幸せのかたち 9




「何だよ、もしかして昨日のガキか?」
 昨夜、プライアデスに一番絡んできたガラの悪い男が不機嫌そうな顔をする。
 若者達の後ろから、看護師がオロオロしながらやって来た。
 子供達は顔を強張らせているが、決して怖がってはいないようだ。
 ティファは、子供達を背後に庇うように立つと、静かに若者達を見据えた。
 真っ直ぐに逸らさない凛とした眼差しからは、只ならぬ気迫が発せられる。
 それに当然、戦闘の素人であろうと思われる彼らも気付かざるを得なかった。
 ティファに明らかに気後れしながらも、何とか気勢を張ろうとする。
「…どこかに行くつもりかよ…」
「お天気が良いからお散歩に」
「誰と?」
「私達三人と」
「誰の許可を貰って?」
「お医者様と看護師さんよ」
 ピリピリと張り詰める空気。
 交わされる一言だけの会話。
 にらみ合う両者の間には、一欠けらも友好的感情は無かった。
「俺達は許可した覚えは無いんだがな」
「あなた達に許可を求めなくちゃならない道理がないわ」
「俺達はアイリの家族だぞ」
「何を持って『家族』だなんて口にするの?」
 不遜に言い放つ男に、ティファはあくまで無表情で応酬する。
 元々が気の長い性分でないらしい若者達は、たちまち怒気を露わにした。
「子供の頃から助け合って生きてきたのよ!『家族』以外でなんだと言うのよ!!」
「『仲間』という単語も十分当てはまるんじゃないかしら?」
 間髪いれずに切り返したティファに、キンキン声で詰め寄った派手な格好をした女性は、グッと詰まって口をパクパクさせる。
 それを庇うかのように、若者が一歩ティファに近づいた。
「俺達がどういう表現しようが俺達の勝手だろ」
「そうね。私達がアイリさんの友達としてお見舞いに来る事と、一緒に散歩に行く事も私達の勝手よね」
「…………」

 真っ向から睨みあうティファ達に、突然看護師が一つ大きく息を吸い、声を出した。
「皆、悪いけどこの部屋から出て頂戴!」
 驚いた顔をする面々に、看護師は毅然とした態度を取る。
「アイリに良くないわ。昨夜も発作が出たばかりなのよ。あなた達、それ知ってるはずよね!?」
 半ば睨むように若者達を見る。
 若者達は、『しまった』という顔をすると、不承不承部屋を出た。
 それに続き、『発作』という言葉に驚いている子供達を伴いティファも部屋を後にする。
「アイリさん、お散歩はまた後にしましょう?ごめんね?」
 そう声をかけたティファに、アイリは何の反応も示さず虚ろな眼差しを彷徨わせていた。



「なぁなぁ、『発作』って?」
 隣の部屋に移った途端、デンゼルが不安そうに声をかける。
 マリンも心配そうな顔でティファを見上げた。
「あ…、うん。えっとね…」
 どう説明するべきか言いよどむティファに代わり、看護師が優しく口を開く。
「あのね。アイリは随分元気にはなったんだけど、それでもまだまだ油断出来ないの。物凄くデリケートなのよね。ストレスが溜まると息が苦しくなって、体が痛くて仕方なくなっちゃうのよ。昨夜も、久しぶりにその発作が出たばかりなのよ…」
「え!?」
「そうなの!?」
「ええ。それに、風邪とかも引きやすいし、ちょっとした怪我とかからバイ菌が入ったりすると、あっという間に酷く腫れたり、熱が出たりしちゃうのよ。だから、アイリが外に行く時は、特に注意しなくちゃいけないの。天気とか、道端の石ころとかに躓いたりしないようにとか…」
 看護師の説明に、子供達は見る見るうちに小さくなっていった。
 デンゼルにおいては『ああ、俺、昨日ぶつかって転ばせちゃったよ!』と狼狽し、冷や汗が噴き出している。
「なら、散歩なんてとんでもないよな〜?」
 どこか勝ち誇ったような顔をする若者に、ティファは無言で睨みつけた。
 ティファの眼光に、たちまち若者達の顔から余裕が吹き飛ぶ。
 そんな若者達に、
「なに言ってるの?たまにはお日様に当たって、風に吹かれて、好きな景色を見ないと気持ちが腐っちゃうわ!アイリにとって、たまの散歩がとっても素敵なんだって事くらい分からないわけ?」
 呆れた顔をする看護師が駄目出しを与えた。
「それに、今日は朝食も良く食べたし、天気も上々だし、散歩にはうってつけの条件が揃ってるのよ。それを邪魔するつもりなの?」
 段々きつい口調になっていく看護師に、若者達はたじろいだ。
 看護師からは、アイリを思う親心のようなものが溢れている。
 それを、若者達は感じ取ったのだろう…と、ティファは思った。
 彼らは態度こそふてぶてしく、どうしても受入れられない部分が沢山あるものの、アイリを大切に思う気持ちは本物なのだと感じずにはいられなかった。
 だからこそ、もっとも身近でアイリの世話をしている看護師にきつく言われても、何も言い返せないのだろう…。
「じゃ、じゃあ、俺達が一緒に散歩に行く」
 耳に沢山ピアスを開けている強面の若者が、気を取り直してそう看護師に提案した。
「「駄目!!俺達(私達)が先に来たんだから!!」」
 子供達が見事に声をはもらせて猛然と抗議する。
「早い者勝ちってゲームじゃないんだぜ」
 小バカにしたようにピアス男が子供達を見下ろし、他の若者達を振り返る。
「そうよね。こんな小さなお子様達が一緒に行くよりも、私達が一緒に行った方がアイリは安心でしょうし」
「て言うか、十年振りに家族に再会した私達に少しは遠慮したらどう?」
 その言葉に、子供達はグッと声を詰まらせた。
 『家族』を何よりも大切にする子供達にとって、この言葉はかなり大きい。

