だが、さきほどザックスと一緒にいる時に見せてしまった醜態をどうしても消してしまいたかった。
 リーブがスカーレットの来訪を告げたときの醜態を…。
 それに、エアリスも心配してくれていたし…。

 回廊の終わりに差し掛かったとき、クラウドはふと足を止めた。
 数名の女性の声が聞こえたのだ。
 しかも誰かが泣いていて、それを周りの人間が慰めているようだ。

 そっと足音を殺して回廊の終わりを窺うと、メイド姿の女性が顔を覆って泣いていた。
 その彼女を同じく3人のメイドが慰めている。
 クラウドは眉根を寄せた。
 折角目的地に到着したと言うのに、なんともマズイ場面に遭遇してしまった。

(仕方ない)

 泣いているところを自分のような者に見られるのはメイドもイヤだろう…と、もと来た道を引き返し、中ほどにある別のルートから中庭を目指そうと背を向けた。

「あんな…どこの誰とも分からない女が、ザックス殿下の愛人にだなんて!」

 はい!?

 クラウドはギョッとして足を止めた。
 壁にビタッ!と背をつけ、やかましい心臓を宥めつつもう1度メイドたちの方を盗み見る。
 慰めていたメイドが一生懸命彼女の背を撫でたり、
「そうよね、そのとおりよね」
 と宥めていた。
「ずっと…ずっとお慕いしていたのに。身分違いの恋だって分かってたけど…それでもどうしても…どうしても…」
 嗚咽交じりの彼女の言葉はクラウドの胸を抉った。
 そこまで人を好きになれるものだろうか?と思ったし、同時にメイドがとても羨ましくなった。
 自分なぞ、初恋の少女の面影を思い浮かべるだけで、まだ何も行動出来ていないというのに。

「ねぇ、でもこう考えてみたら?エアリスとかいう女が殿下の愛人になれるなら、私達メイドにだってそのチャンスはあるわよ」

 おいおいおい!!

 クラウドは目をむいた。
 あるわけない、そんなこと!
 大体、国王であるヴィンセントですら、王妃であるルクレツィア以外、后も側室も、愛人もいない。
 そのことをこの城で働くメイドなら重々承知しているはずなのに…。

(い、いや、そうだな、友達を慰めてるだけだもんな)

 必死になって自分の中で彼女達の言葉を理解しようと勝手な解釈をする。
 そんなクラウドの努力をあざ笑うかのように、慰めていたメイドが口を開いた。

「それよりも、エアリスとかなんとかいう女をアンタが『助ける』ってのはどう?殿下にとってアタシ達は沢山いるメイドの1人よ、どう頑張っても気づいて頂けないわ。なら、殿下が注目するようなことをしたら良い、そう思わない?」
「そうね!それは良いわ。じゃ、早速エアリスに起こるトラブルってなにが相応しいか考えなくっちゃ」

 は!?

 クラウドは驚きのあまり頭が一瞬、真っ白になった。

 このメイドたちはなんてことを話している!?
 ザックスに気づいてもらうためにエアリスを陥れようとするなど正気か!?

 泣いていたメイドは仲間のその言葉に顔を輝かせ、彼女を慰めていたメイドたちも一種の『同志』感覚に陥ったようで、
「「「 打倒!エアリス〜!! 」」」
 という、わけの分からないことを宣言し、自分達の仕事に戻っていった。

 彼女達がいなくなって数分後、クラウドはさきほどまでの気持ちとは一変し、鬱々とした気持ちで中庭を歩いていた。
 なんとも…女心が分からない…。
 確かに、ポッと出たような人間に長年憧れていた人が心を寄せるようなことになったら耐え難いだろう。

「だからと言って、陥れようとするか?」

 憮然としながらぼやく。

 困った。
 どうやってエアリスを守ったら良いだろう?
 ザックスに相談するべきだろうか?
 ザックスならそこのところは上手にしてくれそうだな…。

 などなど、考え込みながら歩いていたクラウドは、いつの間にか中庭の奥まったところに辿り着いていた。
 王族、貴族以外の立ち入りは許されない場所。
 そのはずなのに、なにやら女の声がする。
 たった今、目にしたメイドたちの姿が脳裏に浮かんだ。
 クラウドは焦燥感に駆られて駆け出した。

(もうメイドたちの手が?!)

 声の出ないエアリスは助けが呼べない。
 よしんば呼べたとしても、この場所で助けを求めようとしても無理なのだが、それでもクラウドにはそんなことは些細なことでどうでも良かった。

 大切な人を傷つけるような輩は絶対に許さない。

 その気持ち1つしかなかった。
 だから…。

「お前、見ない顔だな。ここで何をしている」

 白衣を着た女に対し、最初から敵意しかわいてこなかった。
 慌ててクラウドの上着を引っ張って押しとどめようとするエアリスの意志すら通じない。
 それどころか、エアリスはこの不届き者に騙されている!とすら思っていた。
 何しろ、エアリスは優しすぎるお人よしなのだから。

 彼女を背に庇い、大きな黒縁めがねをしたお団子頭の女を睨みつける。
 彼女が硬直したまま目を見開いている姿は、いつものクラウドなら『怯えている』のだと分かっただろう。
 しかし、今、クラウドの目にはそれすらも『芝居』にしか見えなかった。
 なんとしても、エアリスが傷つけられる前に手を打っておきたかった。

