幸せのかたち 10
「あ〜…頭痛い…」
クラウドは、額を押さえながらゆっくりと体を起こした。
昨夜の酒が、見事に残っている。
目を開けるの辛い状態で、何とか部屋を見渡してみると、ティファと子供達の姿は既に無かった。
昨夜ティファが言っていたように、子供達を伴いアイリの見舞いに行っているのだろう。
部屋に備え付けられている時計に目をやると、既に十時を回っていた。
「………寝過ぎだな…」
一つ溜め息をつき、ベッドサイドに置いてあるミネラルウォーターを口に含む。
そして、一つベッドを挟んだベッドを見やった。
そこには、プライアデスが昨夜と全く同じ格好で眠っていた。
「……寝相が良いとかいう問題じゃないよな…。生きてるのか……?」
昨夜、彼の飲んだ酒の量から、(正確にはクラウドが飲ませたのだが)体調を崩してもおかしくはない…。
いささか心配になり、彼の眠るベッドにそっと近寄ると、微かにシーツが上下している。
とりあえず、顔色も悪くないようだし、息遣いもおかしくない。
クラウドはホッとすると、腕を組んだ。
さて……。
起こすべきか、このままもう少し寝かせてやるべきか…。
今日の昼前にはシドが飛空挺でやって来てくれる。
そのギリギリまで寝かせてやっても良いが、それでプライアデスが良いのかどうかは分からない。
それに、何も食べずに飛空挺に乗る事になるのも気の毒だ…。
クラウドは考えた末、一声だけかけてみる事にした。
もしも一言で起きたらそれで良し。
起きなかったら、もう少しこのまま寝かせてやろう。
そっと手を伸ばしてプライアデスに声をかけようとしたその時、彼の携帯電話が着信を告げた。
「おい!いないじゃねえかよ!!」
リーダー格の男が息を切らせながら、いまいましそうに舌打ちをする。
「看護師さんはここによく来るって言ってたのに…」
若干息を切らせながら、ティファはグルッと浜辺を見回した。
視界には、家族連れやカップル、そして友人同士といったごくごくありふれた人々。
アイリの姿は影も形も見当たらない。
「別の浜辺かも…」
追いついた他のメンバーも、グルッと見渡して額に浮き出た汗を拭う。
「でも、他の浜辺っつったって……」
途方に暮れた声を上げ、ピアス男がリーダー格の男を見る。
そう。
ここに来るまでに道は大きく分かれていなかった。
小さな細道ならいくらでもあるのだが、それはいずれも旧ミディール跡地に続いたり、森に続いたり、はたまた村の中心部に向かっていたりしており、看護師の言う浜辺に続く道は皆が通って来た道以外ではちょっと考えられない。
「なぁなぁ、ティファ。もしかして、姉ちゃんは別の所に行ってるんじゃないのか?」
「そうね…。誰もアイリさんを見てないって言うし」
ここに来るまでに出会った人達に、アイリを見かけたかどうか尋ねたのだが、ことごとく空振りに終わっている。
「くそっ!」
焦りから足元の砂を蹴り、イライラと周りを見渡すリーダー格の男に、ティファはふと思った。
彼は、もしかしたら…。
アイリに恋愛感情を抱いているのでは…?
だから、プライアデスに対して頑ななまでに拒絶の意思を抱いてしまうのではないだろうか…。
嫉妬…。
その一言の感情によって…。
ティファは何とも言いがたい複雑な気持ちがした。
だが、今はそんな事に気を取られている場合ではない。
彼女の場合、どこに何があって危険かという認識は出来ないだろう。
例えば、立ち入り禁止の立て札があったとしても、それと認識出来ないが故に足を踏み入れ、場合によっては大怪我する可能性だって十分ある。
それに、もしも旧ミディール跡地に誤って踏み込んだとしたら、それこそ一大事だ。
あそこは未だにライフストリームで満ちているのだから。
勿論、子供などが入れないようにフェンスを設けてはいるのだが……。
ピリリリリ…!
