幸せのかたち6




 五人を見送った後、少ししてからクラウドとプライアデスも診療所を後にした。
 急遽、プライアデスもクラウドと同じホテルに部屋を取る事にしたのだ。
 いつもなら、診療所の空きベッドで休む彼に、医師と看護師は気遣わしそうな眼差しを向けた。
「ライ君、あの人達の言う事なんか気にしないで良いわ」
「そうだよ、彼らは君の今までを知らないからあんな事が言えたんだ」
 口々にそう慰める医師と看護師に、プライアデスは笑みを返そうとして失敗した。
 ベッドで眠る彼女の頬へ手を伸ばそうとして踏みとどまり、硬く握り締められたその拳が微かに震えていた様に、医師と看護師、そしてクラウドは胸を締め付けられる思いだった。
 いつも穏やかで柔らかな表情が奇妙に歪められ、硬く結ばれた唇と伏せられた紫紺の瞳に三人は掛ける言葉を見つけられなかった。
「先生、看護婦さん、彼女をよろしくお願いします」
 診療所を後にする際、プライアデスは深々と頭を下げた。
 本当に、これで最後にするつもりなんだと悟らざるを得ない。
 医師と看護師が彼を思いとどまらせようと声を掛ける間もなく、青年は振り切るようにして歩き出した。
 その後姿が完全に闇に消える前に、クラウドはその背に追いついた。
 彼の背中がとても小さく見えたのは、夜目のせいばかりでもないだろう…。


 ホテルに戻る道すがら、クラウドはやや前方を歩く青年の重い足音を、聞くとはなしに聞きながら、ぼんやりと考えていた。

 もしも、自分が彼の立場で、彼女がティファだったら…、一体どうしただろう……?
 彼のように、彼女の家族から…家族と言える様な立場の人達から『金輪際会わないでくれ!』などと言われたら…。
 彼の様に、グッと辛い気持ちを耐えながらそれに従うだろうか…?
 いや、きっと無理だろう…。
 一度は彼女も、子供達も捨ててしまった自分だけど、今はとてもじゃないがそんな事は出来ない。
 それこそ、彼女と子供達がいない人生だなんて、生きながら死んでいるようなものだ。

 そんな事を考えていると、プライアデスがさほどアイリに対して想いを寄せていなかったのではないだろうか、という気持ちが芽生えてきた。
 昼間、診療所で彼女の手を握る彼の姿に、そしてホテルのレストランで甲斐甲斐しく彼女の世話をする彼の姿に、少なくとも溢れそうな彼女への想いが見えたように感じたのだが、それは気のせいだったのだろうか…?
 確かに、子供の頃にたった一日しかまともに話をしていない彼女に対して、純粋な恋心を持つなど、まるで夢物語だ。
 無意識に自責の念が働いて、恋慕の情と絡み合っていただけなのかもしれない…。
 それに、彼は生真面目な性格だ。
 責任感が人一倍強い彼が、彼女に対して何らかの責任を強く感じ、それが恋心と錯覚させた可能性は十分あるような気がする。
 しかし、例えそうだとしても誰がそれを責める事が出来るだろう?
 彼が心から彼女の事を想っていた事は変わりないではないか。
 今日も、たった昼間の数時間に会う為だけに遠いこの地へ足を運んできたのだ。
 今日、自分達が彼を引き止めなかったら、今頃彼は海の上なのだから…。

