幸せのかたち7




 ティファは、ホテルの部屋でじっとクラウドが戻るのを待っていた。
 子供達は、クラウドが帰って来るまで起きていようと頑張っていたが、襲ってくる睡魔に勝てず、今ではすっかり夢の住人だ。
 部屋に備え付けられている壁の時計を見る。
 既に日付が変わっていた。

 何かあったのかしら…。

 クラウドの身に何かあったとは心配していないが、夜の闇に溶けるプライアデスとアイリの背中が視界に焼きついていて、どうにも落ち着かない。
 もしかしたら、プライアデスとアイリの身に何かあったのだろうか?
 いかにもガラの悪い若者達に、手こずっているのかもしれない…。
 それにしても、あの若者達はアイリを知っているようだった。
 それも、長い間、連絡が取れずにいたような言葉を口にしていた。
 という事は…。
 アイリと同じ、ストリートチルドレンだったのかもしれない。
 いや、きっとそうだろう。
 いかにも教養を学べる環境とはほど遠いところで、必死に生きてきたような若者達だった。
 決して、ストリートチルドレンを蔑視するつもりはないが、それでもあの粗野な風貌は受入れられない。
 もしも、アイリがライフストリームに落ちなければ、今頃彼らと一緒に、彼らの様に成長していたのだろうか?

 そこまで考えて、ティファは苦笑した。
 とてもじゃないが、想像出来ない。
 儚げで、今にも消えてしまいそうなアイリが、けばけばしい化粧を施し、世の中を捻くれた眼で見ながら肩で風を切って歩く様など、どうして想像出来るだろう。
 もしも彼女がライフストリームに落ちていなければ…。
 きっと、皆が振り向かずにはいられない程の、素敵な女性になっていただろう。
 笑顔の似合う、花の様な女性に…。
 勿論、今でも彼女はとても可愛らしい。
 しかし、どこまでも虚ろな眼差しをした彼女が、花の様に微笑む事はない。
 空虚な雰囲気を華奢な身に纏い、何の感情もその顔に浮かべる事無く、ただ星に還るその時までを物言わぬ人形の様に過ごす。
 そう考え、ティファはそっと自分を抱きしめた。
 もしかしたら、クラウドがそうなっていたかもしれないのだ。
 ライフストリームで己を取り戻せなかったら、きっと今でも彼は車椅子の上で苦痛の呻きを上げていただろう…。
 その隣のベッドには、彼女が横たわって、空虚な瞳を天井に向けている…。

 ゾッとする…。

 ティファは頭を一つ振ると、溜め息を吐いて子供達のベッドに歩み寄った。
 子供達は静かな寝息を立てて、気持ち良さそうに眠っている。
 寝返りを打ってシーツを蹴飛ばしたデンゼルに、笑みを浮かべながらそっと掛けなおした時、部屋のドアが控えめに叩かれた。
 はじけた様に顔を上げ、足音を忍ばせてドアに向かう。
 そっとドアを開けると、うっすらと赤い顔をしたクラウドが、肩にプライアデスを抱えて立っていた。
 二人共相当酒臭い。
 ティファはびっくりすると、チェーンロックを外した。

「すまない、随分遅くなった」
「良いのよ、それよりも、どうしたの!?」
 眠っている子供達を伺いながら、声を潜めて話をする。
 プライアデスは、クラウドの肩に腕を回して完全に酔いつぶれていた。
 スー、スー…と、規則正しい寝息が静かに聞こえる。
 クラウドは、空いているベッドの一つにプライアデスを横たえると、そっとシーツをかけた。
「ちょっと、話をしてたんだ」
「こんなに飲んで?」
 少々非難っぽい眼差しを向けるティファだったが、ここまで他人を酔わせた事などないクラウドを、全面的に信じている。
 きっと、何かわけがあったのだろうと、彼が話すのをじっと待った。
 クラウドは、部屋に備え付けられている冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、一口口に含み、大きく息を吐き出した。
「慣れない事ってするもんじゃないと痛感したよ」