「誰だと聞いている!」

 硬直したまま答えられない女に、苛立ちがいや増す。
 そんなクラウドをエアリスが必死になって止めようとする。

「エアリス、俺の後ろに」

 女を警戒しながらエアリスに下がるよう指示したが、ブンブンッ!と首を横に振って拒むエアリスにクラウドの苛立った神経が逆なでされた。

「わがまま言わないでくれ。この女が何者か分かるまでは」

 人の良いエアリスがまんまと騙されていると思い、クラウドは相手が女であろうと容赦出来ない気分になった。
 歩くと足が痛いはずのエアリスがそれでも自分と女の間に飛び出そうとする気配を感じ、それを制そうとした。
 そのとき。


「私の遠縁の者ですよ、殿下」


 ガサッ。
 草を踏む音と共に、白衣を着た隻眼の美女が現れた。
 自分を睨み付けながら女を背に庇うようにして立つシャルアに、クラウドは眉をひそめた。

「遠縁?」

 一瞬だけだがシャルアを疑った。
 しかし、彼女はウソを言う女ではないことをクラウドは城に来た年月によってよく知っていた。
 ならば、本当にこの女はシャルアの親戚…?

 クラウドの中で膨らんでいた危険な思いが急速に消えていく。
 シャルアは隻眼を鋭く細め、クラウドを睨むように真っ直ぐ見据えて逸らさない。
 その瞳はとても冷たく、頭に上っていた血を冷ますには充分だった。

「えぇ。昨日付けで私の助手となったティナです。ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。ですが、この者、昨日到着したのはもう晩餐も済んだ後でしたので、今日ご挨拶をする予定でした。しかし、ザックス王子もクラウド王子も陛下のお召しを受けておられましたので午前中のご挨拶は叶わぬと思い、少し休憩を与えていたのです」
 何しろ、隣国より3日かけての長旅でしたから、疲れも溜まっていると思いましたので。

 最初から頭ごなしに『詰問』したクラウドへの怒りを感じさせる冷たい口調。
 クラウドは自分のしでかした大きな過ちに気づき、ティナへの悔恨の念でいっぱいになった。

「そうか……それは…その、すまなかった…」

 しかし、口に出来たのはなんとも陳腐な謝罪と言うにはお粗末過ぎる一言。
 シャルアは冷たい一瞥をくれると、ふいっ…、と背を向けた。
 そんな謝罪なぞ絶対に認めない、と無言ではねつけたのがクラウドには分かった。

「さ、戻ろうかティナ。あんまり遅いんで心配したんだぞ?」

 シャルアはクラウドへの態度とは打って変わり、優しい口調でティナに手を差し出した。
 クラウドの胸がズキッ、と痛んだ。
 彼はこの考古学者を尊敬していた。
 尊敬している人から軽蔑されてしまうことをしでかしてしまって、悔やまずにいられる人間がいるだろうか?
 しかし、結局クラウドは汚名返上するための言葉を口にすることも出来ないまま突っ立っているだけだった。

 よほどクラウドの怒りが恐ろしかったのか、目を見開き硬直したままのティナの姿に再び怒りを燃やしたシャルアが、これまで見たこともないほど冷たい怒りの瞳で睨み据えてきたとき、クラウドは思わず一歩、退きそうになった。

「……殿下」

 底冷えするような声音にゾッとする。

「どうしてくれるんです…?」
「ど…どう……とは…?」
「私の可愛い親戚の子を、こんな風に怯えさせて…」
「い、いや…その…だから、悪かった…と」
「謝って済むなら衛兵はいらないんですよ」
「………どうしろと…」

 あぁ、しまった…と、クラウドは嘆いた。
 こんな風に『軽く』済ませるつもりはなかったのに。
 だが、どうして良いのか分からなかったのも事実。

 不甲斐ないクラウドに、シャルアの怒りオーラが大きくなり、罵声を浴びせられるかと内心首をすくめたクラウドだが、
「ふんっ」
 心底軽蔑した目で睨んだだけで、シャルアは硬直状態のティナの肩をそっと抱き寄せた。
 完全にクラウドを軽蔑し、これ以上話をするのは無駄だと言っているのだ。

 クラウドの胸がまたズキリ…と痛んだ。

「さ、戻って温かいものでも飲もうか」

 ぎこちなく歩き出したティナの肩をしっかりと抱いたまま、これみよがしにクラウドとエアリスの脇をゆっくりと歩いて立ち去ったシャルアを引き止めることも出来ず、クラウドは視線だけを2人に向けていた。
 そのとき、クラウドの鼻先をティナの髪の香りが風によって運ばれた。

 思わず振り返る。
 一気に鼓動が早くなった。
 彼女の髪から漂った香りは、古い記憶の中でも今尚、鮮明にクラウドの中に残されている大切な『花の香り』。

 香りに触発され、クラウドの脳裏を幼い頃の日々が蘇った。
 初恋の女の子と一緒に寝転がって見た、あの満月を…。

 信じられない思いで博士に守られるようにして去るティナを食い入るように見つめる。
 だが結局、2人の背が見えなくなってもクラウドはその場に根が生えたように動けなかった。


「なにやってんだ、2人とも?」


 怪訝そうにザックスが声をかけてくれるまでエアリスと2人、呆然と突っ立っていたのだった。