幸せのかたち 11




 プライアデスを睨みつける若者と凍りついたように動けないでいるプライアデスを、クラウド達は声をかける事も出来ず、見守っていた。
 勿論、クラウドとティファは、若者がプライアデスに何か暴挙を働こうという気配を少しでも感じさせれば、即動けるように体勢を整えている。
 一方、ピリピリとした張り詰める雰囲気の中で、アイリだけがその虚ろな表情を変える事もなく、相変わらず何を映しているのか分からない瞳を、どこか遠くに向けていた。

「さ、アイリ。こんな所にいると風邪引くぞ。それに、怪我してるから手当てしてもらった方が良い」
 若者はアイリに手を差し出し、彼女をその場から…、プライアデスの目の前から連れて行こうとした。
 荒々しい若者とは対照的にアイリは無反応のままだった。
 ところが、ふいにその差し出された手を取る事無く、フラフラと前触れなく歩き出した。
 おぼつかない足取りで、自分の目の前を横切ろうとする彼女を、若者が黙って見ているはずはない。
 彼女の細い手首を掴むと、やや強引に自分に引き寄せた。
「ほら、行くぞ」
 そう言って、彼女を引っ張るように桟橋を渡り、丁度桟橋の手前で立ち竦んでいるプライアデスを一瞥する事もなく目の前を去ろうとした。
 しかし、そこで急に彼は足を止めた。
 何故なら…。
「っと、おい、アイリ!危ないだろ!?」
 元々歩くのが遅く、ふらつく足取りの彼女が、完全にその歩みを止めたのだ。
 当然、引っ張っられていたアイリは、バランスを崩して危うく転倒しそうになる。
 倒れる寸前で、脇を持ち上げ体を支えた若者がふと顔を上げると、彼女を助けようと咄嗟に足を踏み出した紫紺の瞳と目が合った。
 差し出そうとした手が、硬く握り締められている。
 固く結ばれた唇…、何かに必死に耐える表情…。
 それら一切を見なかったように顔を背けると、若者は再びアイリの手を引いて歩き出そうとした。

 が…。

「…アイリ…」
 彼女の力はか弱いのに…、その身体は少し力を入れたら折れてしまいそうなほど華奢なのに…。
 彼女の足が、若者によって動かされることは無かった。
 決してその場から歩き出そうとしない彼女が、若者に引っ張られる事で再び転倒しそうになる。
 転ぶ事などどうでも良いと言わんばかりに、その場を離れない彼女を見て、堪らず子供達が飛び出した。
「アイリ姉ちゃん、嫌がってるじゃないか!」
「アイリお姉ちゃんの気持ちを聞くってさっき言ってたじゃない!!これがアイリお姉ちゃんの気持ちでしょう!?」
 子供達の言葉に、若者の顔が引き攣る。
「っるせえな!ガキは引っ込んでろよ!!」
 サッとティファが子供達の前に立ち塞がる。
 しかし、子供達は尚もティファの後ろから叫び続けた。
「アイリ姉ちゃんの気持ちを無視するのかよ!」
「お姉ちゃんがどうしたいのか、それを決めるのはお姉ちゃんじゃない!!」
 子供達に投げつけられる言葉の数々に、次第に他の若者達もおずおずと声を掛け始める。
「なぁ、確かにこの子らの言う事も一理あるんじゃ…」
「それに、アイリ、この子らの言うとおり全然動こうとしないし…」
 仲間からの言葉に、彼の感情が更にどす黒くなる。
「な!お前らまで…」
 声を震わせ、怒りに目をぎらつかせる彼に、仲間が息を呑む。
「アイリをこんな目に合わせたのは誰だ!?アイリから幸せを奪ったのは一体誰だ!?全部こいつだろう!!それを…。例えアイリが許していたとしても、俺は許さねえ、絶対に!!」
 プライアデスを指差し、血走った眼差しを全員に突き刺す。
「アイリの幸せを、こいつは…!!」
「お姉ちゃんは不幸じゃない!!」
 若者の怒鳴り声に負けないマリンの大声が、辺りに響き渡った。
 その甲高い大声に、一瞬その場が静まり返る。
「そうだ!アイリ姉ちゃんは不幸じゃないぞ!!それに、不幸か幸せかは、アイリ姉ちゃんが決めることじゃないか!!」
 デンゼルの必死な声がそれに続く。
 子供達が若者に訴えかけている間、プライアデスは蒼白な顔で硬く拳を握り締めて立ち尽くしていた。
 その背に、そっとクラウドは近寄ると、静かに語りかけた。

