「これで俺が本当に結婚したら、変なやっかみって無くなると思うか?」

 悄然とした様子のザックスに、クラウドは淡々と言った。


「さぁ?俺たちが出来るのはそうなるように祈るだけだな」







人魚姫の恋 番外編 第二王子の恋 5








 クラウドはベッドにゴロリ…と横になった。
 今日一日を振り返るとあまりの情けなさにため息しか出てこない。
 唯一、自分らしく動けたと思ったのは、ザックスに恋焦がれているメイドの淹れたお茶から兄を救えたことだけだ。
 勿論、何も入っていない可能性のほうがうんと高いのだが、呪い師に頼んで惚れ薬をいれていないとも限らない。
 今まではそういう『愚行』を起こすところまで気持ちが昂ぶっていなかったと思われるメイドだが、今回目の当たりにした『打倒エアリス事件』がある。
 彼女の登場でメイドの気持ちが大きく揺さぶられたことは間違いないのだから、用心に越したことはないはずだ。

「それにしても…」

 はぁ…。

 またため息を吐く。
 どうも上手くいかない。
 今日一日、執務だけで終わってしまった……というわけではない。
 実は、多忙な時間の合間を縫ってティナを探してみたのだ。
 ところが、シャルア博士の研究室の近くを何度かウロウロしてみたものの、彼女の気配は全く無かった。
 それどころか、博士にすら会えなかった。
 影形もないティナという存在。
 本当に彼女はこの城にいるのかどうかすら疑わしくなってしまうほどで、クラウドは八方塞の気分だった。
 クラウドにあと、残されている手はただ1つ。
 研究室のドアをノックすることだけだ。

 しかし、そのただ1つの手段を選ぶだけの気持ちが固まらないまま1日が終わってしまい、自分の不甲斐なさに打ちひしがれている真っ最中なのだ。

 ベッドに横になったまま窓を見ると、今夜も昨夜と同じように月が美しく淡い光を放っている。
 このままで済ませるわけにはいかない。
 それは分かっている。
 早いうちに、彼女へちゃんと謝罪をして、この城に来た本当の目的を知らなくてはならない。
 本当にシャルア博士の助手ならそれで良いし、彼女が本当に『ティナ』という名前でティファとは別人ならそれも良し。
 改めてティファを探したら良いだけだ。

「明日こそ…」

 月を見ながらそう呟いたクラウドは、流石に2日連続で寝不足だったこともありいつしか柔らかな眠りに落ちていった。
 しかしクラウドの決意とは別に、バレンタイン王国は大きく動いていた。
 その大きな流れを暗示するかのように、その翌日、クラウドはティナのことを調べる余裕どころか、顔色が悪く、時折思いつめたように自分を見つめてくるエアリスに『大丈夫か?』と言う言葉をかける以外、何もすることが出来ないまま執務に終われて一日を終えてしまった。
 片付けても片付けても舞い込んでくる仕事の数々に、満足に休憩することも出来ないままだった。
 グッタリと疲れきって部屋に戻り、今日の忙しさはなんだったんだろう?とため息をつく。
 昨夜同様、ベッドに寝転がりながら月を見上げていると、今日一日の忙しさの合間に見たエアリスの思いつめたような顔を思いだした。
 ザックスも気づいていたあの視線は、間違いなく自分に向けられていた。
 目が合いそうになると慌てて視線をそらせた彼女の横顔は、『恋焦がれている』というものでも『見てはいけないものを見てしまった』というものでもなかった。
 クラウドに何か言いたいことがあると言っているようなものだった。

『エアリスにお前、なにかしたのか?』

 お休み、の言葉の後でザックスにそう問われたとき、クラウドは黙って首を横に振った。
 自分に思い当たる節はないが、もしかしたらなにかしてしまったのだろうか?
 そう、一抹の不安を抱きながら、明日、少しでも落ち着いたら聞いてみよう、と逸る己の気持ちを押さえ込んだ。
 いつも以上に足を庇って歩いていたエアリスに、問いただすことがどうしても躊躇われたからだ。

