思いがけずに一人旅 16




「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…!!」

 ティファは走っていた。
 とにかく自分に迫っているドラゴンをライフストリームの噴出口へ誘導すべく必死だった。
 しかしどうした事か、あと少しで噴出口が見える……という時点で、いつも木々の倒壊や土ぼこりで視界が悪くなり、やむを得ずに方向転換しなくてはならない羽目になっている。

 薄々感じてはいた。
 ドラゴンが噴出口へ誘導されるのをギリギリで回避していると言う事を…。
 それでも、今の自分達はドラゴンを噴出口へ誘導する意外に策は無い。

 幾つもの裂傷がティファの頬や腕、手足に出来て血が滲んでいる。
 舞い上がる土ぼこりの中に、小枝や石が混ざっていたり、枝から枝へ跳躍する途中で枝先に引っ掛けてしまったりして出来た無数のかすり傷…。
 しかし、そんなかすり傷などに構っていられない。
 耳元のすぐ近くでドラゴンが咆哮しているのではないか!?……そう思えるほどの大音量に鼓膜が破れそうだ。

 ピッタリと背後に差し迫っているドラゴンの存在に、ティファの全身からドッと冷や汗が吹き出した。

『ティファ!そのまま真っ直ぐ走って下さい!あと少しで噴出口です!!』

 リーブの懇願するような指示に、ティファは苦笑を漏らしはしたが、返事をするだけの余裕は無かった。
 ただただ、今は何とか目指す噴出口へ一刻も早く辿り着く事……。
 それだけを念頭に、ひたすら走った。
 しかし。

 奇妙な『クワンクワン…』という耳鳴りがする。
 何やら仲間達が叫んでいるような気もしたが、ドラゴンからの『空気』の攻撃ゆえか視界が歪む。
 そして、極度の眩暈がティファを襲った。


 ― もう……本当にしつこいんだから…… ―


 ボーっとしてきた頭を抱えながら、ティファは毒づいた。
 ドラゴンが肉薄してきたのを肌で感じる。
 それと共に、これまで以上の『空気』の攻撃が強くなったようだ。
 自分の周りから酸素がなくなるのをイヤでも感じる。
 必死に息をするが、何も肺に入ってこないのだ…。


 ― あぁ……本当にもう……いい加減にしてよ…… ―


 過度に身体を酷使して走っているのに酸素不足は致命的だ。
 おまけに、自分の周りにはサポートしてくれる仲間達の姿が見えない。
 仲間達の体力も限界なのだ。
 ドラゴンと自分に追いつけずにいるらしい…。
 リーブからは適切な指示を受けていた。
 そして、自分はその指示通り噴出口へ向けて走っていたつもりだが、酸素不足のせいか判断が鈍ったようだ。

『ティファさん!方向が逆です!!』
 リーブの悲鳴のような声がぼんやりした頭に響いてきた。


 ― …まったく……私ったら……何やってるんだろう…… ―


 どおりで誰も遺産を引き継ぎ来てくれないはずだ。
 仲間達はリーブの今の声で、自分に向かってくれているのが気配で感じる。
 しかし、それもボーっとした頭では本当なのか…それとも己の願望がそう感じさせるのか……甚だ心許無い。


 ドラゴンの熱い息吹が背中に吹き付けてきた。
 もう目の前まで迫っているのだろう…。
 それにつれて、足が段々もつれて動かなくなってきた。


『ティファさん!!今すぐ遺産を放棄して下さい!!』
『ティファ!!』
『ティファ、無理しないで!!!早く!!!!』

 リーブの指示と共に、子供達の悲鳴のような声まで聞えてきた。
 それまで子供達はジッと大人しくしていたのか、全く通信に入ってくる事は無かった。
 それなのに、こうしてリーブの通信に割り込んで来たという事は……。


 ― ああ… これは  ちょっと  ヤバイ  かな  ―


 ガクリと膝から力が抜ける。
 肩で息をしようとするが、全く何も肺に入ってこない。
 首を絞められてもいないし、水に溺れてもいないのに……窒息死寸前だ。
 視界がぼやける。
 ドラゴンの獰猛な牙が歪む視界に映った気がした。