 そして、話しだした。




 クラウドが話している間、ティファは一言も口を挟まなかった。
 口下手なクラウドは、時折思い出すために言葉を区切って、ポツリポツリゆっくりと診療所での出来事と、飲んでいる時の話をティファに語った。
 クラウドが語り終えると、ティファは今聞いた話をゆっくりと反芻した。
「それじゃ、やっぱりレストランで会った人達は、アイリさんと同じ集落の出身で、彼女の事をとても大切に想っているのね?」
「ああ、そのようだったな」
「そして、アイリさんが魔晄中毒になった原因として、ライ君を憎んでいる…」
「ああ…」
「そのライ君が、アイリさんに二度と会わないように要求して、それをライ君は呑んだのね?」
「ああ…」
「ライ君は、ずっとアイリさんに自責の念を抱いていると同時に、彼女をとても想っていた…」
「今でもな…」
「それで、その想いと彼女を魔晄中毒に貶めた自分を赦せずに苦しんでる…。自分を赦せないが故に、最も重い罰として、彼女に二度と会わないという要望を呑んだ…。そんなところなのね?」
「ああ…」
 大きく息を吐き出すと、二人はすっかり眠り込んでいる青年へ視線を流した。
 あどけない表情で眠るプライアデスからは、なんの苦しみや悩みを感じさせない。
 いつも煌いている紫紺の瞳も今は硬く閉ざされ、眠るその姿は、まるで幼子の様に無垢なものだった。
「つくづく不器用な人間なんだって思ったよ…」
 ミネラルウォーターを一口飲み込み、息を吐き出す。
「もっと、こう…。肩の力を抜いても良いのにな…」
「うん、そうだね」
 それきり、二人は黙り込んだ。
 三人の寝息と、時計の針の音だけが静かに聞えてくる。

 やがて、クラウドは飲み終えたペットボトルの空をゴミ箱に捨てると、椅子に腰掛けたまま物思いに耽っているティファに向き直った。
「実はさ、酔いが回り始めた時にライが零したんだけど…」
 少し躊躇うようにしながらも、ゆっくりと話しだした。




『失礼な質問だけど良いか?』
『何ですか?』
『その…、彼女とは一日ほどしか普通に話をしてないんだよな?』
『ええ』
『なのに、なんでそこまで彼女に想いを寄せてるんだ?』
『ああ、その事ですか?』
『すまない、失礼過ぎた。やっぱりいい、忘れてくれ』
『別に構いませんよ。他の人達からも聞かれた事がありますから…。まぁ、俗に言う『一目惚れ』ってやつですね。森で迷子になってどうしようもなく心細かった時に、目の前に飛び切り可愛い女の子が突然現れたんですから、一目惚れしたっておかしくないでしょ?』
『…まぁ、そうだな』
『それに、『一目惚れ』をしてからすぐに、また『好きになった』んですよ』
『?』
『僕の眼の事を褒めてくれて、綺麗だと笑ってくれた彼女に…』
『ああ…そうなのか…』
『彼女が初めてでした。何の偏見も持たずに真っ直ぐに僕を見てくれた人は。そんな彼女の笑顔と心に惹かれたんですよ』
『なるほどな…』
『魔晄中毒に侵されたとしても、彼女には変わりないです』
『………その通りだな』