「ライ、お前の気持ちも分かる。アイリさんに手を差し出して、その手を取ってもらえなかったら…、っていう気持ち…」
 ギョッとして振り向いたプライアデスに、クラウドは彼が昨夜酔った時に話した事を忘れているのだと気付いたが、それを無視して話し続けた。
「でもな。差し出した手を振り払っているのは、むしろお前じゃないのか?」
「え?」
「彼女、あんなに傷だらけなのに、それでもここに来たのはライに会いたかったからじゃないのか?」
「…………」
「彼女の感情が…、心が死んでるって思ってなんかないんだろ?」
「…………」
「彼女がここに来たのは、彼女の意思だ。子供達はそう信じてるし、俺もティファもそう思う。お前は違うのか?」
「…………」
「どうだ?」
 視線を彷徨わせ、唇を固く結んでいる青年の顔には、クラウドの言葉を信じたいという気持ちと、それに反する感情が浮かんでいた。


 あともう少し…。
 ほんの僅かな力が…。
 彼の背中をもう一押し出来るだけの力が必要だ。


「ライ、お前は昨日言ったな?彼女が幸せなら自分はどうなっても構わないと。なら、彼女に手を差し出して、彼女の気持ちを訊ねる事も出来るだろう?もしも、彼女に拒絶されたとしても、それが彼女の意思で彼女の幸せに繋がるのなら…」

 クラウドは、自分が残酷な事を言っていると分かっていた。
 しかし、今、はっきりと言わなければならないと確信もしていた。
 このまま逃げていては駄目なのだと。
 今、ここではっきりと、逃げようとしている自分と向き合わなければならない時なのだと。

「彼女はこれ以上、自分の意思表示が出来ないって分かってるだろ?だったら、今度はお前がそれに答える番だ」
「…………」
「逃げるな!」

 プライアデスの表情に、苦悩の翳りがちらついた。
 激しい葛藤が紫紺の瞳に浮かんでいる。
 今を逃げ出したい気持ちと、それと戦う気持ちと…。
 普通なら、逃げ出したいという『負の気持ち』が勝つだろう。
 しかし、クラウドは確信していた。
 紫紺の瞳が、決意に凛と輝くのを…。
 そして、プライアデスはクラウドを裏切らなかった。
 大きく息を吸い込み、自分を見つめる紺碧の瞳をしっかりと受け止め、ゆっくりとアイリに向き直った。


 彼女は、相変わらず何を見ているのか分からない虚ろな眼差しを彷徨わせていた。
 その彼女の腕を掴み、彼女の家族と称する若者がギラギラと眼を光らせて睨みつけている。
 プライアデスは、ゆっくりと二人に対峙すると、アイリに語りかけた。

「アイリ…、ごめんね。十年前、君は僕を庇って魔晄中毒になってしまった…。十年間、君を苦しめてきたのは僕なのに…。僕は君に何もしてやれない…」

 ポツポツと紡がれる言葉には、彼女への深い謝罪と彼の苦しみが込められている。
 その痛切な声音を前に誰も何も…、声すら出す事が出来ない。
 アイリの腕を掴んでいる若者ですら、睨んだまま無言だった。

「どうやって君に償って良いか分からないんだ…」

 マリンとデンゼルが何か言いたそうにしながらも、グッとお腹に力を入れて我慢する。

「十年前に君に会わなければってずっと思ってたよ。そうしたら、君はこんな事にならなくて済んだのにって…」

 若者達がグッと身を引き、顔を伏せた。
 元気だった頃のアイリを思い出したのだろう…。

「それなのに、僕は君に会えて…、幸せだって思ってた…。いや…、今もそう思ってる。…最低だよね…」

 乾いた笑いを漏らす青年を、ティファが息をするのを忘れたかのように、身動き一つせず見守っている。

「でも、本当にごめん。僕は我がままだから…諦められそうに無いんだ…」

 紺碧の瞳を静かに注ぐクラウドの目の前で、ゆっくりと…まっすぐ彼女を見つめて手を差し伸べる。

「君を誰よりも想ってる。だから…」

 プライアデスの言葉は、そこで終わった。
 最後まで言い切る事なく、紫紺の瞳を大きく見開く。
 それは、まるでその場にいた全ての者の時間が止まったかのようだった。
 クラウドとティファも、子供達も、そして彼女の家族という若者達も同じく、目を見開いている。