 ティファは無言で見守っていたが、さてどうしたものかと思案していた。
 彼らの言い分も分からないでもない。
 十年も行方が分からなかった家族同然の人間に出会えたら、水入らずでゆっくりと十年分の空白を埋めたいと思う…かもしれないと。
 それに。
 恐らく彼らは嫉妬しているのだろう。
 十年間、自分達の知らない彼女を見てきたプライアデスに…。
 そして、その彼と仲の良い自分達を許容出来ないという彼らの子供じみた感情も何となく理解出来る。

 もっとも、もしもこの若者達の立場に自分があるのなら、自分が知らない十年間を見つめていた人に、その十年間を事細かく訊ねて、空白期間を埋めようとするだろうが…。

「すみませ〜ん!」
 遠くから誰かが呼ぶ声がする。
 看護師が、「は〜い」と返事を返しつつ、心配そうな顔をしなが部屋を出て行った。
 それにより、張り詰めていた奇妙な空気が少し和らげられ、部屋に残された八人は、少々気まずそうな顔をして視線を逸らした。
 その場を取り繕うとしたのだろうか…。
「ったく、それにしてもアイリは相変わらずガキや色んな人間に好かれるよな…」
 髪を真っ赤に染めてボサボサに伸ばしている若者が、頭を掻きながらぼやいた。
 その口調は、ぼやきながらもそんな彼女の事を誇らしく思っているように聞こえる。
「そうよね。私達の中でも一番人気者だったし…」
 思い出すように、遠い目をする化粧の濃い女性に、もう一人の同じくけばけばしい化粧の女性が大きく頷き、懐かしそうに微笑んだ。
「そうそう!ほら、いっつも歌ってたよね〜。綺麗な歌声だったわよね…」
「ああ。『大きくなったら歌手になりたい』って言ってたよな。それも、オペラ歌手にさ。絶対にアイリならオペラ歌手になれるって思ったよな…」
「うんうん!それで、よくオペラ歌手ごっこってしたよね!空き箱の上に立ってもらって、歌ってもらってさ!恥ずかしそうに顔真っ赤にして、それでも本当に綺麗な声で歌ってくれて…。私達、アイリの歌でどれだけ慰められたか…」
「「「…………」」」
 懐古の念に駆られる若者達を、ティファと子供達は無言で見つめるしかなかった。
 彼らの目にアイリの姿がいかに輝いていたか…。
 彼らにとって、アイリがどれほど大切な人だったか…。
 それを初めて目の当たりにした三人は、ただ黙っているしかなかった。
 しかし…。