『本当は、ずっと怖かったんですよ』
『…何が?』
『彼女が回復して、元気になって…』
『…………』
『普通の人みたいに、笑って、怒って、話をするようになった時…』
『…………』
『その日が来た時に、『僕の事を憎んでいる』、そう言われるのを…』
『…まさか、そんな事は言わないだろう…?』
『…でも、僕が彼女と出会わなければ、彼女が魔晄中毒になる事はなかったでしょう?』
『…彼女は森に木の実とかを探しに行く係りだったって言ったな?だったら、遅かれ早かれ、彼女が一人の時に吹き出したライフストリームに落ちた可能性だって否定出来ないんじゃないのか?』
『まぁ、そうかもしれませんが…。でも、そうならない可能性の方がうんと高いですよね…』
『…………』
『あはは、すみません。慰めようとして下さってるのに、失礼な事言って』
『いや、良い。そうやってライは周りに気を使いすぎだ』
『そうですか?』
『そうだ』
『あはは、すみません』
『…また謝る』
『あ、すみ……ありがとうございます』
『…いや、良い』
『……それで、さっきの続きですけど…。彼女が僕を拒否するのは分かってるんですけど…。分かってるんですけど…、それが一番怖いんですよね…』
『……分からないだろう、そんなこと?』
『フフ、クラウドさんは優しいですね…』
『ライが悲観し過ぎなだけだと思うぞ?』
『そうですか?』
『………(溜め息)』
『はは、確かに楽観主義者ではないですね~…』
『…………』
『…誰に罵られても良いんです…。殴られても、罵倒されても、例え殺されたとしても…。ただ……彼女に拒否される事が、一番怖い…』
『…………』
『彼女に手を差し伸べて……、その手を払われる事が……、何よりも……だから……』
『……ライ?』
『…だから……、むしろ……、他の人に『会うな』と言われて……会えなくなる方が……』
『おい、大丈夫か?』
『…彼女が、…それで、…幸せなら、………』
『おい!』
『…………』





「それで、ここまで運んできたんだ。酔いつぶれたのは俺のせいだしな。酔いつぶれた人間を一人で部屋に放り込んで放っとくなんて出来ないだろ?」
「……そうだったの…」
 本当に、つくづく不器用でバカがつくほどの真面目人間だと思った。
 ティファはそっとベッドに近寄ると、眠る青年の漆黒の髪をはらうとまじまじとその寝顔を見つめた。
「こうして眠ってる姿からは、ちょっと想像出来ないわね…。そんなにも沢山の苦しい思いを抱えてるだなんて…」
「…そうだな…」
「クラウド…、とっても良い事したわね」
 微笑む彼女に、首を傾げる。
「だって、きっと誰かに話したかったと思うの。聞いて欲しかったはずよ、心の中に澱んでいる暗闇を…」
「そうかな…」
「そうよ。だから、こうして気持ち良さそうに眠れるんだわ…。クラウドが話を聞いてあげてなかったら、きっと今頃、眠れずに悶々と苦しんでたはずよ…ね?」
「……だと良いんだが…」
 苦笑して溜め息を吐くクラウドに、ティファは笑みを零した。
「フフ、クラウドは相変わらず自分を過小評価するのね。もう少し自惚れたって良いのに」
「それはティファにこそ相応しい言葉だと思うぞ」
「あら、私は自惚れてるわよ?」
 悪戯っぽく微笑む彼女に、クラウドは再び首を傾げた。
 ティファは、そっとクラウドに歩み寄ると彼の耳元に口を寄せた。

「こんなに幸せな女は、私以外には絶対にいない!そう思ってる」

 ほんのりと顔を赤らめて微笑む彼女に釣られ、笑みを浮かべてそっと抱きしめる。
「その点に関しては、俺も自惚れてる」
 彼女に耳に口を寄せてそっと囁く。

「こんなに幸せな男は、俺以外には絶対にいない」

 そうして緩やかに微笑み合い、ベッドに眠る青年に自然と眼を移す。
 穏やかな顔をして眠る青年を見つめるうち、二人から笑みが消える。
「ライの気持ち…分かるんだよな」
「え?」
 唐突に口を開いたクラウドを怪訝そうに見上げる。
 クラウドは、視線をプライアデスに落としたまま言葉を続けた。
「アイリさんに手を払われる事が一番怖い…っていう気持ち…。俺も、ティファや子供達に拒絶されたら……。ゾッとし過ぎて考えられないな…」
「クラウド…」
「だったらいっそ、『彼女以外の誰か』に彼女と会う事を禁じられた方がよっぽどラクだし、諦められるってライの気持ち、良く分かるよ」
「うん……」
「でも……、それじゃ何にも解決にならないんだよな…?」
「うん」
 視線をティファに移すと、彼の愛しい人は淡い茶色の瞳をキラキラと輝かせて自分を真っ直ぐに見つめていた。