「……はぁ…」

 重いため息をこぼしたクラウドは、折角昨夜は眠れたというのに、今夜はまた、眠れそうにない予感を抱きつつ、目を閉じたのだった。

 翌日。
 外れて欲しかった予感である『眠れない夜をもう1度』を見事に再現してしまったクラウドは、陰気な顔で食堂に現れた。
 いくら一昨日、ちゃんと眠れたとは言えその前の二日間がまともに眠れていないのでどうにも頭がボーっとする。
 同じタイミングでやって来た陰鬱な顔のザックスに朝の挨拶が出来たのは、長年の習慣のなせるわざだ。
 まだきていないらしかったエアリスを呼びに行こうか?と2人連れ添って足を向けようとしたとき、リーブ大臣が食堂にスッと現れた。

「両殿下。至急、謁見の間へおいで下さい」

 イヤな予感がクラウドとザックスの胸に広がる。
 しかし、この国一番の権力者の召しに速やかに応じることは、身にしみている習慣のようなものだ。
 不安を抱えて召しの応じた2人に、

「ザックス、急な話だが今日の午後、お前の婚約者と正式に婚約式を執り行うこととなった」

 と、無情にも言い放った。
 ザックスは勿論、クラウドも息を呑んでその言葉を受け止めた。
 受け止めざるを得ないのだ、この場合。
 国王自らがそう宣言したということは、覆ることのない決定事項。
 ここで異議を唱えても無駄だ、と骨身に染みて2人は分かっていたし、反論するだけの余裕もなかった…と言うほうが正しいかもしれない。
 我を取り戻したザックスがぎこちなく最敬礼をしてその命令を受け入れた姿で、クラウドもようやく現実に戻った。
 そして、ザックスに負けず劣らずぎこちなく最敬礼でヴィンセントとその隣に腰掛けているルクレツィアへ応じる。
 王妃は終始無言だったが、その瞳がとても悲しそうだったように、2人には見えた。
 ヴィンセントとルクレツィアは大恋愛の末の結婚だったので、恐らくこのような形で『政略結婚』をすることになってしまった可愛いわが子のことを不憫に思っているのだろう。
 その母としての心をザックスもクラウドも感じてはいるが、だからと言ってありがたいと思えるような状況でもない。
 2人は黙って頭を下げた。


 *


「クラウド…、俺がエアリス迎えに行って来る」

 言外に、彼女と2人にして欲しいとの意味を含め、ザックスはクラウドを置いてエアリスの部屋としてあてがわれている客室へと去って行った。
 その後姿を見送りながら、クラウドは胸の中のモヤモヤを持て余していた。
 力なく歩く兄の後姿に胸が痛む。
 エアリスが現れる前なら、兄がここまで思い悩むことはなかったはずだった。
 タイミングが悪すぎる。
 兄にとっても、エアリスにとっても。
 そう考えて、
(いや…そうじゃないな)
 すぐさま否定した。
 どちらにしても、エアリスをこの城に連れ帰ったこと自体が間違いだったのだ。
 ザックスはこの国の第一王子。
 第一位王位継承者だ。
 彼は国を守る責務を担っている。
 その責務は第二王子よりも重い。
 その兄とエアリスが、まさかこのようなことになるとは思わなかった。(…いや、勿論本人達はまだそこまで自覚していないかもしれないが、第三者的に見ているとどうしても2人は共に惹かれあっているようにしか見えない。)
 それなのに、諸外国との関係をより良いものとならしめるためにはその手段として、婚姻関係を結ばなくてはならないのが王族の務めだ。
 だから、出会ったタイミング云々の以前にザックスとエアリスは決して結ばれることはない運命にある。
 それならばいっそ、会わなかったら良かったのに…。
 とそこで、クラウドは首を傾げた。
 なら養父母の場合は?と考える。
 庶民だった王妃。
 彼女を娶った養父は国内、国外から非難を受けたのだろうか?