「それも、あの野郎が全部壊しちまいやがった…!」

 プライアデスに一番絡んでいた若者が、歯を食いしばるように漏らした一言で、穏やかになっていたたちまち空気が張り詰める。
「そうよ…。あいつがアイリに会わなかったら、アイリは今頃、オペラ歌手として世界中で有名になって、幸せになってたはずなのに…!」
「それを、あの金持ちのボンボンが全部掻っ攫いやがった…!」
「あいつさえいなかったら、アイリは幸せだったのに…!」
 激しい口調でプライアデスを詰る若者達に、子供達が黙って見ている事など出来るはずもない。
「ライお兄ちゃんのこと、悪く言わないで!!」
「アイリ姉ちゃんだって、ライ兄ちゃんのこと少しも恨んでないんだぞ!それをあんた達がそんな事言うなんて、おかしいじゃないか!」
 若者達が憤激するのにやぶさかではない言葉の数々に、ティファは胸中で苦笑した。

 本当に…。
 素直なんだけど、それが良かったり、悪かったり…ね。

「ガキがエラソーに俺達に説教するんじゃねえよ!」
「アイリがあの野郎を恨んでないだなんて、なんで分かるんだよ!アイリがそう言ったのか?あ!?」
 凄みを利かせて怒鳴りつける若者と、プライアデスをバカにされた怒りで目をランランと光らせる子供達の間に立つティファの目にも、静かな怒りが宿っている。
 華奢な体つきをしているが、ティファはジェノバ戦役の英雄の一人。
 彼女の静かな眼光に込められている怒りに、常人が平常心を保てるはずもない。
 気を呑まれながらも必死に虚勢を張る若者達に、ティファが口を開いた。
「あなた達のアイリさんを大切に思う気持ちは良く分かったわ。でも、ライ君を加害者呼ばわりするのはお門違いね」
「ハッ!なに言ってんだ…」
「あの野郎がいなかったら、アイリはライフストリームに落ちることも、魔晄中毒になることもなかったんだ!」
 気色ばんで怒鳴り散らす若者達を、あくまで冷静に受け止め、再度口を開く。
「アイリさんがライフストリームに落ちたのは事故よ。ライ君が彼女を落としたわけじゃないんだから。それに、この地域一帯では、ライフストリームが突然噴き出す事が時々あるって聞いてるわ。アイリさんが一人で森の中を歩いている時、落ちた可能性だってあるはずよ」
「……それは、そうかもしれないが…、だがな!あいつがいなかったら、少なくともアイリは十年前にライフストリームに落ちることは無かった!違うか!?」
「それを彼一人の責任にする事がおかしいと言ってるのよ」
「じゃあ、誰の責任だよ!」
「誰でもないわ!言ったでしょ?事故だったのよ。それに、彼がどんな思いでこの十年、アイリさんを見てきたか、考えた事ある…?」
「…なに言ってんだ…」
「ライ君は、本当に苦しんできたわ。ううん。今も物凄く苦しんでる。アイリさんを大事に思っているからこそ、自分があの時いなかったら…、そう思ってるわ」

 ティファの静かな言葉に、若者達はどこまでも頑なだった。
 それでも、彼女の言葉を黙って聞いていたのは、彼女から発せられる只ならぬ気迫に他ならない。
「ライ君は、ずっと探してる。アイリさんへの罪滅ぼしには何が最も良いのかを…。でも、何をしても彼女が失ってしまった十年間は戻らない…。その自責の念で、ライ君は今にも潰れそうなのよ…」
「え……」
 子供達が大きく目を見開き、息を呑む。
 ティファは、子供達の前でこの話をした事を少々後悔したが、出た言葉を戻す術などない。
 そっと微笑んで見せると、昨夜クラウドから聞いた話を少し語った。
「うん、あのね。ライ君は真面目でしょう?だから全部自分のせいにしてるの。アイリさんが魔晄中毒になったことを。でも、このミディール地帯ではライフストリームが突然噴き出す事なんてあまり珍しくないことみたいだし…。だから、ライ君が一緒にいなかったとしても、アイリさんがライフストリームに落ちた可能性は十分あるのよ。それでも、ライ君は全部自分のせいだって思ってて、本当はとっても辛い思いをしていたのよ…、今までずっと…」
「…全然気付かなかった…」
「うん、私も…」
 俯く子供達に、ティファはしゃがみ込んで視線を合わせた。
「きっと、これは私の勘だけど、ライ君自身も自分の状態に気付いていないと思うわ。自分がどれだけギリギリの状態かって…」
 そして、再び背筋を伸ばして立ち上がると、まっすぐ若者達を見据える。
「あなた達がライ君を許せない気持ちも分からないでもないわ。私があなた達の立場なら、きっと同じ様にライ君を恨んだと思う。でも…」



 彼女がライ君を恨んでいないのだから、それを周りの私達が恨むのって、滑稽よね…?
 彼女がライ君を憎んでいないのに、周りの人が憎んでいる……。
 それって、彼女をとっても苦しめる事になるんじゃない…?



