幸せのかたち5




「……それじゃ、アイリはライフストリームに落ちて…」
「魔晄中毒になった…というわけか?」
 医師から説明を受けた若者達は、呆然とした。

 レストランから出た一行は、そのまま診療所へ戻って来た。
 子供達とティファはホテルの部屋に帰している。
 子供達は大層不満がっていたが、子供達がいるには相応しくないだろう、と親代わりの二人の意見が一致した為、強制的に留守番になった。
 その子供達に付き添うべくホテルに残ったティファは、プライアデスとアイリの姿が見えなくなるまで心配そうに遠ざかる後姿を見送った。
「それで、君達はアイリにとって何?」
 一通り説明をした医師と看護師が当然の質問をする。
 想像以上に早く帰ってきた事に驚いていた二人は、更に見慣れない風貌の若者達と共に戻って来た事で更に目を丸くした。
 それでも、クラウドとプライアデスからアイリの状態について説明してくれるように頼まれ、昼間クラウド達に話したように丁寧に話を聞かせてくれたのだ。
「俺達はアイリの家族みたいなもんだ」
「……という事は、アイリと同じストリートチルドレンの集落の出身という事かな?」
「ああ、まぁな」

 やっぱりな…。

 見るからに粗野な風貌の若者達が、そこそこの教養を学べる環境で育っていないのは想像できた。
 おまけに、アイリを知っているのだから、彼女がライフストリームに落ちるまで生活していたストリートチルドレンの集落の出身だと予想するのはたやすい。
 クラウドはちらりと紫紺の瞳を持つ青年を盗み見た。
 彼はアイリの座っている椅子の後ろに立っている。
 とりあえずは落ち着いて見えるその横顔を、クラウドは案じずにいられなかった。
 診療所に戻るまで、誰も一言も話さなかった。
 重苦しい沈黙の中、自分達の靴音だけが夜の空気を伝って耳に響く雰囲気は、子供達をホテルに無理やり残してきて本当に良かったと思わせるものだった。

 恐らく、アイリは集落でも人気者だったのだろう。
 その人気者が突如として行方知れずになったのが十年前。
 その間、彼らがどのようにして生きてきたのかは不明だが、決して平坦な道のりではなかったはずだ。
 その荒道を必死に生きてきた彼らが、一目でアイリだと気が付いた。
 十年前の面影など恐らくほとんど残っていなかっただろう彼女の存在に。
 それほど、彼女の存在は彼等の中で大きなものだったのだ。
 それが、十年ぶりに再会した彼女は決して治る見込みのない病に侵されている。
 彼らは果たして、その状態になった彼女を受入れられるだろうか?
 いや、むしろ、彼女よりも彼女の傍にずっといたプライアデスを許せるだろうか…?

 クラウドがそう危惧していると、若者の一人が陰惨な目つきでプライアデスを見やった。
「アイリがライフストリームに落ちたのは分かったし、今がどんな病状なのかも分かった。だけどな…、アンタとアイリの関係がわかんねえんだがよ」
「……………」
「それはだね…」
 医師はライフストリームに落ちた事は説明していたが、細かな背景は話していなかった。
 見るからに一癖も二癖もありそうな若者達に、そこまで説明するのが憚られた為わざと話してなかったのだが…。
 適当な言葉を探して医師が口を挟んだが、それをやんわりとプライアデスが手を上げて制した。
「良いです、先生。お気遣い、感謝します」
 何か言いたそうにする医師と看護師に薄く笑って見せると、自分を睨むように見ている五人にまっすぐ顔を向けた。

「僕がライフストリームに落ちそうになった時、彼女が助けてくれたんです」





「じゃあ、本当ならお前が落ちてたハズなんだな!?」
 プライアデスの説明は時間にして一分も経たなかった。
 しかし、たったそれだけの時間の間に、診療所の雰囲気は重苦しいものから殺気だったものへ急変化を遂げていた。
 若者五人が凄まじいほどの形相で紫紺の瞳の青年を睨みつけている。
 それを、医師と看護師が不安そうに見守っている。
 クラウドは、診療所についてからずっと、さり気なくプライアデスの隣に立っていたが、隣に立つ青年が静かに今も尚、佇んでいる事に驚いていた。
 決して騒がず、自分の保身を口にせず、ただあるがままを正確に語った青年の心理がクラウドには良く分からなかった。

 これではまるで……。
 責めてくれと言っている様なものじゃないか……?