「……?」

 そこまで考えてクラウドはふとその当時、養父母の婚姻による混乱はなかったのだろうか?と気になった。
 今までは、あまりにもヴィンセントが堂々たる治世をしていたので全く気にもならなかったが、王子時代から注目されていたはずのヴィンセントの婚姻は、諸外国の注目の的だったと想像するに難くない。
 それこそ、バレンタイン王国と懇意にしたがる国は多いのでなお更だったはずだ。
 人付き合いが苦手で、王族の中に溶け込めていないと有名なクラウドにですら、縁談をもちかけてくる国があるのだから。
 もしも、養父母が周囲の反対等々を押し切って結ばれたのならば、今回のザックスの縁談もなんとかならないだろうか?

 一瞬、芽生えた微かな希望。
 だがしかし、クラウドはすぐに頭を振った。

「……いや…もう無理か…」

 苦々しく呟く。
 具体的に話しがもう固まっているのだから。
 もしもここで、第一王子ではなく第二王子で手を打たないか?等々の提案をしてみろ、相手の国は侮辱されたと取るはずだ。
 外交で必要なこと。
 それは、約束を必ず守ることだ。
 相手の国だけではなく、その行く末を見守っている諸外国に知らしめるためにも、絶対に条約は守らなくてはならない。
 今日の午後、急遽決まった婚約式。
 それは、もう国同士の話が固まったことを表す。
 国同士の条約の前では、個人の意見や感傷など問題にならないし、問題にしてはならない。

 クラウドは重いため息を1つ吐き出すと、食欲のないままテーブルに着いた。


 *


 昼食後。
 クラウドは謁見の間でじっと重厚なドアを見つめていた。
 朝食前に告げられたとおり、今、謁見の間には国の重要ポストの人間が集まっていた。
 そのうち、最も高位に位置する者は王族と並んで最前列に並び、ドアを正面として腰をかけている。
 クラウドは勿論最前列。
 それは分かるのだが、なぜかシャルアまでもが国王の次に高位の扱いを受け、王妃の隣に腰掛けているクラウドの隣で豪勢な椅子に座っていた。
 不吉なものを感じながら横目でシャルアを窺う。
 彼女はいつもの白衣姿で背筋をピシッと伸ばし、全く気圧された雰囲気など微塵もなく椅子に腰をかけていた。
 豪勢な椅子に負けるどころか、相応しい堂々たるその姿に感心する。
 シャルアはクラウドが盗み見ているのに気づいているだろうに、涼しい顔をしてドアだけを見つめていた。
 それがクラウドにとって、居心地の悪い空気をさらに濃厚に感じさせられるものとなっている。
 ここに博士がいる理由を知らされないまま、クラウドは婚約式が始まるのを黙って待つしかなかった。
 ふと視線を転じると、多くの重臣に混ざってエアリスが所在投げに腰を下ろしているのが見えた。
 どうして身元の怪しい自分がこんな大切な席に呼ばれたのだろう?と思っているはずだ。
 クラウドは心の中で謝罪した。
 彼女がこの場に席を得られるようにしたのは他でもない、クラウドだった。
 ダメ元でリーブ大臣を通して国王に願い出たのだが、まさかこうあっさりと通るとは思わなかったので少し意外だったのは内緒の話だ。
 エアリスにはここで、ザックスとその婚約者を見てもらいたかった。
 彼女の知らない間に顔も知らない姫君とザックスが婚約する。
 それは、エアリスにとってとてもとても、つらいことにしかならないと思ったのだ。
 自分だったら、絶対に耐えられないはず。
 クラウドは自分とエアリスを置き換えて想像した結果、どうしてもエアリスをこの場に招いてやりたくなった。
 それが、彼女にとってどうなのかは分からない。
 もしかしたら、ザックスが自分ではなく他の女と婚約するのを見せ付けられることの方が辛いと思うかもしれない。
 だけど…。
 この一週間と少し、エアリスと一緒にいて思ったことがある。
 彼女は強い。
 強い彼女なら、きっと『せめて相手の顔を見ておきたかった』と思うだろうと考えた。

 弱い自分ですら、ティファが顔も知らない男と結婚するかも…と想像しただけでいてもたってもいられないのだから…。

 視線を転じ、ドアに向かって国王の右斜め前に立つ兄の背を見る。
 その表情は見えないが、恐らく無表情…、なんの感情も表していない顔で立っているのだろう。
 この国の第一王子として生まれたという自覚を幼い頃から抱いて育ったザックスは、完全に腹を括っている。
 それが出来る彼を、クラウドは誇りに思うと同時にとても痛ましく感じていた。
 自由に世間一般で言う『普通の恋愛』をすることが許されない王族とは、なんて悲しい一族だろう…?