 口を閉ざしたティファを前に、皆は暫し無言だった。
 ティファの言葉を、何とか飲み込もうとしている様に見えたのは、きっとティファの気のせいではないだろう。
 子供達も顔をしゃんと上げ、自分達よりもはるかに大きい若者達を臆する事無く見つめている。
「ったく、何だよあんたはさ…、お節介だっつーの…!」
 やがて口を開いたピアスの若者は、どこかさっぱりした顔をしていた。
「それに、何だよそのガキ共はさ!少しは俺達にビビれっつうの!!」
 赤い髪をボサボサに伸ばした若者も、どこか眩しそうな目をしながら、はにかむように笑っている。
「え〜?無理」
「うん、無理」
 即答するデンゼルとマリンに、赤い髪の男のみならず、厚化粧の女性達までがキョトンとする。
「だって、俺達毎晩、兄ちゃん達よりももっと怖い顔したお客さん相手に仕事手伝ってるから」
「私の父ちゃん、片手銃だし」
「「「「え!?」」」」
 子供達の返答に間抜けな顔をすると、次の瞬間一斉に吹き出した。
「なにそれ!」
「お前ら、見かけによらず苦労してんだな」
 一気に彼らとの心の距離が縮まった。
 そう感じ、ティファと子供達がホッと表情を緩めたとき…。


「何笑ってんだ!!」


 プライアデスに一番絡んでいた男…、恐らく若者達のリーダー格と思われる彼が、怒りを露わに怒鳴り声を上げた。
「お前ら、こんな女やガキに気を許してんじゃねえよ!忘れたのか?俺達がどれだけアイリを探して、心配して過ごしたか!それを、こんな奴らの一言でひっくり返すのかよ!!」
 目を血走らせる家族に、若者達は困惑した。
「お前…。そりゃ、あの金持ちのボンボンは今でも気に入らないけどよ…。でも、この姉ちゃんの言う事も一理あるだろ?」
「それに、確かに俺達は十年間アイリを探してたけど、ずっと探し続けてたわけじゃないし…」
「うん…。諦めちゃったもんね…私達…」
「それにさ。あの金持ちのボンボンが本当にくだらないそこらへんのバカだったら、アイリにここまで良くはしてくれないんじゃないか?」
 プライアデスに対して理解のある発言をしたのが、若者の逆鱗に触れたらしい。
 カッと頭に血を上らせ、思い切り拳を振り上げる。
 息を呑んでピアス男が身を竦ませ、固く目を瞑る。
 しかし、その振り上げられた拳は、ティファの華奢に見えるその手にしっかりと押さえつけられた。
 手をつかまれた若者は当然、それを見つめていた他の四人も目を飛び出さんばかりに見開いている。
 凛とした眼差しを至近距離で若者に突き刺しながら、ティファは口唇を開いた。
「あなたがライ君を受入れられないのは分かったわ。でも、何よりもまず、彼女の意見を尊重すべきよ」
「彼女?」
 ティファの手を必死に振りほどこうと無駄な努力をしながら、ティファの言葉を反復する。
「ええ。アイリさん自身に選んでもらうの。アイリさんがライ君とこれからも会うことを望むのか、それともあなた方が言うように、金輪際彼と会わないことを望むのか…」
 子供達がギョッとして顔を見合わせた。
 『金輪際、アイリと会わない』という話しは、子供達にとって初耳なのだから。
「選ぶって、どうやってだよ!」
 顔を真っ赤にさせながらティファの手を振りほどこうとする若者に、ティファの代わりに子供達が話した。
「アイリ姉ちゃん、手を握ってくれるんだ!」
「うん!もしもイヤだったら何もしてくれないと思うんだけど、イヤじゃなかったらギュって握り返してくれるの!」
「それに、アイリ姉ちゃん、見ただけじゃ分かりにくいかもしれないけど、ちゃんと笑ってくれてるんだぜ?」
「うん!きっと良く見てたら分かると思うよ!ね、デンゼル?」
「うん!昨日だって、俺達と一緒に夕飯食べた時、物凄く楽しそうだったもんな〜!」
「ね!特に、ライお兄ちゃんがお姉ちゃんにご飯を勧めて、ニコニコ話しかけてた時なんか、いつもよりもご飯を食べる動作が早かったよね!ちょっとだけだけど」
「え…、そうなの?」
 子供達のこの言葉に、若者達だけでなくティファまでが驚いた。
 全くそういう風には見えなかったのだ。
 改めて子供達の観察眼に舌を巻く。
 イヤ、子供達だからこそ、純粋な曇りのない眼差しで彼女を見ることが出来たのだろう。
 先入観という落とし穴に引っかからず、純粋にアイリの事を受け止める事が出来た子供達は、世界中にどれほどいると言うのか。
 この子供達の言葉に、流石に最後まで頑なな態度を崩さなかった若者も、二の句が告げずに黙り込んでいる。
「とりあえず、アイリ姉ちゃんに直接聞くのが一番だよ」
「うん!じゃ、早速アイリお姉ちゃんのところに行こうよ!」
 ニコニコと微笑みながら、早速子供達は半ば呆けている大人たちを置き去りに、アイリの部屋へ向かおうとする。
 その時、丁度タイミングよく看護師が帰ってきた。
 取り引き先の製薬業者の方が、薬の納品に来た為に間違いがないかチェックが終わったと思ったら、新たな患者の来院で今までその対応をしていたとのことだった。
 そして、戻った看護師は、自分が出て行く前に感じられていたギスギスした空気が和らげられていることに、目を丸くしたが、ティファから説明を聞いて実に嬉しそうにアイリの部屋へと皆を案内した。
 しかし…。