 差し出した彼の手は、温かな繊手によって握り返された。





 紫紺の瞳に銀色の雫が溢れ、幾筋もその頬を伝って零れる。

 アイリの腕を掴んでいた若者の手から力が抜ける。

 彼女の腕が自由になると同時に、華奢な彼女の身体は青年の腕の中に収まった。


 家族と称する若者の差し出した手を取らなかった彼女…。
 どんなに語りかけても表情一つ変えなかった彼女…。
 この場を立ち去ろうと手を引く若者に決して従おうとしなかった彼女…。
 その彼女が…。
 自ら差し出された彼の手を取った。
 そして今…。
 彼女は虚ろな瞳を閉じ、自らを責め続けていた青年の腕に強く抱きしめられている。
 そして…。
 彼女の腕は…。
 彼の背に回され、彼の背をぎゅっと掴んでいた。
 その彼女の姿に、クラウド達は気付かされた。


 彼女もまた、彼の苦しみを理解していたのだと…。
 その為に、彼女自身も苦しんでいたのだと…。
 そして…。
 彼の事を微塵も恨んでなどいないのだと…。
 彼が彼女の事を想っている様に、彼女も……。
 
 
 その光景は、その場にいた全ての者の胸に、大きな衝撃を与え、そして、プライアデスに対する大きな敵意を消し去ってしまった…。

 アイリを抱きしめ、彼女の茶色の髪に顔を埋めるようにして嗚咽を漏らす青年を、責める者はもう誰もいない。

 ティファは堪らず口を覆い、子供達は瞳を揺らめかせながら嬉しそうに笑みを零している。
 若者達も、吹っ切れたように笑顔を覗かせ、呆然と立ち竦んでいる仲間の背を叩いている。
 そして、クラウドも…。
 堪えきれずに涙を流す青年の姿に、優しく眼を細めるのだった。





「お前に一つ、条件がある」
 プライアデスが落ち着いた頃、リーダー格の男がプライアデスに向かって口を開いた。
 和らいだ空気がたちまち張り詰める。
 そっとアイリを解放し、まっすぐ若者に向き合う青年に、皆の視線が集まった。

「アイリを絶対に傷つけるな」

 若者の言葉に、プライアデスではなく仲間がキョトンとする。
「何それ?」
「意味分かんねーよ…?」
 ピアス男と赤い髪の男がポカンと口を開けた。
「アイリを大切にする奴だっていうのは、もう分かったじゃない…」
「そうそう。もう、お腹一杯、ご馳走さんって感じよね…」
 仲間の女性達も頭を傾けて若者を見た。
 そんな仲間達の言葉に、若者が顔を真っ赤にさせてギンッと睨みつけた。
「アホ!!そんなん分かってんだよ!俺が言いたいのは、これ以上アイリが怪我したり、寂しい思いをしないようにしろってことだよ!そんな事も分かんねえのか!?」
「「「「は?」」」」
 若者達が一斉に素っ頓狂な声を上げ、子供達がキョトンと首を傾げる。
 クラウドとティファはびっくりして顔を見合わせ、若者を凝視した。
 プライアデスも同じく、目を見開いている。
「だから!!このままアイリがここにいて、こいつが帰ったら、また診療所抜け出してフラフラするだろ!今みたいに怪我するだろ!!」
 この言葉に仲間達は、キョトンとした表情をたちまち変化させた。
 びっくり仰天とは、まさにこの表情だろう…。
「あ、あんた!気は確か!?」
「お前、それってもしかして!!」
「もしかしなくても!!」