 クラウドの感傷をよそに、とうとう重臣の1人が婚約者の準備が整った、と告げ、同時に大きなドアが開かれた。

「!?」

 クラウドは息を飲んだ。
 ハイウィンド王家の姫がその姿を現したとき、クラウドの周りから全ての景色、全ての音、全ての存在が消えて姫だけになった。
 だから、姫の登場で場がざわめいたことも、自分の隣に座っているシャルアがチラリ…と視線を向けたことにも気づかない。
 ゆったりとした足取りで王と王妃、そしてザックスの元へ歩く美姫に、その場の全員が目を見開いていたことにも気づかないまま、ただただクラウドは彼女を食い入るように見つめていた。
 漆黒の髪を結い上げ、ティアラと髪飾りで美しく飾り上げている。
 唇は自然な薄いピンクのルージュを施し、凛とした茶色の瞳を真っ直ぐ前へ向けている姫。
 楚々としたその佇まいはまるで歩く大輪の花。
 スッと通った鼻筋、形の良い輪郭にすべての顔のパーツが程よくおさまっている…。

 ゆっくり、ゆっくり彼女は歩く。

 クラウドは頭を殴られたような衝撃を受けていた。
 彼女がゆっくり近づくにつれ、3日前に見た『ティナ』だと確信した。
 大きなめがね、ひっ詰めたお団子頭、前髪までもピンで横わけにしていたティナ。
 その彼女がザックスの婚約者だった。
 もしも、衝撃がもう少しだけ少なければ、クラウドは驚愕の声を上げていただろう。
 しかし、声帯までも麻痺してしまうほどの驚きのお陰で、クラウドは椅子の上でただただ呆然と目を見張っているだけだった。

 姫はクラウドも含め、その場全員の驚きを集めたまま、ゆっくりとした歩調でザックスの隣に立ち、王と王妃を見上げるとスッと流れるような動作でドレスの裾を優雅につまんで一礼した。


「お初にお目にかかります。ハイウィンド王家、第一王女ティファにございます」


 クラウドは自分の視覚、聴覚が麻痺し、その力を放棄するのを他人事のように感じた。

 信じられなかった。
 あんなに恋焦がれていた幼い頃の思い出の彼女と、こんな場所で再会するとは。
 しかも、自分の兄の婚約者だという。
 それを信じろ、受け入れろと?
 兄の婚約者、という意味が分からない。
 ハイウィンド王家の第一王女だという意味が分からない。
 彼女はただの村娘だったはず。
 幼い頃、王族でもなんでもなかった『ただのクラウド』の幼馴染が、何故!?

 呆然としている間にも、彼女と国王ヴィンセントのやり取りは続いていた。
「ティファ姫、もうよろしいのか?」
「はい。この城とこの国の温かさを十分拝見させて頂きました。ハイウィンド王家の者として、この国に嫁げること、誇りに思います。父や母もさぞ喜んで下さるでしょう」
「そうか。シド王とシエラ王妃はお元気か?」
「はい」
「それは重畳」

 満足そうにヴィンセント王が頷いて、彼女の隣に立っているザックスを見たことも、まるで悪夢の中の出来事そのもの。
 黙って立っていたザックスが、父王に視線を向けられにわかに居住まいを正す。