 部屋に入った看護師が、目を見開き、絶句する。
 その看護師に不審な顔をしてティファ達と若者が部屋を覗きこんだ。

 誰もいない…。

 皆は一瞬何が起きたのか理解するのに時間を要した。
 しかし、それはほんの刹那の事。
 たちまちの内に、ティファ達と若者達の間に緊張が走り、全員が顔面蒼白になる。
「な、なんで!?診療所の玄関までは、待合室を通らなかったら外には出れないのに…」
 あまりの事に、呆けて呟く看護師に、若者達は血相を変えて詰め寄った。
「おい!他に入り口は無いのかよ!!」
「あ、あるにはあるけど、裏口にはいつも鍵をかけてるから……あ!!」
 戸惑いを隠しきれずに堪える看護師が、突如大きな声を上げ、血相を変えて入院用の部屋の前を全力疾走する。
 当然、それに一歩遅れて全員が後を追った。



 立ち竦む看護師の目の前では、普段鍵がかかっているはずの裏口が風に揺られてキィキィと揺れていた。
「な、まさか!!」
「おい!鍵かかってないじゃないか!?」
 裏口は、薬品倉庫に直結している為、薬品会社の人が帰っていくと、必ず施錠する事になっている。
 看護師は、いつもなら絶対にしない失態をしでかした事に気づかざるを得なかった。
 先ほど、若者達と、ティファ達の間に漂っていた何とも形容しがたい険悪なムード、そして、その直後に医師から患者の手伝いを申し渡され、裏口の施錠がおろそかになっていたのだ。
 アイリは今まで裏口から出入りをしたことはなかったが、それでも薬品業者が度々裏口から薬品の納入に来ていたことを知っていた節がある。
 それを彼女は覚えていたのだろう。
 誰も、アイリが部屋を出た物音に気付かなかったのは、丁度激しく論争していたからだろう。
 という事は、かなり時間が経っているのではないだろうか…。
 そう。薬品会社の人が帰った直後に、アイリが診療所を出た可能性が高い。

 ティファと子供達、そして若者達は血相を変えて裏口から飛び出した。
 しかし、皆目彼女の行きそうなところが分からない。
 看護師に訊ねると、プライアデスと良く海を見に浜辺に行っていたとのことで、とりあえず八人は海に向かう道のりをひたすらアイリの姿を求めて走り回った。
 そして、その間、ティファはポケットから携帯を取り出し、リダイヤルボタンを押すと今もまだ眠っている金髪碧眼の青年に、捜索の支援要請をするべく、携帯を耳に当てた。