『『『『ティファ!!』』』』

 仲間達の悲鳴が聞えた気がした…。
 遺産を遠くに放る力すら残っていない…。


 ― あ〜あ… 失敗  しちゃった  な…。引き際 間違えた  ―


 グラリと身体が傾く。
 苔の生えた大地と…肉薄してきたドラゴンが視界一杯に広がる。


『『『『『ティファ!!!』』』』』


 子供達と仲間の悲鳴が聞えた気がした。
 最後に残っている力を振り絞ってギュッと眼を瞑り、せめてドラゴンの牙に引き裂かれた時に悲鳴を漏らさないよう唇をかみ締めた。





 ドンドンドンドン!!!!
 グアオオォォォオオオンーーー!!!!!


 何かがドラゴンに撃ち込まれる音と…。
 ドラゴンの咆哮が鼓膜を直撃する。
 顔を顰めてうっすら目を開けた時…。

 フワリ…。
 自分の身体が重力を無視して抱き上げられた感触と…。



「ティファ!!」



 一番聞きたかった人の声が…。
 一番会いたかった人の顔が…。
 一番感じたかった人の温もりが…。

 ティファをしっかりと包み込んだ。


「……クラウド……?」

 自分は酸素不足の為に幻覚を見ているのだろうか…?
 それとも…。
 ドラゴンにもう殺されてしまって、最期に彼に会いに来てしまったのだろうか…?

 ボーっとした目でそんな事を考えるティファは、次の瞬間、
「良かった…間に合って……本当に良かった!!」
 強く抱きしめられて…。
 耳元で彼の心から安堵した…掠れた声を聞いて…。
 全身で彼のぬくもりを感じて…。

 視界が滲む…。
 と、同時に…。
「ゴホッゴホッゴホッ!!」
 急速に空気が回復したお陰で、肺に多量の酸素が吸入され、激しくむせこんだ。
「大丈夫か、ティファ!?」
 慌てて身体を離して背中を優しく叩いてくれるクラウドに、ティファはむせこんだ為か…それともクラウドに会えた為か…あるいは両方か…。
 涙目になりながらほんの少しクラウドを見つめ………、思い切り抱きついた。
「…かった……良かった……!!」
「…ティファ……」
「良かった…もう一度クラウドに会えて……ほんと……よかっ……」
 最後は嗚咽が混じって言葉にならないティファを、クラウドはギュッと抱きしめて何度も頷いた。
「うん、俺も……本当に良かった……」

『ティファ!?クラウド!?!?』
 子供達と仲間達の驚いた声が通信機から大音量で鼓膜を刺激する。
 思わず顔を顰めて離れた二人に、


「いい加減にもう良いですか?一応……ドラゴンの標的は俺達なんですが……」


 酷く冷静な声がかけられた。
 慌ててその声のほうを見ると、ハンドガンを両手に持ったクラウン隊員が呆れたような顔で傍らに立っていた。
「クラウンさん!!」
 クラウンの姿を認めたティファが、顔を輝かせる。
「ティファさん、間に合って何よりです……本当に……」

 心からホッとした顔をして青年はほんの少し微笑んだ。
 そんなクラウンに、ティファも、
「ええ…!本当にありがとう!!」
 満面の笑みでもって返答する。

 場合が場合なので…。
 その微笑に『安堵』以外の何ものも含まれていない……と思いつつも…。


『なに笑い合ってるんだよ…』


 などと少々ムッとする。
 そんなクラウドに、クラウン隊員はガラリと真剣な顔をし向き直った。
「そんな事よりも、今のうちに早くここから離れて下さい。あ、その前に…」
 ティファの手にあった遺産を取る。
「あ、ああ…そうだな」
 我に返ってドラゴンの方を見たクラウドとティファは、揃って目を見開いた。
 ドラゴンの後方に詰めていた仲間達も驚愕のあまり、目がこぼれんばかりに大きく見開かれている。