「ザックス」
「はっ」
「明日、ハイウィンド王と王妃がお越しになる。私と共にお出迎えをしろ」
「はい」


「明日、ハイウィンド王と王妃がご到着なさったらそのまますぐ、婚礼の式を挙げる」


 王の爆弾発言に、場がまたもや騒然となった。
 ザックスもあまりの展開の早さにポカン…と口を開ける。
 クラウドは…。
 あまりの展開の早さに…というよりも、この出来事全てに頭と気持ちがついていっていなかった。
 ただ、養父であるヴィンセント王の言葉が、まさしく彼にとって死の宣告以外のなにものでもなく、魂が悲鳴を上げたのを持て余し、鋭く息を吸い込んだだけにとどまっていた。

 そんな様々な感情を一身に受けつつ、ティファは変わらず微動だにせずそこに立っていた。
 クラウドは、思い出の中の少女が一瞬で手の届かないところへ行ってしまったのを胸の痛みと共にぼんやりと感じ取っていた。


 *


「クラウド、どこか具合が悪いの?」

 ルクレツィアにそっと声をかけられたクラウドは、ハッと我に返った。
 慌てて表情を引き締めると右隣に座っている養母を見る。

「すいません、ちょっとここ数日、寝不足気味のものですから」

 ルクレツィアの眉が心配そうにひそめられる。

「あまり食も進んでいないようですが…今宵はめでたい席。あと少し、頑張ってね…?」
「はい」

 周りで食事をしている国王や重臣たちに聞こえないよう潜められた声に、クラウドはほんの少しだけ頭を下げた。
 本当は、晩餐の席を中座させてやりたい、というルクレツィアの思いが充分伝わってくる。
 しかし、王妃も言った様にこん夜の晩餐は『祝いの席』なのだ。
 バレンタイン王国第一王子とハイウィンド王国第一王女の婚約式が滞りなく執り行われたという…。

 いつもなら王族に混ざって重臣たちが食事を共にすることはない。
 しかし、今夜は『祝いの席』。
 重臣たちは、この『祝いの席』に招かれた誇りと、ザックスが美しい姫を婚約者に迎えたという喜びで誰も彼も、楽しそうに食事をしている。

 長テーブルの上座には国王と王妃。
 列席の上座には第一王子、向かい合わせの上座には第二王子。
 そして…第一王子の隣には…ハイウィンド王家第一王女の姿。
 彼女の隣には、彼女の親戚のシャルアが腰掛けていた。
 その次からは位に応じて席に着いている。
 エアリスは末席に座ることを許されていた。
 婚約式同様、所在無げに腰掛けている。

 クラウドは否が応でも視界に入るティファの姿に目を奪われないよう必死だった。
 だが、その努力もむなしく気がつけば視線を奪われているのだ。
 食べることも忘れ、飲むこともおろそかになってただただ、美しく成長した幼馴染に目を奪われる…。

 きっと、左隣に座っているリーブにはバレたはずだ。
 そして今、ルクレツィアにもバレてしまったことが分かった。
 となると、何食わぬ顔で第一王子とその婚約者へ適度に話しかけているヴィンセント王にもバレているだろう。
 この国の王は、鋭い紅玉の瞳で何もかもを見透かしてしまうのだから。

「陛下、このような素晴らしい婚約者を得られました我らが殿下に一曲、寿(ことほ)ぎの歌をご披露させて頂きとう存じまする〜」
「是非とも〜」

 晩餐も進み、ホロ良い気分になった重臣たちが席を立って一礼した。
 席に着いていた他の者たちが笑いながら拍手を送る。
 ヴィンセントは黙って片手を軽く上げ、その申し出を許可した。

 朗々たる歌声が響く中、クラウドは食欲のないままとうとう最後の皿を下げる意思表示として、手にしていたフォークとナイフを皿の左に揃えて掛け置いた。

 何もかもが苦しかった。
 ずっと探していたティファが目の前にいることも、彼らの寿ぎの歌をティファがザックスと並んで腰掛け聴いていることも、重臣たちがザックスとの婚約を祝っていることも全部。

 彼女の婚約者が自分でないという事実を目の当たりにして苦しくて仕方ない。
 それなのに、この場から逃げ出すことはおろか、異議を唱えることすら許されない雁字搦めの状態にただ縛り付けられ、甘んじて受け入れている弱い自分。