「「「「アイリを連れて行けって〜!?」」」」

 若者達の絶叫が静かな桟橋に響き渡る。
「お前!そんな事したらアイリが治療を受けられなくなるじゃないか!」
「アホ!こいつの実家はとんでもない財閥なんだぞ?専属のお抱え医師ってのくらいいるだろうが!」
「いや、そりゃそうかもしれないけど…」
「そもそも、アイリの事、こいつの家が引き取る気持ちってあるのかよ…」
「だから!それを何とかして手元に置くように親を説得しろっていってんだよ!それぐらいの誠意を見せろっつぅんだ!!」
 仲間が難色を示す中、リーダー格の若者がギャーギャー喚いている。
 辺りの静けさが一瞬にして掻き消えた。
 そんな中、クラウド達は若者とは別の事で騒いでいた。
「やった!そうなったら、セブンスヘブンにも来れるんじゃないか?」
「あ!本当!!ねぇねぇ、ライお兄ちゃんの家ってエッジの近くだったよね?」
「え?あ、ああ、うん。エッジの街からちょっと離れてるけど、カームよりは近いよ」
「「やった〜!」」
 ピョンピョン跳ねて喜ぶ子供達を余所に、ティファが心配そうな顔をする。
「ねぇ、でも急に連れ帰ったりしても家は大丈夫なの?」
「……と言うよりも、ライはどう思ってるんだ?彼女を連れて帰ることには抵抗があるんだろ?」
 クラウドの言葉が終わるのと、若者達の会話が終わるのが偶然同じになった。
 急に訪れた静けさというのはどうにも心地悪い。
 その静けさの中で、プライアデスは本日二回目の『自分から逃げ出さない』という試練にぶつかる事になった。

「確かに…。彼女を我が家で引き取る事は出来ると思います。でも…。僕の取り巻く…というよりも、僕の家が取り巻く環境が彼女の為にはならないと思うんです…。僕の瞳の色だけで珍動物扱いするような世界ですから、彼女が何て言われるか…」
「あのな、そんな事からもアイリを守れよな!当然だろ、珍動物扱いなんかにされてみろ、例えお前の周りにボディーガードが沢山いたとしても、絶対にぶっ殺してやる!!」
 リーダー格の男がいきり立って怒鳴りつける。
「なぁなぁ、ライ兄ちゃん。ライ兄ちゃんの父さんと母さんと兄ちゃんはさ、そんな事になるかならないかは自分達次第だって言ってたんだって…」
「え!?」
 デンゼルの言葉にプライアデスは目を丸くした。
 そして、医師と看護師の話してくれた事を、マリンと交互でプライアデスに伝えた。

 聞き終えたプライアデスは、大きく息を一つ吐くと、片手で顔を覆い俯いた。
「あ、あのさ。でも、ライ兄ちゃんの事は責めてなかったみたいだったよ?」
「うん!そうだよ、だからそんなに落ち込まないで…」
 子供達が慌てて慰めようとする。
 プライアデスは顔を上げると、苦笑して見せた。
「ああ、ごめんごめん。僕は大丈夫だよ。何て言うか……相変わらず両親と兄が凄いなぁと思っただけで…。うん。やっぱり僕はまだまだ人間が未熟だね」
 苦笑するプライアデスを心配そうに見上げる子供達に、「ありがとう、教えてくれて…」と微笑む。
 そして、アイリに向き直ると、先程よりはいくらかましだが、それでも緊張して口を開いた。
「ねぇ、アイリ。僕の実家からは海は見れないし、僕も仕事をし始めているから中々会えないと思う。いや、勿論、二年前からに比べたら会えるけど…って、そんな事じゃなくて!その…もしもキミがイヤでなかったら、僕と一緒に実家に来て欲しい」
 彼女の目をまっすぐ見つめ、恐る恐る手を再び差し出してみる。
 が、今度も彼の手が空を掴むことは無かった。
 さらに……。
「あ…!」
 皆の目が本日何度目か丸くなる。
 再び、プライアデスの瞳が銀色の雫であふれ出す。
 そして、そっと彼女を引き寄せ、濡れた頬を彼女の髪に埋めた。

 紫紺の瞳を持つ青年に優しく抱きしめられた紺碧の瞳を持つ女性は、小さな花のような微笑みを浮かべていた。