「……ライ君って…」
「ん?」
 ベッドに横たわり、半分まどろんでいたクラウドに、マリンのベッドで横になっているティファが話しかけた。
 流石に、他に三人も寝ている部屋で、二人一緒のベッドに横になる事など到底出来ない。
「アイリさんがいつか元気になるって信じてるのね…」
「……ああ。そうみたいだった…」
「それって…」
「ん?」
「とっても凄い事よね…?」
「ああ、そうだな」
「周りの人から見たら、アイリさんの状態って、絶望的でしょ…?」
「………」
「それなのに、ただの楽観主義的な見方で『良くなる』って言ってるんじゃなくて、本当に元気になるって思ってるんでしょ?そんな風に未来を信じてるって、とても強い人でないと出来ないよね…?」
「………」
「クラウド?寝ちゃった?」
「いや、起きてる。ただ、ちょっと考えてた」
「何を?」
 ティファは体を少し起こし、隣のベッドに横になっているクラウドを見つめた。
 クラウドは、まっすぐ天井に眼をやり、ポツポツ話だした。
「確かに、ライは稀に見る強い精神力の持ち主だと思う。でも…」
「でも?」
 顔をティファに向けると、困ったような顔をした。
「上手く言えないけど、ライはかなり切羽詰ってると思う」
「何に?」
「うん、だからそれが上手く言えないんだ。ただ、かなり無理をしてるって言うか…。うん、何だかギリギリまで気持ちを張り詰めてて、あとほんの少しでプッツリと切れてしまいそうな…、そんな感じがしたな……、酔ったライを見て」
「……そう……そうかもしれないわね。一人で抱え込んで、無茶しそうだもんね」
「ああ。まぁ、暫くは相手の要求を受け入れて、会わずに過ごすのが良いかもしれないな」
「どうして?」

 不思議そうな顔をするティファに、クラウドは自分の考えを話した。


 十年間、行方知れずだった彼女が突如、重い病を患って目の前に現れた。
 若者達が動揺しても仕方ないだろう。
 もう少し時間が経てば、恐らく彼らもプライアデスのこれまでの姿を人づてに聞き、もう少し彼に対して態度が軟化するのではないだろうか。
 彼がこれまで彼女にどれほど献身的に看護してきたのか…。
 それさえ若者達が正確に知る事が出来たら、きっと彼らも認めてくれるだろう…。
 ガラは悪いが、根は良い人間だったと思う。
 良い人間だからこそ、アイリをダシにしてバルト家に『たかる』事を潔しとしなかったのだろうから。


「…そうね。そうかもしれないわね」
 小さく欠伸をしながら、ティファはクラウドの意見に同意した。
 クラウドは、一つ大きく息を吐き出すと、体からすっかり力を抜くと、天井を見上げた。
 診療所で横になっているアイリも、今頃は子供達やプライアデスと同じ様に夢の中にいるのだろうか?
 それとも、今頃は目を覚ましてぼんやりと診療所の天井を見上げているのだろうか…。

「明日…、子供達と一緒にアイリさんのお見舞いに行って来るわ…」
「ん?」
「きっと、子供達も会いたがると思うの。とっても心配してたから…」
「そうか…」
「ライ君には内緒の方が良いかな…?」
「…いや、大丈夫だろう…。むしろ、彼女がどうだったか教えてやった方が良いんじゃないか?」
「あ、そうか…。そうだね」
「ああ、よろしく頼むよ。俺は、ライと一緒にいた方が良いだろうからな…」
「うん、そうだね」
「じゃ、お休み…ティファ」
「お休みなさい、クラウド」

 挨拶を交わした二人が、子供達とプライアデスと同じ世界の住人になるのに、時間はかからなかった。
 ミディールの夜が、静かに更けていく…。