 その時、クラウドはハッと気がついた。
 そう、もしも自分と子供達が彼を引き止めなかったら彼がこの様な目に合う事はなかったのだ。

 何とも言えない申し訳ない気持ちが胸に湧く。
 そして、その思いをどうするべきか思案していたクラウドに、突然プライアデスが声を掛けた。
 もう、ホテルの前に着いていた。
「クラウドさん、今夜は本当に申し訳ありませんでした」
「よしてくれ。ライは謝らなければならない事を、ひとつもしてないじゃないか」
 深々と頭を下げる青年に、クラウドは苦笑した。
 どこまでも生真面目な青年が、どうにも放っとけなくなる。
 フロントで部屋の空きを確認し、手続きを取る間、クラウドはどうするべきか考えていた。
 このまま一人で部屋に戻して良いものだろうか…。
 いや、逆に一人になった方がラクなのかもしれない…。
 しかし…、一人になったら余計に辛くなることだって大いにあり得る…。
 グルグルと考えに考えた結果。
 チェックインの手続きを済ませ、「では、失礼します」と会釈する青年に…。

「良かったら、少し飲まないか?」




 そして今。
 二人はホテルのラウンジにいる。
 思いもかけないクラウドからの誘いに、プライアデスはびっくりしていたが、「良いんですか?」とすぐに淡く微笑んで見せた。

 グラスを傾けて特に何も話をせず、ただ静かな時間を共有する。
 ブランデーを何度か口に運び、ようやくクラウドは隣でワインを飲んでいる青年に声を掛けた。
「今日は本当にすまなかったな」
「え!?」
「いや、俺達が引き止めたりしなかったら、こんな事にはならなかっただろう…」
 ギョッと顔を上げた青年は、ブンブンと大きく両手を振った。
「そんな、クラウドさんが謝られる事こそ、どこにもないじゃありませんか。それに、僕は今日、彼らに会えて良かったと思ってます」
 怪訝な顔をするクラウドに、プライアデスはアルコールでほんのりと紅くなった顔を緩ませた。
「僕が彼女の家族を探していたのは嘘じゃないです。それに…」
 言葉を切って、ワインのグラスに視線を落とす。


「十年分のツケが今、漸く巡ってきた…、それだけです」


 どこか自虐的な笑みを浮かべた青年の横顔を、クラウドは何も言えずに見つめた。
「僕は、これまでずっと彼女にどうしたら贖罪が出来るか考えていました。でも、僕が出来る事は本当に限られてるんですよね。時間を見つけては彼女に会いに来て、彼女の入院費を払って…。本当に、それしかないんですよ、出来る事って」
「…………」
「でも、それだけで済むはずがないでしょ?彼女への贖罪が…」
 再び沈黙が二人の間に横たわる。

 そうなのだろうか…?
 本当に彼女への贖罪と言うものを、彼が負わなければならないだろうか?
 そもそも、彼を助けようとして彼女が落ちた事自体、彼に責任があるだろうか?
 彼が、自ら進んでライフストリームへ投身自殺を図った。それを彼女が止めた事が原因で、魔晄中毒になったのなら、彼に責任は生じるだろう。
 しかし、そうではない。
 あくまでも、偶然が偶然を呼び、意地悪な歯車が転がった結果が現在なのだ。
 それは、決して彼が…、そして彼女が望んだものでもなく、彼と彼女の不注意が招いたものでもない。
 どうしようもなかった事なのだ。
 自分達の力と意思ではどうする事も出来ない、自然の力の流れの中での不幸な事故なのだ。
 それを、自分の責任として全てを背負おうとする彼は、間違えてはいないだろうか?

「ライ…、君がそこまで彼女に責任を感じる必要…、本当にあるのか?」
「………ねぇ、クラウドさん。マリンちゃんってとても優しいですね」
「え?」
 クラウドの質問に対してちぐはぐな事を口にする青年に、思わず眉を寄せる。
 構わず、プライアデスは言葉を続けた。
「マリンちゃんがお友達と遊んでいて、そのお友達が…例えば急に起こった突風にバランスを崩したとします」
「…………」
「たまたまその時、二人が遊んでいたところが、高い建物の屋上で」
「…………」
「子供一人が通り抜けられる程の柵が施されてるだけで」
「…………」
「お友達が屋上から落ちそうになったのを見たら、マリンちゃんは助けようとしますよね?」
「…………」
「その結果、お友達は助かってマリンちゃんが代わりに落ちちゃったら…、クラウドさんとティファさんは、その子を赦せますか?」
「………ライ」
「そんな危ない所で遊ばなければ…、その時風が吹かなければ…、その友達と知り合っていなければ、そんな建物がなければ……。こんな風にいくらでも『~なければ』という言葉が浮かんでくるでしょう?でもね、それは全て『過去』なんですよね…」
「…………」
「『過去』をいくら恨んでも解決にはならない。でも、何かを恨まずにはいられない。そんな心境になると思いませんか?」
 返す言葉が見つからず、戸惑うクラウドに、更に語り続ける。
「でも、それらは目に見えないものだから恨むには役不足なんです。恨みきれないんですよ。自分の中の怒りを吐き出せるだけの存在じゃないんです。だから…」