 いっそ、誰か今この場に乱入して俺を殺してくれたら良いのに…。

 いつもなら絶対に考えないとんでもないことをぼんやり思いながら、クラウドは目を伏せた。
 だから気づかない。
 ティファがザックスへはにかんだように微笑んだことを。
 その微笑みのまま、そっとクラウドへ視線を向けたことを。
 そして、自分を見ることなく視線を落としているクラウドに、瞳を揺らめかせたことも…全部。

 そうして、寿ぎの歌を披露し終わったのを機にエアリスがそっと席を立ち、中庭へゆっくりその姿を消したことにも気づかなかった。
 エアリスが席を立った直後に晩餐はお開きになった。
 明日に備えて皆、早々に大食堂を後にする。
 ザックスは婚約者の務めとしてティファを部屋に送るべく、彼女の腰に手を添えて完璧なエスコートをした。
 その姿を見たとき、クラウドは本日何度目だろう…、頭を殴られたような思いを味わった。

 彼女に自分以外の男が触れる。
 それを、これから先ずっと、傍で見ていなくてはならないのだという現実を、唐突に突きつけられたような気がした。

「……」

 ゆっくりと深呼吸をする。
 でないと、わけの分からないことを叫びそうだった。
 喘ぐような思いで息を繰り返し、拳を握り締める。

「クラウド…」

 そっと背にルクレツィアの手の温もりを感じても尚、気持ちを上手く処理出来ない。
 苦心して振り返ると、痛ましい表情で自分を見つめる母の姿があった。
 その後ろでは、何を考えているのか分からない目で見つめているこの国の最高権力者。

 クラウドは感情の荒波によって震えそうになる唇を引き結ぶと、深々と一礼した。

「父上、母上、お休みなさいませ」

 そして背を向けると逃げるように大食堂を後にした。
 これ以上、哀れみに満ちた養母の目に晒されるのが耐えられなかった。
 だが逃げ出したものの、そのまま部屋に戻る気にもなれずぼんやりと空を見上げる。
 いつの間にか、クラウドは中庭の最奥に来ていた。
 そのことに気づかないまま、ジッと空を見上げる。
 空にはポッカリと浮かぶ、淡い光を照らす月。
 もう…月を見上げても懐かしい気持ちは蘇らない。

 どれくらいそうしていたのか。
 ひときわ強く夜風に撫でられ、クラウドはブルッ…と身を竦めた。
 すっかり身体が冷え切っている。
 空にかかっている月の位置からすると、いよいよ真夜中になっていることが容易に窺えた。
 だが、それがなんだというのだろう?
 明日には…、正確には今日、ティファは兄の妻になる。
 その姿を最前列で見なくてはならないのだ。
 いっそのこと、このまま凍え死んでしまったら良いのに。
 そうしたら、少しは彼女の心に自分と言う存在が残るかもしれない。

 いや…。

 そんな風に残ったからと言ってなんになるだろう?
 彼女は…少しは悲しんでくれるだろうか?
 それとも、『間抜けな第二王子がいたもんだ』と嗤うだろうか?
 きっと、彼女は嗤ったりしないで悲しむザックスを慰めるだろう。
 その姿をうっかり想像してしまってまた凹む。
 本当にどうしようもない。
 どうしたら良い?
 諦める?
 なにを?彼女を?
 彼女の隣に立つことを?
 彼女の存在を手に入れられないことを?

 あぁ!そんなこと無理だ!!

「……くそっ!!」

 堪えきれずに洩れた悪態。
 片手で顔を覆い、吐き出された血を吐くほどの想い。
 冗談でもなんでもなく、本当に誰かに殺して欲しいと願った。
 そのクラウドの耳に届いたのは、殺し屋の足音でも死神の鎌の音でもなく…。

 ガサッ。

 誰かが草を踏み分けた音と、息を呑んだ気配。
 ハッと顔を上げた先にいたのは…。


「…ティファ…」


 月光を浴びて青白く佇む兄の美しい婚約者。