「おい!分かってんのか!!」
「お前は俺達の家族を十年も苦しめてたんだぞ!!」
「私達がどれだけ心配したか!!」
「公に探す事が出来ないから、本当に苦労して毎日アイリの行方を捜して…、毎日毎日『今日は帰ってくるか…』『今日こそ見つかるか…』そんな事ばっかり思ってた私達の気持ちが、アンタ、分かる!?」
「お前に俺達の十年を返せるのかよ!!」
 腰を浮かせ、今にも掴みかかろうとする若者達の前で、プライアデスはアイリの背後から身を曝け出すと…。
 思わず制止の声をかけそうになる医師と看護師を無視し…。


 深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」

 最敬礼での謝罪に、若者達は一瞬気を呑まれた様だったが、それも本当に一瞬だった。
 カッと頭に血を上らせ、ついに椅子を鳴らして立ち上がった。
「お前、申し訳なかったで済むかよ!!」
 プライアデスの胸倉を掴むと、顔が触れそうになるほど至近距離で睨みつける。
「お前も俺達の事をバカにしてんだろ!?親がいなくて、地べたに這いずる様にして生きてきた俺達の事をよ!!」
「アンタがお金持ちだからってそれがなにさ!?ふざけんじゃないよ、人の人生狂わせといて、なに自分だけ幸せになってんのさ!!」
「アイリに親切にしてる振りしてたらそれで済むと思ってんだろ!!」
「どうなんだよ、図星かよ!何とか言ってみろ!!」
 医師と看護師が見かねて止めに入ろうとする。
 胸倉を掴んでいる若者が、殴りかかろうと大きく腕を振り上げた。その手首をクラウドは掴むと、ついでにプライアデスから若者を引き剥がした。
 プライアデスはその間、全く口を開かなかった。
 少々青ざめた顔色、微かに震える手を硬く握り締め、目の前に起きている事全てをまっすぐに受入れようとしている…。
 クラウドにはその様に見えた。


「あなた方をバカにした事は一度もないです」
 一呼吸置いて、ほんの少し場が落ち着いたのを見計らって紫紺の瞳の青年は口を開いた。
「ずっと、彼女のご家族に会いたいと思ってました」
「ハッ!どうだかな!!」
 殺気を漲(みなぎ)らせた眼差しを突き刺し、鼻で笑う若者に、再び口を開く。
「本当です。ずっと探してました。ただ、彼女から詳しい場所を聞いてなかったので…」
「当たり前でしょ!他人においそれと話せるわけないじゃない!そんな事されたら、あの時の私達は、あっという間に施設行きよ!」
「彼女と彼女のご家族の事を思わなかった日はありません」
「カッコつけてんじゃねぇよ!!誰が信じるか、そんな事!!」
 どこまでも撥ね付ける若者達に、プライアデスは静かに語り続けた。
 そして…。
 グッとより一層強く手を握り締めると、顔をしゃんと上げた。

「どの様な事でもさせて頂きたいと思ってます」

 真摯な一言に若者達は再び気を呑まれた。
 決して上辺だけの言葉でない事が、プライアデスの眼差しから窺える。
 医師と看護師、そしてクラウドは、言葉を差し挟む事など出来るはずもなく、黙って見守るしかなかった。
「ハッ、それじゃあさ…」
 プライアデスの胸倉を掴んだ若者がいち早く己を取り戻し、皮肉っぽい笑みを浮かべた。



「金輪際、アイリに会わないでくれよ」



 この発言に、医師と看護師そしてクラウドは勿論、他の若者達も驚いてニヤニヤ笑っている若者を見つめた。
 プライアデスも目を見開いている。
 驚愕に見開かれた彼の顔からは、見る見るうちに血の気が引いて真っ青になっていく。
「当然、ここの診療所の料金はこれからもお前が払え。アイリに掛かる日常の生活費とかも全部な」
「な、何言ってんのさ。そんなのアイツにとって都合が良いじゃない!」
 仲間の女性が抗議する。
「今まで通り金を払って、尚且つアイリを見舞いに来なくて良いだなんて、そんなのアイツの思う壺じゃないさ!!」
 他の仲間も、「もっと何かあるだろ?」「金を出させるとか」「家を買わせるとか」等々、好き勝手に言っている。
 しかし、彼は頑としてそれらの案を受入れなかった。
「なに言ってんだ!アイリをダシにしてそんな事出来るかよ!!良いか?アイリを利用してアイツが『良い人面』をしてるのが赦せねぇんだよ!」
 その一言で、他の仲間は黙り込んだ。
 そして、顔を見合わせると頷いた。
「そうだな。確かに、アイリが利用されなくなるなら、それに越した事はないな」
「ああ、そうだ。それに、これからは俺達がアイリの見舞いに来れるんだから、アイリが寂しい思いをする事もなくなるんだし」
「…というわけだ。だから、お前はとっとと」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
 とうとうこれまで黙っていた看護師が堪りかねて口を挟んだ。
「あなた達がアイリの事を大切に思っているのは分かったわ。でもね、ライ君だってそれはそれは彼女の事を大切に想ってきたのよ!それを…」
「うるせえな!!すっこんでろよ!!」
「どうせお前らもこいつの家からガッポリ貰ってんだろ!?」
「本当なら今すぐにでも、アイリを連れてこんなしけた診療所を出たいくらいなんだ!」
 唾を飛ばしながら看護師に食って掛かる。
「ほら、分かったらとっとと消えろ!目障りなんだよ!!」
 青ざめて呆然と立ち竦んでいるプライアデスに、ニヤニヤ笑っていた若者がドアを指した。
 紫紺の瞳の青年は、苦しそうに顔を伏せ、
「そ、それは…」
と、すっかり血の気を失った拳を微かに振るわせた。
「お前、何でもするって今言ったよな!?」
「それとも何かよ、お前、まさかまだアイリを利用し足りないとか言うんじゃないだろうな!?」