 『僕』という目に見えるものに、強い憎悪を抱いてしまうのは仕方ない…、そう思いませんか?


「………その憎悪を抱く人間には、ライ自身も含まれているのか?」
 黙って口許だけに笑みを浮かべる青年に、クラウドは自分の考えが間違えていない事を知った。

 そう。
 彼自身がどうしようもないほど自分を憎んでいるのだ。
 誰よりも、何よりも自分が赦せないのだ。
 もしかしたら、自分さえ存在していなければ…。
 そう思ってしまうほど、自分自身を憎悪している。

 ほんの数ヶ月前の自分を思い起こす。
 あの頃は、自分がとても穢れた存在の様に思えて、居た堪れなくなって家を出た。
 それでも、心のどこかでは常に温もりを求めていた。
 常に赦しを求めていた。
 そして…。
 赦された…。
 『彼女』と『彼』によって、自分を赦す事が出来たのだ。
 しかし、隣でグラスを見つめている彼は、どうなのだろう?
 自分自身を憎んでいるこの青年は…。
 果たして赦される事を望んでいるだろうか?
 もしも望んでいないのなら、それこそ救いなどないではないか!?

「もしも、その話が現実に起きたとして…」
「え?」
「マリンが友達の代わりに落ちて、例えば死んでしまったとしたら…」
「…………」
「その友達を、赦せないと思う…」
 前を見つめたままポツポツと語るクラウドに、プライアデスは目を細めて薄く笑った。
 どこまでも悲しい笑みだった。
「でも…」
「え…?」
「赦そうと努力すると思う」
 じっと手元のグラスを見つめ、はっきりとそう言い切る。
 そして、彼に視線を流すと、軽く見開かれた紫紺の瞳を、淡く微笑んで見つめ返した。
「マリンは優しい子だから、きっと俺達がその子の事をいつまでも赦せなかったら、それこそ悲しむと思うんだ。マリンの為にも、赦そうとする…と思う」
 視線を彷徨わせ、手元のグラスを握り締める。
 その手が、微かに震えているのを見つめながら、クラウドは更に口を開いた。
「きっと…彼女も」
「…………」
「マリンと同じ、優しい人…だろ?」
「…………」
「彼女は、ライが自分を赦せる日を待ってる…と思う」
 何となくだけどな…。
 そう言って、クラウドは照れ臭そうに頭を掻いた。
 柄にもなく、説教めいた事をした事が気恥ずかしかったし、普段の彼からは想像出来ないほど沢山話した為、どうにも落ち着かない気分になる。

 そんなクラウドを前にして、プライアデスは無言だった。
 黙ったまま、フッと笑ったクラウドをどこかぼんやりと見つめていた。
 その表情は、どこまでも虚ろで、寒々しいものだった。
 クラウドは、プライアデスの空虚な眼差しに笑みを消し、内心戸惑った。

 お節介過ぎただろうか…?