ティファの携帯が着信を告げる。
間髪いれずに通話スイッチを入れたティファの耳に、息を切らせたクラウドの声が響いた。
『どうだ、見つかったか?』
「ううん、駄目。浜辺にはどこにもいないわ。それに、ここに来るまで誰もアイリさんを見てないみたいなの」
『……違う場所に向かったか…?』
「多分…」
クラウドが一緒にいるプライアデスに、アイリが行きそうな場所を尋ねている声が、携帯越しに聞こえる。
いつの間にか、若者達が固唾を呑んでティファの周りに集まっていた。
『他に良く行く散歩コースを丁度回ってるんだけど、こっちにもどうやら来てないらしい。だから、残された場所は…』
「場所は?」
『多分、船着場だ』
「あ………」
クラウドの言葉で、ティファは昨日の看護師の言葉を思い出した。
診療所にプライアデスがやって来る少し前、彼女が突然ベッドから起き上がり、外に行こうとしていた。
看護師が『多分、船着場に行きたいんだと思うの』と、言っていたではないか。
「分かった。今から船着場に行くわ」
『ああ、俺達もあと少しで船着場に着くから』
「うん、分かった。じゃ、また後で」
携帯を切ったティファに、リーダー格の男が待ちきれずににじり寄る。
「船着場に行ったのか!?」
「ええ、まだ分からないけどその可能性が高いみたい。他にライ君とよく行く散歩コースにはいなかったって言ってたし。残ってるのは船着場くらいだって」
「「ティファ!」」
じっとしていられない子供達が、ティファを急かす。
一つ頷くと、あっという間に駆け出した子供達の後を追い、ティファも駆け出した。
そして、半歩ほど遅れて若者達も走り出した。
「おい、大丈夫か?」
クラウドは、自分の目の前をよろめき、蒼白な顔をして走る紫紺の瞳の青年に声をかけた。
まったくクラウドの声が聞こえないのか、ひたすら前だけを見て危なげな足取りで走り続けているプライアデスに、クラウドは少々力を込めてその肩に手を置いた。
「おい!」
「え…?あ、すみません」
漸く振り向いたプライアデスに、クラウドは溜め息を吐いてみせた。
「気持ちは分かるが、あまり焦るな。大丈夫だ…多分な」
「……はい」
「アイリさんを見つける前にライが倒れそうだな…」
ふぅ…、と再度溜め息を吐かれたプライアデスは、笑おうとして失敗した。
奇妙に顔を歪める彼に、クラウドは持っていたペットボトルを差し出す。
「これでも少し飲め。そんな二日酔いが酷いのに、無理して走るから死人みたいだぞ」
「すみません…」
差し出された水を一口含む青年の額には、びっしりと汗が浮き出ている。
そして、彼の左眉の上には今朝出来た青痣が……。
クラウドに叩き起こされたプライアデスは、酷い二日酔いだった。
鈍痛が走る頭を押さえながら目を覚ました彼に、クラウドはティファからの電話を告げた。
その途端、二日酔いでフラツクにもかかわらず、血相を変えてベッドから飛び出し、勢い余って酒の残る頭を強かにベッドサイドのテーブルで打ち付けた。
額を押さえて蹲るプライアデスをとりあえず助け起こし、アイリとよく行く散歩コースを探す事を提案、そして現在に至る。
クラウドはここに来るまでの短い時間で、青年がこのまま壊れてしまうのではないかと危惧するようになっていた。
彼の気持ちは良く分かる。
もしも、自分が彼で、ティファがアイリなら、同じ様に取り乱し、焦燥感に駆られるだろう。
しかし…。
昨夜感じた彼の脆さ…、ギリギリまで張り詰められた彼の心の糸…、それらがあと少しで本当に切れてしまいそうな印象を受ける。
それに…。
アイリを見つける事が出来ても、例の若者達が何と言うだろう?