「そんな風に彼女を見たことなんて、一度もありません!!」

 気色ばんで吐き捨てられた一言に、初めてプライアデスは大声を上げた。

 まるで血を吐くようなその悲痛な叫びに、診療所はシンと静まり返った。
 ニヤニヤ笑っていた若者の顔から笑みが消える。
 他の若者達もビクッと体を震わせると、思わず一歩後ずさった。
 張り詰めた空気を、皆の息遣いだけが微かに震わせている。

「へぇ、それじゃ何かよ…」
 プライアデスの気迫に圧され、少々声を掠れさせながら、若者が口を開いた。
 口調はどこまでも皮肉と憎しみに彩られている。
「お前、まさかアイリに惚れてるとか言うんじゃないだろうな?」
 青ざめていたプライアデスの顔に、さっと朱が差す。
「ハッ、マジか!?」
「お前、気は確かかよ…?自分のせいで重病人になった女に惚れるってさ…」
「それってなに?金持ちの趣味?それとも暇つぶしなわけ!?」
「同情?それとも、可哀想なストリートチルドレンをせいぜい可愛がってあげてるっていう自己満足!?」
 引き攣った笑いと蔑んだ眼差しで嘲りの言葉を口にする。
 彼等のあまりの非礼な態度に、クラウドが紺碧の双眸に怒りを宿し、思わず詰め寄ろうとしたその時…。


「ああぁぁあああ!!!」


 ガタン!!
 喉元を押さえ、アイリが椅子から転げ落ちた。
 ビクビクッと体を痙攣させ、椅子を蹴り倒す。
「「「アイリ!!」」」
 プライアデスがのた打ち回る彼女の体を背中から抱え込み、看護師が薬の保管している棚に駆け寄る。
 医師がアルコール綿花で彼女の腕を消毒し、看護師から渡された注射器を確認すると、針を刺す。
 アイリは、ひたすら喉元を押さえながらプライアデスの腕の中で激しく身を捩じらせていた。
 それも次第に薬が効いて小さくなり、呻き声も静かな寝息へと変わっていった。
 その間、暴れるアイリが床等で体を打ち付けて怪我をしないように、ずっとプライアデスは彼女を強く抱きしめていた。
 そして、若者達は突然のアイリの発作にギョッと身を竦ませ、ただ見守るしかなかったのだった。
 クラウドは、アイリの発作とアイリを守ろうとするプライアデスの姿に、かつての自分とティファの姿を重ねて見てしまっていた。
 かつて、彼女もこうして自分を抱きしめてくれていた…、ような気がする。
 あまりにも朧な記憶な為、微かに残っている感覚でしかないのだが、目の前の二人の姿に確かにそうだったと思う。

 アイリがすっかり落ち着くまでものの十分ほどだった。
 しかし、もっと長く感じたのはクラウドだけではなかったろう。
 眠ったアイリをベッドに横にしたプライアデスに、若者達は一言も抗議をしなかった。
 したのは、医師に向けての質問だった。
「おい、先生よ。アイリはいつもこんな発作が出てるのか?」
「いや、最近ではすっかり落ち着いていたからな。久しぶりだな、ここまでの発作は」
「じゃあ、何で今日に限って発作が出たんだよ」
 医師の返答に、明らかに不信感を募らせて別の若者が問いかける。
 医師は、すぐにはその質問に答えなかった。
 ベッドで眠るアイリの腕を取り、脈を測る。
「これは、まだ推測でしかないんだが…」
 心配そうな顔をしてアイリを見つめているプライアデスに、そっと椅子を勧めて自身もそれまで座っていた椅子に腰掛ける。
「アイリの場合は極度なストレスから発作が起こるようだな」
「アイリの場合?」
「ああ。魔晄中毒患者は世界に沢山いるが、その治療法はほとんど進歩がない」
 溜め息を吐いて顔を掌で撫でる。
「だから、魔晄中毒患者全員に当てはまるわけじゃないが、この二年間、アイリを診ていたワシらの考えでは、彼女はワシらが考えている以上に周囲の空気を感じ取っている…、その結果、彼女は自分の気持ちを伝える術を持たない為に、ワシらが想像する以上のストレスを感じてしまう。それが発作に繋がるのではないかと言うのがワシらの見解だ」
「…………」
 医師の言葉に、再び診療所は重苦しい静寂に包まれた。
 若者達は気まずそうに顔を見合わせている。
 認めたくはないが、自分達がストレスになった可能性を否定出来ない、と言ったところか…。

 そして、これ以上今夜はここに止まるのはアイリの為にもならないという事になり、渋々五人は診療所を後にした。

「今夜はアイリの傍にいる事は赦してやる。でもな、今夜限りだ。それを忘れるなよ」
 診療所のドアの前に見送りに出ていたプライアデスにそう言い残すと、彼が何か言う前にさっさと夜の闇に消えていった。

 クラウドは、黙って夜の闇を見つめている紫紺の瞳の青年の肩に手を置いた。
 微かに震えているその肩を、クラウドにはどうする事も出来なかった。