 柄にもなく、説教めいた事をしてしまった事に、たちまち後悔する。
「ええ、分かってるんです…」
「?」
 低い声音でポツリとこぼした青年に、思わず首を傾げる。
「今まで、他の人達にもそう言われた事がありますし…。それに、彼女は優しい人だから、本当は僕がいつまで経っても引きずってる事を望んでいないんだって、分かってるんです」


 でも…。

 それでも…。

 どうしても…。

 僕は僕が赦せない。


 その声はとても小さかったのに、店内に流れている静かな音楽が全く聞こえないほど、クラウド耳に突き刺さった。
 くしゃりと、前髪を鷲掴みにしてカウンターに片肘をつく青年の姿に、これまでの苦悩が痛いほど感じられる。
 そして、その姿にクラウドは唐突に悟った。
 彼が、どれ程彼女の事を想っているのか…を。
 決して、恋慕の情に責任感が絡み合ったものではなかった。
 不確かで不安定な想いではなかった。
 自分がティファに抱いている様な想いを、この青年は彼女に抱いている。

 もしも、彼が自分で、彼女がティファなら……?
 自分は自分を赦せるだろうか?
 いや、決して赦せないだろう。
 どう赦せると言うのだろうか!?
 そんな事、不可能だ。
 誰よりも大切な彼女を奈落の底に突き落としたのが自分自身だなど、それこそ生きるのが苦痛になるほどの壮絶な苦しみだ。
 その苦しみを、今、まさに目の前の青年が味わっている。
 そして、恐らくこの優しい彼は、それをひたすら周りに気取られないように、これまで穏やかな表情によってオブラートに隠していたのだ。

 周りの人間をを安心させる為に。

 本当は、こんなにも苦しんでいたのに…。
 決してそれに気付かれないように…。
 いつでも微笑んで、自分を偽って見せていたのだ。
 彼は優しくて、何よりも自分に厳しい。
 憎んでいる。
 だから…。
 何よりも辛い要求にも頷いたのだろう。

 彼女と二度と会わない…。

 それは、何よりも苦しくて悲しい事。
 彼女の苦しむ姿を見る事よりも、何倍もの苦しみ。
 その要求を呑む事で、自分自身への罰としたのだ。
 何よりも重い罰として…。

 このままで良いのだろうか?
 本当にこのまま、彼女と二度と会えないという苦痛を、この青年に味わわせて良いのだろうか?

 いや!
 決して良い筈がない!!
 それでは結局、何の解決にもならないではないか!?
 彼が行おうとしているのは、自分を痛めつける、ただの自傷行為だ。
 かつて、幸福になる事が、『彼女』と『彼』に顔向け出来ない事だと勘違いしていた自分と、同じ事ではないだろうか!?
 それにそもそも、彼と二度と会えなくなる事をアイリ自身が望んでいるのだろうか?
 確かに、今の彼女からは彼女の気持ちを聞く事は難しいだろう。
 いくら、彼女が『周りの空気を感じ取っている』としても、それを彼女は伝えられないし、第一、こちらの言葉や感情を理解しているのか…、というと甚だ不明瞭だ。
 そんな彼女の気持ちを推し量る事は難しいのだが…。
 それでも、彼女はプライアデスと接する時間を『拒否』してはいなかったように思う。
 それは、彼が彼女に触れている間、彼女がただの一度も『発作』を起こさなかったという事から判断出来るのではないだろうか?
 それに、医師と看護師は、彼が昼間診療所にやって来たとき、彼女に嬉しそうに彼の来訪を告げていた。
 少なくとも医師と看護師は、プライアデスがアイリにとって好ましい人物だと思っている。

 そして、その意見に自分は勿論、ティファと子供達も同意見だ。


「ライ、それでも君は、彼女の事を想うなら自分自身を赦すべきだ。それが、何よりも彼女への罪滅ぼしになる、そうじゃないのか?」
 プライアデスは、真摯なその一言に顔を上げた。
 その霞がかかったような紫紺の瞳を、クラウドは真っ直ぐに見つめ返した。
 お互いに視線を外さない。


 ラウンジに流れている音楽が、静かに二人を包んでいた。