ティファの電話では、どうも若者達も一緒にアイリを探しているようだった。
アイリを見つける事が最優先ではあるが、その後は……?
そこまで心配し、クラウドはふと己の心の変化に気付いた。
自分の身を省みず、彼女を優先させる紫紺の瞳の青年を応援したくなるのは、感情移入のし過ぎだろうか…?
そう自分を振り返って苦笑する。
まぁ、それも良いかもしれない。
これまでの他人に対してあまり興味を持たなかった自分には、良い変化なのかもしれない。
そう思える今の自分に、クラウドは少しの照れと、そして幸せを感じていた。
他人を心配し、応援したくなる感情を持てるようになったのも、全て家族のお陰なのだから…。
出来れば、彼にもこの幸せを持ってもらいたい…。
そう思いながら、クラウドはプライアデスと共に再び走り始めた。
船着場目指して…。
船着場に近づくにつれ、人が増えていった。
丁度、船が着く時間なのだろう。
出迎える人、見送る人、乗船する人、運搬を生業とする人、そして多くの車、バイク…。
それらが溢れ、港には活気が溢れていた。
それらの波を縫うようにして、クラウドとプライアデスは港を進んでいった。
途中、アイリの姿を見たかどうかを尋ねる事も忘れない。
しかし、どの人に尋ねても彼女の姿を見た人はいなかった。
人が多すぎて、彼女の姿を見ていたとしても記憶に残らないのだろう…。
クラウドとプライアデスは、そのまま港をぐるりと回るようにアイリの姿を探して走り回った。
「……いないな…」
「…………」
息を切らせて膝に手をつく。
肩で息をしている青年の顔には、これ以上は無いほどの焦燥感と苛立ち……。
まずいな…。
紫紺の瞳に揺らめく焦りと自責の念に、クラウドは眉を寄せた。
これで万が一、アイリの身に何かあったら、恐らく彼は壊れるだろう。
全てを自分のせいにして…。
アイリが診療所からいなくなったのはプライアデスのせいではないというのに、それでも彼は自分の責任とするだろう…周りが何と言おうとも…。
不器用で責任感が強く、そして甘え下手…。
周りに頼る事が苦手で、何でも背負い込もうとするその姿が、見ていて歯痒い。
クラウドは、ふいに大きく手を振り上げると、そのままバシン!と青年の背を叩いた。
「イタ!…え、何ですか???」
「一人で突っ走るな」
溜め息を吐き、苦笑する紺碧の瞳に顔をしかめていたプライアデスは、キョトンとする。
そして、「あ……」と小さく声を上げると、クシャッと顔を歪めて微笑んだ。
「……すみません」
「何でも自分のせいにするな」
「……はい」
「アイリさんがいなくなったのは、ライのせいじゃない」
「…………」
「返事は?」
紫紺の瞳を見開いたまま、グッと言葉に詰まる青年に、溜め息を吐いて腕組みをして見せる。
「………はい」
「よし!」
今にも泣き出しそうな顔をした青年の頭を、いつも子供達にしてやるように軽く叩く。
「じゃ、もう少し探そう。もしかしたら彼女は別の所に行ったかも知れないし…」
「はい!」
漸く肩の力を抜いて笑顔を見せた青年に、クラウドはふと思った。
もしも、弟がいたらこんな感じに触れ合っていたのかもな…。
残念な事に、兄弟を持つ事は出来なかったが、こうして年下の青年と肩を並べ、励ます機会に恵まれた自分を、やはり幸福な人間だと思える。
クラウドは幾分か元気を取り戻した青年を見て、柔らかな感情が胸に湧くのを感じた。
「あ…!」
突然、プライアデスが声を上げた。
「ん?もしかして見つけたのか!?」
「いえ…。もう一箇所探していないところを思い出しました」
「どこだ?」
クラウドの紺碧の瞳を、紫紺の瞳がまっすぐ見つめ返す。