 どんな攻撃にも全くなんとも無かったドラゴンが…。
 クラウン隊員の撃った弾が被弾したと思われる箇所を中心に…。
 大きく円を描いて歪んでいるではないか!!
 それはまるで、かき混ぜているコーヒーにミルクを溶かしたかのような奇妙な渦状の歪み。
 その歪みから零れ出ているのは、ドラゴンの血ではなかった…。


「な、なにあれ……」
 呆然とユフィが呟く。
 仲間達も言葉をなくして食い入るようにドラゴンの被弾箇所を見つめた。


 エメラルドグリーンに輝く無数の粒子が空気中に漂い出している。


 その光の粒子はまるで…。



「「「「「「…ライフストリーム………?」」」」」」





 英雄達の驚愕の呟きが、シエラ号の操舵室にも伝えられた。
 リーブを初め、スクリーンを凝視していた全員の目も釘付けにした。

「なんだ……あれ……」

 呆然とクレーズが呻く。
 今の今まで英雄達の攻撃に対し、ダメージはおろかかすり傷一つ付かなかった化け物が、WRO隊員の放った弾丸で初めてダメージを受けた。
 おまけに、どうみてもそのダメージの受け方は……。


「あのドラゴンは……本当に『生きている』のか……!?」


 リーブが呻くように呟いた。

 弾丸を受けて傷を負ったのなら、普通は血が流れるはずなのに、ドラゴンは血を流さずに『光の粒子』を零している。
 そんな生き物が地上にいた話は、御伽話ですら聞いたことが無い…。

「……なんか……二年半前みたいだね……」

 マリンがポツリとそう言った。
 その言葉に、その場にいた全員が二年半前の光景を思い出す。
 二年半前……星がメテオから救われたその瞬間を…。



 しかし、その感慨も目の前のスクリーンの映像にたちまち消え去った。
「危ない!!」
「わっ!クラウド、ティファ!!」
 子供達の悲鳴が上がる。
 クルーと採掘作業員達が「ヒッ!!」と息を飲んだ。



 目の前のドラゴンの異変に呆けていたクラウド達に、当のドラゴンは容赦しなかった。
 被弾したダメージを負いながらも、攻撃を仕掛けてきたのだ。
 何故か、これまでのような『空気』での攻撃ではなく、太く長い尾での攻撃だったが…。

 その尾には無数の鋭い棘が生えており、「ビュン!!!!」と空気を裂くなんとも恐ろしい音を立てながら、英雄達をぶっ飛ばそうとしたのだ。
 そんな危険な尾で吹っ飛ばされたら無事ではすまない。
 大慌てで全員がその尾から逃れる。
 バレットは前方に身を投げ出し、そのまま頭から地面に突っ込み…。
 ユフィとヴィンセントは軽やかに宙返りをしてそれを避け…。
 ナナキは自慢の跳躍で縄跳びのようにそれを回避し…。
 シドは大きく仰け反って紙一重でかわした。

 そしてそんな中…。
 ティファを抱きしめたままだったクラウドは、皆よりも反応が遅れてしまった…。
 ティファ自身も、先程まで受けていたダメージの為、身体が動かない。

 仲間達の目が恐怖で彩られる。
 ドラゴンの尾が眼前に迫る光景が、やけにスローモーションに見えた。
 ティファはクラウドの胸にしがみ付いてギュッと眼を瞑り……。
 クラウドは、せめてティファにダメージがないように……と、ティファを庇うようにしてドラゴンに背を向け、身を硬くした。
 しかし…。
 襲ってくるであろう衝撃は全く予想外のものだった。


 ドン!!!