「桟橋です。いつも、僕が船で帰るとき、先生と一緒にそこで見送ってくれてるんです」
「行こう!」
二人は走り出した。
プライアデスの言う桟橋は、港のほんの目と鼻の先にあった。
ただ、そこは岩場に囲まれており、あまり人通りがない。
時折、釣り人がやって来て釣り糸を垂らしたり、アイリや医師の様に、ミディールから船で出て行く人々を見送る人が訪れる程度だ。
それも、滅多にそういう見送りの人達は来ない。大体が港で見送りをするからだ。
ただ、医師と看護師はアイリを伴って港へ行く事を好まなかった為、桟橋からプライアデスを見送ることを習慣としていた。
それは、港には車やバイクなどの行き来が多く、排気ガスが常に漂っている。
免疫力が極端に衰えているアイリにとって、それらは好ましくない環境だった。
二人が例の桟橋に付近に着くと、それまで視界を遮っていた大きな切り立った岩が消え、視界が開けて港からは見えなかった桟橋の全貌が現れた。
その桟橋の先に、一つの人影が佇んでいる。
ユラユラと頼りなく揺れるその影は、ただただ、海に向かって立っていた。
「アイリ!!!」
儚げに揺れるその人影に、プライアデスが叫ぶ。
ふらり…。
淡いピンクのワンピースを潮風にそよがせ、アイリがゆっくりと振り返った。
彼女の頬に、手に、膝に、擦り傷が出来てるのが遠目からでも見える。
ここに来るまで、何度も転んだのだろう。
それでも、何度も転びながら、ここまでやって来たのだ。
診療所から、ここまでは割りと距離がある。
体力のない彼女にとって、ここまでの距離は決してラクではなかったはずだ。
何故ここに来ていたのだろう…?
彼女がいつも散歩をしている所は、もっと他にもあるのに。
いや、むしろこんな遠いところには、逆に来ない…。
来るのは、プライアデスが帰る時…。
クラウドは、彼女がここに来ていた事実に、彼女の意思が彼女の中に確かに存在していると感じた。
彼女は、プライアデスに会いたかったのだ。
今でも彼女の表情は能面のようで何の想いも宿していないように見える。
しかし、彼女がここにいるという只それだけが…。
いや、この事実こそが、彼女の意思表示ではないか。
彼女を無事見つけ、安堵している紫紺の瞳を持つ青年を見る。
彼は、その事に気付いているのか?
彼女の意思がちゃんとある事に、彼は気付いているのか?
もしも、今も尚、気付いていないのなら…。
気付かず、昨夜の若者達の要望をまだ受入れるつもりなら…。
何としても、気付かせなければならない!
「アイリ!すぐ行くから、ちょっと待ってて!!」
フワフワと頼りなく歩いて来ようとするアイリに、プライアデスが慌てて駆け寄ろうとした。
その時…。
「「「「「アイリ!!」」」」」
二人の丁度反対側から、ティファを先頭に若者達が現れた。
彼らの方向からは、桟橋の前を通って港に行くようになっていたのだ。
そして、まさに彼らは港に向かう途中だった。
彼らが現れた事により、プライアデスはその場で固まった。
リーダー格の男が、荒々しい足取りでアイリの傍に駆け寄る。
他のメンバーはその場で立ち止まると、彼女の無事を喜ぶと共に、同時に辿り着いたプライアデスに戸惑いの表情を浮かべた。
そして、アイリの傍に駆け寄った仲間をそっと見やる。
彼は、アイリの顔を覗き込むと、擦り傷だらけになっている頬、膝、腕を見つめ、次いで毒々しい眼差しを紫紺の瞳の青年に突き刺した。
プライアデスは何も言わない。
何も言えない。
凍りついた様に立ち尽くす青年を、潮風が優しく包んでいた。

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