 想像していたのとは別の衝撃により、クラウドはティファを抱きかかえたまま思い切り前のめりに倒れこんだ。
 背中を強く押されたか……それとも蹴られたのか…。
 クラウドはティファ諸共、前のめりに倒れてその勢いのままゴロゴロと何回か転がった。
 地面を転がり終えた直後、ガバッと身体を起こす。

「クラウン!!!」

 目の間に倒れている青年に、クラウドとティファは全身から血の気が引いた。
 自分達二人を庇って隊員がドラゴンの攻撃を受けてしまったのだ。
 ドラゴンの攻撃を受ける前にティファから受け取った遺産が、彼の手を離れて転がっていくのが視界の端に映る。

『誰か遺産を!!』

 通信機を通して、リーブの指示が飛ぶ。
 一番早く反応したのはヴィンセントとナナキだった。
 遺産目掛けて突進しているドラゴンの足を潜り抜け、ナナキは間一髪で遺産をくわえ込むと、そのままの勢いでドラゴンの真横に追いついていたヴィンセントに遺産をパスする。
 ドラゴンが大きく口を開け、遺産を飲み込もうとするがこれまた間一髪でヴィンセントの手が掴んだ。
 怒り狂ったドラゴンに、危うくヴィンセントは遺産ごと腕まで食いちぎられそうになるが、それをバレットの機関銃がドラゴンの横っ面に向けて発砲され、ドラゴンの意識が一瞬それた。
 その僅かな隙のお陰で、ヴィンセントの腕は命拾いをした。
「ヴィンセント!礼は美味い酒で良いからな!」
「……無事に戻れたらな」

 バレットが陽気に言ったのに対し、ヴィンセントが片眉を上げてそれに答える。
 しかし、バレットの得意げな顔が瞬時に曇った。
 他の仲間も同様だ。
 バレットの攻撃に対し、相変わらずドラゴンはかすり傷一つ付いていないのだから…。

 クラウン隊員の攻撃には劇的な変化を見せたと言うのに…。
 一体、隊員の武器と自分達の武器と、何がどう違うと言うのだろう……。

「おらおら!暢気に話をしてる場合じゃねぇだろ!?その兄ちゃんは大丈夫か!?」
 気を取り直したように、シドが口を挟む。
 皆はハッと我に返ると、ドラゴンがヴィンセントを攻撃目標に定めた事を知り、一斉に自分の持てる力を振り絞って攻撃を再開した。
 そんな中、遺産を受け取ったヴィンセントは、倒れたままのクラウンをチラリと見てそのまま走り去った。
 隊員の容態が気にはなるが、ドラゴンの意識は自分に向けられている。
 ここで立ち止まって隊員の安否を気にしている場合ではない。

 ヴィンセントの気持ちを理解している仲間達は、目だけで会話を交わすと二手に分かれた。
 ヴィンセントを補佐する為にユフィとナナキとシド、そして、クラウン隊員を介抱する為にバレットが残る。
 一方、クラウドとティファは、あまりの事にクラウンの傍らに座り込んで呆然としていた。

「おい、二人共!!ぼんやりしてる場合じゃねぇだろうが!!」

 苛立たしげに駆け寄ったバレットは、うつ伏せに倒れている青年を抱き起こそうと腕を伸ばし……固まった…。
 そうして、何故クラウドとティファが呆然と座り込んでいるのか理解した。


 うつ伏せに倒れている青年の頭部からは、おびただしい流血。
 そして……。


 大きく剥がれた……頭皮……。


 髪がズルリと頭から離れている。
 その下には、彼の褐色の肌が引きずられるようにして奇妙に伸び、首から剥がれそうになっていた。
 ドラゴンの尾を頭部に受けたのは明白だ。


 そのあんまりな惨状に、ティファとクラウド、そしてバレットは言葉をなくした。
 心が凍りつく。
 何も考えられない。


 自分達を庇って一人の優秀な若者が星に還ってしまった…。
 突然、二年半前の光景が脳裏を駆け巡る。

 目の前で失ってしまったかけがえの無い仲間であり、親友であった彼女の姿。

 彼女も、手を伸ばせば助けられる距離にいたのに…。
 それなのに…。
 助けられなかった…。
 あの時に誓った。
 この手の届く場所にある命は、決してもう二度と失わないと!!
 守ってみせると!!
 それなのに……。
 また……失ってしまった……。


『クラウド!ティファ!!バレット!!!しっかりして下さい!!!!』


 リーブの声が、三人の耳に虚ろに響いた…。



 あとがき

 …………今回はノーコメントで……(逃走)